umityanの日記 DiaryINDEX|past|will
すっかり秋の気配。かんかん照りの夏は、「もっといじめてやりたかった」と言わんばかりに、名残惜しそうに去った。僕は思わず言ってやった。「来年はもっとおとなしい夏をまわしてくれ」ってね。良かった。良かった。昨日から今日にかけて、久しぶりにボスと仕事をした。ボスが難問で頭を痛め、僕もこのようなケースは初めてで、具体的解決策が見当たらない。近日中に手続きをしないと許可が流れてしまうのだ。はたと困った。とりあえず行政側の意見を聞くかと言うことで、二人して県庁に出かけた。実に厳しい選択だったが、たった一つだけ名案と言うか、クリアする方法が見つかった。客にしてみれば、費用がかかり、おまけに過料とやらをとられる。だが、「背に腹は変えられぬ」ということで、即実行。遠方の客なので、昨日、今日と、僕の愛車でボスを送迎した。めでたく今日、手続が終わった。一安心。本当は成功を祝って今日は飲んでもよさそうだが、実は、昨夜、今日の成功を祈願して、「前夜祭として一杯飲むか」ということで、二人して行きつけの暖簾をくぐった。焼酎に梅干を入れて、天然ものという秋刀魚を二匹焼いてもらい、舌鼓を打った次第である。従って今日は返り酒と言うわけにもいくまいということで、おとなしく二人ともご帰還である。昨夜は、なんとボトルを二本もキープしてしまった。歌もカウンターの女性達とのデュエットで、大騒ぎ。ボスも何とか目途が立ったので太っ腹。おまけに山の神は友達と京劇の鑑賞に出かけ、不在とのこと。鼻息が荒くなるのもうなずける。「わおー、えい、えい、」の連発で、盛り上がること、ひとしきり。ただ、午前様して、今日の仕事に支障があってはいけないと言うことで、11時までには家に帰ることにした。それにしても、今朝はボスも僕も昨夜の乱交がたたって、今ひとつ精気がなかった。午後になってようやく復調し、仕事も完遂。「これにまさる喜びはなかっぺ」、ということで、今日は通りがかりの饅頭屋により、饅頭片手にお茶で乾杯であった。たまには饅頭も食ってみるとうまいものだ。明治元年創業。四代目制作のあんこは、さすがにつわもの。「うんんん・・・・くせになりそう」。
ひと暴れしてつかれた頃、同窓会も佳境を過ぎていた。時が容赦なく流れたのだ。別れの挨拶を互いに述べる時間がやって来た。名残惜しそうに手を取り、健康の祈願と再会の約束だ。何度となく経験してきた風景。この頃になると、僕も真顔。同窓会では酩酊するまで飲むゆとりはない。先ほどまでのはしゃぎが嘘のように、皆、紳士・淑女にはや変りだ。けじめだけはぴしゃっとしなければ、「あいつは酒癖が悪い」というレッテルを貼られてしまう。以後、そのことが語り草になるのだ。まだ僕はそのレッテルを貼られていない。良かった。
二次会は20名はゆうに入るようなスナックだった。既にいく組みかの先客があり、カラオケの音が店内をにぎわしていた。
恩師を交えての同窓会。昔は恐かった恩師も今では年の差がほとんど感じられない位に、我々が年を取った。中には恩師を通り越して、やけにふけている奴もいる。
同窓会でいつも思うことは、「皆、大人になったんだなあーー」ということである。何故って、学生時代はあんなにおとなしく、恥ずかしがりやで、ほとんど大衆の前で、話したことがなかった奴が、今では堂々とステージで弁を振るっているからだ。この傾向は男も女も同じ。「へええーーー、時はこんなにも人をかえてしまうのか」。僕の偽らざる感想である。そういう僕も大きく変貌した。変貌であって決して豹変ではない。何をかくそう。僕がその、おとなしくて、恥ずかしがり屋の第一人者だったのだ。今ではすっかり、おっちょこちょいの、あんぽんたんの、おたんこなすに、なってしまった。よく飲み、よく歌い、よくしゃべり、よく笑う。よく泣くだけがない。もちろん、悲しい場面に遭遇すれば、「よく泣く」もあてはまるだろう。もっと上品に言えば、「よく涙を流す」と言うことになろうか。男たるもの、人知れず涙をながすもの。いたずらに人前ではなくものではない。これはばあやからの教訓である。ただ、人が皆、そうであるように、悲しいことは嫌いだから、涙は避けて通るようにしているし、今までそうしてきた。僕がかくも変貌した理由。いわずもがな、大人になったからである。そりゃあいつまでも、とっちゃん坊やで、子供みたいに太平楽に人生を過ごせれば最高なんだろうが、人生はそうは甘くない。それなりに、大人の自覚を持って生きなくちゃ。その端的な例が、社会の構造、組織、人との係わり合い、愛、優しさ、喜び、悲しみ、醜さ、憎しみ、欲、生と死。そういった大人が生きていく為の処方箋というか、処世術が理解できるようになったことだろう。本音をいえばこんな処方箋なんて「くそ食らえ」といいたいところだが、しかたなかんべ。ちょっと下品になってしまった。
昨日(8月25日)は、高校の同窓会のために故郷を訪れた。母にも会いたかったのでちょうど良かった。なんでも、我々の卒業年度が今年の同窓会の幹事役(世話役)とのことで、地元にいる仲間達は早い時期から準備やら設営で、大変だったようだ。こういうときは遠方にいる人間は、とりとめて手伝うこともなく得をするが、よく考えてみると、出席に旅費がかかるので、まあ、おあいこか。同クラスの気心の知れた仲間とはちょくちょく会って、盃を交わしているので、驚きも少ないが、十年ぶりとか、それ以上会っていなかったクラスメイトや、同窓生と再会すると懐かしく、お互いに生存していたことへの喜びに包まれ、目頭があつくなる。男はたいてい、額の毛のはえぎわが見事に後退し、照り輝いている。「わおおーーー、随分理知的になったなーー」と言えば、これは誉め言葉であると同時に、お互いに年取ったなああという哀れみ感が同居している。かたや、女性人は、でっぷりと貫禄のある人もいれば、相変わらずスタイル抜群を維持している人もいる。彼女らの共通点はお化粧により、顔に高校時代の面影を見出すことが困難なことである。旧姓を聞いて、「ああああそうでしたか。すっかりおきれいになって」と、一言お誉めの言葉を。すかさず、女性人より、「あら、まるまるさん。すっかり口が上手になって。皆に同じこと言っているのでしょ。」とやり返される。おお、恐い恐い。お互いに年は取りたくないものだ。ひとしきり、生存の喜びで、ピーチクパーチクとさえずり、いよいよ時至れりで、同窓会会長や名誉先生の挨拶後、乾杯となる。いつもながらの風景である。丸テーブルには、ところ狭しと料理が並べられている。僕はいつも思うのだが、料理が残ること、残ること。「なんかもったいないなあーー」。だからと言って少なめでは、「料理が淋しいなああ。予算が緊迫か?」。人間ってどこまでわがままで、贅沢なんだろう。そう言いながら、僕もせっせと箸を通わせ、料理に舌鼓を打った。まさに現金な僕である。続く。
いやああ、昨日は久しぶりに酩酊しました。台風が去って安心したのと、暑さがぶり返したので、思い切り飲んでしまいました。飲む理由にはなっていませんね。おかげで、今日は朝から偏頭痛。起きれませんでした。既に事務員さんが来ていて電話の応対で大童。「ただいま、まるまるは外出いたしております。後ほど、こちらからお電話させていただきますので」。きれいな声が子守唄のように聞こえる。何故に酩酊するまで飲んでしまうのか?。理由は簡単。飲む以上に人が好きだからである。人が好きだからつい飲んでしまう。話して大笑いしていると、飲んでしまう。飲むと話して大笑いする。いわゆる鶏が先か卵が先か?よく分からない。両者があいまって相乗効果を生んでしまう。深酒に深情け。きずいた時は大トラに変身。家に帰ったら小トラに。目がすわって鏡をみて、おお恐い。自分で自分を恐がっても仕方がないが、なるほど、酔っていないときは俺もいい男だ。自分で自分にほれてしまう。ナルシストもいいところだ。どうも、今日の精神状態はまともではなさそうだ。まだ少しアルコールがのこっているのかしら?。それはそうと、昨夜は楽しかった。バイクヤさんの、やすちゃんと、「白いブランコ」をデュエットした。「白いブランコ」は僕がまだ小さかった頃、はやったフォークソング。歌詞がいいんだよなあ。僕は何度、揺られ揺らしてきたことだろう。「君は覚えているかしら?あの白いブランコ」と歌えば、やすさんが「ブランコ」と追いかける。後半は二人で一緒に。男性ソプラノというか、アルトというか、見事に調和して観客もうっとり。「おい、やすさん。都会に打って出ようか。この歌引っさげて。ミルヤス、コンビなんてどうだろう?」冗談か本気か分からないような話がとめどもなく続く。おまけに酒はうまいし、後は、かわい娘ちゃんがいれば最高なんだが。はたしてそういかないところが世の常。「歌、どうだった?涙がでた?」とカウンターの女性に聞くと、返ってくる言葉がにくいじゃありませんか。「ぜんぜん」。せめて、「もうちょっとだったかなああ」とか言ってくれればかわいいのだが、まあ仕方がない。こんな具合で昨夜は酩酊したのであります。ばあや、ごめんなさい。深く反省いたしております。かしこ。
お盆が終わり、秋の気配を感じるようになった。残暑のなかに、そわそわした風がほほを打つのだ。やっと優しい季節がやってくるのだ。枯葉をみながら、もの思いにふけるのも、これまたおくゆかしいではないか?。毎年のことながら待ち遠しい。かといって待ち遠しくないものもある。台風だ。残暑の特徴とも言うべき台風。今、大型の台風が日本列島を襲っている。人間が築いた文明を一瞬のうちに廃墟に変えてしまう、まさに生きた化け物。
僕は一個の星を見つめ続けた。星も柔らかい光を僕に投げて返した。こんなにも見詰め合う二人。まるで恋人の目を見ているような錯覚さえ覚えた。僕は一体、眠っているのだろうか?いや、決して眠ってはいない。こんなにも意識がはっきりしているじゃないか。僕は微動だにせず、ひたすら座った。座っていることが心地よいのだ。何の苦痛もない。どれくらいの時がながれたのだろう。座禅やめの鐘が一つなった。「えええっつ、もうおしまいか」。今まで経験したことがない深い集中力に包まれていた僕には不満だった。「うんんん、まあいいか、明日があるじゃないか」。気を取り直して、その日はぐっすり休んだ。
不思議だ。最初はいやいやながら座っていたのに、日がたつと、いやいやがなくなって行った。慣れとあきらめもあるが、それだけではない。日に心の平安が得られていくような気がした。娑婆世界から隔離されて、うっそうとした木立の中に建つ座禅堂。縁もゆかりもない色んな人が、そこで黙々と座っている。時折、警策の音だけがが響く。我々の体験研修も明日一日を残すのみとなっていた。そんなある日、ちょっと古参の直堂がやって来た。初めて見る顔である。なんと、一瞬、女性かとみまちがうほどの美形の雲水さんである。「ああああつ、観音さまみたいな人」。こう言ったほうがぴったりするだろう。たった4−5日、山にこもり女性の姿や、顔を見ないと、美形の坊主頭の男性を女性とみまちがうとは、僕の目もなまったものだ。一体、僕にそんな趣味があったっけ?。「あるよ。あるよ。」と、どこからか声が聞こえたような気がした。他の仲間も、何故かニヤニヤしているように思えた。「おいおい、不謹慎だ。変なことを考えるなよ」と言いたかった。僕達は、いつものように座った。何故か今日は緊張していた。どういうわけか、彼女、いや、彼には叩かれたくないという、変なプライドというか、自己顕示欲というか、そんな気持ちが頭をもたげていたのだ。僕は姿勢を正して、ぴたりと静止した。何事もなかったように、時が過ぎていく。彼は静かに巡回している。何度も僕の後ろを過ぎて行った。僕はまだ集中してはいない。そうこうしているうちに、僕は頭に宇宙に散らばる星星の姿を思い浮かべた。その星のなかの一つをじっと見つめた。星はまた僕を見つめ返した。この状態がどのくらい続いたのだろう。僕はもっと、もっと、このままでいたい、このまま座っていたい。そんな衝動にかられた。この心の平安は一体どこからくるのだろう?心が澄み切り浄化されていくような感覚。足の痛みはまったくない。いやあ、不思議だ。「もっと、もっと」と、おねだりしたいような心境。おねだりという言葉は不謹慎であるが、こういう経験は初めてである。やがて、非常にも座禅止めの鐘がなった。続く。
なんやかんや言いながら、座禅三昧の日々が続いた。二、三日たつと、ある程度、要領も分かってきた。最初の頃に比べて、警策で叩かれることも少なくなっていた。必ずしも、集中力が増して姿勢がよくなったからというわけではなく、むしろ、忍者みたいな雲水(巡回する雲水を直堂ーーーじきどうと言う)の動向が察知できるようになったからであろう。「ははあ、今、あのあたりを徘徊しているな、おや、こちらに向かってきているぞ。」とか、相手の動きがわかれば、「用心、用心」と、おのずから対策はできるものだ。直堂とは、ほとんど会話をすることはないが、彼等にも、それぞれに個性がある。何を考えて行動しているのかさっぱり分からないが、えらく強く叩く奴もいれば、遠慮しながら、軽く叩く奴もいる。幾回りか担当が交代するうちに、ほぼ彼らの特徴もつかめるものだ。いやあ、それにしても、思いだすだけで、身の毛もよだつできごとがあった。例の強く叩く直堂が巡回していたとき、仲間の一人がこっくりこっくりやりだした。抜き足、さし足、忍び足で、直堂が近ずいた。この辺は実にすばやくてうまい。空気の流れはあっても、音がほとんどしないのだ。仲間は完全にきずいていない。右肩に警策があてられた。その時、「ばしいいいいいっつ」と、見事な音が轟き、警策が折れて、天井に飛んでいった。「えええっつ」。僕たちは一瞬、唖然とした。何があったのか、最初分からなかった。刹那がすぎた。折れた警策の破片が天井から床に落ちた。「わおーーーー」と叫びたいが、それも出来ない。仲間は大丈夫か?。ちらっつと目で仲間を追った。すっかり目が醒めていたが、けろりとしている様子。さすがに大物、つわもの。安心した。以来、その直堂が担当の時は、緊張感が増したことは言うまでもない。ただ、やりすぎたと反省したのか、その後は、彼の警策も見事な音が響かなくなったことも事実である。いよいよ座禅体験も中日を迎えた。(続く)
精神統一って、結局は本人の自覚によるところが大である。要は、そんな自覚をどうしたら得られるかということが問題である。僕は数名の仲間と座禅に挑戦したわけである。この寺の座禅は曹洞禅ということで、ただひたすら座ることを本義としているようだった。雑念が浮かんでもそのまま流しておけば良いという。そんな器用なことができるのだろうか?。まああ、興味半分で座って見た。座るにも、それはそれは、ちゃんとした作法があり、修行僧たちは、それを体で覚えていくという。僕たちも作法らしきものの手ほどきを雲水という修行僧から受けた。いざ、壁に向かい足を組んで姿勢を正して、ぴたりと身動きもせずに座る。修行僧の実演を参考にしながら座った。僕の足はもともと大根足のようで、カモシカみたいにスリムではないので、「けっかふざ」という正式な足の組み方ができず、「はんかふざ」で、片足だけをももに乗せた。それでも、足が結構痛くなる。尻には座蒲という丸い敷物をあてる。僕達は言われるままに姿勢を正して、壁に向かってじっと座っていた。しばらくすると、足の痛みと集中力が散漫になり、体がゆれ始めた。やおら、右肩に棒(警策という)があてられた。巡回の雲水がいつのまにか僕の傍にやってきていたのである。「忍者みたいな奴」と、僕は一瞬、「びくっつ」としたが、教えられたまま「合掌」して、頭を左へやや傾けた。その時、すかさず、「ばしっつ」と右肩を叩かれた。「わおーーーーつ、あぶない、あぶない。もう少しで肩甲骨にあたるところだったぜ」。僕は冷や汗をかきながら「怖いいっつ」と思った。他の仲間も僕に劣らず「ばしっつ、ばしっ」とやられていた。「おいおい、こんな状態が一週間も続くなんて、俺たちは、しまいには殺せれるぞ」と、真っ暗になった布団の中で、ひそひそ話をしたものだ。まさか、部屋の外の廊下に、あの忍者みたいな奴が、見張ってはいないだろうなと、それはそれは、おっかなびっくりの体験であった。
友達が「何か精神統一できるようなことはないかなあ」と僕に聞いた。毎日のしがらみによるストレスで、疲れきっているようだ。それは僕とて同じ。アルコールに逃れても、大トラになり、ストレス増加は目に見えている。しからば、ほかにどんなことがあるというのか?。素敵な愛人でもこしらえて、心をときめかせるのも一つの案かもしれないが、どうも、不幸になる人をたくさんこしらえるようで、気がすすまない。ましてや、友に勧められる道理もない。かえって、精神衛生上、ストレスを増すのが関の山だ。うんんん、何かいい案はないものか?。
残暑見舞いの時期なのに、いまだに盛夏のごとく猛暑に見舞われている。かってこんなに暑い日が続いたことがあったろうか?お盆に日本列島を移動した人たちはさぞかし大変だったに違いない。その反面、「私達は海外で涼をとってきたから快適だった」という人達もいるだろう。おおおお、うらやましい。世の中ってどうしてこんなに不公平なんだろう。僕なんか、盆休暇どころか、故郷にも帰らず、ひたすら労働にいそしんでおりました。こう書くとかわいそうな僕ちゃんであるが、まあこれも運命と思ってあきらめている。電話で母と話したが、つつがなく過ごしている様子。何よりである。小さい頃は、母が盆団子なんか、こしらえて、黄な粉にまぶして兄弟みんなで食べた思い出がある。おいしかったこと。夜は浴衣に着替えて、盆踊り。うちわを帯に差し込んで、気負いながら踊ったものだ。当時より自意識だけは過剰で、目はマドンナの姿を追っていた。ちゃっかりしたものだ。時間はゆっくり流れ、夜の冷気が心地よく肌を刺激した。今では遠い遠い過去の風景である。当時に戻れたら戻りたい。悲しいかな。「名月をとってくれろと泣く子かな」と一緒で、不可能である。今は時間がどんどん早く流れ、盆踊りに興じるゆとりも、なくなってしまった。大人になった証拠なんだろうか。ただ、気持ちだけは子供で、いつでも昔に戻れる。まさに、とっちゃん坊やってとこか。時のながれに、いたずらに翻弄されるばかりでなく、良きものは良きものとして、しっかと人生を見つめていきなくちゃ。そう思う最近である。
雷の恐怖から4−5日が経った。今ようやく僕のオフィス・オートメーション機器も従来の姿を取り戻し活動している。変った点といえば新しくターミナルアダプタを新調したことである。なんだか快調。スピードまで速くなった感じがする。たまには故障もしてみるものだ。とは言え、雷さん万歳なんて口が裂けても言えない。なんやかんやと不平を言ったり、妙に納得したりしている僕も現金な男である。それはそうと、ここ二日ばかり、暑さが緩んだ。結構結構。こうでなくちゃ。これで、どうにかすやすやと眠れそうだ。さあ、バリバリ頑張るで!!!。
久々に、雷の恐怖を体験した。この世に生を受けて以来、10本の指にはいる恐怖といったら大げさになるだろうか。いずれにせよ、今日(金曜日)は電話とインターネット接続を可能にしなければならない。そくNTTさんに電話して、故障個所の修復をお願いした。なんんんと、故障は僕の家だけではなく,あちこちで大量に、発生しているようだ。僕は事務用に電話を使っているので、早い修理をおねがいした。電話は外配線から中までみてもらい、一応使えるようにはなった。ただ、ターミナルアダプタは、どうも、いかれてしまったようで、中古の一時凌ぎ用を貸してもらった。いずれ、新しいのを新調しなくてはならない。設定は夜、僕がすることにした。笑うセールスマンに、ゆとりの時間はない。外出だ。無難に仕事をこなし、夕方、早々に帰宅。さあ、ダイアルアップの設定だ。と意気込んだのもつかの間。アクトランプの点滅が続く。うんんんおかしい。あれ、電話もおかしくなったで。「なんだ。こりゃ」。今から工事屋さんに電話しても仕方がない。ああああああああああ、来週の月曜日まで待たねばならない。とんだ災難だ。無性に腹が立ったが、「まあいいか。使わない分だけ、電話代が安くなると思えばこれまたグッド」と、気を取り直した。インターネットが出来ないだけで、他の機能はどうもないようだ。仕事に差し支えは電話をのぞいてはない。完全週休二日というのも、こういう場合は困ったものだ。工事やさんも、土曜日、日曜日は営業をやっていない。もちろん、僕の仕事も休業であるので問題はないが、インターネットが使えないということは、世界のいたるところに、僕の元気な姿や声を待っているフアンがいるというのに、申し訳ありません。(そそそんな人たちいたっけな?。思い込みもはなはだしい。雷とこの暑さで、僕の気もふれてしまったか?)続く。
先週の雷はすごかった。最初の頃は、この程度なら大丈夫とたかをくくっていたが、なんのその。だんだんと雷雲が近寄ってくるではないか。稲光と同時に「どどーーーん」という爆音。「これは落ちたな。近いぞ。」と、パソコンを操って日記を書いていた僕も、そそくさと避難。といっても、安全な場所もみあたらない。母親に「青蚊帳をつってたもうれ」とも言えない。「あんた、男でしょ。そんなにこわがってどうするのよ」と言われるのがおちである。とりあえず、ひざをかかえて、暗い座敷で縮くまっていた。忘れた。パソコンの電源を切るのを。しばらく様子をみてから、切りに戻ったところ、外付けのターミナルアダプタがおかしい。どうも電流が逆流したようだ。日記もおじゃんか。一度書いた日記を、また書き直す気にはなれない。それに、電話が不通になっていた。「一時的なトラブルであればいいのだが」と、とりあえずパソコンの電源を切った。二階の寝室で横になるのも恐い。座敷でごろんとしているが一番安全か、ということで極力、稲光を見ないようにして、目をつむっていた。恐怖が1時間くらい続いだろうか。次第に、雷鳴が遠のいていった。「わおお、良かった。助かったぜ」。僕は再び元気を取り戻しパソコンへ向かった。結論、ターミナルアダプタが故障。電話も故障。家の三回線が全部駄目だ。明日は金曜日。なんとしても、明日中に修理しなくては。雷の恐怖とパソコン、電話の不通がきになりながら、こよいは寝ることにした。これは八月二日のことである。(続く)
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