umityanの日記
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2003年01月31日(金) 結婚披露宴で歌う曲は?

結婚披露宴で歌う曲は?
at 2003 01/31 11:18 編集

先日、知り合いのの女性から、「友人の結婚式で歌う曲はどんなのがいいか?」と、聞かれた。たいして、歌を知らないこの僕が、答えられるはずもないが、まあ、定番なところでは、「天道虫のサンバ」じゃないと答えた。他には、えーーーーっと、「瀬戸の花嫁」。デュエットなら、「いつでも夢を」とか、藤谷美和子さんの「愛が生まれた日」なんかいいだろう。「愛が生まれた日」、この歌は必ず女性がのってくる歌だ。下手な僕の誘いにも一発返事でオッケーだ。僕の音程のふらつきがちょっと、気になるが。

男の歌なら、僕は加山雄三さんの、「君といつまでも」を薦めるだろう。セリフがいいじゃないか。「まるまるさん。ぼかあ・・・死ぬまで君をはなさないぞ。いいだっぺ」とかなんとか言えば、そりゃあ、大うけ間違いなしだ。まさか、「逃げた女房にゃ未練はないが・・・・・・」とかいう歌や、離れる、切れるといった歌詞の歌なんてもってのほかだろう。
そうそう忘れていた。「麦畑」もよかったっけ。この歌は、情緒豊かで、ほのぼのとした愛を感じさせる歌だ。西洋的な派手さや上品さはないが、日本人にぴったりの曲。僕も時々、行きつけの店で、この曲を歌うことがある。「二人の心は昇る朝日にギンギラギンに照らされて・・・・・・・・。おらああ初めてだ。わたしもだっぺ」。いやああ、感動、感動。

感動がクライマックスに達したところで、さあああ、仕事だ、仕事だ。労働にいそしまなくちゃ、おまんまの食い上げだ・・・・・っつ。


2003年01月29日(水) 雪が思い出へ僕をいざなう。

雪が思い出へ僕をいざなう。
at 2003 01/29 09:38 編集

朝、目が覚めたら、一面、銀世界だった。いやああ、すごい。こんなに雪が降ったのは、ここ何年ぶりだろう。誰も足を踏み入れていない庭の雪は、新鮮な綿菓子のジュウタンだ。僕はダイビングして「いえいーーーつ」と言いながら、綿菓子のジュウタンめがけて飛び込んでいきそう。そんな衝動に駆られる。もちろん、実行はしない。美形の顔を、しこたま岩にぶつけるのがおちだからだ。雪から顔を出すと、「お岩さん」みたいになっているかもしれない。

それにしても雪がかもしだす自然の風景はあまりに美しく、はかない。やがては何事もなかったかのように、消えてしまうからだ。雪国の人にとっては地獄かも知れないが、南国の僕にとっては、たとえ、刹那の時間であっても、天国なのだ。雪が思い出へ僕をいざなう。

遊ぶことしかしらなかったあの頃。雪玉は格好の遊び道具なのだ。思いを寄せていた女の子に雪玉をぶっつけて、泣かせたことがある。先生に呼ばれて、ほっぺたを殴られた。もちろん、僕は泣かなかった。そんな彼女も今は他人の妻。その後、まったく出会うこともない。思い出がふつふつと湧き上がってくる。朝から、笑うセールスマンみたいに、白い歯を出して、僕の顔はにんまりだ。

良かった。パートさんは雪に足を阻まれて、今日はお休みだ。僕の顔を見ていたら、気持ち悪がって嗚咽するだろう。今日は、僕も開店休業にしようと思う。二階のベッドに横たわって、降りしきる雪を眺めていたい。そう思いながら、この日記を書いていると、おやおや、天気尾が良くなってきたぜ。太陽光線で雪が溶けてしまいそう。
やはり、汗水流して労働をしないと、罰があたりそうだ。いざ、出陣ーーー・・・・・・。ちょっと気合不足か!!!。



2003年01月28日(火) 男って、皆、単細胞なのか?


男って、皆、単細胞なのか?
at 2003 01/28 09:27 編集

昨夜は、意に図らず、のりちゃん先生から、テルを受けた。夜の7時だ。「おやおや、一体何事?」かと思いきや、どうも、催したらしい。と言えば、当然、一献やりたいってことだ。「えええっつ?、例の誓いはどうなったのか?。断酒の誓いは?」。僕がそう言うと、彼から意外な発言が。「土曜日、日曜日、たっぷりと子供たちの世話をしてきたから、今日はいいんだ」と。なるほど。子孝行してきたから、安堵感から、心の鏨が切れたのだろう。まあ、それでいいではないか。一献傾けることを断たなければならないほどの合理的な理由などない。どういう状態であれ、子を想う親の気持ちに偽りはないからだ。
なんだか、一献傾けることへの援護射撃になってしまった。

僕は既に夕食を済ませていたので、飲みたい衝動はまったくなかった。ただ、相性の良い「のりちゃん」との再会なら、「それも又、良し」ということで、出かけることに。僕は、いつも夕方6時ごろ夕食を食べるが、彼はまだ、すきっ腹。食べること、食べること。見る見るうちに、ママさんの手作りの料理を平らげていく。もちろん、「うまい、うまい」を連発しながら。僕は彼の豪勢な食欲を横目に、黙々と、白波の黒に舌鼓みを打ったのでありました。

小二時間ばかりして、食欲とアルコールは満たされた。既に9時を過ぎていた。「さあ、どうする?」ということになった。
偶然、別の友人がこの店にやってきたので、三人で「ショー」でも見に行こうということになった。宝塚歌劇団を彷彿とさせるような、豪華なショーのオンパレード。のりちゃんの目は、終始、笑いっぱなし。転げっぱなし。そういう僕の目もショーダンサーに釘付け。支払いの時は、皆の目は三角目に。

まあ、男って、皆、この程度の単細胞なのかもしれない。


2003年01月26日(日) 自ら買い求めた「柚子胡椒」はかわいいぜ。


自ら買い求めた「柚子胡椒」はかわいいぜ。
at 2003 01/26 14:25 編集

冬になると、やはり鍋物が最高だ。僕のところでも、一週間に数回は鍋になる。たっぷりと白菜や豆腐や、白身の魚や、鰯団子やら、糸こんにゃく、その他、名前をしらないあれこれが、所狭しと鍋に放り込んである。僕は皿に「柚子胡椒」とかいうものをとって、鍋の具をつけて食べる。これが実にうまいんだよなあーー。柚子の香りが、心地よく鼻を刺激し、また、わさびと同じように胡椒が適当に辛くて、汗をだくだく流しながら、野菜やら魚をついばむ。ついつい食べ過ぎてしまうから、太り気味になるのもうなずける。

そういえば、先日、ある小料理屋のママさん製作の「ロールキャベツ」を食べた。これも実においしかった。ママ曰く。「愛情を込めて作っているからね。うまくないわけがない」という。いやああ、確かにそのとおりだ。僕の友人は、豆腐のはんちょう位の大きさのやつを三個。僕も二個食べた。焼酎のつまみにも最高。僕たちは、うまい、うまいを連発しながら食べた。
「ロールキャベツ」も、出来上がるまでには時間も相当かかるそうだ。いやいや、ご苦労様。

ところで、マメな僕は昨日、山まで車で赴き、「柚子胡椒」を二個、さらには、卵ワンパック(10個入り)を買ってきた。なんで、山かと言うと、僕の脳裏に、山で買った「柚子胡椒」や卵が、じつにじつに、おいしかったという記憶が残っていたからだ。わざわざ、山までいかなくとも、「スーパー」でも売っているだろう。そこには行かなくて、現地生産の山まで行くところが僕のマメなところ。正直に言えば、若干、時間があったから、足をのばしただけなんだが。まああいいか。

今日は、夕方から、ちょっとした、寄り合いというか、会議がある。まさか、鍋がでることはないと思うので、僕が買った「柚子胡椒」の味見は、数日先になるだろう。乞うご期待。早く味見してもらいたいと、期待に胸ふくらませて、柚子が叫んでいるが、「待ちんしゃい。いとしい柚子ちゃんよ。僕は君を食べずに、ずっと君の香りを、かいでいたいよ」と言えば、これはもう病的だ。やめておこう。

なにはともあれ、健康でおいしいものを食べられることが、最高に幸せに違いない。脳が疲れることもないしね。



2003年01月21日(火) 母なる海と鰯よ!!。永遠なれ。


母なる海と鰯よ!!。永遠なれ。
at 2003 01/21 20:03 編集

今日もつつがなく、一日が終わろうとしている。平穏に一日が過ぎることは良いことだ。天気が良かったので、仕事がてら、隣の市まで、一時間ほど車を走らせた。そこは、海に面した町。久しぶりの海だ。穏やかで、美しく、こんなに海がきれいだったかと、あらためて驚いた。

僕はもともと海辺の小さな町で生まれたので、海はふるさとである。子供の頃は何の抵抗もなく、海と親しんできた。ギンギラギンに輝く太陽光線で全身を真っ黒に焼いた。最近、若い女性が身につけていると言う、「Tバック」みたいな、海水着を身にまとい、堂々と田舎道を歩いて海と我が家を行き来した。その頃はまだ思春期ではなかったので、当然、恥ずかしさはない。
穏やかな入り江の海を眺めていると、自然と当時のことを思い出していた。

今、この海が、どんどん汚れてきている。母なる海をこんなに汚していいのだろうか。断じて否である。果たして、僕は一体どうすればいいのだろうか。どうすることもできない。ただただ、そっと海の浄化をまつしかないのだろうか?。悲しいかぎりであるが僕にできる努力はせねばならないだろう。
絶対神である宇宙が僕に「三つのお願い」をかなえてくれるなら、まず、「海と大気の浄化、最後に人類の平和」、と答えたい。おっと、これはあまりに、ぶりっこ過ぎる答えのようだ。本当は、「永遠の命とお金と、かわいい子ちゃん」と答えたいのじゃないか?。
うんんんん・・・・・、やはり、いざとなって見ないと分からないのが真実のようだ。

さらにさらに、温暖化による潮流の変化は魚の生態系まで狂わせた。最近は、僕の大好物である鰯の漁獲高が、めっきり減少している。ある学者が言っていた。「保護下にある鯨が増えすぎて、鰯を暴食している」と。うんんん、鯨のお腹の中から、鰯が大量に出てきたので、そういうこともあるのかもしれない。それより、もっと深刻なのは、やはり、温暖化の影響だろう。世界中が今、環境問題に取り組んでいるが、まだ、十分ではないように思われる。

人類の滅亡が先か、地球の崩壊が先か、今、両方が競い合って時をつむいでいる。
どうなることやら。



2003年01月20日(月) お年玉年賀はがきで、久々に美酒だあ。

お年玉年賀はがきで、久々に美酒だあ。
at 2003 01/20 08:29 編集

期待と夢を膨らませて待ちに待ったお年玉年賀はがきの抽選が昨日あった。ちょっと大げさだったか?。僕は例年のごとく番号を下二桁の順に並べておいた。こうしておくと、何枚当たったのか、すぐ確認できるのだ。「あんたもマメだねえ」と人からよくいわれるが、確かにそのとおり。まあ、「マメ」なことも、それなりにいいこともある。「マメマメマメ」。大歓迎だ。

ところで、「わおーーーっつ」。じゃなかった。「いええええいいっつ」。今年は三等が一本、四等が6本だ。そもそも、連番の100枚について四等は三本当たるから確率は三パーセント。僕は二百枚で四等賞が六枚と言うことは、確率どおりだ。いや待てよ。今年は三等賞というおまけ付だ。うんんん、ここ数年、切手シートのみで、涙を呑んできたので、この三等賞は実に嬉しい。まさに、遅ればせながらやってきた、お年玉だ。

ところで、どうなんだろう?。僕はくじ運の良い男なんだろうか?。時々、過去を振り返って考えてみる。さほどの大当たりはなかったが、まああ、小物がちょくちょく当たっていたようだ。喫茶店の片隅で、胸をどきどきさせながら、十円玉で、宝くじの絵柄をこすって賞を決めるやつがある。これで、最高、一万円の恩恵にあずかったことがある。絵柄の表面をこすりながら、「1」という数字が見えてくると思わず興奮したものだ。「おおおおおおっつ、だめかああーーー」。心臓にわるいぜー。せっかく削るなら、十円じゃあなくて、せめて、百円玉で削たが良かったか?。これは関係ないか。

四等賞の顔ぶれを見ると、妙な事に、昨年、親しくした人や、友人たちからのものが多い。これって、なんだろう?。やはり、神様は縁を大事に、世の中を眺めていらっしゃるのだろうか?。ふと、そう思った。

さあ、今日から再び新たなる冒険の旅に出発して、でっうかい賞をとるぜーーー。
とは言いながら、小心者の僕は、やはり、小市民的に小物類で、今年も満足することに、相なりはしまいか。そんな気がする。


2003年01月18日(土) 断酒の誓いはいずこに?。


断酒の誓いはいずこに?。
at 2003 01/18 11:48 編集

早、成人式も終わり、一月、睦月が足早に遠ざかっていく。もう今年も、残り11ヶ月かと思うと、ああ、また正月がやってくるという気になる。これはちょっと、時期尚早か?。こんなに、時間の経過が早く感じられるのは、歳をとった証拠なんだろうか。いやいやそうでもないかもしれない。日々充実していると、時間なんて、あっと言うまに過ぎてしまうものだ。そういうことにしておこう。いたずらに、齢を重ねる必要もない。

そうそう、最近、おもしろいことがあった。昨年の12月から、友人の、のりちゃん先生が、アルコールを断っていた。その理由は受験をひかえた息子、娘が一心不乱に頑張っているので、自らも好きなアルコールを断ち、同じ苦しみを味わいながら、かげで応援しようと言うわけだ。「わおーーーーーーーん」。なんと、いいお父さんじゃないか。感動、感動でまた感動。僕も彼の固い決意に絆されて、以来、誘うことをやめていた。そうこうしている内に、年が明け先週を迎えたわけである。僕の脳裏からは既に彼の記憶は抹消されていた。それが、なんとなんと、彼から夜の7時ごろ電話があり、ひとしきり、新年の挨拶を交わした後、「ちょっと、一緒に飲みたいな」との誘いを受けた。
僕は言ってやった。「どうしたの。去年の固い決意はどこへ行ったの」ってね。彼曰く。「今日は嬉しいことがあったので、今日だけ飲みたいと思ってね」ときた。
「えええつ、何かへんだなああ?。そう、じゃあ、その嬉しい話を聞くか」ということで、昨年、僕がナンバーワンの地位に返り咲いた、いつもの小料理屋で会うことになった。

いつもの薩摩焼酎の黒で乾杯しながら、話を聞いてみると、なんと中学生の娘が、難関の高校に受かったとのことだった。「そう。そりゃ良かったね。おめでとう。」で、涙、涙の乾杯と言うわけだ。やはり、僕たちも例外にもれず、親ばか、ちゃんりんなんだろうか?
まだ、息子やの受験と、娘の本命の受験がひかえているのに、もう誓いをやぶっちゃって。まあ、仕方がないか。と言うわけで、翌日から再び断酒続行と言うことに相なった。僕もそれを歓迎して、午前様で帰宅だああ。

ととところが、翌日の晩、また、彼より電話がなった。「えええええええつ、今度は何ぞや」と、思ったら、新年の挨拶で町まで出てきたので、一杯やっているとのこと。そろそろ引き上げるので、もう一度、僕と飲みたいと言う。僕もよほど、すかれたものだ。絶世の美女からの誘いなら、「ほいこら」と出かけるのだが。それでも、断ることをしらない僕は重い腰をあげ、再び、彼と酒に相いまみれたのでした。

彼の本当の断酒はその次の日からと言うことで、僕たちは、一本締めでお開きにしたのであります。それ以後、彼からの誘いがない。多分続行中に違いない。さすが、彼も人の子、親の子。よしよしと言ってやりたい。そんな心境の今日このごろの僕でした。



2003年01月13日(月) 三万円の化粧品はいかが?。

三万円の化粧品はいかが?。
at 2003 01/13 19:00 編集

先ほど、食事をしながらテレビを見ていた。ある日本人の女性がアメリカで顔に塗る化粧品を買ってる映像だった。ちなみに値段は三万円。なんでも、彼女の口の中から、粘液か皮膚か分からないが、組織を採取して、遺伝子分析を行い、彼女の肌を一番引き立て、きれいにする化粧品をこしらえたと言うわけだ。まさに、彼女だけの化粧品である。製造が終わり、引渡しになるまで、三週間程度かかるのだそうだ。日本円で三万円の、この化粧品が高いのか安いのか、僕には分からないが、永遠に美しくありたいと願う女性にとっては朗報かもしれない。

今は男だって化粧をする時代だ。僕だって顔に塗りまわしてみると、ますます美貌に磨きがかかるかもしれない。「見て見て、これが三万円の顔だぜ。一塗り三千円。占めて10回は使えるぜ。若くなっただろう」と人にしゃべりまくってしまうと、皆、「俺も欲しい、欲しい」と言うことになり、回りはほとんど三万円で若返ったやつばかりになってしまう。皆が同じようになったら、美貌に差がなくなり、ちっとも楽しくないじゃないか?と、ふと思った。

そう思ったら何だかおかしくなった。いくら顔が若々しくなっても、重ねていく齢に変化はない。誰もが着実に年をとっていくのだ。顔に何かを塗るより、もっと大事なことは、食事に注意しながら、健康を維持することじゃないかと思う。身も心もきれいなら、三万円は貯金できはしないか?。

こんな、みみっちいことを書くと、「化粧のどこがいけないのよ?。ゴリラのおじさん」とかなんとか、世の女性の反感を買いそうなので、これ以上、化粧のことについては言及はすまい。

こういう話題が語れる社会って、本当に平和である。早く世界がこうなって欲しいものだ。



2003年01月10日(金) クローン人間の誕生。

クローン人間の誕生。
at 2003 01/10 16:27 編集

先ほどラジオで、クローンについて話していた。なんでも、マンモスを生き返らせる研究を日本でもやっているのだそうだ。ロシアのぶあつい氷河のなかに閉じ込められたマンモスの骨とか、筋肉や毛がみつかっており、その中に、使える遺伝子があれば、マンモスを現代に甦らせることができるかもしれない。こういう形で、クローンの技術が利用されることは、必ずしも悪いことではないと思う。近未来は食料難で、人類はあえぐかもしれない。そんな時、クローン技術で牛とか豚さんを誕生させれば、食料を確保できるというもの。生まれた彼らには気の毒だが・・・・・。

昨今、クローン人間が誕生したと、衝撃的なニュースが世界を飛び回った。これは、まだまだ自然の摂理や倫理的に言って、容認できることではないようだ。果たして、僕とまったく同じ遺伝子構造を持った、人間が誕生したとしたら、本当は、僕は嬉しいに違いないが。顔、形や経験は違っても、体を構成している遺伝子は僕なのだ。「わおーーーっつ」。おっと、今年から「いえいーーーっつ」と叫ぶことにしたんだったっけ。もし、心が僕と同じようにピュアで優しさに満ちたクローン人間だったら、言うことなしだ。自分を誉めたのはちょっと行き過ぎか?。いずれにしても、僕が宇宙の塵となって、宇宙空間をさまよっていても、僕見たいな人間が、現実に生きていて、大酒を食らっているかもしれない。それも、僕らしくていいじゃないか?。

僕は生存中に膨大な僕自身に関する記録やら日記を残しておき、クローンに読ませ、経験を積ませたら、僕に近い人間になるのだろうか?。限りなく否定的に違いない。
それでも、初夢と思えば、なにも悲観することはないか。

ただ、このクローンがこの上なく、女性好きで、社会に悪を巻き散らすようなやつだったら、僕はあの世から、クローンである僕を憎むに違いない。「俺って、娑婆世界にいるときは、そんなに悪玉だったけ」とね。いやいや、断じて違う。僕は、あまりに「真面目で、マメ」な小市民である。そういうことにしておこう。

まあ、何はともあれ、いい方向で科学が発展し、未来が明るいものであればクローンでも、何でも大いに歓迎だ。
そう思う。
さあ、今から弟と異業種交流会に参加だ。ボスは仕事が忙しく、今日は涙を飲んだらしい。とりあえず、この辺で。


2003年01月08日(水) すっかり正月気分が抜けました

すっかり正月気分が抜けました
at 2003 01/08 16:17 編集

もう、すっかり正月気分が抜けてしまった。それでも、相変わらず新年会らしきものが続いているから不思議だ。皆、それぞれに、元気なこと。びっくりだ。おそらく、人からは僕もそんな目でみられているだろう。「あんた元気だねーー。少しは元気を分けてほしい」とか何とかね。僕はそんなにノンベーでも、元気でもないのに、誰も信じてくれない。それもそのはずか?。

一昨日はボスと僕の友人が午後三時から、僕は五時から合流し飲み始めた。すきっ腹の僕は、すっかり出来上がってしまい、記憶が一部飛んでいた。帰ったのはもちろん午前様である。そこは覚えている。ただ、そこにいたるプロセスが明確でない。翌日、ボスやら友人に僕に愚行がなかったか、尋ねたところ、彼らも一様に記憶が飛んでいて、分からないという。なんということだ。結局、翌日、再度お礼かたがた、同じ店に出向いたところ、ななななああんと、昨夜の友人が、別のメンバーと連れ立ってきていた。僕たちは抱き合い肩をぽんぽん叩きながら、見事に紳士であったことを、ママから告げられ喜び合った。ただ、本当のところは定かではないのだが。

すっかり酩酊したとき、僕はもう二度と深酒はしないぞと誓う。その心は見上げたものだが、砂上の楼閣のごとく、いつももろくも崩れてしまうのだ。ななななさけない。正月、そうそう、情けない話は書きたくない。

さあ、今年も元気一杯で、やるやるやるぞ、と、僕は気負っている。仲間の弟が薄ら笑いを浮かべながら曰く。「そんなに気負ってばかりいては、気負い倒れするぜ」と。僕は言ってやった。「弟のお前にそんなこと言われたくないなあ」と。まあ、これが僕たちの友情の証である。何はなくとも健康とバイタリティ一が一番だ。

今年もこの路線で行くことに決めた。


2003年01月06日(月) 雪がやんで

雪がやんで
at 2003 01/06 10:05 編集

雪がやんで太陽が顔をのぞかせた。さあ、いよいよ、2003年のスタートだ。相変わらず世界経済も政情も混沌として、先行き不安であるが、そういうことに一喜一憂していても始まらない。要するに行くしかないのだ。不平不満を言っても無駄だ。前を向いて。行くぜーーーー。

今朝の新聞に書いてあった。食料自給率40パーセントの日本が、残飯の製造率が先進国ワーストワンらしい。なんということだろう。飽食飽食に明け暮れて、そういう勿体ないことを平気でやっていながら、経済が悪い、政治が悪い、云々と、よくほざけるものだ。新聞では「今の子供たちに食の教育」をやったらいいと書いてあった。アメリカは既にその教育に成功して、ずいぶんと食べ残しが減ったそうだ。日本でも、食の教育に取り組んでいる市町村もあるが、まだ、微々たるもの。世界では一日に数万人が餓死しているといわれている。日本人はもっと、謙虚な気持ちでこの事実を受け止めなければいけないと思った。

正月早々、固い話になってしまったが心を引き締めて、さああ仕事だーーーー。そのうちにいいこともあるだろう


2003年01月05日(日) 正月五日が過ぎて


正月五日が過ぎて
at 2003 01/05 19:48 編集

はや、正月五日が終わろうとしている。二日の日に故郷で同窓会があり三日に帰ってきた。齢を重ねたいつものメンバー達と元気な顔で再会した。飲んで歌い語らい、それぞれに今年の健康を祈願した。何はなくともともやはり、健康が一番。同窓生やら同級生は打算がなくて付き合えるから長続きするのだろう。

母にも会った。日々に老いていく姿をみるのはつらい。最近は足の痛みだけではなく、心臓もすこし調子が悪いようで、心配である。そんな母から、「今年中にホームに移りたいので、どこか探してほしい」と言われた。僕は今、住んでいる第二の故郷に母を呼んで一緒に暮らしたいと強く思うが、環境がそれを許さない。兄、弟とも相談をしなければならない。核家族化の進行は分かるが、やはり、一番良いのは、大家族主義で、数世代の親子、孫達が同居して暮らすことだと思う。近いうちに母のことを真剣に考えなければならないだろう。

三日に帰ってきたのは正解だった。四日から、珍しく雪が降り、高速道路も一部通行止めになったからだ。温暖化、温暖化と叫びながら、零下数十度の寒気が日本列島を隅から隅まで襲ってくるなんて考えても見なかった。南国育ちの僕にとっては雪は素敵なプレゼントに思える。かたや、雪国の人にとっては、どんだ厄介者かもしれないが。

正月があっというまに過ぎようとしている。今年もいろいろとありそうだ。持ち前のバイタリティーで、乗り切りたい。


2003年01月01日(水) 新年のスタート


新年のスタート
at 2003 01/01 11:38 編集

あけましておめでとうございます。今年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
晴れ時々曇りのなかでお正月を迎えた。たんなる月日の流れとはいえ、新たなるスタートの第一歩かと思うと、やはり緊張する。「ズシーーーーーン」。

外は静かだ。それもそうだ。正月早々、わいわい、やる人もいないだろう。どさっと配達された年賀状を見た。いやああ、皆、それぞれに苦労しているんだなあという表情が伝わってくる。最近は毛筆が増えた。賀状ソフトの良いやつが出ているから、美しくて立派だ。そういう僕も事務員さんに手伝ってもらって同じことをしている。友人たちのことで時々思うことがあるが、正月に配達のない賀状は、毎年同じ顔ぶれだ。遅れて届いた賀状を見ながら、「あいつらしいや」と、おかしくなる。心の中は、「相変わらず、優柔不断なやつだなあ。先が思いやられるぜ」と言いたいが、僕もそう強く言える立場でもなさそうなのでやめておこう。

目下の予定は、明日、高校時代の同窓会がある。明日の今頃は高速を走らせ、ふるさとへ向かって急いでいるだろう。いつものメンバー10数名が寄り集まって飲みながら新春談義をやろうと言うわけだ。まあ、健康で、こういうことができることが一番の幸せかもしれない。

その後は、仕事が目白押し。ゆりかごから墓場までとは言うが、雑多から、複雑まで、触手が動かない仕事が山積み。適当な表現が浮かばなかった。まああ、それも良しとしなければいけないだろう。

まずは、新年がスタートした。2003年のゴールへ向かってまっしぐらだ。いえーーーーい。今年から「わおーーーーーっつ」をやめて、「いえーーーーーいっつ」にするか?。



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