umityanの日記
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2002年08月28日(水) |
大盤振る舞いもたまにはいいか? |
大盤振る舞いもたまにはいいか? at 2002 08/28 12:08 編集
最近は、またまた忙しく、日記を書く気にならなかった。おまけに、こう暑くちゃ、どこか避暑地へでも、しっとりと、しゃれ込みたいが、なにせ、先立つものと暇がないのが玉にキズ。時々思うが、「あああああ、僕もあの働き蜂や蟻のように、せっせと働いて、淋しく死んでいくのだろうか?」って。「そんなこと、いやだーーーーっ」と叫んで、今、僕はダダをこねている。先日は、「何かスカッとさわやかなことはないもんか?」と問うていたが、悲しいかな何もなかった。ただ、類は類を呼ぶで、のりちゃん先生から、「今日は散々だった。ちょっと一杯やりたいなああ」と電話があり、僕も同感だったので、そく出かけることにした。その日は、のりちゃん先生の行きつけという場所に、初めて連れて行ってもらった。この店は僕も知っていたが、経営者がすでに変わっていた。なんと、着くや、僕達は、まずワインに手を染めた。一本ぺろりと平らげると、次は冷酒をコップで五杯ずつは飲んだだろうか?。二時間ばかりいて計算だ。「わおーーーーーっつ」。請求額を見て目玉がとびだした。二人で一万八千円。「こりゃ高い」と思ったが、仕方がない。のりちゃんは、現だまをもたず、僕の払い。さああ、次は機嫌なおしで、すぐ近くにあった男の社交の場へ。ここは弟に教えてもらった、外国人ばかりの見事なクラブ。身長が皆、百七十センチ以上はあろうかという、金髪、白髪、栗毛色の美女達があまたといた。ロシア人や、ルーマニア人、他にブルガリアだったか、ウクライナだったか忘れたが、皆、日本語が上手だった。こういう場所では、僕達はすぐ気取ってしまい、英語で会話だ。のりちゃんもさすが、外国暮らしの経験があり、英語は僕より、ほんの少し達者なようだ。「あなたたち、英語じょうずね。どこで習ったの?」と、彼女達に褒められてしまった。それは僕達が聞きたいことだ。「you speak japanese well. where did you learn it? 日本語うまいね。どこで勉強したの?」ってね。彼女達はダンサーやシンガーである。見事だ。日本人にない個性を持っている。僕ものりちゃんも、いたく感心してしまった。タイムリミット一時間を一回延長して、二時間のお遊びでした。はい、願いましては、二万二千円。僕が半分もって、あとの半分は、のりちゃんのカードで支払った。ここまでは良かったが、久しぶりにストレスの解消で気をよくしたか?、のりちゃん曰く。「もう一件、しゃなりのままさんところへ行こう」ときた。「えええつ、また」と僕も言いながら、すでに心の中は同意していた。よくよく考えてみると、僕達は「よくよくアホか、あるいは、あんぽんたんの大ばか者」かもしれない。しゃなりのママの店へ着くと、その日は意外と空いていた。百七十五センチの、あだな、「ワン、ツウ、スリー」のバレーボールの選手みたいな、スタイリストの「○、○」ちゃんが僕の隣へ。のりちゃんの横には、おおおおっつ、ママさんが陣取ったぜ。「こ・わ・い」。ここまでは良かった。しかるに、何を思ったか、のりちゃんが、またもや「ワイン」をボトルごと注文。ママさんはワイン通で、高い奴をしこたま仕入れている。多分、僕達はここで、一本、九千円位の奴を、二本飲んだ。側には若いきれいどころがたくさん集まってきた。皆で飲んだというわけだ。そりゃああ、「おいしい」ことは言うまでもない。「払いは知らないぞ」と思ったが、まああ、のりちゃんのカードがあるからと、大船に乗っていた。そんなわけで、ここでも大盤振る舞い。帰り際、のりちゃんに悪いと思い、僕も一万両をここで負担。差額はのりちゃんのカードでの支払いにゆだねた。最近、のりちゃんから聞いた話では、相当額の請求がきたそうだ。いやはや、それにしても今日は、ストレスの解消も度が過ぎたみたいだ。「過ぎたるは及ばざるがごとし」で、反省反省の日だった。それでも、冷や汗をかいて、たっぷりと納涼を楽しんだから「よし」としなくてはいけないだろう。
2002年08月22日(木) |
何かスカッとさわやかなことは、ありませんか? |
何かスカッツとさわやかなことは、ありませんか? at 2002 08/22 16:24 編集
いやはや、今日もいそがしいぜ。頭の配線が交錯して、ミスをおかしそう。こんなときはコーヒーでも飲んで、ちょっと一服するに限る。ってことで、今、このキーボードをたたいている。何か、スカッとさわやかなことはないものだろうか?。最近、不景気で湿っぽい話ばかりだ。あれこれと考えてみても、思い浮かばない。そうそう、スカッとした話ではないが、今週の土曜日は高校の同窓会が故郷のほうである。毎回、二百名ばかり集まる。それはもう、雑居ビルにぎゅうぎゅう詰めの状態である。ウサギ小屋に住む人間って、こういう状態もなんのその。へっちゃらである。頼もしい。美女の軍団ならまだしも、僕はどうも、こういう状態は苦手である。隣県にいる、友人も出席するというので、僕も出席することに決定だ。同窓会は、どちらかと言えば、年配のお偉方が多くて、僕達は、へいこらへいこらと、汗をかきながら、頭を下げるばかりで、気が休まらないのが実情だ。それでも、現地に住む親しい仲間が数名いるので、二次会は別どころで、賑わうことになりそう。こちらが楽しみだ。友人とはお互いに利害がからまず、昔、同じ釜の飯を食ったと言うことで、「おい」「おまえ」と、気さくに話せる点が最高だ。やはり持つべきは友。恐らく、とぐろを巻いた後、友人宅に一泊するか、明け方ごろ、車で帰ることになるだろう。よくよく考えてみると、さらに、その一週間後、丁度、八月の三十一日になるのかな?。またもや、故郷で叔母の一周忌だ。出席すると、返事を出したので、再びなつかしの地へ足を踏み入れることになる。母や兄、親戚の面々と会うことになるが、これもまた、気を使うものだ。母や兄は、その場を仕切らねばならず、大変だと思う。そのお鉢がこっちへ回ってこなければと、案じている。最近、兄とは、しっくりいっていないので、僕は恐らくよそ行き顔をするに違いない。まああ、母を悲しませない程度に、それもいいだろう。ようはあたって砕けろだ。おやおや、休憩の時間が長すぎたようだ。そろそろ、仕事に復帰だ。すっかり目が覚めたぜ。目は覚めたが、やはり、スカッとさわやかな気分にはなれそうにない。どうしたらよかんべーーーー?。よし、今日は飲むか?。
2002年08月21日(水) |
雪女のぬくもりが欲しいなああ。 |
雪女のぬくもりが欲しいなあ。 at 2002 08/21 18:58 編集
八月十一日以来、日記を書いていなかった。どうも、日記を書く気が起きなかったのだ。スランプといえばスランプかもしれない。その間、お盆が過ぎ、台風が日本列島を脅かし、どこからともなく秋が忍び寄ってきた。「わおーーーっつ」、いい傾向だ。果物がおいしくなるぜ・・・・・・。 そうそう、昨夜は久しぶりに、身肌も凍るようなテレビドラマを見た。おなじみの、「雪女」のドラマである。メル友さんに涼しいだろうと思って、雪女の残暑見舞いを送っていたら、雪女のドラマがあると教えてくれた。その夜、早速、観賞したわけである。それにしても、雪女を演じた女優さんは見事にきれいだった。惚れっぽい僕は、人目で「ボーッ、ボーツ」となって、ドラマの世界へのめりこんでしまった。僕が雪女さんと結ばれた男だったら、決して、幼い頃の出来事(雪女に助けられたことを誰にも言わないという約束)を、一言も口にしなかっただろうと思う。何故って?。それはいわずもがな。幸せを守りたいからである。「あの人は口が軽いから、すぐしゃべって、氷の剥製になっているのが落ちよ」とかなんとか言っている、外野の声が聞こえそうだ。うんんん、経験したことがないが、「僕は決して、決して、誰にも言わないぞ・・・・。この決意は固いぞ」と叫んでやりたい。。おっと、そんなに興奮しないでも。ただ、このドラマはメル友さんも言っていたように、「悲しい愛のドラマ」と言えるだろう。ふと、銀河鉄道999の、メーテルとテツロウの別れのシーンを思い出した。僕は叫ぶだろう。「メーテルーーーー、行・か・な・い・でーーーーっつ」と。メーテルはこう言うだろう。「テツロウよ、私はいつも、あなたのそばにいます。決してあなたのことは忘れない。さらば、テツロウよ」とかなんとか。さすが、メーテルは大人だ。ちゃんと、決めている。およよ、僕はまだ子供か。まあそれはいいとして、愛のドラマはやはり、悲劇で終ったほうが共感をよぶのだろうか?。僕は悲劇であれ、喜劇であれ、ただ、ピュアな愛をまっしぐらで生きていきたい。雪女のドラマを見てそう思った。
初盆と葬式と。 at 2002 08/11 18:52 編集
昨年以来、仕事仲間の先輩たちが何人も亡くなった。初盆に当たる人もたくさんいる。ボスは、役職がら、当然のことながら初盆先へ出向くことになる。今日は、たまたま、ある先輩の初盆へ、ボスと一緒に僕も出かけることになった。 思えば亡くなった先輩は、それはそれは仕事はベテラン、遊びも若い頃から亡くなる寸前まで超ベテランで、僕も随分、勉強させてもらった方である。知らない遊びや夜の社交の店を多々、教えてもらった。いろんな店で、「いかに安く飲み、楽しく飲むか」が、至上命題であった。そういった諸々の面で、自分の見聞が広くなったことは確かだ。今のボスからも同様。進行形で、たっぷり教え込まれている。どうも、僕は年配の人から好かれるようだ。同僚とは、ライバル意識むき出しで、必ずしも親しい友人と言うわけでもない。それはそれでいいとして、知己の人が亡くなるのは、身内の死と同様、ショックであり、何故か無常を感じる。胸の中に「ぽかーーーん」と大きな穴が開いたような感じである。 そういえば、昨夜、図らずも、「お葬式」という映画をテレビでやっていた。一生に何度か、人は誰でも直系や傍系の親族の死に遭遇し、自らが重要な役目を引き受ける羽目になる。初めての体験の場合、「どうしたらいいのか、皆目分からない」というのが当たり前。長老やら、物知りの知恵を借りて、慌ただしくというか、どたばたというか、儀式が行われる。テレビを見ながら思ったことだが、亡くなった人を賑やかに送ってやることはいいと思う。死が新たなる旅立ちであるならば、祝って送り出すべきだろう。かといって「はちゃめちゃ」のドンちゃん騒ぎではいけないが、心と儀式が丁度あいまって、立派な告別が出来ると言うものだ。賑やかに送られると、亡くなった当人は、はとが豆鉄砲を食らったように目を白黒させて、「俺が死んだというのに、酒を食らって笑ってやがる」と不満かも知れないが、いかんせん。棺おけのなかでは 身動きがとれない。呼べども叫べども誰も応えず。これがまさに、死なんだろう。 映画の最後の方で、主役が言っていた。「俺の死は桜の花が真っ盛りな時期にしたいなああーーー」と。何故か、僕も同感だ。旅立ちは気持ちの良い時節がよい。おっと、僕はまだ、そういうことを考えるには早すぎた。もっともっと貪欲に生を享受せねばならない。「わおーーーーっつ」と叫びながらね。
お盆に何を思う? at 2002 08/08 09:10 編集
あれよあれよと言う間に、お盆が近まってきた。正月と並び称して、国民的大移動の時期である。「故郷は遠くにありて思うもの」とはよく言ったものだ。野山があり、古びた家と墓があり、じいさんや、ばあさんたちがそこに眠っている。いずれ、自分も眠ることになるのか、まだよく分からないが、先祖あっての今の僕である。おいしい香をたき、そっと手を合わせる。感謝の気持ちで胸が一杯になる。人はこんな時、墓や仏壇に向かって何を語っているのだろうか。僕は、たいてい、早くに亡くなった父に、「父さん、ただいま帰りました。元気でやってますよ」と言うことにしている。それ以上はちょっぴり恥ずかしい気がして何も言えない。まさか、父に向かって「今まで犯してきた罪をお許しください。アーメン」とも言えないだろう。 故郷に帰って思うことは、風景や環境は大きく変わったにせよ、母の愛は昔も今もちっとも変わることがないことだ。ただただ、僕達出来の悪い子供のために、せっせと尽くす。「そんなことまでしてくれなくても、自分でやるのに」と思うけど、母は黙々とそれをしてしまう。こういう時は、親孝行として黙って、母に従ったがいいのかもしれない。母の手を煩わさなくなると母も淋しいに違いないからだ。やはり母の前ではいつも子供のままなのだ。 そんな母も随分歳をとった。老いていく母の姿を見ることは忍びないが、父に対する言葉のように、元気でいることが最高の親孝行に違いない。 昨今、家庭の絆が荒れていると聞く。幼児虐待や家庭内暴力。豊かさを求めるあまり、心を喪失した現代がかかえる病気かもしれない。
2002年08月07日(水) |
友、遠方へ去る。悲しからずや。 |
友、遠方へ去る。悲しからずや。 at 2002 08/07 12:15 編集
昨夜は、さる小料理屋の常連一見客の送別会だった。彼は当地へ単身赴任以来、二年半の生活。ほぼ、毎日のごとく、当小料理屋へ足を運び、いたくママさんに気に入られていた。それもそのはず、今ではすっかり、当店のナンバーワンの客。僕はすでにその地位を陥落していた。そのママさんが彼の送別会を企画。僕も招待に預かったわけである。「やまちゃん、やまちゃん」が彼の愛称。彼はいつも黙々と酒を飲んでいた。時々、僕達と会話することもあったが、いつも聞き役に徹してくれていた。また、ボスや僕達の超やかましい、へたくそなカラオケにも屈せず、淡々とわが道を行く人であった。 彼の登場は時代の流れか。八方美人でわがままを通していた僕の栄光の座も、砂糖菓子が崩れるように、もろくも崩れてしまった。彼は大人。僕は相変わらず子供ってところか。これはちょっと大げさか?。昨夜もそのことを僕が言うと、ママ曰く、「また、ナンバーワンに戻れるじゃないの」。「そりゃそうだ。あっつははははあ」と皆、淋しそうに笑った。 それにしても、今まで当たり前のように顔を見、話し、笑っていた人がいなくなるのは、淋しいものだ。死ぬわけではないから、会おうと思えばまたあえるわけだが、それでも、なぜか複雑な心境である。今の社会は昔と違って、終身雇用制が崩壊し、人減らし、リストラが日常茶飯事で行われている。彼もそんな不安定な社会に自ら決別を決心したのだろう。第二の人生を静かな故郷に求め、そこで生きるのも良いと思う。なんでも、海と山が近くにあるそうだ。飛行機も家の近くに止まるそうな。僕達は、「新鮮な魚を食いに行きますよ。特にタコが好きですから」と言って、彼との再会を誓った。ほぼ三時間の饗宴。「今日のお足はすべて、ロハよ」。さすが太っ腹、ママさん。またお願いします」で、お開きとなった。
2002年08月06日(火) |
僕の背番号。なかなかじゃないか。 |
僕の背番号。なかなかじゃないか。 at 2002 08/06 12:24 編集
今日、僕の背番号11桁が届いた。国民総背番号制は叫ばれて久しいが、今回ようやく日の目をみたわけである。宝くじの当選番号を見るように、胸をドキドキさせながら封を切った。「わおーーー。いい番号じゃないか。うっしっしいい」と、感心している場合ではない。いよいよ、コードで管理されるようになったわけだ。嬉しいやら悲しいやら複雑な気持ちだ。ジェームス・ボンドも「007」だし、銀河鉄道も「999」である。星の名前だって、たくさん番号がついている。番号は何かにつけて、区別するのに適していると言える。ただ、人間の場合は、コンピューターに登録された人間のすべてが、どこからでも一発で検索できるとしたら、プライバシーが容易に侵害される危険性がある。ということは、セキュリティー機能を強固にしなければ、簡単にウイルスに侵されるってわけだ。まあ、僕なんか、どこから解剖されても、つつかれても、せいぜい垢ぐらいしか出てこないから、なんとも思っちゃいないが。あえて、怖いことと言えば、人間は自分達が作った規則や道具で自分達を縛り、しまいには身動きが取れなくなりはしまいか?ということだ。原子爆弾だってそうだろう。 せっかく導入された背番号制。良識ある人々によって正しく運営されて欲しいと思う。
2002年08月05日(月) |
友からの暑中見舞い状。 |
友からの暑中見舞い状。 at 2002 08/05 13:53 編集
最近、暑中見舞い状を、めっきり書かなくなった。ネットのフレンドには動画付き原稿が無料サービスで提供されているので、それを利用して出している。メルアドを入れれば、即完成。パッと送信ボタンを押すと、「はいーー。一件終わり」で、すごく簡単だ。なんだか味気ない。もちろん、それなりのメッセージは入れ込むが、概ね形式と美辞麗句に走りやすい。忙しい現代社会では、それでも十分なのかもしれないが、なんとなく物足りなさを感じる。「文句ばかり言っていないで、あなたはいつも直筆の手紙やはがきを書いたらいいじゃない?」と言う声がきこえそうだ。あにはからんや、僕自身も、おおかたネットメールで済ませているから始末に悪い。大それたことは言えないなあ・・・・。 ところが、先日、大学時代の友人から葉書が届いた。昨年、母を亡くして、今年が一周忌で、こちらに来たそうだ。昨年は僕や他の友人達と一献かたむけたので、今年も電話があるだろうと、ひそかに期待していたが、とんぼ帰りだったそうだ。中間管理職は公私にわたって忙しすぎるようだ。残念だったが次の機会もある。その彼もネットをやっていて、以前メールの交換等やったことがあるが、今回はネットメールではなくて、涼しげな金魚の絵がはいった葉書で、暑中見舞いと、残念ながら会えなかった旨を伝えてくれたのである。なんだかとても嬉しく、すがすがしい気持ちになって、僕も先ほど筆ペンを用いて返事を書いた。そういえば、直筆も久しぶりで、どことなく字が下手になったようだ。その点、友の字はみごとである。学生時代からうまかったので、今更褒めることでもないが、ただただ感心する。字のうまさとは関係ないが、彼の、「何事も労をいとわず、一歩から」という気持ちが心にしみた。僕も見習わなければいけない。今日は朝から、すがすがしいスタートがきれた。「今日もがんばるでえーーーーー。見ててやーーーーーー」。
2002年08月04日(日) |
叔母の初盆と一周忌。 |
叔母の初盆と一周忌 at 2002 08/04 21:17 編集
まもなくお盆だ。昨年、叔母が亡くなって、今年は初盆と一周忌が、ほぼ同時にやってくる。早いものだ。昨年、ホスピス病棟に入院していた叔母を見舞ったことが、つい先日のように思い出される。車椅子を押しながら、水槽の中で気持ちよく泳いでいる鯉を、しばらく眺めた。叔母はどういう気持ちで、この鯉をながめていたのだろうか?。僕は、この鯉のように強い生命力で、病気なんか跳ね返して欲しいと願っていた。だが、いかんせん。叔母は延命治療を望まず、ただ、ひたすら精神的ケアを中心にすえ、この病棟で余命をまっとうしたのだ。僕の気持ちとしてはなんとも、いたたまれなかった。人間は自らの意志で生まれては来ない。しからば、死ぬときぐらいは、自らの意志で死を決定したいという考えもあるだろう。叔母はその考えをとったのだろうか?。うんんん、分からない。この問題はとても難しい。要は人、それぞれの価値観によるのだろうが、その時にならないと分からないというのが、今の僕の心情だ。不治の病ならば、あえてベッドに横たわらず、好きなことをやって、太く短く生きるもいいだろう。すくなくとも不治の病でなければ、積極的に病と闘うのもいいだろう。やはり、自分が、どういう道を選択するか、その岐路に立ってみないとなんとも言いがたい。 いずれの道を選択するにせよ、死は生きとし生けるものの宿命。生還することのない片道切符の旅である。今なお、叔母の姿は僕の心の中に鮮明に刻まれているが、恐らく、時の流れとともに、それは風化し、忘れてしまうだろう。やがては僕自信が旅立ちの切符を買わねばならない時がくる。果たして、僕はそのとき何を思うのか?。今はなんとも言えない。 出来れば、「わおーーーーっつ、死にたくない!!!」と叫んで死にたいものだ。 そういえば、今年も、著名な人たちが何人も亡くなった。叔母と同じように、やがては僕の心からも消えてしまうであろうが、今は心から冥福を祈りたい」。
猛暑と読書と日記 at 2002 08/03 20:04 編集
八月になって、相変わらず猛暑が続いている。外を歩いていると、滝のごとく汗が流れ落ちる。地球の平均気温が上がったと定かに理解できるほど暑くなった。昔も暑いときはあったが、今ほどではなかったようだ。やはり、豊かな生活が生み出した環境破壊なんだろうか?。将来がどうなるか、やや心配である。よく人が、「あと50年や百年程度で地球が滅びることもないだろうから、下手な心配はいらないよ」と言うが、そんな考えでいいのだろうかと、時々考える。こんな暑い日は、山口百恵さんの歌、コスモス、「こんな小春日和の穏やかな日は、あなたの優しさが身にしみる」を思いだす。早くコスモスが乱れ咲くおだやかな季節が訪れて欲しいものだ。 今日は暑さしのぎに、駅構内の本屋さんに立ち寄った。久しぶりである。僕の魂胆は適当な本を買って、駅構内の冷房の効いた喫茶店に陣取って、ちょっくら読書タイムとしゃれ込もうって寸法だ。もちろん、ホットコーヒーを飲みながらね。何か良い本はないかと、物色していたところ、宗左近(しゅう さこん)さんの、「詩(うた)のささげもの」という本に目がとまった。 パラパラとめくったとき、心に深く染み入るものを感じた。本の宣伝をするつもりはないが、なじみ深い詩や、俳句、短歌が書かれてあり、解説が交えてある。読んでみると、いやはや、奥が深いこと。詩はやはり死に通じ、天国からの授かりものに違いない。即、購入決定。その後、喫茶店で30分程度読み自宅の本棚に収まった。一気に読んだら、十分に心を味わえないので、少しずつ呼んでいこうと思っている。 いずれ、感想をかいてみたい。 こんなふうで、今日の土曜日は過ぎたのでした。今は、こうやってサボっていた日記に、文字をかいているのでありました。 終わり。
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