umityanの日記
DiaryINDEXpastwill


2002年07月30日(火) 上機嫌な一夜でした。

上機嫌な一夜でした。
at 2002 07/30 12:59 編集

昨夜は、ふとした縁で知り合った大学の後輩と一献かたむけた。いろいろと話を聞いて見ると、僕と近い境遇で、「へえーーー」と驚くばかり。おまけに、僕の若い頃を彷彿とさせるような二枚目。おそらく女性がほおって置かないだろうと思いきや、そうでもなさそう。あまり関心がないと言う。うんんん、この辺は僕と大違いか?。世の中って不思議なものだと、あらためて感じた。ところで、意気投合して何件はしごしただろうか?。数えてみると5件だった。よくもまああ、こんなに行ったものだ。どこの店でも長くて一時間程度だから、まあ、「カエルの行水」ってところだから、件数はあまり関係ないか?。それはそうと、後輩は、酒も強い。色白の顔は一向に赤くならず、「けろっつ」としている。いやはや、僕のほうがダウンしそうだ。ちょっくら歌でも歌って酔いを醒ますか、ということで、点数がでる、カラオケスナックへ彼を誘った。ここは以前90点以上の点数をたたき出して、無料ボトルをせしめた店である。もう随分とご無沙汰していたから、今日あたり再挑戦しても、ママに嫌われることもなかろうと、勇んで出かけた。店はすいていた。キープのボトルも底をつきかけていたので、早速挑戦。まず後輩が得意中の得意を歌いだしたが、なんと、ママはかれの自信たっぷりの様子を警戒したのか、「最初は予行演習ね」と言って、点数を出さなかった。「あれれっつ」と思ったが、まああ仕方がない。それじゃああ、この僕がと、きおい立って、ツノダヒロさんの「メリジェーン」で挑戦した。この歌は今まで85点から90点未満ばかりで、いつも涙を飲んでいた曲である。僕の美声がスナックの壁にこだまし、いい感じで歌い終えた。自分で言うのもおかしいが、英語の発音も見事。誰も言ってくれないので自分で言ってしまった。さあああああ何点か?「わおーーーっつ。ありゃ86点だ。情けないーーー」。残念でした。百円玉の目を持ったママが嬉しそうに笑った。「よし今度は僕」と言って、後輩が再挑戦。見事だ。うまい。ママの目もいつになく険しそう。三人の審査員の点数が表示された。うんんん、どうも80点代で終りそうな気配。前年ながら僕と同じ86点だった。「あーあっつ。今日は敗退か?」と思ったが、あきらめないところが僕のいいところ。捨て身で、時期尚早とは思ったが、「聖夜ーーきよしこの夜」のクリスマスソングを注文した。僕の大好きな曲で、三番が英語である。「サイレン・ナイッ。ホーリナイト・・・・・・」。確かなイングリッシュが、カカウンターの空気を震わした。ほれぼれするような美声。自分で酔ってどうするのか?。見事、歌いきった。一瞬、静寂が流れた。「ジャジャーーーン」と言って、点数が出始めた。なななんんんと、90、90、96。平均で92点だ。僕の顔は、「わおーーーーーーーーーっつ」と、驚きの奇声が。ママは「うわーーーーーーーん。やられた」って、苦虫をつぶしていた。こう書くとママの名誉にもかかわるので、正直に書くと、さすがママさんは太っ腹。久々のヒットに心から喜んでくれた。ただ、最後の一言が効けたねええ。「次回からは違う歌で挑戦よ」ときた。確かにママの言うとおりだ。僕達は「はいはい」と素直に言って、気持ちよく店を後にした。時間は午前一時を回ろうとしていた。後輩との再会を誓い代行車で帰還した。生きとし生けるもの、いかでか歌を歌わざらん。上機嫌な一夜でした。


2002年07月29日(月) クーラーとうちわと。

クーラーとうちわと。
at 2002 07/29 09:57 編集

「心頭滅却すれば火もまた涼し」というが、心も頭も滅却どころか、「心頭クーラーに執着しても、なお暑し」である。昔はこんなにまではなかったように思う。うちわと扇風機で、なんとか凌げた。今ではうちわも押入れの肥やしだ。時々、クーラー嫌いの友人が遊びに来て、泊まっていくとき、「うちわ」を枕元においておくと、珍しそうに眺め、パタパタとやっている姿が印象深い。そういえば、[うちわ」って、超便利な道具である。扇げば涼しいし、いたずら小僧には「柄」で頭を「こつん」とやり、おかしいときには、口元にあてて、「おほほほ」と上品に。背中が痒いときには孫の手の代役。さらにさらに、夏祭りの「ハッピ」に、うちわは欠かせない。ねじり鉢巻きをすれば、まさに伊達男。浴衣美人に大もてである。「ミルンさん素敵よ。」と投げキッスでも受ければ、純情な僕は顔がまっかっか。「あれっ」、そんなことあったっけ。つい話が誇大妄想に走ってしまった。爺さんが生きていた頃は浴衣を着て、うちわ片手に涼を求めた。花火に興じたこともあった。時折爺さんが、うちわで仰いでくれたり、頭を「ポン」とたたいて、蚊を追っ払ってくれた。こういう優しさや風景って、今の子供の目には見えないかもしれない。あまりに忙しすぎて、心の余裕をなくしてしまった現代の親と子。
クーラーの恩恵を余すところなく享受している今、僕にそう言う資格なんてない。
それでも、何故か昔が恋しく、もう一度、あの頃に戻れたらなあーーと思う。
今日はまさに真夏の郷愁でした。


2002年07月27日(土) 寝るが一番。死ぬが二番。

寝るが一番。死ぬが二番。
at 2002 07/27 16:30 編集

いやはや、生きているって結構、疲れるものだ。かといって、まだ死ぬ気にもなれない。昔、父が言っていた。「寝るが一番、死ぬが二番」って。確かにそうだ。寝ることによって大半の疲れがとれ、再びやる気がみなぎってくるからだ。「いやああ、空気がうまい。今日も頑張るでえええ・・」って感じだ。一方、寝ても疲れがとれない人は、慢性疲労ってやつで、長期休暇が必要だろう。今の僕はなんだか、そんな状態かなあ?。よく言えば仕事しすぎ。悪く言えば遊びすぎである。火曜日はのりちゃんと。水曜日は大学の有志のメンバーと。金曜日は再びのりちゃんと。そして今日は歯医者をやっている高校時代の友人と一献かたむけることになりそう。愉快に過ごすことはいいことだが、体調不十分かつ不快指数が100パーセントを超えている環境での飲みすぎは、体にいいはずがない。寝ても、すぐには寝付けず、もうろうとするばかり。朝起きても、覇気がなく、力が出てこない。「ああああ、もうちょっと寝たいなーーー」って、思い、そく実行。体力に人並み以上の自信を持っていた僕も、かたなしだ。ばあやが言う言葉が憎らしい。「怠けることは人一倍のようですねええ。毎晩、ようそんなに出かけられますことーーー。家をほったらかしにしてえ。私のおとっつあんは、滅多にそんなことはなかったですたい」。うんんんん、きつい一発だ。「ばあやよ。昔はそうだったかもしれないが、時代が変わったのよ。」と言ってやりたいが、そんな勇気もない。
「とにもかくも、悪いのはこの僕ですよ」と、開き直っているが精一杯の抵抗だ。真面目に考えて、最近の僕は僕自身でも嫌いである。もっと、健やかに生活し、健全な体に健全な魂を宿して過ごさねばと、心が叫んでいる。これも「そく実行」といきたいところだが、少しの時間が必要のようだ。


2002年07月26日(金) 台風の脅威と小惑星の衝突

台風の脅威と小惑星の衝突
at 2002 07/26 00:31 編集

風がビュンビュン吹いている。台風が近くにやってきているのだ。今年は早い時期から台風に狙い撃ちされているようだ。気まぐれな奴が多いから、こちとらの心配をよそに、今までは違う場所で暴れてきた。今回は、直撃だけは免れそうだが、楽観視はできない。いとしき女性から「あなたのハートを狙い撃ち」と言うことなら、「もっと、もっと」とおねだりしたいところなんだが。台風や地震といった自然の脅威が相手では、そんな能天気なことを言ってはおられない。有史以来、人間も動物も、生きとし生けるものは皆、いやと言うほど、脅威を見せ付けられ、恐怖を植えつけられてきた。いまだに恐怖は払拭されないでいる。あんなにでっかい目玉で、ウインクされ、縦横無尽に吹き飛ばされたら、形あるものはひとたまりもない。二度と娑婆の空気が吸えなくなることもある。思えば、七・八年前だったか?すごい奴がやってきて、怖くて身がすくんだ。最大瞬間風速で50メートルはゆうに超えていた。縁側のアルミサッシや、あちこちの窓ガラスが弓なりに曲がり、隙間から怒涛のごとく雨が打ち込んだ。怖かった。ただ、僕が味わったこの恐怖なんて、序の口だろう。語るに語れない・・・そんなつらい思いをした人たちはあまたといるだろう。やはり、災害の怖さは身をもって体験した人でなければ、その怖さを語れない。科学が進歩して、災害に対する防御もかなり出来るようになったが、反面、自然破壊も進み、あらたなる災害を喚起している一面があることも否めない。これは、悲しいことだ。
台風から、ちょっと話が大きくなるが、今日の新聞に、2020年前後、小惑星が地球に衝突する可能性がある旨、書いてあった。衝突の確率も250万分の1ということらしい。こういうマクロ的数字になると、どう判断したらいいのか分からないが、万が一衝突すれば、台風や地震の被害どころではないだろう。人類の存亡だって危ぶまれる。なんでも、アメリカではこの惑星ををトップクラスの脅威として、監視していくそうだ。宇宙から生命体が生じ、宇宙に戻るんだと思えば、あきらめもつくのだろうか?。否である。そんな悟りの境地をもてるほど人間は賢くないように思える。おそらくパニックになるだろう。悲しいかな人間。僕も同じ穴のむじな。今はただ、衝突が回避されることを、ひたすら願うことしかできない。南無・・・・・。


2002年07月23日(火) 涼をよぶもの。

涼をよぶもの。
at 2002 07/23 08:56 編集

今日も35度を超える猛暑になるとのこと。なんでも、今日は二十四気の大暑にあたり、一年のうちで一番暑い日だそうだ。いやはや、こんなに暑いと体もまいってしまう。なにかスカッとさわやかなことはないものかと、頭をめぐらしてみるが、頭自体が朦朧としており、なんにも考えられませんって感じだ。あえて、涼をよぶものと言えば、「幽霊さん」だろう。ラジオで言っていたが、京都の寺では有名な幽霊の画像を一挙に公開するそうだ。これなら、「ぞーーーーっつ」として、鳥肌がたち、涼をよぶこと間違いなしだ。ただ、「夜、眠れなくなりそう」ってことが欠点かなあ?。「幽霊さん」と言えば、小さい頃、母親と見た映画が今でも忘れられない。「牡丹灯篭」だったか、「お岩さん」だったか題名は忘れたが、そりゃああ、そりゃああ、幽霊さんの優しさが、怖・か・っ・た。母親の袖にしがみついて、泣きそうだったことを覚えている。一方、母親と言えば、その頃はまだ若く、怖い場面になると、「わーーーつ、わーーーつ」と叫びながら、手で両目を伏せていたようだ。恐らく、母も映画をみるのが怖かったのだろう。僕を連れて行ったのは用心棒代わりに違いない。いい迷惑だぜ。おっと、そんな強がりを言ってていいのかな?。ところで、今はもう、「怖くないのか」と聞かれれば、「そうだ」と答えるだろう。ここは大人の知恵。この宇宙科学の時代、「幽霊さんなんかいるものか」と、開き直っているからだ、冷静に考えてみると、霊魂やら幽霊は、恐らく人間の恐怖心が生み出した産物だろう。もちろん、今でも、その恐怖心は払拭されていないが、いずれ、科学が見事に解明すると信じている。「あんた、自信をもって、そう言えるのか」と問われれば、今はまだ、「うんんんん・・・・」としか答えられないが。


2002年07月22日(月) たゆまず突き進む何か

たゆまず突き進む何か。
at 2002 07/22 19:01 編集

梅雨があがった。連日30度を超す猛暑である。20日の海の日、娑婆世界は、にぎわったようだ。学校も夏休みに入ったことだし。反面、新聞によると事故も多かったらしい。僕は、人様の娯楽を横目に真面目に仕事にいそしんだのでありました。祭日だというのに、とほほ・・。そんな僕を見て、ばあや曰く。「お坊ちゃまは、カナズチでございましよう?。海は荒れると、怖いですからねええ。静かに仕事でもなさっていたほうが、よろしゅうおまっせ。おほほほ。。。」ときた。「うぬっつ!!!」と思ったが、ここは冷静に、冷静に。何を隠そう。僕は水泳は達者だと思っている。昔、父親に連れられて、海水浴に連れて行かれたし、海のそばで育ったので、よく友達とも泳いでいた。それを「カナズチ」とは、僕も、みくびられたものだ。まああ、「怒らない、怒らない」。
てなわけで、朝から夕方まで、ため息混じりで、悶々としていたのでありますが、宵闇が迫る頃になると、さすがの僕も、「仕事ばかりでは、人生やっておられませんばい」と言うことで、同じ志の友人を誘って、どこかで一杯やることに決定。ばあやの恨めしそうな仕草を横目に、そそくさと出かけたのでありました。焼き鳥屋で口角を飛ばして、うっぷんを晴らし、生ビールで、舌鼓を打ったのであります。深夜酔いのかけらも見せず帰宅すると、全英オープンゴルフで、和製ポパイ、丸ちゃん(丸山茂樹)が、大健闘していた。思わず見入ってしまった。いやあああ、ゴルフってメンタルなスポーツだなあと、あらためて感じいった。翌、日曜日も深夜遅くまで、最終戦を観戦。丸ちゃんの笑ったり、眉をしかめたりの表情に声援を送った。見事5位入賞。心から拍手喝采だ。ゴルフであれ、何であれ、目標を掲げて、たゆまず突き進んでいく姿は美しく思える。果たして、僕にそんな何かが今あるだろうか?ふっつと考えてしまった。まさか、「大酒のみ」になることや、「雑草刈り」の名人になることでもあるまい。いや、それでもいいのかもしれない。くれぐれも、どぶに落ちたり、マムシ君にかまれたり、蜂君に刺されたりしなければの話だが。


2002年07月19日(金) 梅雨のあがきと中年のあがき。

梅雨のあがきと中年のあがき。
at 2002 07/19 15:46 編集

ここ数日、梅雨君が最後のあがきを見せている。台風が去って、せみが鳴き始めた。例年から言うと、そろそろ梅雨明け宣言がなされる頃だ。いよいよ、灼熱の夏を迎えることになるのか。おおおいやだ。と言ってもしかたがない。そういえば、明日、二十日は海の日。七月十日は納豆の日だった。何かにかこつけて、その日を印象付けることは、日本人の得意とするところ。僕の誕生日が9月27日。ちっとも「苦になりません」と言えば、これはあてこすりもいいところだ。
ところで、最近は海とやらにも、ほとんど行かなくなった。行かない理由の一つに、「忙しいから」と言うのが必ず入っている。たいてい、これは言い訳である。本音は中年太りした、太鼓腹を世間にさらしたくない気持ちが一番強いに違いない。もちろん、これは一般論であって、僕にはあてはまらない。「ほんとなの・・・??」と、疑いのまなざしがみえるようだ。まあ、僕の場合は一応、シュワちゃんにはかなわないが、ナギナタの振り回しが功を奏しているのか、上半身は筋骨隆々で、盛り上がったお乳の辺りが、「ピクッツ、ピクッツ」と動く。お腹は?といえば、引き締まった腹筋・・・・・・。これはちょっと違ったか?。まあ、一応標準スタイルなのであります。「出っぱらず、引っ込みすぎず」ってところか。足はカモシカのような・・・・。これは全く的外れ。色白の練馬大根・・・・。これも違う?。「しからば何?」。あえて言えば、油の乗った丸太って感じだ。しかも短い。
いやはや、海の話がスタイルの発表になってしまった。とにもかくにも、スタイルは一応見れる体形を保っているので、心配はないが、やはり、まわりに誘ってくれる人がいないと、一人では海水浴にも行きずらい。もし、一人で行って静かに岩場に腰掛け海を眺めていると、「自殺でもするのではないか?」と、疑われるのがおちだ。
中年ってつらいぜ。嘆いても仕方ないが、いつまでも青年の心で、ただただ、生き抜くことしかできそうにないや。


2002年07月17日(水) 雷が去って、今日の労働が始まる。

雷が去って、今日の労働がはじまる。
at 2002 07/17 09:59 編集

「すがし」と寝ていたところ、早朝より、大爆音とともに、雷の洗礼を受けた。恐らく数発は落ちただろう。よりによって、人騒がせな奴だ。もう半時間は寝ていようと思ったのに、「うらみますぜ・・・・・」。とかなんとか言っている場合ではない。まずは退散だ。ベッドからそろりそろりと這い出し、よっつんばいで二階の階段から一階へ非難した。「出来るだけ、小さくなってうずくまっているほうがよい」と、テレビかなにかで、聞いたことがあったので、即実行。座敷で座布団を枕にひざを抱えて小さくなっていた。目だけはガラス越しに外を眺めていた。「ピカッツ」とするたびに、「ワン、ツウ、スリー・・・・」とタイムを測る。「ゴロゴロ」との間隔が遠くなるにつれて、僕の心も安心感が広がっていく。「奴は去ったか」と、思いきや、突然、「ピカッツ、ド°ドーーーン」だ。怖い怖いで、座布団にしがみつく。こんな姿を見て、ばあやが、「大の男がだらしないですよ。子供と一緒ですね」と、僕をからかう。僕は心のなかで思った。「何を言っているのですか?。大の男だからこそ、自らの手で、制御できないことに対して恐怖心がはしるのですよ」ってね。これは苦しい言い訳か?。
いやああ、本当に雷は怖い。僕の苦手な三本柱の一本である。残りの柱は、「蛇」と、「地震、台風」ということになる。やはり、雷だけは、どこに落ちるのか想像できないところに恐怖がある。「蛇」ににらまれた「カエル」みたいなもの。身動きがとれない。蛇は目で確認でき、逃げ出すには時間が十分にして余りがある。僕の分類から言えば、地震、台風は雷や蛇とはまた違った恐怖に属する。なによりもスケールがでかい。次に、気まぐれだ。更に、方向転換がすきなようだ。「この浮気者」としかってやりたいが、直撃しなければ、「許しちゃう」ということになる。
おっと、しばらく中断だ。奴が再び戻ってきた。座敷で丸くなろう。
いくつの時がながれたのだろう。「ふっと」時計を見ると、ななんと、わずか10分の経過。うとうととしていたらしい。
さあ、雷君に別れを告げて、今日も元気で労働にいそしもう。




2002年07月15日(月) 相手をおもんばかる気持ち、心。忘れまい。

相手をおもんばかる気持ち、心。忘れまい。
at 2002 07/15 18:15 編集

蒸し暑さだけを残して土・日が去った。田舎は都会の喧騒とはうって変わって静かである。田んぼのあぜ道を行きかう人もなく、遊んでいるわらんべの姿も見えない。ただ、水面から緑色の顔を出した苗が、台風の近まりを告げるべく、風で大きく揺らいでいるのが印象的だ。静かなのはいい。ただ、こうも静かだと不気味でさえある。一人で静かに書斎にいると、思わず、背後から、「ミルンさん、ご機嫌いかが?」と、骨ばった白い指にダイアモンドの指輪をはめた幽霊さんが、にゅーーーつと腕をさしだして、ほほをなでるような気配を感じて、背筋がぞーーーつとする。振り返れば、「なんだ、風になびいた葉っぱが窓ガラスの後ろで揺れているだけか」ということになる。それはそうと、今は幽霊さんも指輪をはめているそうな。豊かになったものだ。
そんなことを考えながら、昨日は昼間から夕方にかけて、庭木の剪定をした。夜は早めに床についたが、悶々として眠れなかった。何気なくテレビのスイッチをいれた。ちょうど、NHKで40年前のドラマを放映していた。「巣立ち」という題名だった。戦後十数年を経て、日本社会もようやく、高度成長へさしかかろうかという時代の母と子の心の葛藤を描いたドラマだった。見入ってしまった。久しぶりの良いドラマに涙を禁じえなかった。母子家庭にまだ偏見があった当時の社会のなかで、戦争で夫と子を失った女が、孤児を我が子として、力強く育ててきた。その子が就職で巣立っていく時が来たのだ。彼女と共に戦争を生き抜いてきた女友達との友情。慈愛に満ちた高校教師の存在。主人公と同じ境遇の友人たち。これらをとおして、母と巣立ち行く子の愛が見事に描かれていた。とめどなく涙がながれた。誰も見ていないときは、男の涙もいいものだ。主人公を取り巻く人間関係の根底を貫いているものは、「相手のことをおもんばかる気持ち、心」であった。今は薄れててしまったものかもしれない。自分の母のことを考えてみた。同じである。恐らく、当時の時代を生きた女は皆、同じような心を持っていたに違いない。やがて、時代がさがり、社会が高度成長を迎え、豊かさに身をやつすことを覚えたとき、個人主義、利己主義が、相手をおもんばかる気持ちをしのいでしまった。心が置き去りにされてしまったのである。悲しいかな、今もそれが進行している。しからば、置き去りにされた心を取り戻すにはどうすればいいのだろう?。まさか、いまから、「貧しさに戻ればよい」とも言えないが、なんだか、そういう方向に21世紀が進んでいるように思える。そうそう、最近、心温まる出来事があった。ある人の書き込みに、「雑草刈りの手伝いをしましょうか?」というメッセージが書いてあった。冗談かもしれないが、まだ、そういう心優しき人が、この日本にもいたのかと、いたく感激してしまった。僕は即、答えるだろう。「お申し出、おいしくいただきます」ってね。


2002年07月14日(日) ボス、弟、そして僕、皆、同じ穴のむじなでした。

ボス、弟、そして僕、皆、同じ穴のむじなでした。
at 2002 07/14 00:33 編集

昨夜はボス、弟、僕の三人が久しぶりに一同に会して、異業種交流会に参加した。ビールをしこたま飲んでほろ酔い気分。その後はお決まりの、二次会、三次会コースへと。僕とボスは車を止めた店まで戻り、ちょっくら歌って四次会までだ。狼の遠吠えのようなボスの歌で、閉じかけていたまぶたも再び開眼だ。僕にもご指名がかかり一曲歌う羽目に。石川さゆりさんの「風の恋盆歌」だったか、「風の盆恋歌」だったか、忘れてしまったが、その歌を注文したらしい。久しぶりだったので、あまりに固く歌ったらしく、風が嵐に変化してしまった。「下手になったね」とママさんから、「モロ」に言われて、二番はボス、三番はママに交代を余儀なくされた。まああ、よく聞いて見ると、皆、どんぐりの背比べ。思わずほくそえんだのでありました。やっと、これで打ち止め。帰宅は午前一時だった。まあ、長時間過ごした割には僕の酩酊度は、さほどではなかったが、「とど」みたいなボスは、さにあらず。自宅まで運ぶには、それなりに苦労だ。
それにしても、弟はさすがに要領がいいようだ。三次会では、「しゃなり、しゃなり」の、ままさんの店で、そりゃああ、大もて。最近は「まま」さんに、隣に座ってもらえないせいか、はたまた、心がわりしたせいか、別の女性達に大胆な行動にを・・。自分の横に座った女性が化粧直しに立つと、すかさずボスの横の女性にちょっかいを。「いやああ君はかわいいね。今度デートしたいなああ。足がきれいだねーーー」。これを二枚舌というのだろうか?。おっといけない。妬かない、妬かない。僕はどうかといえば、真面目に、いろんな話を大言壮語しているわけであります。これも二枚舌か?。と言うことは同じ穴のむじなで、弟と大差なしか。その点、ボスはさすが。長年培ってきた人生訓やら教訓を話しながら、ストレスで凝っている女性の肩をもんでいるようだ。本当は自分がもんでもらいたいのだろう。そこに気がつかないのも、まだ若い女性の世間しらずな所だろう。こう書くと、「私は、肩をもむために雇われているのではありません」と反論をくらいそうなので、これ以上の言及はやめよう。弟はその後も、絶好調。最後はニコニコ顔でボスと僕を見送った。帰る方向が同じのボスと僕も、弟ほどではないが、そこそこもてたので、良しとしなくちゃいけないだろう。と言うわけで、一夜明けた今日の土曜日は、おっと、もう日曜か。昨日の土曜日は仕事もなく、たっぷりと睡眠をとって、午後からは、例によって、「松つあん」スタイルで野良仕事にいそしんだのでありました。
おわり。


2002年07月12日(金) 男に生理ってあるの?−僕が今そうなのか?

男に生理ってあるの?−僕が今そうなのか?
at 2002 07/12 00:09 編集

三日ばかり日記から遠ざかっていた。サボっていたわけではない。いわゆる男の生理ってやつで、人生、何故か空しく、活字を追う気持ちになれなかったのだ。その反面、夜の社交だけは欠かさなかった。いつもの断らない病がでて、「あっち向いてホイ。こっち向いてホイ」で、財布は火の車、体はくたくただ。人生が空しくなるのも当たり前だ。男の生理について、「今、僕がそうなんだよ」と言うと、皆、信用しない。「まさか、ミルンさんに、そんなことはないでしょう?。いつも、にんまりして、元気一杯じゃあない?」とくる。「そりゃあ、違いますよ。僕だって生身の体。疲れもするし、心だって、本当は繊細で、英語で言えば、デリケートなんですよ」と反論するけど、またまた信じない。これじゃああ、拉致があきまへんわ。そんなわけで、ここ数日は、仕事に熱中したわけであります。以前は、午後から街中を「笑うセールスマン」スタイルで、風を切るように、かばんを振り回しながら歩いていたが、今はその元気がない。夜の闊歩が多いことの反動か?。日中はもっぱら事務仕事に専念。時たまパソコンの前で、こっくり、こっくりやっていると、そんな僕の姿をみて、ばあや曰く。「夜の帝王は、昼間はお昼ねですか?他の人に示しがつきませんよ」と僕をいじめにかかる。おうおおーーーっつ、僕もつらいぜ。
まああ、それはいいとして、最近知った心憎い教訓を一つ。知らなかったのは僕と、のりちゃん先生ぐらいで、こんなことは皆、知っていると、和服のママが言う。質問は至って簡単。「愛と恋の違いは何か?」と。僕ものりちゃんも、もともと硬派の真面目。そりゃあああ、真剣に学問的に生理学的に、「こうなんだよ。そうなんだよ」といえども、ママはただ、笑いながら、「分からないかなあ?よく字を見て!!」という。眼光紙背に徹すで、しげしげと「愛」と「恋」を眺めていると、鈍い僕の頭に、突然、一条の光がさしたのでありました。思わず笑いましたね。「愛には心と言う字が真ん中にあるので、真心であり、恋は心と言う字が下にあるので、下心がある」って言うわけだ。なるほど。感心した。確かに的を得ているともいえる。これを考えた人は、恐らく、愛も恋も体験した人に違いない。そういえば僕も二十歳前後の頃、愛や恋について考えたことがあった。僕の結論は今でも変わらないが、「まさかの愛こそ、本当の愛」ということだ。うんんんん、こう言い切ってしまうと、「あんたは偽善者だ。まさかの愛を経験したことがあるの?」と言われてしまいそうだ。こうなると、なんとも言いようがない。ただ、世の中には、そういうピュアな心の持ち主がたくさんいるに違いないと思う。ちゃらんぽらんの、あんぽんたんの、能天気の、ふうけもんの僕には、愛も恋も語る資格はなさそうだ。そこまで、自分を卑下することもないが、まああ、それに近いだろう。考えれば考えるほど、今日は眠れなくなりそう。この辺で打ち切りだ。


2002年07月08日(月) あーあー、人間って、どこまで現金なんだろう。

あーあー、人間ってどこまで現金なんだろう。
at 2002 07/08 11:58 編集

ここ数日、雨やら曇りやらで、天気が悪かったが、今日は見事な快晴。暑くなりそうだ。部屋の中ではクーラーという文明の利器にあずからなければ、どうも、やっていけない。昔と比し、温暖化が進行したことと、豊かさにおぼれてしまったため、体が文明の利器を要求してしまうのだろう。今ではクーラーも各部屋一台の時代だそうな。弟(僕がそう呼んでいる仕事仲間)のところは八台もあると言っていた。「ええええっつ、おまえんとこ、そんなに部屋があったっけ」と言うと、夜空を眺める屋根裏部屋にまで、設置しているとのこと。星を眺めるより、女房のハンマー投げが怖くて、屋根裏部屋にこもることがあるのでは?。まさか、クーラーをつけながら、「おい、おい、うえーーーん」と泣いているのではないだろうな?。笑ってしまった。豊かになったことは良いが、最近は扇風機や、うちわを使っていた頃が懐かしくさえ思える。山間の田舎では、クーラーなんてなくても、谷川のそよ風が清涼飲料水みたいなもの。涼しくてさわやかだ。以前、よく思った。ごみごみした雑踏のなかで、一生をおくるよりは、山間の田舎で暮らせればいいなああーーーと。今でもその気持ちはあるが、なんせ、娑婆の汚れた空気をどっぷりと吸ってしまったので、今、無菌状態の自然のなかへ放り込まれたら、かえって病気になってしまうかもしれない。それでも良い。たまには、命の洗濯をしに出かけたいものだ。僕がこう言うと、弟が、「あんちゃんは?・・・とは言わないか。あんたは女性連れじゃないと、一人ではそこに、いられないよなあ・・ーーー?」と、「きつーーーーい」ことを言った。僕は繭を吊り上げて否定したが、確かにそうだ。一人では一日も、もたないだろう。どうも、僕の淋しがり屋は人一倍のようだ。ペットでもいれば、山のなかでも、寂しさも和らぐかもしれないが、果たしてどうだろう?。ムツゴロウ先生は、「ヒグマのメスさんに惚れられて、柔噛みされたりして、真剣に結婚したいと思った」と、言っていた。まさか、ヒグマと暮らすわけにもいかない。僕なんか、「肉が乗ってうまそう」と、ヒグマに食べられてしまうのが、おちのようだ。結構、人間ってわがままなんだよなあ。人がいるとうるさく感じるし、いないと淋しく思う。なんて現金なことか。それでも、いつか、僕が死期を迎えるならば、山奥でもいい。静かで空気のきれいな場所で、ひっそりと逝きたいものだ。もちろんやさしい女性がそばにいることに越したことはない。


2002年07月06日(土) 七夕に寄せて

七夕に寄せて
at 2002 07/06 11:34 編集

いよいよ今日は七夕の前夜祭。雨交じりで、空模様は、どうもはかばしくないようだ。この歳になると、とりとめて七夕が、どうこうのと言うこともないが、七夕にあやかって、宇宙の神秘を思う時、何故か敬虔な気持ちになる。「僕はどうして今、ここにいるのだろう?」、「何故、地球だけにしか生命体はいないのか?」、「宇宙はどうやって始まり、どこへ向かっているのか?終わりはあるのか?」、「何故、星星はあんなに遠くにあるのか?」。真面目な気持ちでよく考えた。考えてもきりがないことは分かっている。それでも、キラキラ瞬く夜空の星星を眺めたとき、「何をかおもわざらんや」、である。小さい頃、「今、眺めている星が、何億光年も昔の星の姿である」と聞かされたとき、「えええっつ?」と、不思議に思え、その理由が分からなかった。物の道理が分かるようになった頃、小林一茶の作品だったか、定かではないが、「名月を取ってくれろと泣く子かな」という俳句を知ったとき、「あはっははああ」と、他人事のように笑ってしまったが、僕も子供の頃は同じ穴のむじな。光は一秒間に30万キロ進む。やっと星の光が地球に届いて、我々はそれを眺める。その時はすでに、膨大な時間が流れ、見える星の姿は昔、昔の過去のもの。星星がいかに遠くにあるかということを物語っている。そのことを深く考えずに、我々は、「今、見ている星が、今の姿であり、今の現実だ」としてしか見ない。まあ、これも仕方のないことだろう。
七夕祭が星祭や民間信仰と混ざり合い、今日まで脈々と続いていることは嬉しい。我々人間に刹那の夢や希望を与えてくれている。これも神秘なる宇宙に対する人間の畏敬の念のあらわれである。時代が緩やかに進展していたころ、僕も竹ざおに、ちょうちんと短冊をつるし、願いを込めて、街中をうねりあるいたものだ。今はそういうことをやっていないかもしれない。淋しい気がするが、仕方がない。
いずれにせよ、古き良きものはいつまで経っても残っていて欲しいと願うだけだ。
「七夕がいつまでも続くように心の短冊に書いておこう」と、思った。


2002年07月05日(金) 金欠病と七夕

金欠病と七夕
at 2002 07/05 09:36 編集

ここ二日ばかり家でじっとしていた。理由は至って簡単。机上の仕事がつかえていることと、なんといっても金欠病である。打出のこずちで一振りすれば、大金、小金がザックザックとでてくればいいのだけれども。また、「ここ掘れワンワン」で、賢い愛犬ポチがいて、宝のありかでも教えてくれたら、「言うことなし、ワン」で最高。と行きたいところだが、世の中、そんなにゃーー、甘くはありませんですたい。まさに、石川啄木氏が書いた、「働けど働けど楽にならざりき、じっと手を見る」の心境である。嘆いていても仕方がない。こういうときは、ただ、お天道様に向かって突き進むのみだ。「僕の後ろに道はない。僕の前に道は出来る」。そう、思ってやっていかないと、人生やっておられませんぞな。今日は曇り空。台風の影響で、やや風が強い。涼しくて結構だ。
そうそう、あと二日で七夕祭だ。晴れればいいのだけど、どうなることやら。七夕については昨年も、おととしも思い出を書いた。七夕は日本だけではなく、世界中に同じような話(彦星と織女の恋物語)があるようだ。星と民間信仰が結びついて、ロマンチックな話として、伝承してきたのだろう。日本人は、もともとこの手の話には弱いようだ。弱いという意味は、こおりっと、夢心地の世界に入ってしまいやすい
ことだ。そういう僕だって例外ではない。小さい頃は夢を短冊にたくして、大言壮語したものだ。今は七夕飾りをすることもなくなった。もし、何かをお願いするとしたら、「宇宙でメーテルに会いたいなあ」ということぐらいか。七夕の話は当日か、そのぜんじつのにもう一回、書こう。そろそろ、パートさんとお客が来る。この辺でお開きだ。


2002年07月04日(木) 平常心、これ吉か?。

平常心、これ吉か?。
at 2002 07/04 00:25 編集

今日は久しぶりに家にいて、よく仕事をした。というより、結構、ややこしい仕事がたまっていて、外歩きで、「のんべんだらりー」としていては、机上の仕事が捌けないのだ。本当はいつも、雲の流れるままに、ぶらりと出かけ、山口百恵さんの「コスモス」を何回も何回も聞きながら、車を走らせたい衝動に駆られるのだが、それじゃああ、おまんまの食い上げになってしまう。ということで、今日は机上の仕事に一心不乱、埋没したわけであります。実のところ、昨年から今年にかけて、商売の法律がどんどん変わった。少しは勉強しないと、置いてきぼりになってしまう。昔は通用していた天下の宝刀が改正法を知らなければ使えないのだ。お客さんの前で平気で嘘をつくことだけは避けねばならない。以前はよく専門書を買って調べていた。今はネットで検索すれば、ほとんど、欲しい情報が得られるので、楽だ。僕みたいな人間がいるので、つい先日、大きな本屋さんが撤退してしまった。うんんん、なんと言ってよいか分からないが、世の中の嗜好がどんどん便利なほうへ傾いていくようだ。時代の流れということで、これは仕方のないことかも知れないが、昔ながらのものがなくなっていくのはやはり淋しい。以前、ある坊さんが、「世のなかは、無駄なことを一生懸命にやって生きることも大事なんですよ」と言っていたことを思い出した。面倒がらず、図書館や本屋へ行って、時間をかけて気の済むまで調べるのも、これまたいいのかもしれない。これは時間はかかるが、得るものが大きいので、決して無駄ではないだろう。ただ、悲しいかな、時間がないのだ。こう書くと、「酒を飲む時間はあっても、本を紐解く時間はないのか?」としかられそうだ。ということは「時間がない」と言う理屈は説得力に欠ける。ただ、昨今はインターネットのスピードもそうであるように、何でもスピードが要求される。知らず知らず速さを求めてしまう。
安易に流されるのは、出来るだけ避けたいと思うが、なかなか出来ない。反省、反省だ。
 あっつ、そうそう、反省といえば、もう一つ大事な事を書いておかなければならなかった。実は、昨夜も弟(僕がそう呼んでいる仕事仲間)と飲んでしまった。「しゃなり、しゃなり」のママさんところへ、弟は行きたかったのだろう。夕方、テルがあった。僕とて、「しゃなり」さんは久しぶり。断る理由はなかった。いやあああ、昨夜はいつもになく僕達はもてた。お土産に、「鶏の軟骨」を二パックも買って行った。二人の男に、四人のヤングレディーが座った。「わおーーっつ」、誰と話したらいいのかと迷ったが、自然と座席は決まったようだ。彼女達は腹が空いていたのか、軟骨を「うまいうまい」と言っておいしそうに食べ、ビールやらウーロン茶で、のどを潤していた。おしゃべりも大成功。心にずしんとささった、一人の女性の言葉が今も脳裏に浮かぶ。今まで、僕の横に座ったことのない人だったが、今日は四人のメンバーのひとりだった。彼女はあと、一週間で隣県へ仕事兼結婚で行くのだそうだ。その彼女が、「僕のところには、今まで座わらなかったが、僕のことを好きでした」と言うのだ。「うんんんん、最後の言葉なら、なんとでも言える」と思ったが、内心は嬉しかった。「どうしてもっと、早く気付かなかったのか。青い鳥はこんなに近くにいたのに」と、悔やんだが、能天気の僕はいつもそうだ。きっと人畜無害なところに、好感をもたれたのだろう。
家に帰っても、いつまでも気持ちはホットだった。もちろん、弟も僕に劣らずホット、ホットで笑顔が絶えなかった。もてないときはいつも、「眠たいなあーーー。帰ろうか」というのだが、今日は目の輝きがいつもと違っていた。と言うことで、昨夜は懺悔を返上して、「多大なる幸を与えてくれた全能の神よ。感謝申し上げます。・・・・・・・南無う・・・」ということになろうか。ばあや曰く。「坊ちゃん、今日は、顔がにやけていますよ。何かあったのですか?」。僕は言ってやりました。「ばあやの元気な顔を一日中、見られるから嬉しくてね!!」と。ま、そんな今日でした。


2002年07月02日(火) いやはや、付き合いも大変だ。

いやはや、付き合いも大変だ。
at 2002 07/02 14:53 編集

昨夜は七時半ごろ、のりちゃん先生からテルあり。愛用の自転車を割烹店(いつもの小料理屋のこと。ママさんの和服姿に見とれてしまうところ。のりちゃんの狙いもそこにありか?)に置いていたので、取りに来たそうな。ついでに、軽くやっているので、来ないかとの誘いである。僕はすでにi had dinner である。そう言うと、彼の声がちょっぴり悲しげに聞こえた。と同時に電話をママに代わったようだ。彼もさすがに僕を呼び出すコツを習得しているようだ。カナリヤがさえずるような、やさしい声が聞こえた。「ミルンさん、いらっしゃいな。のりちゃんも淋しそうよ。あなた達は、本当に名コンビよ」と。僕もその言葉に心がぐらぐら。砂糖菓子のピラミッドのように、心が音をたてて崩れ落ちたのでした。「しかたなかんべ。ちょっくら付き合ってやるか」で、僕もホイホイと出かけた。まああ、自分を褒めるとすれば、この辺が僕のまめなところ。付き合いが良すぎるということになる。ばあや曰く。「疲れているでしょうに、今からでかけなくても」である。僕は聞く耳を持たず、見事に彼の待つ店へ到着。「今日は、俺のおごりだ。どんどんやってくれ」で、結局、代行車代の二千円で済んだ。今日の話題は、前回、頭を悩ました、「割烹」が再び登場。漢字は分かったが、語源や、本来の意味は何かと言うことで、またもや、討論に。
僕は「割烹」の割ると言う字は、暖簾が真ん中から割れているので、そのことではないか?と、言ったところ、のりちゃんは、「いや、割るとは、料理をさばくことじゃないかな」と反論。ママ曰く。「辞書で調べなくちゃ拉致があかないわよ」ということで、お客さんの一人が、携帯電話で広辞林を開き、検索した。見事、のりちゃんに一本とられましたばい。「割烹」とは、肉を割き、煮ることらしい。かいつまんで、食物の調理、料理のこと。まああ、今日はのりちゃんに花を持たせて、夜が暮れたのでした。深酒は禁物ということで、まじめに十一時には帰還。ばあやも目を丸くして、いぶかしそう。


2002年07月01日(月) 罪を懺悔してあらたなる出発だ。

罪を懺悔してあらたなる出発だ。
at 2002 07/01 11:58 編集

いよいよ今年の後半第一日目がスタートした。七月一日、月曜日。天気は雨。心は晴れ。いつでもそうだが、初日は緊張する。今日の雨は六月までの、さまざまな悪行をキレイさっぱりと洗い流してくれているようだ。「昨日までの僕の諸々の罪を許し給え。洗い清め給え。南無・・・・・・・」である。さあああ、身も心もリフレッシュして出発だ。まずは、昨夜のワールドカップ、サッカー決勝戦について言及しなければならないだろう。これはどうしても避けては通れない道である。世界で一番短い感動の言葉を述べると、「あ・・・う」と、言うことになる。本当に素晴らしかった。もうこれ以上のコメントはいらないだろう。あらゆるマスメディアが、理論的に、感情的にあまねく報道しているからだ。後は、個々人がそれをどう受け止めて、判断するかである。僕にとっては、今まで、それほど親しくなかったサッカーが、野球やボクシングと同様、面白いスポーツとして、脳裏に刻まれた。又、サッカーのみならず、色んなスポーツが世界平和の架け橋としての一翼を担っていることを改めて痛感した。世界スポーツの祭典は、毎年やればよい。宗教、人種を超えて、皆、仲良くなれるからだ。戦争や紛争をやっている暇などない。「今日もコロッケではなく、今日もスポーツ、明日もスポーツ」である。
昨夜はサッカーだけではなく、もう一つ感動したことがある。サッカーの後、何気なくテレビを見ていると、四国の島々の学校で、生徒達が集めたどんぐりを削られた山肌や、産廃処理場の跡地に埋めて、緑一杯にしようという運動をやっていた。まさに緑復活のための「どんぐり大作戦」である。世界的建築家、安藤忠雄氏が提唱し、実践している姿は尊くてまぶしく思えた。又、島の子供たちは素朴で目が輝いている。こういう子供たちのために、豊かな自然を残してやることは、文明に汚染された我々が、してあげられる最低のことではないかと思えた。僕の弟みたいな友人も、なんやかんやと、ボランティア活動にいそしんでいる。僕にも、罪の懺悔に手をあわせるだけではなく、今日が小さな善行運動のスタート日であるという気構えが必要なようだ。感動、感動で今日はスタートだ。


umityan |MAILHomePage

My追加