umityanの日記
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2001年09月24日(月) 山頭火と僕。あまりの違いに驚く。

秋もすっかり深くなり、過ごしやすい季節になった。食欲の秋、読書の秋、旅する秋。僕はどんな秋がすきかな?。やはり旅する秋かな?。旅の秋と言えば、昔、山頭火は短歌をこしらえながら、あちこちと放浪の旅をした。最近、母から聞いた事なのだが、山頭火が、実家の近くの旅館に投宿したそうだ。短歌も一句詠んでいるらしい。山と海にかこまれた出湯の地をいたく感動して、できるならずっといたい場所と言ったそうだ。僕には初耳だった。僕も血気盛んな頃、山頭火みたいな生き方がしたいなあと思い、詩までこしらえたことがある。
駄作で恥ずかしいのだが、記して見よう。
       旅
   君は旅が好きだろうか?
   頭に網代笠、ワラ草履をはいて
   手に鈴と応量器を持ち
   ひたすら世界を巡り
   愛を語ろう。

   疲れたらひと時の憩いを持とう。
   差し入れられた握り飯をほおばって
   荒れた御堂をねぐらにしよう。
   みなぎった僕の熱エネルギーで
   冷え切った君の体をあっためよう。
   
   旅の果て、僕は死を迎えるだろう。
   細胞の一つ一つに思い出を残し
   まだ閉じぬまぶたの中に
   しずくに宿る君の顔を見るだろう。
   愛と悲しみに満ち満ちた君の顔を。

僕は、旅に出るなら一人ではないほうがいい。
何故って淋しいからだ。昔、よく思ったものだ。僕を愛する女性と二人で、托鉢をしながら世界中を歩く。愛のすばらしさを説きながら。真剣にそう思ったことがあった。ところが、「いまどきそんな女性なんているものね。おばかさん。疲れたら温泉宿にとまり、ご馳走をほおばる。それが本音でしょう?」と、どこかの飲み屋のママさんたちに言われてしまった。いやまいった。まいった。本当はそうしたいのかもしれない。ましてや連れの女性も、僕が行き倒れると、「あなた、ようやく逝ってくれたわね。嬉しい。わおーーー。わたしもやっと解放された」とマジで思うかもしれない。おおお、残酷。こんなことを考えるなんて、僕もすっかり社会の毒に汚染されてしまったのか。あの、純粋だったころにもう一度戻りたい。「ピュアソウル」を演じた永作博美さんの笑顔を思い出しなさい。どこからかそんな声が聞こえた。彼女の笑顔に偽りはないだろう。


2001年09月22日(土) 魔王で小悪魔と小トラに変身

昨日はボスと二人で久々の研修旅行。去年も受けたので、今年はその必要はなかったが、まあ、勉強ということで、出かけることにした。都会に行くのは大阪以来である。最近、電車に乗る機会が多い。電車も快適である。時間にゆとりがあれば、飛行機よりいい。特急電車で小一時間の旅であった。僕たちは研修開始の30分前に会場に到着した。昨年と同じ場所。それにしても受講者が多かった。150名はいただろうか。一万二千円の大枚を払っているので、真剣に受けようと思っていたが、ボスも僕も半分は眠っていたようである。四時半に研修が終わり、見事、終了証を入手。ちょっと早いが、駅の地下街の居酒屋でちょっぴりやることになった。これも二人の楽しみのひとつである。珍しい銘柄の焼酎が並んでいた。ボスと僕は、6対4のお湯割りで、それぞれの焼酎に挑戦することにした。値段はコップ一杯で、安いのは250円。一番高いので700円であった。いやああ、5杯はのんだだろうか。一番最後に700円の魔王という銘柄を飲んだまでは良かったが、ボスも僕もすっかり酩酊。小悪魔と小トラの二人連れに変身してしまった。一時間半ばかりいて、よくだべり、食べ、「もうよかんべーーー」と、血走った目を、きょろきょろさせながら、帰りの電車に飛び乗った。特急の自由席だったが、幸い席は確保できた。ここでも二人でべらべらしゃべり、周りは迷惑だっただろう。
故郷の駅に着いた。「この静けさはなんだ。えろう田舎じゃのう」と、ボスが淋しそうにつぶやいたので、「賑やかな所へ行きまっか?」ということで、再び馴染みの小料理屋の暖簾をくぐった。僕の席の隣に、えらいきれいな女性が来ていた。なんでも、学校の先生らしい。あああ、僕は酔ったいきおいで、なんやらかんやら話し掛けたり、説教したり、「きれいですね」と言ったり、どうも嫌われてしまったようだ。その後、また何件かはしごしたらしい。すみません。記憶が定かではありません。「僕ってなんて愚か者」。おおいに反省している今日の僕。朝から頭があがらない。土曜日だったので、仕事はなかったが、情けないこと。反省、反省の一日でした。さあ、明日は早起きでガンバ。ガンバ。こういう姿は、いとしのメーテルには見せたくないなあ!!。



2001年09月20日(木) 「きつねのかみそり」ってなあああんだ?

今日から秋のお彼岸。春は17日から彼岸に入ったが、秋は20日からである。彼岸には太陽が真東から出て真西に沈む。西には西方浄土と言われる理想世界があり、亡くなった人たちが彼岸(理想世界)に到達出来るように、供養を行うわけである。昔は母や兄弟たちと山の頂上付近にある我が家の墓場まで出かけ、きれいに清掃してお花を供えたものだ。僕たち兄弟は当時、彼岸の意味さえ知らず、山に登るのも遊びの一つだという単純な気持ちしか持っていなかった。ただ、母は毎年毎年、欠かさず仏や神さんの世話をやっていた。先祖を大事に守ってきた、そして今も守っている母の姿にあらためて頭がさがる思いである。道すがら真っ赤な彼岸花が一面に咲いていてきれいだった。さわると毒があるといわれ、怖くてただ眺めるだけ。彼岸花を「まんじゅしゃげ」ともいうそうな。早速、辞書で調べてみた。梵語で「天上の華」の意だそうである。驚いたことに方言がたくさんあった。実におもしろい。「まかまんじゅしゃげ」、「てんがいばな」、「とうろうばな」、「ひがんばな」、「かみそりばな」、「きつねのかみそり」、「しびとばな」、「ゆうれいばな」、「すてごばな」、「すてごぐさ」。どれもこれも、素敵な名前には思えない。やはり毒があるからなのだろうか?。ただ、毒はあっても、あぜ道や、どてに咲いている姿は、「名もなく貧しく美しく」と言うわけにはいかないが、なんとなく、心引かれる花である。彼岸的行事は世界のいたるところで違った形で、営まれているとおもう。ただ、平和な世界で、おごそかに営まれる行事であって欲しいものだ。戦争とかテロとかない世界で。


2001年09月18日(火) 誕生日−−めでたくもあり、めでたくもなし。

9月も半ばを過ぎた。娑婆世界の喧騒とは裏腹に、秋晴れのおだやかな天気が続いている。やがて僕の誕生日がめぐってくる。昨年も同じことを言っていたようだ。いまさら、誕生日なんて、ちゃんちゃらおかしいが、歳をとるということは、なんとなく、めでたくもあり、めでたくもなし。どちらかというと、本音はめでたくない方である。若いうちはカップルでケーキをなめあって、ワンドリンクを二本のストローで飲みあうなど、楽しくめでたいのかもしれないが、僕ぐらいのミドルエイジになると、ケーキでもなかろう。「そういう経験がないからジェラシーを感じているのか?おまえは」と、どこからかそんな声が聞こえるようだ。まあ、酢だこを魚に1杯、ひっかけているほうが性に合っているような。昨年は、ゴマ焼酎のボトルを2−3本、「誕生お祝いよ」といただいた。仲間とおいしくいただいたが、ロハで飲む酒って、あっという間になくなるし、また、ボトルがなくなった後の値段って高くなるような、ならないような。「あああ、やだったら、やだね」。歳をとると、疑い深くなるし、夢もロマンもなくなるのか。淋しいものだ。誕生日のことはこのくらいにしておこう。今、世界はとんでもないことになろうとしている。テロリストとアメリカの戦争。一触即発の状態である。さらには、株の暴落による世界恐慌の危機。21世紀元年に、このような非常事態が訪れるとは誰も夢にも思わなかっただろう。何とか両方とも回避できれば良いのだが、テロによって奪われた罪のない人々の命を考えたとき、衝突の危機を回避することは難しいだろう。たとえ、宗教や信条が違うとは言え、平和を求める心は同じだと思うが、培われた憎しみと怒りを消すことは出来ないだろう。ただただ悲しく思われる。
勝手な利己主義かも分からないが、少なくとも、僕の誕生日は平穏に過ぎて欲しいと願うばかりである。


2001年09月17日(月) 2000年の歴史の反省

何か書こうと思っても、叔母の死のことや、テロによるビル崩壊の衝撃的シーンが思い出されて、日記を書く気になれないでいた。連日、徹夜で人命救出のため、瓦礫の搬出作業が続けられているが、まだ随分と時間がかかるようである。それほど、大きな惨劇だったことを物語っている。瓦礫の下には行方不明となっている無数の人たちが救出を待っている。一刻も早く救出されんことを願っている。
僕は今、何も出来ないでいるが、世界のあちこちからはボランティアの人たちが駆けつけて、手伝っているらしい。人々の心ってこんなにもあたたかいのだ。テロとか戦争がおこるのが不思議なくらいである。災難時に縁もゆかりもない人間が無心に助け合う。この精神が残っている限り、人類の滅亡なんてありえないだろう。
テレビでは色々と、有識者の人たちが意見を述べている。身につまされるような意見ばかりである。確かに客観的に情報を分析することは大切である。ただ、悲しいかな、我々は、この戦争を止めることが出来ない。人間のどんな深い英知をもってしても、今回の無差別殺りくを許すことができないからだ。神は「罪を憎んで人を憎まず」と言う。本当にそうであるならば、我々は2000年の歴史のなかの幾多の過ちを、謙虚に反省しなければならないだろう。もう、その時間も残ってはいないのだが。


2001年09月14日(金) 僕はジュニア、それともシニア、はたまたミドルエイジ

最近、友人から仕事を頼まれた。何でもシニア、それも60歳以上を対象にしたNPO法人をつくりたいとのこと。「へーーーー、ところでシニアをいれてどんなことををするの?」という会話から始まって、結局、引き受けることにした。予算も皆無とのことで、「ボランティア」を期待して僕のところへ来たのだろう。この仕事ははじめての試みであったが、要件さえみたせば基本はどれも一緒。引き受けた以上、プライドがあり、早速、朝からとりかかり、夜の9時ごろまでかかって一日で書類を仕上げた。ほとんどたたき台が出来ていたので、実は以外と楽であった。分からないところは、さすがにインターネットの検索。あちこち探すと、でてくるわ、でてくるわ、痒いところに手が届く情報の山。世の中には親切な人がわんさといる。ありがたや。ありがたやである。まわりから、「日ごろになく真面目に仕事をやっているね。大丈夫?」と心配されたが、こちとらはプロ、何も心配される必要はない。さすがに疲れたが、まあ、自分でも頑張ったと思う。仕事をしながら、「日本のシニアも幸せだぜ」と、ふっと思った。いくら齢を重ねたからといっても、ただ生きているだけでは、意味がないだろう。やはり、「生きがい感」を持っていきてこそ、充実した人生というもの。その手伝いを友人はしたいというわけである。発起人の顔ぶれをみるとそうそうたるメンバー。僕の出身大学の名誉教授が発起人の代表である。そういう事情も仕事を引き受けた一つの理由である。僕自身が会員になるかどうかは、今、思案している。時々思うことだが、日本は、あまりに組織とか、何何会が多すぎる。いつも寄ってたかって何かをやっている。もちろん一人ではまとまった何かをやろうとしても出来ないので、仲間が集まってするのはいいことではあるが。それにしても、多すぎるのではないか?。「人間って淋しい動物なんですよ。あなたはまだ、お若いから、それがわからないのよ」。どこかの、おばさんから、言われそうな言葉である。ジュニアであれ、シニアであれ、もっと組織やら会を選択して、本当に自分のやりたいこと、ためになることに限って参加すべきだろう。「余計なお世話」と言われそうであるが。そういう僕だって、実は淋しがり屋のミドルエイジなんです。何のこっちゃ。笑っちゃいますね。


2001年09月13日(木) 悲しい現実--テロで世界が救えるか?

時だけがあわただしく過ぎて行く。その間、いろんなことがあった。叔母の死と回りの葛藤。狂ったように仕事に邁進する僕の姿。珍しいことである。これらはまったく個人的なことだが、戦慄を覚えるような事件がアメリカで起こった。テロによる大量殺りくである。くしくも、アメリカを象徴するビルディングや、政府の機関に民間機が突入した。偶然ではなく故意にである。相当数の死者が出た模様だ。一体誰がこういう事態を予測しえただろうか。一般人を道ずれに死のダイビングをやらかしたテロリスト達。彼らを絶対許すことはできない。アメリカはこの実行組織を洗い出し、必ずや報復するだろう。たとえ、血で血を洗うことになっても、テロには絶対屈しない。この固い決意がなければ、国は秩序を失い崩壊してしまうからだ。地球に生きる同じ人間同士であるのに、何故、殺しあうのか?。民族間の戦争は、そのほとんどが宗教に名を借りた利権の争いである。人種や宗教が違えば他を排他的になるのは、やむをえないことなのか?。「なわばり」を守る。あるいは広げていく。これは動物社会がかかえる本能的所業で、人間も同じなのか。少なくとも、人間は考える葦であり、社会的動物である。よくこう言われる。頭ではわかっていても、いつも生と死の境を生きている人間にとっては、そういう理屈はいらないのかもしれない。[生きるか、死ぬか」、それしかない。生きるためにはテロも必要。これが彼らの理屈かもしれない。世界にはまだ、この両極端でしか生きていけない、悲しい現実があるのだ。そのことを認識しなければいけないだろう。ただ、人間の英知と勇気で、一日も早く、民族間の対立が解消されて、平和な世界が構築されて欲しい。テロもない平和な社会が。世界中の人がそう願っているはずだ。


2001年09月09日(日) 叔母の死・・・・2

叔母は一生、独身だった。どういう理由かはわからない。本当は結婚したかったのだろうか?。多分したかったに違いない。ただ、母親とずっと二人暮らしで、生計を支えてきた。母親が亡くなったときには30歳をゆうに過ぎていたので婚期を逸したことも、結婚しなかった一つの理由かもしれない。今となっては、それはどうでもいいことなのだが。
明日大阪に旅立とう。今日行きたかったのだが、明日午前中にどうしてもはずせない仕事が入っている。僕の仕事も因果な商売である。親の死に目にだって会えないかもしれない。まあそれはそれとして、明日は既に火葬にふされた叔母の遺骨の前で、ただ、たたずむことしか出来ない。遺骨の前に飾られた叔母の写真を見て僕は何を思うだろうか。一言、「ごくろうさまでした」と言ってやりたい。叔母に対するねぎらいと、永遠の別れの言葉である。みずからホスピス病棟での余生を希望し、僕が見舞いに行ってから、わずか二ヶ月でこの世を去った。人の死って、本当にあっけないものだ。戦って死ぬもよし、戦わず自然の死を待つのもよし。いずれを選択しようとも、本人の意志で最後を決定できたことは、叔母にとっては本望だろう。僕も自らの死は自らで決定したく思っている。ただ、ホスピス病棟は、僕にはふさわしくないようだ。僕は、どこかで行脚しながら、満天の星空を眺めながら逝きたいと思っている。
人は死んだらどこへ行く?恐らく、まとった肉体を捨てて、宇宙をさまようことになるのだろう。そのとき意識があるか否かは分からない。
何もないと考えたほうが自然かもしれない。そんな気がする。




2001年09月08日(土) 叔母の死・・・・1

叔母が亡くなった。父の義理の妹である。ずっと関西に住んでいた。時々、実家で法要があったときなど、会うことがあり、ひょろ長いスマートな叔母さんと言う印象を持っていた。その叔母がしゃべる言葉を関西弁というのか、大阪弁というのか知らないが、とても変というか、おもしろいというか、奇異に感じたものである。僕の母に「おねえちゃん、そんなことせんでええわ」、「ほんまに」、「気いーつかわんといて」、「行かれへんわ」、「ほんならよろしう頼みますわ」とか、自分の父、母のことを「おとうちゃん」、「おかあちゃん」とか言っていた。まだまだ他にもたくさんあるが、思い出せない。僕は言葉には出さなかったが、子供心に「何か変」と思っていたようだ。その後、叔母とは何回も会ってきたが、叔母の付き合いはもっぱら母とのことが多く、僕たち兄弟はそれぞれに遠くから眺めていた。
叔母の趣味は書道だった。昨年入院するまで、ずっと教えていたし、また先生について勉強もしていた。以前、日記にも書いたが、そんな叔母が僕に書道を習うことを勧め、僕も一時的にこちらで習っていた。叔母は書道の本やら、道具まで用立ててくれて、僕も引き込みがつかなくなり、仕方なく習ったというのが真実である。そんなわけで出席率がわるく、見事に破門されてしまった。叔母は恐らくそのことを知っていたのだが、僕には一言も言わなかった。今、叔母の好意を無駄にしたことを後悔している。続く


2001年09月07日(金) 久々に興奮しました。

子供のいない夫婦がどうしても子供が欲しくて、外国の女性に代理出産を依頼し、見事に子供が生まれ、幸せに暮らしているというテレビ番組を見た。日本ではまだ代理出産にたいする法的措置が、まったくと言っていいほど講じられていない。従って、今のところ、外国で事を運ばなくてはならない。つい最近、日本でも、代理出産の事例がマスコミをにぎわした。この事例により代理出産に対する考えが、やや前進した感があるが、まだまだ道のりは遠そうである。僕は代理出産は賛成である。ただ条件として、生まれた子供が、その後、幸せになれるという保証が確約されねばならない。双方の親たちのエゴで子供の幸せが奪われてはいけない。そういう意味での法制化は是非とも必要である。現状、今の日本では、代理出産を望む夫婦もいるかと思えば、天からの授かりものである子供を虐待して死に至らしめる夫婦もいる。なんと言う皮肉であり、悲劇だろうか。子供の命を、親のめぐり合わせが悪かったという単純な言葉で片ずけることは出来ない。子供は望まれて生まれてこそ、幸せになる権利があるというのだろうか?。避妊の失敗とかで、望まれず生まれた子供は、幸せになる権利はないというのだろうか?。望まれていなければ、虐待を受けても仕方がないというのだろうか?。望まれていない、愛されていない子供は単なる道具であり、ペットと同じと言うのだろうか?。人間の大人が自分のエゴだけで生き、宿った命、生まれた命が、いかに尊くて、得がたいものであるかということを忘れたとき、悲劇は起こるのだ。たとえ、知能はすぐれていても、そんな人間は、犬畜生以下である。悲しいことである。動植物の社会では、強い子孫を残さんが為に、オスは格闘し、強者がメスと交わる。メスも強いオスの子孫を残したいと考えている。生まれた子供を親は身をもって守り育てるではないか。これらの行動は子孫を残す為の本能的行動かも知れないが、人間もこれらの本能を持つと同時に知性、理性を持った社会的動物である。犬畜生以下であっては当然いけない。もちろん人間の親も、そのほとんどは、愛情も豊かで立派である。ただ、マスコミで子供虐待のニュースを聞き、最近虐待の事例が増えていると聞くと、居たたまれなくなる。どこに、21世紀の豊かな社会が望めると言うのか。僕は死刑賛成論者である。「目には目を歯には歯を」である。これくらいの荒治療をしなければ、おごり高ぶった人間の目を覚ますことはできないだろう。何故か久しぶりに興奮してしまった。このへんでやめておこう。


2001年09月06日(木) 秋雨の降る今日は絶好調

昨夜から秋雨前線とやらで、こちらは水浸し。今日も終日、雨。こんなことなら、あの暑い夏の真っ盛りに降ってくれたら良かったのにと思う。「人間って本当に勝手なものだなあ」。思わず一人笑いをしてしまった。ただ、僕は雨は好きである。もちろん暴風雨は例外。しとしと降る雨はどことなくロマンチックで、「これなら濡れていこう」ということになる。まず、僕は傘を持ってでかけない。というより、いつも車のトランクには一本はいっているのだが、土砂降りの日以外は、この傘が外にお目見えすることはない。とりあえず、「備えあれば憂いなし」ってとこである。今日は、霧にむせぶ山道をクライアントの事務所を目指して走った。たわわに実った柿が、車窓に迫る。「あれは甘柿か、渋柿か?僕に食べてもらいたいのか」。ふっとよからぬ考えが頭をよぎった。山って本当に気持ちがいい。空気がきれいで、緑が目に優しい。これから日増しに紅葉がすすみ、「枯葉散る夕暮れは・・・・・・・」とかなんとか、誰かさんの歌にあったシーンとめぐり合うことになる。今から楽しみである。仕事がうまく行ったときは、今日みたいに、「人生ってたのしいなあ。この季節は最高」と、ひとりで小躍りするのだが、一旦、つまずくと、「人生って悲しいなあ。はやくこの季節が過ぎて欲しい」と、肩を落として、当り散らす。人間だから、こんな喜怒哀楽がもてるのだろう。僕はこんな自分が好きであるし、人間で生まれて来たことに、本当に感謝したい。願わくば、生まれ変わる時も、人間でありたい。生まれ変わりがあるのか、ないのかは知らないが。絶好調の今日でした。


2001年09月05日(水) 砂漠を生きる像たちに感動。

先日、テレビのドキュメントで、砂漠を生きる像たちの姿をカメラが追っていた。彼らは年長の母親をリーダーとして、家族単位で水と食料を求めて砂漠をあちこち移動する。見ていて本当に過酷な旅である。リーダーを先頭に、小さい小象を群れの中に入れ、守りながら進む。干ばつが続くと、水や食料を確保することが難しくなる。そんな時、リーダーは経験からどの方向に行けば水や食料にありつけるか知っているのだ。実に頭がいいし、また愛情も豊かである。小象が死んだとき、一族は皆、小象の周りを取り囲み、悲しげに鼻を上下に揺らすこと数回。これは彼ら流の別れの儀式なのかもしれない。いたく涙を誘ったのは、老像の死に直面したときである。一緒に移動できなくなった年老いた像は、群れから離れ、一人でもと来た道を引き返し、死の場所をさがす。やがて大きな巨体を横たえ静かに死んでいく。自然がいかに過酷であろうと、自然と一体となって生きている姿は何故か尊く、崇高で畏敬の念さえ感じる。今の欲にまみれた人間の姿とは大違いだ。像のオスは群れから離れて単独行動をしているみたいである。繁殖の時期になると、オスが、あちこちからやってくる。オス達の力比べが始まる。彼らは立派な角を持っているが、ほとんどその角で相手を傷つけることはないそうだ。この本能的態度は立派だ。体が傷ついた象は生きていけないということを彼らはよく知っているのだ。力比べは、鼻と鼻をぶつけ合い体力で相手を押す、押し相撲に似ている。勝った像がメスとの交尾に及ぶわけだ。どちらかと言えば動物社会のなかでも、穏やかな部類に入るのだろうか?。昨今、地球の温暖化がしきりに、叫ばれている。そのことにより、生態系が大きく変化しようとしている。像たちが砂漠で生き延びることが不可能になるかもしれない。人間のあくなき欲望は、自然を破壊し続けた。いずれ自然からのしっぺ返しを受けることは間違いないだろう。もうすでにその兆候がでているではないか。あの像たちのように人間も、もっと謙虚に自然を見つめ、自然とともに生きる工夫をしなければいけないだろう。そんな気がする。




2001年09月04日(火) 遅咲きの朝顔が満開

9月になった。まだ一度も日記を更新していなかった。サボっていたわけではないが、あまりに気持ちのよい秋のはしりに、外で過ごすことが多く、パソコンにすわる時間が減っていたためである。これではいけない。たまには椅子にゆっくり腰掛け、机上の仕事に専念せねばと、今日は朝6時からおきてパソコンに向かっている。カーテンを開けると遅咲きの朝顔がちょこんと笑顔を向けている。今年は植えた時期が遅かったのか、夏の盛りを過ぎてから咲きはじめた。夏の盛りに咲く朝顔は、涼を感じるが、秋の入り口から咲き始めると、「ええっつ、今ごろ。随分と寒くなったぜ。」と少々、イメージが狂ってしまう。僕が小さい頃見た朝顔はいつも夏休み期間中に咲いていたからだ。母が「お水を上げなさい」と、いつもじょうろを僕に手渡した。いつしか水をかけるのは僕の役目みたいになって、いまだにその習慣が続いている。動物も植物も愛情をかければかけるほど、期待を裏切らないから好きである。なんでも、植物に話しかけると、反応するという実験を見たことがある。「以心伝心」という言葉があるがこれは人間だけのものではないようだ。そういえば、僕の愛犬エルも、水洗いに誘おうとすると、すばやく察し、縁の下にもぐりこんでしまう。こんなときはおいしそうな「鶏がら」をやっても、知らぬ存ぜず。ちょっと目を離したすきにちゃっかり平らげている。一本やられたか。いつもこの調子である。動植物のいる、ある風景は平和でのどかだ。日本列島ももう少しのどかであって欲しい。改革、改革は必要だが、言葉に踊らされて本質を見失ってはいけないだろう。もうすこし冷静、沈着、のんびりと行きたいものだ。動植物たちと仲良くしながら。





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