umityanの日記
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2001年10月31日(水) 焼酎で風邪がとんだ。明日は11月。

いやああ、不思議だ。約束どおり風邪気味の体で焼酎とやらを飲んだら、効果覿面。すっかり回復してしまった。というより、一見客の誰かに移したのかもしれない。そういえば僕の隣に座った友が、えらく咳をしていたっけ。昨夜は7時ごろから行きつけの小料理屋へ行った。すでに数人の先客が座敷にいたが、僕たちはもっぱらカウンター。「僕たち」と書いたのはこれからやってくる仲間はみなカウンター仲間だからである。10人程度すわれる。やがて三々五々と顔見知りがやってきた。僕たちは、「わおーー」と小躍りして喜び合う。ママさんは「いらっしゃい」といつものリップスマイル。「かもよ、こいこい」と飴玉みたいに大きな両目が、開いたり閉じたりしている。僕が冗談で「ママ、百円玉の目が笑っているよ」というと、返ってくる言葉が憎いじゃありませんか。「なんということを。ぷん。せっかく言うなら五百円玉にしてよ」。ここでひとしきり大笑い。僕たちはいつも「ほいこら、ほいこら」と、魔法にかかったみたいに、その深い闇の中に吸い込まれてしまうのだ。皆、家に早く帰りたくない症候群なんだろうか。山ノ神がそんなに怖いのだろうか。職業は皆違う。利害が、からまないから僕たちはうまく行くのだろう。「一見客の忘年会をいつすべっか」と言う話になり、11月15日に決定。当、小料理屋の二階に25.6名入る座敷がある。今年で三回目の一見客忘年パーティーだ。ふっと僕の脳裏によからぬ考えが浮かんだ。どおせやるなら、助っ人としてピチピチの女性陣を招待して、マンツウマンでいこうぜ、ということだ。金も相当かかる。僕も僕である。昨年の痛い目をを忘れて、またやろうというのか。まあ、これも僕の性分。人が喜んでくれるなら身銭きっても、やらねばならぬ。とめてくださるな。ということで、今、思案中である。


2001年10月30日(火) 風邪が妄想をうんだか?

見事な秋晴れだが、肌寒くなった。こんなおだやかな秋の日は・・・・・山口百恵さんの「コスモス」でも歌って・・・・と思うのだが、実は2・3日前から風邪気味である。情けない。この僕が風邪を引くなんて。自信があった体も昔みたいに頑強ではなくなったのか。そういえば昨年も同じ頃、風邪を引いて、そのまま、ほったらかしにしていたので、肺炎の一歩手前まで行った。おかげで昨年の12月にはタバコを止めるという快挙をなした。そのことが功を奏して美声は復活するし、食事はおいしいし、絶好調の日々を得てきた。反面、腰周りがでかくなり、上等のスーツがきつくなり、もったいないことになった。このことは不幸といわなければならない。今、ダイエットの茶を飲んでいるが、これが結構良いみたいだ。少しずつではあるが、腰周りがゆるんできた。昼休みが終わった。すでに朝食兼昼食はすませている。午後は、もうひとふんばりして、夜はアルコールで、風邪でなまった体を消毒しようと思っている。うんんん、これはいけないことなのか。罪なことなのか?。「あなたの体だもの。好きにすれば」という声が聞こえてきた。「わおーーーーん。誰も僕の体をいたわってくれないのか。ようし、今日は暴れて飲んでやるぞ」と。僕も、相変わらず、能天気のとっちゃん坊やである。まあ、これがストレス解消なら、それもいいだろう。ただし、僕には日ごろから、とりとめてストレスはない。「能天気のあんぽんたん」にはストレスなんてないのが当たり前だからだ。
この辺でやめておこう。「くだくだ言ってばかりいては、美男がだいなしよ。女性にも、もてませんよ。」。ばあやの言葉である。「はい。ばあや。そうします」。僕は夏目漱石の「坊ちゃん」で、ばあやは、僕の身の回りを世話してくれ、あれこれと心配してくれる「おきよ」さんである。ところで、おきよさんてどこにいるの。?
あれっ、風邪にうなされた僕の妄想だったか。あな恥ずかし。


2001年10月29日(月) ブラックホールは腹をすかしたクロコダイルか。

ああああ、もう10月も終わりを迎えようとしている。とにかく今月は行事が盛りたくさんで、精神的に疲れた月である。仕事は不愉快なこともあったが、そこそこうまく行ったと言ってよい。結構、飲んではめもはずした。それでも心が晴れないのは何故だ。うんんん、何だろう。不景気、戦争、人心荒廃。よく分からないが、それらの複合が、大きいとはいえない僕の心を傷つけているのだろうか・・・・・・・。
そうそう、昨夜はブラックホールの特集番組を見た。文字どおり、黒い穴だ。光でも何でも吸い込んでしまうという巨大な化け物。そのブラックホールが銀河にはたいてい一つずつあって、どんどん成長しているのだそうだ。怖いこと。なんでも、最初のころは「たらふくまんま」ではないが、近くを通ったやつがいると、手当たり次第に飲み食いしてしまう。腹をすかしたクロコダイルの貪欲さに似ている?。ブラックホールとクロコダイルは比較にならないが、なんとなく言葉の響きが同じみたいだ。やがてお腹が一杯になると、休止期間に入る。奴も生きているのだ。お腹一杯で眠くなったか。今、地球をふくむ天の川銀河は休止期間中らしい。しかし、後、何十億年かすると、成長しあった天の川銀河と、アンドロメダ銀河は合併、おーーのーーー。会社の合併ではなかった。二つの銀河は合体して、一つの銀河が生じると言われている。その際、また無数の星が誕生するそうだ。
合体した銀河の周りに見える星星は、今、見えている星星とぜんぜん違ったものになる。僕がそのとき生きていたとしたら叫ぶだろう。「あれええ、昔、見ていた星とぜんぜん違うぞ。昔の星達はどこへ行ったの?」ってね。
ブラックホールの研究はまだ始まったばかり。この研究が進めば、ブラックホールの役割や、宇宙生成のなぞが解き明かされることになるだろう。悲しいかな。そのときまで僕は生きている術もない。おーーーまいーーーーごっど。僕に永遠の命を!!そして、宇宙に無限の輝きを!!。心はすぐれないと言いながら


2001年10月28日(日) シュワチャン、最高!!!

昨夜はターミネーター2をテレビで見た。何度みても面白い。頑強な肉体を持ったアーノルドシュアルツエネーガー主演の映画である。何故か、アクションやらカンフーの強い人にあこがれてしまう。ジャッキーチェンやらブルースリーもそうである。男は虚構とは分かっていても皆、強い彼らに憧れをもつのだ。あの切れの良い格闘シーンで戦っているのは、いわずもがな、主人公と一体となった僕自身である。勧善懲悪の世界で、必ずや正義が勝つことが、分かってはいても、勝つまでにはいろいろと苦痛にあえぎ、涙も流さねばならない。そして最期に正義が美酒に酔うのだ。わおおおおお、たまらない。願わくば美女のお酌を!!!。それは脱線と言うもの。調子にのってはいけない。
昨夜の映画は、近未来を救う少年を守るためと、少年を抹殺する目的をもって、近未来から送り込まれた二人のサイボーグが激しいバトルを展開する内容である。一方はアーノルド演じる初期型のサイボーグ、かたや、最新型のサイボーグ。まともにやると、当然新型が強い。ただ、心を学習しなかったのが悲劇だった。アーノルド演じる旧型サイボーグは主人である少年との会話を通して心を学習した。人間の笑いや涙の意味を理解したのだ。かたや、銀と鉛の合金みたいな物質で出来た新型サイボーグは冷血、卑劣、他人に化けるのが得意な変態みたいな奴である。何度も再生して、ハイエナみたいに追ってくるのが憎いではないか。いい加減にしろよと言いたくなるが、スクリーンの世界では仕方がない。最終的には心の差が勝因と敗因を分けたと言って良い。僕はそういう風に理解した。最期のシーンは涙無くしてどうして見れようか。アーノルドはサイボーグの駆動チップをもっているため、そのことが近未来の人類に破滅を生じさせることになると告げ、みずから、命をとかす液体の海のなかに沈んでいくのだ。液体の中から最期に突き出た親指が印象的だった。その姿を涙で見送る母と息子。さすがにアメリカ版映画である。泣かせるぜ。秋の夜長、こういう映画を堪能できる僕って幸せ者なんですね。


2001年10月24日(水) 久しぶりの兄弟けんか

久しぶりに兄弟けんかをした。離れた場所で暮らしていると、兄弟でも考え方は、まるっきり違ってくる。「あれっつ、場所ってかんけいあったっけ」。とりあえず、お互いに自説を譲らないので、しまいには,興奮して、「もう絶交だ。兄弟の縁を切る」というところまでエスカレートしてしまう。一般的には弟が兄をたてていれば何も問題はないのだろうが、何故かしら、兄の考え方にじれったさ、「しっとではない」、を感じて、つい反抗してしまうのだ。母にしてみれば、どちらの側にも立ちようがない。ただ、最終的には墓を祭っていく長男を援護せざるをえないようだ。おまけにスープのさめないところに住んでいりゃ、かわいさも百倍だろう。こう書くと、次男坊に生まれ、遠方に住むわが身をひがんでいるように見えるかもしれない。正直、そういう面がないわけでもない。兄はいつも我が先祖の代表として、周りから見られ、それなりに、権威というか、威厳をもって生きていかなくてはならない。僕には権威も威厳もないが、親せき付き合いとか、いろんなしがらみから解放され、悠々と生きられる。果たして、どちらが良いとか悪いとか、比較はできないが、古い慣習を残した日本的家族制度の是非を思わざるを得ない。時代は変っても、まだ長兄さまさまである。
たとえ兄弟でも、他人のはじまりというし、親子以上に深い絆でむすばれた兄弟だっている。千差万別である。今、僕は悲しいかな、兄とはしばらく口も聞きたくない。あとで、僕に謝りをいれてきても知らないぞ、という心境である。兄もそう思っているかもしれない。これって、本当は仲がいいのかも。
いけない、いけない、妥協を許してはいけない。これが兄との永遠の別れになろうと、僕は折れるつもりはない。僕も相当に、かたくなな頑固者だ。


2001年10月11日(木) サンマを食っている場合ではない。

今年の10月がこんなに忙しくなるとは夢にも思っていなかった。おかげで、日記も一週間ばかりご無沙汰である。仕事が山のようにつかえることは嬉しいことだが、それと併行して私的行事や飛び込みの雑用などで大童。オーマイゴッド・・・・・・。今は機械的に日程を消化していくしかない。見渡せば、戦争、戦争で、世界は揺れ動き、日本はデフレによる深刻な不況にあえいでいる。21世紀に未来はあるのだろうか?。ほんのひと時の憩いを求めて、最近、ボスと、とある居酒屋でサンマの塩焼きを食べた。焼酎の魔王と一緒に飲み食いした。こんなに美味いサンマが今後も食べられるだろうか?。ふと不安になった。アフガンでは難民の人たちが、あえいでいるのに、サンマの話など不謹慎かもしれないのでやめておこう。テレビで太陽系のことをやっていた。なんでも、太陽系に巨大惑星が二つまではいいが、それ以上存在すると、引力のバランスがくずれて円軌道が楕円軌道になったり、惑星の軌道がめちゃめちゃになるそうだ。地球を含む太陽系には木星と土星の二つしか巨大惑星はない。幸いかな。この、二つの巨大惑星が地球の外側を回ることにより、地球は無数に存在している宇宙塵や、小惑星や彗星の衝突から免れているという。木星、土星さまさまである。この二つの巨大惑星以外に第三、第四の巨大惑星が存在したら、今の地球はなかった。地球の軌道はへんてこになり、太陽の灼熱の炎に飲み込まれている。生命体が生じることはまずなかっただろう。こう考えてみると、太陽系はまさに、宇宙の奇跡がうみだした特異領域ということになる。以前、書いたことがあるが、地球は知的生命体が存在する唯一の孤独星なのだ。その地球で人と人が殺りくを行っている。知性を持った高度な生命体が何故、互いに傷つけあわねばならないのか、よく分からない。宇宙は無限であっても我々の命は無限ではない。死したらそれでおしまいである。今、悲しい戦争が勃発している。人が人を殺しあうことにいかなる正当性もないだろう。はやく、世界の平和が実現し、この孤独星をもっと、かけがえのないすばらし星に変えられるのは、人間の英知だけでしかありえない。21世紀に生きる子孫のためにも、はやく世界は均衡と平和を取り戻さねば成らないと、念ぜずにはいられない。





2001年10月03日(水) 僕は一体何をしていたのか?

ここしばらく日記を書いていなかった。ふっと考えてみるともう10月に突入。僕は一体何をしていたのだろう。ただあわただしく、日常に埋没していたようだ。世界は戦争の危機で緊張しているし、景気は一向によくならない。僕はため息をつきながら、がむしゃらに働き、出て行くばかりのお金にため息をつき、きれいでもない両手をじっと見ている。「とほほ」。何か良いことはないものか?。そういえば女子マラソンで高橋尚子さんが1時間20分の壁を破る世界最高タイムで優勝した。画期的なことだ。それにしてもカモシカみたいな細い足と体で、どうしてあんなにも力がだせるのだろうか?。不思議である。彼女はまさに、アイアンウーマン(鉄の女)である。反面、ひょうきんな一面もあり、好感のもてるレディである。そうそう、去年、高橋尚子さんに届かない手紙をかいたっけ。「願わくば、僕の恋人になって」とかなんとか。「世界のアイドルをたぶらかすなんて、とんでもない奴」と、袋たたきにあいそうだ。それにもう一つ、心を打つ出来事があった。長さんこと、長島茂雄さんが、ユニホームを脱いだことだ。「ご苦労様でした」と心から叫びたい。暗い日本の世相に明るさを与えてくれたのは、長島さんだった。あの独特のユーモアあふれるしゃべり方は、多くの人に愛された。ユニホーム姿が見れないのは残念だが、こんどは野球の解説で楽しませていただけるだろう。さああ、今日もあくせく労働にはげもう。


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