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-懐かしいね-

カユキ
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2003年03月29日(土)
変なトコばかり持ち合わせすぎて いやになったりもする。

やっぱり 悲しいとか、切ないとか、寂しいとか、思うから
だから どんどん辛くなるわけで。

見かけほど(クールでサバサバ見している風にみえるらしい 表面そう装ってる)
磊落でないあたしはポジティブに 考えられやしないから やっぱり怖くて。

多感(自称)で悪いとは微塵も思わないけれど
その分無駄に杞憂してるかんがある。



五月病に なりやすい。友達作るの下手だし。性格だから仕方ないけどね。やっぱり苦しいときが多いよ。
けれど、親友は 一人でも、あたしのそばに誰か無条件でいてくれるならいいとゆう考えは、暗いのかな、とか思う。


オンでは やっぱり、ねえさん程の人はいない、って思っちゃうし。
オフでは・・・中学のときの友達・・ううん親友は、一人だとおもうし。
みさっちゃんてゆーんだけど、同窓会でもおもったけど、あたしがこんなだから
いつも、昔からあたしのお守りばかりさせてる。
そう思うと 少し辛いけど、けれどあたしの居心地いい空間つくってくれる彼女には、甘えてばかり。
そんなあたしが、また一人、だれも知っている人の居ないところで やっていけるかと、不安になるさ。

だから、杞憂せずにはいられない。



2003年03月17日(月)
経験には限界があるから、理解するなんてできやしない

推し測れやしないのに。


自分のものさしで 推し測ろうとするから、この不快感は在るのだね。


::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::::

今日は中学の同窓会があった。
変わった人々。みんな、大人になったね。
わたしも、あたしじゃないほかの人から見たら、そうなのかな、と ふと思った。

多くの人々と時間をともにすると、自分がいかに卑屈で、尚且つ見栄を気にする性質かを思い知る
いつのまにか定着した悪癖は、自分でも不愉快だ。
人が多いところで、誰かと、目を合わせるのは、キライ。
小人数でなら、寧ろ笑みがこぼれるが、人のおおいところではわたしの目付きは悪い。
意識すると気づくが、目がかなり↓に下がって、やる気なさそうだ(爆)
大人数の中、テンションが↓るのは、まあ仕方がないと思う。その時点でダメかな?

人の気持ちはよくわからないよね。自分のものさしで測ったことを、知った気でいるから。
わたし自身だけどね。
心理学より哲学を選んだのは 心理学の先というか心理学で測り兼ねない真理を求めたから
理屈抜き、てゆか・・・よく言葉に表せないものなんだけど。
結局理由をさがしいてるの。自分が生きているための。
自分が、なんのためにここにいるのかを実感するために。
内なる自分が、何を求めているのか見えない。

わたしは、取残されているのかなぁって。

人間が創った世俗を介してこの世界でやっていくことは容易い?
けれどもっと根本的に そもそも人間はそんなことのために存在するのか?
もっと別に 何かしなくてはいけないことが 在るのではないか。
そうゆう受け止め方は、ナシ?

それとも こうゆう考えを持つことが、取残されるということか。
自分の一番内側のに正直な考え。



2003年03月13日(木)
ピーターパン症候群ではないけど、怖いよ。

あれ程望んでいたのに皮肉なことに、今は只、さみしい。


早く大人になりたいと思う反面
大人になりたくない。と、思うことがよくある。
誰しも思うことが在る悩みだが、わたしはずっとそれに固執してしまう。

変化が恐い


変化≠成長でないことは わかっているけれど


平然と変わってしまえる自分すら恐い。

以前も書いたが、これ以上進んでも大切な何かを失うだけな気がする
多分成長とはそのようなものである。
わたしは、何かを得られる自信がないからだ。失うのが恐い。今を失いたくない。
多分成長とは「何か」を得ることによって得られる何かだろうけれど。

しかし、今を失うのが恐ろしいだけではない。


平然と変わってしまう自分が恐ろしい。


悲しいときに泣けた、とか、そうゆう素直な感情を失うとかではなく
なにかもっと
もっと漠然とした何かを、失ってしまうのが

恐い。

気付かずに、通り過ぎてしまいそうな「何か」が
それがどれほど貴重なものか解せなくなってしまう自分が
どこかにいるとゆう焦燥感

忘れてしまう恐怖
どれ程冷酷な仕打ちだろう。なんと恥ずかしいコトだろう。悲しいコトだろう。



わたしは何時何処で何を失ったのだろう

何を、見失って彷うことをやめないのだろう

静に佇んでいる「其れ」は、何?



2003年03月08日(土)
泣き言を弱音を吐ける場所、貴方にはありますか?わたしは、今はもうないのです。だから

たちすくんで、足元を見つめ返すことしかできず

なにかしたいのに、すべてに罪悪感を感じ
身動きすら取れない

前へと溢れていた希望と、オメデタイ未来ばかりの想像にさまよい
“自分”とゆう現実が見えなくなり
虚実を見分けることも諦め、どこまでの夢想を受け入れればいいのかと
すべてに矛盾して生きていた事に、やっと気付きはじめたばかり


しかしやはり
身動きは取れず、不安と不満に飲み込まれ
絶えず現実を見ようものなら、吐き気により頭の中は
眩い閃光を撒き散らし、気を、心を、全てを手放してしまうだろう


何を見ているのかなんて、そんなのはわからない。
何も見てなんていないのだから。
わかるはず、ないのだから。


けれどなにかしようと望んではみても、どれも無理だと肯定され
いや、断定され

恥ずかしい全てに嫌悪してみたり
それでも懐かしい愛おしい其れを、跳ね除けることなど出来るわけなく
享受することを、甘んじるわけではないが、受け入れるしかなく

しかも「+」も「−」も「=」も意味もなく意味もなく意味もなく

存在自体が自らを苦しめるただの媒体でしかあらず
いつまでもこの苦しみから逃れる方法はなく
とらわれの檻は虚空に儚い夢を求める自身を追い詰める。



答えなんか出ず
出るはずなんてなく
すでにそれこそが答えであり
答えなど出ているそれそのもの


求め返したところで、ただ 何も残らず

いや、嫌悪だけが私を占めるのだろう

だからどれが正しいかなんて考える余裕もなく、出来ることなど限られていて
それは、言葉をのみこんで独り耐えることなのでしょう。

かなしくても



せつなくても
さみしくても




2003年03月07日(金)
それはなにも かわらないから

わからない。わからないんだ。
自分がどうしたらいいか、わからないよ。

わたしは、なにをみればいいのか。
なにを、わかればいいのか。
なにを、うけとめればいいのか。


どうやってうけいれればいいのか。
わたしは いつまで考え、想い、悩み、泣き、耐え抜けねばならないのか。


1分2分、数秒が、あの刹那が、どれほど重くていかに貴重で

そんなこと悟れなかった、思いもよらなかった
そんな愚かさが、わたしの〔罪〕


踏み込む勇気がなかった。躊躇して、結局手元には思い出しか残らなかった。

大切だったから、喪失間が深く広いのか

いや、寧ろ
ここまで愚かだと理解しているからこその喪失間なのか



ねぇさん、あなたの義妹はこんなにも愚かしい存在でしかなく
悔恨に捕らわれ、前を向いているようで、日は内面は後ろしか“みえておらず”

過去に捕らわれていますね。
あなたのように 磊落 に委ねられることの強さを 信じることが出来ていなかった
わたしは
ほんとうに、ほんとうに ばかだね。

ただほんとうに、尊敬していたんだ。
憧れていたんだ。

もっと、もっと‥‥。

けれど涙を流したトコロで、何も変わりはしない。

そう何も。わたしも。わたしこそ。



2003年03月06日(木)
洋楽いいよね

雑談なんだけど。
『t.A.T.u.』が大好きなんです。オシャレ!!カワイイ!!ステキ!!
3/5にアルバム発売で、もちろん意気込んで買ったはいいけど USA盤だったu
ちなみに コレ。
ちなみに買ったつもりでいて尚且つ欲しいのは コレ。

くそぅ あしたあたり違う店で買ってきます。入ってる内容が微妙にちがうんだよね。
ちょっと時期的にイタい出費だけど いいです。好きだし。◎。

けど 『Avril』のほうも 来日記念?の「レットゴー」を4/23に出すみたい。
「レットゴー」持ってるけど、↑には プロモみたいのもついてるから買う絶対。
ちなみに コレ。