この世で一番鋭いもの、とまで言われる「女のカン」。わたしはこれ、あまり備わってないです。野生の勘、みたいなのもほとんどありません。テストも、ヤマかけするより、きちんとまんべんなく勉強したほうが点をとれたし。というわけで(?)ギャンブルやくじにも惹かれないです。かなり高い確率であたらなさそうだから(笑) あ・話がずれた。話は戻りまして、女のカン。彼氏や夫が浮気するとすぐにわかる、とかいうあれですが。わたしはたぶん、9割9分わからないと思います……。そのあたりは、とくに激しく鈍いので。おそらくよっぽどベタなへまをしてくれないと気付けないでしょう。隠し方が妙だったら、あれー、なんか変かな? くらいはわかるかもしれないけれど、なんで変なのかとか、どこが変なのかまではわからないと思います。 自分以外のひと(クラスメイトや職場の人など)も、誰が誰を好きだとかくっついたとか別れたとか、さっぱりわからないほうでした。こういうのって鋭い人は本当に鋭いようですが、うーん、いまだに全然わからないです。言ってくれないとわからない(言われてもぴんとこないこともあり)。 派閥のように、グループに分裂して争っていたときも、わたし、抗争図みたいなのは、さっぱりわからなかったしなぁ……。家庭が不和だったので、そのへんが麻痺しているのかも。雰囲気が悪くても、それを打破したり回避したりするより、慣れて平気になるほうだったし。 わたしに好意をもってくれたひとがうんと優しくしてくれたとしても、へー親切なひともいたもんだ、としか思わず、好意をもっても素直になれずに苛めてしまう、というタイプに気に入られたら、嫌われてるなーとしか思わないような気がします。また、本当に嫌われていたとしても、ものすごく高度な嫌味にして言われたら、もしかして理解できないかもしれない。 こう書いていたら、よく世の中生き抜いてこられたなぁというか、カンがなくても意外となんとかなるのかなぁという気がしてきました。
放っておくと忘れそうなので、昨日の話題の続きです。WEBで知り合った人たちは、現実で出会った人たちと記憶の質が違うよ、という話。 結論から言ってしまえば、WEBで出会った人たちのことは、現実に出会った人たちよりはるかによく覚えています(ちなみにわたしはWEB上の知人さんと現実で会ったことは一度もないので、そういう例は出せないです)。たぶんわたし、画像処理より言語処理のほうが楽なタイプなのだと思います。あと、文字が好きで。ことばの影響力が一番強い。だから、あまり忘れない。そして、よく思い出します。 たとえばある食べ物が好き、とどこかに書いてあったとします。その食べ物を見ると、たまに思い出したりします。出身地を知ってる場合、集中豪雨だとか、地震があった場合、大丈夫だろうか? と思います。職業を知ってる場合、同じ仕事をしてるひとを見て、ああいう風に仕事してるのかなと思います。同じ品番の口紅を使っていれば、塗るときに思い出します。そんな感じ。 メールや掲示板でやりとりしたひとは勿論、単にROMしてるサイトの管理人さんのことを思うこともあります(一方的にただぼんやり思うだけで、何をするわけでもないですが)。そのかたのつづることばが大好きだと、サイトが閉鎖されても、移転されて行方知れずになっても、ほのかに恋しくなったりします。顔も名前も知らない人だけれど、どうしているかなと思います。しあわせだといいなと思います。 ただ一方的に思ってるだけで、現実にはなんの効力もない、そういう関係も好きなのです。こう書いてみると、インターネットがある世界(時代?)に生まれてよかったなとしみじみ思えてきました。
ときどき、吹いてくる風の中に。何か昔と同じような肌触りを感じることがある。ああ、こういう日が昔もあったような気がする、と。でも、それがどんな日でどんなことがあったのか、というのはよくわからない。ただ、懐かしさや心苦しさやせつなさだけが胸に迫ってくる。 少し前、夫と歩いていたとき。 「わたし去年のいつ頃がどんな気候だったとか、自分が何してたとか、全然覚えてないよー。毎年新鮮でいいけどさー」と言ったら、 「それは人間として、というより生き物として問題がないか?」 と困ったような顔で言われた。彼はわたしがあまり多くの記憶を持たず、というか持てず、少しの記憶だけで暮らしているのを一番よく知っているひと。 わたしの頭は、記憶をおいておくスペースが異様に小さいか、スペースがたくさんあっても少ししか書き込めないのか、書き込んでいても読めないのか、同じ所を何度も上書きしていて新しい記憶しか引き出せないのか、とにかくあまり性能がよくないのだと思う。また、そばに優秀な外部記憶装置のようなひとたちがいたので、余計に怠けているのかもしれない。 辛いことを忘れられるのは福音かなと思うけれど、楽しいことを覚えておけないのは呪いのようだ、と思うこともある。記憶は全部がとけてなくなるわけではないらしいので、かなり強いロックがかかっていたり、忘れたことにしていることが大量にあったり、という可能性もあるのだろうけれど。 記憶の中でも、一番弱いのが、おそらく「ひと」の情報であるように思う。昔から人の顔や名前を覚えるのはかなり苦手で、クラスメイトなんて仲のよい数人しか覚えられず、それすら卒業すれば忘れてしまうほうだったし、芸能人も、好みでなければほとんど覚えられない。そのことで苦労はあまりしていないが、過ぎれば消えていくことばかり、というのはすがすがしい反面、さみしい人間になるのかも? という気もする。 愛情の反対は無関心だ、という。一番辛いのは忘れられることだ、とも。とするとわたしは、かなり冷たくて薄情な、とてもひどい人間なのだろう。 *ちなみにWEB上でであった人は、またすこし感じが違います。でも、長くなったのでその話はまたいつか別の機会にしますね。
わたしが就職活動をはじめたころは、ちょうど氷河期、という言い方が使われだしたあたりだったと思います。もちろんそれだけが理由ではないのですが(要領悪いしとろいし世間知らずだし)、不採用通知はそれなりに受け取りました。このたびはご縁がなかったということで……というあれですね。最初は貰うたび、ずーんと落ち込んでいたのですが、数をこなすとだんだん平気になってしまい、そっかーご縁がなかったのねー。じゃ次いこー、みたいな感じになっていました。2月にやっと拾ってくれる会社が見つかり、あーこことはご縁があったのね、と思った記憶もあります。 その後もこの「ご縁がある・ない」という発想は、わたしのなかで気に入ったまま定着しました。もともと粘り強くも根気強くも忍耐強くもないので、ずっと悩み続けたり、執着し続けたりするパワーやエネルギーも弱いのだと思います。人間関係も、ご縁があればうまくいき、なければ駄目なんだろうな、と思うと楽になれる気がしたんですね。何かうまくいかないことがあっても、まあそういう運命だったのかもしれないし、そういう人生もありだろうし、とか、どんどん簡単に片付けてしまう癖がつきました。考えなくてはいけないことも、しなくてはならないこともたくさんあるなら、過ぎたことに関しては、とりあえずあまり時間を割きたくないなと思うようになっていたので。 縁、というのは不思議なもので、世の中にどれだけ沢山の人がいても、会える人は限られているし、会えても会わないままだったり、ほんのちいさなはずみで会えたり会えなかったり。土地でも、とくに行きたいという意思がなくても、妙に関わりの出てくる場所があれば、行きたいなと思っていても、思うだけで終わってしまう場所があったり。面白いなぁ、と思います。子供の頃こうなるとは思ってなかったなぁ、大きくなってからも予想すらしなかったよなぁ、ということを経験できたりすると、自分の意思だけで生きてるわけじゃないんだなぁ、としみじみ思います。 WEBの世界でもそう。enpituを使っていなかったら出会えなかった人がいる、詩を書いていなかったら出会えなかった人がいる。縁や絆は見えるわけでも触れるわけでもないから、時間がたつと切れてるかもしれないし、かたくなったりよわったりしてることもあるだろうけれど。一時でも出会えたこと、関われたこと。それはやはり凄い嬉しいことだと思っています。同時に、この広いWEBの海でも、ものすごくいい文や世界をもっていても、出会えることのないひと、というのもたくさんいるんだろうな、と思います。少し淋しい気もするけれど、それもやはり縁や運があるのだろうから、仕方のないことではあるんでしょうね。
・すみません、元気です。単にまとまった話のできるネタがなかったのと、日常がばたばたしていたのとで更新できなかったのです。というわけで、今回はこまごました話になりますが、つらつらと書いてみますね。 ・秋になって、いただくメールが増えました(ありがとうございます)。涼しくなるとキーボードも打ちやすいし、夜も長くて、文も落ち着いて書けそうだからかな? もともとそんなにたくさんのメールをいただくほうではないので、あくまで微増ですが。よほど返信しにくいメールでなければ、頑張って返信します。ただ、メールチェックを毎日してるわけではないので、気づくのが遅かったときは返事が遅れます、ごめんなさい。 ・9月が終わったということは、この仕事もはじめてから半年が過ぎたってことなのね、と10月初めに思いました(もう10月も半ばですが)。一年契約なのですが、少し前派遣会社の人と話した感じでは、来年もここで働けるかも。悪くはないけれど、またべつの、新しい場所に行くのもいいかな……という気も少し。でもだんだんトシをとっていくから、条件が厳しくなっていくのだろうし、ほかを探すのも難しそうだし、いまある仕事を大事にすべきかな。人間関係が悪いわけでも、仕事内容がいやなわけでもないのに、違う場所を夢見てしまうのは、かなり昔からなおらない、わたしの悪い癖。 ・最近夜に読み返していた漫画は、木原敏江の「夢の碑」シリーズ。5年くらい前に文庫で買ったもの。枕もとにおいて、数巻ずつのんびりとページを繰っています。国文学専攻だったこともあり、こういう世界には今も惹かれます。改めてきちんと勉強したりする時間がなくなっても、雰囲気に触れられるのは楽しくて。短編も味があるけど、3巻あるのとかの読み応えも好き。 ・書きだしてみたら、意外と書きたいことが浮かんでくることに気付きました。また、近いうちにここも更新したいです。とりいそぎ、今回は用件のみにて。
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