近くの、安い、焼肉食べ放題のお店に行った。夫は焼肉が好きだ。わたしはとくに焼肉大好き、という人間ではないけれど、この日はおなかがすいていたこともあり、それなりに楽しみにしていた。 入ったとたん、うわーコドモ比率たかーいとびっくりした。すごいうるさい。安いからかなぁ。とりあえず席についてからは、焼くものより先にすぐ食べられるものをとってきてしまった。焼肉以外にも、いろんな種類の食べ物があるので面白い。はじめにしてはとりすぎてしまったかな、と思いつつ食べる。 肉をさっ、さっ、と焼いて食べていた夫が、 「奇声あげる子供が増えたねぇ」と言う。 「ん? それはこの店に、ってこと? 最近、ってこと?」 「最近、のほう」 「うーん。大人が注意しないからかな? それとも環境がよくないのかな?」 音に慣れてしまったわたしは、首を傾げつつあたりを見回す。 全体に、若い人が多い。小さいコドモがいるらしい女性も、20代前半? くらいにみえる。肌艶は若い。顔つきや立ち居振舞いは、生活感あふれる堂々たるものだけれど。男の人は、若いひととオヤジっぽいひとにわかれる。でもどちらも焼肉好きそうな、体格のいいひとが多い。 わたしは肉より野菜が好き。しかし焼きづらいな。あう、隙間から落ちちゃったよ。そっか、わたしが焼肉やさん苦手なのって、焼くのが下手だからなんだな。このたまねぎ焦げたのに中身がなまだよー。からいー。あ・きのこはいい感じで美味しいな。 ふと、右斜め横のカップルに目が行く。ほっそりした、きっちり化粧やマニキュアをした女性と、若々しいサラリーマンのカップル。男はどんどん肉を食べているが、女性はほとんど肉を食べていないし、他の料理もだいぶ残している(フルーツは好きみたいだけど)。ただ、女性はきちんと食べ物を片付けたり、お皿を重ねたり、テーブルを整えたりと、よく気遣い、きれいな食べ方をしていた。年齢がよくわからない。化粧がかなり濃いし、肌艶がそんなによくない。表情が老成してる。夫にこそこそと聞いてみたら、若いよ、とのこと。高校でたてくらいじゃないかな、と。ほう。 他のものをとりにいきながらぐるっと見ると、ありゃ。化粧してないのってもしかしてわたしくらいか? 最近の若い人は、しっかりメイクしてるんだなー。えらいなー。夜だし近場だし焼肉だしで、考えもしなかった。いくつか焼いた肉の中で、とりわけ美味しいのがあった。この肉が美味しい、というと、この店によくくる夫は、ランチよりディナーのほうがいい肉を使ってる、という。これはディナーにしかないらしい。なるほど。 夜だから甘いものはやめとこう、と思ったのに、夫が食べてるのを見たら食べたくなり(美味しそうに食べる人なのだよこれがまた)、ちいさいのをふたつ食べてしまった。それでもそんなにドカ食いはしなかったので、胃薬とかを飲まなくても大丈夫そうだ。わたしは食べるスピードが早いので、満腹感が追いつかず、食べ過ぎてしまうことがたまにあるのだ。よしよし。 本屋に寄れなかったのは残念だけど、明日行けるらしいからいいか。
いつ頃衣替え、というか服の入れ替えしようかなぁ。最近涼しくなってきたけど、まだすこし暖かい日もあるらしいし、うーん。 毎年この時期になると悩んでいます(そしてそれをこの場所に書いています)。冬物をしまって春物を出したり、春物をしまって夏物を出したりするのはそんなに苦ではないのですが、夏物しまって秋物を出すときは、きまって時期をはかりかねているようです。まあオールシーズンすべての衣類をすぐに出せるスペースがあれば一番楽なのかもしれませんが、とりあえずそれは無理なので。五感と頭とを使って、よさそうな日に実行する予定です。 最近は夏物だらけのひきだしを眺めて首を傾げ、とりあえず上は厚手の7分丈のシャツブラウスを着て、下はワードローブやら衣装ケースやらから適当にひっぱってきたのを着ているので、服があふれてしまっています。早いところどうにかしなくちゃなーとは思うのですが、おそらくぎりぎりになって、勢いで片付けることでしょう。 服がきちんと収まると、使いやすいし居心地いいしで気分もよくなるのですが、それはわかっているのですが、手をつけるまで、がなんとなく億劫なのです。
涼しくなると、秋物がほしくなります。冬物はたくさん持っているので、組み合わせを考えつつ、購入予定を練ります。 色。似合うカラーはある程度わかっているのですが、これ! というのにめぐり合うことはまれだったりします。秋ならやっぱり深みのある色がいいな、と思いますが。一応自分の肌の色や髪の色ともうつりのいいトーンを探し中。一度ちゃんとカラーセラピーのようなものも受けてみたいけど、高いんですよねー。 形。最近はやりの、ドレープやギャザーが入ったのって、個人的には大好き。でも職場では着こなしが難しいかも。基本的には事務なんだけど、微妙に力仕事もあるし。あんまりフェミニンにするわけにもいかないし、かといってカジュアルっぽいのもアウトだし。日常着よりは仕事着優先で買うべきなので悩むところ。結局無難なところで手を打っちゃうんだろうなー。 生地。かたいのより柔かいのが好き。できれば丈夫なほうがいい。扱いが簡単だと後々楽。これからは時期的に、吸湿性よりは保温性かな? 見た目がいいにこしたことはないけれど、一番重要なのは肌触り。ちくちくするのを着るのって、考えただけでもかゆいし。しっとり馴染むのは気持ちいいし、ぱりっと身が引き締まるのもいいな。 買う以前に、あれこれ考えるだけでも楽しかったり。
買うつもりで百貨店に行くときとは別に。単にウインドウショッピングしたくて、大きなスーパーに入っている化粧品のサンプルを眺めているときも、ときどき販売員のお姉さんがよってきます。「口紅お探しですか?」とか、「よかったら、おつけしますよ。試していかれませんか?」とかなんとか。大抵「あ、見てるだけなんで」とか、「すみません、今はいいです」とか、適当に言って逃げるけれど、たまになぜかつかまってしまうことがあり。どういうときかと考えてみると、声をかけてきたのが若い可愛い人だったり、綺麗なお姉さんだったりするときなんですね。 なんとなく、ふらーっと引き寄せられてしまう。で、カウンタに入ると、それなりに会話もしてしまうので、あれこれ試すうち、買ってもいいかなというものにあたることもあります。ドラッグストアで20%オフなことを考えると、正規の値段で買うのが惜しい気もするのですが、それはそれ。一応相談料というかお試し料として払ってもいいかな、という気分になったときは買います(途中で感じ悪いな、と思えば買いません)。 可愛い、綺麗、というのは顔立ちだけではなく、表情や雰囲気や立ち居振舞い、話の内容も込みなのですが。やはり美しいものを見ると、身も心も嬉しくなるし、そこにいた時間が楽しいし、気持ちいいものだなーと思います(だからといって彼女達目当てに行ったりはしませんが)。
よしもとばなな「ハゴロモ」読了。初期の頃の感じを思い出した。 現在「バナタイム」取り寄せ中。「デッドエンドの思い出」は予約中。 井上荒野「ヌルイコイ」読了。予想外によかったので、わくわくしながら 他の作品を借りてきた。「もう切るわ」&「グラジオラスの耳」楽しみ。
阪神が18年ぶりに優勝した日。野球でとくに贔屓のチームとかはない(優勝したらセールするとこが勝つといいな、くらいの関心しかない)のだが、後々読み返すときのために書き留めておくことにしよう。ファンのひと、よかったですね。
たまに、夫の買い物につきあう。つきあうと言っても、夫が意見を求めれば言う程度で、大抵そばでぼうっとしている。が、ときどきレジのひとが、わたしの顔を見て「あのう、すそ上げいかがなさいますか? 別途300円かかりますが」だの、「お名前、お入れしますか? 別途500円になりますが」とか言い出して、意識をそちらへ引き戻される。あのう、夫の買い物なんで、わたしの顔色うかがわなくても全然問題ないんですけど……。 世の中、夫婦共働きの家庭も増えているし、皆が皆、奥さんに家計をすべてまかせているとも思えないのだけれど。それともやはり、そういう家庭のほうが多いのだろうか? うちは夫の稼いだお金は夫のお金、わたしが稼いだお金はわたしのお金で、お互いどう使うかは個人の自由になっている。お小遣い制度もない。変な話、夫が高額の買い物をしても、どこかで呑む打つ買うをしても、女の人を囲ったとしても、わたしにはわからないだろうと思う。 買い物の後、「世の中の奥さんって、そんなに旦那様のお買い物に口出すのかなぁ」「さあねぇ。どうだろうねぇ」という会話をする。どうでもいいけど、本当にいちいち確認しなくていいんですってば。
さっき(9日付けの日記を)書いてたら途中でENTER押してしまった。中途半端ー。というわけで仕方なく次も書くことに。ただ、今から書くネタってあんまり練れてないんですよね。まいっか。 人と接するとき、どれくらいの距離まで近づけるか、というのってありますよね。知人ならこれくらいの距離、友人ならもうすこし短く、家族ならもっと近くても大丈夫、恋人ならかなり近くまで平気、みたいな。で、その円の半径、ここから先は入らないでね、もしくはここから先へは行きたくないよ、という距離って、人によっても違うと思うんですが。 パーソナル・スペースでしたっけ? それが大きい人は、満員電車とかでもかなり不快でしょうね。見知らぬ人が妙に近くにいても落ち着かないんじゃないかな。逆にパーソナル・スペース? が小さい人は、人がすぐそばにいてもそんなに拒絶反応はおきないはず。うちはどちらかといえば、夫が前者でわたしが後者のようです。 職場とかでも、人とかなり距離をおきたいらしい人と、人とすぐ距離を縮めるひとがいるなー、と興味深いです。距離をおきたいひとにはあまり不用意に近づかないよう気をつけてはいるのですが、あまりに距離をおかれると、そんなに嫌なのかなーと悲しくはなりますね。誰とでもそうなので、そういうタイプなのだなと思うし、親しくなればまた違うのかもしれませんが。また、妙に近くに来るタイプのかたでも、自分と同じタイプとはいえ、いきなりだとやっぱりひきますね。 ときどき、この伸び縮みするサークルが、色つきで見えたらわかりやすいのかな、と思ったりします。
本日は美容院の話。結婚してから、1度スーパーの中に入っているお店に行った。そこはパーマのかかり具合に満足が行かず、駅近くの店に行ってなおしてもらった。そこで担当してくれたお兄さんの腕が気に入り、以後はその店を使うようになった。彼が病気で数ヶ月休んでも美容院を変える気にはならず、復帰を待った。それくらい、人柄も仕上がりも気に入っている、のだが。 たまに雑誌を見たり、ちらしを見たりすると、あ・行ってみようかな、という気になったりはする。実行しないのは、うーん、またはじめから話すのが面倒くさいから、かなー……。それに、なんとなくまたもとの美容院に行ってしまうような気がするし、とすると違うところに行ったのがばれるとなんとなく悪いような気がするし。あるいは行った場所を気に入って継続してそこにするかもしれないし、気に入らなくて美容院を転々としてしまうのかもしれないけれど。 担当のお兄さんの何がいいかというと、技術力も勿論だけど、会話が楽なのだ。雑学が豊富で、わたしのように話題がない人間でも間が持つのがありがたい。また、美容関係の専門用語にうといわたしが、しどろもどろに伝えるイメージを、なんとか形にしてくれるのも楽。そして彼は媚がない。変に誉められると気持ち悪くなるほうなので、お世辞抜きで、ときには厳しいことも柔かく言ってくれるところもいい。異性としての好みからはけっこうずれているのだけれど、美容師さんとしてはかなり好きなほうだ。 彼以上のひとに会えるかわからないし、会えたとしても楽しいかわからないし、というわけで、おそらく彼があの美容院をやめでもしない限りあの美容院を使うのだろう。しかしこんなことを書きながら、たまにふらりと旅先で美容院に入っちゃったりもするんだけどね。
少し前、雑誌を整理・処分した。実家で読んでいたころの雑誌まであったので、ずいぶん古いものもあった。あまりに古いと、ねんのため内容を確認してみても、当時の自分がどこを気に入ってとっておいたのかすら思い出せず、昔のわたしには申し訳ないが、心の中で手を合わせ頭を下げ、捨てさせてもらった。理由がわかる部分は、切り取ってスクラップ帳に入れた。そういえばしばらく使ってなかったなと思いつつ。 よく考えれば当たり前の話だけれど、紙媒体の情報ってどんどん古くなる、というか今に追いつけなくなっていくんですね。電子媒体なら完全に追えるか、といえばそれも微妙だけれど、少なくとも更新は早いものが多いはず。地図、路線、食べ物、ファッション、メイク、建物、イベント、などなど。雑誌だとそのとき知りたかったことはわかったと思うし、読んでたときは楽しかったろうけれど、年月がたつと、役に立たないものや魅力が落ちるものも多い。読み物系の雑誌も、やはり今の感覚や知識や情報をもってしてみると、物足りない感じがしたし。寂しいけれど、やはり旬のときにしっかり情報を吸収すべきなのだろう。そして一定の時間をおいて(一部のどうしても必要なものをのぞいて)、切るべきなのだろう。 あと、すこし気になったのは。一時期やたら観光系の雑誌を買っていたこと。旅行にでも行きたかったのだろうか? 行った記憶はないので、計画をたてようとして挫折したか、あるいは雑誌を読んだだけで行った気になってしまったのか、3:7くらいで後者のような……。わたしは、何も買わなくても通販の雑誌を見るのが好きだし、本を読んだり映画を見たりして旅行気分を味わうのも、悪いことだとは思わない。実際に面倒な手続きや処理をするより、手軽で安価だし。ただ、そういうのはやはり実体験と違い、身や心に残るものが弱い、そして少ないと思うのだ。これだけ雑誌を買ったなら、少しは行っておけよ〜と、自分に突っ込みたくもなる。 というわけで、これからはどこかに行きたくてそういう雑誌を買った場合、少しは実用的に使ってみようと思う。そしてあまりに時間がたったら、行動しなかったのを反省しようと思う。しかし、買わないようにしよう、とはやはり思えないな。そのときの自分には、結果的に脳内完結しかしなかったとしても、過程において必要なものだったのだろうから。
しばらく前の話。スーパーで買い物をした帰り、信号待ちをしていたとき。ふと、そばにある小さな碑に目が止まった。たまにここへ花が置かれていたりするので、交通事故の被害者の供養のためたてられたのかな、とは思っていたのだが。よく見ると文字が書いてある。昭和5×年、7歳で亡くなった男の子のため、交通安全を祈願して、その父親がたてたものらしい。 7歳。わたしは心の中で合掌した(荷物が多かったので)。年をとっていれば死んでもいい、という意味ではないが、やはり若くして、というか幼くして亡くなるのは痛ましい。病気でも諦めきれないだろうが、事故はさらに悔やまれるだろう。わたしはこどもを生んだことも育てたこともなければ、こどもがとくに好きというわけではないけれど。それでも、どんなに悲しかっただろうと思う、辛かっただろうと思う。 そしてこういうとき痛切に感じるのは、「いのちはかえってこないのだ」ということ。だから殺人とか何かの巻き添えとかで、そのいのちを奪ったり人生を断ちきられたりしてはならないし、社会はでき得る限りのちからで事故や、病気から守らなくてはと思う。とくに、自分で自分の身を守れない年齢のひとやハンディのあるひとを。 わたしも被害者になったり加害者になったりしないよう、気をつけて暮らさなくては……。わたしはいつもよりしっかりと周りを見て、横断歩道を渡った。
まず、一番健康的なのは、ほどよく運動すること。体を適度に疲れさせること。あと、簡単で意外と重要なのは、朝、太陽の光を浴びておくこと。夜、寝室を薄暗く、照明を仄かに明るい状態にすること。 食べ物で効くものは、レタス。それからホットミルク。砂糖を少量入れるとさらに効果が増します。お酒は体質に合わない人、依存してしまう人もいるので、そう強くお薦めはできませんが、小さいコップ1杯くらいなら平気かな? あたためたもののほうがより効くようです。 香りものが苦手でなければ、ラベンダーなどのアロマテラピーも有効。できればお店の人にきちんと配合してもらえればベスト。寝具、寝間着なども、寝心地よいようにこだわってみてください。最近では市販されている睡眠薬、というのもあるようですが、よく薬剤師さんと話してから使いましょう。 寝る直前まで難しいことを考える、というのは、頭が冴えてしまってあまりよくないようです。退屈そうな本を読んでみる、というのはいい案。オーソドックスに羊を数えるのもあり。わたしは羊を思い浮かべず、単に数字を数えるだけにしてしまっています。 それでも眠りが訪れなければ、目をつぶってじっとしていましょう。ただ寝転がっているだけでも、眠らないよりはいいはず。深く呼吸して、体の力を抜いて、そしてあまり考えても害のない、他愛のないことを思い浮かべましょう。ここで暗いことや悪いことを考えてはいけません。不毛です。 願わくばあなたが、いつでも優しい眠りの国にたどりつけますように。
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