umityanの日記 DiaryINDEX|past|will
タバコをやめて8ヶ月が終わろうとしている。何の抵抗もなくやめれれた。特に意志が強いわけでもないが、思い立ったらそうしないと気がすまない性格が功を奏したのかもしれない。こういう性格は一長一短があるが、うまく転べば、どんどんいい方向へ行く。僕の場合はそうだったのだろうか?。おかげで、書斎はきれいだし、車の中もきれい。窓のカーテンもクリーニングにだしたら、真っ白に変化した。これが元々の色である。不便と言えば、客がきたとき、灰皿を台所まで取りにいかなければならないことだろうか。いいままでは、必ずテーブルに載っていた灰皿の存在や、ライター、マッチのありかが、とんと気にならなくなった。なくて当たり前。テーブルが狭いから、今は何も乗っていないのだ。人間の頭の構造って本当に現金なもので、無責任なものだ。自分に関係がなくなると、すかっとわすれるようになっている。そうでなくては、頭もパンクしてしまうだろう。初恋が忘られなかったら、先へ進展しないし、新しい恋に着手することなんて出来ない。忘れるから、どんどん先へいけるし、他人さえも平気で傷つけることができるのだろう。
右足のひざから下の、むこうずねの横の肉が妙に痛いなあと思って、ズボンをめくって見ると、なんと、10円玉の太さに赤くはれているではないか。そういえば、昨日の作業のときに、足に「ちくり」という痛みが走ったことを覚えている。これくらいは日常茶飯事なので、気にも留めていなかったが、今朝から「ぽっかぽっか」と熱を帯びている。オロナイン軟膏でも塗っておくか。うんん、どうもこれは「蜂」に刺されたらしい。僕のおいしそうな練馬大根もこれじゃああ、人にみせられない。----------。てなわけで、足に違和感をかんじながら、見事に仕事をこなした。やれやれである。今日は蒸し暑いけど、曇り空。オフィスにクーラーを入れ、時折、庭先に植えた朝顔に目を向けながら、この日記を書いている。これは日記というより、だらだら記といったほうが良いかもしれない。それはそうと、参院選の投票日だというのに、えらく落ち着いているのは何故?。その答えは次の三つのどれでしょう?。1.まだ未成年である。2.不在者投票で済ませた。3.今回は棄権だ。正解は2番目の「不在者投票で済ませた」である。最近、不在者投票をする人が増えているそうである。また、昨夜、ラジオを聞いていたら、外国にいる人も、投票できるのだそうだ。ただし、今回は、選挙区ではなくて、比例代表選挙のほうだけらしい。いずれにしても、画期的なことである。21世紀初の国政選挙。
今日は久しぶりに雑草刈りをした。長袖のシャツに長ズボン。長靴をはいて、頭にタオルをかけ、麦藁帽子をかぶる。まさに、野良仕事に精出すお百姓さんスタイル。これが実に僕に似合っている。真正面から見るとまるで、「りんご売りの少女」みたいにかわいい。自分で言うのもおかしいが。そういえば、昔、高校時代の仮装行列では、白衣の天子、看護婦さんに変身したことがあった。大きな注射器をもって、運動場を一周した。あとで、鏡をみたら、我が姿にうっとり。僕って女性に生まれてきたがよかったのか?。ふっと、そう思ったこともあった。おっといけない。野良仕事の話が、とんだところへ脱線してしまった。雑草刈りには、鎌がつきもの。今まで使っていたものは、刃こぼれがひどく、切れそうになかったので、新しく新調することにした。7500円の出費だ。痛い。だが、この鎌は業務用のなた鎌である。柄が長くよく切れる。得意の振り回しカット方式で、雑草を一網打尽である。僕が鎌を持ったときは、危ないので、まず人は近寄らない。僕も仕事がやりやすい。「何故、振り回すのか?」って。それには理由がある。僕の大嫌いな蛇を敬遠するためである。雑草をバサバサやると、蛇が驚いてにげてくれるだろうと、期待しているからである。どうも、蛇と雷だけは御免こうむりたい。最近は蛇も幾分か少なくなった。やはり、農薬のせいなんだろうか。蛇だけでなく、蛙も、当然おたまじゃくしも、めだかもアメンボウも、みずすましも、とんと見かけなくなった。友人が言っていたが、生態系の変化。これはゆゆしいことであると。ある種が絶滅に瀕している。いままでいたものがまったくいなくなると、やはり淋しい。「何も害を加えないのに」と思う。
タフマックの僕もややダウン気味。それもそうだ。この暑さ、不景気、心配ごと。不摂生。これだけでもダウンする理由には十分である。なにか、すかっとさわやかな事はないものか?。元気のでることはないものか?。「ただいま宇宙人との交信に成功しました。高度な文明を持ったエイリアンが地球に向かっているそうです。友好関係を築きたいと言っております。着陸地点は今のところ、判明しません。世界中の皆さん、決して暴挙にでませんように。かれらは友好関係を求めています。----------」。こういう身を心もしびれるような画期的なニュースが欲しいなあ。今は、どこを見回しても、暗い、悲しい、あきれ果てたニュースばかりだ。
そうそう忘れていた。精進落としパートスリーを書かなくてはいけなかった。
こうも暑いと気分がわるくなる。夏だから暑いのは分かっているが、「どうしてこんなに、どうして、何故、何故」と問いたくなる。少なくとも昔はこうではなかったような気がするからだ。いよいよ、地球も火の玉となって燃え尽きてしまうのか。太陽に地球が飲み込まれてしまうんではないかというような,錯覚さえ覚える。いや、これはもう錯覚ではなくて、近い将来、そうなるのではないかと不安にさえかられる。もちろん、今、地球に生きている我々には関係ないことではあるが。最近テレビ等で見たが、地球環境問題に関する京都議定書なるものの遂行に関して、アメリカが、反対しているそうで、残念である。地球温暖化、この暑さはとりもなおさず、人間生活が生み出した環境破壊といってもよいだろう。。人間自らが、協力して、破壊を食い止めなければ、子孫の明るい未来はないだろう。暑さのせいか、愚痴ばかりをこぼしたくなる。いけない。いけない。話題を変えよう。
梅雨も明けて見事な晴天が続いている。温度計をみると30度を越している。昔はこんなに暑かったっけ。なにか、すかっとさわやかな涼を求めて、どこかへ旅をしたいなああ。そういう衝動にかられる。涼と言えば、花火は夏の夜空を彩る風物詩であるが、先日は痛ましい事故がおきた。どっと繰り出した花火見物客が、橋の上で息も出来ないほどの過密状態。花火が終わり、方向性を失った観客は右往左往し、ついには将棋倒し。幼い数名の命が奪われた。なんと言うことだ。どんな状態でも、秩序ある行動がとれれば、こういう惨事は起こらないはずなんだが。悲しいかな、人間は、秩序を指揮されないと、秩序を守れない。指揮がないと、誰でも、われ先にと行動してしまうからだ。理性ある人間も他の動物とちっとも違わないではないか。何かをやろうとすれば、いつも危険は隣り合わせにある。やはり、集団が移動するときは、集団の心理を十分理解し、石橋をたたいて渡るほどの用心深さがあってもいいのだう。と同時に、危険に近寄らないことも大事だろうが、最初からそれが予測できないから厄介である。また、お互いに、「譲り合い、助け合い」の気持ちがあれば、もっと、おだやかに事がすんでいたかもしれない。残念である。反省点はいくらもある。
友が遠方より来て帰った。母親の葬式だった。僕も出席し、夜は精進落としで、遅くまで飲んだ。友は次男坊で長男がすべてを取り仕切ったので、とくに何もすることはなかったようだ。こういう言い方が良いかどうか分からないが、こういう点では次男坊以下は楽かもしれない。ただ、何何坊であっても、悲しみや流す涙に差はない。恐らく通夜の日は帰らぬ母親の姿を見て、友もひそかに布団の中で泣きじゃくっていたに違いない。男ってそういうものだ。やたらと、他人の前では涙をみせない。僕も次男坊だから同じことをするだろう。その夜は、もう一人の親しい友達を呼び出して三人で5件もはしごをしたようだ。最初は焼き鳥屋に行った。いつも込んでいる老舗である。二件目が小料理屋。一見客が皆、顔見知りで友達という、ノンベーが集まる店である。ままいわく「あら、いらっしゃい」。もっと他に言い方はないものか?。ここでひとしきり、だべって歌った。三件目は20代の若い女性で、むんむんの、クラブ。しゃなりしゃなりのママさんがいて、「先生、いつも有難う」と言われる店である。ままの笑顔を見ると、つい「また行かねばなるまい」と思ってしまう店である。ここで、ふたしきり、焼酎をのんで、若い女性たちと、ファッションの話から、恋人の話から、もう何でもござれで、楽しく過ごした。男三人に三人の女性だから、誰もひがむものもいなくて、上々。おまけに時間無制限で5000円程度。「わおーーー」といいたくなる良い店。時計を見た。まだ10時半。どうも中途半端な時間である。じゃあもう一件ということで、歌って踊れる店で、ほとんど外国人(フィリッピン、ロシア、他)が接待してくれるところに行った。彼女達は日本語が上手である。「いい男ね」と言われると、まんざら悪い気はしない。「男は度胸だ」と言うことで、三人とも前のステージで大声を張り上げて歌った。もちろん、僕は古い歌だが、イングリッシュソングで、「ラブストーリー」を歌った。彼女達いわく。「お兄さん上手ね」。僕いわく「そう?」。まあこんな感じである。友たちもそれぞれに意気投合。佳境に入ったかなとおもったころ、ボーイさんが「時間です」と来た。延長は止めて帰ることにした。うんんん、どうも後味が悪い。そう思ってふっと、看板を仰いだら、あった。あった。カラオケ道場スナック。過去二回、僕が90点以上をだして、ボトルをまんまとせしめた店である。「さああ、そろそろ挑戦すっか」ということで、少々酔っ払っていたが、足を踏み入れてしまった。占めて五件。ご和算では?。良くわからなくなったので、ネクストタイムにしよう。(続く)
友が遠方より来て帰った。母親の葬式だった。僕も出席し、夜は精進落としで、遅くまで飲んだ。友は次男坊で長男がすべてを取り仕切ったので、とくに何もすることはなかったようだ。こういう言い方が良いかどうか分からないが、こういう点では次男坊以下は楽かもしれない。ただ、何何坊であっても、悲しみや流す涙に差はない。恐らく通夜の日は帰らぬ母親の姿を見て、友もひそかに布団の中で泣きじゃくっていたに違いない。男ってそういうものだ。やたらと、他人の前では涙をみせない。僕も次男坊だから同じことをするだろう。その夜は、もう一人の親しい友達を呼び出して三人で5件もはしごをしたようだ。最初は焼き鳥屋に行った。いつも込んでいる老舗である。二件目が小料理屋。一見客が皆、顔見知りで友達という、ノンベーが集まる店である。ままいわく「あら、いらっしゃい」。もっと他に言い方はないものか?。ここでひとしきり、だべって歌った。三件目は20代の若い女性で、むんむんの、クラブ。しゃなりしゃなりのママさんがいて、「先生、いつも有難う」と言われる店である。ままの笑顔を見ると、つい「また行かねばなるまい」と思ってしまう店である。ここで、ふたしきり、焼酎をのんで、若い女性たちと、ファッションの話から、恋人の話から、もう何でもござれで、楽しく過ごした。男三人に三人の女性だから、誰もひがむものもいなくて、上々。おまけに時間無制限で5000円程度。「わおーーー」といいたくなる良い店。時計を見た。まだ10時半。どうも中途半端な時間である。じゃあもう一件ということで、歌って踊れる店で、ほとんど外国人(フィリッピン、ロシア、他)が接待してくれるところに行った。彼女達は日本語が上手である。「いい男ね」と言われると、まんざら悪い気はしない。「男は度胸だ」と言うことで、三人とも前のステージで大声を張り上げて歌った。もちろん、僕は古い歌だが、イングリッシュソングで、「ラブストーリー」を歌った。彼女達いわく。「お兄さん上手ね」。僕いわく「そう?」。まあこんな感じである。友たちもそれぞれに意気投合。佳境に入ったかなとおもったころ、ボーイさんが「時間です」と来た。延長は止めて帰ることにした。うんんん、どうも後味が悪い。そう思ってふっと、看板を仰いだら、あった。あった。カラオケ道場スナック。過去二回、僕が90点以上をだして、ボトルをまんまとせしめた店である。「さああ、そろそろ挑戦すっか」ということで、少々酔っ払っていたが、足を踏み入れてしまった。占めて五件。ご和算では?。良くわからなくなったので、ネクストタイムにしよう。(続く)
7月20日は祝日、海の日だ。海と言えば、思いでもたくさんある。遠くまで泳げることを自慢したくて、一人で沖まで行き、なんだか急に恐くなり、あわてて岸に戻ったこと。「ああああ、だれも注目していない。疲れたなあ」と、がっかりしながら泳いだこと。山瀬まみさんではないが、海にぽっかり浮かんで流れ行く雲をみていたら、いつのまにか、あらぬ方向に流されていて、大慌て。時には海の中で、縮んで丸くなった一物を取り出して、太平洋に放尿したこともあった。沖の場合は、誰にも疑われずに処理できるが、人が一杯のところではそうもいかないようだ。冷たい海水の一部分がやけに、生暖かくなり、「おや変だぞ」と気付かれてしまう。おまけに、あぶくが「ぶくぶく」と浮かび上がってくる。何もしらずに、その海水を口に含んでははきだし、呼吸をしている人もいる。おめでたいことである。これは、かならずしも、僕の経験ばかりではなく、友達をも含めた経験であることをまず、断っておかなければならない。「弁解がましいぞ」と言われそうであるが。いずれにしても、生命が海から生じたのであれば、われらは「海の子」である。しかるに、長い地上生活は、われわれを「海の子」から「山の子」というか、「平地の子」へ、変えてしまった。最近、泳げない人が結構いるそうである。確かに、小さい頃から水泳教室に通わされて、プールで泳ぐことは得意な人も多いが、海となると事情は違う。海は塩辛いし、寄せては返すし、生き物だから、扱うのが厄介である。プールのようには、うまくいかない。海では、オリンピックみたいに早く泳げなくても良いが、少なくとも海に体を任せ、いつでも一体感を体得できるようになれば幸いである。その海であるが、最近、どんどん汚れてきている。われわれの先祖が海から生じたことを思うとき、海を汚くは出来ないはずだ。海は甲羅を焼くところではない。母なる海の懐に抱かれて、悠久の歴史に思いをはせる場である。「海をきれいにしよう」。「海で泳ぐことに慣れよう」。「決して自信過剰になってはいけない」「海に優しく抱かれよう」。海の日に寄せてなんだか、説教じみたことを書いてしまった。
僕はインターネットで予約していたホテルへ向かった。大きなホテルかなと思っていたが、そうでもなかった。値段も安いからこんなものだろう。すんなり、チェックインできた。やせ衰えた叔母の姿が頭から離れず、どうも、ホテルで静かにテレビを見ている気にはなれない。シャワーを浴びて、食事にいくことにした。海とも山ともつかない異国の地で、一人街をさまようのも淋しいものだ。こんな時、フレンドでもいれば、少しは心もやすまるのだが、現実はなかなか思うようにはいかないものだ。
叔母は比較的元気そうに見えた。僕に弱々しいところを見せたくないと思い、少し、無理をしていたのかもしれない。叔母はじーっと僕の目をみつめていた。あれこれと昔話をしていると、医者がやって来た。いろいろと、具合を尋ねて、本人の希望することを聞いていた。看護婦はしきりにメモをとる。叔母は的確に話をしていたようだ。今は病状もやや安定しているとのこと。医者の回診が終わって、程なくしてリハビリの先生がやって来た。「今日、どうします?。すこし散歩しようか」と声をかけられた。叔母は「そうですね」と言って、先生に抱きかかえられるようにして車椅子に移った。今は一人では何も出来ないのだ。肝臓に出来たガンが腰に転移して、両方の骨盤やらをこなごなに砕いているとの事。まともに椅子に座ることは痛みがあって苦痛なのだ。それでも、モルヒネかなにか知らないが、痛み止めの薬を飲み、ほんの短い時間なら、車椅子にのれるらしい。僕は、後ろから椅子を押した。複雑な気持ちだ。叔母の顔は見えないが、座れて動けることの喜びを感じているようだった。観葉植物があり、窓の外側に大きないけすがあった。黄金色のコイが悠々と泳いでいた。叔母は、楽しそうにコイを眺めている。ゆったりしたコイのしぐさは、叔母の心の平安と同調しているのだろうか。「そろそろ帰りましょうか」とリハビリの先生が言った。叔母は「はい」と返事をして、部屋へ戻った。再び、ベッドに横になり、少し疲れたのか、目を閉じたり開いたり、うつろな表情に変った。多分、薬の影響かもしれない。僕は叔母の手をとって、「安心してやすんだら」と声をかけた。もう5時を回っていた。僕はホテルのチェックインをするので、明日またくると告げ、病院を後にした。(続)
新幹線に乗ったのは何年ぶりだろう。トンネルがやたらと多い。この欠点をのぞけば、早くて、乗り心地も悪くはない。時折、窓から外が見えた。ひしめきあって建っている家々。ビル、工場。そして、眼前に広がる田園風景、野、山。驚いた。意外と緑が多い。田んぼの早苗もさることながら、あちこちに緑が一杯である。それもそのはずだ。レールは山間部を通っているわけであり、緑が多いのは当たり前だろう。ここが落とし穴かもしれない。緑が多いと地球環境もまだまだ大丈夫だと錯覚してしまう。本当は緑は激減しているのじゃなかったのか?。頭の中でそんなことを考えていた。そうこうしているうちに、のぞみと言う名の電車は目的地の駅に「すーーーっ」と滑り込んだ。人の後にくっついて、いざ出口へ。今は便利な自動改札口。出口の機械に切符を滑り込ませた。な、なんと、見事にシャットアウトだ。最初からその予感はしていた。駅員がやってきて、「この切符は大きいから通りませんよ」と言って、手動で出してくれた。なんで、僕の切符は大きいのか?。質問しようとしたが、因縁をつけていると思われたくなかったのでやめた。駅構内から外に出た。さあ叔母の入院している病院へ直行だ。時間は午後三時を回っている。病院はタクシーで5分程度の駅から近いところにあった。受付で入院名簿の確認をした。確かに叔母の名前がホスピス病棟にあった。ホスピス病棟---テレビでみたことはあったが、実際に足を踏み入れるのはこれが最初である。ナースステーションで面会名簿に記入し、看護婦が叔母に告げに行った。すぐ僕は叔母と面会できた。叔母は4人部屋の入り口に近いところにいた。僕を見るなり、「無理せんかてよかったのに」と目を潤ませて力のない声でいった。僕は「大丈夫、大丈夫」と言って、骨と皮だけになった叔母の手を取った。数年前の法要以来の再会である。
昨夜は久しぶりに早く寝た。疲れていたのだろう。それもそのはず。一昨日は例によって午前様。仕事を終えて時計を見たら、午後6時。「そうか、暖簾はつるされたか」。思わず、脳裏に暖簾が浮かんだ。とそこへタイミングよく、中国人女性と結婚した友人から電話。話があるとの事。これ幸いと暖簾をくぐることにした。霜を張り巡らしたように冷えたビアグラスになみなみと液体を注ぎ、ごくごくと飲み込む。これが実にうまい。やはり、ビールは冷えたグラスに冷えたビールにかぎる。実は今までそのことをしらなかった。別に知る必要もなかったが、無知とは恐ろしいものだ。以前は、出してくれる普通のグラスでそのまま飲んでいた。バラの木にバラの花が咲く。何の不思議もなけれど。ところが、一見客のひとりがいつも冷蔵庫のようなところから仰々しく運ばれてくるグラスでビールを飲むのだ。「へーーーー彼専用のグラスだな」と取り留めて気にしていなかったが、どうも、差をつけられているようで、僕も冷えたグラスを頼んでみた。いやああああ、びっくりこいたの、なんのって。実にうまいのだ。グラスの冷気と冷えたビアがぶつかり合い、引き締まった味をかもしだす。別の表現を使えば、暖流と寒流がぶつかりあうところで成長した魚を食べているみたいなものである。「どんな味」って?。それはもう、筆舌しがたいほどの妙味である。ここまで、誉められれば、飲まれるビールも本望だろう。僕たちはのどが渇いていたせいもあり、たて続けに、数杯ごくごくとやった。ひとしきりついたところで、「さああ本題だ。ところで何だったっけ?」。発言権をもたない友人は相変わらず中国人妻と彼の父、母との確執に悩んでいるという。これはゆゆしい問題である。僕に分かるはずもない。ただただ、時の流れのなかで、理解を深めて行く以外に手はないだろう。と同時に彼女をかばえるのは彼以外にいないということを、認識すべきだろう。紙面のせいにしてはいけないが、この件はあらためて考えてみたい。
今日は雨。再び梅雨前線が南下して雨を降らせている。おかげで、異様な蒸し暑さから開放されて幾分か過ごし易くなった。災害が生じない程度に雨、雨、降れ降れである。昼間ちょっと、切符を買いに駅まで行った。いよいよ、僕の旅の始まりだ。世界旅行への出発なら心もうきうきだが、そんな大げさなものではない。近県への一泊二日の一人旅である。しかも、観光ではなく病気のお見舞いである。僕の顔は今、とてもまじめになっている。叔母がいよいよホスピス病棟に移った。まだ、一般的には社会の中で十分容認されていないホスピス病棟。要するに、治療をせずに、ガンならば痛み止めの注射だけを行い、後は心のケアに重点を置いて死を迎える人の援助をする病棟と言ってよいだろう。叔母は自らそれを選択した。言いようのない悲しみだけが込み上げてくる。自分の生に自分なりの決着をつける。このことって確かに大切なことかも知れない。死が避けられないものであるならば、自分の意志で死を選択する自由を人は持ってもいいのかもしれない。一方、延命出来るなら、徹底的に延命の方策をとりたいと思う患者や家族がいることも忘れてはならないだろう。どちらかと言えば、このほうが社会の趨勢であろう。奇跡だって起こるかもしれない。あるいは、ひょんな切っ掛けから、特効薬だって見つかるかもしれないではないか。僕の率直な気持ちは、本人の意志は尊重したいが、徹底的に戦って欲しいと思う派である。
何気なく暦を見た。7月10日(火曜日)。えええっつ、そうそう、思い出した。
昨夜、ラジオで面白い対談をやっていた。男は女々しく育てて、女はたくましく育てるという、まさに逆のような教育論を展開していた。よく聞いてみるとなるほどとうなずける。そもそも、十五歳の男女に、家族全員の食事を作りなさいといったところ、日本の十五歳の男性は、8割方、お手上げの状態。ところが、外国の男女となると、「料理ができる」という割合は、男も女もほぼ8割で、見合っていたそうである。このことは何を意味するのか。どうも日本はいまだに、「男子厨房に入らず」という昔ながらの固定概念が払拭されずに、尾を引いているということである。家庭で子供を教育するばあい、男も女も関係なく平等に色んな事を教えるべきであろう。料理は言うにおよばず、炊事、洗濯、掃除だってそうである。皆で支えあっていこうということで、介護保険制度ができた。果たして、日本は、今のままでいいのだろうか。男性は女性を十分介護してあげることができるのだろうか。料理一つできない。掃除も、洗濯も、家庭のいろんなことが何も分かっていないのだ。「男は外で、働いているから仕方がない」では、済まされない。最近、熟年離婚もはやっているそうである。昔は男が威張っていたが、いざ、歳をとってから、妻に離婚状を突きつけられると、男は泣きながら、「どうか僕を見捨てないで」とさけばなくてはならない。情けないではないか。世の中がどう変わっていこうとも、少なくともわが身の生存に必要な最低限度のことが出来なくては21世紀を男は生きていけないのではないか。世の親達は強い男のイメージで子供を育てようとしているが、本当の男の強さとは、出産以外の女が出来ることは何でも出来るように、教育することが大切ではないだろうか。また、女は女々しく育つのではなく、男みたいにたくましく育つべきだと思う。電車で痴漢にあったら、男の玉、玉を蹴飛ばすくらいの迫力を持って欲しいものだ。セクハラ、セクハラと騒ぎ立てるだけが能ではない。男は女々しく、女はたくましく。この教育論は大いに賛成である。
今日は七夕。残念ながら星はよく見えない。思い出すのはやはり子供のころの事。去年も書いたが、浴衣を着て、街中を練り歩く七夕ちょうちん行列。小生意気な僕達は行列なんて目ではない。「あんなお嬢さん遊びなんかやっていられるか」ということで、悪がき数人で独自のちょうちんを作って、自慢げに、街中を闊歩したものだ。独自のちょうちんとは、ウリの中身を穿り出してその中にろうそくを灯し、竹ざおにつるして出来上がり。余計な飾りもなく、単純な物である。固そうなウリの中身を抉り出すのも、簡単そうに見えるが一苦労である。なんとなく様になり、顔は笑顔でにっこり。というのも、今宵は、特段、親の許しを得ないで、ひとしきり夜遊びができるからだ。浴衣に身をつつんだお転婆娘たちが、しゃなりしゃなりと、この日ばかりはおしとやかに歩いている。僕達は物陰にそっと隠れて、お転婆たちがやってくるのを待ち構えている。「わーーーっつ」と言いながら、おもむろに、竹につるしたウリのちょうちんを差し出すと、お転婆たちは「きゃーーーつ」と言って、逃げてしまう。それがとても面白かった。苦い思い出もある。ある七夕の時、例によって腕白小僧の数人で、いつものごとく、いたずらをしていたら、運悪く先公に見つかってしまった。その場で、学年と名前を聞かれ、翌日、担任の先生から呼ばれ、こっぴどくしかられた思い出がある。僕達は素直に「すみません」と謝り、とりあえずは事なきを得た。ただ、あのころは通知表とかに、書かれはしまいかと、幼心に案じたものである。とりもなおさず、母親に知れるのが恐かった。最近は、世の中が忙しく。あの頃みたいに、のんびりと七夕に興じる時間もなくなってしまった。淋しいことである。また、子供達も過保護に育ち、外で泥んこになって遊ぶことも少ない。泥んこ、と言えば、その泥んこが汚染されていて、安心して泥と戯れることさえできない。今の子供達は、ある面では本当に不幸かもしれない。あの当時は、皆、一様に貧しく、そのことは不幸かも知れないが、少なくとも心は健康であったように思う。今の子供達に必要なことは心の健康である。
世の中も変わったものだ。昨日見たテレビなんかひどかった。自称ブスの女性と自称美人と思っている女性たちが一同に会して壮絶なるバトルを演じた。美人であるといろいろと徳?得?であるという。従って、整形手術をする人も増えているそうだ。自称美人というある女性は、アクセサリーは言うに及ばず、大きいものではマンションまでプレゼントされたと言う。「へーーーー、この不景気の時代に。マンションに値する女性もいるんだなあー」と、恐れ入ってしまった。「願わくば誰かこの僕に貢いでくれる女性はいないものか?」と言えば、「あなた、自分の顔を鏡で見たことある」と言われてしまいそうだ。美人の女性は、それはそれは、スリムで顔は美形。なおかつ、メークから、おっぱいの手入れから、服装に至るまでびしっつと決め、「どう、私の個性は?」と、鼻たかだかにお披露目である。男にはもてるし、町を歩けば好奇の目で見られる。見られることに快感を覚えるのだろうか?。僕に言わせれば、「そんな外見とかに価値観をおくより、もっと人生の何たるかを真剣に学んだほうが、よほど美人ですよ」と言いたくなる。物質の奴隷となって身をやつすことの愚かさに早くきずいて、汗水流して働き、労働の喜びの中から、幸せをつかんで欲しいと願うのは、僕だけではないだろう。彼女たちに言わせれば、「おじさん。古いね。シーラカンス?まさに生きている化石ね。誰にも迷惑をかけていないじゃん。美人になることが、何がいけないんだ。」ということになろう。「ごもっともです」といわねばなるまい。
7月2日に大先輩が亡くなった。ここ一週間が山と聞いていたので、僕も大阪行きを先延ばしにして、待機していた。昨日、4日が葬式だった。つい先日までは、肉体をまとっていろんな表情を見せていた大先輩だったのに、ひとたび火葬に付されると、骨の燃え殻だけになり、一瞬のうちに、娑婆世界から姿を消してしまう。人の死って、ほんとに夢か幻のようにはかない。ボスが弔辞をよんだ。「公私ともにお世話になりました。先生は酒と唄が好きでしたね。十八番は王将でしたね。もう聞けなくなるかと思うと寂しい気がします。・・・・・・・。先生、さようなら。ゆっくりお休みください」。さすがに、酒と歌までは言ったが、女性も好きでしたねとは言えなかったようだ。それにしても泣かせる弔辞であった。僕も、何度も大先輩の歌を聞いたことがある。確かに「王将」はうまかった。それ以上にうまかったのが「人情松の廊下」の歌である。せりふ入りで、僕たちは大爆笑。見事な歌であった。弔辞で、人情松の廊下は不謹慎と思ったのか、「王将」にしたのだろう。大先輩には仕事でも、随分世話になった。発想の豊かさと、企画力と仕事の報酬請求のテクニックは抜群で、僕も大いに勉強させてもらった。また道楽も人一倍。亡くなる数年前に、競走馬のオーナーになり、何着になって、いくら賞金をとったとか、最近、馬の調子が良いとか、それはそれは、馬でひとしきり、もちきりだった。最初のころは良かったが、馬もそのうちに、勝てなくなり、損をすることが多くなったそうな。やがて、馬を手放してしまった。僕たちは、話を楽しく聞いた思い出がある。それ以外でも、パソコンやらオーエー機器はずっと以前から誰よりも機能のすぐれた逸品を所有し、「僕以上に良いマシーンを持っているものはいない」と自負されていたが、確かにそうだった。僕が大先輩から仕事の外注を請け負ったときに、代金の換わりに、その逸品のマシーンで支払いを受けたことがある。今、事務員さんがそのマシーンを使っている。思い出話は話せばきりがない。この辺でやめるが、ただただ、人の死、それもよく知った人の死ほど悲しいものはない。生きとし生けるものの宿命とは言え、つらいものだ。僕が宇宙の絶対神ならば、死なんて自然界から消滅させてやるのにと思えど、それもはかない夢、幻なんだよなあーー。
島に単身赴任している友からメールがきた。そっけない内容だ。今度、集まらないかとの誘いである。高校時代の親しい友人が何人かいる。彼らとは、屈託なく話せるし、皆、アルコールをたしなむ。集まると討論会だ。島に渡って潮風にふかれ、飲む酒ってどんな味がするだろうか?。その機会を友が設定すべく、メールをよこしたわけだ。もちろん一発返事で承諾のメールを返信した。そう言えば、昨晩、寝つかれなくてラジオを聞いていたら、手紙とか、メールについて話していたようだ。最近、インターネットで出すメールにも飽きがきたのか、直筆でだす手紙も増えてきているそうである。字が上手であれ、下手であれ、直筆でもらった手紙は愛着があり、容易にごみ箱というわけにも行かない。昔の人はよく手紙を書いたようだ。何でも、芥川竜之介は、恋文というか、結婚の申し込みと言うか、その手紙の内容は、文豪とは思えないような、単純な内容であったとか。また、夏目漱石の手紙は、相手の手紙が長ければ、それ以上長い手紙で返信したそうである。聞いていて興味深かった。他に、病気の見舞いには出向かなくても、手紙が良いのではないかとか。確かにそうかも知れない。見舞いにこられると気を使うし、疲れてしまう。それより、長い手紙をもらったほうが嬉しいに違いない。内容は何でもいい。
梅雨のあとは38度の猛暑。昔もこんなに暑かったっけ。ちょっと歩くと、もう汗だくだく。こんな時、どこかのビルに飛び込めば天国だ。ただで涼がとれる。いやああ、文明の利器様。感謝、感謝。昨今、家庭でもクーラーは各部屋に一台の時代。テレビと同じだ。豊かになったものだ。思えば小さいころは、天然の風に、うちわと扇風機で涼をとるのが関の山。それが今では扇風機もうちわも過去の遺物となりかけている。なんか寂しいような・・・・・。実は僕のベッドの棚にはちゃんと、お祭りと描かれたうちわが一本あるのである。時々使っている。うちわと言えば、昔はどこかのお店で買い物をすると、景品と言うか粗品というか、その店の宣伝が書き込まれたうちわをもらったことを覚えている。母と買い物に行くのが楽しみだった。店のおじさん、おばさんはたいてい、母ではなく子供の僕にうちわとか、粗品をくれたからだ。母は外を歩くとき日傘をさし、はなたれ小僧の僕は、ランニングシャツに半ズボン。そして右手にうちわを持って扇ぎながら母の後からついて行った。
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