埃まみれのノートブック
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2005年11月28日(月) 電話帳

やっとあのひとを電話帳から削除した。
長い月日が経った。
連絡も取れないひとに
いつまでも未練を持ち続けていた自分に
今、別れを告げよう。

さようなら、君
どこかで、生きてて、そして笑ってて。

傷が思い出に優しく変わればいいのに、と思う。

あの月日は無駄じゃなかったんだと、
いつか思えたら、と思う。


2005年11月24日(木) おぼろげな未来

帰国してちょうど一週間が過ぎた。
相変わらず発作のような離人感が、意思と関係なく起こってる。
今日は酷かった。二回も起きた。デパスをその度飲んだ。

帰国して、少しづつ自分の鬱の原因がやっと掴めた気がする。

それは、日本に生まれ、いや、自分の地元で暮らしたこと、
そこで起きた様々な出来事、そんなものたちが鬱の大きな原因に
なったと、日本から出てあらためて実感した。

私は日本人として生まれて、日本で暮らしてきた事、
それは後悔してない。
これからも日本人として生きていくのだから。
そして病気になって出会えた人たちもいるのだから。
だから自分が病んで来た事は否定したくない。
そのまま受け入れられたらと思う。

けれど、此処で暮らす事はやっぱりかなりの負担になってるのは事実で。
しがらみの無い海外でのびのびと暮らせたほんの短い期間が、
今はとても恋しい。
私は向こうで心から幸せだった。
日本では味わえない爽快感だった。

何人かの人に言われた、私は海外の方が向いてるということ、
事実かもしれないな、と思ったりする。

病気を治すのは自分の力が一番必要だけど、
最近は環境も大事なのでは?と思ったり。

なんとなくだけど、自分の行く先が見えてきた気もしてる。
日本から出よう。まだはっきり決めていないけれど、
おぼろげに感じてる。

昔は、日本から出てしまえば自分の鬱は治ると確信してた。
その確信は少し当たっていたのかもと思う。

けれど何処で暮らすにしても、自分をちゃんと大事に出来ないと。
まずは強くならないと。
そして海外で暮らすにしても沢山のお金が必要だから。
がんばって働かないと。
まだまだそのプランを実行するには時間が掛かるだろう。
とりあえず来年、向こうの友達と会う約束したから。
それを励みに生きていこうと思う。
会いたいよ、J…。あなたの全てが恋しい。


2005年11月14日(月) エンパイヤに登った日

この世の全ての宝石を集めたような、煌く夜景を見た日、
実はずっと発作が起きていたことに後から気付いた。
帰ってから足がガクガクして、震えが止まらず、
眩暈と離人感で失神しそうになった。

どうしてこんなに脆弱になってしまったんだろう。
頓服がいつでもどこでも手放せない。

母に電話したら、日本では色んな人が
私のことをひとりで行ってしまうなんてすごいって言ってるって
言われた。

そうか。
私、そう言えば一人だったわ。
何をしても、どこに行っても、ひとり。
その度に、一緒に誰かと来たり体験したらって想像する。
行く場所見るものによって想像の中で一緒にいる人が変わる。
それは母だったり妹だったり色んな友達だったり。
私を待っていてくれる人が、大事な人が沢山いることに、
外に出て改めて感じた。

早く日本に帰りたい。


2005年11月08日(火) 多分初めて、今。

この一ヶ月を振り返って今、初めて、心から頑張ったって思えてる。

心から。


此処に居られて本当に幸せだった。


切なくてそして寂しい。

この思いと経験を糧に、生きていけたらと思う。

See you again.
またこの街に戻りたい。


Ira

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