umityanの日記
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ホモ・サピエンス at 2003 02/28 09:25 編集
いよいよ今日は二月の終わり。早かった。本来なら、後三日位はあるはずなのに、なんだか拍子抜けの二月である。
新聞を見た。事件物や世界のきな臭い情勢、スポーツ記事が所狭しと書かれている。そんな中で、「おやっ」と目を引いた記事があった。
なんでも、現代人の祖先はジャワ原人ではなくて、十数万年まえに、アフリカから世界へ広がったホモ・サピエンス(新人)ということらしい。その確固たる証拠が、化石の分析からわかったそうだ。 「へえええ、そうだったの」と、あらためて、科学の力の偉大さを痛感した。
そういえば、昔、受験勉強で、シナントロプス・ぺキネンシスとか、ピテカントロプス・エレックスだったっけ、とかクロマニヨン人など覚えた記憶がある。 いずれにしても、現代人の祖先がホモサピエンスということで、大元が共通であるならば、人類は皆兄弟ではないのか?。
確かに「兄弟は他人の始まり」とも言い、世間では喧嘩ばかりしている人もあるそうな。が、それでも、共通の血が流れていれば話せば理解できる。なぜなら人間は考える能力を持っているからだ。
今、世界は戦争の危機に遭遇している。いまこそ、英知を働かして、とことん話し合い歩み寄るべきだ。もうとことん話し合う段階は終わったというのだろうか?。 分からない。見えない。
願わくば、タイムカプセルで、十数万年まえに戻って、現代人の祖先に謁見して、、罪深い人間に変貌した現代人に渇を入れてもらいたい。
春の憂鬱 at 2003 02/27 12:31 編集
世の中がきな臭くなった。いつ、戦争が勃発するやもわからない現状。自然だけが、なんの変わりもなく、いつもと同じ季節の様相を呈している。今、梅が満開。色とりどりの梅の花は実にきりりとして美しい。 菅原道真の歌だったか、「東風吹かば、においおこせよ梅の花。あるじなしとて春な忘れそ」という歌が思い出される。もう春なのだ。そして、97さいのおばあさんももういない。
梅の花がこんなにきれいな今日、おばあさんの葬式だ。死に化粧をみたが悟りきったような穏やかな表情だった。人は皆、こうやって仏になっていくのだろう。そっと、梅の花を添えてやりたい気がした。
人は亡くなっても、世の中は立ち止まりはしない。未来に向けてただ、時を刻むだけ。そんな時に翻弄されながら人間はひたすら生きている。なんお変哲もないのだ。 昨夜以来、やや僕の心も緊張している。
そういえば、昨夜は、のりちゃん先生から、電話があった。単身赴任の身。寂しくなったのだろう。僕も通夜から帰ってきたばかりだったので、少々興奮気味。心を癒すかということで、刹那の時間を一緒に過ごすことに決定。いつものいきつけの小料理屋に行くと、既に酔いもなかばの、のりちゃんが、にっこり微笑み、大きな目玉をさらに大きく広げて僕を迎えいれてくれた。こういうときは大概、のりちゃんのおおごりだから、お足のことは何の心配も要らない。それいけわいわいと行きたいところだが、なかなか心はそうはいかない。 結局2時間ばかりいて、二人とも名残をのこしながら、その店を後にした。
カウンターの中では、奈美ちゃんと礼子ちゃん、それにママさんが「珍しい、二人でどこかへ行くんでしょ?」と怪訝な様子。 「うんんん、状況を理解していない人に説明はいらない」ということで、僕たちはそそくさと店外へ。ぼくは代行車、のりちゃんは、ちゃりんこだ。
かくして、今日を迎えたわけだ。やや肌寒いが春の空気は、甘くどんよりとして、僕の心を憂鬱にさせる。、今はそんなことも言っておられないか。2時から葬式だ。さああ、出かけよう。こころを引き締めて。
2003年02月26日(水) |
100歳まで生きる心境。 |
100歳まで生きる心境。 at 2003 02/26 11:54 編集
97歳のおばあさんが亡くなった。僕と血縁はない。義父と知り合いだったことにより、僕とも縁ができた。おばあさんは、一世紀近く、ほとんど「ボケ」もなく、しゃきしゃきと生きてきた。もちろん、若い頃は苦労もあったに違いない。それにしても、日々是好日といった感で、屈託なく生きれこれたことはただただ、すばらしく思える。
おばあさんは短歌が好きだった。やはり、頭をめぐらして、感じたことを言葉に表す訓練をすることはボケ防止にもなるのかもしれない。昨年までは月に15句も作って、短歌の会へ投稿していた。特選や入選をすると、色紙や短冊に墨で書かれて送られてくる。それを拝見して、「いやああすばらしい」と、僕はただ頭を下げるだけ。 昔の人は良く言葉を知っている。短歌に使われている漢字さえ読めない僕は、いつもなんとなく恥ずかしさを感じたものだ。
おばあさんの死に」遭遇して、ふっと生のことを考えた。 生、生って一体なんだろう?。昨今、自殺を図った若者がニュースで取り上げられていた。彼らには彼らの論理があるには違いないが、僕はやはり、自殺は肯定できない。今、ここに生を受けているのは、この大宇宙のなかの奇跡なのだ。宇宙から見ればばい菌にも満たないちっぽけな存在であるが、この宇宙の中で、唯一の生命体かもしれないのだ。その奇跡を自ら放棄するなんて到底僕にはできない。ただ、人間は、「考えること」を知ってしまった。そのことにより、喜びや悲しみや愛や憎しみを知ってしまった。はたまた、飽くなき欲を持ってしまった。
「はたしてそれは良かったのか?」と問われれば、僕はためらわず良かったとこたえるだろう。何故なら、我々はどんなにちっぽけな存在であっても、宇宙の進化k担う担い手であるからだ。欲も無欲も、愛も憎しみも、すべてをひっくるめて、進化の循環サイクルに乗っかって、宇宙を旅しているのだ。個々人の死は次世代へのバトンタッチなのだ。バトンタッチをせずに、生を放棄することは、たとえ、死の選択が自由ではあっても許されないような気がする。
おやおや、僕は一体、何が言いたかったのだろう?。きっと、97歳のおばあさんのように、自分も生きたいという願望が、今日のような言葉になったのかもしれない。 僕は生きるで・・・・・・。百歳まで生きてやる。今、そんな心境である。「いえーーーーいいっつ」。
友人の死と生の営み at 2003 02/22 16:21 編集
つい最近、友人がなくなった。ボスや他の友人たちと海外旅行した仲間の一人である。無知な僕に、彼は弟のように、ずいぶんと世話をしてくれた。ただただ、今は感謝の気持ちである。昨年以来、入院していたことは聞いていたが、こんなにあっけなく逝ってしまうとは夢だに思わなかった。 心よりご冥福を祈りたい。
今日の新聞に、180万年前の人類の祖先と見られる人の上あごの化石が見つかったと報じてあった。気の遠くなるような歳月にロマンを馳せるのは楽しいことかもしれない。おそらく友人の死がなければ、それを題材に日記を書いていたに違いない。ただ、今を生きる僕にとっては、やはり、身近な人の消滅のほうがショックである。
昔よく人が言っていた。「太く短く生きるもよし、細く長く生きるもまたよし」と。彼は太く短くの方だったのだろう。よく、家族を連れて海外旅行をしていた。僕はそんな話を聞きながらうらやましいと思ったものだ。うらやんでも仕方がないが、僕は「太く長く生きたい」。欲張りだから、彼の分までちゃっかり時間をいただくことにするか。
それにしても、2月の空はあまりに駆け足で、時を刻んでいく。草花はそれを横目にみながら着々と成長している。テレビでやっていたが、春に向かって、すべての草花がどんどん芽を紡いでいくのは細胞の成長が活発なためとか。当然、人間も細胞を若返らせる最適な季節が春である。 古い老廃物を捨てて、新しい芽をつむぐ。 そのための努力をすべきだ。なんでも、それを実現する特効薬の一つとして油をとること・・・中でもオリーブ油がs一番いいと言っていた。「へーーーっつ」と驚きだが、僕も早速実行だあーーー。
生の営みってなんと、素敵で不思議なことか。亡くなった友人は、長い間、老廃物を蓄えすぎて、新陳代謝がうまくいかなくなったのかもしれない。それでも、太い人生だったからいいか。 さあ、僕も気を取り直して、まじかに迫った春に挨拶を述べるべく、特効薬を飲んで、若返りの準備をしよう。
同窓会(2) at 2003 02/18 11:46 編集
車で、同窓生の一人が経営するスナックへ着いた。入り口は小さいが、中は結構奥深く、既に5ー6人の仲間が先着していた。経営者は一年後輩である。汗をだくだく流しながら、「にこっ」と笑って、「来てくれて有難う」といっているようだった。そそれもそうか。ほんの短い時間に30名程度が、この場に会し、3000円*30=9万円が転がり込むことになる。おそらくそれ以上になるだろう。長引く不景気で閑古鳥が鳴いている昨今。今日ばかりは活気ついて、元気がでるというものだ。
僕たちは、お決まりのコースである、カラオケタイムに突入。早めに歌わないと、いつマイクが回ってくるか分からない。僕は二番手として、「メリージェーン」を歌って、一応、役目を終えた。相変わらずの美声に自ら酔ってしまった、と言えば、これはあまりに自画自賛。ナルシストもいいところだ。さああ、後はだべるだけ。そうこうしているうちに、席は満席になり、たち客がでてきた。これは、そろそろ、三次会への出立の時間が、僕たちに迫っていることを意味している。。
満席になった状態で僕は思った。故郷の地で同じ高校に通った者たちが、今日は異郷の地で、一堂に会している。なんという奇妙な連帯感。ただ、同窓生というだけで、お互いにはよく知らない人たちなのに。この現象の根底にある心理はなんだろう?。
懐かしさ。故郷の状況把握。将来のビジネスへの期待。単なる酒好き。人好き。他にもいろいろあるだろう。 ただ、僕が思った決定的な心理は、やはり、「社会に対するアピール」ではないのかと思う。いわゆる存在感の誇示だ。「赤信号、皆で渡れば怖くない」のと同じで、集団で何かをやる。それがたまたま同窓会だったということか。
この分析が正しいのかどうか分からない。 と言うより、同窓会の心理なぞ、分析してもナンセンスかもしれない。 それにしても、日本人は同窓会や、集まって何かをすることが好きな民族のようだ。右を見れば、「シニアのツアー」、左を見れば、会議、会議にあけけれている、おとっつあんの姿が見えまーーーす。子供は学習塾。これも変な連帯感。「「目的の学校へうかるぞーーーーーー」 「一体、自分はどこへいったのか?」、なんて言えないよなあーーー。僕もすっかり、同じ穴のむじなだからだ。
さああ、来年の同窓会に向けて、頑張らなくちゃ。僕も自分を忘れた弱ーーーーい人間なんです。これは違うなあ。本当は弱いなんて思っていない。むしえろ その逆。うんんん正直になるって難しいなあ。(完)
同窓会 at 2003 02/17 09:45 編集
地区で開催されている高校の同窓会に出席した。毎年、ほぼ同じ時期にやっているようだ。担当年度の卒業生が幹事役となり、運営する。そういえば、大学でも同じことをやっていた。もうすっかり大人になった鼻ひげを生やした男が、顔をくちゃくちゃにしながら昔の思い出話に興じて涙している。組織の中での威厳なんて微塵も感じられない。 ここに同窓会のよさがあるのだろうか?。 要するに同窓会は子供に戻れる唯一の空間なのだ。
僕も今回は友人に誘われて出席した。会場は車で、1時間、電車でも1時間足らずでいける中都会のホテル。 もう数年以上も乗っていなかった電車で行くことにした。久々に乗る電車は新鮮だった。切符の買い方やホームへの出入りの仕方や、そのほとんどが電化されていて、「いやはや、便利になったものだ」と、驚かされる。さすがに若い人たちは手馴れたようすで、すいすいと門をくぐっていく。僕は、珍しく、「ほう、ほう、」と感心しながら、おそるおそると進む。切符を細長いカウンターのようなものにくぐらせると、出口のほうからポンとでてくる。それがチェックイン。出るときも同じ。人のするようにやって何事もなかったかのように門をくぐった。いつぞや、もう何年も前のことだが、大都会の駅で、行き先違いのカウンターへ切符を通してしまい、見事、行き先を阻まれた。左右から、すりこぎ、といいうか、こん棒というか、それらしき形状の物体が飛び出して、進行をふさぐのだ。 一応、切符を引き込むが、「あなただめよ。切符が違うよ。ここ通せない」と、機械が無言で僕を阻止した。「生意気な機械め」と、無理をして通ろうとすると、駅員さんが、走ってやってきて、「こまりますねーー、どこまで行くんですか?。入り口はここではありませんよ」と、怪訝そうな 顔をする。 僕は素直に「すみません」と謝る。
もともと、機械が無言で僕を制止するのが間違っていると、あの当時は思った。なにか一言、機械が言ってくれると「あっつそうか」と僕も納得がいくのだ。やはり、駅のカウンターには、おしゃべりロボットなんか配置すれば、楽しいだろう。 「いい天気だねーーーー、お客さん。どちらまで?」とかなんとか、入り口にすえつけられたロボットが、しゃべりながら切符を受け取ると、楽しいに違いない。 ただ、最初の頃はいいが、だんだん慣れてくると、「このうるさいロボットめ。すこしは黙ってろ」と、足で蹴飛ばされるようになるかもしれない。ロボットは叫ぶだろう、「そんなむちゃくちゃなーーー」って。 やはり、怖いのは人間なのかもしれない。
話が、脱線してしまったが、百二十名が出席していた。会費は一万円出し。恒例の長ーーーーーーーーい挨拶があり、(ほぼ一時間)、やっと懇親会へ。僕は大量に持ってきた名刺を配らねばと、意気込んでいたが何のことはない。皆、毎年、顔をあわせているから、たいていの人は既に名刺交換が終わっていた。だれもやっていないではないか。「あれっ」と思ったが仕方がない。僕は今から実績つくりだ。
同窓生の中にスナックや小料理屋を経営している人がいた。当然、二次会、三次会は、そこへ行くことになる。僕も四・五人の友人たちと二次会の現場へ赴いた。 (続く)
安さん」の誕生日 at 2003 02/14 10:10 編集
一昨日は(12日)、安さんの誕生日だった。「安さん」というのは、不思議な縁で、知り合った一見客の飲み仲間である。もう十年近く、親交がある。すっかり忘却のかなたへ追いやられていた彼の誕生日が一昨日だったと言うことを昨夜聞いた。本人自身からである。
僕は、昨日、久々に午後から夜にかけて、仕事にいそしんだ。結構、娑婆世界のしがらみで疲れて、お腹もすいていたので、一見役が集う、なじみの小料理屋へ立ち寄ることにしたわけである。 そこで、ばったりと、「安さん」とであった。「わおーーーーっつ、いえいーーーっつ。お久しぶり」と、挨拶を交わしているうちに誕生日を知った。
「いくつになったの?」と問えど、答えず。「まああいいか」ということで、焼酎に舌鼓みを打ちながら、歌なぞ、歌ったわけである。彼の歌で、圧巻なのは、五木ひろしさんの歌だったか、「山河」という曲である。カラオケの画面には胡弓をかなでる中国人美女が登場している。背景は広大な中国大陸。いやああああ、自然はこんなにも雄大ですばらしいものかと改めて、感動する。この「山河」という歌とカラオケの場面が見事にマッチしているのである。 また、歌い手がすばらしい。安さんの浪々たる声が、そう広くもない小料理屋全体の空気を震わす。彼は、ほとんど毎日、カラオケを歌いに、あちらこちら歌の師匠さんのところへ出張して腕を磨いてきた。さすがにうまい。
実は、僕も彼との最高のデュエット曲があるのだ。なにを隠そう。「白いブランコ」である。「君は覚えているーーかしら?。あのー白いブランコーー。風に吹かれて二人で揺れたあのー白いブランコ・・・・」と言う曲。途中まではソロで歌い、後は二人ではもる。これがいいんだよなあーーーー。若い女性連れの客が来れば、そく僕と安さんは、この曲を注文。「ハンカチのご用意をお願いします」と聴衆に告げて、あたかも、涙を誘うくらいに上手に歌うわけだ。ただし、笑いは出ても、誰もなみだは出ない。まあ、あたりまえか。 それでも、安さんと僕は結構、ご満悦で、この歌を引っさげて、「のど自慢」に出ようか?などど、冗談か本気か分からないようなことを言い合っている。 やはり、持つべきは友である。といっても、安さんは、はるかに年上のパパみたいな?。これは言いすぎだ。おじさんみたいな人だ。
と言うことで、昨夜は僕のおごりで、めでたく、お開きになりました。それはそうと、今日はバレンタインデーである。何個のお義理さんをいただくことやら?。
流行語大賞 at 2003 02/12 09:53 編集
ちょっと、時期はずれかも分からないが、昨年(2002年)の流行語大賞は、あごひげアザラシの「タマ」」ちゃんと、ワールドサッカー、「W杯」に決まったそうだ。不景気のさなか、ほのぼのとするような言葉に決まったことは良かった。他には「貸し剥がし」、「真珠夫人」、「ダブル受賞」、「ベッカム様」、「拉致」などあったらしい。
僕は「ダブル受賞」という言葉が良かったと思う。日本の英知を世界に知らしめたようで、鼻が高くなったような、そんな気がする。 僕がこう言ったら、ばあやから返ってきた言葉がにくいじゃありませんか。「お坊ちゃま、あなたが受賞したんではないのですから、そんなに喜ばなくても!!」と。 僕は、「うぬぬぬ・・・・」と思ったが、それはそうだし、怒ることもないか。
ところで、あえて、時期はずれの流行語大賞のことを書いたのは理由がある。最近、僕は頻繁にある言葉を使っている。僕の友達が使っていたのを聞いていて、「こりゃいい言葉だなあ」と思った。その言葉は、とりとめて、大げさにするほどの言葉でもないかもしれないが、「見えない」ということばだ。この言葉は何にでも使える。 「君の言っていることは見えないなああ」とか。誰かが、何か言っていると、「見えないなあ・・・」といって茶化す。話が良く分からないときに、人を傷つけずに使える言葉だ。
「見えないなーー」と友達が言ったとき、鈍感な僕は、「ええっつ、何が?」と最初、その言葉をいぶかしがったが、何のことはない。今はすっかり、僕の言葉になってしまった。
それにしても、僕の未来はどうなっているのだろう?。「みえないなーーー?」。 当たり前か。僕に未来の予知能力なんてないからなああ。明日の我が身さえ分からないと言うのに。 ただ、ただ、ひたすら生きるのみですたい。これは方言でした。
2003年02月10日(月) |
昨夜見たテレビのなかの日本人神父 |
昨夜見たテレビのなかの日本人神父 at 2003 02/10 12:03 編集
昨夜、何気なしに見たテレビの実録映像はショッキングだった。南アフリカのエイズ患者のホスピス病棟で、ボランティアとして奉仕している神父にスポットをあてていた。 小さな子供を持った若い女性達や老若男女が最後の住処としてここに運ばれてくる。死の淵にたちながらも、生んだわが子の行く末を心配している。あまりにも過酷な現実。そんな中で、一人の日本人神父が一人一人に、希望をすててはいけないと励ましながら、骨と皮ばかりになった手足をさすってやっている。入所して一週間そこらで、皆、死んでいくのだ。なんということだろう。あまりにもショックだ。
また、大都会の超高層ビルの裏側は、貧民街。そこにも多数のエイズ患者がいて、神父はせっせと足を運んでいた。彼らの月収は三万円。エイズの発病を遅らす薬が六万円。到底、彼らの手の届くものではない。ただ、ベッドに横たわって死をまつばかりだ。神父はここでも一人一人に声をかけ、ほほずりしながら、希望を捨てるなと励ましていた。
そういう現実にありながら、社会は何事もなかったかのように、淡々とすぎていく。 外では子供達が、貧しいながらも元気で遊んでいる。どうしようもない現実を諦念の気持ちで受け入れているのだろうか。通りかかった神父は、そんな一人一人の子供達とキス(唇と唇を合わせて)を交わして挨拶をするのだ。そこにあるのは信頼関係そのものである。
日本の神父が、こういう形で、懸命に奉仕している姿を見たときに、日本人として誇りに思えると同時に、熱い涙を禁じえなかった。 今、日本は不景気のどん底にあえいでいる。比較はできないが、アフリカの彼らに比べたら、それくらいのことは我慢できないことはない。もちろん、世界中には、アフリカのこの現実以外にも、同じようなことが多々とある。
僕に何ができるのだろうか。ただ、そいう世界を尻目に、自分に降りかかる火の粉さえ払えないで、右往左往している。情けないことだ。
日本人神父に、本当にご苦労様と心から応援をおくりたい。
2003年02月07日(金) |
ショッキングな朝刊記事 |
ショッキングな朝刊記事 at 2003 02/07 10:21 編集
今日の朝刊に「夫の賞味期限は10年」と、書かれたショッキングな記事を見つけた。何のことかと思ったら、結婚10年未満の主婦は、まだ半数(50パーセント)は夫を生きがいと考えている人がいるが、10年を過ぎると、それが激減するというのだ。アンケートでは30パーセント代だった。70パーセントの主婦は夫に対する生きがい感を喪失するというのだ。その代償として主婦の生きがいは、「食」と「友人」に移行する。
これは、ヤクルトが行ったアンケート結果らしいが、僕に言わせれば、男に対するセクハラ以外の何者でもない。そもそも、「夫の賞味期限」という表現が気にいらない。ナンセンスだ。うんんんん、ひとり興奮しても仕方がないか。
どういうんだろう。男と女が、それ相応に惹かれあって結婚する。やがて子供が生まれ、10年くらいたつと、子供も物心が理解できるようになり、手がかからなくなる。 ふっと、主婦は隣の夫を見る。すでに、油の切れ掛かった、スクラップ同然のマシーンがそこにあった。あああああっつ、ショック。私の生きがいは、もう夫にはない。食べることしかない。早く同じ環境の友人を探そうと言うことになるのだろうか?。
これは、あくまで、女性の目から見た夫感である。男性の立場から見た場合も、女性に対して、「相変わらず馬力のあるメス豚だなあー」と、ほぼ同様のことを感じているんじゃないだろうか??。となると、同じ穴なのむじなではないか。うつしししーーー。これで、一本かえしたぞ。 これはちょっと言い過ぎたかも知れない。謝ります。「ごめんなさい」。懺悔、懺悔だ。
現代社会の世相として、「あはははは・・・」と笑って済まされるうちはいいが、なんか悲しい気がする。自然界では、最後まで添い遂げる、仲むつましい生物夫婦もいると言う。はたまた、メスに、えさとして食われて、はかない一生を終えてしまうオスもいるそうな。オヨヨ・・・・かわいそうだぜ。自然の摂理とは言え、むちゃくちゃだ。
朝っぱらから、血圧の上がることは言及すまい。僕はいつも思うが、結婚していようと、いまいと、自分の人生はじぶんで 片をつけたいと。願わくば「山頭火」さんみたいに、全国を行脚しながら、道倒れてもいいじゃないかと。 「そんなことできっこない」と思われているが、まああ、みときんしゃい。これは方言である。
と、その時、「そんなに大言壮語していいの?あんさん・・・」という女神の声がきこえたような???。ぞっと身震いだぜーーーーー。
2003年02月06日(木) |
朝から固い話になりました。 |
朝から固い話になりました。 at 2003 02/06 09:31 編集
世界情勢はいよいよ、きな臭くなってきた。正直言って、同じ地上の人間でありながら、かくも、考えが違うのかと驚かざるを得ない。確かに、日本人同士でも、男と女でも、ちょっと地域が異なれば、考えも、習慣だってばらばらだ。ただ、どんなに環境やら、習慣やら、考え方が違っても世界共通のことがある。それは「平和」を求める心である。平和を求めない人種はいない。誰だって戦いは好まない。
今、アメリカがイラクを攻撃しかかっているが、その大義名分は、国連決議に違反し、「大量殺りく兵器、細菌兵器」の開発をイラクが行っており、世界を不安と混乱に陥れているということだ。悲しいことだ。かけがえのない美しい地球に生を受けながら、母なる大地を血で汚していいのだろうか?。世界各国の思惑、利権、生存競争、宗教の違い、食料戦争、差別。このどれをとっても、人間の欲がかもし出したこことしか思えない。欲をまったくなくしてはいけないが、生存を危うくする欲は、本能で生きる動物たちと、ちっともかわらないではないか。
かって、パスカルは言った。「人間は考える葦である」と。やはり、人間は互いに、生を尊重し、助けあいと、話し合いのなかから、最善の道を構築していくことを模索すべきだ。もう、イラクとは、その必要がないと言うのだろうか?。僕にはそうは思えない。徹底的に、徹底的に平和構築を訴えていくべきだと思う。まだ、あきらめてはいけないような気がする。
イラクのみならず、北朝鮮についても同じことが言える。北朝鮮と仲良くなれないのは、悲しい。多分、大昔は先祖が一緒で、仲良く暮らしていたに違いない。ただ、歴史をたどれば、痛ましいことがあった。幾多の人たちの悲しい涙が流れた。いまこそ、その反省に立って、確固たる協調の道を歩んで欲しいと思う。対話、対話が、残された唯一の道かもしれない。
昨夜の国連演説やらニュースを見ていて、そのことが頭を支配してしまった。 朝から堅い話で、まだ、平常に戻っていない。しばらくすれば、いつもの、にやけた僕に戻るだろう。 今日は良い天気だ。さあ、出かけよう。 心新たに、気を引き締めて。
2003年02月05日(水) |
自然体で今日もハッスルだーーーつ。 |
自然体で今日もハッスルだーーーつ。 at 2003 02/05 09:14 編集
朝はまだ寒い。起きるとすぐ書斎の温風ヒーターのスイッチをいれる。暖まる間に、玄関の鍵を開け、あちこちのカーテンを開き新聞を取り込む。焼かんに水をいれ、コンロで沸かす。もちろん、あったかいコーヒーを飲むためである。男主夫も忙しいぜ。こういうことをすると、「主婦って本当に大変だな」と、分かってくる。まあ、僕はマメだから苦にならないが。
そこまでやってから、洗面所でお顔磨きだ。歯は磨かない。いつも眠る前に磨いているからだ。朝起きたとき、口が苦くなかったら、「よしーーー、今日も絶好調だああ」と言うことになる。時々、飲みすぎたり、暴飲暴食したりすると、のどは痛いし、口の中がなんとなくすっきりしない。
今日は、その心配もなく絶好調。天気も良い。こんな日を小春日和というのだろうか?。もう、暦の上では春。春は心もうきうきとして生命に脈動がみなぎる。日々にあったかくなり、梅やサクラの花が可憐なその姿を見せてくれる。
青年の頃は冬が好きだった。きりりっとした寒けは、適度な緊張感を生み、「やるぜー」と、意気満々だったが、中年になると、「ああああつ、やつぱり暖かいほうがいいや」と、楽で安易な方向に流されていく。
時々思う。もう今では、無鉄砲な冒険も新たに方向転換もできないと。静かに?と言うわけでもないが、すこしつつ、現状が良くなっていく方向に進むだけである。 これを年とったというのだろうか?。 そうは言いながらも、本音はそう思っていない。多分、皆がそうであると思うが、「いつまでも俺は若くて青春している」と思い込んでいる。時々、ハッスルしすぎて、こけたりすると、「年寄りの冷や水だ。やめとけ」と、言われてしまう。おおおおっつ、いやだ。
今日はちょっと、弱気なことを書いたようだ。もちろん、これは一般論であって、僕ではない。娑婆では僕は、結構、若く見られている。若い女性から、「まだ三十代で前半かな?そうでしょう?」と言われる。「うっしししーーー。そうだよーーっつ。」と喜んでいる。 まあ、少しはお世辞があるのかもしれないが、それでも、若く見られることは事実だ。「舌を出して、全部、お世辞だよっつ」と、言われると、僕もむかつくに違いない。怒らない。怒らない。 自然体で今日もハッスルだぜーーー。
2003年02月04日(火) |
愚か者の僕を反省し今日から断酒だ。 |
愚か者の僕を反省し今日から断酒だ。 at 2003 02/04 11:25 編集
昨夜は節分。僕も例外にもれず、いり大豆を食べた。昔は年の分だけ食べるとか言っていたが、今はそんなことお構いない。出されれば、袋ごと口の中へ放り込んでしまう。ポテトチップと同じで、食べだしたらきりがない。いやはや、情緒などまったくないなあ。僕も既に野蛮人に成り下がってしまったか?。とほほ。
豆まきの次は桃の節句だ。お雛様の段飾りは、これまたいい。日本的な情緒を感じる。そういえば、昨夜、面白いことを言っていた。ひな壇の一番上に座るのは、男雛と女雛。どちらが右にすわりどちらが左か?という質問になった。 僕に分かるはずもないが、礼子ちゃん(小料理屋の美人マドンナの一人)の説によると、昔は男が向かって右で、女が左だったそうだ。なんでも、帯刀が廃止になってからは、逆になったそうだ。「ええっつ、それほんと?」と僕はいぶかしがったが、家に帰って検索してみると、まんざらうそでもなさそうだ。一般的に利き腕は右の人が多いので、刀を腰につけたときに、すぐ抜けるように男は向かって右に座ったと言うのだ。なるほど、合理的な考えだ。刀を差さなくなってからは、どちらに座ってもさしたる影響なしってところか。まあ、いろんな説があるらしいので、何が正解かはよくわからない。
地域的には、関東と関西では祭り方が違うそうだ、関東では向かって右が男、左が女だが、関西では男が左、女が右だそうだ。 どうも男と女の力関係が影響しているそうだ。関東では男が強くて関西では女が強いらしい。要するに強いほうが右と言うわけだ。僕に言わせれば、くだらないことだ。
それはそうと、昨夜は飲みすぎた。久々に後輩と会ったので、羽目をはずしすぎたようだ。帰宅したのは今朝三時過ぎ。鶏が「コケコッコー」と鳴きだしそうな時刻だ。情けない。朝は起きれないし、頭はがんがんするし。僕はなんという愚か者か。反省、反省だ・・・・・っつ。 のりちゃんではないが、今日からしばらく断酒だ。「できないことはやめなさい」という悪魔の声が聞こえる。となると、意地でもしばらくは実行だ。
2003年02月03日(月) |
コロンビア号搭乗者のご冥福を祈ります。 |
コロンビア号搭乗者のご冥福を祈ります。 at 2003 02/03 08:43 編集
スペースシャトル、「コロンビア」号の事故はあまりにショッキングだった。七人の科学者たちの尊い命が奪われた。心から冥福を祈りたい。
確かに、人間の作り出したものに完璧なものはないだろう。と言うことはいつも危険と隣り合わせにいることになる。失敗、反省、失敗、反省を繰り返しながら、少しずつ欠陥が払拭され、より安全なもの近付いていくだろう。その一方でまた、違うところから新たな問題が発生する、いたちごっこみたいなところがある。ただ、成功が長年、続くと、人間の心に油断というか、過信が生じることも否めない。人間が忘れてならないことは、「初心に戻る」ということかもしれない。
今回のシャトルも、長年使ってきたから、部品の老朽化や、耐用年数が切れていたのかもしれない。修復には莫大な費用がかかる。それを惜しんで無理をして使用する。 予算は無尽蔵ではない。難しいところだ。
原因はまだ分からないが、徹底的に究明して、新たなる開発に生かしてもらいたい。 そうすることが、七人の命を無駄にしないことになるだろう。
ところで、今日は節分。「鬼は外、福は内」といきたいところだが、昨今、世の中は混沌としている。まさにカオスの状態だ。進むべき先が見えない。見えなくも進まなければならないところに、シャトル事故と同じような危険性を感じる。例えは良くないが、「赤信号、皆で渡れば怖くない」という考えではいけないだろう。やはり、進むべき指針が必要だ。指針にのっとった舵取り。 今必要なのは、しっかりした舵取りである。
2003年02月01日(土) |
鍋で身も心もあったかだぜ。 |
鍋で身も心もあったかだぜ。 at 2003 02/01 11:07 編集
昨日は、久しぶりに都会へ仕事で出かけた。高速を乗り継いでいけば、一時間足らずで、到着する。便利になったものだ。普通の道では、ゆうに二時間はかかるだろう。それにしても、都会は「はっ」と目を見張るものがある。まず驚くのが、風景の変貌である。いままでなかった建物が縦横無尽に建ち並び、色彩も一変している。「ありゃ、ここはどこ?」と、目をぱちくりして、あたりを見回さなくては位置がわからない。やはり、定期的に都会を散策しておく必要がありそうだ。
そうこうしながら、ナビのおかげで、目的地近くまでは、なんとなくいけた。「さあ、車をどこにおく?」と、考えていた時、見覚えのあるビルが、すぐそこに。よかった、そこに入れて、あとは徒歩で目的地を」さがすことにした。近くを歩いていたOL風の女性に目的地を聞くと、彼女もそちらのほうへ行くとのことで、案内してくれた。道すがら、いろいろと話しをした。 「いやああ、都会の女性は優しい」と、そのとき思った。無事、目的地に着き、名残を残しながら、彼女にお礼を言った。正直、もう一度会いたい気がした。「おいおい、なんと気の多いやつ」」と怒られそう。
さすがに都会の仕事のシステムは進んでいる。僕は小さな目玉を白黒させながら、何とか目的の書類を手に入れることができた。さああ、あとは帰るばかりだ。帰りは時間を気にしなくて良い。と言うことで、一山超えて帰ることにした。まだ、雪が残っていることは分かっていたが、急ぐ旅ではない。見事な雪景色を鑑賞しながら帰るのも風情があっていい。
都会の雑踏を抜け、いよいよ山道に差しかかった。この近くに元祖手造り豆腐やがある。いろんなところへ行って、よく思うのだが、店のあちこちに「元祖」と書いてある。「あらあら、一体、どこが本当の元祖なんだろうって」思う。 さすがに、雪の山道は車の往来も少なかった。僕は、車をとめて、その豆腐を三個購入。締めて六百円なり。僕の目的は決まっていた。最近、我が家で、やたらと多い鍋物の具を買って帰ろうということだ。山の中腹に、採れたっての山菜を売っているところがある。僕は買った。丸ごとの白菜二玉。締めて三百円。手造りの柚子胡椒、二個。締めて四百円。一玉百円のブロッコリー五個。締めて五百円なり。名前を知らない野菜二束、二百円。見事なネギ、百円。あとは、野となれ山となれでよく分からない。
雪山は僕に優しく微笑みかけてくれた。僕は、嬉しい気分で、帰宅を急いでいた。sそそそそそこへ、なんと、のりちゃん先生から電話。「ええええ・・・・っつ、今日もまた?飲むの?・・・・これで三連ちゃんじゃないの」と、思ったが、今日はお土産もあることだし、なじみの料理屋で材料持込の鍋物に舌鼓みを打つことに決定。
ママさんは、ニヒルな笑いを浮かべながら、僕のこの提案を了承した。よく見ると目玉は三角だった。料理上手の奈美ちゃん(新人のカウンターウーマン、超美人で優しい)の、カモシカのような白い手が、材料を鍋に放り込んでいく。おっと、言葉使いが間違っていた。「かもしかのような手」とは言わなかった。なんといえばいいのだろう。「白魚のような手」だったっけ。分からない。とにもかくも、見事に鍋が完成。奈美ちゃんと、礼ちゃん(もう一人の新人カウンターウーマン。奈美ちゃんと甲・乙を争う、これまた超美人)にもおすそ分けをして、僕たちは雪山に埋もれていた超新鮮な野菜にあごが落ちたのでした。ネギがキュンキュンと音を立てて、口の中に甘い香りを運び、豆腐はとろりととけて、大豆の香りが。ひとしきり歌い、時がくれて、蛍の光が瞬く頃、僕は代行車で、のりちゃんは、安さんから買った「ちゃりんこ」で帰宅の途に着いたのでした。 今日の物語はここまで。
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