stray notes

氷砂糖

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紹介はできるとしてもお薦めは難しい(混乱中)
2003年08月26日(火)

これもまた本の話。

空き時間さえあれば本を読んでいるせいか、たまに。いい本ない? とか、最近のお薦めは? と聞かれることがあるのだけれど、うーん。本って、自分が選ぶものではないでしょうか。あるいは本に呼ばれる、というか。

人によって、読書に求めるものや本の面白さって、違うと思うのです。テーマは軽いのがいいひともいれば重いのがいいひともいて。やわらかく読みやすい文が好きな人もいれば、かたくても読み応えのあるほうが好きな人もいて。フィクションが駄目な人、ノンフィクションが苦手な人、トラウマに抵触するような本は避けたい人、平気な人、なんとか読める人、などなど。またいつも同じような本がいいとは限らなくて、そのときの心境や状況によってはほしい内容が変わってくるかもしれない(逆にいつもいつも同じようなのを読みたい人もいるかもしれない)。

特定ジャンルに詳しい人どうしなら、薦めあいも可能かな、とは思うのですが。ひとくちに推理小説といっても、古典的なものから最新のものまであるだろうし、SFだっていろいろだし、成り立つところでは成り立つとしても、お互いの傾向がわからないと難しいんじゃないかな……考えすぎ?

ものすごく売れた本、というのは大衆受けしてるわけで、だいたいのひとにいいのかなとも思うけど、売れてなくても一部で熱狂的に好かれる場合もあるんだろうし。一般受けしているからといって「その人」に合うかはわからない。Aという作家のBという作品が好きでも同じ作家のCという作品は好きでないかもしれない。Aという作家に影響を受けたDという作家を、Eさんは気に入ってもFさんは気に入らないかもしれない。それって、読む前にはわからないことのように思う。

さて、なんでこんなことをうだうだ考えているかというと。最近、「koiさんは××って凄い好きだと思いますよ!」とお薦めされたせいです。WEBの書評とかを読んだ感じ、その作家さんにあまり惹かれたことはないのです。そしてそのかたが知ってるわたし、というのはデータがあまり多くないわけで、何を根拠にそう確信されたのかいまいちわからない。でも善意と友好心からいってくれてるのは間違いなさそうだから、一応チェックしてみようと思うけど、好きになれなかったらどうすればいいのだろう? というか正確な判断ができるだろうか?




一度途切れた愛は、二度と同じには戻らない?
2003年08月25日(月)

えーと、本の話なんですけど。

昔(高校生くらいのころかな?)吉本ばななが好きで、「N.P」あたりまではこつこつ買って愛読していた記憶があります。そのあと少し刊行に間があいたのか、あるいは日常が(受験などで)忙しくなったのか、しばらく読むことがなく。その後たまたま本屋で「アムリタ」の文庫をみかけ、買って読みました。ここまでは大体よかったのですが。それ以降は図書館で見かければ読む、程度になってしまいました。いまも読めばそれなりによいと思うし、好き、ではあるのですが。新刊が出てもあまりときめかないし、文庫になっても、まあ買わなくてもいいかな、というあたりに落ち着いてしまいました。

昔(社会人初期あたりかな?)、京極夏彦にはまりました。これもたぶん5冊くらいはコンスタントに出ていたような気がします。そのあたりはかなり強く惹かれて、しばらくはそればかり繰り返し読んでいた記憶があります。ただ、「宴の支度」「宴の始末」から読んでいないのです。母が買って読み、面白かったよ、とわたしてもらったのですが、なんとなく勢いが落ちてしまい、読まないままになってしまいました。そういえば、北村薫も最初の4冊くらいを楽しく読み、それからはあまり手を出さなくなってしまったような気がします。もっと記憶を探れば、もっと出てくるかもしれません。

愛は一度途切れてしまうと、同じ形では戻らないのかな……と、最近書店を歩きながら考えました。でも、中学生のときから読んでいる栗本薫は、シリーズ物が中断されても、飽きずにずーっと好きだし、かなり年数がたってから新刊が出ても、やっぱり嬉しいし文庫も買うし……。それはわたしのなかで、愛が途切れることなく続いていたからなのかな? 他にもよく思い出せば、ひとりやふたりくらいは、そういう、変わらず好きな作家さんはいるはずだと思うけれど。なんだろう、作家さんの作風が変わったり、時代が変わったり、自分が変わったりして、fitしたりしなかったりするのかなー。……でも栗本薫に関しては、わたしの病んでるところが共鳴して必要として、そこから成長してないだけのような感じもあるかも。


ポイントカード、お持ちですか?
2003年08月21日(木)

レジで、よく聞かれる。スーパーにしてもドラッグストアにしても、最近はどこもこうだなーと思う。そのたびに、
「いえ、持ってません。いらないです」
と小さくなりながら答える。べつに縮こまらなくてもいいのかもしれないが、持ってる人が多いと、レジの流れがそうなっているのだろうし、リズムを乱しているようでどことなく申し訳ない気分になるのだ。

たまに「いえ、もってません」のあとに一拍おくと、「じゃ、つくりますね」とかって渡されてしまうことがある。食べ物系のお店が多い。スタンプ10個でひとつただになる、とか。こういうの、無期限ならばなんとかなるのだけれど、けっこうためるの大変なんだよなぁ。カード入れにいくつか入ってるけど、期限までにたまらないことが多い。

すこしまえ化粧品のポイントカードがあった(2000円でシールを1つ貼る、10個シールがたまると商品券がもらえる)のだけれど、あれは期限が1年で、最後のほうは必死でためた記憶がある。シールが2倍になる日をチェックしたり、ちょうど2000円の倍数になるよう計算したり。商品券はあまり充実感なく使ってしまったし、もうポイントカードは作らないようにしようと思ったっけ。

それでも、駅前の古本屋さんのポイントカードはラクだ。持っていても、なくしても、あまり痛痒を感じない軽さ。300円でスタンプ1個、10個たまると割引。古本、というより古雑誌をたまに買うのだが、ゆるゆるとたまり、適当なところで割引にしてもらってそのカードは消える。

そういえば夫は自炊していたころ、八百屋さんのポイントカードを持っており、日々の買い物でポイントをため、お金がないときはそのポイントで買ったりしていたらしいが。どうもわたしは「買い物を必ずその店でする」とは限らないから駄目なのかな。スーパーにせよドラッグストアにせよ、その日の気分や状況で使う場所はころころ変わるので。そういえば化粧品にせよファーストフードにせよ、他の店があるところはポイントがたまりにくい。古本屋は近くには駅前のしかない。そうか、それでか。

あと、あまりマメでないことや、持ち物も一定でない(カード入れをもってないときも多い)こともあるか。……要するにあんまり向いてないのかも。


撤回の撤回
2003年08月20日(水)

最近はだいぶ暑くなりましたね(^^;


前言撤回
2003年08月14日(木)

昨日書いたらしばらく更新しない予定だったのですが、今日はあまりに涼しいので、とりあえず……。

それにしても、こういう気候が続くと、夏服があまり売れなかったり、ビアホールが潰れたり、農作物の出来が悪くなったりして、あまりよくないのでは……という気もするのですが。実際はどうなのかな。あー、電力会社は喜んでるのかな?

今年は蝉の声、あまり聞いてないです。昨日歩いているときに見かけた向日葵は、花が小さく茎も細く葉もしおれかけていて、疲れたように下を向いていました。スーパーの飾りのほうが、まだそれらしく見えるくらいに。昔抱いていた「夏」のイメージが、何か遠い、空想上の産物のように思えてきます。


残暑お見舞い申し上げます
2003年08月13日(水)

立秋も過ぎ、暦の上では秋だそうですが、まだまだ暑い今日この頃、皆様いかがお過ごしでしょうか。koiが現在働いている職場は、8/9〜8/17がお休みです。HPもお休みにしていますが、とりあえず中間報告ということで、一応書き残しておくことにしました(長年読んでくださっている方々はご存知の通り、koiは夏が大変苦手です。ので、HPも大抵7月か8月は「開店休業」と銘打って休んでいます。文が若干荒れるし、普段なら気にしないようなことに苛ついたりするので)。

冬は着込めばあたたかくなるけど、夏って脱いでも脱いでも暑いじゃないですか。それに冷房もあんまり得意じゃないし。汗はかくし、洗濯物が増えるし、体は重くなるし、生きてるだけでもわりとつらいんですよねー……。暑い→食事が億劫→でも喉は渇く→飲み物を飲む→おなかをくだす→栄養がとれない→ばてる、とか。暑い→夜眠れない→朝寝てしまう→昼に頭痛、とか。暑い→皮脂分泌が盛ん→吹き出物がでやすい、とか。いわゆる夏ばての王道、悪循環のサイクルにはまりやすいほうなので、最近は正露丸飲むべきか頭痛薬飲むべきか悩んでいるような状況です。

それでも、夏に好きなのもいくつかあって。あまりに夏が短そうだと、常夏仕様の服が着られなくてつまらないなと思ったり。花火、夕立のあとの涼しい風、水族館、プール、夾竹桃、むくげ、などがあまり楽しめそうにないなと思えば淋しかったり。なんというか、文句言いながらも、夏がきちんとないと落ち着かないようなところもあります。あと、スムージーや氷シェイクやフラペチーノとか、そういったフローズンドリンク。今年はそんなに飲んでないなー、とか……。

夏はわたしにとって、一番のりきるのがつらい季節ですが。過ぎてしまうと、一番惜しく感じる季節のような気がします。


音楽に重ならない記憶
2003年08月10日(日)

時間に余裕があるので、昔録音しておいたカセットテープ(!)を聞いてみた。あー、さすがに音の感じが古いな、と思うのもあるし、数年前のものでも、今のレベルとそんなに変わらないなと思うのもある。それにしても、こうして昔の歌を聞いていても、当時の自分がさっぱり浮かばない、というのは、やっぱり記憶力が少ないのと、うすらぼんやり生きてるからなんだろうなぁ、としみじみ思う。まあ言い訳めいたことを考えれば、歌が流行っていたときに聞いてたとは限らなくて、時間がたってからレンタルしていたり、適当に家事の合間に流していたりで、「そのときにだけ聞いていた」わけではないこともあるのだろうけれど。

最近、CDTVの3時間スペシャルをvideoにとってあったので、何回かに分けてそれもみた。過去10年のランキングやゲストライブを眺めながら、うーん記憶の年表がくちゃぐちゃだなーと思う。あれ、この曲ってこの時期だったの? みたいな。えっ、この曲とこの曲は同時期だっけ? とか。そういえば神経衰弱も苦手なんですよねー、わたし……。記憶、というのは何もかも消えてなくなるわけじゃなくて、頭のどこかに残ってることも多いらしいから、わたしの脳はひきだしが整理されてなかったり、鍵がさびついてたりで、とりだせない記憶だらけなのだろうと思う。ただ、それでも「あー、この曲は遠距離恋愛中によく聞いたなぁ。この手の曲ばかり聞いてたし」とか、「あー、このあたりはけっこう覚えてるな。ちょうど学生時代だったから、きっと心身ともにゆとりがあったんだなぁ」程度はわかるんですが。それって後付けの、言葉で意味をもたせた記憶であって。その曲を聴いたから当時が甦る、という形ではまるでないんですよね。

弟は記憶力のいい子で、人生経験も豊富で、神経衰弱も得意で、「当時の音楽を聞けば当時の自分を思い出す」タイプだったのですが。そういうのって、どんな感じなのかなー……と、思ってしまうほどにわたしからは遠い感覚だったりします。


The life without a car
2003年08月03日(日)

先週、夫が車を車検に出した。今週は戻ってくるはずだったのだが、というか1回戻ってきたのだが、エアコンの調子が絶不調になっていたので、もう一度工場に戻ることになった。この暑い中、汗だくで運転するのはかなり辛そうなので、修理しないと仕方ないでしょう、というところだけれども。夫がつまらなそうで気の毒。もともと車に乗ること自体を楽しむ人なのだけれど、それだけではなく。「何かあったときにかけつけられない」という精神的なものもあるらしい。

わたしは運転しない(原付免許しかもってないのでできない)ので、生活に大差はないかな? と思ったけれど、多少は支障が出ますね。遠くに買い物に行けない。近場でも買い物はできるけど、週末や平日の夜、適当に流して買出し、というのができない。あのお店にしかない商品、とかを買いに行けない。無理やり行くと電車代がかかる。歩くには遠い、自転車では暑い。「ある生活」になれると、「ない生活」に戻りにくい。贅沢になってたんだなーということに気付かされます。駅に行くには車がないと、とか、車通勤以外できない、という地域ではないので、生活必需品とは違うと思うし、環境にもよくないもののようですが……あると便利。ないと不便、になってしまっています。

あと、車は動く密室だ、といういいかたがあるけれど、気のおけないひとといるなら、べつだん密室だってかまわないわけで、というより密室が楽しいわけで、空調がととのったなか、好きな音楽をかけ、目的の場所に早く楽に移動できる、というのはとても特別なことだったんだなぁ、と実感しました。早く帰ってくるといいなぁ。でも、帰ってきたらこういうことを考えていたことも忘れてしまうのかな?


外見と内面の溝
2003年08月01日(金)

この日は職場の飲み会に参加してました。超面白かったとかいうわけではないですが、沢山飲めて楽しかったです。やわらかめのカクテルを3杯飲んだほかは、ずっとビールだったので、ほとんど酔いませんでした。飲む前に牛乳飲んでたせいもあるかな? 食べながら飲んだし。家に帰ってからも水を飲んでおいたので、翌日にも残らなかったです。ていうか家でワインとか日本酒とか飲んでる(といっても週に1回か2週に1回くらいですが)わけだから、そういうときのほうがアルコール濃度も高いんですよね。

えーそれはさておき。気になったのは、世間話の途中、きょうだいいます? みたいな話になったとき。弟がいますよ、といったら、あーそういう感じー! と周囲の人たちに言われて、えーと。お姉さんぽいですよね、とか、しっかりしてますもんね、とか……。わりとこの展開は言われなれてるんですが、そのたびにいやー、そんなことないんです、見た目より抜けてるんです、と言うのも、なんだかなー。いや実際そうなんですよ。しっかりしてそう、と言われるほどにはしっかりしてないんです。悲しいけど。「お姉ちゃんでしょ!」と育てられた記憶はそんなにない(まあ記憶自体少ないので拾えないのかもしれませんが)し、面倒見がいいわけでもない(面倒見たほうがよさそうで見られる場合は見ます)けど、実際姉として生きてきたので、どことなく身についてるのかなぁ……。

あと、最近「真面目」と親戚の方や同僚に言われたんですが、これも、うーん。自分から見たわたし、というのは不真面目なところもあるように思うし、一体どこを見て真面目と判断してるんだろう、というのは謎です。30年近く生きていれば、人から見たわたしが「外」にでているわたしなのだろうとは思うし、今更そういう自分を無理に変えようとかは思わないのですが。親しくなった人には、外見と内面の溝を、知ってほしいな、という気にはなります。難しいけど。




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