管理人トシの日記

2004年06月29日(火) ストリング・ベース

今年は早いもので、もうすぐ半年が来ようとしている。

これといって大きな行事はないのだが、なぜかせわしなく月日が過ぎていくようだ。8月からはいろいろと演奏関係が入ってくるが、こなせるかどうかちょっと不安もある。まあ、趣味の世界だからそんなに構えることもないが、どうも性格的にお気楽に済ませることができない。

途中やめになっていることもたくさんある。あのストリング・ベースの修理は一番に済ませなければいけない案件だ。静岡のヴァイオリン職人であるSさんからご教授いただいて、はや1年以上が過ぎてしまっている。いまさら状況報告するには失礼かもしれないが、もう少し聞きたいことがあるのだ。

2本あるストリング・ベースは、どちらもいわゆる「ベニヤ製」である。安物といえば安物かもしれない。でもしっかりしたベースの音を奏でてくれる、いや、はずだ。この2本のベース、重さが全然違うのだが、おそらく板厚の差なのだろう。薄いほうはよく鳴るが遠くまで響かないかもしれないし、厚いほうはしっかり弾きこまないとぼそぼそした音になるに違いない。

先日、修理のための材料を少し買ってきた。これらは静岡のヴァイオリン職人であるSさんからのメールを参考にして、ホームセンターで購入した。
バスバーを下から持ち上げるための角材。この角材をS字穴から差し入れて所定の位置に立てるための特殊工具用材料。これは直径5mmほどの針金なのだが。それに内部を見ながら作業するための手鏡。じつはこの手鏡は売っているものは大きすぎて入らないので、けっきょく化粧用コンパクトをこわして使うことになったが。

じつはバスバーを持ち上げるためのジャッキを製作して使ってみたが、そう簡単にはいかないことがわかった。ちょっとやそっとの力ではびくともしないのだ。まあこの時は、表面板に内側から水分を与えるなどをしなかったためなのだろうが。

今回の作業方法は、1年以上前のメールをひもといていると二つの作業方法が書いてあってもう一つの方法なのだ。どうもその時は長文のメールだったので、こちらの方法をよく読んでいなかったか、それとも歳のせいで1年以上経つと忘れてしまったかのどちらかだろう。
作業内容としてはそんなにむずかしくはない。はがれたバスバーをくっつけるだけなのだから。しかし、それに至るまでが大変だ。問題は中に手が入らないということなのだ。だからいろいろな特殊工具を製作して、まるで手先のように操らなければきちっとした作業はできない。おそらく中途半端な接着では演奏中にはがれてしまうだろう。

そういえば、ハワイアンクラブでお世話になっているベテラン・ベースマンIさんが言われていた。Iさんはその昔、仕事でストリング・ベースを弾いていた時、突然、楽器が分解したそうだ。それで急きょ楽器屋に走り、中古をその場で買って、演奏を続けたとか。

ベースはヴァイオリンと比べるとけた違いに大きい。当然、弦の張力も強大だ。不具合があると壊れるというよりは「破壊」されると言ったほうがいいかもしれない。だから修理するとお話したとき、表面板をはがすのだけはやめたほうがよいとアドバイスをいただいたのだ。

さあて、いつになるかな・・・。



2004年06月27日(日) 蓮の花

今週も届いた。

http://www.imagegateway.net/a?i=20pDaJxnKr







蓮の花だ。琵琶湖は今、蓮満開の時を迎えようとしているようだ。おそらくあたり一面が蓮の花で色が変わるぐらい華やかになるに違いない。日頃こういうことには無頓着な人でも、光景を目の当たりにしたら感嘆するに違いない。

蓮の花は、泥の中からみごとな美しさをあらわすが、仏典なんかではこの不思議さを比喩として取り上げている。
そういえばなんでもそうだが、汚いと思われるものの中に美しいものがある。こうしてしばし蓮の花を観賞させていただこう。次回はきっと満開の光景が・・・・。



2004年06月24日(木) サプリメント

飛び飛び日記になってしまったが、最近の話題はダイエットサプリメント。

今、黒酢にいろいろな薬が入ったサプリメントを飲んでいる。小さなアンプルに入ったものだが、匂いが強烈で、おえっと言いながら無理をして飲んでいるのだ。中国製でちょっと心配だが、効きそうな感じがする。それにメーカーでは、ダイエットできなかったら代金を返すとまで言っているのだ。

これ、新聞のチラシを見て注文したのだが、1ヶ月では短いかなと2ヶ月分を購入したのだが、ちゃっかり妻が飲んでいる。ということは1ヶ月で済んでしまう。結果がどう出るかはまたご報告しよう。

ついでにもうひとつチラシに入っていたものをこっそり注文した。沖縄の『もろみ酢』で、これは泡盛を作るときに出る何かを利用して作っているようだ。黒砂糖と麹で作るのだが、原液でなんとか飲める。独特の臭みはあるが、甘味もあるのでそんなに苦ではない。これはダイエットというよりは、疲労回復に効きめがあるようだ。ほんと妻ともども毎日お疲れなので、二人しておちょこに一杯ずつ飲んでいる。

今回注文した『もろみ酢』は石垣島のもので、PRによれば門外不出の伝統技術でやっと島外に出すことが許可されたとかないとか・・・。電話ではめんどうくさいので、インターネットで購入したのだが、沖縄の『もろみ酢』はあるわあるわ、いろんなメーカーが出しているではないか。チラシでは希少価値のためすぐになくなるので本日すぐに注文してくださいとあったが、なんだと思ってしまった。いや、よくだまされるんですよ。

こうして身体のメンテナンスは少しずつしておいたほうがいいだろう。人生は長く、もっともっと楽しまなければいけないのだから。



2004年06月21日(月) ギター・レッスン

いやー、滋賀県のMさんには申し訳ない!
今度はサッカー戦の写真撮影を送ってもらったのだが、ぜんぜん御紹介できていないのだ。以下は少し前にアップする予定だったものだが、日記とはもはや言えない・・・。

今月のギターレッスンはすでに終わった。おそらく月末は演奏が取り込んでいるのだと思う。

それにしてもはでに演奏方法を変えさせられた。きれいに美しくと思って音質にも気を配ったのだが、そんなものは吹き飛んでしまった。
6弦なんかびびってフレットに当たりばちばちいっているのに「弱い!もっと強く!」とがんがんくる。「それ、後拍が強いんだよ。もっと自然に。」ほとんど暗譜しているのだが、頭が白くなってきそうだ。指の動きと頭の思考が追いついていかない。内心、次回までにしておくからと思ってはみるが、どんどん指摘がくるのでパニックになってしまいそう。

今月はついに『アルハンブラの思い出』にたどりついたが、これは「ナルシソ・イエペス」のCDを購入して少し勉強して臨んだ。それがこの結果だ。先生いわく「自分で思っているほど、音はそんなに変化していないよ。だいぶんおおげさにやらなければだめだよ。」
この『アルハンブラの思い出』は、ギターを習う人にとっては必ず最後には弾いてやると思われている名曲だ。誰でも知っている曲だ。
しかし、きれいに弾くには難曲なのである。いわゆるトレモロといわれる同じ音が羅列されて弾かれるのだが、粒を揃えて、そして雑音を出さずに演奏するには、かなりのテクニックを要求される。じれったいくらいゆっくりと、音を確かめながら、メトロノームを使って少しずつテンポを上げていく。

始めはゆっくりと確実にというのが練習の鉄則なのだが、学生と違い、時間の余裕がない大人たちにとってはどうしても先を急いでしまうのだ。その結果、素人くさい演奏になってしまう。

門下生の発表会は10月だが、昨年と同じシンフォニーのイベントホールで開催される。51回目ということだ。まだ発表会は終わってもいないというのに、「来年の曲はこれでいけるよ」と早くも選曲されてしまったようだ。じつはほんとうに弾きたい曲がある。楽譜は持っていないのだが、マニア好みのするバリオス作曲の『大聖堂』を必ずやってみたいとひそかにたくらんでいる。



2004年06月16日(水) 携帯電話

先日、息子たちの携帯電話の契約内容を変更するため「NTTドコモ」に行ってきた。

息子たちの携帯電話の使い方が半端じゃないので、フォーマとかいう契約内容にしようと思ったのである。6月から4,000円ほどで使い放題になるそうだ。なにせ、携帯でインターネットをやりまくるので料金がめちゃくちゃだ。「NTTドコモ」はそのへんをきちっと考えている。名義はすべて親である私にしてある。そして毎月、妻にしかられるのは私だ。

このフォーマにすれば今の料金が1/3くらいになる計算だ。そう思って出かけたのだが、そんなに甘くはない。電話機がめちゃくちゃ高いではないか。2台買うと7万円近くしてしまう。これは奥方にご相談しなければえらい目にあう。で、結論は電話の使用を控えなさいということになった。
店員によると、契約しているコースが全然合っていないということでいろいろ計算をしてくれたが、それでも最適なコースにしても1,000円ほどしか差がないのだ。なんで電話ごときに大金を払わなければいけないのか・・・。

しかし人のことばかりはいっておれない。『シグマリオン』で家のパソコンを操ろうと、「アット・フリード」というドコモのつなぎ放題の通信契約をしたのだが、実のところ全く使っていないのだ。いわゆるモバイルというやつで、外出先で通信をしたり、インターネットをすることができるのだが、営業マンでもあるまいし、わざわざ外でそんな暇なことをするわけがない。
で解約しようと思ったが、けっきょく安いクラスに変更した。

まあこういう人がいるからこそ、ドコモも利益をあげることができるのだろう・・・。



2004年06月14日(月) ぶどう棚

梅雨の中休みか、晴れが続いている。

我が家の「ぶどう棚」も、たっぷりの雨を受けて葉っぱが青々と繁っている。ほんとうによく伸びるのだ。特にどこにでもからみつく「ひげ」は、生き物という実感が湧く部分だが、じつはこれ、都度摘み取らなければいけない。木にとっては蔓を伸ばすための大事な器官なのだろうが、ぶどうを収穫する人間様にとっては無用の長物となるのだ。ひとつは栄養をこのひげに取られてしまうことと、もうひとつはこのひげが病気にかかりやすいということにある。





2本ある木のうち、1本はほとんど実をつけていない。どうしてかよくわからないが、今年はぜんぜんだめだ。もうひとつは『しなのスマイル』という品種だが、こちらはそこそこの実をつけている。完成すると赤紫色で大粒の気品あふれるぶどうになるはずだが、まだ一度としてきちんと整ったスタイルにはお目にかかっていない。売るわけではないので、なんでもいいのだが、どういうわけか形が悪いものは病気にもかかりやすいようだ。

近所で作っている「ぶどう棚」がある。そばを通るたびに我が家のぶどうとの差を見せつけられてしまう。ここのぶどうはいわゆる西洋ぶどうと呼ばれるもので、粒が細長く先がとがっている。マスカット色をして、大きな房を下に垂らした様は、まさにふどうの女王様という風格がある。今度、一房いただいて賞味したいと思っている。

ここのぶどう棚はじつに整備されている。きちんとした土台に建てられた柱に屋根が載せられている。肥やしも、たっぷり切らさないよう補充されている。時期には職人さんらしき人が来て、ていねいに手入れをしている。

まあ、これだろう。どれくらい手入れができるかで出来具合が変わるのは物の道理かもしれない。ああ、こういうことは何にでもあてはまってしまう。練習しかり・・・。



2004年06月10日(木) マイナス・ワン

上田啓二先生より「コパン・ドゥ・サクソ」発表会の参加申し込み用紙が届いた。

もう一ヶ月を切ってしまったが、準備がまったくできていない。候補曲はあるが、まだ練習をしていないのだ。当然むずかしいものはできないし、ピアノ伴奏物も伴奏者を探すのが大変だ。まあ、合わせをする時間もないのだが。

結局、CDによる伴奏に合わせて演奏するスタイルになってしまう。いわゆるマイナス・ワンという伴奏スタイルである。幸いなことに、最近の楽譜にはデモ演奏とマイナス・ワンのCDが付属しているものが多い。しかし内容的には千差万別だ。クラシック物にはCD付きというのは少ない。やはりジャズ、ポピュラーが主体になっている。
ということは、必然的に今回の曲もそうなる。クラシックに比べると難易度は低いから好都合ではあるのだが。

ここ数年は、無伴奏かマイナス・ワンシリーズとなってしまった。手軽ではあるのだが、本来の音楽ということから考えると決して好ましいものではない。やはり、伴奏者と呼吸を合わせながら音楽を作り上げるということで技術も上がっていくのだから。まあ、趣味の世界だからと妥協をせざるを得ない。ああ、なんとこういうのが多いことか。

このマイナス・ワンの出来であるが、中にはがっかりするようなものもある。簡単にパソコンで打ち込みをやっただけというようなものに出くわすと、大金を捨てるような気分に陥ってしまう。そのままお蔵入りである。

もうひとつ問題というか、やりにくい事がある。それは伴奏がこちらに合わせてくれないのである。こちらが伴奏に合わせるということになる。最初から最後までインテンポならば、それなりに練習を重ねれば形になるだろうが、中にはテンポが変わるのがあったりすると大変なことになる。一度ずれるとなかなか元には戻せない。へたな演奏ということになるのだ。

しかしデメリットばかりではない。グループで演奏する場合、相手の音を良く聴き、合わせるということが重要になるが、このマイナス・ワンはしっかり伴奏を聴くという訓練にはいいだろう。
それに何度繰り返しても嫌がられないから・・・。



2004年06月08日(火) 「エンピツ日記」

この「エンピツ日記」から有料版の更新案内がきた。

もう1年になるのか、これといってホームページの内容もぱっとしないし、それよりも更新ができていないのが問題だ。
いっそのこと閉鎖してしまえば楽なのだが、この「エンピツ日記」だけは不思議に続いているのでそうもいかない。数人の閲覧される人がいるようなのでそれも悪い。
滋賀県のMさんをはじめ、Mみ嬢?のきびしいチェックがあるから続いているようなものかもしれない。
いや、ひとりでもファンがいたらやめるわけにはいかない、と言うとなかなか聞こえがいい。

今はやっているのは、「ブログ」とかいう日記で、それを読んだ人がコメントを付けることができるものだ。日記にコメントとはなんとも奇妙に感じるが、こうしてインターネットを通じて余暇を楽しむわけだ。

別に時間が余っているからインターネットをしているわけではないだろうが、内容はほんとうに千差万別になっている。
私は必要に応じて検索をかけて情報を入手するわけだが、書物と違って、その先々でまたいろいろな情報に出くわす。そこには全然関係ないものもあるが、けっこう興味をそそる内容があったりするのだ。早い話が関係ないものにはまってしまうということになる。こうして貴重な時間が費やされてしまう。

今管理しているコパンのホームページは内容が乏しいということで訪問者をがっかりさせている(と思う)が、情報ということからいえば、閉鎖が正しいかもしれない。悩むところである・・・。



2004年06月07日(月) 琵琶湖と京都

滋賀県のMさんから写真メール定期便が到着した。

いや、じつは日曜には到着していたのだが、アップするのが遅れてしまった。今回のテーマは、えーっと、琵琶湖と京都周辺ということだ。
例によって数枚を勝手に拝借したのでご覧くだされ。







Mさんからは、撮影場所の詳細な長文メールをいただいた。なんでしたらこのメール内容写真とともに掲載したらと思ったりした。そう、マニアだったら興味をそそることもあるような気がする。

やはりここでは、『金閣寺』だ。美しさとともに堂々としたものを感じる。
京都といえばこれ、『金閣寺』で決まり。

カメハメハのブラスバンド、いやにサックスが多いなと思ってみると、地元の中学とのジョイントコンサートになっている。最近の学生は、クラリネットよりもサックスのほうに人気があるようだ。

来週がまたまた楽しみになってきた。当のMさん、早朝からの活動、ほんとうにご苦労様です・・・。



2004年06月04日(金) ベース修理のこと

いつ頃だったか、ストリング・ベースの修理をしようと、静岡のあるヴァイオリン製作者からいろいろとアドバイスをもらって、修理に必要な「にかわ」の購入やら、変形を矯正する「ジャッキ」の製作やらをしてきた。

それ以来ぷっつりと中断していたのだが、少しずつでも進めなければと思い修理方法を検討してみた。静岡のSさんのアドバイスでは、当初、表板をはずしての大掛かりな修理方法であったが、その後のメールで素人にはむずかしいということで、f字穴からのジャッキを使用しての修理方法に変更したほうがよいとのお話であった。
そこで自作のジャッキを突っ込んで、外れている「バス・バー」の下側を持ち上げてみた。しかしどうもびくともしないのだ。表板をふかしていないので当然かもしれないが、少々ふかしたくらいでは矯正できないのではないかとの不安もよぎる。それにニスを塗った面に水分を与えても中まで染み込まないしなあ、と考えあぐねた。

結果、くそ、やってしまえと表板をパカッとはずしてしまう暴挙に出ようかと思っているのだ。ベースの大御所、Iさんからも表板をはずのはやめたほうがよいと言われていた。素人がやると演奏中にばらばらになってしまうというのだ。あの強大なベースの弦の張りでは当然かもしれない。

表板のはずし方がわからない。静岡のSさんのアドバイスでは、塗装にカッターナイフで切り込みを入れ、接着剤である「にかわ」を暖めてゆるくしておいて、接着面にへらを突っ込みながらうがしていくというものだった。
暖めるものはヘヤー・ドライヤーでいいのだろうか。ほかの箇所の接着面がいっしょにはずれてしまわないだろうか、など不安だらけである。

表板をはずす段階までいっていないのだが、ニスを取り除いて次にどんな色のニスにしようかなど悠長なことを考えたりもする。どうせ大工事をするなら、塗装までやってしまえである。





じつはこのストリング・ベース、前から気にはなっていたのだが、サインがしてある。所有者が自分の名前でも書いているのかなと思っていたのだが、イニシャルをじっくり確認すると、「Tshio Mishima」とある。
え!ひょっとして「三島敏夫」?
当時、「三島敏夫とそのグループ」としてテレビに出演していたと思う。子供心にその当時の雰囲気を覚えている。歌の題名までは覚えていないが、ムード歌謡か何かだったと記憶している。どうも「三島敏夫」はハワイアンから出発しているようだ。時流に乗って歌謡曲に転向したのだろう。もうそこそこの年齢になられるだろうが、まだまだ現役で活躍されているご様子。

で、このサインを消すかどうかが問題なのだ。ニスを塗り直すとなると消さなければいけないが、前の所有者が誰かは知らないのだが、どうも気が引ける。そこだけ残すという手があるにはあるが。

いやいや、もっと大きな問題は、そこまで至ることができるかどうかだ。おそらく無理かな・・・。



2004年06月03日(木) 梅雨に入ったが

梅雨に入るといつもこうだ。雨が降らないではないか。
別に雨がどんどん降ってほしいわけではないが、雨を予想していろいろな物事を運んでいるのだから拍子抜けする。

田んぼは雨が降るというので、会社まで休んで撒いたし、ぶどうはぶどうで、殺菌剤、殺虫剤をやらなければいけない時期なのだが、雨で流されても無駄と思い、雨が一段落してからと先延ばしにしている。またその間に病気になってしまうのだろう。くそ。

それにしても暑くなり雨が降り出すと、草木はぐんぐん大きくなってくる。一週間ほうっておくとあれよあれよという感じである。当然雑草もはびこってくる。この雑草を取るのが大変なのだが、今は除草剤のいいのがあるため昔のように人がしゃがんで取るということは少なくなってきた。

特に籾種を撒いた田んぼでは、籾が芽を出しはじめると雑草も一斉に生え出してくる。稲か草かわからない状態になることがある。激しいところではあたり一面真っ青なのだ。
ところが撒布機で除草剤を撒くと、日にちが経つにつれ田んぼが茶色に変化してくる。草が徐々に枯れはじめてくるのだ。すると不思議なことに、いままでほんとうに籾をまいていたのかわからなかった田んぼに、くっきりと青々とした無数のラインが浮き上がってくる。一面茶色の中に浮かんでくるのだから、美しくも感じてしまう。

まあ、化学の発達はすごいものである。稲には影響なく雑草だけに効く薬なのだから。しかし、ちとお高い。
以前の日記にも書いた記憶があるが、農協の農薬を置いている場所は異様な匂いがする。長くは居れないほどの強烈な匂いである。そばにいるだけで身体に染み込んでくるような気がする。いや、おそらく皮膚から吸収されているに違いない。
こうした農薬を大量に使用すると、少なからず残留農薬として体内に入ってくるのだろう。

科学文明は、ある面で人類にマイナスの発明を、すべてにプラスにと転じる発明に変えていってほしいものである。



2004年06月02日(水)

昨年植えた桑の木に早くも実がついた。



背丈はほとんど伸びていないが、葉っぱが繁ってきて、実は幹に直接ついている。2本植えたのだが、ひとつはかなりのサイズになるもので3、4センチには育つようだ。色は一般的な桑の色というか、赤みがかったブルーベリー色と言ったほうがわかりやすいか。もうひとつはちょっと変わった色をしている。実が白なのだ。真っ白ではないが、白を基調としてぶつぶつの部分が少しピンクっぽくなっている。

少し前から実がついて熟れてきているようなので、採って食べてみた。少し噛んでやめた。どうも嗜好に合わせて作られた最近のくだものに慣れているせいか、野性味あふれる味にはちょっと拒絶反応が出てしまったのだ。まあ完全には熟れていないようなので、もっとおいしくはなるのだろうが、ちょっと期待はずれというか期待しすぎていたようだ。

すぐ傍らには「どくだみ」が花を付けだしている。この「どくだみ」、植えたものなのだ。知り合いのお宅に自生していたものをいただいて植えてみると、うまくついてくれた。というか「どくだみ」は生命力が強いので、どこでも勝手に生えるようだ。
目的は、お茶にすることと、お風呂にも入れてみようかなと思っている。万能の効能があることは知っているが、どうも利用の手前で止まってしまっているので、ついに我が家で栽培する運びとなったわけである。

十日ほど前には、妻の実家から「うこん」を持って来られたので、畑に植え付けをした。30個ほどだったか、葉っぱが少しのぞいているものをていねいに植えてやった。するとこれも強いのか葉っぱが伸びてきて、りっぱについているようだ。
この「うこん」は実家でポットの簡易栽培されていたものだが、大きくなり、畑に植え替えが必要となったものだ。これも九州の親戚で生産されていたものを株分けしてもらったものである。



「しょうが」と同じような形をしているが、中は黄色である。これを粉にして飲むわけだが、はてどのようにして粉にするか。九州では専用の粉末器があるようだが、またまた研究の余地ができてきたではないか。あまり余計なことはしたくないのだが、知的好奇心がついつい背伸びしてしまうのだ。

まあ、その前にちゃんと「うこん」が採れるかどうかが問題だ。ぶどうと違ってほっといてもできるような気もするのだが。



2004年06月01日(火) 千年桜

きのうの深夜、たまたまテレビをつけると、「NHKスペシャル」が放映されていた。

取材で話しているのを聞くと、なんと岡山弁ではないか。映し出されているのは山のほうで、畑や木々が豊かに繁っている。

そこには桜の木があった。それも巨大な桜の大木である。なんとなくわかってきた。アナウンサーはさかんに「千年の桜」と言っている。樹齢千年ということは植えられた当時は平安時代である。一気にタイムスリップする感じがする。

番組の内容は、地元の人たちと桜との関わりを中心に、どのように桜に守られそして共存してきたかを、普段の生活の長期にわたる取材で編集されたものである。内容からしてとても価値のある番組と思ったが、途中からなので録画まではしなかった。途中で寝てしまったことと、再放送なので、番組からも題名はわからずじまいだ。

桜の木の下で地元の人たちが集まって写真を撮っている。昭和初期のものでは、男連中が酒を酌み交わしながら並んでいる。それから時代が移り変わってカラー写真になってきたが、地元の人たちの笑顔や風景は変わらない。ほんとうにのどかな風景である。取材も長期にわたっているようで、昭和のゆったりとした情景から、平成13年までの映像がここにはあった。

この千年の桜が全国に紹介されるようになったのはいつの頃かわからないが、それからというもの年々観光客が訪れるようになって、ここの情景も様変わりしてきたようだ。季節なると、この片田舎の細い道が自家用車で渋滞するという。ついに先祖代々から受け継いできた畑を駐車場にせざるを得なくなってしまった。50台の車がおけるよう整備された。それでも地元の人はたくさんの人が来てくれるのでうれしいと喜んではいたが・・・。

内心は寂しさをかくし切れないものがあるのだろう。自給自足のような生活は今の人にはできない。この生活もこの代で途絶えてしまうと老婆が嘆いていた。

「NHKスペシャル」は私のお気に入り番組だったのだが、テレビを見る機会がなくなってくると、こうした大事な番組も逃してしまう。やはりパソコンにアンテナを取り込む必要がありそうだ。


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