umityanの日記
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2003年12月31日(水) 正月は自由を謳歌できる唯一の日だ。

正月は自由を謳歌できる唯一の日だ。
at 2003 12/31 11:13 編集

いよいよ、残すところ今日だけ。日々は単なる時の流れにしか過ぎないが、何かのけじめをつけることは大切である。かくして、明日がお正月。新年の初めである。誰が言った言葉だったか忘れたが、めでたくもあり、めでたくもなし。

僕にとっては、一年を通じて、一番ゆっくり出来る日が正月である。めでたしである。何となれば、仕事からの解放、人間関係のしがらみからの開放、町や田舎の喧騒からの開放、いろんなものから開放されて、自由になれる日。その日が正月ってわけだ。

思う存分、朝寝して、もう昼も近い時間になって、家族があつまり、新年の挨拶とともに、おとそでのどを潤す。おせち料理で、腹ごしらえをすれば、後は自由時間。

貧乏性の僕は何をするかと言えば、庭に出て、落ち葉をかき集め、焼き芋焼き。出来上がるまで、部屋の掃除だ。僕の仕事は年末まで忙しくて、部屋のかたずけなんて、とても出来ない。机の上に散在した、広告紙をはじめ、不用書類をくずかごへ。落ち葉と一緒に火葬にふすわけだ。

ころもよく、焼き芋ができあがり。これを「ふーーふーー」と言いながら、廊下に足を投げ出して食べるのがいいんだよなあ。いわずもがなうまい。空を見上げれば、カラスが食べ残しを、虎視眈々と狙っている。実が付いた皮を田んぼに放り投げると、見事な低飛行で、カラスが降りてくる。こういうのどかな風景を、のんびりと、誰に邪魔されることなく眺められること。これが最上の自由であり、喜びである。

本当は、元旦は故郷で、母の手料理なる、お雑煮など食らいたいと思えど、今はそれがかなわぬ身となってしまった。
仕方がないから、明けてから、暇な時間を利用して帰ることにしている。

くだくだと書いてきたが、この日記も今日が御用納めだ。幾多の空白日があった。それでも、なんとか続けてこれたことは、このページを訪れてくれた皆様の、お一人お一人のお力があったればこそである。

それともう一つ。僕がこういうものを書いているには理由がある。僕は死して、一体何をのこすのだろう?。名誉?地位?財産?。そんなものではない。僕を後継した者が、僕の生き様を知るには、やはり、記録したものがあったがいい。ただ、それだけのことだ。

明日は正月だと言うのに、今にも逝きそうなことを書いてしまったが、その心配はいらない。後、50年の正月は、まだ僕の手の中にある。うっしししーーーーだ。
さあ、明日は三百六十五分の一の、唯一の自由を謳歌しなくちゃ。




2003年12月29日(月) 回顧と今年の反省。

回顧と今年の反省。
at 2003 12/29 11:07 編集

昨日の青空とはうって変わって、どんよりとした曇り空。今にも泣き出しそうだ。

複雑な気持ちで僕は、拭き上がった窓ガラスから外を眺めている。今、せつなの時間を楽しんでいる。静寂そのものだ。一体人はどこで何をしているのだろう。野良仕事をしている人もいない。きっと、正月の準備でいそがしいのだろう。最近、とみに思う。人の数がドンドン減っているのではないかと。恐らく、これからはもっと、減るに違いない。

昨夜見たテレビでは、年末の商戦やら出店やらで、町は人でごったがえしていた。よくもこんなに人が集まったものよと感心する。田舎とはあまりに対照的だ。
僕は本来田舎が好きである。生まれも育ちも小さな田舎町。今、都会へ出ると、きっと、めまいをおぼえるることだろう。

若かりし頃、都会にあこがれた時期もあった。活気があり、人生ばら色の如く見えた。夜になると、怪しくネオンがきらめく。血の気にはやった僕の心をひきつけるのだ。一歩路地にはいると、「お兄さん、よっていらっしゃいな」と、厚化粧の女性から優しく声をかけられる。
そんな時、思ったものだ。「都会では、皆、命がけでいきているんだなあーーー」。「好意を無駄にしてはかわいそう」と、寄ったことがあった。意にはからず、帰りには財布の中はすっからかん。怖いと思った。一様に貧しかったが、皆、それなりに思いやりがあったように思う。

今は、都会の表も裏も津々浦々、容赦なく映像が映し出す。何の変哲もなく、そこに渦巻くは人間のどろどろした野望ばかりだ。デリカシーもなにもあったものではない。少なくとも昔はデリカシーがあったようにおもう。

年末そうそう、回顧的になると、年をとったように見える。やはりそうなのかもしれない。昭和が遠くになりにけりと同じで、古き良き時代は遠くになりにけりだ。そして、新たに年を一つとる。

そろそろ、今年を反省すべき時が来た。
今年最大の反省点は、なあんといっても、飲みすぎだろう。平均、週に二回はくだらない社交。本来酒好きでない僕がこうも、飲んだには、それなりに理由がある。いいわけかもしれないが、要するに、昔の良き時代を取り戻したいと言う願望が、せっせと、田舎のネオン街に足を運ばせたのだろう。そして、いまだ、僕の求めているものは見つからない。恐らく永遠に見つからないかもしれない。
他に反省すべきところは、知らず、幾多の人の心を蹂躙したかもしれないことだ。この紙面を借りて心よりお詫びをしなければならない。他にも叩けば、埃はいくらもあるが、後は、深い懺悔によって許しを請うことにしよう。アーメン・・・・・南無・・・・。
(相変わらず、いい加減な僕だぜ・・・)

反省らしい反省ではなかった。ただ、来年は、ばあさまもいなくなったことだっし、自らを律して、違った僕で生きていこう。





2003年12月28日(日) せわしい合間に、一服だ。

せわしい合間に、一服だ。
at 2003 12/28 13:32 編集

今日はもう28日。クリスマスも遠くになりにけり。あとは、正月のお年玉を期待するのみ。と言いたいところだが、いまや、とっちゃン坊やではあっても、坊やではない。差し出すばかりである。「もち」でもたらふく食って、寝正月をとしゃれこみたいところ。どうも、これもかないそうにない。
ばあ様の喪をひきずりながら、来年はおとなしく過ごさなくちゃなるまい。

自然の摂理とはいえ、人の死はいつも、はかなく悲しいものだ。天命を全うして、大往生ならまだしも、事故や不慮の災害で、なくなることは実に痛ましい。インドの大地震は数万人の犠牲者を出した。残された家族の悲しみは言葉では語れない。ただただ、死者の冥福を祈るしかない。

仏教的には死は新たなる生への旅立ちかもしれないが、これは、残された者たちへの慰めでしかない。はっきり言って、死は消滅だ。なにも残らない。あえて、残るとすれば物質を構成している原子くらいなものだろう。こう書くと、死はあまりにもいとわしい。それを察してか宇宙は、生命体が子孫を残して進化していくというシステムを与えてくれた。そのことによって、はじめた死が肯定できるのだろう。

おっと、年末近くになって、生命論を話している場合ではなかった。掃除・・・大掃除をしなくてはならない。我が家はかなり窓ガラスがおおいので、まずはガラス拭きだ。例年、寒風にさらされながら、窓を拭いていた。今年はそれを解消すべく、便利商品を手に入れた。部屋の内側から外も拭けるというすぐれもの。強力な磁石を利用したものだ。早速試してみた。確かにきれいに拭ける。無精者の僕には、ありがたや、ありがたやである。ただ、一つの欠点。本来、僕はがさつ者。あちこちに、拭きもれが見つかることだろう。

さあ、次は庭の清掃と、書き物をすこししなくてはならない。筆ペンで書く。結構これも時間がかかるんだよなーーーー。
そうそう、書き物といえば、年賀状。出す寸前に喪中とあいなった。仕方がない。来年、ハガキと交換して、寒中見舞いでだすことにしよう。この場を借りて、友人達へ告げておこう。もちろん、年賀状はハガキと交換する前に、「お年玉の番号」を確認してからになるだろう。がさつ者でも、このへんは「まめ」である。

寒いが雲ひとつない晴天。ばあ様は、今頃、宇宙のどのあたりを、さまよっていることやら。こころから成仏を願うだけだ。



2003年12月27日(土) とんだ御用納めになりました。

とんだ御用納めになりました。
at 2003 12/27 14:44 編集

昨日は、弟(仕事仲間)の事務所も御用納めだった。その夜は忘年会だ。僕にも招待の声がかかった。義理と人情に厚い僕だ。「いかにゃなるまい」ということで、ご祝儀に一万円を包んだ。なんでも、飲み放題、食べ放題の店らしい。なるほど、弟らしい発案だ。育ち盛りの従業員を抱えているので、「たらふくまんま」には好都合の店だ。しかも、安いときている。ダブル幸運だぜ。

六時半の約束だった。部外者の僕が早々と行って待っているのもおかしい。
というわけで、行きつけの小料理屋の駐車場に車をとめて、そこで、すこし潤して、タクシーで行くことにした。

そう決心した矢先、携帯が、「お電話です。お電話です」と叫ぶ。「ありゃ、なにごとじゃろうか?」と出てみると、なんと、のりちゃんからだった。

「今日、時間ある?。ちょっと食事でもしたいなあーーーー」。これが彼の口癖。一瞬、どう答えるか迷った。結局、30分くらいしか時間がなかったが、この小料理でちょっくらやることにした。のりちゃんが喜んだことは言うまでもない。

のりちゃんとは、極めて相性が良い。発想のパターンが、どこかにているのだろう。短い時間だったが、焼酎と、酒を食らって、ほろ酔い気分で、弟の待つ会場へ急いだ。もちろん、「あ・・・と・・・・で・・・電話するよ」という一言を残してだ。

会場に着いた。中は、閑散としていた。一瞬、目を疑った。「ええつ、ここっ?」。
見渡すと、会場のなかほどに、弟一団が陣取っている姿を発見。「客の少ない、淋しい忘年会だぜ」と思ったが、仕方がない。今日は貸切だぜ。
ひとしきり、挨拶を終え、こうなりや、食べるが一番と、肉を焼きまくった。従業員達の食べること!食べること!。お見事。今日のスポンサーは弟だ。何の心配もいらない。

弟が僕を忘年会に招待したのにはわけがある。要するに、忘年会を終えて、後は二人で、どこかで飲みなおしをしようということだ。僕に異議があるはずもない。
一時間ばかりいて、僕と弟は一団に別れを告げ、そそくさと会場を後にした。メインテーマは今からだ。

ただ、気がかりは、のりちゃんのことだった。案の定、彼から携帯がはいった。「今どこーーーーつ」。「ここ、ここーーー」と言えば、「どこ、どこーーーー」と聞く。何だか、テレビの宣伝にあったような会話。

てなわけで、痺れを切らした、のりちゃんも僕達と合流。男性三人に美女三人。クラブみたいな店で、話に花を咲かせたわけだ。ここまでは良かった。というより、おぼえている。そのあと、僕はどうやって彼らとわかれ、家に着いたのか記憶にない。
金はちゃんと払ったようだ。

久しぶりの深酒だった。今、こうやって日記を書いているが、まだ、気分がすぐれない。これを二日酔いというか?。
もう酒はこりごり。多分来年の1月4日まで、断酒になるだろう。何故って?、飲みに行かないからだ。

やれやれ、今年の反省材料が、又一つ増えてしまった。


2003年12月25日(木) クリスマス・イヴはもてない男の貸切デーか?

クリスマス・イヴはもてない男の貸切デーか?
at 2003 12/25 22:51 編集

いよいよ。明日は仕事納め。大過なくやってこれたことに感謝だ。あえて、心残りと言えば、大きな仕事が少なかったことだろうか。まあ、これは仕方がない。世の中が不景気であれば、必然的に大きな仕事は減る。クライアントが冒険をしないからだ。

なんといっても、事業の破綻は、過剰設備投資と在庫過剰に尽きる。その上に人件費を初めとして、固定費の増加が、資金繰りを圧迫する。そういう危機感があり、おのずと、クライアントは消極的になる。日ごろからそう叫んでいる僕も、商売のエリアが縮まざるをえない。

てなわけで、今年は僕もちんまりとやってきた。独楽鼠みたいに、ちいさな仕事を、あっちちょろちよろ、こっちちょろちょろ。
見入りは少ないが、塵も積もれば小山。なんとか、酒代だけは確保した。

その酒代を持って、昨夜はクリスマス・イヴの町へ繰り出した。さぞかし、ネオン街は、にぎわっているだろうと勇んで乗り込んだわけだが、肩透かしを食らってしまった。星をちりばめたみたいな、イルミネーションだけは、コウコウト輝いているが、えらく、がらーーーんとしているじゃないか。人がいないのだ。
流行語大賞の言葉ではないが、「なんでだろーーーーっつ、なんでだろーーー?」と、行きつけの小料理屋のママさんに聞いてみた。

ママ曰く。「知らないのーーー?。あんた遅れているわねーーー。若い人たちは皆、カップルでどこかへ、しけこんでいるし、サラリーマンの父親はケーキを抱えて、家路へいそいでいるわよ。今日は家庭サービスの日なのよ」ときた。「なるほどねえーーー。最近の世相はそういうものか?。それじゃあ。今宵は、もてない、産業廃棄物たる中年男たちの貸切デーかあーーーー」と言って、僕と友人達は苦笑いだ。「あまりにもアメリカナイズ、ヨーロッパナイズされている日本が悲しいぜ」と言いたくなる。

実のところ、僕には一つのもくろみがあった。今年世話になった店を数軒訪れて、感謝の弁を述べておこうと思ったのである。
かつ、行く先々の店で、「ケーキ」のご相伴に預かろうという寸法。いやはや、卑しい根性だ。

「一体、何個のケーキを食べれるのだろう?」と、期待に心は躍っていたが、あにはからんや、店の方から「ケーキのお土産は?」と、催促される始末。これじゃああ、夢もちぼうも。台無しだあーーーー。

それにしても、僕は、まれに見るお人よしのようだ。ケーキのさしいれはしなかったが、「初夢の宝くじ」をママさんにプレゼント。年末ジャンボを買いそこね、しからば、初夢宝くじでということで、十束ばかり入手していた。それを一束ずつ、あちこちのママさん達に、プレゼントしたわけだ。一束2000円。だからと言って、酒代が安くなるわけではない。「うんんんん、これは勇み足だったか?」と思ったが、後悔先にたたずだ。

まあ、来年への糸がつながったと思えばこれもまた吉だ。そう思うことにした。
さあ、明日は御用納め。遣り残したことはないか、再点検だ。


2003年12月23日(火) 早起きして主婦になりました。

早起きして主婦になりました。
at 2003 12/23 11:24 編集

今日は朝五時半に起床。品行方正な僕は最近、早寝早起きに徹している。二階の寝室から一階へ。体を震わせながら駆け下りた。というより、階段を踏み外さないように、慎重にに降りたと言ったほうが正しい。まず玄関の鍵を開ける。次にカーテンだ。世間を見回すと、まだ真っ暗だ。明かりがほとんどともっていない。おやおや、世間様はまだ船をこいでいるか?。なんだか得したような気分になる。「早起きは三文の徳」とはよく言ったものよ。

次に、リビングのエアコンのスイッチを入れ、台所に赴く。お湯を沸かして、うまい紅茶を飲むためだ。ながしを見ると、昨夜の茶碗がまだ洗ってない。ええい、面倒だということで、洗ってしまう。その間にお茶が沸いて、テレビのスイッチをいれ、茶をすすりながら、取り込んだ新聞に目を通す。目は画面にいったり、活字を追ったり。忙しいことよ。

体も温まり、茶もすすった。さてと、せっかく早く起きたから、今日は「おかゆ」でも炊いて、友人からもらった「明太子」をえさに朝食でもするか。
やっと、戸棚から見つけた。おかゆ製造機で、米を洗い、水を相当に入れて、スイッチを入れる。なんと、簡単なことよ。ただ、注意すべきは、沸騰による吹きこぼし。かかるう場合は、ふたを、ややずらしたがいいのだろうか否か?鍋で炊くときは弱火にすればいいが、こういう電気仕掛けになると、弱火にする方法がない。電源を切るかもしくは、ふたをずらして、大きな吹きこぼれをを防ぐしかないのか?。

ひょっとすれば、見事なおかゆが完成しているかもしれないということで、ふたを前面開放。スプーンで味見。「うまいっつ」。出来上がりだ。一足先に頂戴しよう。ばあさまの飯は、あとで、山ノ神がこしらえるだろう。

まあこういう状況で、朝の主婦を務めたわけだが、結構忙しいものだ。この師走、他にもやることが一杯ある。日記を書いている場合ではない。やがて、クライアントが来る。

それででも僕の心は叫んでいたねーー。
明日も「おかゆをつくるぜーーー。早起きするでーーーー」とね。


2003年12月22日(月) プレゼントのないクリスマス。それもいいか。

プレゼントのないクリスマス。それもいいか。
at 2003 12/22 13:14 編集

朝晩がめっきり寒くなった。まあ、これが当たり前の冬というものだろう。僕は、昔は冬が大好きだった。どんなに寒くても、靴下も履かずに、強がっていた自分を思い出すと、なんかおかしい気がする。

今でも冬が好きである。ただ、昔ほどの元気はなくなった。寒いと、体が萎縮してしまう。客でも来れば、相変わらず、寒さに強いそぶりをしているが、客が帰ると、猫みたいに、丸くなって暖房器具様様である。「あんたなしでは生きられない」と、僕の心は言っている。情けないことだ。

要は適応の問題かもしれない。寒いところに住んでいる人は、きっと、少々の寒さにはびくともしないだろう。然るに南国育ちの者にとって、寒さは大敵だ。
そういいながら、ないものねだりで、南国育ちの者が雪を求めてスキーなんかやってはしゃいでいる。おっと、これはスキーができない僕のひがみだ。これ以上の言及は止めよう。

今日は暑さ寒さのことを書くつもりはなかった。後、10日ばかりで正月。その前にクリスマスとやらがやってくる。いつも、仲間達とクリスマスのパーティーをやっていた。今年はどうも、そんな雰囲気にはなれない。喪中と言うことで、仕方がないか。

ただ、ケーキだけは食べてみたい。特にこの時期のケーキには、いろいろと、アクセサリーが施されていて、目を楽しませてくれる。ウイスキーを落とした紅茶なんかをすすりながら、ホワイトケーキに乗っかった真っ赤なイチゴをつまむもよし。もう、よだれが落ちそうだぜ。
ただし、今年のクリスマスは、プレゼントなしだ。それもいいか。人知れず、おいおいと泣くだけだ。


2003年12月20日(土) 僕の後ろに道はない。

僕の後ろに道はない。
at 2003 12/20 19:48 編集

ばあ様が死んで、もう今日は初七日だ。早い。あれよあれよと時間が過ぎた。今頃、ばあ様は三途の川を渡って、あちこちと放浪の旅をしているに違いない。なんでも、49日までは、安住の地をもたないらしい。現世に残された遺族の功徳のちからで、正しい生まれ変わりを助け、49日たって安住の地に落ち着くのだそうだ。

正直なところ、未経験の領域なので、なんとも言えないが、仏教の習慣は、人の心を敬虔なものにしてくれる。
坊さんが来た。一緒に読経をあげた。会食しながら昔話に花をさかせた。
香をかぎながら、ばあ様はきっと幸せな気分でいることだろう。

静寂が戻った。茶の間に足を運ぶと、今でも「でーん」とそこに座っているような気がする。見渡せど、もうだれもそこにはいない。不思議な気がしている。

いずれにしても、死は、誰もが避けて通れない自然界との約束事。ばあ様の遺伝子は子に引き継がれ、子の遺伝子は又孫に引き継がれる。幾世代も、幾世代もこの繰り返しをしながら、生命体はどんどん進化していくわけだ。我々は進化の担い手なのだ。

いつまでも、めそめそしてはいられない。
そろそろ、先の準備をしなくてはならない。今年もそうだったが、来年も恐らく「カオスーーー混沌」の年になるだろう。
先が見えない。手探りで、進むしかない。
のろくともいい。一歩一歩、歩みを進めていこう。

「僕の後ろに道はない。前を向いて進んでいこう」。




2003年12月19日(金) ばあさまの死。これは幻なんだろうか?。

ばあさまの死。これは幻なんだろうか?。
at 2003 12/19 13:12 編集

ばあ様が15日亡くなった。病院に担ぎ込まれ、二週間のあいだ、病魔と闘った。残念ながら命が尽きた。何の苦しみもなかった。大往生である。

あわただしく、通夜、葬儀、火葬と、時が流れた。すべてが、二・三日のうちに終了するのだ。集まった人たちも、人一人減り、二人減りで、最後に家族が残る。

いままで、茶の間に「でーーーん」と座って、茶をすすっていた、ばあ様の姿は、もうない。本当に不思議な気がする。「夜遊びがすぎますよ。お坊ちゃま!!。食事はよくかんで」とか、ぶつぶつ言いながら、座っていた、あの姿は幻だったのか?。そうかもしれない。肉体をまとって生きている僕たちの姿なんて、幻なのかもしれない。実体なんてない?。

火葬にふすまでは、肉体があった。死に化粧をした顔は童顔のごとくに美しかった。まるで生きているようだった。しかるに、ほぼ、二時間の火葬で、灰と、すっからかんの骨になるのだ。見事というしかない。箸で、拾骨し、つぼに収める。箸でつつきながら、散在した骨を拾う。綿菓子みたいにもろい骨。あまりの軽さに驚く。拾い切れなかった骨や灰は一体、どこへいくのだろう?。

「釈迦内柩唄」で、女おんぼ役を演じた、「有馬理恵」さんが言ったせりふを思い出した。
「人を焼いた灰は、コスモス畑に蒔いて、毎年、毎年、美しいコスモスの花が咲く。どんな偉い人も、そうでない人も、一様に美しい花を咲かせる。」

ばあ様の灰も、どこかの畑にまかれるのだろうか?。一瞬、そんなことを思った。
同時に、灰になった人間のはかなさを感ぜずにはいられなかった。

幾多の人間ががなくなっても、地球は何知らぬ顔をして回っているし、時はその流れを止めることもない。たんたんとしたものだ。そして、僕たちもその流れに乗っかって、淡々としている。死は暗黙のうちに肯定された約束事だから、そうせざるを得ないのだろう。そんな気がする。

暗黙の肯定だからこそ、ばあ様の死を幻なとして片つけたい。幻だから、もともといなかったわけだ。そして、消滅したわけだ。僕だって、周りにいる色んな人達だって、いつかは消滅する。何の不思議はない。暗黙の約束事なのだ。幻なのだ。

理屈では分かっていても、悲しみや、むなしさは、いつまでも、心の奥に残っている。自らが死ぬときにならないと、、その悲しみやむなしさは消えないのかもしれない。

今、僕は静かになった、わが事務室で今年初めて降った初雪を眺めながら、そっとこの日記をしたためている。明日に幸あれと、祈りながら。







2003年12月15日(月) 雑感ー僕も罪深い男か?

雑感ー僕も罪深い男か?
at 2003 12/15 13:46 編集

今日は赤穂浪士の討ち入りが終わった翌日、15日。
そういえば、サダム・フセインが一昨日、捕獲された。ニュースを聞いたのが昨夜だったので、赤穂浪士の討ち入りと重なって、何だか、因縁めいたものを感じた。もちろん、何の因果関係もないわけだが。

権力者、独裁者がその地位から転落したとき、その姿はあまりに惨めなものである。
猿の社会でも、ボスの座をめぐって、雄同士が激しく戦う。強い子孫を残さんがための、儀式なのかも知れないが、ボスの座を追われた猿はやはり、かわいそうに思える。それを静かに眺めているメスは、なんとも、憎くさえ思える。とはいっても、メスはやはり強いボスの子孫を残したいわけだ。
まあ、これは、自然社会での本能がなせること。人間社会の出来ごととは、区別して考えねばならないだろう。なぜなら、人間社会は、もっと、もっと、高度な能力、すなわち、考える能力を持っているからである。

その、能力がいけないのだろうか?。人間社会の争いは、もっと醜く、もっと、陰湿で、欲ふかく、打算的である。名誉欲、金銭欲。独占欲、・・・・・・・。尽きない欲・欲。よくよく考えてみると、くだらない物である。くだらなくても、人間はそういうものがほしいのだ。僕だって、まったく無縁ではない。自ら欲しなくても、あって邪魔になるものでもないなら、どんとやってこいだ。お金なら、拒むことはない。

時々思うが、生きとしいけるものは、そういう業を持つように生かされているのだろうか?。僕は断じてそんなことはないと思っている。業とか因縁は、人間が自ら作り出した、虚構である。僕たちはその虚構に踊らされて生きているのかもしれない。

平均寿命は延びた。とはいえ、健康で、長生きできる時間はそう長くはない。間違った虚構にとらわれることなく、ただひたすら、のびのびと、自然に即して生きられたら、どんなにいいかと思う。

これも、僕の今年の反省であり、来年への、課題でもある。。




2003年12月12日(金) 異業種交流会と今年の懺悔。

異業種交流会と今年の懺悔。
at 2003 12/12 14:35 編集

今朝から、どんよりとした曇り空。今にも泣き出しそうだ。やや寒い。風邪を引いたかもしれない。まぶたが若干重い。(寝すぎじゃないの?)。天の声が聞こえた。

そういえば、今年は、サーズと、インフルエンザを警戒して、ワクチンの予防接種をする人が増えているそうな。わが県の知事さんも、いち早く注射に及んでいる姿がテレビで放映された。「結構、知事さんも腕が大きいなあ」と、変なことに気をとられ、その姿を眺めていた。

僕はここ数年以来、注射を打ったり、薬を飲んだことがない。、したがって、予防接種なんて蚊帳の外の出来事である。
「さあーーーつ、どんとやってこい、サーズだか何だか知らないが」と、僕の鼻息は荒い。

ここに、強がりを言っている中年男がいまーーーす。「誰だ?そいつは?」。「あんただよ。あんた!!。この日記を書いている、あ・・・・ん・・・・た」。そうでしたっけ・・・・・・?。
まあ、僕はよほどのことがないと、予防接種なんてしないが、世間の人たちは、予防しておくことに越したことはないだろう。
「備えあれば憂いなし」だ。

ところで、今日はボスと弟と一緒に、異業種交流会に出かけることになっている。冷たいビールでも、「きゅーーーーっ」と飲めば、絶好調に舞い戻りだ。
思えば、僕たち三人は、「三馬鹿大将」として、娑婆に君臨してきた。とうより、世間にはばかれてきたほうかもしれない。どちらでもいいか。

まあ、それぞれに、個性的なものがあるから、互いに惹かれ、互いに避けてきて、今日がある。それぞれに、飯が食えているから、それがまずは何よりだ。
今日は本当に久しぶりに三人が会する。
多分、二次会に繰り出すことは、間違いない。僕もここ数日、「ばあ様」の病状が一進一退なので、極力、アルコールを避けてきたが、今のところ、もちそうなので、今日は、のどを湿らせていただくか。
今日の結末は、あらためて、日記に書くことにしよう。

そろそろ、今年の反省もしなくてはならない。毎度のことながら、
「僕の今年の罪を許した給え・・・・・。心より、神に懺悔いたします。アーメン」と、いうことになる。
うんんんん、まだ、年度末までには三週間弱ある。どうも、もう一つ、真剣味にかけるようだ。あらためて、懺悔しよう。


2003年12月11日(木) 雨とイラク復興支援と、明日の異業種交流会

雨とイラク復興支援と、明日の異業種交流会
at 2003 12/11 16:48 編集

こぬか雨がしとしとと降っている。たまには雨もいい。僕は元来、雨は好きである。雨って、結構、うっとおしいのに、「何故?」と問われると、いつもこう答えている。
「雨の日はコーヒーを飲みながら、考え事するのには、最高でござんすよ。」とね。まあ、好き嫌いは、人それぞれ。たいした問題ではないか。

むしろ、それより、自衛隊が復興支援でイラクに行くようになったことが大変である。
マスコミが、街行く人々に尋ねていた。
「自衛隊がイラクに行くことを、どう思うか?」って。そりゃあ、決まっているじゃないか。
国民の70パーセントは行ってほしくないと思っている。誰だって、危険な地域に、身内を出したくないのは当たり前のことだ。

ただ、国際社会の中で、どこの国も命をかけて、人的貢献をしているのに、日本だけが憲法で、戦争を放棄し、軍隊を持たないからといって、金だけだせばいいということにはならない。そこが問題である。自衛隊は日本国の防衛という大きな任務を負って存在しているが、軍隊ではない。

そんな、自衛隊が、イラクという広大な地に赴き、いざという場合に、どう対処するかが一番問われているように思う。自己防衛のために発砲することもあるかもしれない。その判断は極めて難しい。誤射ということもあるかもしれない。兵器を装備した軍人をはこばなければならないかもしれない。危険は大である。

おっと、いけない。いけない。何はともあれ、仮定で、ものごとをしゃべってはいけないのだ。
ただ、ひたすら真剣に任務をまっとうしようとしている、隊員のかたがたの、安全を心から願うだけだ。

夜には雨があがるという。明日はいい天気になるかもしれない。
そういえば、明日はボスと仕事仲間の弟と、僕の三人は、異業種交流会に行くことになっていた。そこで、しこたま、ビールを飲んで、今年最後のビンゴゲームに挑戦だ。くじ運の悪い僕は、いまだかって、商品をもらったことがない。「今度はやったるでーーーー」と意気込んでいるが、どうなることやら?。

雨と、イラク復興支援と明日の異業種交流会。よく、考えてみると、何の関係もなかったか?。僕のせつなの心の変遷をたどったのみだ。


2003年12月10日(水) 未来の人口予測?。そんな場合じゃない。

未来の人口予測?。そんな場合じゃない。
at 2003 12/10 20:52 編集

師走が三分の一過ぎた。と言うことは、残り三週間で今年が終わるわけだ。思えばいろんなことがあった。そのたびに日記に書いてきたが、振り返って読み直す気がしない。過去は過去だ。今思うことは先のことしかない。日本の未来は?。世界の未来は?。

そういえば、ラジオで、未来の人口のことを言っていた。なんでも、2300年には世界の人口は90億人になるそうだ。日本人は2100年頃、一時的に人口が8000万人位まで減少するが、その後は増加に転じて、2300年には再び一億人をキープしているらしい。なんでも、今生きている女性が二人の子供を産んだと仮定しての話だそうな。

「へえーーーーー?そうなの?」と思ったが、その頃は、既に僕はこの世にいない。
そんな先のことを考えていると鬼が笑うと言うが、まさにしかりだ。僕に言わせれば「一寸先は闇」という言葉が今の世相に一番相応しいかもしれない。

人口の予測なんて、極めて楽観論に過ぎる。そんな予測をしている場合ではない。明日は地球が滅んでいるかもしれないではないか。戦争やら、テロがあり、殺人兵器を人知れず、増産しているような国もあるという。近未来は第三次世界大戦がおこるやも知れぬ。おまけに、地球温暖化に拍車がかかり、北極、南極の氷は解けてしまう。陸地は海面に沈んでしまうだろう。こんな悲観論ばかりが目に付く。

目を国内に移せば、自衛隊が戦争復興支援でイラクに赴く。テロの脅威が待ち構えている。それでも行かなくてはならないこの現実。実につらいことだ。

それだけではない。来年はまさに、耐えて、耐えて、耐え忍ぶ年になりそうだ。増税、増税の嵐。増税なくして、日本丸は先へ進めないからだ。年金はパンクしそう。
消費税率はアップしそう。どこにやすらぎがありんすか?。

僕は以前思ったことがある。「地球の生命体は、一度、全部滅んだ方がいいのかもしれない」と。こんなにまで、醜く分化してしまっては、もはや終始がつかない。きれいさっぱりと土に戻して、再び新たなる、純潔の生命体を地球にはぐくませたらいい。

まあ、これもはかない夢なのかもしれない。やがて2004年を迎える。願わくば、悲観的な暗ーーーーい初夢だけは見たくないものだ。






2003年12月09日(火) 久しぶりの酩酊。楽しからずや。

久しぶりの酩酊。楽しからずや。
at 2003 12/09 21:19 編集

先輩の祝賀会が無事に終わった。いつになっても、祝い事はいいものだ。

先輩夫婦が拍手喝采を受けながら入場した。と、そのとき会場に割れんばかりの歓声。「ええっつ、どうしたんだろう・・?」と思ったら、なんと、夫婦が真ん中のテーブルを挟んで、右、左、別々に入場したのだ。

会場から「奥さん、並んで!!一緒に!!」という声がかかったが、奥さんは恥ずかしそうにしながら、首を横に振り、だんなとは別のルートをたどって、前の祝い席に到着だ。だんなはだんなで、勝手に我が道をである。

一緒に並んで入場するか、もしくは結婚披露宴のときみたいに入場するものと、皆、思っていたわけだ。
うんんん、この入場にはまさに、夫婦の年輪を感じさせられた。
勝手な解釈だが、奥さんの奥ゆかしさと、同時に、私は私の道を行くというそれぞれの意志の強さを感じた次第だ。

例によって30分ばかり挨拶があり、乾杯だ。僕はボスともども、焼酎で舌鼓みをうった。6時半に始まり、9時にお開きとなった。最後は、まるで、新婚旅行に旅たつかのように、皆、手の輪を作って、その中を夫婦が恥ずかしそうにくぐっていた。
いつ見ても、好ましい光景である。

僕もボスも結構、焼酎で出来上がっていた。「さああ、これからだぜーーーー」ということで、同僚の一人とボスを連れ立って、行きつけの小料理屋へ直行した。
ボスは、歌が歌いたくて仕方がない様子。又、同僚の一人は、これまた、プロかと思わせるほどの歌の兵。僕たちはうたったねーーー延々と。なんと、時計を見ると0時半。ボスの声も焼酎でかすれ気味。わおおーーーーーつ、限界だぜーーーー、ということで、代行車で帰還した。

いやはや、今日は久しぶりにボスと飲み、酩酊してしまった。楽しかった。

おっと、忘れていた。ラストソングは、僕とボスが大声でデュエット。題名は忘れてしまった。
同僚が甘く切ない、「霧の摩周湖」を歌った。



2003年12月08日(月) 久しぶりのネクタイ。決まったぜーーーー。

久しぶりのネクタイ。決まったぜーーーー。
at 2003 12/08 17:14 編集

今日はある先輩の祝賀会に招待を受けている。ボスと一緒にお出かけだ。時間は六時半から。まだ、早すぎるので、この日記をしたためた。

僕は本来、祝い事は好きである。ただ、かしこまって、ネクタイをしていかなくてはならないことが苦痛である。
ネクタイ・・・・・。そういえば、自由業になってから、とんと、締めていない。昔サラリーマンの頃は、ネクタイは若さと上品さのシンボルだった。いかにも高そうなネクタイを風にヒラヒラさせながら、街中を闊歩したものだ。オフィスレディたちが、すれ違いざまに、「ちらっつ」と一瞥を投げた。これがうtれしいんだよなあ・・・・。
「うんんん、見事に決まったぜ」と、心は愉快だった。

今思うと、レディーたちは僕を見たのか、ネクタイを見たのか定かではない。、恐らくネクタイのほうかも知れない。彼氏にプレゼントするのに、どんなのが似合うかなと、選別しているのだろう。要するに僕はモデルみたいなもの。まああ、そういうことにしておこう。

やはり、祝い事に普段着では失礼だろうから、今日は三つ揃いの背広に着替えた。結構、首が大きいので、僕のワイシャツは一応注文。最近、カラーシャツを二つばかり入手していたので良かった。

鏡の前で試着だ。シャツと背広の色に似合うネクタイを選んだ。もともと、色彩の感覚など持ち合わせていないので、すべて感である。「いやあああ、それにしても、今日は決まったぜ。あまりに決まりすぎて自分が怖い」。今日は二次会に行くと、若い子ちゃんにもてるぞ。うっしししーーーー。わおーーーーつ、ここまで、自分でのろけてしまうと、なんとも嘘っぽくなってしまう。

おっと、あまり鼻を伸ばしてはいけない。調子に乗りすぎると、けつの毛まで抜かれてしまう。心して行動しなくちゃ。

それでは、メーテルよ。出かけてくるぜ。今日の夕食はいらない。かつ、心配も入らないから。たまにはそう叫んでみたいが、今は一人身。まああ、写真に向かって叫んどくか。


2003年12月06日(土) 久しぶりにドラマ見て涙だ。

今日も無事に、一日が終わろうとしている。先ほどまで久しぶりに、金曜ロードショー、「オーロラの彼方へ」を見た。

三十年という時空を超え、父と息子が無線で会話し、助け合って事件を解決する。神秘的なオーロラが、その縁を取り持ったわけだ。ドラマの最初から最後まで貫き通した家族愛。いやああああ、これには涙させられた。
テレビを一人で見ていたから良かった。まさか、大の大人が「わおーーん、わおーーん」と涙している姿なんて、人様や、特に山の神なんかには、格好悪くて、見せられたものじゃない。
きっと、山の神はこういうだろう。「あんた、まだ、涙の一滴でも残っていたのね」とかなんとかね。今日も、ばあ様のところへ行っているから幸いした。

父のことを思い出してしまった。父は僕が高校一年生の時、逝った。あまりに早い父の死。たくさんの思いではないが、いくつかあげると、海水浴で、父の背中に必死につかまり、泣きながら泳いだこと。旅行の土産に本を買ってきてくれたこと。母の留守のとき、父が秋刀魚を焼いて食べさせてくれたこと。
いい思い出ばかりだ。父は、それなりに僕を精一杯、愛してくれた。親子だから当然と言えば当然か。

ひところ「崩壊」という言葉がはやった。学校崩壊、学級崩壊、家庭崩壊・・・・・・。その原因は、とりもなおさず、「愛」の欠如にあるように思う。
やはり愛なのだ。夫婦の愛、親子の愛、社会の愛、そして、人類愛。世界が愛に、みちみちすれば、色んな事件もテロも戦争もないはずなのに。一体、世の中は、世界はどうなっているんだろう?。


おやおや、もう今日になってしまった。、まだ眠れそうにないが、早朝起きをしなくてはならない。そろそろ休むか。


2003年12月04日(木) ばあ様とおかゆ。どんな関係?

ばあ様とおかゆ。どんな関係?
at 2003 12/04 10:44 編集

今日も早起きだ。何故って、いつまでもカーテンが閉まっていると、「まだ寝ているか?。結構なご身分で」と、人から嘲笑されるからだ。ぱっと起きて、カーテンを全部開けて、新鮮な空気を部屋に吸い込む。
冷気がほほに優しい。いよいよ秋から冬へバトンタッチだ。

まだ、外は薄くらい。さあ、もうひと寝入りするかということで、ベッドに横たわる。これがいいんだよなああ。一応ラジオのスイッチだけ入れておくと、適当に時を知らせてくれるから、ありがたい。後は、あたかも、早起きしたかのように振舞えば良い。
冷静に考えると、人間の頭って、よくよく功利的で打算的に出来ているものよ。

てなわけで、今日もすがすがしく目が覚めたのでした。さあああああ、既に洗顔等は終わっている。あとは朝食の準備だ。

今日は久々に、おかゆが食べたくなった。
実は、ばあ様はいつも「おかゆ」を食べていた。本当は僕も食べたかったのだが、どうも、ばあ様と一緒となると、抵抗を感じたものだ。その理由?。いわずもがな、姑というか、ばあやというか、うるさい存在だからである。「おぼっちゃま、やわらかいものを食べていては、早うに、歯がわるくなりまっせ」。どうもそう言われそうだ。「余計なお世話だぜ」と、内心は思っていても言葉に出せない。
そういう空気が嫌いだから、今までは、避けて過ごしてきたわけだ。

おりもよく、ばあ様が入院。「おかゆをやっと心置きなく食べられる」ということで、今朝は「おかゆ」を製作することに決定。

僕の名誉のために一言書いておかなくてはならない。ばあ様が入院したことを喜んでいるわけではない。一人身は結構、不自由で淋しくて、「いやになっちゃう」という心境が本音である。

台所を物色したが、ばあ様がいつも使っていた、おかゆ製造機がみあたらない。
まさか、ばあ様の部屋に入って探すわけにも行かない。
仕方がない。鍋でこしらえよう。

米を半合ばかり洗い、鍋に入れる。水を米の6倍から7倍程度入れる。後はコンロに火をつけて、鍋にふたをして、待つのみ。
ここで、注意しなくてはならないのは、鍋から目を離してはいけないことだ。沸騰して水が吹きこぼれる心配があるからだ。吹きこぼれそうになったら、ふたをちょっと、ずらし、火を弱火にして、更に煮込む。
あとは感だ。スプーンで味見をして、米が硬からず、柔らからずになっていれば、「わおーーーーっつ」。完成だ。

言葉で書くことはやさしいが、果たして、今日のできばえは_?。まあまあか。70点である。

おっと、僕はいつから料理の先生になったんだ。もう10時過ぎた。パートさんがやってくる。この辺でお開きにしよう。



2003年12月03日(水) 独身五日目。


独身五日目。
at 2003 12/03 10:12 編集

独身生活、五日目。このくらいになると、何が一番足りないかと言うことが分かってくる。金ではない。食べ物か?。これもちがう。うんんん、何といっても、やはり、「会話」である。人間の生の声である。

テレビを見ていても、自分が会話しているわけではない。周りにはうつろな空間しかない。誰もいないのだ。これほど、つまらないことがあろうか?。こんなときは、本来なら嫌いであるが、猫でもいればまだましである。ごめん。猫に失礼だったか?。(人間って、本当に現金な動物だぜ)。

僕は昔、南海の孤島へ行って、満天の星空を眺めながら、自給自足の人生を過ごせたら最高にいいだろうと、思ったことがあった。
又、南海の孤島とまでは行かなくても、どこか山奥で、小川が流れていて、そこに小屋を建てて、天気が良いときは川で釣り糸をたれ、もしくは畑を耕し、雨のときは、コーヒーでもすすりながら読書三昧。わおーーーーつ、最高に最高だと思っていたことがあった。

しかるに、今こうやって、一人でいると、その考えは、甘ったれた机上の空論であり、空想世界での話であると言うことに気がついたのだ。情けないことだ。

都会は孤独だという。確かにそうだ。いくら人がたくさん歩いていようとも、そのほとんどの人との知己、交わりはない。要するに、ぜんまい仕掛けのロボットが騒々しい喧騒の街中を行き交っているだけ。そこにあるのは孤独だけ。まあ、音やネオンの灯火があるだけでも幸いか。

田舎での孤独はそうはいかない。まず、人がいない。あまりに静寂すぎて、会話もない。音もしない。これじゃあああ、まいってしまう。「たった、五日の孤独で、甘ったれたことをいいなさんな」と怒鳴られそうだが。お坊ちゃま育ちの僕には耐えられない。
なんか、こう自分で書くと嘘に聞こえてしまう。

もちろん、それくらいのことは分かっている。ぼくが言いたいのは、「僕以上に、孤独を抱えた人がたくさんいて、じっと耐えて生きているんだろうなあーーー」という思いである。

朝から、悲観論的な話になった。今日の天気はいいぞ。ただ、ちょっぴり寒い。いつもは事務室の窓から元気そうに見えるソテツ木が、今日は心なしか悲しそうだ。僕の心みたいだ。

うんんんん、この師走にセンチメンタルに浸っている場合ではなかった。やがて、パートさんがやってくる。さああ、遅ればせながらの朝食だ。今日は面倒くさいので、サンドイッチとミルクという、素朴な軽食で済まそう。

とりもなおさず、甘ったれた心を引き締めて今日を生きるしかない。



2003年12月02日(火) 冬の幽霊さん、いらっしゃい。

冬の幽霊さん、いらっしゃい。
at 2003 12/02 14:29 編集

今年の流行語大賞に、「なんでだろーーー」、「毒まんじゅう」、「マニフェスト」とが決まった。どれを見ても、なんかスカッとしない。なんでだろーーーーー?

夢が感じられないからかもしれない。
特に「毒」という言葉は、印象に悪い。
昨年の大賞は良かった。「たまちゃん」だ。
思わず、「はーーーーーい」と答えたくなるじゃないか。

ところで、話は変わるが、僕のひとり暮らしも今日で四日目を迎えた。ひとりになってみると、やはり、なにか淋しい。「なんでだろーーーー?」。

かなり、広い家で、周りは四面、田んぼに囲まれている。もちろん道はある。民家が結構離れている。夜になれば、「しーーーーん」として、音らしき音が聞こえない。
頑強で、屈強で、柔道はしごんだんの僕でさえ、さすがにミッドナイトは怖くなる。
従って、電灯を光光と、照らして、つけて寝ているんですよ。なんて、口が裂けても言える。おっと、ここで、僕の弱みをみせる必要はなかった。

てなわけで、昨夜は久しぶりに、「のりちゃん先生」と会った。一献傾けようと思ったら、なんと彼は断酒中とのこと。「なんでだろーーーー?」と、問いただすと、体調がよくないとか、忙しいとか、糖尿があるとかないとか、どうも要領を得ない。
まああ、彼の場合は、断酒を何回もやっているので、特に驚くこともない。

以前は、息子が受験するとかで、合格祈願のために、断酒をしたそうだ。「うえーーーーーーーん、わおーーーーーーーん」。いい、おとっつあんだぜ。かくして、満願成就し、最近まで飲酒していたわけだ。
恐らく、今回も何かあるとは思うが、詮索する必要もない。

僕たちは二次会まで付き合い、もちろん彼はウーロン茶。僕は焼酎のお湯割り。
つまみは二人とも一緒。この辺がじつにおかしい。飲んでも飲まなくてもつまみは二人前。まああ、仲良くていいわけだ。

「今日は僕のおごりだ。ドンドン食べて!」と、鼻息を荒げながら、僕たちは遅くまで高尚な話に花を咲かせた。一方は素面で、片や赤面で。これで、気が合うから不思議だ。

ほぼ零時に別れて、僕は更にもう一軒足を運んだ。飲み足らなかったわけではない。帰って寝るには丁度、ミッドナイト。眠れるわけがない。ということで、行きつけの店にご挨拶をしに、ちょっと寄った次第。時間を少しつぶした。

帰った頃は、すっかり酩酊していて、気も大きくなっていた。「さあああ、出て来い。冬の幽霊さん!!」とは、さすがにいえなかったが。ベッドインして、夢も見ずに寝込んでしまった。したがって今朝は快調。快調。といいたいところだが、少々きついぜ。

あああ、今日の夜もつらいぜ。早く傾向と対策をたてなくちゃ。


2003年12月01日(月) さああ、師走だ。がんばらなくちゃ。

さああ、師走だ。がんばらなくちゃ。
at 2003 12/01 09:58 編集

今日から師走。いい天気になった。風があってちょっと肌寒い。まあこのくらいが一番いいか?。

ばあ様の心臓は相変わらず動いている。人間の生命力ってたいしたものだ。意識さえ回復してくれればいうことないんだが。それはどうも望めそうにない。

昨夜はNHKで作家、壇和雄の最後の作品、「火宅の人」が完成するまでのドキュメントをやっていた。ガンに侵されながら、病床の中で、口述による原稿作成をやっていた。
いやああ、なんともすさましい執念というか、魂といおうか、その姿に驚かされたし感動させられた。これもやはり、生命力のなせる業だ。

反面、イラクでは日本の外交官が、テロの銃弾により倒れた。こんなニュースを聞かされると、人間の生命力なんて、一方では、なんとあっけないものかと思い知らされた。

僕は今料理をこしらえている。女房が、ばあ様に付きっ切りだから、留守番の僕は家事一切をやらなくてはならない。いやああ、確かに家事は大変だ。仕事で外で働いていた方が、随分、楽に思える。

今朝の朝食は焼き飯と湯豆腐だ。味噌汁でもこしらえたかったが、味噌が見当たらない。お鍋に湯を沸かし、四つ切にした豆腐をぶち込んだ。フライパンにオイルを落とし、(オイルは色んなやつがあったが、オリーブが一番高いと聞いていたから、それを使った)、みじん切りにした、ちくわやてんぷら、それに、ピーマン、にんじんをいため、しばらくしてから飯を入れた。順番がよく分からないが、塩少々、砂糖少々、胡椒少々、ゴマ少々。最後に醤油をたらして、しゃもじで混ぜ混ぜした。
「ええいっつ、おまけだ」ということで、卵を一個落としてスクランブルにした。

見事な焼き飯の出来上がりだ。テレビの前に運んで、ニュースを」見ながら、湯豆腐をつまみに朝食をとった。「うまいっつ!!。見事な出来だ」。自分で自分をほめてやりたい気がした。うんんんん、ここまでいえるとは僕もおめでたい人間だぜ。

いやああああ、たまにする主婦業も面白い。ただ、連日となると、きっと、「参った」の雄たけびを上げることだろう。何故って、あまり料理のレパートリーがないし、いい加減、飽きてくるに違いないからだ。外食も弁当も売っているから、まああ、飢え死にすることはない。

てなわけで、朝食もすんだから、今から仕事だ。さあ、師走はなにかにつけて、忙しくなるぞ。ばあ様のこともある。頑張らなくちゃ。



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