umityanの日記
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2003年07月30日(水) |
長雨と遅ればせながらの暑中見舞い。 |
長雨と遅ればせながらの暑中見舞い。 at 2003 07/30 12:41 編集
いよいよ、七月も明日までだ。こう書くと、何だか、今年も終わりみたいな気がする。月末近くになると、いつも、そう感じるのだ。今月も、これといって、たいしたことはしてこなかった。雨だけが異常に降り、今日も、どんよりとした曇り空。あの、まばゆいばかりの太陽はどこへ行ったのだろう。「肌を小麦色に焼きたいぜ」と言いたくなる。
なんでも、海水浴場はあがったりらしい。設備投資をして、「いまや遅し」と、首を長くして待っている業者の人たちにとっては、この天気がうらめしいに違いない。そういえば、僕もとんと、海水浴に行っていない。海のそばで育ったので、海は大好きである。クロールであれ、バタフライであれ、背泳であれ、横泳ぎであれ、犬掻きであれ、立ち泳ぎであれ、何でもござれだ。ただし、今はそう、速くは泳げない。おっと、のりちゃんは「かなずち」だった。この話はここで止めておこう。
僕は本来、雨は好きである。顔をくしゃくしゃにしながら、雨にうたれると、実に気持ちが良い。といっても、最近の雨は、有害成分をふくんでいるやもしれぬので、注意が必要かもしれない。時には雨は僕の涙の代役であり、又あるときは、顔を洗うには丁度良い。ものぐさと言うわけではないが、荷物をもつのがきらいな僕は、「雨が降って、傘がないなら、ぬれていこう」の主義である。いつだったか、そんな僕が、のりちゃんと、一献傾けた夜のこと。土砂降りだったので、久しぶりに傘を持っていった。これがいけなかったのか?。
折りたたみは、のりちゃんで、僕は柄のついた長いやつ。ある店で、ひとしきりだべり、勘定を払い、そのまま外へ出た。ということは、その店へ傘を忘れたままである。外が雨だったら、気付いていたのに、不幸なことに雨がすっかり上がっていた。タクシーに乗り、しばらくしてから気がついた。
ここで、僕とのりちゃんの会話になる。 僕が、「しまった、傘をわすれたぜ。どうしよう?」というと、すかさず彼、曰く。 「いい、いい、しょうがないよ。今からとりに帰るのもねーーー?」と。僕、曰く。「それもそうだなーーーーー」。ということで、傘を店へプレゼントしてしまった。
彼はじつに堂々としたものだ。僕はめったに傘なんて持って出ることがないので、もともと、持っていなかったと思えばそれでいいわけだ。逆に、のりちゃんは、しょっちゅう、忘れているから、慣れっこになって、「いい、いい、毎度のことでござんす」と思ったのかもしれない。まああ、傘は今では、百円で使い捨てのものがあるし、千円も出せば、結構、上等のものがある。失くして人様のお役に立てば、傘も本望だろう。
天気の話から、とんだところへ、話が脱線してしまった。 いずれにしても、七月よさようなら。 さあ、来月は僕にどんな夢をあたえてくれるんだろうか?。今から楽しみである。 遅ればせながら、メル友さんに、暑中見舞いを述べて、今日の日記を閉じよう。
@「暑中見舞いもうしあげます。中略。時節柄、ご自愛ください。かしこ。アーメン。合掌。敬具。エトセトラ。
2003年07月24日(木) |
僕ものりちゃんもピュアな心の持ち主。 |
僕ものりちゃんもピュアな心の持ち主。 at 2003 07/24 00:52 編集
人と人の出会いって本当に不思議なものだ。まったく知らなかった人が、ある店の常連になり、いつしか言葉を交わすうちに、あまりに親しい友人になってしまうのだ。のりちゃんはまさにそんな人の一人かもしれない。一週間ぶりに彼から携帯が入った。もちろん、僕に断る理由もない。
僕たちは行きつけの小料理屋へ足を運んだ。生ビールを皮切りに焼酎へと、いつものパターンへ進んだ。店は僕たちの貸切状態。相変わらず能天気のママさんと、美貌の持ち主の奈美ちゃんが接待してくれた。僕たちに何の不満があろう。和気藹々と、時間が流れた。幸せなひと時とはこういう状態を言うのだろうか?。
僕は時々考えたことがある。「何故、僕とのりちゃんはこうも気が合うのだろうか」って。同い年のせいもあるかもしれない。 お互いに次男坊ってせいもあるかもしれない。能力というか、思考パターンがほぼ見合いってこともあるんだろうか?。意外と、意見が合うことが多いのだ。 そうそう忘れていた。根本的なことは、やはり、互いに打算がないことだろう。
あれこれと考えた末、僕のだした結論はこうである。「要するに僕たちは。かなりピュアな心の持ち主」であると言うことだ。 悪く言えば、世間知らずのあんぽんたんと言うことになるが、それで、十分世の中を生きているわけだから、いいのかもしれない。ピュアな心でvピュアな生き方を。これが理想かもしれなくぃ。
もっと、詳しく言えば、彼は学問の上では秀でた才能を発揮する人物かもしれないが、社会、世間の中では、子供同然。わがままで世間知らずだ。まああ、僕も同様だ。
僕は彼よりは少しましと思うが、やはり、世間知らずのレッテルを貼られることに間違いはない。彼も恐らく、僕よりは「まし」と思っているかもしれない。
そういうピュアな人間が寄ればピュアな目で世間やら社会を見るから、とうぜん、行き着く結論は似てくるわけだ。これがいいことなのか悪いことなのか、よく分からない。
そんな彼が今日は珍しく、横隔膜の痙攣、「しゃっくり」連鎖にはまってしまった。 歌いながら、突然、「きゅっ、きゅっ」とやりだすものだから、大笑い。 いやはや、人間って面白い動物だ。 結局、帰るまで、彼の「しゃっくり」は続いた。こんなことは初めてだ。美貌の奈美ちゃんと、尊敬する僕に会ったことが、そんなんい嬉しかったのだろうか?。これは僕ひとりの、身勝手な推測であるが。
おやおや、僕も酔いが回ってきた。思うように言葉が出てこない。そろそろ、ベッドインしなくてはなるまい。皿場だ。今日・・・・・・。ではない。既にさらばだ。昨日である。
2003年07月20日(日) |
僕も若返りの秘薬が欲しい?。 |
僕も若返りの秘薬が欲しい?。 at 2003 07/20 00:06 編集
最近、公私共に親しい近所の人が亡くなった。つい先日まで、挨拶の文を考えて欲しいとか、コピーをお願いしますとか言って、僕のところへやってきていた。その都度、一緒に、「ああでもない、こうでもない」とお互いに知恵を絞りあったものだ。 そして、談笑したものだ。その人は身障者の集まりの役員をしているわけだから、当然、総会やら会議等で挨拶をしなくてはならない。どうもそれが不得手ということで、僕に手助けを求めてきていたわけだ。
それにしても、人の一生はなんとあっけないものか。あんなに元気だったのに。ただただ驚く。日々、死のことを忘れて生きているが、明日は我が身かもしれないのだ。果たして、僕に死の準備なんてできているのだろうか?。
そういえば、昨夜だったか、洋画で、魔法の秘薬を、大枚をはたいて購入し、若返った二人の女性と、その秘薬の誘惑に負けそうになりながらも、飲まなかった男の織り成すドラマを見た。 女性たちは確かに若くなり歳をとらないようだが、実は体はぼろぼろの、つぎはぎだらけ。最後はあっけなく分解してばらばらになったロボットと同じになった。反面、男は、立派な人間として、その一生を終えるという筋書きだ。うんん、僕はどうなんだろう?。その男のように死を肯定しながら生を充実して生きる方を選ぶのだろうか?。はたまた、「薬を安くちょうだいな」と言うんだろうか?。
やはり、女性はいつまでも若々しく、美しくありたいと願っている動物なんだなーと、つくずく感じた。もちろん男も例外にもれず、その気持ちは心のどかに持っている。ただ、女性ほど執着は少ないかもしれない。
いずれにしても、人生ははかなく、かげろうみたいなもの。だからこそ、生を精一杯生きることが必要なんだろう。ということは僕には秘薬は必要ないことになるわけだが????。
2003年07月16日(水) |
雑草刈はスランプ脱出のきっかけか? |
雑草刈はスランプ脱出のきっかけか? at 2003 07/16 22:41 編集
腑抜けからぬけだしたはいいが、最近、ちぢに、精神が乱れているようだ。ほぼ、梅雨はあがったが、なんとなくけだるい毎日が続いている。オーマイゴッドである。 こんな日は、かわいこちゃんの膝枕で、耳なんか、こちょこちょとやってもらうと、スカッとするんだが、そういうわけにもいかない。
これではいけないと奮起して、雑草刈に励んでいるが、今ひとつパッとしない。いわゆるスランプなんだろうか。気合がはいらないのだ。僕の姿を見かねてか、近くで機械の修理やら、メンテナンスをやっいる事業主、といってもまだ若い好青年であるが、僕に、手押し草刈機械を持ってきて、「使ってください」と言う。なかなか頑丈そうな機械である。
今までは、ブルンブルン回る、お月様みたいなドーナツ盤に歯がついた草刈機を肩からつるして、振り回していたが、時間もかかるし、そう、はかどりもしない。然るに今度の手押し草刈機械は両手で持って、押していくやつだ。中古だが、まだ十分に使えるから、こわれるまで使っていいという。嬉しさのあまり、涙がちょちょぎれるぜ。
「こりゃ面白い」ということで、早速使ってみた。驚いた。馬力もあり、一度に幅、数十センチ以上を刈り込む。まるで車だ。右手は走行のハンドル。左手が歯車の回転を賄うハンドルがついている。両方握り締めると、自動的に前進しながら草を一網打尽に刈っていく。スピードが速いと、草刈機に引っ張られているみたいだ。
知らぬこことはいえ、世の中には便利な機械があるものだ。いわゆる外国風に言えばローンモア、芝刈り機械の親分みたいなものだ。ただ、難点は、なれないと、どんどん先へ進んでいくことと、小石を巻き込んで遠くに飛ばしてしまうことだ。どろころ、小石が窓ガラスに当たって割れることもあるそうな。幸い、我が家は、周りは田んぼに囲まれているので、ガラスやら、車にあたる心配はない。それでも、石にぶつかったとき、ガキーー、ガキーーと奇妙な音を立てるので、気味が悪いと言うか、怖い感じがする。そんなときは、パッと両手を離せば、自動的に止まる仕掛けになっている。こりゃああ、便利だぜ。
昨日と今日、二回ほど使ったので、少しは慣れてきた。ほぼ、百メートル直線コースをひた走りだ。その往復を何回も繰り返すと、お見事。きれいな芝生の出来上がり。 振り回す機械と」比べて、雲泥の差。ただ、斜面は、この機械では無理。やはり、軽くて、振り回す、今までのやつをつかわなくてはならない。
小一時間ばかり作業をやっていると、もう汗だく。脳梗塞を避けるためには、水分の補給が必要だ。ということとで、暗くなる前に今日の作業はおしまい。 部屋に戻ると、どうも、肩が重い。どうやら、力を入れすぎて手押し機械を操作していたようだ。方向転換するときなど、すこぶる力が要る。もっと、工夫して、うまく使えるようになると、肩もこらなくなるかもしれない。
きれいになった敷地を眺めていると、実に気持ちが良くなる。蛇だって、この機械の音に驚いて、一目散に逃げ出したに違いない。それでも、我が家の主みたいな蛇が一匹、住み着いている。長さ約一メートルはあるだろう。太っていないということは、えさがあまりないのだろうか。さすがに、僕も蛇君に与えるえさは持ち合わせていない。
ということで、今日は野良作業にいそしんで、スランプ脱出のきっかけを作った次第である。
2003年07月06日(日) |
腑抜けから脱し、苦言を一言。 |
腑抜けから脱し、苦言を一言。 at 2003 07/06 12:45 編集
まだ、僕の腑抜け状態が続いている。旅から三日間連続で、アルコールに染まってしまった。もちろん、酩酊もなく、品行方正で通したので、問題はない。ただ、精神が腑抜け状態であることと、体が結構、疲れているようだ。てなわけで、今日の日曜日は、たっぷりと睡眠をとった。おやおや、今日も雨か。
ようやく、みなぎる闘志がわいてきている。明日からは、ばりばり仕事をしなくちゃ、お飯の食い上げだ。やったるでーーーーーー。
それにしても、ちょっと、娑婆世界から隔離されていると、世の中はめざましく動くものだ。大人だけではなく、少年たちの犯す事件にショックを感じている。 何はともあれ、子供の犯す事件は親に責任があり、そういう親を育てた社会にも責任がある。
豊かさの中にある心の貧困。貧困の中にある心の貧困。いずれも、社会が生み出した病気である。この心の貧困が、いろんな事件の根本要因であるように思える。病気なら治すことも可能なはずだが・・・・・。
本来、社会は豊かさの中に、豊かな心。貧困の中にあっても豊かな心を育てるものでなくてはいけない。 今、社会の改革が叫ばれ、どんどん、実行に移されつつあるが、どこを見ても豊かな心を育てる兆しが見えない。合理的、合理的に走るのは良いが、いつも、心が置き去りだ。建前と本音。要するに建前は立派だが、本音は貧弱ということだ。これじゃあああ、信用も出来ないし、心の改革なんてできっこないだろう。
今、こうやって、人間が、我々が生きていること。これはまさに、奇跡に近い。なぜなら、宇宙の神秘と同様。生命も神秘に満ち満ちているからだ。その神秘の中にあって、何億個という父親の精子のなかから、たった一匹の精子が競争に打ち勝って母親の子宮に到達した。そして、この僕が生まれたわけだ。これを奇跡といわず、なんといおうか。人は皆、それぞれ、神秘が織り成す奇跡によって誕生した。何億分の一の確率のなかから、偶然、選ばれて誕生したのだ。であるならば、もっと、「生」を大事に生きていいのではないか。
誕生後のいろんな環境が、人をいろんな方向に導いていく。人にいろんな学習を与える。当然、違った思考体系が生まれることもやむを得ない。ただ、生が誰にとってもただ一度の奇跡であるならば、その奇跡を他人が蹂躙する権利なんてない。このことを分かって欲しい。そして、心はいつも尊厳を持って、自由であってほしい。「尊厳を持った心の自由」とは、とりもなおさず、「優しさと愛」である。優しさと愛が、心の貧困を救う最良の道。最良の薬なのだ。なんだか、そう思える。
腑抜けから脱し、ちょっと、苦言をはいてしまった。さああ、明日からは、また、ノンベーの頑張りやに変身だーーーー。
2003年07月05日(土) |
小旅行の後半。佳境から終焉へ。 |
小旅行の後半。佳境から終焉へ。 at 2003 07/05 20:05 編集
なんということだ。今、書き上げた日記を、弾みで消してしまった。情けない。と言うことで、書き直しだ。
ホテルは我々の貸切みたいに閑散としていた。宴会が終わり、「これでええんかい?」と、誰かが駄洒落を言った。皆、笑い転げ、二次会に行くことに。既に幹事さんが手配済みで、ホテル一階の「薔薇」という、スナックへ案内された。
中には、こぎれいなママさんが一人いて、嬉しそうに微笑んでいた。僕たちはコンパニオンさんたちを従えて、「わおーーーつ」と、おらびながら、ソファーに陣取った。畳からソファーへ。要するに座り物が違っただけで、宴会の続きが始まったわけだ。めいめい、歌に踊りにだべりに、いろんな花を咲かせて、どんちゃんさわぎだ。
まあ、こんなに気を許して、のんびり出きるのもめったにあることではない。まさに、研修旅行が慰安旅行に、はや代わりである。
僕は再び、歌ったね。「夢の途中」。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会うまでの遠い約束・・・・・・」。いいんだよなあーーーー。この詩。昔、僕を振った彼女のことを思い出した。そのとき、この歌があれば、僕はきざっぽく、そう囁いていたかもしれない。そのとき彼女は、どう返歌するだろうか?。ひょっとすればこうかもしれない。「さよならは別れの言葉じゃなくて、再び会わないための確かな約束」とか何とかね。これじゃあ、あまりに僕がかわいそうだ。「うえーーーーーん」と、いまさら、すんだことを嘆いてもしかたがない。男ならスパッとあきらめも肝心だ。
僕は旧式のカメラを持参していた。宴会からスナックまで、なんでもござれで、ぽんぽん撮っていた。36枚撮りのフィルムが終わり、24枚撮りにフィルムを交換した。「さ、どんどんいくでーーー」と、撮り続けたは良かったが、ディスプレーのカウンターがどんどん回り、既に40を越した。僕は最初、思った。「やはり、優秀なカメラはフィルムを無駄にしないなああ」と。ところが、これはとんでもない誤解。最初からフィルムが十分、固定されていなくて空回りしていただけなのだ。なんと、情けないことか。まああ、それでも宴会の方は、うまく巻き戻されていたから大丈夫だった。やれやれ、これで、面目だけは立つ。
やんやかんやと騒いでいると、コンパニオンさんたちのご帰還のタイムがやって来た。 僕たちは名残惜しそうな目で、彼女たちを見送った。もちろん、定番である、「又、会おうね」という言葉は、皆、忘れてはいない。「会うは別れの初め」とは、よく言ったものだ。一期一会の気持ちが理解できればこそ、皆、一抹の寂しさを感じるわけである。
スナックに火が消えたような空気が流れた。僕たちの癒しのタイムも終焉を迎えようとしていた。散々五合と、めいめいが引き上げ始めた。いよいよ、魔の就寝の時間がやってくるのだ。
部屋へ戻ると、なんと、馬鹿でかい「いなり寿司」がテーブルにおいてあった。ホテルが気を利かしたのか、幹事さんの配慮なのか定かではなかったが、いただくことにした。今思うと、これがいけなかったようだ。お茶をしこたま飲んだため、カフェインにやられてしまった。カフェインなんてと、高をくくっていた僕も、寝に就いた瞬間、頭が「きーーん、きーーん」と、興奮しているのだ。おまけに、興奮した頭の熱で、枕がぬくもり、寝返りの連発だ。頭寒足熱という言葉が、今日は、ありがたーーーい言葉に思えた 悪いことは重なるものだ。先に寝た仲間のいびきが僕の耳についた。一人ならまだしも、二人のいびきが交合に響きあう。「やまびこじゃないいんだぜ」と言いたいが、先輩にはそうもいえない。
てなわけで、ほとんど、眠らず朝を迎えたわけである。4時半起床。6時より朝の一番風呂。これだけは、早起きの特権だろう。 そろそろ、旅も終わりに近ついた。バイキングの朝食を済ませ、いくばくかの土産を買った。「行きはよいよい、帰りは怖い」で、皆、疲れたのか、無口のまま、帰路の旅についたのだ。
この後のことは、書いてもさして、面白くもないので、ここいらで小旅行の話を止めよう。 最後に教訓めいた言葉を一つ。 「やはり、枕が代わると眠れないなあ・・・・・。どこでも寝れるやつがうらやましいぜ」と言うことになるか。
2003年07月04日(金) |
小旅行で腑抜け状態だ・・・つ。 |
小旅行で腑抜け状態だ・・・つ。 at 2003 07/04 13:57 編集
しばらく日記から遠ざかっていたが、早、7月になってしまった。 実は七月二日から、仲間内、10人ほどで、一泊二日の研修旅行に出かけていた。 研修旅行というと、聞こえはいいが、本当は慰安旅行みたいなものだ。 数台の車に陣取って、高速を走り、山を二つ三つ超えて目的地に到着した。
道すがら、骨董の店に立ち寄った。「へーーーー、こんな山奥に、こんなにでっかい店が」と驚いてしまった、仲間に骨董が好きなやつがいて、既にこの店を周知だった。大小さまざまな物が所狭しとおかれていた。僕も何か買おうかと思ったが、どうも、手がでそうにない高価なものと、手は出せても、気に入ったものがなかったので、買わずじまいだった。仲間は掛け軸の取り付け、取り外し用の長い棒のようなものを買っていた。それなら、すでに、僕は二個も持っている。 そのほかに、使い勝手のよさそうな、テーブルや、三段重ねのつぼのようなものを買っていた。「へーーーー、皆、見る目があるんだなーーーーーー」と、ただ、感心するばかりだ。 そうこうやって、骨董の店を二軒ばかり見学して、いざホテルへ。 山奥の中にある、ホテルは閑散としていた。僕たちは4人、4人、3人と三部屋に分かれて、一夜を過ごすことになった。
山奥のホテルと言えば、まず温泉風呂だ。宴会は6時半からだった。「いっちょう浴びるかーーー」と僕たちは浴衣に着替えて風呂場へ急いだ。。 「いやあああ、温泉はいい」。大衆浴場は、泳ぐには十分の広さがあり、僕は早速、振るチンで、平泳ぎだ。だれにも迷惑をかけることもないので、気楽だ。スイスイといきたいところだが、「おーーーー、のーーーーーー」、頭からぶくぶくと沈みだした。 昔取った、水泳の名手という僕の杵柄も、今では台無しだ。歳月は人を待たず。僕も、すっかり落ちぶれてしまったか?。 まあ、これも仕方がない。とりあえず全身運動で腹をすかして、宴会に臨もう。
6時半に宴会場に入った。僕たちはめいめい浴衣姿。見事、体にぴったりだ。きざっぽく帯を腰に巻きつけて、肩を切って歩く姿は、娑婆世界のしがらみから解放された中年男たちの唯一の誇示である。
会場に入ろうとすると、入り口に4−5名のうら若き乙女たちがお出迎えだ、「ありゃああ、彼女たちは仲居さんかなああ?」と一瞬、思ったが、さにあらず。幹事さんが、気を利かして、小一時間はかかる街中からコンパニオンさんをチャーターしていたのだ。 皆、20代前半の、ピチピチちゃんばかりで、見事なコンパニオン服に身を固めていた。皆、「うつしししーーーー」と、にんまり顔。「だから、中年男っていやらしんだよなあーーー」と、いう僕も中年。まああいいか。
さああ、飲むデーーーーーーと、僕たちは意気込んだ、料理はそれは、それは豪快。ふぐ刺しみたいに、馬刺しが、どかーーんんと大皿に盛られていた。馬刺しって意外と値が高い。こんなに一度にたくさん食べられるなんて、「僕たちは果報者」と、皆喜んでいた。焼酎にビールに」酒。めいめい好きな飲み物と料理に舌鼓みを打った。
宴もたけなわ、僕が口火を切って、まずカラオケの一曲を。山奥の田舎だから、「麦畑・・・2」がいいだろうと、かわいこちゃんを指名して、いざステージへ。 「およね、ありがとう。おあめのその肌はつっやつだっぺ」とかなんとか、そりゃああ、情感たっぷりに歌いこんだ。 ふっと、相方の、かわいこちゃんを見ると、うっすらと目に涙が・・・・・・。 感動の涙なのか、笑いすぎて、涙腺が緩んだのか、恐らく後者に違いないが、僕としては嬉しかった。 後は野となれ山となれで、後続が歌いだした。先輩の一人が頭にタオルを乗せて踊りだした。見事な藤間流といいたいところだが、見事な自己流である。様になっているから、これが、また面白い。挙句のはてに、コンパニオンさんも引っ張り出されて、なれない手つきで困った様子。
「わおーーーーーーつ、いえいーーーーー」とおらびながら、ドンドン時間が過ぎていく。ゆうに2時間が過ぎた。僕たちにとってはまだ宵の口。さあ、二次会だ。2時間の約束のコンパニオンさんたちも、「いえいーーつ、延長だーーーつ」と言うことで、ホテルの一階にある、「薔薇」というスナックへ直行した。おおっつ、とげが痛そう。「刺されないようにしなくちゃ」と、その時思わなかった。
さすがに幹事さん。この辺の根回しは最高。これも、最初からの予定だったか。さああ、ここでも、飲んで歌えだ。
長くなった。この続きはあ・・・・と・・・・で・・・。。
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