埃まみれのノートブック
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2004年10月31日(日) 手当たり次第の薬を…

どん底の精神状態のところに
妹に文句を言われ
発作的に薬を15錠ほど飲んでしまいました。
ODです。

ごめんなさい。
ごめんなさい。
アナタは悪くないので心配しないで。Rさん。
誰だって人を羨ましくなる事があります。
だから自分の責任だとは思わないでいいよ。

私が全て勝手にやったことです。

ごめんなさい。
ごめんなさい。

もうしないと誓ったのに
身体が勝手に薬を掴んでいました。

意識が朦朧としてきた…

もうこれ以上書けません…


2004年10月30日(土) 誤解

みんな誤解する。

私はこれでも切り詰めて生きてる。

財布の中にはいつもお金が最低限しか入ってない。

この前なんて支払わなきゃいけない金額が
あると思ってたのに財布になくて
ごめんなさい、ごめんなさいってすごく謝って
恥ずかしい思いして支払いを延ばして貰った。

ライブに行くのは生きる糧だから。

友達に会いに行くのも生きる糧だから。

周りは幸せだと言うけれど

本当の私の気持ちなんてお構いなし。

好きでこういう立場になった訳じゃない。

到って普通に暮らしてる。

贅沢なんて似合わない。


ただひとつ、親に申し訳なく思っているのは
こんな病気になってしまった事。

これだって好きでなった訳じゃないし。

大事な人に誤解される事ほど辛いものはないと思った。
大事な人にだからこそ分かって欲しかった。


本当の私の心の奥底の気持ちは私しか知らない。
この日記にも書いてない。


…もうあの日の日記は消そう。


2004年10月27日(水) 生きるのを諦めたくない。

地震のニュースを見ていて思いました。
生きたくても命を神様に持って行かれてしまった
方々がいるのに、自ら生きる事を放棄しようとしてた
自分がかなり情けなくなりました。
そして生きなくてはと、思えるようになりました。

今日は緊急で通院しました。

正直、ショックな部分があったので
断片的にしか思い出せなくて…

あなたには薬は効かない…
これはいい経験になるよ…


先生の言葉はどれも胸に沁みたけど
薬が効かない…とか
いい経験…というのはショックでした。

こんなにも苦しい今がいつかいい経験になるなんて
思えなくて…
きっとそんな日は来るのかもしれないけど。

薬は変えてもらえませんでした…控えめに訴えてみたんですが
ダメでした。もう少し様子を見るとの事で。

帰ってから疲れと、自分の情けなさ、
一体いつになったら病から回復するのかとか
もう色々な黒々とした事を考えていたら
爆発してしまいました。

過呼吸とパニック障害の発作が同時に起きたのです。
死ぬほど、死ぬかと思うくらい苦しかった。
何でこんな苦しい思いしなきゃいけないのかと…

母がこんな情けない私を一生懸命介抱してくれました。。。
情けないのとありがたいのとで涙が止まりませんでした。

もうこんな発作は嫌です…
書いていてまた辛くなってきてしまいました。
でもこの日記は私の人生記録だから、ちゃんと書いておこうと思って。

少なくとも私を見守っていてくれる方々がいます。
だから生きるのを諦めたくない。
どんなにボロボロになっても生きるから…
だから…これからもこんなバカな私を見捨てないで…。


2004年10月26日(火) やっぱり私は都合のいい女なんですか

食べ物が食べられなくなりました。
頑張って食べてみましたが吐きそうになりました。
吐き気止めも処方されなくなり、
胃薬も朝一回。
だから吐かない為に市販の吐き気止めを飲みました。
胃に何かが入るだけで気持ちが悪くてたまらないのです。

余りに酷い私を見て
母が病院に電話をしました。
本当は今日でも行けたのに
行く気力がなく
話す事も出来ないので明日にしてもらいました。
行って私は救われるの?本当に救われるの?


あれだけ私を振り回すだけ振り回して
私が具合悪くなるとそっぽ向くんですね。
大した方ですね。
ビックリしました。
あなたは自分さえ安定していればそれでいいんですね。
そして鬱になった私のことは無視ですか。
あなたのことをどれだけ心配してきたか
どれだけ支えてきたか分からないのですか?

どうもありがとうございました。
あなたがそういう人だと改めて知りました。


そして

この日記を読んでるあなた。
殆どの方は当てはまらないけど
あなたです。
あなたにはもうこれ以上此処を読んで欲しくない。
ずっとずっと前からそう思ってました。
お願いしますもう読まないで下さい。
お願いですから。
これを読んで自分のこと?と思った方の殆どは大丈夫です。
私がこの日記を自分から教えて今一番後悔してる方への
メッセージですから。
普段やり取りのある方とエンピツ関係の方は当てはまらないので
心配しないで下さい。

心配して下さった方々へ

本当にありがとうございます。
もしも元気になれたらちゃんとお礼メールを書きます。
本当にありがとう。


2004年10月25日(月) 生きてはいますが

何も考えられなくなるほど
何も手に付かなくなるほど
鬱が重くなりました。

最早欲しいものもしたいことも
みんな何処かに消えました。

何故こうなったのかなんて考えられません。

考えることも辛いのです。

生きていたくありません。
だからと言って死ぬ気力もありません。

本当に何も無いのです。

空っぽになってしまいました。

生きたくても生きられない人や
地震で亡くなった人に
こんな私の命を分けてあげたかった。

生きてはいますが
私の心は止まってしまいました。

生存証明だけの為に
このノートに書きます。


2004年10月24日(日) 緊急投薬開始。

昨日から今日に掛けて
出掛けて
色々な人に会って
色々話して
何とか切れそうだった糸が救われました。

特に今日一日付き合ってくれた幼なじみに感謝です。

しかし、やはりあの薬だけでは鬱を抑えられそうに無いので
いつだったか風邪引いて飲まなかった
抗鬱剤ルジオミール25mg四錠が出てきたので
明日から一日一錠づつ飲み、
金曜の診察まで踏ん張りたいと思います。

こんなに苦しむ筈じゃなかったのに。
10年前の私は、今頃の私を笑顔で想像してたのに。
結果は10年前より酷い有様。
幼かった自分に言ってやりたい。
今も私はまだ苦しんでいると。
そんなこと言ったらあの頃頑張っていた私が可哀相だ。
絶望して、更に絶望して、今の私はやはりいなかったかも。
だからこれでよかったんだ。
苦しいけどしんどいけど何とか生きてるから。


2004年10月22日(金) 薬。号泣。

変わってしまった抗鬱剤。
私には全然効かなかった抗鬱剤。
再び処方された、老人にも出すような弱い弱い抗鬱剤。

私は今、この薬だけで鬱を抑えていないとならない。


どうして…。
トレドミンに大分救われていたのに…。

私が太って辛い事を力説したら、
太らないよう、先生が一生懸命考えて
変えて下さったのだけど。


私には効かない。

そして。

昨日の夜から鬱が再発。
とても辛くて身を引き裂かれそう。

弱い弱い抗鬱剤は何の助けにもならない。


私だって辛いんだ。
辛いんだよ。
気付いたら、尖った物で手とかお腹を刺してた…
無意識の自傷。
なんの傷も付かなかったけれど、
心にはくっきり傷跡が付いた。


夜。

ある本を読んで号泣した。

悲しくて、悲しくて。
本を読んで泣くなんていつ以来だろう。


2004年10月20日(水) 絡まった糸。

台風の中の診察日でした。

お話したいことが沢山あったので、
珍しく箇条書きにしてメモして行きました。

ありったけの思いを先生にお話しました。

それぞれ、全て受け止めて下さいました。


…私には、やはり薬が効きにくいらしいです。
神経症だから、自分の性格が関係してるから。
薬は飽くまでも助けであり、本当に治す力があるのは
自分しかいないのだと思いました。

先生は、私の思春期の頃からの色々な重荷が
絡まって糸がほぐれなくなっているみたいで
それで余計に苦しくなっているのだと、そう仰いました。
少しづつ糸をほぐしていこう、と言って下さいました。
それだけで、少し救われた思いで。

結局のところ
自分で頑張らねばならないのだと。
そう実感したんだけど。
やっぱり苦しいよ。
力がほしい。
私は脆弱過ぎるから。

でも、もうここまで生きてきてしまったからには
生きるしかない。

春頃、私のことを秋に首吊って死ぬって言ったバカ占い師。
ざまあみろ。私はまだ生きてるぞ。
しかも死ぬ予定も無いぞ。バーカ。


2004年10月19日(火) 祖母・その後。何も無い未来。

二人の祖母は、未だに入院中。
二人とも命に関わる病気とかでは無いのだけど、
結局家に戻っても、足が悪かったり腰が悪かったりで
バリアフリーの作りになっていないので、
家に帰る方向で治療をしているようなのだけど、
なかなか家に戻れず、数ヶ月も経ってしまった。

特に遠方の母方の祖母は、やはり痴呆が入り始めているらしい。
老いるということ。
まだ自分が若いので、今まではこんなにも考えた事は無かった。
それ程、今年は「老い」について深く深く考えた。

大事な身内の問題だから。

私にはどうすることも出来ない。電話で話したり
会いに行くくらいしか。
いつか自分も老いていく。
そしてその前に両親が先に老いていく。
私はその事実を受け止められるのだろうか。
もう両親もそんなに若くない。
長女の私がしっかりしないとならないのに、
不安定グラグラまっしぐら。
どうしたらいいんだ。
先のこと、将来のことを考えると不安しか浮かばない。
此処の所毎日眠れず、いつも気付くとこんな時間。
考えるのは、どうしようもない、ネガティブなことばかりだ。

私が頑張らねばならないのだ。
それが分かっているのだけど
物凄い重圧感に押し潰されそうで、
何も無い自分の何も無い未来が怖くてたまらない。

だけど死ぬとか消えるとかそんなことはこれっぽっちも考えてないから。
考えるのはネガティブな事だけど、それだけは考えない。

私が死ぬ事は最大の親不孝だから…
そして、私は…
なにも無い自分だけど、こんなんだけど生きたい。
幸せになりたいんだよ。ただ純粋に。


2004年10月18日(月) どうでもいいこと…

保育園の頃、
今と違って私はガリガリに痩せていて、
小食であまりいっぺんに食べ物が食べられなかった。

保育園の給食が大嫌いだった。

私はみんなより食べるのが遅くて、
しかも全部食べないと先生に怒られるから、
頑張って一生懸命食べたけど、それでも時間内に
間に合わなくて、「全部食べるまで廊下にいなさい」と
机ごと廊下に出されて、みんなが遊んでいる時に、
独りでまだ残っているまずいパンを食べていた。
それでもどうしても食べられなくて、給食袋に
パンを隠した。
後から見回りに来た先生に隠したパンが見つかって、
「何でこういうことするの!全部食べなきゃダメ!」
と物凄く怒られた…。
胃も小さくて、もうお腹いっぱいで、食べられなかったのに、
怒られて、独りで廊下に座ってて、他の子がジロジロ見てた…。

私はピンクのクレヨンが好きで、
お絵かきの時はピンクの絵ばかり描いてた。
そしたら先生が、「何でいつもピンクばっかり使うの!
もっと他の色も使いなさい」ってまた怒った…。



何で今になってこんなこと思い出すんだろう。
こんな大昔のどうでもいいこと…。
本当にどうでもいいこと…。
何で急に今思い出したのか分からない。


2004年10月17日(日) trauma

未だに、誰かが笑っていると、
自分のことを笑われている気がする。

些細な事なのだけど。

例えば、今日も。
コンビニに行って、会計を済ませた後
何故かレジの女の子が爆笑した。
一体何がおかしかったのだろう。
もしかして、私?
自意識過剰かも知れないけど、未だにこういう気持ちになる。

中学生の頃に深く深く刻まれた、
傷が未だに疼く。
何かの拍子で。
いつになったら消えるのだろう。
一生消えないのかな。
それなら仕方ないから、共に傷と歩んでいくよ。

でもやっぱり辛いんだ。
traumaは今も深く深く深く残る。


++++


ずっと調子が安定していたのに、
また下降線。
色々あったからな。
疲れてるのかも。

無理に笑うなんて出来ない。
寧ろ泣きたいんだよ。

また、大鬱の波に飲まれそう。
溺れたくない。
溺れたくない。


タスケテ…。


2004年10月13日(水) +10kg。ひねくれ者の刃を受け…。

クリニックに通い始めて、二年とちょっとになった。

その間に、ちょうど10kg体重が増えた。
病院に通い始める前はつまり今より10kg痩せてて
それがずっと普通で安定していた。

メンタル系の薬が太るのは本当だと思った。

正直、最近かなり自分の体重が嫌で嫌で
鏡を見るのも辛い。
太っている自分。
醜い自分。
鏡を叩き割りたくなる。

色々痩せようと努力しているけれど
一向に痩せない。

病院に通って元気になっている気はするけれど
その薬が原因で、別に悩みが増えるなんて…
違うところで副作用が出ている。

先生に訴えても、あなたは全然太ってないよと
いつも仰って下さるのだけど、現実はこんなにも太ってる。
先生は見えないところで食べているのかもしれないねと仰った。
自分はそんなに食べていないつもりだったのでショックだった。

体調も悪いし、ベスト体重だった頃より明らかに疲れやすくなってる。
体も重くて重くて、体重が合ってないのだと痛感する。
見かけも悪くなり、昔の友達には会えなくなった。
ずっと定期的に会っていた友人には会えるのだけど。


本当に辛い。
肉体的にも辛いけど
精神的に物凄く辛い。
どうしたら痩せられるんだろう。
食べなきゃ済むことなのだけど。
食べないと死んでしまうから。

今は生まれてから一番太ってる。
こんなにも太った事はないというくらい。
洋服も着られなくなった。
お気に入りがきつくなった。
入らないパンツやスカートを見ると悲しくなる。

神様。お願いなので私の体重を奪ってください。


++++

話は変わるけど。
メル友にまた刃を投げつけられた。
下らない。余りにも下らない。

私は素敵なHPを見ると素直に感心し、
その方に伝えているのだが、彼女は私の褒め言葉を
かなり穿った受け取り方をした。
私は純粋に褒めているのに、私に「前々から思っていたけど
そんなに対抗意識持たなくていいですよ」だって。

ハァ?思わずメールを読んで呟いた。

アンタ、何考えてんだ。
訳わかんない。
誰が対抗意識なんて持つって?
私はアンタに対抗意識なんて一度も持った事ないし
純粋に褒めてただけなのにどうしてそういうこと言うのかね。
信じられない女だよ。アンタのような人種初めて。

そんな風に思われているのは流石に心外なので
即座に正直な気持ちを書きメールしたら、
一転して謝罪メールが。もう本当に訳が分からない。

正直、これ以上ネットの人間関係で煩わしい思いをしたくない。



2004年10月03日(日) 還らない宝物

買い物に行き
可愛らしいあの子達を眺めていたら、
想い出が走馬灯のように心を流れた。

幾ら願っても
もう還らない。

大切な大切な宝物は。

今は私の心の中にしか存在しない。
見えないけれど、存在していた証はこの胸の中にある。

蹲って泣きそうになり、
帰宅してから卒倒しそうになり、
それほどまでに思い詰め、
フラッシュバックのようなものが起きたけど、
これから少しでも笑顔でいたい。

空に向かって微笑むから。
そしたら届くと思う?

心配掛けてごめんね。
ちゃんと生きていくから、そこから見ていてね。


Ira

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