埃まみれのノートブック
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2004年05月30日(日) 見知らぬジジイに怒鳴られる

ちょっと東京に行ってきたんですけど…。

JRAのWINSだっけ?馬券を買うところが
私の行った水道橋にあったんですね。
で、ダービーだから母が買いたいと言い出して。
近かったからまぁ、いいか、と思い
付いて行ったんだけど…
何だか凄い人の数で。

当然混雑して、暑さも手伝って、何だか気分がよろしくなくなり
それでも人とぶつからないよう、気をつけて歩いていたのだけど
いきなり後ろから思いっきり人にぶつかられて。
痛かった…。しかも、そのぶつかってきたジジイ(あまりにムカついたので
こう呼ばせて下さい)が自分からわざとぶつかっておきながら、
酷く汚い罵声を私に向かって浴びせてきて。

「オラ!とっととどけよ!邪魔なんだよ!」だって…。
すっごい憎しみがこもった口調で。

私はただ普通に歩いてただけなのに
何で全然知らない馬鹿なクソジジイに罵声を浴びせられる訳?
もうめちゃくちゃ頭に来た…。
気分最悪で激鬱になってしまった。

だから競馬なんて嫌なんだよ。
ああいうガラが悪い人間、最悪な野郎がいるから。
母は、私の気分の悪いのを察して流石に馬券は
買うのをやめたけど…。
暑いし湿気が凄いし精神的に最悪で
暫く無言でずーっと歩いてた。

こんなことで鬱になる私もいけないけど。
東京には色々な人がいるね。
東京だけじゃないけど。
ああいう、他人に八つ当たりする馬鹿は
早く逝ってください。言葉が過ぎたと思ってるけど
書かせて。これだけだから。
あんた、人間として最低。
よくその年まで図々しく生きてこられたわね。
老人は尊敬するけど人にも寄るんだよ。
あんたみたいな奴、消えて欲しいです。

競馬なんて今は嫌い。
昔は、サラブレッドが走る姿を見るのが好きで
ただ、単純に走る姿を見て癒されてた。

でも
サラブレッドは、足を骨折してもう歩けなくなると
安楽死させられるという事実を知り、
そうしなければ馬が苦しむから仕方ないと
分かっていても見るのが怖くなった。
知らないだけで、成績の悪い馬たちは
私たちの知らないところで殺されているんだよ。
ただ、速く走れないというだけで。
その点、話題のハルウララは、逆にスポットライトが
当たって本当に幸せな馬だと思う。
本人?はどう思ってるか分からないけど。

最早、レースを見ることすら出来ない。
生でライスシャワーとかサイレントスズカが
怪我をするのを見てしまい、その後の安楽死が
決まって大泣きした。

走るためだけに生まれてくるサラブレッド。
ねぇ、君たちは幸せですか?


ああ、良いことがあった後なのに気分がイマイチ。


2004年05月28日(金) 友達の彼氏に会うの巻

幼なじみと、その子の妹と三人で映画を観てきました。
ナイト上映だったので、終了後食事をすることに
なっていたのですが、幼なじみの彼氏から連絡があり
友達も一緒に食事しましょうとのことだったので
彼女に「嫌ならいいからね」と言われたけれど、
三人だけじゃないし妹ちゃんもいるし、まぁいいや…
ということで食事をすることに。

その例の幼なじみ、彼氏が出来て云々…と
私がよく日記にぐちぐち書いてた子です。

その彼を待っている間、鬱にならないか不安だったけど
一度彼に会った事があるという、妹ちゃんが
こっそりその方の印象を教えてくれました。
「二、三年経ったら生え際がやばそう」とか言ってたので
おかしくて不安な気持ちが小さくなっていました。

何故このようないきなりの展開になったのか
分からないんだけど、まぁそんなに悪い人では無さそうだし
幼なじみも幸せそうだったので、実際目の前にしたら
今までのモヤモヤした気持ちが薄らぎました。
大分私たちに気を遣ってくれてたのが分かったし。

しかもおごって頂いてしまいました。
いきなり見ず知らずの人におごってもらうなんて!
図々しいぞ私。だって向こうがそう言うから…
かなり恐縮し、しかも皆で私の家まで送ってくれたので
ますます恐縮していた私です。

そんな訳で奇妙な一日だったけれど、
とりあえず彼女が幸せなら、それでいいやと思えるようになったのは
良かったかも。私、ちょっと成長。
今までは勝手に一人でいじけてただけかも。
寂しかったのは事実だしね。

これをきっかけに、彼女との付き合い、上手くやって行けそうな
気がします。
妹ちゃんも、可愛いし。(名前を出すのがまずいので変な呼び名
で書いています)もう彼女たちとは小学生の頃から
付き合ってるので、時が経っても絆が消えることは無さそう。

百聞は一見にしかずって本当だなと実感しました。
今度また、三人で旅行にでも行けたらいいね。


2004年05月27日(木) 蒼い空の下

昨日の診察。
不意に泣きそうになった。
でも泣かなかった。
泣き始めたら永遠に泣いてしまいそうな気がしたから。


追いかけて
追いかけても
掴めないものばかりさ

愛して
愛しても
近付くほど見えない


現実は、この歌詞そのもの。
キャンバスに描かれる色は、いつも二色。

思い起こすのは穏やかだった日々。
過去は要らないけど、キミとの日々は無くしたくない。
身勝手だと分かってるんだけど。

晴れの日でも濁った空をいつも見つめてたの?
この透き通るような青空をあなたに見せてあげたい。
いつも此処の空は、綺麗な蒼なんだよ。

見えない手が繋がってると信じてた
ほつれた糸を手繰って近付いて
そこまで辿り着きたかった

ココに空いた穴は
今もぽっかりと黒い出口を剥き出したまま


2004年05月25日(火) またね

昔、やりたかったけど出来なかったこと。
それをある人に話したら、ちょっと呆れられた。
まあ、暗い話だから引くのは無理ないけど。
今日の彼女は機嫌が悪かったのか、
最後まで怒られっぱなしだった。

でも、もうすぐ彼女はこの街を去る。
彼女に対して色々な複雑な思いはあるけれど、
素直に寂しいと思う。
けれど、彼女と私は根本的に、全く価値観が
違う人間なのだと思う。

いつかまた、この街に戻るらしい。
そしたらスタバで一緒にコーヒー飲もうねだって。

ごめん、最後まであんまり楽しい思いをさせてあげられなくて。
私がいけないんだよね。
でも、あの日飲みすぎて酔っ払ったあなたが、
「Eさん大好き」と言ってハグしてくれたのは忘れないよ。
さよならじゃなくて、またね。


++++++

年上のお友達が、初産で元気な男の子を産んだ。
早速、今日、お祝いのプレゼントを買ってきた。
彼女にはお世話になっているので、ちょっと奮発して。
新しい命を自分が生み出すのってどんな気持ちなんだろう。
すごく不思議。
育児はすごく大変みたいで、最初は辛くてたまらなかった
とのことだけど、今は慣れてきたみたいで。良かった。
みんなで、幸せに暮らしてね。
大切なお友達が幸せだと、私も嬉しいよ。
自分は子供を産めないと思っているから、
赤ちゃんを授かる人の事を純粋に羨ましいと思う。

新しい命が地球上で産まれると同時に
自ら命を絶つ人たちがいる。
自ら命を絶ったら、魂は何処に行くんだろう。
どうして、この世の中はこんなに理不尽なんだろう。

私は、死にたいとは思わないけど、
元気溌剌で笑顔で生きることは出来そうに無い。

あの日失ったものは、余りに大きかった。
もう、返らない。

しんどくて、頓服をいつもより多く飲んで耐えています。
これでも生きてるから。
一応生きてるから。


2004年05月23日(日) 流転する心

胸が痛い。
込み上げるこの感情は何処から来るのだろう。
いつまでこんな日々が続くのだろう。

そんな目で見つめないで。
泣きたくなるだけだから。

どうして孤独なんだろう。
こうしてる間にも時は刻まれていく。
還らない時間の中に何かを落としてきた気がする。
拾うことも出来ない過去の遺物。

未来は創るもの。
この手に何かを作る力が残っているとは思えない。
踏み出すことが怖い。
一歩踏み出したら地雷を踏みそうな気がする。
何を恐れているのだろう。

こんなにも小さくて空虚な自分は喧騒の中に溶けてしまいそうだ。
誰にも見つけられない迷宮に迷い込む。
そんな風にになっても助けに来てくれる人はいるのかな。

いつも心の中でSOSのsignalを発してる。
顔で笑って心で泣いて。
拾って欲しいよこの精一杯のsignalを。

ふと思い出すキミの言葉をなぞる。
何度も何度も反芻しながらそれを支えに留まる。
あの頃に帰りたい。
此処は自分の場所じゃない気がする。
仮の空間。

手を繋いで欲しい。
その暖かい手を。
いつも自由な両手が悲しい。
この手が誰かを求めてる。
何も持たないこの手が。


2004年05月22日(土) 嫌がらせじゃないよね

アクセス解析なんて付けないほうが良かった…
不安になるだけだし。

Yahooのメールボックスから、
この日記にアクセスが大量にあったのだけど、
最近Yahooメールの相手にこの日記のアドレスを書いた
覚えもないし、また誰かが勝手に日記の存在を
流したりして嫌がらせしているんではないよね。

別にもうどうでもいいけど、
正直言って不気味。

こんな日記晒したってつまらないだけですよ?
嫌がらせだったらやめてね。
違っていたら、ごめんなさい。
色々あったので疑心暗鬼になってしまうんです。


2004年05月20日(木) ある雨の素敵な一日 +鬱な話

5/19は、とても密度の濃い一日でした。
きっとこの日のことはずっと忘れないでしょう。

in 名古屋

C&Aのライブに行くため、一人で遠征。
この機会に、近隣の市に住む、
長いお付き合いの大切なメールフレンドさんと会うことに。
本当は会えない筈だったんだけど、直前になり
会えることになって。

不思議だね。
文字でしか会ったことの無い人と
実際に話すのは。
メル友さんというか、ネットで知り合った人と
会うのは三回目くらいだけど、
ネットの付き合いから、実際のリアルな付き合いに
なれるのは本当に嬉しい。
それが仇となり、縁を切られたこともあるんだけど…
あれは私には非が無かったと胸を張って言えるから。
もう仕方ないと思う。

○○さん(名前、イニシャルでも
出すとマズイかも知れないので伏せておくよ)
本当にありがとう。とても幸せだったよ。
○○さんはとっても可愛くて素敵な人で、
嬉しかったよ。
また、絶対に会おうね。

前に日記にも書いたけれど、
ネットで知り合った大切な人には
必ず会いたいと思う。距離的に難しい人もいるけど、
絶対に会いたい。

その後、ライブに向かう。
私はC&Aのライブなら這ってでも行ける根性があるようだ。
じゃなきゃ、一人で遠征したり出来ない。

ライブ前に、数年会っていないC&Aのファン友達と会った。
彼女の無神経さが辛くて、一時期距離を置いていたのだけど、
あれから暫く経って、自分で過敏になって
彼女の嫌なところしか見えていなかっただけのような気がする。
改めて会ってみれば、気さくで明るくて、親切だし、
その笑顔に救われた思いだよ。
Kさんごめんね。此処は見てないけど。
あなたとは年が10歳も違うけど、これからも宜しく。

それと、五年前にライブで隣だった方と再会。
これはすごい偶然なんだけど。
これまた、嬉しかった。「安息の日々」を聞いて
涙したあなたを思い出します。つられて私も泣いたんだっけ。

ライブの前に席に着くと、隣の席の方に声を掛けられた。
チケットが余ったので、連番の席の一枚を譲った相手。
どんな方かしらと思っていたら、私と同年代の娘さんが
おられる、50代くらいの女性でした。
良い方でした。
全然知らない方なのに、共通の趣味?があると
意気投合するものなのですね。
またいつかお会いしたい。
彼女は「またきっと会える気がする」と仰ってましたが…。

そんな訳でライブを堪能し、
色々な人と会い色々な想いを暖かく抱いた素敵な一日でした。




なのに…
帰ってきてそうそう、鬱になる出来事が。

ある知り合いと話さなければならなかったので
色々と話していたら「Iraちゃん、これからどうするの?
いい加減親も何か文句とか言うでしょ?」の一言。もうこれには参った。
その時は普通に言葉を返すことが出来たんだけど
後になってジワジワ効いて来て鬱々…。
自分が病気だってことは言ってあるんだけど
多分心の病気とまでは知らないと思う。
と言うより聞いてこないのでもしかしたら気付いているのでは…。
だったら尚更そういうこと言って欲しくないなぁ…。
アナタは、キャリアも手に入れて、順調で
幸せいっぱいって感じだけど。
アナタだって「いい加減その年で結婚しないの?」って聞かれるの
嫌でしょ?それと同列にするのは良くないかも知れないけど、
人には色々事情があるんだよ。

今は未来が見えないんだよ。
考えられない。
頼むから急かさないで。
自分のペースでいさせて。
いつまでも鬱々していられないことは分かってる。
でも心が言うことを聞かないんだもの。
自分でも何とか元気になりたいと思ってるんだから。

どうしていつも、良いことの後にこういう気分になるのかね。
日頃の行いが悪いから?
もううんざり。


2004年05月18日(火) それはいつも突然に

どうしていつも突然なんだ。
余りにビックリして固まってしまったよ。

また、悲しいことを乗り越えなければならない。
しかもダブル。
あとどれくらい乗り越えれば、虹が見えるの?
この空はまだ雨雲だらけだよ。

ショックなことは重なるもので
少し悲しいメールを受け取った。
本人にとっては良いことなのに
私にとっては悲しいこと。

笑うことがこんなに苦しいなんて思わなかった。
泣きたいのに、無理して笑うのが辛かった。
顔、引きつってたよね、きっと。



2004年05月17日(月) どうしてすぐ落ちるんだろう

最近は、割と穏やかに過ごせていたのに…
何だかまた落ち気味です。
色々思いつめてしまう悪い癖が出て。

そして、とても寂しい。

私はやはり寂しがりやだった。
当たり前のように過ぎていく時間が、苦痛で。
このまま独りきりでどこまで歩けばいいの?

独りで歩けるって思ったのに。
どうして泣きたくなるんだろう。
どうしていつもこんな切ない気持ちになるんだろう。

歩こうって決めたのに。
決断した後に、私はすぐに落ちてしまう。

結局は、怖いのだと思う。
歩くのが怖いのだ。
たった独りきりで。

目の前に広がる道はとても狭くて。
そして暴風雨。荒れ模様。
傘をさしても、飛ばされてしまうだろう。

踏ん張る力は、今はもう無い。
助けてなんて言わないよ。
だって助けてくれる人は側にいないから。
そして、心配を掛けるのはもうやめなくては。

水曜はライブ。
あんなに楽しみにしてたのに
こんな精神状態じゃダメだよ。
少しでも元気になりたい。


2004年05月15日(土) ひとりだけど

ずっとずっとひとりだった。
それが寂しくて辛くて、死のうと思ってた。

でも、今はひとりでも何とか生きていける気がする。
寄り添う人がいなくても、私はそれなりに生きる。

誰かと寄り添う人を羨ましく思う気持ちは消えないけど
自分はひとりでも、自分らしく生きられればと思う。

前向きにはなれないけど、
少なくともクリニックに通う前の私にはサヨナラしたいと思う。
あの頃の私と今の私は、もう違う。
そう思えるようになったのは、ごく最近のこと。

何かの拍子でまた落ちてしまうことがあると思うのだけど、
ひとりでも、ささやかに感動したり、喜んだり、
幸せを感じていたい。

物質的にひとりは寂しいけど、
精神的にはひとりじゃないと思える気がするから。

いつか、心から笑いたい。
誰かと笑いあいたい。
そんな日は来るのかな。
来て欲しい。

もう、暗闇は沢山。
だからその為に、弱い自分と向き合いたい。
弱い自分を丸ごと受け入れたい。
そして、強くなりたい。


2004年05月12日(水) 受信トレイ未読120通

何だか蒸し暑いです…
私の部屋だけ?
最近、毎日日付が変わる頃になると、
愛猫が私の部屋にやって来て、私のベッドの下で
眠ります。今も寝ているところ。
暗くて適度な温度でちょうどいいのかも。
クッションが引いてあるし。

タイトルは、たまっているメールにうんざりしたので
それを表してみました。
何でいつもこうためてしまうのかなぁ。
殆どはメルマガとか、そういうのなんだけど。
読むのがだるくて、でも何故か読んでないのに勿体無い、
と思って捨てられなくて、結局たまっていくばかり。
勿論大切なメールはすぐに読みますが…。

メールのお返事もかなり滞っています…。
此処を読まれている方で、私からのメールが来ない
という方、申し訳ありません。
必ず書きますので待っていて下さるとありがたいです。


ずーっと無気力で。
何も手につかなくて。
でもやるべきことは色々あって。
空回り。虚しいだけ。

でも、今日は通院日で、
先生に色々と暖かい言葉を頂き
少しパワーを貰えた気がする。
焦らず、進めたらいいのだけど。

来週はライブもあるしね。それだけが心の支えだよ。


2004年05月10日(月) 鬱の特集を見たけど…

日テレでうつ病の患者さんの特集が放映されていたので
見ました。
私はうつ病じゃないけど鬱になるのは同じなので…。
うーん。何だか見て気分が落ち込んでしまった。
何故だろう?
あの番組構成じゃ、ますますいわゆる「普通」に元気な人が見たら
理解できないだろうなと感じた。
最近、少しづつ心の病気の特集がされるようになってきたけど、
まだまだ世間の理解は少ない。

最近、ネットで知り合った人に、「そういう考えはダメだよ」
とかって決め付けられるような意見を言われたんです。
なんかそれがすごく嫌で…。出会って間もないのに
人の事が判るの?そんな風に言い切れるの?
人の事を考えたら、そんな無神経な言葉は出てこないはず。
よく知ってる古い友達で色々言い合える仲なら別だけど…。
ネットで文字だけ少しやりとりしただけで何が判る?


15人に一人が鬱って言ってたけど
本当なのかな?
かなり多い。
実際生活していて、鬱の人に出会ったこと、ないんだけど…
強いて言えば幼なじみが鬱になったくらいで。
分からないだけで、本当は隠していて心の病気の人もいるかも。
私が殆どの人に隠しているように。



そう言えば、その特集の中で出てきた男性は
強迫性障害も患っているとのことで、
昔の嫌な記憶を思い出してしまった。

私には、今考えると、小学生の頃から
心の病の芽みたいなものが出現していたように思う。

今の家に引っ越してきた時、
当時9歳だったんだけど、何だか分からないけれど
不眠症になってしまい、とにかく怖くて怖くて
たまらなくて、何故かガスの元栓がすごく気になって、
夜中に何度も閉まってるか確認しに行ってた。
9歳の子供がですよ?
信じられないよね。
それで、とにかく恐ろしくて眠れないので、
母に「一緒に寝て。お願い。」と言って嫌がる母と
一緒に寝ていた記憶があります。
これ、どれくらいの期間続いたんだろう。
よく思い出せないけど、あの頃の恐怖は今もはっきり覚えてる。
どうしてあんなことになったのか、分からない。
新しい家が怖かったのかも。
いつもどこかで緊張してた。
学校でいじめも少しあった。
なんか色々あって、そういう症状が出たのかな。

あの頃の幼い、震えている自分を今抱きしめたい。
馬鹿みたいだけど、よく頑張ったねって。


2004年05月08日(土) おかしい

自分がおかしくなっているのを感じる。

無意識のうちに「もう死んだ方がいいや」とかって
母に言ってるんです。

こんなこと言うつもりじゃなかったのに、何でだろう…
しかも本気でそんなこと思ってないのに。

自分が明らかに変。

どうなってるんだろう。
何でこんなに不安で寂しいの?
一体私は何を求めているの?

すごく怖い。怖くて怖くて。

力も入らなくて、
食事をする時に箸が掴めなかったり。
体もおかしくて。

何処に行くんだろう私は…
何処に行っても行き場なんてありゃしない。


怖い。怖い。怖い。


2004年05月06日(木) 原因不明の不安

映画の約束をしていた友にドタキャンされました(涙)
何でも、彼女の妹(私も妹さんとも友達です。)さんも
行きたいって言い出したらしくて、次の妹さんの仕事の休みが
28日だからその日にしてもらえないかって。
内心、ちょっと鬱になったけど、まぁいいかぁ、と思い
いいよ、じゃあ28日に行こうねって明るく返事をしておきました。
一応無理言ってごめんねと言われたので、
まぁ良しとします。
ちなみにその彼女、この間の「例の幼なじみ」でございます。
うーん。
いつもは映画は一人で観るんだけど
折角友達と観られると思って楽しみにしてたのにな。
まぁ、行けない訳じゃないから、いいよね。

何か原因不明の不安に取り付かれています。
もう、訳が分からない。
何が不安なんだろう。
生きていくこと自体が?
抗鬱剤、全然効いてない。ワイパックスも。
やはりレキに戻して頂きたい。
先生、どうすればいいですか?
頓服はそれなりに効いているみたいです。
胃薬もずっと飲んでるけど、
いつも鳩尾が痛いです。
そして、毎日偏頭痛。
もう体調も最悪です。
しかも何この時間。
毎日夜中に何やってるんだ、私は。

寂しいし、不安だしで何だか落ち着きません。

今年になって、ネットで新たに素敵な方々と出会えました。
幸せだと思っています。
本当に。

大切な人たちに、
心配を掛けたくないけど、
これが今のありのままの私です。
ごめんね。


2004年05月03日(月) 祖母のお見舞い

父母と、祖母のお見舞いに行ってきました。

久し振りに会った祖母は、
何だか一回り小さくなったように感じました。
そして、とても年を取ってしまって…

私が顔を出したことが、
すごく嬉しかったみたいで。
本当に喜んでくれました。

あんな病院にずっといるのは、
精神的にとても辛いはず。
だってやることが何も無い。
テレビは有料、ラジオも電波が入らない、
そして話し相手がいない。
寂しいし体は辛いしで、私だったら一日で参ってしまいそう。
祖母が余りにも可哀相だったのに、私はただ笑顔でいることしか
出来なかった。

いつになったら退院出来るのかな…?


ごめんね、おばあちゃん。
こんな時まで私の心配をしてくれて。
大きくなったねーって言われたけど、
私はもう2X歳になってしまったよ。
年より大分若く思っててくれたみたい。
孫が大勢だから、いちいち細かい年まで覚えてないよね。

こんな年なのに
痴呆にもならず、しっかりと話すおばあちゃん。
だからこそ私は心配される訳で。

「若い人はこれから何でもできていいねー」って。
そうだね。
やろうと思えばきっと何だって出来るよ。
なのに、何も出来ない自分が情けないよ。

最後に「期待してるからね。」と優しく言われ
泣きそうになった。
期待に応えられるだけの事、なにもしてないから。。。
しっかりと手を握ったら、私の手、とても暖かいって。
おばあちゃんの手は冷たくて、
私の体温で少しでも暖まればと強く思った。

なにも出来ない情けない孫でごめんね。
多分、10人の孫と3人のひ孫の中で、
私が一番出来損ないの人間だよ。

祖母に、私の結婚式を見せてあげたいと心から思った。
でも、私は多分結婚しない、と言うより出来ないだろう。
祖母が生きていてくれる間に、
願いが叶うといいのに…。

やっぱり、この日記書きながらボロボロ泣いてしまっているよ。
何でこんなに涙が出るんだろう…。
でも、今日のうちに言葉にしておきたかったから、
此処に綴ります。


2004年05月01日(土) 祖母

父方の祖母の話です。
祖母は92歳。かなりの高齢です。
私の年齢からするとかなり年を取っているのですが、
末っ子の父が生まれたのが40歳近い時だったようなので、
この年齢になってしまうのも仕方がないことです。

私は幼い頃、おばあちゃん子でした。
小さい頃、畑仕事をしている祖母にべったりで
大変だったそうです。
一緒に暮らしていなかったのですが
家が近かったので、よく妹と遊びに行って
三人でイナゴを捕まえて佃煮にしたり
(グロテスクでごめんなさい、我が県はゲテモノ食いなんです。
流石に今は食べられません…無邪気な子供だったので
食べられたんでしょうね。)
祖父と祖母のところに泊まりに行ったりしていました。
全て、小学生までの話ですが…。

中学生になってからは心配の掛け通しでした。
でも、私は悪いことなんて一切してない。
今でも自信持って言える。
普通の子と違ってしまった私は、心を病み
「普通」でなくなりました。
田舎なので、年寄りは道から外れて普通じゃなくなった子
を色眼鏡で見るようになります。
そんな視線と言葉が痛くて痛くてたまらなかった。

私が大人になった今でも
祖母は私のことを色眼鏡で見ています。
普通の子として見て欲しかった。
憐れみは欲しくなかった。
大好きだったのに。でも今でも大好きだよ、おばあちゃん。

祖母は今、足と腰が酷く痛んで眠れないほどの状態なので
入院しています。
心配。
早く退院できるといいのにね。
全然お見舞いに行けなくてごめんなさい。
早く死にたいなんて言わないで。
母に「楽に死ねる薬を買ってきて」って言ったらしくて
すごくショックだったよ。
苦しくて弱気になってしまうのは分かるけど…
あんなに気丈だったのに、悲しいよ…。
そろそろお見舞いに行くからね。


Ira

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