埃まみれのノートブック
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2004年12月31日(金) 死ぬ事ばかり考えてた

でも、生きようと思えるようになった。
それだけで、自分にとっては意味のあった年だと思いたい。

ちっとも前に進めてなかった気もするけれど、
自分なりに生きて、そして年を終えようとしてる。


頑張ったよね?
私、ちょっとは頑張ったよね?

大事な人たちがいる。
それだけで、生きようと思う。

この日記を通しても、色々な方に勇気付けられました。

私に日記の中でメッセージを送ってくれたり、
メールでメッセージを送ってくれたり。

心から感謝しています。

そして私はみんなが大好き。

ありがとう、ありがとう。

良き新年になりますように。


2004年12月29日(水) 雪道の26分間

雪が降り、今年最後の通院はタクシーと電車を使って終了した。
先生の言葉が心に沁みる。
今年もお世話になりました。
来年も宜しくお願いいたします。

帰りの電車を降りる頃、携帯が鳴った。
電車の中だったので出られず、
降りてすぐ伝言を聞いたら、
10日程前から連絡が取れなくなっていた
大切な友達からだった。

ODをしてしまった、とメールが来て以来
音信不通になっていたので、すごくすごく心配だった。

慌てて掛けなおす。
すぐに彼女が出た。
弱々しい声で、精神科に強引に入院させられたこと、
四日間も手足を拘束されて動けなかったこと、
そしてまだ入院中でたったの二時間だけの外出許可が出て
今、私に電話してくれたこと、
話せるだけの状況を彼女は泣きながら話してくれた。
あまりのことに、私まで涙が出た。
雪道を涙ぐみながら歩いた。

病院に戻りたくないと泣きながら彼女は言った。
そうだよね。入院でよくなるとは限らないんだ。
却ってそんな酷い病院なら悪化する事だってあるんだ。
彼女もそう言っていた。

何なのか名前も分からない薬を与えられ
更に不安になり、しかも外界との接触は一切させてもらえないらしく
電話も手紙もメールもダメで窓もなくて外の景色も何も見えない、
そして奇声を上げる人やずっと独り言を言っている人もいて、
そういう環境の中で余計に辛くて限界だと。

なのに彼女の家族は、病院に任せればいいと思っているらしく
彼女が入院を嫌がっているにも関わらず
強引に連れて行こうとするらしい。

誰も分かってくれる人がいない、と彼女は泣いた。

なにもできなくてごめんね、なにもできなくてごめんね、と
私は雪道を歩きながら言った。

そろそろ家に近付いてきた頃、
もう病院に戻らなきゃいけない時間になってしまった、
と、彼女との会話が終わった。

泣きたくなった。
なんでそんなにも辛い思いをしないとならないんだろう。
近くに住んでいられたら。遠くで力になれずごめんね。


家に着いたら、彼女からメールが届いた。
「お父さんが私を紐で縛って病院に連れて行こうとする、怖い」って。

背筋が凍りついた。

彼女の幸せをただ願うしかない。
お願いだから生きていて。
辛すぎる現実だけど生きていて。
また電話するから。早く退院出来ますように。


2004年12月27日(月) 泣きたい気分

明後日、今年最後の病院だから。
だからそれまで踏ん張ろう。

副作用が出て勝手に飲まないでいるお薬の事も言おう。

セパゾンだけで今耐えてるので、
かなりしんどい。薬を勝手にやめてから
状態が悪くなってきてる気がする。
それなりに効いてたんだろう。
でも副作用が凄いからもう耐えられなかった。

副作用か鬱を選べって言われたら
私は鬱を選ぶ。

まだ、耐えられるから…。


泣きたい。泣きたい。何でこんなに切ないんだ。
何でこんなにしんどいんだ。

去年の今頃は札幌に行く準備してたなあとか思うと
切なくて涙が出そうになる。

ダメだなあ、自分。


こんな時に頑張れって言葉は聞きたくないけど
敢えて自分に言ってみよう。
頑張って、もうちょっとだけ年内は耐えて。
耐えるんだよ…。


2004年12月26日(日) 生きていてください

クリスマスも終わってしまいました…
酷く寂しいのは何故?


大好きなお友達のKさんと連絡が取れなくなりかなり経ちました。

貴女がいなくなったら
私は生きていけません。
だから生きていてください。
大好き。大好きだから…。


2004年12月24日(金) こんなクリスマスそんなクリスマス

クリスマスが近付くと
毎年のように鬱状態になる私。

今年は友達のお陰で救われた。

カードが届いた。ありがとう。
鬱の私を元気付けてくれた。ありがとう。
優しい言葉をくれた。ありがとう。
気に掛けてくれた。ありがとう。

独りじゃないから
此処にいるから

こんなクリスマス、でもいいよね。

あなたの元にサンタクロースが辿り着きますように

Merry Christmas☆


2004年12月22日(水) たった一言で

友達のたった一言で鬱に陥ってしまった。

良かれとしていた事が裏目に出てしまった…。


突き刺すような言葉が私の心を抉った。


痛い。痛い。痛い。痛いよ。
とってもとっても痛いよ。
どくどくと血が流れているよ。

誰かこの血を止めて…。


2004年12月21日(火) 虚脱感

初めて携帯から書き込んでいます。
またPMSのせいなのかよく分からないけど、また調子を落としています…。
何をしても空しい。惰性で生きてるだけ。
ただこんな風に生きるのは辛い。
クリスマスが近付くといつもそう。

ああ…私には何もない。このまま生き続ける事が苦痛。
疲れはて、眠剤を飲んでも眠れない。こんな夜はどうしたらいいか分からない。


2004年12月18日(土) 古い友達

明後日、六年ぶりくらいに古い友達と会います。

病気になってから、昔の友達と連絡を取るのが
怖くなった私は、自分から連絡をしなくなりました。

彼女は小学校と高校が一緒だった、本当に古い友達。

ずっと連絡を取らなかったのに、
それでも私を気に掛けてくれて
三年前くらいに突然彼女から年賀状が来ました。
それでメールのやり取りが始まりました。

メールのやり取りをしても、
やっぱり自分に自信がない私は、彼女と会うことを
悉く避けてきました。

でも今年になって、
私の病について彼女に説明したら、
すごく暖かい言葉を掛けてくれて。
これなら会っても大丈夫かも知れないって思えて。
ちょっとドキドキするけれど、久し振りに会ってきます。

とびきりの笑顔で会えることを願いつつ。


2004年12月15日(水) 無力

私は大事な人の力に少しでもなれているのだろうか…

調子を落とすといつもそう考える。
今の私は無力だ。
大事な人が辛い時も、きっと何の役にも立てていない。

それがとて辛い。


診察日でした。
ありったけの思いと二ヶ月くらい前から起きた
変化(悪い変化)についてありったけお話しました。

先生はしっかりと受け止めてくださり、
少しだけ気持ちが楽になりました。

頓服が一種類増えました。
それだけで何だか安心している私…。


2004年12月12日(日) 確かなものは此処には無いんだ

この時期になると、深海へ堕ちて行くような…
自分の周りに黒い影が存在しているのを感じます。
毎年のことなので原因は分かりません。

ただ、また年が終わる事で、
何もできず何も変われて居ないような自分が悲しくて、
置いてきぼりになったような気がして。

よく分からないのだけど大切なものを失ったような気がしていて。
それが何なのか、ずっと考えているけれど分からない。

けれど得たものもあった筈だよ。

わたしの居場所。
居場所を見つけた気がしてた。
錯覚かもしれないと思っていたけれど。
還る場所は何処かにあると思ってた。
自分の巣。
けれどそれも曖昧で、何処にあるのかまだ分からない。

まだ歩ける筈だよ。


…なら歩こう…って言葉が沁みた。
生ききろう。確かなものはこの手には無いけれど
歩いて行こう。其処へ。


2004年12月08日(水) 伝えられないことばかりが…

悲しみの顔で
駆け抜けてく…。


暮れになり
あちこちでイルミネーションを見かけるけど
私の心は闇のまま。
あたたかいイルミネーションが点らない。

どうしてこんなにも寂しいのだろう。
どうして?

12月が好きだった。
今はもう、ただ憂鬱なだけ。

ごめんね。

まだ風邪が治らないし
日本に帰ったらいきなり待ってたのは同窓会の葉書。
一気に疲れが出た。



2004年12月03日(金) あなたの目を見つめて

久々の日記になりました…
風邪を引き寝込んでいたからです。
今も治ってないので、これを書いたらすぐに寝ます。

私を裏切った、いや正確には裏切ってなかったあの人から
呼び出されて、二人で少し話をしました。
目を見てしっかりと返事をしてくれた。
誠実に、冷静に。
手紙の返事が来なくてやきもきしたでしょ、と聞かれたから、
うん、毎日、って答えた。
本当は返事を書いたけど、直接話した方がいいと思ったから、って。

嬉しかった。
私が思っていた通りの彼だった。
そして、改めて彼を見直した。
ありがとう。
私の叫びに気付いてくれてありがとう。

これからも良い友達でいてください。
ずっと、ずっと。あなたは大事な人だから。やっぱり、そう思えるから。


+++++

突然ですが日曜からちょっと海外に行ってきます。。。
大分前から決まってました。
ちなみに行き先はソウルです。
二泊三日なので国内とそう変わりません。

この間とある掲示板を読んでいたら、
「韓国まで俳優を追っ掛けて大騒ぎしているオバサン、若い娘
に呆れた。地震や災害で苦しんでいる人がいるのに。
この国はもうおしまいだ。国外脱出を本気で考えよう」
と書いていた初老の方の投稿を読んでしまいました。
かなり複雑な気持ちになりました。

私はスターを追っ掛けるわけでもなく
ただ単に、今年いやなことが沢山あった私と母が
元気になって憂さも晴れるように、家族三人で計画したこと。
シンプルに楽しむだけの旅行です。

でも、今の時期だからこんな私も
追っかけとか、けしからん人物とかってそのオジサンには
思われるのかなあって。

苦しんでいる人の事と韓国に追っ掛けすることを同列に
扱ってよいものなのか?とも思うし…。
苦しんでいる人の事は私も胸が痛いし早く復興してほしいと願ってる。
でも、だからって旅行も許されないの?

そんなこと、ないよね?


+++++

追伸@掲示板に暖かいメッセージありがとうございます。
お返事遅れていますが、必ず書きますので待っていてください。


Ira

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