umityanの日記
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2003年06月28日(土) もし、僕とそっくりの人間がいたら。

もし、僕とそっくりの人間がいたら。
at 2003 06/28 22:46 編集

いよいよ六月も終わりを迎えようとしている。今日は夕方から仕事が一つ入っていたが、それ以外は何もなかったので、昨夜というか、今日というか、久しぶりに午前2時近くまで起きていた。

何気なしに、テレビのスイッチを入れると、NHKで、面白いドラマをやっていた。題名は忘れた。なんでも、自分とそっくりの人間と、偶然か必然化分からないが、出会い、驚き、しかも名前まで同じで、更に驚く。一卵性双生児でもなく、いわゆる、今流に言えば、自分とそっくりのアバターということか、はたまた幽霊と言うことか?。更に言えば、自分の心の願望が生み出した虚像なのか、夢を見ているのかだろう。
「僕にはわかんなーーーーい」。

そのそっくさんが、それぞれ、夫婦交換をして、夫の反応を見ようというわけだ?。
これは愛すればこその所業なんだろうか?
またしても、「僕にはわかんなーーーい」である。ドラマでは、一方は夫婦円満、かたや夫婦崩壊の危機にある。果たして、妻が入れ替わり、夫は気付かないのだろうか?。それほど、そっくりなら、気付かないこともあるかもしれない。「どうも、変だなああー?」と」思って、よく観察してみても、「うんんんん、やはり妻か???顔がまったく同じだ」と、思ってしまう。ただ、「それにしては、随分と優しくなったもんだ???。これは何かあるぞ?」と、いぶかるに違いない。

なんでも、世界中を探せば、自分とそっくりの人間が三人はいるという。僕はまだ出会ったことがない。出会えたらきっと楽しいだろう。そうは言っても、ドラマのように、瓜二つというわけにも行かないのでは。やはり、どこかが違っているはずだ。考え方も、生活のありようもそうだ。

恐らく、遠くから見ると、歩き方や、背たけなんかが似ていて、顔見知りの人が間違えることがある。その程度かもしれない。現実はドラマのようには行かないだろう。

思うに、ドラマのように、ほとんど完璧に近いぐらい似ていたら、僕はきっと、その人間を好きになるに違いない。なぜなら、ひょっとすれば僕だからかもしれないからだ。相手が落ちぶれていたら、助けてあげたいと思うし、僕が落ちぶれていたら、相手もそうしてくれるだろう。一心同体みたいなものだ。ドラマは、恐らくそういう方向に展開するに違いない。そして、最後は両家族ともにハッピーエンドに終わる。めでたし、めでたし。

ところで、やはり、現実にはありえないことなのだ。ここで、結論らしい言葉を述べるならば、何かに強く迷ったとき、両方とも選択したいという極めて強い願望が、虚像の人間を作り出す。そういうことかもしれない。心理学的にもあるそうだ。人間の怨念は怖いというが、まさにそんな感じだ。

よくばあやが、幽霊みたいな格好をして言っていた。「お坊ちゃま、一番怖いのは、幽霊じゃなくて、生きている人間のおんねんですがなも」。うんんんん、僕もこの言葉には反論が出来ない。やはり、生きているときに善行を積む。これが怨念をはらう最良の良薬かもしれない。

ここまで考えると、どうもドラマの続きを見たくなくなってくる。いかがしたものだろう?。おっと、ここで迷ってはいけないのだ。見るもよし、見ずともよし。時の流れに身を任せてではないが、日々、平常心これ吉である。



2003年06月25日(水) つつがなく終わった一日

つつがなく終わった一日
at 2003 06/25 22:49 編集

今日も、つつがなく一日が終わった。これといった収穫はない。あえて、なにかあったとすれば、一日、健康でいられたことかもしれない。健康って何にも増してありがたいものだと、しみじみ思う。

最近、俳優の名古屋章さんが亡くなった。
まだ72歳という若さだった。僕はなんとなく、あの、個性的な名古屋さんが好きで、ドラマなんかよく見たものだ。
眉毛が太く、人情味あふれる笑顔と、独特のしゃべりに、感動したものだ。病を得られても、きっと、懸命に頑張られたに違いない。心からご冥福を祈りたい。

よくよく考えてみると、僕も相当に不摂生しているようだ。さしたるストレスはないものの、酒を喰らっては、寝坊し、寝坊しては酒を喰らうといった悪循環におちいっている。もともと、酒が好きと言うわけでもない。父も兄も弟も、どちらかと言えば、下戸の方だ。僕は例外で、酒屋の息子を友達に持ったことが、裏目にでたようだ。結構鍛えられて、好きでもなかった酒が体に沁みた。ただ、家では一滴も飲まず、ひたすら、友人たちと、ネオン街を闊歩するのみだ。ちょっとほめられると、そりゃああ、調子に乗って、羽目をはずしてしまう。そこが大いなる欠点に違いない。
最近はそういうことも考えて、かなり自制している。


2003年06月23日(月) 田植えと蛇君と。


田植えと蛇君と。
at 2003 06/23 12:54 編集

つつがなく、土曜日、日曜日が過ぎて、今日は月曜日。雨。さすがに梅雨だ。しとしとと霧雨が降っている。今、田植えの真っ盛り。車で走ると、いたるところで、田植え機械が働いている。便利になったものだ。

こういう日本的風景は大好きである。田植えはいいが、困ったことは、蛇君が、田んぼから追い出されて、我が家の庭や、通路に登ってきていることだ。もう、何度も見かけて、一目散に逃げ出した。我ながら、こっけいなことよ。

僕が苦手にする三つの一つが蛇である。後の二つは、雷と地震。これは天災だから、いかんともしがたいが、蛇君だけは、ごめん被りたい。

とはいえ、この雨でドンドン伸びる草君たちと、格闘をしなければならない。「麦畑」という歌の松つあんではないが、防御体制の整ったいでたちでをしているものの、細長いS字型をした蛇のスタイルを見たらもう大変。どろころ、藁や、枯れた木の枝が転がっているだけで、「ぞーーーーつ」として、おののいてしまう。

長靴履いて、草刈機を振り回しながら、おそるおそる、茂みに入っていく。草刈機は音が出るので、音で、蛇が逃げてしまうかもしれないが、方向を間違って、自分のいる方へ逃げてきたら、おおごとである。
ときには、「マムシ」がいるから怖いのだ。

先日は、我が家に居ついた、野良猫「シャム」が、えさを求めてやってきた。なななななんと、いつもはつぶらな瞳の美女の顔が、真ん丸いお月様みたいにはれ上がって、目は三日月になっていた。猫同士のけんかではなさそうだ。恐らくマムシか、蛇とバトルをやって、咬まれたに違いない。
こういう姿を見ると、なおさら、蛇ちゃんが怖くなる。

まあ、蛇君から見れば、僕たち人間の方が、よっぽど、迷惑に違いない。
「そう、毛嫌いしないで」と、蛇君が叫んでいるように思える。
彼らは、特に、何もしなければ、危害を加えることもないからだ。
地球に生きとし生けるもの、皆、共存共栄を図るべく、神が創造したのだ。
そうはいっても、怖いものは怖い。
仕方がないではないか。
幸い今日は雨。雑草刈はしないつもりだ。

いつもは夕方頃から、雑草刈にいそしむわけだが、今日は、弟君(仕事仲間)から携帯が入り、仕事の成功を祝って、一献おごるそうな。うれしや、うれしやである。
僕が紹介していた仕事が終わり、金が入ったそうな。それはめでたし、めでたしで、腹いっぱいご馳走になろう。

その前に、仕事をクリアしておかねばならない。さあああ、今宵の楽しいひと時を、期待して、午後の部の仕事に邁進しよう。





2003年06月20日(金) 台風から宇宙論へ。ちょっと大げさか。

台風から宇宙論へ。ちょっと大げさか。
at 2003 06/20 13:20 編集

いくばくかの傷跡を残して台風が去った。門の前のシンボル見たいな木が、今にも倒れそうに傾いている。まだ、根が十分に張っていなかったのだろう。それ以外はたいした被害はなかった。昨夜の天気がうそのように、今日は快晴。自然はある時は憎らしいほど残酷であり、又あるときは、憎らしいほど優しい。まるで、人間の心のようでさえある。

人間の心、奇妙なるかな心、不思議なるかな心。この心があって、初めて山川草木あり。世にある一切のものは、この心より生じ、この心に帰す。何かの本で読んだ一節を思い出した。
あまり関係なかったか?。

本と言えば、今、「宇宙、その始まりから終わりへ」というのを読んでいる。杉山直という人の著書である。駅前の本屋で、ふっと、見つけて、このタイトルが気に入ったので買ってしまった。まだ、ほんの数10ページしか読んでいないが、実に興味深い。ニュートンの万有引力、アインシュタインの相対性理論を初め、分かりやすく解説してあるので、読みやすい。

僕はすぐ、読んで興味深かったところを、人に解説する悪い癖がある。先日も、小料理屋の奈美ちゃんに、延々としゃべってしまった。「ねええ、奈美ちゃん、今、僕たちが見ている星は、ずーーーーーと、昔の星なんだよ」。「なんでーーーー?」。
「ほら、光は一秒間に30万キロ、はしるでしょ。だから、何億、何百、何万光年も離れたところにある星の光が地球に届くには、相当の時間がかかるわけよ。光が届いて初めて、星を見れるわけだから、今見ている星は昔の星の姿なんだよ」。「へーーーーーつ、知らなかった?」。と、目を白黒。ここで、彼女はにっこりとスマイル。このスマイルもいいんだよなーーーーー!!!!。

まああ、こんな調子である。宇宙が誕生して140億年前。今は、その宇宙が誕生してから10億年経った頃、といえば、130億年前の頃の星まで見れるようになったと描いてある。いやはや、気の遠くなるような数字である。130億年前と言えば、宇宙の幼児期である。その後の少年期、青年期を観察できるということは、すごいことである。
ただ、まだ、宇宙の誕生までは到達できないでいるが、「宇宙マイクロ波背景放射」という宇宙に存在するもっとも古い化石を使うと、宇宙が誕生してから、わずか40万年という時期をのぞくことが出来るのだそうだ。これはまたすごいことだ。思わず心が躍ってしまう。

残念ながら、僕はまだそこの章まで、この本を読んでいないのでかけない。もう一つ僕が興味を持っていることは、この宇宙が永遠に膨張するのか、あるいは、ある時期が来れば、収束に向かうかと言うことである。今の観測では永遠の膨張、しかも加速する膨張を予測しているそうである。

僕の生きている刹那の時間では、その真実の姿を垣間見ることはできないかもしれない。とても、残念である。僕の体は死して、灰となり、宇宙空間に散らばるだろう。何かの材料となったり、あるいは、永遠に消滅するかもしれない。まさに、運命とはいえ、ちょっと悲しい気がする。

どうも、宇宙の話になると、スケールがでかすぎて、しがらみの現実に生きている人間にとっては、あまり、関心がないようだ。「あんた、暇だねーーーー。そんなことを考えるよりは、おまんまの一つでも稼いできな」と、言われる。
僕は言ってやりたいねー。「余計なお世話だよ」ってね。

てなわけで、今日は台風から宇宙論へ飛んでしまった。本当に、今は暇だ・・・・・。困ったものだ。


2003年06月19日(木) ひさびさの台風に思う。


ひさびさの台風に思う。
at 2003 06/19 11:31 編集

久々に台風が当地を襲っている。もう、7ー8年前だったか、ゆうに風速50メートルを越すかと思えるような台風がやって来た。そのときのことが、今、目の当たりに思い出される。サッシの窓が弓なりに曲がり、隙間から雨が打ち込む。今にも外れそうな、窓たちを、なすすべもなく眺め、恐怖におののいた。一睡もせずに、翌朝、外を眺めた光景はあまりに無残。かわらが縦横無尽に飛び散り、木の枝が、所狭しと庭を埋め尽くしていた。いつも自然をめでている僕が、このときだけは自然を憎んだ。

そうは言っても、子供の頃は台風がやってくると、嬉しかった。こう書くといろんな人に怒られそうだが、こういうまさかのときこそ家族の団欒があったからだ。家族が皆、心を一つにして雨戸を縄で固定し、停電になると、ろうそくをともして、暗がりの中で、身を寄せながら、台風の過ぎ去るのを待っていた。母が、茶菓子なんか出してくれて、日ごろ話さない、いろんなことを話してくれた。こういう暗がりの中で聞く幽霊の話は、そりゃあ、台風以上に怖く、思わず台風の存在さえ忘れてしまったものだ。

いつだったか、もう時期の記憶はないが、海岸の海が堤防を破って、街中に侵入してきた。僕の家は海岸の近くにあったので、すぐ、床下浸水だ。雨風が弱くなった頃、僕たち兄弟と母は、はだしになり、通りにあふれた水中を歩いて、海岸の方へ行った。どんな状況なのか、様子を見に行ったわけだ。まだ、若かった母は、器用にロングスカートを捲し上げて、白い足を見せながら、水の中を歩いていた。その格好が様になっていて、なんとなく美しいと感じたものだ。

おっと、今、感慨に浸っている場合ではない。まもなく、風が一番強くなる頃だ。
以前の台風ほどには風も雨も強くはないが、まだまだ、用心しなければならない。
今日は学校も休みらしく、と、同時に僕の仕事もあがったりだ。こんな日こそ、のんびりとパソコンの前に座って、何かをやっていたい。そして、静かに待とう。台風がなんの置き土産をのこさずさっていくことを願って。



2003年06月17日(火) 友、三人の雄たけび。第三弾。最終章


友、三人の雄たけび。第三弾。最終章
at 2003 06/17 11:01 編集

しゃなりのママの店を出た。もう一軒、どうしても行かなければならないところがあった。いつもの小料理屋である。ボスや弟たちと、歓談する行きつけの店。百円玉の、お目目のママが、「いらっしゃいと」ニコニコ顔で迎えてくれるはずだった。

ところがさにあらず。いきなり、「遅かったわね。ぷんぷん。一体何軒目?ぷんぷん」ときた。
僕に聞かず友人の画家に聞くところが憎らしい。友は、はとがマメ鉄砲を食らったような顔をしながら、「4軒目かなああ」と答えた。百円玉の目が「きりりっつ」と光った。いや、これは気のせいだったか、すぐ、いつもの表情に戻って、「なんにします?」と聞いてきた。この変わり身の早さは、カメレオンだってかなうまい。

僕たちは、結構、食べてきたが、どことなくお腹がすいていた。しゃなりのママのところで、しゃべりすぎたか、はしゃぎすぎたせいか?。かなり、エネルギーを消耗したようだ。

もう、アルコールはよしとしなかったが、それじゃあ悪いと思って、各人、一杯ずつの焼酎お湯割を飲むことにした。と、同時に、雑炊を注文。ねこめしみたいなものだが、これがうまいんだよなーーーー。
ママはどこからか大きなボールにめしを盛ってきて、鍋にぶち込み、その後で、具らしきものをつくり始めた。いやはや、見事な手捌きよ。やがて、おかゆみたいな雑炊が出来上がった。結構しゃべりながらこしらえていたので、「唾液」混じりの雑炊ということになるか。まあいいか。僕たちは「ふーふー」言いながら、どんぶりの汁まで飲み干した。いやああ満足満足。これでようやく帰れるぞ。
僕たちの心は既に、睡眠基地へ飛んでいた。

楽しい時間って、すぐ過ぎてしまう。時々「どうしてかなあ?」と考える。おもうに、楽しいときは、時間が気にならないから、あっというまに過ぎてしまうのかもしれない。気付いたときは、もう午前様ってことがよくある。楽しくないときは、しょっちゅう、時計ばかり見るから、時間の経過が遅く感じられるのだろう。

友、遠方より来る。楽しからずや。いよいよ、僕たちの刹那のふれあいも幕を閉じようとしている。人生はまさに、旅である。999の哲郎が旅をしながら、いろんな星に停車した如く、われわれも、知己を頼って星をたずねるわけだ。
願わくば、皆が幸せであらんことを祈って、この章を閉じよう。


2003年06月16日(月) 友、三人の雄たけび。第二弾。

友、三人の雄たけび。第二弾。
at 2003 06/16 13:38 編集

創作料理で舌鼓みを打った僕たち三人は、次に、「しゃなりのママ」さんところに行くかということで、即決まった。歩いて、ものの数分のところに店がある。まだ時間が早かったとみえて、店内はすいていた。

顔なじみのボーイ君が僕たちを中ほどのソファーに導いてくれた。程なく、ピチピチの三人娘が登場。二人は新人さんで、もう一人は兵といった超ベテラン。彼女には以前、僕がニックネームをつけていた。確か、アニメで「ゴルファー猿」」というのがあったが、パッと見た瞬間、そのアニメを思い出し、彼女に「ゴルファー猿」ちゃんとなずけてしまった。猿よりは、はるかに美人だが、なんとなく似ていると思ってしまった。彼女は傷つくどころか、このニックネームをたいそう気に入ってくれたようだ。時々は自称しているそうな????。

最近の若い女性は、ほとんど「子」という字がつかなくて、似通った名前が多いから、すぐ忘れてしまう。たとえば、ゆかちゃん、ゆかりちゃん。まりなちゃん、まりちゃん、ゆいちゃん、さゆりちゃん、みゆちゃん、みゆきちゃん。ともみちゃん、ともちゃん。一体、誰がどなたで、どなたが誰かわからない。その点、「ゴルファー猿」チャンだけは、忘れることがない。

僕たちが行くと、一応、「先生」と呼ばれて、嬉しいやら恥ずかしいやらである。
確かに歯医者は先生。画家も先生。僕も、本業で言えばそうなるか。あるいは、超零細個人事業主だから、田舎町の社長さんてことになるか。

僕たちは、それぞれ、勝手にしゃべりだした。時折共通の話題になり、あいずちを打ったりしているが、すぐまた、別の話題に。ちらっつと、横を見やると、商売柄、さすがに歯医者さんは、隣の女性の歯を覗き込んで、「うんん、きれいな肌、ではなくて、歯だ」とか何とか言っている。かたや、画家の先生は、「うんん君をモデルに描きたいなーーーー」とかなんとか。
皆、女性にはすこぶる、甘そうだ。

ところで、二枚目役の僕はと言えば・・・・・・。なんと、三人娘の中の一人が、憧れの、「永作博美」さんにそっくり。即僕は質問した。「永作博美さんや、あべ静江さんに、似ていると言われたことはない?」。彼女曰く。「若い頃の、あべ静江さんに似ていると」言われたことはあると。僕は更に突っ込んで質問したね。「ほら、−−カエルのぬいぐるみを着て、川で、アップアップやっている、宣伝。難だったっけ?。金鳥蚊取り線香の宣伝だったっけ?。それを演じている女優さん、誰だったっけ?似ているよ」。これはうけたねーーーーー。皆大笑いだ。彼女は、永作博美さんの笑顔を見せながら曰く。「それはないわ」と。

いやああ、本当に、お顔がお月様みたいにまん丸で、笑った笑顔がそっくりである。
僕はそく、名前を聞いてしまった。女性の名前は多しといえども、この名前は覚えておこう。「麻理奈(まりな)」ちゃん。まだ、21歳の書道の達人だそうな。

楽しい時間はすぐ過ぎてしまう。三人で二万一千円の勘定。割り勘でご機嫌だ。もう時は零時を回ろうとしていた。さあ、ここを引き上げよう。歯医者はちゃっかり、ゴルファー猿ちゃんとの、デートの約束を迫っていたが、果たして、成功するや否や。
僕もさるものひっかくもの、ちゃんと礼儀は忘れない。疑似、永作ちゃんの携帯は、入手済みである。彼女の妹がインターネットをやっているそうで、日記を覗いてくれるそうだ。僕の筆圧が強くなるのも当然のことかもしれない。

僕たちは、これで、帰還したかといえばそうではない。ラスト一軒が僕たちを呼んでいた。この続は、ネクストにしよう。


2003年06月15日(日) 友、三人の雄たけび。


友、三人の雄たけび。
at 2003 06/15 14:46 編集

友、遠方より来る。楽しからずや。昨夜はまさに、そんな日だった。離婚の危機にある友人と、母の見舞いに来た友人が僕のところで会した。こうなれば、出かけるところは既に決まっている。夜の街に繰り出して、鬱憤をはらし、気勢を上げようというわけだ。

二人の友人は、それぞれに、高校時代、机を並べて、勉学にいそしんだ仲間である。
あれから、数十年が過ぎた。互いに違う道を歩んではいても、昔、培った友情は、いつまでたっても。色あせないものだ。打算がなく屈託なく、「おい、おまえ」で話せるところが良い。

かといって、それぞれに家庭運がいいわけではない。一人は離婚の危機にあるし、かたや、病気で入院している母親を気使って、年に数回、遠方から帰省している。あえて、言えば二重生活をやっているようなもの。長男って、それなりに責任も重いってわけか。そういえば友人、二人とも長男だったっけ。僕は残念ながら次男坊。次男坊でよかったぜ。

僕たちはめいめい、思いのたけをぶつけるべく夜の街へ繰り出した。いつもは、二人つれで行くことが多かったが、今日は久しぶりに三人連れだ。三人寄れば文殊の知恵と言うが、何か前進的な会話が出来るんだろうかと、考えながら店を探した。

最初行った店は、バイキング方式の店である。昔、何度か行ったことがあったが、今日は、これといった料理がなかった。日ごろ食べなれている出来合いの料理ばかりだったので、早々に退散。店の人も「ええっーーーもう?」と驚いていた。しからばということで、最近知り合った人がやっている、創作料理の店へ行くことに。予約はしていなかった。それでも、知り合いのよしみということで、席を確保してくれた。知り合いって、こういう時には便利である。二階の、和風造りのテーブルに陣取った。
マスターと、もんぺ姿の若い女性が二名いた。もんぺ姿といえば、ちょっと、戦時中の姿みたいだが、最近のもんぺは、デザインもよくナウである。
僕たちは、「わおーーーーっつ」と気勢を上げた。

離婚の危機にある友人は、新しいガールフレンドが欲しいらしく、会うたびに「誰かいない?」と聞く。何でも、紹介されて二回ばかりデートした女性からは、丁寧にお断りされたのだそうだ。それもそうだ。まだ、正式に離婚したわけではないから、女性も気を使ったのだろう。てなわけで、淋しい毎日を送っているそうな。
歯医者をやっているが、世の中広しといえども、男性が家を出てアパート暮らし。毎朝、我が家の診療所に出勤するケースって少ないに違いない。普通なら、女性の方から、「実家へ帰らせていただきます」と、荷物ををまとめて出て行くケースが多いのだろうが。
丁度、彼が家を出て一周年になるそうだ。と言うことで、今日はそのお祝いってことになった。果たして、めでたいのか、めでたくないのか?。
一人暮らしで一周。何か収穫があったとすれば、料理がうまくなったということらしい。「そりゃあ、涙味がして、うまいでしょうや」と僕たちは大笑い。

もう一人の友人は、こう言っては失礼かもしれないが、「貧乏画家」さんである。
まさか、彼が画家になるとはゆめゆめ、思っていなかったが、何か光るものがあったのだろう。僕の家にも数枚、彼の絵があるが、見るたびに、彼のことが思い出されるからいい。女房は4歳ばかり年上だそうな。姉さん女房に、かわいがられて、好きな絵を描いて暮らせるなんて最高に違いない。うらやましいぜ。女房ともども、僕の所にも来たことがあったが、それはそれは、たいそうな美人である。今回の里帰りでは、「飲みすぎなさんなよ」と釘を刺されたそうな。以前、女房の前で、僕と彼がキスシーンを演じたことが、よほど、印象悪くく残っているのだろう。分かってはいても、そうは行かないのが世の常。「今日はとことん飲むぜ」と三人で、雄たけびをあげた。

長くなりそうだ。これをパートワンにして、続気は又、あ・・・・と・・・・で・・・。



2003年06月12日(木) 六月の雨を魚に飲もうぜ

六月の雨を魚に飲もうぜ
at 2003 06/12 11:08 編集

今日は雨。六月の雨はなんとなく好きである。じゃーじゃー降るわけでもなく、ピチピチでもない。「しとしと」という言葉が一番相応しいようだ。今日の雨はまさにそんな雨。事務所の窓から外を眺めながら、このキーを叩いている。

真緑の葉っぱにアマガエルがちょこんと乗っかっている。よくみないと気がつかない。カエルの目だけが、きょろきょろと動いている。何だか愛らしくて、ずーーっと眺めていたい。と、突然けたましい、泣き声。「けっけっつけっつ」と、別のカエルが鳴いた。

そういえば昨日、庭の茂みから別の茂みへ、ばかでかい蛇が移動していた。カエルが襲われなければいいのだがと思う。昨年も同じ蛇を見かけた。我が家の守り神かもしれない。それにしても、蛇だけは「ぞーーーつ」とする。出来ればお目にかかりたくないものだ。そろそろ、雑草刈をしなくてはならないが、蛇がいるという先入観が先にたち、勇んで茂みを掻き分けて進む勇気がわかない。こまったものだ。

六月の雨はなんとなく僕の心をロマンチックにする。喫茶店の窓から雨」降る外を眺めるのもまたいい。色とりどりの雨傘を刺して人が往来する。一体、彼らは何を考えて歩いているのだろう?。皆、無表情で、能面みたいな顔をしている。歩くロボットみたいだ。そういう僕だって、ニヤニヤと笑って歩くわけではないから、同類だ。

今度の土曜日に友人二人がやってくる。一人は女房と別居中の歯医者、もう一人は女房ともどもに画家だ。別居中の歯医者はアパートを借りて、そこから自宅の診療所へ通勤している。女房も歯医者だ。彼女は、自宅兼診療所に、でーーーーんと座っているわけだ。一体、どんな顔をして仕事をやっているのか興味深い。画家は、一人暮らしの母親の面倒をみることと、個展を開くとのことで、里帰りの途中、我が家に立ち寄って思い出話に花を咲かせようって寸法だ。

皆、高校の同級生で、同じ釜の飯を食った。僕たちはどういうわけか、結構仲がいい。打算がなく、似通った境遇の中で育ってきたせいかもしれない。
いまや、立派な中年ってところだが、家庭運は今ひとつってところか。

六月の雨を魚に一献傾けるのも、興があっていい。今から楽しみだ。


2003年06月11日(水) いよいよ田植えjか。


いよいよ田植えjか。
at 2003 06/11 10:35 編集

いよいよ入梅したようだ。田んぼには、水が引き込まれ、田植えがはじまる。毎年みる風景だ。今は機械で田植えするから、昔ながらの光景は見られないが、風にそよいでいる早苗を見ていると、なんとなく平和を感じる。田園風景っていいなあああと、つくずく思う。

もう昔、昔の話だが、田植えではないが、一度だけい草(畳表)刈りのアルバイトをしたことがあったい草は寒い冬に植えて、田植えの前に刈り取ってしまうのだ。。当時はまだ、鎌で、根元から刈り取っていく手作業だった。切り方を教えてもらい、丁寧に、切っていく。簡単な作業だが、見渡す限りのい草。「これ、全部刈り取るの?」、と思うと、「ぞっつ」として、身震いを感じたものだ。。作業は一週間に及んだ。「知らぬが仏」とはこのことだ。きやすくアルバイトをしたものの、もう二度と、このバイトはしたくないと当時思った。顔は泥だらけになるし、腰は痛いし、手は真っ黒。家に帰ったら、「バターンキュウ」である。母はただ、にやにやしているばかりだ。

一週間の中で良かったことといえは、食事の時ぐらいだ。握り飯に漬物といった粗末な食事だったが、これが実にうまくて、何個もほおばってしまった。そして、昼ねがあり、一時間ばかり、うつらうつらする。仲間のおじさんたちは、昼間から高いびきだ。僕は到底、眠れるどころではない。「ああ、はやく日が暮れて、今日がおわらないかなーーーー」とため息ばかり。

一週間が終わった。バイト料をもらった。
さすがに、そのときばかりは嬉しかった。
引き続き、田植えのアルバイトもしないかと誘われたが、「いいいえーーーつ、学校にもどらねばなりませんので」と、でまかせを言って、断った。もうこりごりだった。

バイト料は、母にいくらかあげて、残りで友人たちと、小旅行をした思い出がある。
汗水流して稼いだお金は、なんとなく貴重品に思えて、みだりに使いたくないと思ったものだ。

最近、小学校のあちこちで、田植えの実習というか、体験というか、そういう授業をやっているそうだ。いいことだと思う。コンクリートジャングルのなかで、育った世代にとって、田植えなんて、めったに経験できることではない。機械ではなくて手作業の田植えは、彼らに、色んなことを教えてくれるだろう。

田んぼにはられた水面をみると、毎年、同じようなことを考えてしまう。今日もそんな日である。




2003年06月08日(日) 神々が住む山


神々が住む山
at 2003 06/08 00:26 編集

今日は、とあるホテルで、本業に関する分野の研修を受けた。一研修が90分。それを二回分。いやああ、それにしても、研修って疲れるものだ。やはり、「笑い」の要素が、ないからかもしれない。笑いがあると、結構、時間が経つのも忘れてしまうから苦にならない。笑いばかりでは、研修にならないから仕方がないか。明日まである。遠方から来ている人たちは、泊まりになる。幸い、僕は近いところに住んでいるので、その必要はなかった。

帰り際、同じ仕事仲間の友人を車に乗せて送っていった。その道中、彼がポツリと僕に聞いた。「山登りは好きですか?」と。もちろん、山登りは嫌いではない。「学生時代、友人と二人で登ったことがあったが、それ以来、ほとんどない」。そう言うと、彼は、今月の後半に、ごく親しい友人たちと屋久島へ行くのだそうだ。親しい友人たちとは、仕事仲間ではないそうだ。「屋久島?、一体、どこにあったっけ?」と、最初ピーンと来なかった。そうだ。南の島の屋久島のことか。屋久杉で有名で、ギネスにも載っていたっけ。そう思い出した。

彼が言うには、「屋久島は、神が宿るところ。いい加減な人たちとは一緒には行けないところだ」という。僕は一瞬、「どうしてなんだろう?」といぶかしがったが、なんとなく分かる気がした。
屋久島はまだ、人間の手で、そんなに荒らされていない。いわゆる自然のままなのだ。日本に残っている最後の自然といってもいいかもしれない。
だからこそ、神が宿っているのだろう。

実は僕の弟(仕事仲間)は彼の友人である。というか、ある縁で知り合いである。
僕が、「弟もいくのか?」と聞いたところ、「彼はダメだ」という。「あはははああ」と僕は笑った。これも、なんとなく分かる気がしたからだ。

彼が言いたかったことは、自然を眺め、自然を愛するには、更に、神々が宿る山に登るには、真にピュアな気持ちを持った人でなければいけない。世間の垢をたっぷりまとった人間に、神々の山に登る資格はない。そう言いたかったに違いない。

僕に言わせれば、弟は頑張り屋の男。ただ、ピュアというには、確かに世間的すぎる。それは僕も同じだ。生きるためには仕方がないと思うが、どっぷりと、社会の垢をまとっているのだ。
実は、僕自身、まだ内心はピュアな男と思っていた。ただ、彼の目には、どう映っているか分からない。

以前、弟も交えて、三人で夜の街を徘徊したことがあった。僕と弟は相変わらずの女性好きで、ちゃらんぽらん。いちゃいちゃやっていても、彼はそれが、苦手らしく、むっつりである。
時々、違った話題で話しだすと、実にいろんな面に憧憬が深く、感心させられてしまう。インドを無銭旅行したり、空手道、数段の男は、やはり、何か、並々ならぬものを持っている。それが彼の魅力なのかもしれない。僕とは妙に気が合う。かといって、弟ほどには親しくない。今まで付き合ったときは、ほとんど弟を介しての付き合いである。

彼のことをもっと書きたいが、まだ、深くは情報を持っていない。これ以上かけないが、二人に共通なことは、互いに正直であるということかもしれない。
又、会って、神々の山の印象を聞きたいものだ。


2003年06月06日(金) この続はあしただ。そして今日になった。

この続はあしただ。そして今日になった。
at 2003 06/06 09:54 編集

昨夜は、久々に、のりちゃんと待ち合わせした。僕は大学の構内に、修理から復帰した車で、さっそうと、迎えにいったが、30分たてど、来ず。さらに15分待てど、なしのつぶて。電話くらいしてもよさそうにと思ったが、その気配もなし。さすがの僕も、しびれを切らして、一人で行きつけの小料理屋でやっていることにした。そもそも、ビジネスマンたるもの、約束を反故にすることが一番いけないことである。

元来、僕は女性の場合は最長30分しか待たないことにきめている。電話でもあれば別だが。昔の苦・・・・・い、苦・・・・い思い出があるからだ。
ああああっつ、眠る時間だ。続きはあした。
明日といっても、眠ったのは今日であるが。

深い眠りと言うか、浅い眠りと言うか、目が覚めて、食事を済まして、さあ今日の今日の続きだ。

僕は45分も、のりちゃん(男)を待ってしまった。まあ、怒らないということは、それだけ気が合うということだろう。おまけに、一献かたむけるのに、さして時間を気にすることもない。小料理屋で、ちびちび焼酎に舌鼓みを打っていると、やっと、携帯のベルが。呼び出し音は最近、はやっていた、「大きな古時計」である。ゆったりしたテンポで、メロディーが僕を呼ぶ。

「いよいよ連絡してきたか。今日は用事ができたかな?」とおもいきや、何のことはない。今から行くとのこと。急用で呼び出されて電話することができなかったそうな。「うんんん、分かったよ。待っているよ」と、僕も柔軟な姿勢。

彼が大きなバックを持ってやって来た。いつも、持ち歩いているものである。「何が入っているの」と聞くと、「全財産が入っている」という。その割には、あちこちによく、置き忘れて帰るから、不思議だ。
僕たちは、たわいもない話しをしながら、薩摩焼酎黒の水割りで、のどを潤した。
今日のつまみは?。まずはいつものパターンで、美女、奈美ちゃんが白魚のような手でかきまぜた、たまごいり納豆。これが実にうまいんだよなーーーー。僕ものりちゃんも、糸をひく納豆を丁寧に一粒ずつ口に運ぶ。「おいしい。おいしい」といいながら。
話は、まちつくりから、サーズから、なんでもあれである。御大ママさんが、「おほほほーーーー」と笑いながら、ゆったりした足取りでやってきた。やはり、御大は貫禄と言うか、後から登場する。映画なんかでもそうである。実はこの登場が怖いのである。

「ミルチャーーーン・・・。のりちゃ^^^ん・・・・。今日はいい魚が入っているわよーーーー」とにんまりした顔でいう。もう既に、ママの目は百円玉になって輝いていた。
僕たちは額の汗を拭きながら、「えっ、そう。うんんん、じゃああ頼むか」と言うことになる。確かに今日の魚はおいしかった。「エツ」とかなんとかいう魚で、小骨の多いやつである。のどに引っ掛けないようにと、僕たちはおそるおそる、箸をつけた。

そうこうしている内に、カラオケの御大、安さんが入ってきた。いよいよカラオケタイムである。ひとしきり安さんの演歌に耳を傾け、さあ次は僕の番。僕は新曲はほとんど知らない。しからばと言うことで、最近、妙に気に入っている、郷ひろみさんの、「哀愁のカサブランカ」を歌った。この歌は聞かせるねーーーー。音程が合っていたところは、「プリーズ・カム・バック・ツミーもう二度と、あんなに君を愛せない」という英語のところだけらしい。まあいいか。
ところが、この歌は、のりちゃんも大好きな曲らしく、全フレーズを英語で歌うと言い出した。「ええっつ、本当---。この歌、英語で知っているの?」と聞くと、この歌はもともと英語バージョンらしい。「歌詞カード、歌詞カード」といって、探せど、英語バージョンの歌が見当たらない。
彼曰く、「日本語え歌うから一緒についてきて」という。「ええっつ」と思ったが、二人でこの歌をおらんでしまった。

もうここいらまで来ると、僕たちはかなり、酩酊。アルコールの打ち止めにしておけばいいものなのに、突然、のりちゃんが、「冷酒」を一本飲みたいなあ」という。これが出てくると、僕たちは人が変わったみたいになり、人格が豹変する。日ごろは、「僕は歌わないんだよ」というのりちゃんが、マイクを持ってはなさず。続から続へと歌を所望。僕もつられて、安さんと、「昴」やら、「白いブランコ」やら、「夢の途中」なんか歌ってしまった。

さあて、宵もふけた。「御大、締めて頂戴」というと、「はーーーーい、しまっていますよ」と、まん丸目のママさんがレシートをさしだす。「わおーーーーーつ」。と、驚きながら、中をみてみると、「やれやれ今日はまあまあか」、ということで、額をぬぐったことでした。なんと、冷酒を4本もあけていた。

これからいよいよ、帰省の話になるが、のりちゃんと、僕の名誉のため、この話はカットにしておこう。



2003年06月04日(水) 今日は暇です。

今日は暇です。
at 2003 06/04 16:07 編集

いやああ、今日は蒸し暑くなった。まだ梅雨に入っていないのに、この暑さはいやになる。やはり、季節は春や秋が一番だ。「春るよ来い。早く来い。秋よ来い。早く来い」である。
いやはや、人間って、なんと現金な動物だろう。

そんなことを考えながら、仕事をしていると、電話がなった。修理に出していた車が直ったそうだ。よかった。真っ赤なポルシェ風、代車では、どうも、街中を走っていても決まりが悪い。若い女性から「ちらっ」と、一瞥をなげられても、「なんんんんだ。変態おじんか・・・・?」と、そっぽを向かれてしまう。「おじんでわるかったね。あんたも、すぐおばんになるぜ」と言ってやりたい。まあ、そういうことはどうでもいいことだ。さらに、赤は飽きがくるようだ。なんといっても、僕は白がすきだ。先日なんか、葬式に参列したとき、真っ赤な車で行ったら、変な目で見られてしまった。やはり、不謹慎なんだろう。「代車だよ」といっても、何の言い訳にもならない。

午前中、車を取りに行ってきた。「わおーーーーつ」。新品同様に様変わりだ。後部バンパーも、新品に取り替えて、これで、街中を走っても恥ずかしくない。ついでに、傷ついていたところを直したので、見違えるようだ。やはり、乗りなれた車が一番いい。僕としたことが、バックで電信柱にぶつけるなんて、笑い種だ。どんなに、運転がうまいと思っていても、ちょっとした油断が、命取り。反省、反省である。反省はいいとしても、札束に羽が生えたように飛んでいく。これは実に痛い。自ら招いたこととはいえ、涙がちょちょぎれるぜ。

気を取り直して、今、暇な事務所で、この日記を書いている。パートさんは、時間をもてあまして、あれこれと、雑多なことをやっている。まあ、僕が出かけているときは、いい留守番になるから、重宝している。ばあやは、すでに、耳が遠く、来客の応対が出来ない。もう90歳だが、それはそれは、強い女だ。時々は、不思議と耳が聞こえるから、これまた不思議。僕が午前様え帰ってくると、翌朝、「だれかが、はしごに登って夜中、二階に上がっていった」と言われる。よく、そんな音が聞こえたものだ。恐らく、僕に対する、戒めの言葉なのかもしれない。まあ、そう理解しておこう。

六月、水無月だ。水があるのに、水がないとは、これいかに?。

くだらないことを言っている場合ではなかった。さあ、仕事だ。仕事だ。多分、夜は、のりちゃんと一献かたむけるだろう。恐らく午前様になるやもしれぬ。翌朝のばあやの言葉が気になるが、気にしていたら、何もできないじゃないか。やるでーーーーー。と意気込んでいる今の僕。


2003年06月03日(火) 100ドルをしのぐ笑顔の持ち主

100ドルをしのぐ笑顔の持ち主
at 2003 06/03 14:27 編集

昨日は「笑い」について書いた。そのことと何か縁があったのだろうか?。今日は偶然、テレビで、僕が一番あこがれている女優さんに出会った。いやああ、その人の笑顔は、100万ドルでも足りないくらいに美しいのだ。お月様みたいに真ん丸い顔で、お目目パッチリ。真っ白い歯をみせて、「にこにこっつ」と笑ったその笑顔は、あまりに美しく・・・・・・、筆舌にしがたい。
その人の名前は「永作博美」さん。

彼女との最初の出会いは、テレビドラマである。洋画は見ることがあっても、日本のテレビドラマはほとんど見ることがなかった僕が、なんと、永作さんの出ているドラマに釘付け。これは一体どうしたことか?。確か、「ピュア」という題名のドラマを見たのが最初だっただろうか?。その後、アルツハイマーにかかったヒロインの役をなさったと思う。日本に、いや、世界のどこを探しても、彼女ほど美しい笑顔を持った人はいないのではないかと、そのとき思った。そして今も思い続けている。

以来、名前と笑顔が深く心に刻まれてきたが、今日の今日までブラウン管でお顔を見たことがなかった。まさか、今日、テレビで彼女の笑顔を見ることが出来るとは誰が想像しただろう。昨日書いた「笑い」と何か関係があったのだろうかと、あらためて思う。それにしても、僕は相当に強運の持ち主に違いない。誰もそう言わないから自分で言おう。

今日はドラマではなく、実像の彼女であった。ドラマで見て以来、何年ぶりなのか定かではない。年月を経ても、ちっとも衰えることを知らず、彼女の笑顔は輝いていた。と同時に、大人の女性に変身していた。もちろん、ドラマの時も十分に、大人だったに違いないが、実像はさらに、洗練された熟女という印象である。

僕が彼女ほどに若く、何かの縁で、出会うことがあったとすれば、きっと、プロポーズしていたに違いない。そのとき、僕はこう言っただろう。「君の笑顔を一生僕にくれないかな」とかなんとか。

いやはや、僕もきざな男だ。短足の笑うセールスマンスタイルでは、彼女の顔も一瞬曇るかもしれない。それでも、僕の情熱に負けて、「いいわよ。好きにして」とかなんとか、返事がいただけるやもしれぬ。

「オーーーーノーーーーー」。それは絶対ありえないと、誰かが叫んでいる。確かにそうだ。これはまさに、夢、夢。真夏ではないが真夏近くの夢なのだ。



2003年06月02日(月) 書類整理とスマイルと。


書類整理とスマイルと。
at 2003 06/02 10:53 編集

さわやかな六月の二日。今日は見事に良い天気だ。まだ、梅雨に入っていないため、湿気もなく、暑く感じない。さあ、月曜日だ。「仕事に頑張らねば」と思うが、これといった仕事はない。じっと、手を見る。相変わらず、骨太の手だ。どことなく隙間が多い。今は、金どころか、水までもこぼれてしまいそうだ。仕方がない。まずは、机上にこずまれた、書類の整理からはじめよう。いやはや、こんなにも書類やら本をホッタラカシニしておくなんて、情けない。

本来、僕は几帳面なんだが、ある面ではそうでもない。たとえば、何か調べものもしていて、そのヒントとなる書物やら材料が手元にないと、気になって、集中力を欠いてしまう。あちこち探し回り、解決するとにんまり。嬉しさのあまり、そのまま本を机において喜びに浸ってしまうのだ。「あんた、どういう性格????」といぶかられそう。元に戻しておけばいいのだろうが、そこまで、習慣ついていない僕の脳は、戻すことも忘れてしまうのだ。

時々思うが、こんな時、手となり足となるロボット君でもいれば楽なんだがと。こずまれた本を指差して、「はい、この本は本棚の一番上」と言えば、勝手にそこにしまってくれる。「はい、コーヒー。はい、郵便物。はい、肩もみ・・・はい・・・・」。ここまでくれば、もう、ものぐさ、そのもの。ロボット君も酷使され、耐用年数まで、寿命が持たないだろう。これじゃあ、ロボット君がかわいそうだ。やはり、自分で出来ることは積極的に自分でやるべきだろう。
何はともあれ、自分にとってやりやすいように、身の回りを変えることが先決のようだ。そうだ。そうだ。はい、ここで、スマイル!!!!。

スマイルがでたところで、今朝の新聞の社説に、面白いことが書いてあった。人間の免疫力は六十才を過ぎると三分の一に減退するそうだ。この原因はとりもなおさず、細胞の刺激要因たる、泣き笑いの機会が少なくなることにあるらしい。よく笑い、よく泣くと血液の循環も良くなり、がん細胞だって減らすことが出来るのだそうだ。
「笑いは心のビタミン。心の健康。心の薬」、「笑う門に福来る」と、言われるくらいだから、そうかもしれない。

「わおーーーーつ」。僕は良かったぜ。しょっちゅう、笑ってばかりいるので、病気の心配はなさそうだ。昔、サラリーマンの時代は結構ストレスがあり、心から笑うことも少なく、不健康だった。今は、やっと、ストレスもとれ、のほほんと過ごしている。あまり、のほほんと過ごしすぎるのも、「この、ふうけもんが」と怒られてしまうから、困ったものだ。

最近の大笑いと言えば、やはり、綾小路きみまろさんの漫談だろう。
新聞にも書いてあったが、ぎすぎすした世の中にあって、大いに笑ってみたいと思っている人はたくさんいるのに、心から笑える場所がない。熟年の世代は特にそうである」。綾小路きみまろさんの漫談がはやるのは、四こま漫画みたいに、速効性があるからだという。そこが、熟年世代に受けているそうだ。確かにそうかもしれない。次々と違った話題が取り上げられ、その都度笑える。笑うことに切れ目がない。従っておのずと大笑いして、涙も出ると言うものだ。これが笑いと涙の循環というものか????。なんのこっちゃ。意味がわからないぜ。

社説ではその最後に、英国の文豪、サッカレーの言葉を引用してあった。
「笑いのない人生は物憂い空白」であると。うんんんん、含蓄のある言葉だ。
さああ、これからの人生、もっと、もっと、笑ってやるぜーーーーーーーー。


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