umityanの日記
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2003年03月28日(金) 戦争に思う

戦争に思う。

at 2003 03/28 11:31 編集

アメリカとイラクの戦争も泥沼化してきた。戦争が長引けば長引くほど、犠牲者も増える。一番、痛手をこうむるのは国民である。何の罪もない人たちが、住居を奪われ、ひいては命さえ奪われる。神は、宇宙はこういうことを想定して人間を造られたのだろうか?。

評論家だったか、誰かが言っていた。21世紀は新たな世界秩序の構築へ向かう世紀であると。世界秩序の構築には戦争が必要なんだろうか?。20世紀は東西の冷戦状態が長く続き、その後、冷戦の終結を迎えた。やれやれよかったと、思っていたところ、新たな恐怖、脅威が起こってきた。テロやテロを支援する国家の台頭と、それを排除しようとする国家との新しい戦い。
これが終われば世界秩序が保たれるのだろうか?。分からない。再び、新たな脅威が生じてくるのではないか?。歴史は繰り返すと言うが、人間の英知をもってしても、これらの脅威を払拭することはできないのだろうか。ただ、罪もない人間が多大な犠牲を被ることだけは避けなければならない。

人間の嵯峨が生み出した悲しい現実。
人は皆、最低限でも、生きる権利を有している。その権利さえ戦争は奪ってしまうのだ。日々、放映されるテレビの画像を見ていても、何が真実で何が虚実なのか分からない。戦争は情報戦であり、マスメディアがそれを伝える。その情報に敏感に反映して株価が変動する。株価が変動するということは、戦争は商売の格好の媒体になっているということだ。なんということだろう。

思えば、彼方で戦争があっていても、こなたでは、日々変わりなく、のほほんとして暮らしている。このギャップをどう考えたらいいのだろう。「考える必要はない。それがその人の人生なのだ」と、言えばそれまでだが。あまりに日和見過ぎではないか。やはり、できる何かをしなくてはならない。戦後復興の支援であってもいいではないか。

今、桜が満開だ。花は人を裏切らず毎年、可憐な美をかもし出してくれる。戦争はそんな美さえ、こなごなに砕いてしまうのだ。こなごなに砕けた花は、もう二度と咲かない。人間も同じだ。
今はただ、早く戦争の終結を願うしかない。


2003年03月26日(水) 去る月(三月)に思うこと。


去る月(三月)に思うこと。
at 2003 03/26 10:35 編集

月日の流れが速いことの例えに、二月は逃げる月、三月は去る月と聞いたことがある。なるほど、うまい語呂あわせで、ぴったりの表現だ。本当に時がドンドン駆け抜けていく。申告が終わったと思ったら、戦争が始まり、はたまた年度末でばたばた。試験、卒業、入学と、世間ごとは目白押しだ。あれよあれよというまに四月になるだろう。経済面では、株価が戦争の影響で上昇、下降を繰り返し不安定である。あっち転び、こっち転び、これじゃああ、世界は、日本は一体、どうなっていくのだろう?。

何気なく見た今朝の新聞にショッキングなことが載っていた。俳優の古尾谷雅人さんが自殺したというのだ。にわかには信じられなかった。彼はスマートな二枚目で背も高く、「金田一少年の事件簿」なんかのドラマの刑事役や、他のいろんな方面で活躍していたからだ。僕の好きな俳優の一人だった。どんな苦しみ、悩みがあったのだろう?。人間って一体なんだろうと?思う。

今、アメリカ・イラク戦争で、何十人、何百人という人たちが死への行進を行っている。自ら命を絶つ人もいれば、正義と平和と自由を得るために、非人道的な戦いに命を懸けて任務を遂行している人もいるわけだ。
確かに、人間は誰でも、生まれたそのときから、死への旅をしているわけだが、どんな死であれ、切なく悲しく思われる。

死は生きとし生ける者の宿命。早いか遅いかの違いであると、単に割り切って考えることはできないだろう。自殺であれ、戦争で命を落とすにせよ、いずれも、あってはならないことだ。自殺は自分に対する敗北である。僕はそう思っている。戦死は、たとえ、人が後世、その行為を賛美したにせよ、死んだ人間にとって、そんなことはどうでもいいのではないか?。きっと、もっと、生きていたかっただろう。昔、ドラマで、安達祐美さんだったか、「同情はいらない。金をくれ」と叫ぶセリフがあったが、まさに、「賛美はいらない。命を返してくれ」と、戦死した人たちは言いたいに違いない。家族ならなおさらだ。

今日は朝から暗い話になった。こういう状態では仕事にも身が入らない。そうそうに、頭を切り替えて、机に山積している、書類に目を向けることにしよう。夜は恐らく、今日あった一日に思いを馳せて、焼酎で、うつつを抜かしていることだろう。のりちゃんも同席かもしれない。今日のアルコールはいつもと違って苦くなりそうだ。
古尾谷雅人さんのご冥福を祈りたい。


2003年03月21日(金) 彼岸と戦争と。


彼岸と戦争と。
at 2003 03/21 18:43 編集

今日は彼岸の中日。早いものだ。毎年、この時期になると、同じようなことを書いている。太陽が真東から出て、真西に沈むそうな。西の彼方には極楽というか、浄土というか、亡くなった人たちの世界があると言う。そんな先祖の人たちに、近況報告をしたり、感謝の念をささげるべく、お墓に花や線香をたむけるのだろう。こういう習慣って、冷め切った世の中にあって、ほんの刹那の時間ではあっても、ほんのりとした穏やかな気持ちをおこさせるからいいと思う。

父やおばを思い出した。今、生きていれば何歳になるのだろう。定かには思い出せない。時の流れは記憶を消してしまう。きっと、浄土から現世を眺めているに違いない。ただ、なんと言っても、僕がこの世に存在しているのは、先祖や、亡くなった父、おば達のおかげである。感謝して当たり前のことである。惜しむらくは、早かった死である。誰もがたどる運命とはいえ、悲しい。

こんな、とうとい彼岸の日に、皮肉にも戦争になった。宗教の違いはあれど、その根底に流れる思想は平和である。平和を否定する宗教なんてないだろう。
もし、あるとすれば、それは人間の邪悪な心が作り出した宗教かもしれない。
果たして、もう、戦争を止めるいかなる手立てをもなかったのだろうか?。人の尊い命が、一瞬のうちに奪われる。こんな残酷なことはない。

よくよく考えてみると、日本は本当に幸せな国だ。第二次世界大戦で負けたことがよかったのだろう。もし、勝っていたら、日本人の心は、邪悪になっていたに違いない。負けたことにより、戦争を永久に放棄した。事態がどう変化していこうと、この理念は決して変えてはいけないだろう。ただ、今日、小泉首相は、アメリカの戦争を支持する旨を苦渋の心で決断した。支持した。戦争は反対だが、過去の歴史、これからの日本の行く末を考えたとき、やむを得なかったと思う。

今はただ、犠牲者を出すことなく戦争が終結することを願うだけだ。



2003年03月20日(木) 男の狩猟本能はいずこに?

男の狩猟本能はいずこに?
at 2003 03/20 10:50 編集

肌寒いが、見事に晴れ渡ったいい天気だ。
こんなときは、のんびりと縁側で日向ぼっこでもできれば最高なんだが、人がその自由を与えてくれない。朝から来客あり。またまた、仕事の来客、昼からはクライアントのところへ。帰ってきて、またクライアントのところへ。結構、息つくまもない。
まああ、人生、それが幸せなんかも知れない。「せっせと動き回っているときが一番よ」と、誰かが言っていた。

時々思うが、どこかの人里はなれた隠れ宿に陣取り、乱れ舞うボタン雪でも眺めながら、おいしい酒(焼酎ではさまにならないか?)を、さしつさされつで飲むのも趣があっていいではないか。こんあときも人生の幸せを感じるというものだ。

願わくば、隠れ宿の主が雪女みたいに、色の白い美人とくれば超最高なんだが、これは夢の夢。そうは思いつつも、いつも獲物を狙うトラのように、目はギンギラギンだ。「いとしきメーテルよ、今どこに?」
「たーさん、一杯いかが」と、カモシカのような手で、チョコを差し出されると、思わず手が震えて、お酒をこぼしそう。
「今時、そんな人がどこにおるぞな?」と、ばあやが口癖のように言う。
「そうかなあ」と、僕は苦笑いをしながら口を濁している。内心、僕は「そういう人が世界のどこかにはいるはずだ」と思っているんだが。

メル友さんが言っていたが、男には狩猟本能があって、新しいものや、若い女性を求める本能が遺伝子に刻まれているそうだ。
確かに、そうかもしれない。太古の頃は、洞穴で生活し、男は日々、狩猟にでかけ、女は火を炊いて待っていた。今も昔も本質はちっとも変わっていない。いわゆる役割分担だ。
とはいいつつも、最近はその役割分担に変化が生じている。とりもなおさず、男が狩猟の本能をなくしてきたことが一番の原因だ。その反動として、女が狩猟に出るようになってしまった。はたして、これがいいことなのか、よくないことなのか分からない。女性に言わせれば、「いいに決まっているじゃない。ぷんぷん」と、怒られそうだ。こんなときは男は黙って「ごもっともです」と、言わなければならないだろう。
なぜなら、男をしのぐような体力の持ち主になってしまった、女性の恐怖のハンマー投げが怖いからだ。
情さけなや。男とたち。

僕は、かくはなりたくないので、ドンドン狩猟に出かけることにしよう。


2003年03月19日(水) やっと、腑抜け状態を脱出

やっと、腑抜け状態を脱出
at 2003 03/19 15:12 編集

しばらく腑抜け状態だった僕もやっと、何かを書く気になった。世の中を見渡せば、秒読みの段階で、イラクとアメリカの戦争が勃発しようとしている。はたまた、日本経済はどん底だ。昔、鶴田浩二さんだったか、「世の中は真っ暗闇じゃあござんせんか」と、歌か何かで言っていたが、まさに、そんな感じだ。

そんな、世の中に悲観して自殺する人も後を絶たない。自殺は肯定できないが、悲しいことだ。戦争になれば、自殺どころではない。幾多の一般人が死ぬ可能性が大きい。決して人ごととは思えない。

最近、人類の祖先がアフリカから生じて、世界各地に散らばっていったいうことが定説になってきた。遺伝子の構造からそういうことが分かったのだろう。となれば、皆、大元は兄弟みたいなものだ。その兄弟が血を流して争うことって、悲劇の何物でもないだろう。

最近、ちょっと、不思議に思うことがある。世界各国で、反戦ムードが高まっているのに、意外と日本人はクールであるということだ。心の中ではそうではないのかもしれないが、うまく物事を表現して、行動に移せない日本人の気質は、世界の人から見れば、奇妙に思われているようだ。
もちろん、かといって、僕が何かをやっているわけではない。ただただ、行く末を心の中で案じていることしかできない。

そんな複雑な心境の中、昨日は草むしりをした。さすがに長刀を振り回して、雑草を刈るには、まだ、草丈が短く、不向きだった。よく、おばさんたちが腰を落として、なめたかの様に、きれいに草をむしっている姿を見かける。「いやああ、お見事」と、いつも感心する。僕も格好は、おばさんたちと同じだが、なめたようにきれいにはむしれない。要するに荒っぽいのだ。男だから仕方ないか。これは自分に対するいいわけである。夕方の四時頃から、六時まで、ほぼ二時間程度だったが、腰を落として草をむしるのは疲れる。「いえーーーーーい」と気合をいれたいところだが、そうもいかない。ただ、久々の野良仕事で、少しは気分転換になった。このことは収穫だった。

最近は、のりちゃんも、思うところがあって、酒を断っている。僕も誘いが減って、体のためには好都合である。少々、寂しい気はするが。この日記を彼が読むかもしれない。何だかそんな気がして、「もう断酒はやめたぜ。解禁だああ・・・・」と、今日にでも電話してくるような気がする。

まあ、いずれにしても、世の中の動き、身の回りのことを、じっと見つめていこうと思う。
流血がなく、早く戦争が終結して、あらたなる平和の構築がなされることを切に願いながら。


2003年03月14日(金) 黒酢と酔わないドリンク。どちらが効いたのやら。

黒酢と酔わないドリンク。どちらが効いたのやら。
at 2003 03/14 11:41 編集

やっと、申告が終わった。超零細個人事業をやっていても、申告となると大変だ。様式も昨年からかわり、手で書くよりプリンターで打ち出した方がきれいなので、そうやっているが、印字がずれてしまい修正に大童である。それでも、やっと、仕上げて、じっと、我が昨年の成績を見る。
「思わず目から涙」。まさにこの言葉が相応しい。嬉しい涙ならまだしも、はかばかしくなく、出るはため息ばかりなり。俺ってだめな男と、いつも自戒している。ま、過去のことは仕方がない。
今はただ、「いえいーーーつ、今年こそは」と、意気込むのみである。

申告が終わると、ようやく僕の時間がもてるというもの。てなわけで、昨夜は、再び、「のりちゃん」と相まみれたのでした。なんでも、彼が日ごろより、飲用しているという、超高価な「黒酢」というものを、飲ませてもらった。紙パックに入っていたが、値段を見ると、「ええええっつーー」とうなるような高価なやつ。
彼は、さも大事そうに袋から取り出し、小さな、おちょこに注いでくれた。
以前、ある店で、黒酢を飲ませてもらったが、まずいこと、まずいこと。到底、「もう一杯」という気分にはならなかった。挙句の果てには、その臭いのきつさに、気分が悪くなってしまった。もう、こりごりと思っていたが、さにあらず。彼は、超、飲みやすい「黒酢」を愛用していたわけだ。「へーーー飲みたいなーー」とつぶやいてから、どのくらいの時間が流れたのだろう。やっと、昨夜、僕の目の前にお目見えしたわけだ。いやあああ、彼の言葉に二言はなかった。実に飲みやすく,[まずい、もう一杯」ではなく、「もう一杯、おかわり」っていう感じだ。成分を見ると、なにやら、健康によさそうな、エキスがたんまりと入っている様子。なるほど、これが値段を跳ね上げている張本人だったか。それに、酢が入っているわけだから、健康によくないわけがない。

彼は一見客たちにも、一杯ずつ振舞った。まだ、パックには大量の黒酢が残っていた。僕はそのとき思った。「残りはきっと、僕へのお土産というか、プレゼントになるに違いない」と。とととところが、さにあらず。彼は、そも大事そうに紙に包んで、それを持って帰るというのだ。
僕は小さな目を白黒させながら、「へーーーそう。了見のせまいやつだ」と思ったが、能天気な彼は、そういうことに気がつかない。あまり人のことばかりは言えないか。能天気なのは僕も同じだ。

てなわけで、昨夜は心置きなく、いつもの小料理屋で団欒したのでありました。結構、羽目をはずしたが、何故か昨夜は酔わなかった。それは、のりちゃんにも内緒の、ドリンクを事前に飲んでいたからかもしれない。何のドリンク?。それは、ひ・み・つ・ではないか。実は彼を迎えに行って車を留めたところが薬局屋だったので、無断駐車はいけないと思い、「酔わないドリンク」を一本購入したわけである。

ところで、僕が酔わなかったのは、そのドリンクのせいなのか、のりちゃんの「黒酢」のせいなのか、どちらなのかよく分からない。ひょつとすれば、その両方が相乗効果を生み、僕を絶好調にしたのかもしれない。
いやはや、僕もおめでたい人間のようだ。ぼろが出る前に、この辺でやめておこう。


2003年03月06日(木) 「おくゆかしさ」はどこへ行った?

「おくゆかしさ」はどこへ行った?
at 2003 03/06 12:26 編集

みぞれが落ち、風が舞う。いやああ、今日も寒い。もうそろそろ、温風ヒーターもいらないかなああと、思っていたところ、なんのその。そく、灯油を仕入れにスタンドへ。

「暑さ寒さも彼岸まで」とはよく言ったものだ。みごとに、季節を言い表している。
平安、奈良の貴族は、こういう季節を肌で身近に感じながら、恋歌をたくさんこしらえたのだろう。それにしても、歌で、思いを告げる方法って、なかなかしゃれていると思う。

最近は、携帯電話で、恋も愛もちょちょいのちょいと成功したり、失敗したりする。超便利で合理的になった。平安の貴族たちが現代にタイムスリップしたらどうなるか?。携帯電話に写っている、いとしい人の笑顔を見て、「わおーーーつ、おまろは目が、いとおかし」と叫ぶだろうか?。あるいは、携帯電話に向かって、「まろをかどわす、物の怪よ!!」とか何とか叫んで、携帯電話を放り投げるかもしれない。

最近、どこを見回しても、「おくゆかしさ」がなくなったように感じる。恋文を短歌で贈るのも、実におくゆかしい。学生時代に国語で「古典」を習ったが、そのときは、昔の人って、恋の一つを告げるのも大変だったのだなあと思ったものだ。

そう思っていた僕も今は何故か、「おくゆかしさ」を求めるようになった。文明の利器に飽き飽きしたと言うわけではないが、なんとなく、おくゆかしさに惹かれるのだ。

こういうことを、ばあやに言うと、「お坊ちゃま、それやあ、お歳ですよ」という返事が返ってくること間違いなしだ。僕はすかさず答えるだろう。「そりゃああ違いますよ。僕の頭が高尚なだけなんですよ」と。うんんんん、これは苦しい言い訳かもしれない。

まああ、そんなことはどうでもいいのだがが、今、世の中にかけているもの。それは政治の世界であれ、経済の社会であれ、男女の仲であれ、人間の「おくゆかしさ」というものではないだろうか。

仕事もせずに朝から変なことを考えてしまった。この、みぞれ混じりの天気がいけないのだろう。


2003年03月05日(水) 菜の花と桜

菜の花と桜
at 2003 03/05 11:24 編集

三月になって寒がもどったみたいだ。外の草花もいくぶんか凍えている。それでも、着実に命の芽が成長している。改めて自然の偉大差を感じる。

昨日は、車で遠方まで出張した。久しぶりに、まだ行ったところがない場所に足を運んだ。道すがら、何とはなしに気付いたことだが、線路沿いの道は美しい菜の花街道だった。一体、誰が植えたのだろう?。風か何かで、種が落ちて繁殖したのだろうか?。こういうときに、「僕は無知だなあ」と感じる。ネットで検索すればすぐ分かることなのに、今、日記を書いている最中なので、その気にもならない。”この愚か者!!!”。と、叫んで欲しいが、自分をしかっても仕方がないか。

街道で思い出したが、なんといってもコスモス街道が一番だ。他にサクラなら桜並木、ポプラやイチョウもそうかな?。ポプラ並木、イチョウ並木。日本語って本当に趣があると思う。菜の花もやはり「街道」がふさわしいようだ。

実は僕の家の裏庭にも菜の花が点在している。もちろん、これは街道ではない。どちらかと言えば菜の花の群生である。見事な黄金色に目を奪われる。菜の花の黄色はほかのどんな黄色より美しく感じられる。やはり、自然の原色だからかなああ?。
菜の花が終わると、いよいよ桜である。「花の命は短くて・・・・・・・。」、「祇園よぎる桜月夜。こよい会う人、皆美しき」。
ぱっと咲き、ぱっと散るのも、それなりに趣があるようだ。歌人もたくさん桜を詠っている。

桜が咲く頃は、新年度が始まり、あわただしく、ゆっくり花をめでる時間とてない。
花見はここ、とんと行っていない。せいぜい小料理屋の花瓶に手折られた枝花を見るくらいか。活けられた花の姿を見ると、そこのママの人柄が分かると言うものだ。

願わくば、今年こそは花見に浮かれて、のんびりと一日を過ごしてみたいが、貧乏性の僕はちっとも、じっとしていなくて、あっちうろうろ、こっちうろうろとするに違いない。
男たるもの、「でーーーーん」と腰を落ちつかせないと、女性にもてませんよ。
ばあやの口癖である。よけいなお世話だよ。・・・・・・・・・。


2003年03月04日(火) わおーーーーつ、つかれたぜ。


わおーーーーつ、つかれたぜ。
at 2003 03/04 01:00 編集

三月は品行方正でいこうと決めた僕だったが、今日ものりちゃんと飲んでしまった。ま、これは仕方がないとはいえ、今日は他に安さん(僕の兄みたいな人)と、いのちゃん(産婦人科の医者)と合流し、羽目をはずしてしまった。

のりちゃんは嫉妬ぶかいのだろうか?。ひいきの奈美ちゃんと僕が仲良くすれば、僕に強くあたるし、「わおおおおおおおっつ」、やってられないぜ。まあ、僕も奈美ちゃんが好きだし、のりちゃんと奪い合いになるやもわからないーーーーーーー??。

そんなことはお構いなしに、今日は歌ってしまいました。僕としては珍しい。どちらかと言えば、歌はおくての方だ。それでも、久しぶりに歌ったぜ。薬師丸博子さんの歌ではなかったっけ、「夢の途中」という歌。多分、違うでしょう。それはどうでもいいのだけど、「さよならは、別れの言葉じゃなくて・・・・・・・・」、。今、歌詞を思い出せない。僕もそれだけ酩酊してしまったか?。この歌は僕の後輩がよく歌う歌で、いつのまにか、僕のレパートリーの一つになってしまった。この歌は好きである。「奈美ちゃん」ハンカチを用意しといて」と言ったけど、そのそぶりなし。僕の歌では涙も出ないと言うのか?。それはそうか。僕はまだまだ未熟。
いちいち、僕の歌で涙を流していては商売にならない。

それでも、僕としては、結構うまく歌ったと思う。その後に、「俺たちの旅」とか、「ふれあい」とか、「神田川」とかをを歌った。浪々たる美声が広くもない小料理屋の屋台骨を震わせたが、誰も涙を流さない。涙を流したのは、本家本元の僕だけか????。それも仕方がない。要するに僕が下手なだけだ。

まあ、そういうことはどうでもいいが、今日は、かなり酔ってしまった。自分でよく分かる。文章が支離滅裂だ。でも、楽しかった。やはり人生は楽しく生きることに限る。今の世は、しがらみにどっぷりとつかってしまい、人生の生き方を忘れた人がたくさんいるのではないか?。

何はなくとも、健康と人を思いやる気持ち。それが一番だ。酔っ払っているとはいえ、何だかそんな気がする。僕も立派な男だと思う。ナルシストかもしれないが、それでもいいだろう。誰も傷つかないから・・・・。

わおおおおーーーーーーつ。つかれたぜ。そろそろ寝るとしよう。それでも今日は楽しかったぜ。





2003年03月01日(土) 三月は品行方正でいこう。

三月は品行方正でいこう。
at 2003 03/01 16:23 編集

はや、弥生、三月だ。僕の好きな正月は遠くに去りにけりか。後10ヶ月またねばならない。こんなとを言えば、鬼が笑うかもしれない。

それはそうと、毎年、季節を追いながら、同じことをやっているような気がする。三月は、まずは確定申告をすませねばならない。昨年の僕の成績が問われることになる。いつもながら、はかばかしくない。まああ、それでも、がやがやわいわい言いながら、健康で、やってこれたことは幸せといわねばならないだろう。今年もこの線でいくだべーーーーー。

とかなんとか言いながら、昨夜も、のりちゃんからお誘いが。よりによって連ちゃんである。よくもまああ、僕たちは気があったものだ。恋人同士でもこうはいかないだろう。
二人の共通点をあげれば、学校は違うが同い年。酒が好き。女性が好き。話が好き。価値観が似ている。二人とも超とまではいかないが、美男子の類。ナルシストの傾向あり。背丈もほぼ同じ。頭のよさも、どんぐりの背比べってところか。あげれば枚挙にいとまがない。

そもそも、昨夜の乱交の発端はのりちゃんにある。、山ノ神がすんでいるという都会の自宅へ帰る予定が、会議か何かの都合で、おじゃんになった。その付けが僕に回ってきたといえば、ちょっと言いすぎか。僕も内心は、テルがくるのを密かに待っていたのかもしれない。いやはや、僕ものりちゃんに劣らず、おめでた人間のようだ。

生憎、昨夜は、のりちゃんがひいきにしている奈美ちゃんというカウンターレディーががお休み。そのうっぷんばらしではないが、飲むこと、飲むこと。二人ともぐいぐいで、いつのまにやら、五号瓶の焼酎がお変わりへ。のりちゃんの機嫌をとりもつべく、お足は僕が。とほほほほ・・・・・

かくして、今朝は少々頭痛が。朝から仕事が入っていたが、そこは何とかいつもの笑顔と頑張りでクリアした。
さあ、三月は、品行方正で、突っ走ろう。
懺悔、懺悔の毎日では閻魔大王も、「あいた口がふさがらない」と言って、地獄へおとされそうだ。南無・・・・・・・・・



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