umityanの日記
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2002年05月31日(金) 今日は「コスモス」の歌で泣きました。

今日は「コスモス」の歌で泣きました。
at 2002 05/31 13:42 編集

今日は朝からクライアントのところへ出かけた。道すがらの車の多いこと。目的地に普通は二十分でつくところ、ほぼ一時間かかった。事故があっているようでも、工事があっている風でもない。鈍い僕も良く考えてみたら「ははーーん」とくるものがあった。月末の金曜日。これが最大の要因だろう。商取引の締めで、商人やら業者があちこと動いているのだろう。僕のような超零細SOHOにとっては、影響なし。ただ、車がのろのろ運転だ。音楽でも聴きながら、ゆっくり行くか、ということで、山口百恵さんの、「コスモス」を、リピートして、なんどもなんども聞いた。聞けば聞くほどこの歌は感動する。まず、歌詞というか、詩が良い。「うすべにの、コスモスが秋の日に、何気ない陽だまりに揺れている。このごろ涙もろくなった母が、庭先でひとつ、せきをする。縁側でアルバムを開いては・・・・・ありがとうの言葉をかみしめながら生きてみます。わたしなりに・・・・」。いやああ、実に良い詩だ。嫁ぐ娘と母親の心情を歌った詩だとおもうが、男の僕にも、じんとくるのは、男は嫁には行かないが、やはり、母親は永遠の恋人のようなものであり、現実に母親の悲しそうな姿や涙を見るのは忍びない。されば、こうやって歌をききながら、人知れず母親に感謝しているって訳である。まさか、大の男が、「おかあさま。今から僕は嫁ぎます。長い間、ありがとうございました」とも言えないではないか。こう言っては失礼かも知れないが、世の中のマザコンと称する人たちは、母親との別れができず、いつまでも、母親と暮らしたいと願っているのだろう。心情的には理解できる。
次に、この歌はメロディーがとても美しい。何といっても、メルヘンの世界であり、優しさとロマンを感じさせるには十分であまりがある。さらに、さらに、歌い手である山口百恵さんの素晴らしさに乾杯だ。うんんん、二十年はやければ、「百恵さん、僕のお嫁さんになって」と言っていたかもしれない。そのとき、百恵さんは言うでしょうね。「私には、友和がいます。お気持ちだけはいただいておきます」とね。それにしても、僕も相当の自信過剰屋さんに違いない。何でも、自分の都合の良いように考えてばかりいる。まああ、誰も傷つかないなら良いかなあ、と自分で勝手に解釈している。そうこうしながら無事、クライアントのところへ到着。見事、仕事を終え、帰還。今、昼休みを利用して、涙ながらにコスモスの思い出を記した次第である。これはちょっとオーバーだったかな。まさか、パートさんのいる前では泣けないだろう。さあああ、そろそろボスがここにやってくる。その前に、この日記を閉じよう。


2002年05月30日(木) 五月の反省が六月の変身を生むか?

五月の反省が六月の変身を生むか?
at 2002 05/30 10:54 編集

五月も明日を残すばかりとなった。こう書くとなんだか、明日が大晦日で、あさってが正月みたいな気がする。初旬のゴールデンウイークに始まり、またたくまに今日を迎えた。今月は色んな思い出と共に、反省することも一杯ある。それはそうと五月はお金のかかる時期でもあった。車検、自動車税、労働保険、他にも負担金や交際費が目白押し。今月の収支のバランスは、いわずもがな、あ・・・・か・・・・じ・・・。お金はでていくばかり、涙はあふれるばかり。「お坊ちゃま、夜遊びが過ぎていますよ」と、ばあやから叱られた。深く反省して六月からは健全な精神に健全な魂を宿そうと思う。思うばかりではダメ。有言実行しなくちゃ。こうやって、活字となって表現したからには、これがプレッシャーとなって、実行できそうな気がする。タバコを止めたときもそうだった。強い意志で、煙を跳ね返した。と、言いたいところだが、本当は肺炎や気管支炎とかいった病気が怖かったのかもしれない。それでも、もう止めてから二年半になる。自分で自分を褒めてやりたい。今では、煙がけむたくなるから不思議だ。その勢いで、「アルコールもやめたらどうなんですか?」と言われた。周りは信じていないかも知れないが、所詮、僕はノンベーではない。アルコールは本質的には、たしなむものであって、おぼれるものではないと思っている。「そう、言いながら、あなた、いつもアルコールの海を泳いでいるじゃない。たまにはおぼれていることもあるじゃない?」。「ええええっつ、そうかなああ・・・・?」。弁解がましいが、僕自身の判断では、泳いでもいないし、おぼれてもいない。ただ、よくよく考えてみると、そう思うことが、すでにおぼれている証拠なんだろうか。いずれにせよ、我が家では、父も兄も弟もアルコールには親しまなかった。たまたま、僕一人が、縁あって、少々染まったということだろう。
とにもかくも、ごたくはならべず、六月からは見事に変身した僕を娑婆に登場させねばなるまい。こうご期待!!、と言っても、だれも気にしてはくれないだろうけどね


2002年05月28日(火)

at 2002 05/28 12:46 編集

五月のもろもろの行事が終った。今からいよいよ梅雨になり、暑い夏を迎えることになる。僕は六月の梅雨時が好きである。なぜか、みずみずしく肌にも潤いがでてくるからだ。「あなた、お肌がきれいね」と言われると、「そりゃあ、六月だもの、みずみずしいのは当たり前」と言ってしまう。もちろん、べとべとした、湿気は歓迎ではない。肌のみずみずしさのみならず、青葉、若葉にふりそそぐ、六月の雨は新鮮で、心まで洗われるようだ。つい、「雨ならばぬれていこう」という心境にもなる。
そんな時、旅を思い出す。旅はいい。最近は則ちゃん先生にあやかって、「山口百恵」さんの、カセットばかり聞いている。「いい日旅立ち」なんか聞いていると、ますますどこかへ行きたくなる。
ある友人が、「おいおい、旅、旅と言っていると、あの世まで旅してしまうぜ」と言っていた。「そうだよなああ。僕達の人生はまさに、帰り道のない一方通行の旅」。いずれ、物心がつけば、そういうことも考えるかも知れないが、僕が今、言っているのは、そういう旅ではない。ぶらりと、のんびりと日本列島を気ままに歩く旅のことである。若山牧水の歌にあったような、「いく山川こえさりゆかば、寂しさのはてなんくにぞ、今日も旅行く」。こうだったっけ。定かには思い出さないが、そんな心境の旅がしたい。
さああ、今から市内まで、仕事の旅だ。いざ、出陣。


2002年05月26日(日) 総会、宴会で、とどのつまりは?。

総会、宴会で、とどのつまりは?。
at 2002 05/26 20:16 編集

最近は、全国津々浦々、総会ばやりだ。大きな組織から小さな組織まで。やり方まで、国会と一緒。僕もいくつかの総会に参加しているが、とんといやになる。一日がほとんどつぶれ、おまけに中味が薄いとくれば、ダブルパンチもいいとこである。ただ、救いがあるといえば、一年の総決算が承認され、「ほっ」と肩の荷がおりると同時に、その夜の懇親会というか、お疲れ会が、にぎわうことぐらいだろうか。
ところで、昨日は午後から総会に参加して、夜は隣に座った友人と、一献傾けることになった。総会後、ボスと弟は役員の手前、有志を引き連れて数軒、はしごになるはずである。僕たちは、わずらわしいので、ボスや弟達とは別行動で、さる小料理屋へ走った。友人は三田村邦彦さんタイプの美男子で、歌がプロ級にうまい。その彼が気に入った店があるという。時間がまだ早かったので、そこへ行く前に、例によって和服姿の美人ママ経営の店へ行くことにした。「おいしいでしょう?」と言うママの手料理で、とりあえず腹ごしらえと言うわけだ。考えてみたら、僕はこの店に今週は三回目だ。則ちゃん先生と二回、そして今日。まだ、この店を知ってから一年にもならないが、何故か居心地が良い。ママが「僕をお慕いもうしあげています」ということでは、さらさらないが、回数が多いからエコノミークラスからビジネスクラスへ、昇格したのだろう。我々は、生ビール、生酒を皮切りに、グラスは焼酎へと変遷。いつものパターンである。驚いたことに、友人とママさんは旧知の仲だった。ママさんは、以前、友人と同業の会社に勤めていたとのこと。こうなれば、意気投合するのに時間はいらなかった。飲めや、だべれやで大騒ぎ。これもいつものパターン。そうこうしているうちにボスから携帯にテル。今から来るとのこと。やれやれ、これは大変だ。幸い、ここにはカラオケがなかった。オラウンターンの奇声のごとき演歌に大笑いし、酒を吹きこぼしては大変だからである。程なくボスが到着。一人だった。他の仲間は、まだ、同じ店に陣取っているとのこと。ボスはひとしきり、だべり飲んで、またもや、仲間のところへ帰還した。忙しい親分だぜ。それもそのはず。一年の総決算が無事終わり、張っていた気が抜けたのだろう。やはり、マイクが恋しくなったか、「えいっつ、えいっつ」と、おらびながら去っていった。正確にはこの表現は正しくない。去っていったのではなくて、一時的に戻っただけである。僕達はこの店で数時間過ごした。さああ、いよいよ、友人のお気に入りの店へ直行だ。タクシーに乗り込んだとき、今度は弟から携帯にテル。「今、どこにいる?」だって。「うんんん、馴れ馴れしい奴だ」。店の名を告げるとそこへ来るという。てなわけで、今度は弟達二人と合流し、四人で乾杯である。ありゃ、今度は逆に僕も弟もこの店を知っていた。「なんだ、そうだったの」と友人も苦笑い。なにを隠そう。ここのママも、それはそれは美人のママである。僕は弟と何回か足を運んだことがあるし、ここのママさんは、さる異業種交流会のメンバーでもあったのだ。。今度は友人が、そのママにぞっこんというわけで世の中は狭いものだ。ところで、「ボスはいずこに?」と思いきや、すでに。この近くの店で、カラオケの練習にいそしんでいるとのこと。帰るとき迎えに来てほしいとのこと。「わおーーーっつ、ボスも現金な人だぜ」。ここの店で、僕達はカラオケを数曲ずつ歌った。僕の歌。まだ、時期的にはずううううううっと早いが、クリスマスソングの「きよしこの夜」を歌った。三番目の歌詞が英語だから、この歌が好きになった。おまけに、この歌を歌うと点数が高いのだ。「英語の発音がいいからかなああ」」なんて、自分で自分を褒めてやりたい。誰も褒めないからだ。夜はどんどん過ぎていく。このままではきりがないと言うことで、皆、割り勘でお開きとなった。その後、「とど」みたいな親子ずれが、車に乗って、町を去っていったということらしい。


2002年05月25日(土) 今日は何が言いたかったの?

今日は何が言いたかったの?
at 2002 05/25 11:04 編集

昨日は、さすがに、どこにも行かずじまいで、終日、家にいた。たまの家もいいものだ。誰も来ないなら一日中、ゴロゴロと寝ていたい気持ちである。貧乏性の僕は、そうも出来ず、たまりつつあった机上の仕事にいそしんだ。夕方には久しぶりに、草刈機を背負って、縦横無尽に猛威を振るっている雑草とやらを一網打尽に・・・、と言っても、雑草はしぶとく、まだまだ、完全制覇には至っていない。あれよあれよというまに、小さかった雑草君が成長している。お見事というしかない。まさに、追いつ追われつのいたちごっこである。ただ、よくよく思えば雑草にも、ちゃんと名前があり、我々人間と同じく、自然界の住人である。「雑草呼ばわりされるのは迷惑だ」と、叫んでいるかもしれない。そういえば、昨夜、なんとなく聞いたラジオで、昆虫は人工的に飼育、手入れされた美しい草花にはあまり近寄らず、自然に咲いている、みすぼらしい花や草むらの方が好きなようであると言っていた。「へえーー、そうなのか」。不思議だ。人工的に飼育された美しい花たちと自然に育った花たちと、昆虫達にとって、どこがどう違うのか?、僕なりに考えてみた。いろんな面で人工的なほうが優れているように見えるが、彼らにとってはそういう基準ではないのだろう。ひょっとすれば「安心感」というか、「自然そのまま感」というか、そういう違いではないのだろうか。つまり、昆虫たちにとっては、素朴で質素でみすぼらしい花のほうが、より心の平安を保てる安心できる場所ということだろう。人間の社会ではどうなんだろう?。女性について言及すると、しかられそうだが、最近、都会には美しい女性が増えたそうだ。もちろん、田舎もそれなりに。右も向いても、左を向いても、美人でかわい子ちゃんがあまたといる。うんんん、都会に久しぶりに行くと、美女の軍団に囲まれて、くらくらとめまいがするに違いない。美容整形手術が一般化し、美しく変身した女性が増えたということなんだろうか。自分に自信が出来て、前向きに社会の中で生きていける。このことは素晴らしいことだ。ただ、あの自然に咲く花や雑草だって、強い生命力があり、かつ、心の平安を与えてくれる大切な存在であるということも、心の隅に置いて欲しいものだ。
そりゃあ、美しい上に、安心できる存在であれば、この上なしということになるのだが・・・・・・。


2002年05月24日(金) 山口百恵さんのCDが取り持つ縁

山口百恵さんのCDが取り持つ縁
at 2002 05/24 11:48 編集

昨夜は則ちゃん先生と数時間の交流をもった。そもそも、電話しておきながら、彼がやってきたのは十時である。僕は九時半には店にたどり着いていた。「えら遅いじゃないの」と、苦虫をつぶしながら言うと(本当はえらい早かったじゃないのといいたかったのだが。何故って、心のドキドキを感じながら、ママさんと二人きりで話せるではありませんか)、夜七時から九時までは会議があったとのこと。そりゃ、お疲れ様。なるほど、会議の疲れを、この店ーーー和服姿の美人ママ経営の小料理屋ーーーで癒そうと言う魂胆か。それに、借りていた百恵さんのCDも返さなくてはいけなかったし。さすがに、その辺は几帳面だ。まずは、お礼を言って無事返却。
僕達は、例によって、生酒をいただくことにした。焼酎は生酒の後で飲むことにした。ママいわく。「今日は暇だったのよ」と。その割には、ママの顔も首筋も見事に桜色。怪しげな色香をただよわせながら、にっこりして、「私、すぐ顔にでるのよ」と言いながら、僕達がついであげた生酒をおいしそうに、ぺろり。「わおーーーー、お。み。ご。と」。僕達も負けずとゴクリ、ゴクリとやった。三時間の付き合いだったが、いろんな会話があって、楽しい一時を過ごした。おもしろい話題を一つ、二つあげると、なんと、ママさんにはまだ、蒙古斑の青いあざが尻にあるのだそうだ。則ちゃん曰く。「ママ、どうやって調べたの。鏡に写して見たの」だって。なんという卑猥なことをと思ったが、僕達は大笑いしてしまった。「蒙古斑ねえ・・・、ママ、僕、見てみたいなあ」と言うと、「それはだめ」ときた。僕はすかさず言ってやりました。「ママ、それは蒙古斑じゃなくて、ムチの痕じゃああないの」と。「失礼な、今日は高いわよ。プンプン」で、大笑い。なんか、こういう会話って罪があるようでないような。とても楽しい。さらに会話は色んな方面へ派生。則ちゃんの説、「我々人間は、猿から進化したのではない」。「じゃあ何?」と聞くと、宇宙からやってきたんだ」という。これには僕も同感だ。まだまだ書きたいが、今、仕事中。このくらいで止めておこう。ちなみに昨夜は則ちゃんのお・・・ご・・・り・・・。これも、山口百恵さんのCDが取り持つ縁か。


2002年05月23日(木) 則ちゃん先生と僕

則ちゃん先生と僕
at 2002 05/23 20:11 編集

今週は月曜日からずっと、夜は出っ放し。家にいて、面白くないテレビを見るよりは、外で気ままにやっているほうがいいには違いないが、いやはや、体もくたびれるものだ。実は、いつの間にか友人みたいになってしまった則ちゃん先生(れっきとした都市工学部の大学教授である)から、今日もお呼び出しがあった。一献かたむけようということである。先生と聞くと、どうも昔、職員室に呼び出されて大目玉を食らった思い出が頭をよぎり、心臓によくないが、則ちゃんは、じつに変わった風貌の持ち主で、愛想がよく、話していて面白いので、誘いを断ったことがない。芸能人にたとえると、「どっちの料理」の番組でおなじみの三宅裕司さんにそっくりだ。まあ、相手も僕を織田無道さんのそっくりさんと思っているからおあいこだが。今日もと書いたのは、火曜日に会ったばかりだからだ。恋人ならともかく、よくも男同士で飽きもせず、会っていられるものだと、われながら感心している。
今日、僕を呼び出した理由はわかっている。これがまた、傑作である。則ちゃんは、何を隠そう、隠れた「山口百恵」フアンの一人。フアンクラブに入ったのも、当地では五本の指に入るくらい早かったそうな。いやはや、驚いた。僕はフアンクラブには関係ないが、山口百恵さんの、「コスモス」や、「いい日旅立ち」の歌が特に好きで、カラオケでよく歌っている。それはそうと、則ちゃんは、ぼくが最近行きだした小料理屋さんにすっかりご執心で、なんと、ママさんに山口百恵さんのCDを借りていて、今日が戻す約束日である。一人で行くのが怖いのか、恥ずかしいのか知らないが、即、僕にテルがはいった。まあ、人助けと思い、僕も重い腰を上げることにした。と言えば、若干、うそになるか。本当は、自らも、怪しい夜の幻覚に酔ってみたいのかも知れない。猛すぐ、二回目の電話がなるだろう。その前にこの日記をしたためて、ラインプリンターで打ち出し、則ちゃんに見せてやろうとおもっている。恐らく、涙を流して喜ぶかもしれない。そう思う僕もなんとお目でたなことよ。さあああ出陣だ。メーテルもきっと許してくれるに違いない・・・・・????。


2002年05月21日(火) 心のドキドキ、二連発。

心のドキドキ、二連発。
at 2002 05/21 11:16 編集

日記から随分とご無沙汰していた。ほぼ一週間ぶりである。決してサボっていたわけではない。日々の茶飯事に追われて、心が違う方向を向いていた。やはり、心のドキドキがないと、書けないようだ。心のドキドキと言えば、こういうことがあれば最高なんだが、まあ、ぼやきと思って聞いて欲しい。今でも時々思う。とある別荘地で、時は冬。雪がしんしんと降っている。僕は和服姿のメーテルとさしつさされつで、杯を交わしている。やがて、すっかり酔いつぶれて、メーテルの膝枕で、うたたね。メーテルは僕の耳の穴を「こちょこちょ」とやさしく掃除してくれている。なんという幸せ!!!。障子をあけると、庭は見事な雪景色。「わおーーーつ、素晴らしい」。メーテルいわく。「お風邪を召しますわよ」。僕いわく、「大丈夫・・・・あ・り・が・と・う」。こういう会話って、最高にドキドキを感じる一瞬である。ある人にこの話しをしたら、「あんた変態?。今どきそんな女性はいないわよ。耳の穴を怪我するのが関の山よ」ときた。「そうかなあああつ?」。「夢を膨らますのはただだから、いいんじゃない?」、僕はそう思っている。こういう心のドキドキなら、いつでも大歓迎だ。そうそう、もう一つ。親鸞という立派な坊さんのことを書こう。山にこもって修行中、女性のことが頭から離れず、悶々として寝ていたところ、枕元に、それはそれは、美しい観音様が現れて言ったそうだ。「そんなに、女性のことで悶々として修行に身がはいらないのであれば、私が女性となってあなたに抱かれましょう」と。うんん、すばらしい。僕も観音様でなくてもいいから、誰かに、そう言って欲しいものだ。ちなみに、僕は調べてみた。観音様って一体、男性?それとも女性?。いやはや、驚いた。中性だそうだ。
さあ、今日からまた、新たな心のドキドキを求めて出発だ。わおーーーーーーーーっつ。


2002年05月14日(火) 夜の社交と旅ーーーどんな関係?

夜の社交と旅ーーーどんな関係?
at 2002 05/14 20:51 編集

昨日もまた夜の社交に身を任せてしまった。身を任せはしても、まだ狂ってはいないので大丈夫である。いつも弟のせいにしてしまうが、実は昨夜もそうである。弟も見事な兵だ。誘いのコツというかテクニックをつかんでいる。と思いきや、女性を誘うとなると、からっきし臆病になり、だめのようである。「僕はいつももてないんだよなああ」と嘆き節が始まる。ただ、顔が笑っているから、内心はそう思っていないのかもしれない。夕方、大体6時前後だろうか、おもむろに携帯電話のベルが鳴る。「おや、弟君じゃないか。なにかあるな」と、オンラインにすると、さりげなく、仕事やら昨夜のお礼やら、違った話題で話がすすむ。ひとしきり話して、「それじゃあ、またね」と言おうかと思う頃、「今日、空いているかな?。仲間が飲みたいと言っているんだ。良かったらこない?」とくる。「おうおおお、ずいぶん待ったぜ。早く誘えば無駄話もなくて済んだものを」と思うが、これはこれで仕方がない。僕も僕で、滅多に断ることがないので、そく商談成立。てなわけで、僕は四日連投。よくもまあ、夜の社交が好きだと見える。この四日間で、延べ何人の人と会い、だべっただろうか。人と会うと、場を楽しくするために、僕も弟もいつも三枚目の役だ。もう、僕達の二枚目の時代は終ったのか。淋しい気持ちと同時に、あああああ、さすがにくたくたである。朝、目が覚めたとき、「、今日は早く寝るぞーーー」といつも思うが、なかなかそうは行かないところがまた皮肉である。そうそう、ご乱交のせいで、世界一周の旅日記がまだ終っていなかった。
北半球に住む我々にとって、南半球はまさに神秘的な領域。行ってみたいという憧れもひとしおである。彼女の話で、印象深かったことは、南十字星がきれいだったことと、世界最大の瀑布は圧巻であり、自然の驚異に圧倒されたという話。さらに、おびただしい遺跡を眺め、人類の生きざまを考えたと同時に、今、この場で自然と共に生きている人たちの輝いた目が、なんとも言えず、心が洗われたということだろうか。
話が駆け足になってしまったが、やはり「人生は旅」。だからこそ、旅が好きなのだろう。


2002年05月13日(月) 世界一周の旅

世界一周の旅
at 2002 05/13 09:44 編集

昨夜は、弟の誘いで、世界一周の旅をしたと言う女性のお話を聞く機会を得た。10名ばかりの旅好きが、とある飲み放題レストランで彼女を囲んだ。彼女はこちらでも有名な人で、女性の地位向上や、町造りといった地域社会の活性化に積極的に活動している人で、僕もよく知っていた。何を隠そう。彼女は数年前、僕がある講演会を主催したとき、司会者として、見事に花を咲かせてくれた人でもある。そうそう、あの著名な杉浦日向子さんも彼女の友達だそうだ。「わおーーーっつ、紹介して」と僕は叫んでしまった。その彼女が杉浦さんともども、百数日・・・約三ヶ月の世界旅行の旅に出たわけである。世界13カ国、17港寄港。アジアを皮切りに、アフリカ、南米と渡ったそうである。まだ見ぬ神秘の世界は、彼女の心に何をやどしただろうか?。彼女はノート型パソコンを持参で、写真を見ながら熱く語った。僕達は、「うひゃーー、うひゃーー」と、うなりながら感動するばかり。時間と金があれば僕も一度は経験してみたいと思うが、恐らくその両方とも手に入れることは出来ないだろう。乗員はアメリカのテロ等の影響もあり、キャンセルとかがあったようで、予定を下回ったらしい。それでも、二百数名が乗り込んだということだった。なんでも、平均年齢が七十歳ちかくとのことで、彼女達は相当に若い部類に属し、もてたらしい。「う・ら・や・ま・し・い・・・。」限りである。ただ、よくよく観察してみると、ご年配のカップルやご夫婦が多かったとのこと。なるほど、旅をとおして、老いらくの恋に花が咲いたか。「う・ら・や・ま・し・い。。。」。僕はうらやんでばかり。「いと悲し・・・」である。旅は、こういうことがあるからいいんだよなああ。真にそう思う。(続く)


2002年05月09日(木) 「わおーーーっつ」から「やっほーー」へ。


「わおーーーっつ」から「やっほーー」へ。
at 2002 05/09 11:49 編集

「人生は旅」、何度言い古された言葉だろう。過去、現在、未来へ、我々は、「時」というレールの上を旅しているのである。今まで目に見えていたレールは宇宙空間にさしかかると突然、ぷつんと切れる。今度はレールなきレールに乗っかって、永遠を旅することになる。肉体のない観念だけの旅。いわゆる、死の旅といってもよいだろう。銀河鉄道999のテツロウやメーテルのごとく、永遠の命を約束された機械の体を求めて旅ができれば死という恐怖から開放され、旅も愉快なものになるだろう。僕なんか「ヤッホーとか、いえいーーーつ」とかおらび、小躍りして喜ぶかもしれない。「わおーーーー」は使いすぎたので、今回は「やっほーー」とか、「いえいーーーっつ」という言葉を使用した。ただ、そういかないところが、生きとし生けるものの宿命。僕達の旅の最終目的地が「死」であることを認識したとき、一瞬、会話が止まった。我々が会話しているのは少なくとも肉体をまとった現在および、近未来の旅である。「さあ、我々も元気なうちに、計画してどこかへいくっぺ」ということで、再び、アルコールに体を染めたのでした。
(続く)


2002年05月08日(水) 未来の「旅」はどんな旅だろう?

未来の「旅」はどんな旅だろう?
at 2002 05/08 13:33 編集

昨夜は知人の誘いで一献かたむけることになった。行きつけの店で待っていると、紹介したい人がいるということで、客を一人連れてきた。例によって僕自慢の手造りの名刺を渡した。仕事が二種類あるので、二種類のカラー版名刺である。「笑うセールスマン」風の僕に似合わず、デザインは花をモチーフにしたものと、僕の大好きな雲をあしらったものである。人からは好奇の目で、「いい名刺ですね」といわれる。僕としては、まんざらでもない。その喜びを何度も享受したいと思うのか、どうも僕は悪い癖があるみたいだ。色んな人にすぐ名刺を渡すらしい。ある人から、「あなたの名刺はもうこれで六枚もあるわよ」なんて言われたこともしばしば。僕の言葉もまたしゃれているではないか?。「そう、まあ、記念にとっておいてよ」とか、「仏壇かどこかに飾っておいてよ」とか言う。相手はけげんそうな顔をしながらも受け取ってくれるから幸いである。人と再会すると、「名刺、渡していたっけ?」と自問自答し、「新作だから渡しておこう」とすぐその気になるのである。どうりで名刺が減るのが早いと思った。いけないいけない。名刺の話をする予定ではなかったのだ。知人が連れてきたのは、旅行社の偉い人だった。僕達が打ち解けるのに時間はかからなかった。アルコールと、ママさん口癖の心を込めた料理で、僕達は十年先、二十年先の「旅」について、口角泡を飛ばしながら語った。心になんのわだかまりもなく、色んなことが言える社会って、ほんとに良いと思う。「近未来は金はあるが、生きがい感を喪失した老人達がうじゃうじゃいるだろう。その人たちをターゲットに、生きがい感創出の旅を企画したらいい」、「うんんん具体的にはどうすれば?」、「それを考えるのがあなたの仕事よ。do you understand?」、とかなんとか、それぞれに勝手なことばかりを言い合っておおいに賑わった。今の時代は先を見通すことが難しい。まさに一寸先は闇である。開発途上国の人口増大、自然破壊、食料戦争、宗教戦争、IT革命、どれをとっても由々しいことばかりである。はたして、「旅」なるものは将来、どういう風に変化していくのだろうか?。ただ言えること。それは「人生は旅である」ということだけは間違いない。
長くなりそうだ。ページをあらためよう。


2002年05月06日(月) 日記を書き続けている理由(完)

日記を書き続けている理由(完)
at 2002 05/06 17:16 編集

五月六日、月曜日、午前中、曇り、午後から雨。長かった休暇も、いよいよ今日で終わりだ。こう書くと、僕もずいぶんと休みをエンジョイしたように聞こえるが、実はそうではない。僕にとっては365日が仕事みたいなもの。五月の連休も、盆休みも、正月の休暇も、単なる時間の経過であり、僕には関係がない。本来、SOHOとはそいうもの。おまけに毛色の変わった仕事を二つもやっていれば、「休みなんてとても、とても」と言いたい。「あんた、休みもとらず、化け物か」と言われそうだが、そこは、さるもの、ひっかくものだ。時間の使い方で結構、自由がきくのだ。特に夜の社交なんて得意中の得意である。おまけに、他人様の休暇は、こちとらも比較的ゆっくりできるから好きである。
そうそう、休暇の話はこれ位にして、先日の日記の続きを書かねばならなかった。何やかんやと言いながら、日記を書き始めて二年。先日、パートワンを書いた。さあ、続きをと思えど、日にちが経つと、テーマが陳腐化してきたみたいで、どうも書きたくない。それじゃ、「看板に偽りあり」と言うことになるので、少しばかり続きを書くことにしよう。書き始めの動機は、パートワンに記したように単純な発想だった。しからば、「今でもそうか」と問われれば、今は考え方が少し違ってきた。かいつまんで言えば、子孫の誰かが僕を先祖として承継したとき、「あああ、先祖にはこんな人もいたんだなあ。わおーーー、馬鹿みたい」と思うか、「わおーーー、面白いご先祖さん。昔はいろいろと大変だったのね」と思うかは自由であるが、ただ、日々の心の変遷や社会のありようを記することによって、子孫にとって何かの参考になれば良いし、ひいては、より良い進化への一助になればいい。そう思うから書いているのだろう。。いやはや、僕もずいぶんと大風呂敷を広げたものだ。いずれにせよ、僕はノーベル賞も叙勲も受けないであろうし、総理大臣の一人として名を残すこともない。そう考えたとき、日記を残すことが、僕が生きたと言う一つの証である。ひょっとすれば、子孫は言うかもしれない。「ご先祖さんよ。日記じゃ腹はふくれねえよ。どうして、金ぴかの財産を残してくれなかったのかい」って。おおおっつ、なんと罪深いことを。「わが道はわが道で責任を持って生きよ」と、これからも、大声で叫ばねばなるまい。


2002年05月04日(土) 日記を書き始めた動機ー(1)

日記を書き始めた動機ー(1)
at 2002 05/04 19:41 編集

日記らしきものを書きはじめて、ほぼ二年近くになる。三日坊主の僕なのに、よく続いたものだと、自分で自分を褒めてやりたい。まだまだ続けたいと思っている。日記を書き始めた動機は、至って単純。「人口60億の世界のなかの誰か一人でも読んでくれる人がいたらいいなああ」という発想だった。その発想に尾ひれをつけるなら、ひょっとしたら恋の花が咲いて、絶世の美女から、「あなたに共感します。お慕い申しあげています」とか何とか、メールが来はしまいか、と愚かな夢を抱いたことも事実である。ありえないこととは知りつつ、「わおーーーっつ」と叫んで、想像をふくらましながら、美酒に浸るのも悪くないではないか。どうも、僕は昔からおめでたかったようだ。何を隠そう、この僕ちゃんも、学生時代に、数人の人と同時に文通をしていたことがあった。勉強のために、親元を離れて、県外のよそ様の家を間借りして生活を始めたころ、純情無垢な僕はきっと淋しかったのだろう。色んな雑誌の文通欄から、歳の近い女性を探して、ランダムに手紙をかいたものだ。結構、返事が返ってきた。数回手紙を交わすうちに、相手の女性にニックネームをつけて、その愛称で手紙を書くようになった。今、思いだすと、あな恥ずかしいが、たとえば、「ベアトリーチェ」とか、「ミーガン」とか、「スピカ」とか言う愛称の女性がいたっけ。外国の小説に出てくるヒロインの名前である。一日に三・四通の返事が来て、大家さんも、「この人の神経はいったいどうなっているの?」と思ったに違いない。そうこうしながら月日は流れた。いざ、学校を卒業するころには、押入れの中には、数袋のペーパーバックが転がっていた。部屋を引払うときに、このレターの山を、まさか実家に送り返す勇気なんてなかった。キレイさっぱりと火葬にふすことにした。ようしたもので、青年の移ろいやすい気持ちは、同一の人とそう長く手紙のやりとりは続かないものだ。ただ、「スピカ」とニックネームをつけた女性とは、卒業してからも、実家に手紙が届いていた。母が、けげんそうな顔をして、「スピカさんてどなた?」と聞いたことがあった。もちろん、冷や汗をかきながら、危機を脱しはしたが・・・・・。長くなりそうだ。今日はここまでにして、これをパートワンにしよう。(続)



2002年05月01日(水) 風薫る五月は僕の季節

風薫る五月は僕の季節
at 2002 05/01 10:48 編集

風薫る五月になった。なんとなく五月のイメージは好きである。鯉のぼりが空高く舞い、小川のせせらぎも、みずみずしく新鮮。青葉、若葉は乙女の香りでいっぱいだ。胸いっぱい吸い込むと、香りが強烈で、「ゴホン、ゴホン」と咳き込んでしまいそう。やがて、そこに五月雨(これは六月だったか?)が降り注ぎ、しっとりと潤いをあたえるようになる。そんな頃、僕は小川に我が顔を映して、「いやああ、俺もまだ捨てたものではないな。顔がみずみずしく美男子じゃあないか」と人知れず言ってみたい衝動にかられる。まさにこれが生きているという実感かもしれない。確かに、この時期には肌がしっとりとして潤いがでてくるのだ。誰かが言っているようだ。「そこまで、ナルシストになれるって、あなたも相当のおめでたさんね」って。まあ、誰も傷つかないならそれもいいだろう。ただ、五月と言っても、良いことばかりではない。五月の空は変わりやすく、人の心も移ろいやすい。五月の憂鬱が心を悩ますからだ。体が新陳代謝すると同時に、心も新陳代謝するが、四月まで引きずってきた心が、急激な代謝に順応できないでいる。これが五月の憂鬱というものかもしれない。部屋の中にこもっていては、ため息ばかり。この解消には、よく体を動かすことが最高の良薬のように思える。日ごろやったことがない掃除とか雑草刈りなんかいいだろう。僕のところに来ていただければ、雑草があまたと、あなたを待っていまーーーーーす。連休はまだ続いていまーーーーーす。「それ、どういう意味?、連休に雑草刈りをしなさいって言うこと?」と怒られそうだ。一人でぼちぼちやるか。


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