umityanの日記
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2002年04月30日(火) もう、「うんざり」と、もう、「めちゃくちゃ」と。

いよいよ四月も終わりだ。早い。「どうしてこんなに早いの?」と言いたい。誰かが言っていたが、「人生は生まれた時から、墓場へ向かって一歩、一歩、進んでいるが、その速度は年々速くなる」って。確かにそんな気がする。子供の頃は一日が暮れるのがとても遅かった。「なんだあーー、まだこんな時間か。つまんない。早く大人になりたいよーー」と、がっかりして嘆いたものである。今、僕なりに、その原因、つまり、子供のころは時間がたつのが何故、遅く感じられるのか、と言うことについて考えてみた。「あんたも暇ねえーー」と言われそうだが、要は、学校へ行って、面白くない授業を、面白くない教師から、しこたま受け、帰宅するや塾に行かされ、はたまた、「勉強しろ、勉強しろ」という親の悪魔のような声で悩まされる。いやはや、「もううんざりだ」という「うんざり感」が、時間が進行しない、日が暮れない、一日が長い、という感覚になっているのではないだろうか。少なくとも一番の原因はそこにあったように思える。一体、どこに子供が「時間が過ぎるのが早いなあ」と思える環境があっただろうか。さらに、子供の可処分所得は皆無に近い。これじゃああ遊ぼうにも遊べやしない。時間の進行が恨めしく思えるのも当然だ。反面、遊ぶときは、あっという間に時間が過ぎる。これは、子どもの時も大人になっても同じだ。「ああああ、神様、僕にもっと、自由で遊べる長い時間をくださいな」と、何度、神頼みしたことか。ただ、よく考えてみると、人間ってなんと現金な動物だろうか。年かさが増すにつれ、今度は時間が早く流れることを嘆き始めるからだ。「そんなに子供に戻りたいか?」と問えば、「二十歳代の青年に戻りたい」と言う。もう、めちゃくちゃだ。所詮、人間は遊び好きのぐうたらばかりかもしれない。
そういえば、僕も同じ穴のむじな。しがないSOHOを営んでいるが、組織の中で働くサラリーマン諸氏とは違い、自分で自分を律しなければ、どんどん、怠け者になり、遊び人になってしまい、時間の流れに「ぶつぶつ」文句ばかり言う情けない、おじんになってしまうだろう。そうならないためには、日々を充実して過ごすことに専念しなければならない。ただひたすら働き、ただひたすら人を愛し、ただひたすら生き、時の流れに身をまかせる。それが一番、自然な生き方のような気がする。


2002年04月26日(金) 連休は嬉しいことに仕事だ。とほほ。

連休は嬉しいことに仕事だ。とほほ。
at 2002 04/26 17:08 編集

いよいよゴールデンウィークが近まってきた。世の中には4月の27日、土曜日から5月の6日、月曜日まで連続10日間、休める人もいるみたいだ。正月休みより長いぜ。うーーーらやましいいっつ。よく考えてみると人生って皮肉なものだ。暇があるときに限って金がない。金がありそうなときには暇がない。と言うことは暇があるときは終日寝ているか、労働にいそしむしかなく、暇がないときはただ、働くしかない。結局、年から年中働いていることになる。さぞかし金もたまるかと思えども、そう行かないところが、また人生の妙。休みがとれない鬱憤晴らしに、夜の社交で気を紛らわす。知らず衝動買いに走る。その他もろもろ。当然、札に羽が生えたように飛んでいく。金がたまるはずもない。やれやれ。今度の連休も、ほとんど仕事だ。強がりをいえば、涙がちょちょぎれんばかりに嬉しい限りだ。
本当は、ゆっくり外国の地を旅してみたいという衝動に毎年、駆られるが、決まって空振りである。あーあ、いつの日か、満塁逆転ホームランを放って、ゆっくり美酒を味わってみたい。はかない夢としりつつ、今日も労働にいそしむ僕がいた。自分で言うのもおかしいが、僕はそんな僕が好きなのかもしれない。


2002年04月25日(木) 僕は田舎のねずみでござい。

僕は田舎のねずみでござい。
at 2002 04/25 17:29 編集

日々、忙しいということは喜ぶべきことなんだろうか?それにしても、最近、いたずらに忙しくて、よく動く。まさに田舎のねずみってところだ。ただ、どういうわけか、米俵はたまらない。どこかに穴がほげていて、もらしてばかりいるようだ。こっちに行ってホイ、ばらばら。あっちに行ってホイ、パラパラである。おうおおお、体が二つ以上あったら便利なんだろうけど。僕の分身はいないものか?。たとえば、本命の脳から命令がくだされる。「ボディーナンバー1号は書類の整理。ナンバー2号はクライアントの訪問だ。3号は草むしり。さあ、いっせいにかかかれーーーっつ」となりゃ、そりゃああ一人で三役もこなすって寸法。ところで、本命の体は何しているの?どの体が本命か?」まさか、別のところで、お昼ねではないでしょうね?。実はそのまさかが近未来に実現するだろう。最近、ロボットブームである。ご主人様の命令に従うロボットを数体購入して、働いてもらえば、楽になること間違いなしだ。会話だってできるというから、淋しいこともないだろう。ただ、ロボットの最大の欠点は生きた血が通っていないことかもしれない。心をもって、生きた血が煮えたぎったり、さめたりするのは人間の証。人工的に造られたロボットが人間と同じように血が通い、心が持てるようになるまではもっともっと、時間が必要のようだ。とりあえずは、仕事の代わりができれば、それで、最高のパートナーというべきかも知れない。さあ、「ナンバー4の分身よ。今日はねんごろにマッサージをお願い」って、言ってみたいものだ。


2002年04月23日(火) 友人の初給料と細君

友人の初給料と細君
at 2002 04/23 11:49 編集

最近、忙しくて日記をサボっていた。というより、心のどきどきがなかったことが、書けなかったことの原因だろう。そういえば、近郊の都会に就職した友人が初めての給料をもらったそうな。思わずびっくり。あまりの安さに涙がちょんぎれんばかりだったそうな。中国人の細君に給料明細を見せたものか否か、僕に電話で聞いてきた。「なんというくだらないことを僕に聞くんだ」と言ってやりたかったが、本人はいたって真剣な様子だったので、「そりゃ、見せたがいいよ。生活が厳しいということが分かれば、細君もひとはだも、ふたはだも脱いで頑張るに違いないよ」と。「そうだな」と友人も納得した様子。いやあ、それにしても、、彼の細君は美人で、頭が良い。彼にはもったいないような人である。負けず嫌いで決して人にへりくだらず、辛抱強い。反面、やさしいところがあり、親しくなれば徹底的に人によくする。彼女は今年の正月から三ヶ月も里帰りしていて、四月の初めにやっと帰ってきた。彼も首を長くして待っていたわけで嬉しさもひとしお。就職が故郷から離れた近郊都市に決まったと事前に連絡してあったので、彼女は別に驚きもしなかった。アパート暮らしとなればお金もかかるし、大変だ。それでも、細君は夫君と違って意に介した様子もなく、淡々とせっせっと生きている。いやあ大物だ。良く分からないが、広い了見を持っているようだ。何かの本で読んだことがあるが、島国の日本人は農耕民族、大陸の中国人は騎馬民族。農耕民族の目は「どろーーーん」として、輝きがなく、騎馬民族の目は「ぎらぎら」と輝いている。単一民族で、海に囲まれていれば、異民族から侵略される危険は少なかったが、大陸は陸続きでえあるため、いつも侵略と戦争の危険にさらされていた。目が輝き、辛抱強く、了見がひろいのもうなずける。日曜日は里帰りしていたので、電車で帰る前に、三人で焼き鳥を食って、よもや話に花を咲かせた。彼には、最後の手段と言っては悪いが、農業がある。実家を継いで、中国人の細君と頑張れば、道は開けるだろう。ただ、ひたすら二人力をあわせて生きるのみだ。


2002年04月20日(土) time is money and time flies だ。

time is money and time flies だ。
at 2002 04/20 10:54 編集

夕方6時ごろ、弟君からの電話。「ありゃ、今日は淋しくなって、誘いをかけてきたかな?」と思ったら案の定。彼の面白いところは、はっきりした誘いの言葉を言わなくて、違う用件から切り出して、本質に迫るタイプである。このたびの違う用件とはコンピューターウイルスにやられて頭を痛めているということだった。「あははっはあ、そりゃ、大変だ。もう駆除したの?」とたずねると、今、最後の一台と格闘しているとのこと。僕は早速、彼の事務所へ車を飛ばした。事務所では彼が一人で、ごそごそとやっていた。開口一番「今日はさんざんだーー。悲しいよーーー」ときた。僕はすかさず、「早いとこ、やっつけて、出かけようぜ」というと、彼は、待ってましたとばかり、「どこへ行こうか?」と本音を露呈。彼の頭の中では、すでに、行動予定が出来上がっていたようだ。それは僕も同様。行動パターンが見事合致。血縁のない兄弟とはいえ、愛称はぴったんこのようだ。まず、どこかで軽く腹ごしらえをして、次は「しゃなりしゃなり」のママさんのところで、「よしよし、いいこちゃんね」と癒してもらいたいという魂胆。もちろん、僕にとっても異論はない。「あーーら、仲良しのおふたりさん。いらっしゃいませ。」と言われると、そりゃああ、もう心はうきうき、そわそわである。とりいぞぎ、駆除のソフトを実行。なんとか成功。さああ、早いとこ出かけようぜ。タイム イズ マニーだ。ということで、昨夜は癒しの一夜を過ごしたのでした。もう帰ろうかというころ、再び別の同僚から一見客のよりあう小料理屋で待っているとのテル。いやはや、今日はもてるぜ。もう癒しは充分だ。しゃなりのママの、ほのかな余韻をのこして帰りたかったが、友が首を長くして待っているに違いないということで、出陣することに決定。結局、午前1時に帰宅だ。「わおおおおおおおーーーータイム フライズ」か。






2002年04月19日(金) 雑草君の生命力と僕の生命力との闘い。

雑草君の生命力と僕の生命力との闘い。
at 2002 04/19 11:46 編集

昨日の夕方は久しぶりに、草刈機を肩にかけて、雑草を刈った。病み上がりの僕にはズシッと機械が重いぜ。本業も副業も不景気のあおりを受けて、あがったりだ。しからばということで、運動がてらの野良仕事に着手。面白いように雑草がなぎ倒されていく。「わおーーー、久しぶりの快感」とか言うと、「あんた、危ないな。変態じゃないか?」と疑われそうだ。いやああ、それにしても、雑草君たちの生命力はすごい。しばらく忘れていると、あれよあれよというまに成長している。結局、いたちごっこみたいなもの。追っても追ってもまた出てくる。刈っても刈ってもまた伸びてくる。こうなりゃ、雑草君との闘いだ。草を刈りながら、思いだした。「生命力ってなんだ?何のためにいきているのか?」って。最近、読ませてもらった、ある人の日記にも、そんな疑問が書いてあった。人間は所詮100年しか生きれない。その間、両親は遺伝子の半分ずつを子どもに与える。孫になると、四分の一の遺伝子が承継される。更に代が進めばどうなるだろう?。いくら子孫といっても、自分とは関係が希薄になり、顔さえ忘れられてしまい、もう他人みたいなもの。それでは何故、宇宙という大自然は、こういう仕組みを作ったのだろう?。何か目的があったのだろうか?。
僕はその疑問の解答を求めて悶々としたことがあった。色んな本も読んでみた。今、行き着いた結論は、生命力とは生を継続する力であり、何のために生きているかは、種を進化させるためであると。結局人間は100年程度をサイクルとして、子孫に進化した遺伝子を伝えていく。このことは人間に限らず雑草も、自然界のあらゆるものが種の進化を担って生を継続している。地球も宇宙もそうだ。宇宙も生成、消滅の循環サイクルに乗っかっており、われわれはその構成員ってわけだ。こう考えるとなんとなくつじつまが合うような気がする。かくて、僕は思っている。次の世代がよりよく進化するために、僕が先祖から得た進化の情報と、新たに経験して得た情報をミックスさせ、子孫に伝えることによって、子孫の進化の一助を担えばよいと。楽天的発想かも知れないが、そのために、僕は毎日、勉強をし、たくさんの人と知り合い、愛し、力強く、明るく、スマイルで生きていこうと思うわけだ。心優しきメーテルさんの声が聞こえる。「あなた、ノンベーの習慣は後世に残しちゃだめよ」って。おおおおお、くわばら、くわがら。



2002年04月18日(木) 忍法、木の葉がえし?

忍法、木の葉がえし?
at 2002 04/18 11:25 編集

ひとときの休養で見事に風邪を追っ払った。今、事務室の窓から、健康に感謝しつつ外を眺めている。どんよりした曇り空。ここ数日、風が強かった。木の葉がずいぶん散った。「この木、何の木」みたいに大きな金木犀の木がある。風に舞う木の葉をよく観察してみると、実に面白い。あちこちに吹き飛ばされながらも、くるくる舞って、一ヶ所に集まるのだ。まさに忍法。あちこちから掃き寄せてくる必要がない。ちりとりで「がばっ」とすくって、一網打尽。一輪車に乗せ、運べば、はい、終わり。いやああ、便利便利。忍法、「木の葉がえし」ではないが、「風よ舞え、木の葉よ散れ」である。古い葉っぱが散って、深緑の新しい葉っぱだけが残る。葉緑素の臭いが「ぷんぷん」と漂ってくる。生命が活気ずく季節、四月。こんな時季が好きである。


2002年04月17日(水) 風邪もほぼ回復し、いざ出陣だあ・・。


風邪もほぼ回復し、いざ出陣だあ・・。
at 2002 04/17 12:27 編集

風邪も80パーセントは回復した。連夜の寝汗で、ずいぶんと体から水分が出たようだ。朝、洗面所で、鏡を見たら、顔が細くなっているではないか。「ありゃ、これ以上、美男子になっちゃ困るじゃないの」と自分でも心配するくらいにだ。たらふくまんまして、顔がはれたら、風邪を引いて寝汗をかき、老廃物を排出すれば、スリムに早変わりでできそうだ。ただ、この方法は健康的ではないので、お勧めできない。指の関節痛と、腰の痛みがほぼ消えた。うんん、やはり滅多に飲まない薬が功を奏したか。もしくは、自然回復力が勝っていたか。いずれにせよ、万歳だ。今日はすこし、焼酎でのどを潤したい衝動に駆られている。そう思えど、今朝、メールを覗いたら、数年来のメル友さんというか、まだ見ぬメーテルみたいな心優しき友から、風邪の見舞い状が届いていた。「週の後半に入るが、あまりノンベーになってはいけませんよ」とたしなめてあったようだ。僕の日記を見て、心配してくれたのだ。本当に嬉しい限りである。何かの本で読んだことがあるが、両親以外で、自分のことを一番心配してくれるのは、配偶者がいれば、そうであろうし、いなければ友以外にはないと。
今、かなり絶好調に近い状態で、この日記を書いている。さあ、昼になった。午後からはいつものように、ハットをかぶり、偽バレンチノのかばんを持ち、街中放浪に出かけなくてはならない。とりあえず、この場を借りて、友に「ありがとう」を述べよう。いざ、出陣だあ・・・・・。


2002年04月16日(火) 久しぶりに風邪と格闘だ。負けてはなるまい。


久しぶりに風邪と格闘だ。負けてはなるまい。
at 2002 04/16 15:59 編集

久しぶりに風邪を引いた。昨夜は37.4度の熱があった。平熱が36.8度だから、微熱というところか。自覚症状は、左右、指関節の痛みに、腰が「ぎっくり腰」みたいで、椅子からたちあがるときなど、少し痛い。お腹がゆるくなり、「ゲリークーパー」だ。これは風邪と関係があるやなしや、良く分からない。咳は、ほとんどでない。食欲は旺盛。まあ、こんな具合だ。なにかで、読んだか、見たか、聞いたことがあるが、病気になると、弱っているところ、その場所が痛むのだそうだ。僕は指関節と腰。「わおーーーーーっつ」。これは致命傷だ。情けない。そういえば 僕はよくナギナタや鎌を振り回し雑草刈りをしたり、鍬や、スコップで穴掘りをやっていたっけ。そのつけが回ってきたか?。とにかく大事をとり、昨夜は薬を飲んで、7時にベッドインした。寝汗を何回かいたことだろう。もう肌着も下着も汗でびっしょり。うんん、滅多に飲まない薬が効いてきたか。それいけ、どんどんだ。眠れないので、ラジオをつけて聞き流していた。明け方3時ごろ、「都はるみ」さんの演歌特集をやっていた。さすがに都さんは歌がうまい。こんなに一生懸命に歌を聴いたことはなかったが、一人で静かに聴いていると、彼女の美声と節まわしが心地よく僕の微熱を刺激した。うとうとしたり、目が覚めたりで、何度も着替えをした。一体、風邪の原因は何だったのだろう。夜遊びが過ぎ、罰があたったのか。そうではないだろう。多分、雨に打たれて野良作業をしたこと。これが最大の原因に違いない。本来、「雨が降ればぬれていこう」という主義だったが、今回は、「いつまでも若くないんだ」ということを、如実に感じた。しかし、こう書きながらも、まだ、自分の体力は抜群に頑丈であると信じている僕であるから始末が悪い。もっと、痛い目にあわないと分からないのかもしれない。
今朝は、すっかり熱も引いて、36.8度を堅持。関節も腰を痛みが引いてきた。早撃ちの「ゲリークーパー」くんも、感が鈍ったみたいだ。絶好調への復活も近いぞ。「わおーーーーーっつ」。さあ、また頑張るで・・・・・・・!!」





2002年04月15日(月) 鳥の安らかなる死に合掌。

鳥の安らかなる死に合掌。
at 2002 04/15 13:22 編集

とうとう鳥が逝ってしまった。今日の雨みたいに、僕の心も湿っている。火葬にふして、どこかに埋めてやろうと思っている。今、思えば、「キリッツ」と天を見据え、身じろぎだにしなかった、その姿には、すでに、諦念の気持ちがあったのか、それとも、生きようという、執念の表れだったのか、分からない。いずれにせよ、「見事な最期だったね」と言ってやりたい。人間も最期はかくありたいと思うが、どうなんだろう。僕は言葉ではいつも、芭蕉や山頭火みたいに、全国を行脚しながら、旅の途中で「パッ」と行き倒れたら、それが最高の逝き様だと言っているが、はたして、本心はいかなるものか?。「逝きたくない、おかあちゃん・・・・」と、めめしく泣き叫んでいはしまいか。正直なところ、その場に遭遇してみないと分からない気がする。死は死でも、貿易センタービル爆破テロや、パレスチナ人の自爆テロは、あまりにショッキングで悲しいことである。日本の特攻隊員のことを連想させられた。父、母、兄弟、民族、国を思う気持ちは皆一緒である。ただ、方法論的には自爆やテロは許されてはならないことだ。テロの中から本当に良いものがうまれるのだろうか?世界の歴史は戦争の歴史だったかもしれない。21世紀の今、戦争はもう過去の遺物としたいものだ。戦争からうまれるもの。それは破壊、貧困、消滅以外の何ものでもない。それを良く知っているのは、「考える葦」たる人間ではないか。鳥の死がちょっと、僕の心を興奮させてしまった。「冷静に、冷静に・・・・・」。今は、鳥の安らかな眠りに合掌しよう


2002年04月14日(日) ネコと鳥とロボット。

ネコと鳥とロボット。
at 2002 04/14 08:02 編集

昨日、野良猫のシャムが捕らえた鳥はどうも「モズ」ではなかったようだ。インターネットで検索したところ、「キセキレイ」という鳥みたいだ。「セキレイの仲間。体長20センチ程度。背中が黒いセグロセキレイ、顔が白いハクセキレイとならんで、腹から胸にかけて黄色いところからキセキレイの名があります。渓流・河原・水田のあたりに多く、いつも尾を上下に動かす習性があるので、石たたき・庭たたきなどの異名を持っています。チチッチチッと鳴きながら大きな波形をえがいて飛びます。セグロセキレイは、日本だけで繁殖する日本特産種」。
えさも、水辺の昆虫や蚊、ハエなどを食べるらしい。これにはこまった。穀物ではいけないのだろうか?。えさを捕獲する手段がない。やや元気になったようだ。相変わらず、「キリッツ」としたお目目で、上空を見つめている。何を考えていることやら。もう少し元気になったら、近くの土手の河原に放してやろうと思っている。そこなら、野良の刃も届くまい。もちろん、野良以外の危険もあるかもしれないが、運と生命力があるなら、生きていけるだろう。数ヶ月前、愛犬「エル」を亡くしたので、どうも、生き物を飼うことに躊躇がある。そうそう、今日の新聞に、ロボットの実用化の話がでていた。会話ができるのだそうだ。一人暮らしの人たちの話し相手になったり、夜間の警備なんかができれば、役に立つことこの上なしだ。ロボットはエネルギーを注入すれば、何度でも復活できるだろう。そういう意味では、生き物と違った感覚で付き合えるから、良いかもしれない。ただ、新聞にも書いてあったが、クーロン人間だけは歓迎されてはならないだろう。そんな気がする。
とりあえず、鳥が生きていて良かった。


2002年04月13日(土) 野良のシャムが鳥を捕まえてきた。


野良のシャムが鳥を捕まえてきた。
at 2002 04/13 19:39 編集

今日、捨て猫のシャムが、「もず」みたいな鳥を銜えて表玄関へやってきた。雀よりはるかに大きく、カラスより小さい鳥である。多分「もず」だろう。[シャム君よ、家のえさが不味くて、たんぱく質が足りないのかい。わざわざ、口に銜えてここまで持ってきて、見せなくてもよさそうなものじゃないか。僕へのあてつけかい?」。そうシャムに言ってやりたい。かわいそうに、まだ生きているようだ。今から食べようと言うわけか。そうはいかないぜ。「わおーっつ」とネコを追い払うと、「ポトッツ」と鳥を落とした。鳥を抱きかかえてみると、首筋と胸のあたりをかまれて血がでていた。又、片方の羽が、無残にちぎれそうだった。このまま放置すればまもなく息を引き取るだろう。今更、外へ置いておくわけにもいいかない。野良のシャムが目をひからせて、飛び掛る機会をまっているからだ。とりいそぎ、消毒と傷薬を塗ってやり、かごの中に入れて、様子をみることにした。きっと、痛かったに違いない。かごの床でうずくまって、じっとしている。水とパンと、野菜のようなものを入れてやった。真っ黒い真ん丸い目をして、くちばしが少し突き出ている。いやあああ、それにしても、痛々しい。僕はどうも、こういう弱った鳥や動物に接するのは苦手である。必ず復活するという保証でもあれば良いのだが、やがて去り逝くものの姿を見ているときほど、つらいことはないからだ。今日の朝だったから、もう何時間たったのだろう。薬が効いたのだろうか?。今、鳥かごの横木に止まってじっとしている。その姿が実に凛凛しい。「キッツ」と天を見上げた格好で身じろぎだにしない。少なくとも、横木に上ってたっているということは、回復の兆しがあるのだろうか。よくわからない。今日、そして明日、あさって、日に日に良くなってくれば、なんとか自然に帰してやりたいと思うが多分、それは無理かもしれない。今はただ、じっと様子を見るしかないだろう。


2002年04月12日(金) 靴騒動顛末記

靴騒動顛末記
at 2002 04/12 11:50 編集

最近、靴を買った。昔はスリムで細い靴がスマートに見えて好きだった。カモシカの足にあこがれていたからだ。今は、ガリバーやドナルドダックがはいているような、ごつい奴を愛用している。先が丸くて大きい。足を入れたとき、靴先の空間が広いため、足の自由がきいて履きやすいのだ。この靴に関して忘れられない思い出がある。一ヶ月前になるが、例によって、ガリバーの靴でどたどた歩いていたら、どうしたはずみか、片方の靴のかかとが取れてしまった。「ありゃ、へんだぞ。」と、感じながら歩いていた。しばらく気がつかなかったのだ。「どうもおかしい」と、足元をみやると、靴底のかかとがない。後方を見やると。僕のほうを向いて、ちょこんと歩道にすわっているではないか。なんたること。僕はあわてて引きかえし、かかとを拾った。決まりがわるいことこの上なしだ。幸い、往来している人が少なかったので、やれやれである。「さあ、どうしたらよかんべー」と考えながら、片足のかかとを浮かしながら歩いていた。そこで、ぱっとひらめいた。「そうそう、ここは、駅の近くだから、構内の靴修理屋さんがいたっけ」。ぎこちない足取りでさっそく出向いた。開いていた。良かった。拾ったかかとを差し出して、「ボンドかなにかでつけて頂戴」と言ったところ、修理屋さんいわく。「おにいちゃん、こりゃだめだ。新しいかかとに変えなくちゃ。またすぐ外れるよ。」「えええっつ、いくらするの?」と聞いたところ、千五百円くらいだったろうか、取り替えてもらうことにした。「こりゃあ、いい靴だ。サービスで磨いとくよ」ときた。更に「にいちゃん、靴の中敷はいい奴を使わなくちゃ、これが一番いいよ。千円だ」と勧められた。よく見ると、靴屋にあるのとはちょっと違うようだ。なんでも、豚の皮がよいらしい。「ええいい、買っちゃえ」、勢いだ。てなわけで、見事、靴底が復活。中敷は付録だ。両方、今も元気良く働いている。最近買った靴に話を戻そう。実はこの靴も中敷がなかったので、僕はわざわざ、駅まで買いに行った。そこのおっちゃんの言葉が妙に気にいったからだ。「中敷はいいのを使わなくちゃ」。その言葉だ。このおっちゃんは、年のころ60才くらいだろうか。その割には娘みたいにきれいな女房を連れ添っている。二人三脚で商売をやっているわけだ。僕は新調の靴を履いたまま、そこへ出かけ中敷を求めた。僕は何を思ったか、若い女房に靴を履いたまま足を差し出したところ、女房いわく。「あなたみたいなわがままなお客さんは初めて」と言いながら、僕の靴を脱がせて中敷を敷いてくれた。顔は笑っていたから、そう怒っているようではなかった。最初、何で僕がわがままなのか分からなかったが、「ああああ、靴を脱がないで足をさしだしたからか」と気付いた。おっちゃんは笑いながらこの光景を眺めていた。いやはや、僕もどういう神経をしているのか、思わず「あれっつ」ととぼけて笑ってしまった。なんだか、こういう人間関係っていいなああと思う。とんだ靴騒動顛末記でした。


2002年04月11日(木) 祭りと新入社員、どういう関係?

祭りと新入社員、どういう関係?
at 2002 04/11 11:15 編集

昨夜は神社祭の初日だった。ここ数年、行っていなかったので、久しぶりに歩いてみることにした。花見の時もそうだったが、神社の参道の両端には、とうもろこし、イカ、たこ焼き、やきぞばなどの食べ物やさんをはじめ、金魚やさん、おもちゃ屋さん、竹細工やさん、植木屋さんなど、おなじみの店がずらり。いやああ、縁日の日本的風景は絵になる。僕は大好きである。参道横の広場では仮設舞台が組んであり、歌謡ショーをやっていた。年端も行かない子どもが大きなマイクを持って、演歌やら最近の流行の歌をおらんでいた。お見事。腰を振り振り歌う姿は、まさに現代っ子そのもの。僕なんか、上がり性、別の言葉で言えば、自意識過剰で、とても、舞台の上では歌えそうもない。上がらないためには、人という字を手のひらに書いて飲み込んだら良いとか言うが、ふらふらと、めまいを感じ、観客の大きな口にのみこまれてしまうのが 落ちだろう。夜はまだ冷えた。近くの居酒屋へ立ち寄った。ほとんどの席が埋まっていた。部屋では、新入社員や新入学生の歓送迎会みたいなのがあっていた。「一気、一気」という掛け声が聞こえた。あああ、かわいそうに、洗礼を受けている。合掌!!!。そういえば、僕も入社したとき、先輩にたっぷりと飲まされたことがある。もう、しどろもどろで、帰りの電車の中で戻してしまった。こういうときに限って、ハンカチを持っていなかった。僕の真向かいに座っていたオーエルの方が、ハンカチを貸してくれて、処理してくれた。僕は名前も聞かずじまいで、そのまま独身寮へ直行。お礼を言ったかどうかも覚えていない。翌朝、目が覚めると、見覚えのないハンカチが手元にあった。あああ、なんと愚かな僕。「ばかーーん、ばかーーん」と頭を殴ってやりたい。とうとうハンカチは返さずじまいで、今日に至っている。その後、同じ電車に何度も乗ってみたが、あの心優しき女性と二度と再会することはなかった。今だから書けるが、もし再会していたならば、きっと恋の花が咲き、ハンカチがデートを取り持っていたかもしれない。うんん、それは考えすぎか?。ハンカチは別れの代名詞。タオルなら良かったかもしれない。いやはや、おめでたい僕である。今更ではあるが、ふっと思い出したので、この場をかりてお礼を言っておこう。「まだ見ぬ、心優しき人よ。あの時は本当に有難う。今、こやって元気でいるのも、あなたのおかげです。有難う」。
神社の祭りから話が大きく飛んでしまった。


2002年04月06日(土) 友の苦悩・・・・最終章(完)

友の苦悩・・・・最終章(完)
at 2002 04/06 12:34 編集

夜の11時をゆうに回った。そろそろ僕達の帰還の時間が迫っている。しゃなり、しゃなりのママに別れを告げて外にでた。土曜日と言うこともあって、ネオン街はまだ、若者達がうろうろと通りを散策している。「さあ、ラスト一軒、行くか?」と、僕達は歩き始めた。4軒目である。友も特段、不足はないらしく、素直に僕に従った。今まで行ってきた店は、どこも良い印象だったようだ。最後の店として、僕は日本舞踊師範として、昼間はお弟子さんに教え、夜はスナックを経営している姉妹の店へ足を運んだ。かのう姉妹を思わせるような美人達である。もちろんいつも和服姿。これがまたいいんだよなーーー。ここの店は姉妹のキャラクターが受けているのだろう。匆匆たる面々がやってくる。結構、知り合いもできた。特に妹さんは、カナリヤのような美声で我々、ノンベーの気持ちをやわらげてくれる。つまみも、スナック菓子ばかりでなく、手を加えたものもあるから、まーまーだ。友に、是非、彼女の美声を聞かせたかった。目算どおり、彼はすっかりまいったようだ。連れてきたは良かったが、なんと、ここで人生相談を始めてしまった。そりゃあ、僕よりは彼女達みたいな、人生のつわもののお方が、的確なアドバイスもできることでしょうよと、過ぎゆく時を気にしながら、僕も付き合った。時はすでに0時を回り1時近かった。又の再来を誓って、帰還の途に就くことにした。
いろんな思いが脳裏をかけめぐったに違いない。何はともあれ、これで良かったと思った。翌、日曜日は、一人暮らしをしている、母親の元へ、「入れ歯」製作のために帰るのだそうだ。男は、やはり、母親の前では何歳になっても子ども。たいがいのことは、「はい、はい」で済むのだが、愛をなくした夫婦は「はいはい」で済まないから厄介である。無事、帰還した。それから、4時すぎまで、延々、書斎で話し合った。すでに、彼は結論をだしているように見えた。どういう展開になれ、それぞれに新しい道が開けるのであれば、それを良しとしなければいけないだろう。友も彼の女房も、ともどもに幸あれと祈るばかりである!!。(完)



2002年04月05日(金) 苦悩と快楽は紙一重か?

苦悩と快楽は紙一重か?
at 2002 04/05 12:06 編集

楽しい時間はすぐ過ぎてしまう。「わおーーわおーー」と言いながら、ママの手造り料理に舌鼓を打った。「ママの料理はうまいね」と友が言うと、ママいわく、「おいしいでしょう。心をこめているもの」ときた。さすがに、自らの料理をほめるとは、たいした自信である。普通なら、「そう、ありがとう。うれしいわ」ではないのかと思ったが、まあいいか。
そうこうするうちに、時計が10時を回った。さあ、腹ごしらえもできたので、次はナイトラウンジでも行って、ゆっくりだべろうということになった。僕の頭の中には、すでに、「しゃなりしゃなり」のママの顔が浮かんでは消えていた。タクシーで5−6分のところである。ママに電話を入れたら、「空いていますよ、お待ちしています」とのこと。こうなれば、行かなくちゃ。そうそう、井上揚水さんの歌を急に思い出した。「行かなくちゃ、行かなくちゃ、君にーー会いに行かなくちゃ。冷たい雨が・・・・・・」とか何とかだった。見事、車はすべるように店の前に到着。僕と友人はチャペル式の扉を開き、すいこまれるように中に入った。奥のソファーに案内された。ワインでも飲むか、と思ったが、すかさず焼酎を注文。いつものパターンなので、従業員さんも周知のこと。「お湯割りですね」ときた。ピチピチのレディーたちが、「いらっしゃいませ」と笑顔で登場。僕も友も、再度、「わおーーー」の雄たけびを、と言いたいところだが、「ぐっ」と抑えて、静かに会話の世界へ。僕達の会話は、身の上話を皮切りに、よろず話へ展開。何でもござれで結構、はずむ。こういう時は、話題が豊富だと、重宝される。ただ、重宝されることと、もてることは同じではない。僕達はどちらなのかよく分からない。しばらくして、しゃなりしゃなりのママさん登場。ママから、「先生、いつも有難う」と、ぱちくりんと、ウィンクの一つでもされると、もう、でれーーーっと、なってしまう。友も、「ママさんは美しいーーっつ」と、小さな目玉を白黒。彼の苦悩は一体どこへ行ってしまったのか?。すでに昇華されてしまったのか?。まあ、ここは苦悩を語る場所でもない。とことん楽しく過ごすところだ。どのくらい時間がたったのだろう。僕は腕時計を持たないので分からなかったが、ボーイさんが、ローソクをともした小瓶を持ってきた。「時間ですよ」と遠慮がちに言うので、僕はすかさず言った。「僕達はいつも無制限一本勝負だ」ってね。「はい、わかりました」と言うことで、もうしばらくいることにした。
それにしても、「若い」と言うことは最高にすばらしい。僕達も今、隣に座っている彼女達と同じように若い頃があったと思うが、そのころは一様に貧しく、こういう華麗なアルバイトもできなかった。そのうえ、彼女たちほど大人でもなかったような気がする。時々思うことがあるが、今の精神年齢をもって、彼女達と同じくらいに若かったらなあーーーー」と。はかない夢としりつつ、時はどんどん流れていく。彼の苦悩話を聞かないまま、帰宅の時間が迫ってきた。(続く)


2002年04月04日(木) 友の苦悩?苦境?・・・(2)

友の苦悩?苦境?・・・(2)
at 2002 04/04 10:13 編集

友は土曜日の夕方にやってきた。僕はすでに仕事を終えていたので丁度良かった。さすが、歯医者だ。土産は固めの歯ブラシとやわらかめの歯ブラシがどっさり。さらに、家の近くで売っているという地ビールをクーラーボックスに入れて持ってきていた。僕と飲みたかったそうな。僕は嬉しくて涙がちょちょぎれそうだった。変わった瓶に入っていた。珍しいので、中身を飲んだ後、瓶は返すことにした。「さあ、それでは夕飯でも食べに出かけるか」ということで、タクシーを呼んだ。僕の頭にはすでに今日の行動パターンが出来上がっていたのだ。この辺が僕のまめなところ。彼と二人で、ゆっくり杯をかたむけるのは、何年ぶりだろう。いや、初めてかもしれない。まず、僕の行きつけの小料理屋。海の幸で乾杯した。そこへ、カウンター仲間の先輩一見客がやってきた。何でも転勤が決まっていて、明日旅立つそうだ。先輩とは二年くらいの付き合いだったろうか?。忘年会をはじめ、夜の街をさまよったこともあり、忘れられない人である。友もすぐ、意気投合して、あれこれと喋り捲った。しばらくして、先輩は「もう思い残すことはない」と言って席をたった。何故か涙がこぼれそうだった。僕はしみじみ思った。「人生ってやはりドラマなんだなあああ」と。僕達もころあいを見計らって、次の店へ旅立つことにした。きっと友が気に入りそうな店。そう、和服を着ている小柄なぽっちゃりのママさんがいる店だ。一人でやっているが、それはそれは、いつも大流行。事前に連絡していたので、席はちゃんと二つ確保してあった。意に反せず、友はすぐ気に入ってしまった。ママの言ったセリフが心憎い。「あら、ハンサムなお友達ねえ。若いわ」である。「じゃあ、僕はハンサムじゃなくて老けているのか?」と言いたかったが、大人気ないと思ってやめた。まあ、初めての客もそこまでほめられると、すぐ常連になってしまうかも?。ここでも、すでに常連の一見客がいて、僕も友もすぐ意気投合。僕達はどこでも、乗りやすい人間かもしれない。別の言葉で言えば人畜無害の善人ということか。友も別段、苦悩を抱えているようにも見えない。大人だからか?すでに心が固まっているからなのか?。まだ分からない。僕達は時の流れるまま、娑婆世界の空気を吸い続けた。心にわだかまりがあるとはいえ、楽しかった。
(続く)


2002年04月03日(水) 友人の苦境

友人の苦境
at 2002 04/03 16:00 編集

高校時代の友人は何人もいるが、特に親しかった五人組がいる。その中の一人が、何年ぶりかで、僕の家に遊びに来た。毎年、正月に、故郷に残っている友達の家で会っていたので、個人的には、ほとんど会うことはなかった。その彼が、今回は彼のほうから、一泊とまりで、僕の所へくると言う。「へーーー、珍しい、何かあるな」と思っていたが、案の定、身の上相談だった。
彼は年賀状に、いつも、「あああ、自由な時間が欲しいなあ」と書いていた。僕は思ったものだ。彼は女房ともども、歯医者をやっているので「忙しくて、嬉しい悲鳴をあげているな」と。ところが違っていた。無借金経営はさすがに嬉しい悲鳴には違いないが、あまり頑張りすぎて、夫婦の仲が冷めてしまったらしい。これはいかんともしがたい。そもそも、結婚の当初から、彼は女房の実家の世話になっており、順風満帆にやってきていた。まさか、愛より打算をお互いに選択したわけでもなかろうに。経営や帳簿も縁あって、女房の父が見ているそうだ。何でも、女房側におんぶだっこ。愛があれば、「ますおさん」的家族で、それも良いに違いない。サザエさんの家族は、まさに、理想的な家族である。「あなた、ますおさんね」という流行語まで生まれた。漫画の世界とは裏腹に、現実は必ずしも家庭円満といかないところが、皮肉である。彼が、最近、一番「かちん」ときたこと。それは、女房の父、母、そして彼らの子どものいる前で、女房が言い放った言葉にある。「お父さん、聞いてよ。こいつはね、云々・・・・・・・」と。彼は女房から「こいつは」と言われたことに、切れたという。うんんん、どういう状況だったのか、良くわからないが、いかなる状況であれ、「こいつは」はないだろう。僕も切れるかもしれない。ただ、結婚後、そこまで溝が深くなるには、お互いに何かがあったのだろう。今まで家庭内別居をしていたと言う。今からは外に居を構えて通うと言う。「これをどう思うか」と彼は聞いた。「まあ、それも良いかもしれない。完璧に分かれるなら、裸一貫ででなくちゃ、おさまりがつかないだろう。手に職があるから食ってはいけるだろう」と、僕は言ったが。果たしてどうなることやら。
(続く)


2002年04月02日(火) 超常現象はエネルギーか?

超常現象はエネルギーか?
at 2002 04/02 13:30 編集

昨夜は、早々と、書斎をはなれ、テレビを見た。心霊現象や、宇宙人や、超常現象を扱った、たけしさん司会の特番をやっていたからだ。何故かこういう番組には興味がある。例によって、肯定派と否定派が一同に会して、論を戦わすと言う志向だ。両派ともに、個性的な著名人がずらり。大の大人が真剣なまなざしで、喧々諤々と議論しあう姿は、ばかばかしくも思えるが、見ている分には、面白い。
僕は以前も書いたことがあるが、超常現象にしろ、霊魂にせよ、否定派のほうである。確かに未だ、科学で解明されていないことは山ほどあるだろう。だからと言って、霊魂や、宇宙人や超常現象を肯定することにはならない。僕は、霊魂は人間の恐怖心が作り出した虚像だと思っている。脳だって、その半分以上が、まだ働きを解明されていないし、使っていないとも言われている。そういう中で、物事に対する、捉らえ方や、感受性が強い人がいても、いいわけだ。ただ、それは少なくとも霊魂とかいうものではないだろう。答えにはなっていないかもしれないが。又、超常現象で、ロシアから第一人者と言われている人たちが出演していた。彼らは、気というか、エネルギーというか、普通の人とちょっと違った能力を持っていて、それを発揮できる。気の力で人や、物を動かすことができるわけだ。これも、脳の働きと関係があるのかもしれないが、今のところ明確ではない。ロシアから来た11歳の少女は目隠しをして、人が描いた図形等を透視する能力を披露した。これは確かにすごいと思ったが、否定派の僕には完全には信じられなかった。いずれにしても、人間にはまだ計り知れない能力が隠されているのかもしれない。昨夜は面白く興奮した一時を持った。
ああああ、残念だ。でかけなくてはならない。時間との勝負。後30ぷんしかない。
今日はこの辺でペンを


2002年04月01日(月) 花見と金魚すくい。

花見と金魚すくい。
at 2002 04/01 12:29 編集

日曜日、ひょんなことで、花見で賑やかな公園のそばを通った。風にそよいで、花びらが、車のフロントガラスにふりかかる。まるで、雪花びら。道はピンクのじゅうたんで、こちらは花道。祝福されているのは僕ではないかと、思わず錯覚してしまう。公園の中を見やると、それはそれは、老若男女が入り乱れて、ドンちゃん騒ぎだ。アベックらしい若者が、あちこちのベンチに腰掛けて、その光景を眺めている。口には何かをほおばっているようだ。いやああ、本当に幸せで平和な一こまである。街道では、屋台の店が立ち並び、縁日さながらの賑わいだ。僕は何故か、縁日の賑わいが好きである。庶民的というか、日本の情緒というか、義理と人情にもろい日本人の体質にぴったりんこだ。威勢の良い掛け声も聞こえてくる。「フーテンの寅さん」を思い出す。小さい頃、僕の町でも、いろんなお祭りがあった。その頃の楽しかった思い出が、いつまでも心に刻まれ、今に至っている。「金魚すくい」、これにはずいぶん泣かされた。最初の頃は丸い針金のわっかに、障子紙をはったような道具だった。その、今にも破れそうなやつで、金魚をすくうわけだ。これが意外と難しい。金魚屋のおっちゃんが手本を見せてくれるが、さすがにうまい。「ひょいひょい」とかるく数匹をすくい上げる。「おっちゃんの紙は厚く作ってあるのじゃないの?」と、首をひねったものだ。そのうちに、金魚やさんも、文明開化というか、技術革新というか、紙の道具から、アイスクリームにつかうモナカの道具に変わった。このモナカが曲者だ。紙より始末が悪い。几帳面な人はまず、金魚すくいはへたであろう。なぜなら、水に長時間浸して金魚を追い掛け回していると、すぐ、ふにゃふにゃになり、モナカが溶けて、金魚がすくえなくなるからだ。それでも、世の中には器用な奴がいるものだ。モナカをつらぬいた二本の針金に、見事、金魚を乗せてというか、引っ掛けてと言うか、おわんの中へ「ぽーーーん」と放り込むのだ。どちらかというと、おわんが金魚の真下にあるので、まず失敗はない。これを見て、金魚屋のおっちゃん曰く。「それはだめ、金魚をもとにもどしな」である。そこはさるもの、ひっかくもの、おつちゃんの目を盗んで、すばやく金魚を空中にお放り投げ、見事おわんで捕獲。「はいいいっつ、一丁上がり」。見ていた客は何にも言わず、めでたしめでたしである。残念ながら、僕にはこの芸当ができなかった。残念賞として、一匹、網で捕獲して透明な袋に入れてくれる。屈辱だあああ。実は、昨日も金魚やさんがきていた。懐かしく、足を止めて眺めたが、さすがに、金魚すくいは、夏の風物か、花見とはもうひとつマッチしていないようにも思えた。


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