ちょくちょく日記が飛びだした。一日飛ばすと気が楽になり二日、そして三日となってしまう。 先週は三日も間があいていたが、そんなに日数が経っていたとは思っていなかった。Mみさんから「日記が飛んでますよ!」と指摘されてあわててアップロードしたのだ。
日記なんていうものは大体、一日が終わってその日のできごとなどを綴るものだと思っているが、インターネット時代になってからはどちらかというと他人に見てもらうために書くというスタイルになってきたので、少しは受けをねらった文面になったりする。だからあまりプライベートな内容にすることもできないのだ。
先日、ついに家庭内LANを構築した。といっても各部屋に配線を引いてインターネットを見ることができるようにしただけなのだが。娘がインターネットを見るようになったので、この日記の存在がばれやしないかとびくびくものだ。まあ教えない限り大丈夫だろう。
工事は「デオデオ」にお願いした。屋根の上に上がって、外から各部屋に配線を引き込む工事内容だった。大変かなと思っていたが、やはり業者だけあって手馴れたものだ。まず道具が違う。穴あけにしても切断にしても専用の工具があるのでいたって簡単に作業をすすめていた。
ノートパソコン用に無線ルーターも導入したのだが、設定もすべてやってくれた。はっきりいって工事料金は安いと思っている。インターネットで料金などを検索してみたが、それなりの金額で決して安いものではなかったが、パソコンの設定までやってくれてコストパフォーマンスは抜群と言っていい内容だった。
例の『シグマリオン』からのリモ−トコントロールはまだなのだが・・・。
先日、急きょ会社を休んで田んぼをした。空模様がおかしくなるという情報による。どうも土曜日まで天気が持ちそうにないというのだ。
朝になると回りの田んぼも一斉に撒き出した。集団心理なのかと思ってしまう。自分ひとりだけ取り残されたら不安になるだろう。その後がうまくいけばよいが、この時期を逃したために撒けなくなってしまったら悔やむに悔やまれない。 天気まかせの商売も大変なんだ。ふと昔の人たちはどうしていたのだろうと頭をよぎる。ナマズでもあるまいし、身体が察知するなどありえないが、それでも気温、空の様子など五感を駆使して天気の動きを見て取っていたのだと想像する。
農作物は天候の影響が大きいが、それ以外にもなにかあるようだがよくわからない。その年によって全体的な出来の差も出てくる。米なら作況指数がいくらと数字で公表されるが、他の作物はどうなんだろう。野菜によっても採れる年と採れない年がある。手間ひまかけて管理を厳重にしても、自然の摂理で変わってしまうので、生産者は大変である。即、生活に影響してくるのだから。
我が家のいちじく『ザ・キング』の実が大きくふくれてきた。このいちじくは夏果専用といって、いわゆる夏だけ収穫できる品種である。店では見かけることはないが、風格といい、味といい、まさしく『ザ・キング』といってよい秀逸のいちじくなのである。
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ところが問題がある。6月の後半から7月にかけて収穫できるが、雨にやられてしまうのである。このため昨年は、ほとんど収穫できなかった。 ぶどうなんかは温室とか、路地物でもビニールの屋根をかけるとかして雨の影響がないようにしているようだ。ただ、いちじくの木は大きいのでそう簡単にビニールをかけることはできない。温室栽培はすでにあるようだが、これもまともに木を大きくしたのでは家か温室かわからない大きさになってしまう。資料によると水平に伸ばす形にするようだ。
今年こそは雨にやられないようにと願うしかない。
我が写真のごとく日記に掲載しているが、滋賀県のMさんからの『週間・花のたより』である。
http://www.imagegateway.net/a?i=JDpicLxnKr
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ここでは水滴をたっぷりため込んだ花びらが、生き生きと写し出されている。おそらくあまり大きな花ではないのだろう、水滴が重そうでもある。
蓮の花シリーズでは、最後に「これぞ蓮の花だ」といわんばかりに、そして恥じらいをみせるがごとくピンクに染め上げられた容姿が美しく捉えられている。 日本人にはやはりこの形がほっとさせてくれるようだ。
この日はあいにくの曇り空だったそうだが、撮影の光としては何ら不足はないとのこと。写真と光の関係は深い。光の芸術といってもよいだろう。それだけに自然をよく理解しておかないといい写真は撮れないないのかもしれない。太陽の恵みは計り知れないが、こうして写真を通して思いをめぐらすのも、たまにはいいのではないか。
こうして一週間に一度、滋賀県のMさんの写真で花の美しさを楽しむことができるのはうれしいものだ・・・。ファンは見ているのかな?
息子がバス釣りの道具に凝ってしまっている。
きのうは専門店めぐりに付き合わされた。ワームとかいうグニャグニャの得体の知れない疑似餌を買うためにあちこちの店のはしごをした。 どの店も同じようなものだと思うのだが、息子は目当ての物がないと言う。
私はあまり見ないようにした。すぐにはまるくせがあるからだ。しかし、バス用のロッドは細くて美しいものが多い。洗練されていて、なおかつ機能美というのだろうか、手に吸い込まれていくようにフィットする。当然、値段に比例はしてはいるが。
いけない、いけないと思いながら、つい深みにはまってしまいそうだ。バス釣りは、釣った後はすぐに逃がしてやるわけだから、ただ釣ることを楽しむだけのほんとうの道楽だ。一般的な釣りは、釣果物を親戚知人、はたまたご近所に配るなどしてその喜びを分配できるのだが、バスは食べることをしないので分配することもない。
ところが私は以前に食べたことがある。知人に連れられて息子たちと溜池で釣ったのだ。入れ食いというのだろうか、たちまちに大漁となった。ブルーギルとブラックバスである。その場で料理をしてもらって白身だけにして持って帰った。臭みは皮の部分にあるということで、白身にしてもらったわけである。 調理方法はフライである。衣をつけて、普通の白身魚と同じように揚げたところ、おお、美味ではないか。あっさりしている。とてもあのグロテスクなブルーギル、ブラックバスとは思えないおいしさであった。聞くところによると、食べる人は食べるようでもある。
最後に行った店は自宅の近くにあった。え、こんなところにあったのとちょっとびっくりした。そこそこの店構えをしている。となりには大きなボートが数隻整備中だ。
おそらく店長だろうと思われる整備をしている人に聞いてみた。「このボート大きいですねえ、レーサーですか?」「違いますよ。バス釣り用です。アメリカではこれが当たり前なんですよ。小さなアルミボートは、日本だけです。」それにしても流線型のかっこいい形をしていて、スピードが出そうだったので聞いてみたのだが。 息子に聞くと、プロで、各地の大会で賞をとっているそうだ。こういう話になると息子も力が入っている。ゴルフと同じで、賞金は大きいものは億の単位になるようだ。
どんな世界でもそうだが、その道に徹して抜きん出ることだろう。 あれやこれや、やっているようではだめか・・・。
日経『マスターズ』は、どうも50後半から60歳代の雑誌のようだ。
今月号には別冊として「セカンドライフ完全マニュアル」なるものが付いているのだ。 ・55歳からのワークライフ ・退職マニュアル ・年金 定年後のマネープランなどなど。
そして本体では、「気力の研究・あなたの元気の素は?」がテーマである。 歳をとると気力が低下するようだが、一方で、気力喪失とは無縁の人たちがいる。ここではそんな、ときに涼しげに、ときに歯を食いしばり障害を乗り越える、そういう人たちの「気力の素」が紹介されている。
まあ、雑誌に紹介されるぐらいだから、並外れた人たちが多いが、それでも、お、これは自分にもできそうかなと思わせる内容もある。興味があった記事を少しばかり御紹介しよう。
気力の基本はやっぱり体力である。定年後の50代後半から身体の衰えを急に感じ始めるようだ。ということは今の私にはまだわからないということでもある。 ここで紹介されているのはスポーツジムでのトレーニング。私も会員になって少しかじったことがある。サーキットトレーニング、ストレッチ、水泳・・・。一応やってはみたのではあるが、当然のごとく続くわけがない。時間がないのだ。 そういう意味では、定年後の体力作りにはちょうどいいかもしれない。
次にあるのは、対人関係である。会社だけの生活から、いきなり外の社会に出てみなさんとまどうようだ。 ここでは、「男性とは違う視点を持つ女性や、エネルギーをくれたり、新しい情報の源となる若い人との付き合いは不可欠」という声もある。 「恋をする」というのもあった。いまさら私には関係ないという感じだ。 というか昔から関係なかったか・・・。
ちょっと興味をそそったのは、「本来持っている力を言葉と呼吸で引き出す」というものだ。 1.すべては良くなる。 2.困ったことは起こらない。 3.過去を思わず。
これでいくとするか・・・。
2004年05月20日(木) |
ダウンロード・ソフト |
息子が夜、アルバイトから帰ってくると「VHSからDVDに変換するソフトが欲しい。」と言う。
インターネットで調べると、ダウンロード版があったのですぐさまダウンロード購入の手続きを取った。じつはその前に息子からは、きっちり代金をいただいたが。 パッケージ版と呼ばれる、店で買う箱入りのタイプに比べて35%ほど安い。それに今すぐ使えるのがミソだろう。だいたい欲しいと思いだすと、2、3日が待てないのが道楽人生の道楽たるところだ。
息子はどうも下調べをしていたようで、その他の機能は一切ない専用の変換ソフトを物色していた。さっそくメーカーのホームページに行くと、ダウンロード版があったが、「ベクター」というダウンロード専門の会社のほうがやはり安く、ここに決定した。
ダウンロードまでは順調にいった。1分もかからないのだ。さっそくパソコンにインストールした。OKだ。息子は自分のパソコンに早く入れたいので待ちきれないようだ。 ダウンロードしたアプリケーションをCD−Rに移し、息子のパソコンにインストールしようとしたのだが、エラーが出てだめなのである。あせってきた。息子はお金を返せとせまるし、ちょっと困った事態になってきた。
けっきょくわかったことは、インストールするためにはインターネット認証が必要なのである。いわゆる違法コピー防止なのだろうが、インターネットに接続されていないとインストールできないというのでは、その環境にない人はどうなるのだろう。 息子のパソコンを引っ張ってきて、インターネットのケーブルに差してインストールを無事終えることができた。だから、他の人がこのアプリケーションを入れようとしても我が家のインターネット環境でなければダメということになり、違法コピーができないという仕組みになってなっているようだ。
そういえば、プロご用達として購入した「マクロメディア製STUDIO MX2004」のホームページ作成ソフトはもっと徹底している。インストールする際、ユーザー登録したその人のデータをインターネット認証しなければインストールできない。ちゃんとCD−ROMは手元にあるのに。
こういったプロテクトを解除する輩も多いが、健全な利用をしていかないと、善良な市民にまで面倒な手続きを強いられることになる。 まあ、ソフトが高すぎるということも原因だろう。若い賢い人たちが良いソフトを開発することを望みたい。
僕らは きっと待ってる 君とまた会える日々を さくら並木の道の上で 手を振り 叫ぶよ どんなに苦しいときも 君は笑っているから 挫けそうになりかけても 頑張れる気がしたよ 〜 さくら さくら 今、咲き誇る 刹那に散りゆく運命と知って さらば友よ 旅立ちの刻 変わらない その想いを 今 〜 さくら さくら ただ舞い落ちる いつか生まれ変わる瞬間を信じ 泣くな友よ 今惜別のとき 飾らないあの笑顔で さあ
さらば友よ またこの場所で会おう さくら舞い散る道の上で
森山直太郎の『さくら』の一節である。 じつは、若くして息子さんを亡くされた方からきたはがきに、この一節が添えられていた。 突然の死に、気持ちの整理などつくはずもないが、安らかに眠り、そしてまた再び帰ってきてほしいとの想いが伝わってくる。
『さくら』はメロディーもいいし、またそれ以上に詩がすばらしい。あらためてこうして詩を読むと、表面的な内容だけでなく、情景が異なるその人にとって、心の中にまでうまく溶け込んでいくようでもある。 名曲といわれるものはそうして、落ち込んだ人、悩んでいる人、道に迷った人に希望を与えてきた。この『さくら』は名曲に値するだろう。
作られた背景は、おそらく「卒業」ではないかと思う。しかし、こうした「永遠の別れ」の情景を映し出しても、その人の想い入れをすんなりと受け入れてくれる。
さくらの美しさと裏腹に、散っていく寂しさをこうしてすばらしい詩にまとめ上げた作者に敬意を表したい気持ちだ。詩というものは、その人の人格を映し出す鏡だという気がする。年には関係ないだろう。色恋がすべてという歌の中にあって、こんなにも人々を勇気づける歌が生まれることはほんとうにうれしいと思う。
直太郎の母親である森山良子は『この広い野原いっぱい』で大ヒットを飛ばしている。『さとうきび畑』、そしてさらに最近では『涙そうそう』もヒットした。メロディーもいいが、やはり詩がすばらしい。 この親ありてこの子かな、と。
いっしょにこのはがきを読んだ妻が私に言った。 「さくらのメロディー、どんなのだったかしら。まきちゃん、ちょっと弾いてみて。」 無反応な娘に代わって、私はおもむろにピアノに向かってメロディーだけを弾き始めた。残念なことに和音までを弾く技術に至っていないのだ。
じつは娘がピアノ・コンクールのテープ審査曲に選んだのはこの『さくら』である。子供たちの間でも人気があるようだ。しかし、いつも手厳しく間違いを指摘していたが、弾いてみるとけっこうむずかしい曲だ。シンコペーション、リズム、それに高度な和音が多用されていて、かなり練習が必要だ。
「まきちゃん、お父さんがかわいそうよ。弾いてあげて・・・。」 うまく乗せて練習させようと、いつもの手段を使っているが、いっこうに乗ってこないのである。
ついに最後までよたよたとメロディーだけを弾き終わった。 いや、ほんとにいい歌だ。
基礎から学ぶWindowsネットワークだが、「第3回 Windows LANの核心、NetBIOSを理解する」になってくると、もうちんぷんかんぷんわけがわからなくなってきた。
17回まであるのだが、この調子ではまちがいなく挫折してしまいそうだ。というか先に行っても、ただテキストを読んでいるだけであって理解しているわけでなくなってくる。お金を払っているわけではないので、質問をすることもできない。まあ、質問自体が無理だが。
ただホームページ作成ソフトの「ドリームウィーバー講座」は有料講座を受けようかと思っている。これは全部で50回のコースだが、3500円くらいだったと思うが内容的には割安感がある。週に3回メールで来るわけだが、一回の内容は少ない。15分もあればできそうな中身なので、私のようなあたふたと動き回る人間にとっては、続きそうかなと思わせる講座である。費用的にみても、この手の参考書は書店で売られているものは3000円以上するものが多いことからすると許容範囲とみていいだろう。
この講座はその他にも全部で10種類くらいあったようだが、どれも15回までは無料で受講できるようになっている。これは戦略だろうが、15回までやった人はおそらく有料版に乗り換えるだろう、という魂胆が見え見えなのだ。こういう講座を自己啓発で取り組む人は、勉強に意欲があるに違いないから、身銭を切ることにいささかの躊躇もないのである。そういえば格言う私も、過去かなりの無駄金を浪費した記憶がある。まあ、自分に投資したのだから無駄という言葉はあてはまらないと言い聞かせてはいるが。
こういう手の講座は、おそらく元手はほとんどかかっていないよう気がする。メール配信なのだから文章を作ってエンターすれば自動的に何人だろうが、たとえ1万人だろうが自動で送られるので全く問題ない。それに講座を開く人たちはそれぞれの専門家だろうから、別に今からスキルを磨く必要もないだろう。
そういう意味では、インターネットは双方に恩恵があるとみていいようだ。これからますますインターネット化は進んでいくだろう。 問題はそれについていけるかどうかだ・・・。
滋賀県のMさんから定期的に「花の写真案内」が届くようになった。
今月もみなさんに楽しんでいただけたらと、URLを下に記すこととした。
http://www.imagegateway.net/a?i=plvmXbSEJ4
しかしどうもこれをクリックしてもこのページに飛んでいかない。コピーしてアドレス欄に貼り付けるしかないのだが、このアルファベットが青色に変わる設定がおそらくあるのだろう。そのうちそうしたいが・・・。
この日記を見た人のうち、何人の方がこのページを開くことができるのかちょっと心配だが、パソコンをさわるくらいだから心配無用かも。
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今回はその名も『薔薇』。ひらがなで『ばら』。カタカナで『バラ』。この言葉を使う時どきでイメージが違ってくる。一般的には『バラ』かもしれない。しかし、私は『薔薇』が好きだ。それも『深紅の薔薇』。
近江富士緑花公園で撮られたバラは、赤あり、ピンクあり、オレンジあり、そして淡い黄色。どれもどれも美しい。どの色もそれぞれが自分を主張して、我こそ花のの王者なりと言っているようだ。 Mさんからのメールでは、「薔薇の花をじっくりと見つめていると吸い込まれそうになると共に、甘い香りがなんとも言えず、香りを発する花心を中心に撮りました。」とある。 そうなんだ。バラといえば花束しか思い浮かばないが、こうしてたくさんの花の中にいると、香りがたまらないんだと思う。やはり家から出て、足を運ばないといけないということがよくわかる。
この写真、いつもながら隠された発見があるが、今回も花びらからしたたるしずくの中になにやら意味ありげなものが写っている様だ。 よくわからないが、どうやら蔓が伸びた棚が写っているようでもある。
『薔薇』は昔から数多くの物語などにも登場してくるが、短歌をひとつ紹介したい。 大文学者、正岡子規のものである。
−−−くれなゐの二尺伸びたる薔薇の芽の針やはらかに春雨のふる−−−
正岡子規が病床に伏せて、死が間近いころの作品だ。
「病床六尺」という作品では、壮絶な病苦が綴られているが、そんな中、作られた俳句、短歌はどういうわけか美しい・・・。
きょう「わかさ」という健康雑誌を買った。
今、健康雑誌といわれるものが10種類くらいはあるだろうか。よくもまあ、毎月テーマがあるものだと思ってしまうくらい内容豊富である。もし毎月購入して実践するとなると、一日中、健康活動をしなければならなくなる。
最も多いのが生活習慣病、それにダイエットである。見出しが興味をそそる題号になっているので、うん?と思わず目をとめてしまうのだ。
じつはうん?と目を止めたのはダイエットではなく、「股関節の重要性」がテーマになっていたからだ。「わかさ」の表題に出ていたのは『股関節こそ万病退治の最大の急所』。 以前から股関節の柔軟性は健康に少なからぬ影響があると思っていた。というよりは、演奏をする上でひとつのポイントであると認識していた。
上田啓二先生のレッスンで、身体の柔軟性をしきりに言われていた。サックスに限らず、演奏するためには身体が柔らかくなくてはいけないのだ。そういう意味では運動選手と同じかもしれない。
ストレッチ方法はいろいろあるが、上田啓二先生によれば、お相撲さんの「四股」がいいそうだ。そう、股関節を広げることが大切なのである。理論的にはあまり勉強していないのでよくわからないが、大事な部分が多いような・・・気がする。 血液を十分行き渡らせなければいけないのだ。
「わかさ」では、股関節の衰えが老けや万病を招くと言っている。走ったり、投げたり、蹴ったりという運動は、股関節の柔軟性が影響している。 よくケガをする選手は、股関節が硬いそうだ。それに年とともに体型がくずれるのは、股関節の衰えがひとつの原因だそうである。
ところでこの股関節の衰えは年齢ばかりではなさそうである。むしろ姿勢や、生活様式の影響のほうが大きいようだ。
この「わかさ」では、股関節の柔軟性、強化、修正などくわしく記述がある。うーん、これを実践すればもうバリバリサックスが吹けるようになるのかと思うとがぜん力が湧いてくる。
いつものごとく、実践すればの話だが・・・。
今月の「The CD Club」は『デューク・エリントン名演集』。
ついでにというか、こちらがメインというか『アントニオ古賀ギター』もいっしょに購入した。 これはアントニオ古賀のエンターテイメント性が表れた内容で、代表曲である「その名はフジヤマ」から始まって、ラテン、歌謡曲、オリジナルと30数曲の盛りだくさんコストパフォーマンス抜群タイプのCDとなっている。
古賀と名が付くくらいだから古賀政男の門下生に違いはないが、単なる歌手ではなく、どちらかというと歌もうたうギタリストといったほうがよい。古賀政男自身、ギターを弾き、そして数多くの名曲を残している。 「影を慕いて」はギターの伴奏による名曲中の名曲になっているが、このCDではギター演奏のみとなっている。アントニオ古賀は自身でギター伴奏をしながら歌うこともある。ギタリストなので、伴奏もありきたりではなく、編曲が凝らされていて芸術性を高めている。
「デューク・エリントン」のほうだが、今年は没後30周年に当たる。1974年に亡くなっているのだが、彼の残した功績、影響力は計り知れない。彼のオーケストラのリーダーであり、作曲家、ピアニストとして多くの仕事をしてきている。作曲は1000曲以上という膨大な数である。 彼のテーマ曲である『A列車で行こう』はあまりにも有名だ。しかしこれ、けっこう難曲なのでサックスでちょっと気軽にというわけにもいかない。だいたいデューク・エリントンの曲は音的にむずかしいものが多い。オーケストラがかもし出すサウンドも、そう簡単に出るものではないだろう。おそらく一人々が持っているサウンドの妙なのかもしれない。
デューク・エリントン・オーケストラに所属するメンバーには有名人が多い。サックスに限って言えば、アルトサックスの御大ジョニー・ホッジス、テナーサックスはポール・ゴンザルヴェス、バリトンサックスのハリー・カーネイ。 ジョニー・ホッジスが放つ色艶抜群の甘い音色は、多くの聴衆を魅了してきた。彼のファーストアルトは楽団の顔といってもいいかもしれない。それぐらい個性があり、また風格がある。
テナーサックスのポール・ゴンザルヴェスもまた、デューク・エリントン・オーケストラのサウンドになくてはならない一人だろう。なんとも表現のしようのない、うにゃうにゃしたソロは私のお気に入りでもある。誰が聴いても彼とわかる独特のフレーズは誰も真似はしない。キーが外れているのか、はまっているのかもわからない音のとり方は、おそらくジャズの理論からいったら邪道かもしれない。まあ、そんなことはどうでもよいことなのである。どうやって規制概念から脱出するかが音楽のおもしろいところでもあるからだ。 ポール・ゴンザルヴェスのビデオ映像を見ると、背丈は低いようだ。テナーサックスが大きく見えてしまう。右肩を引き上げて、眉間にしわをよせながら全魂の思いで吹く姿は、聴く者を引き込んでいく。
1960年代の録音であり、音は決して良いとはいえないが、私の部屋に置いている友人からもらったいわゆるステレオといわれる機材にはちょうどいいかもしれない。CDプレーヤーは、たしか妻がなにかの粗品か景品としてもらったものだ。
どうも週末の天気が気になる。
もうそろそろ「もみ種」を撒かなくてはいけない時期になって入ってきた。この「もみ種」を撒く作業では、田植えと違って雨が降って土が湿っていたのではうまく撒くことができないのだ。専用の機械で作業するわけだが、土がパラパラとして、撒いた「もみ種」の上にうまくかぶさってくれないとだめだ。
田植えであれば、雨の中を植えるという光景はよく目にすることができる。水の中に植えるわけだから雨が降ろうがどうしようが一向にかまわない。
なぜ「もみ種」を撒く「直播」という工法をとるのかというと、苗をつくる手間を省くためである。田植えは「もみ種」を苗床に撒いて苗を作るという作業がある。これがけっこう手間がかかるのだ。それを省こうとして田んぼに直接「もみ種」を植え付けるわけだ。
はっきりいって収穫は田植えに軍配があがる。それは卵のまま海に放流するのと、子供を育ててそれから放つ場合とに似ている。どちらにするかは農家の勝手である。地域性もあるが、我が家ではずっと以前から「卵放流方式」で手間を省いている。まあ、後の管理がけっこう大変あということはあるにはあるのだが。
暗渠を入れてからは田んぼの乾きが早くなったとはいえ、それ相当の日数は必要なので、天気の状態で予定が大きく変わってしまう。場合によっては仕事を休んで作業しなければならないことになるかもしれない。サンデー農家にとってはこれが嫌で、どうしてもJAの指導どおりの日程ではなく早めの「もみ種」撒きになってしまうのだ。
こうして苦労しながら米は収穫されていくのだが、年々、米の消費は減ってきている。それに米の値段も10年前に比べると大幅に低下している。要するに米では食っていけないという構図ができあがってしまっている。
これからの時代、日本本来の米社会に転換していかなければならないのに・・・。
きのう岡山市民会館で開催された、Min−On主催の「伊東ゆかりショー」に行ってきた。
伊東ゆかりといえば、私が若かりし頃に花盛りであったが、まだまだ現役として活躍している。歌唱力も衰えていないというか、円熟味を増したといっていいのだろう。 自分でも、オペラグラスでしわの数でも数えてとかジョークを飛ばしていたが、スタイルは良い。ステージに上がる人は当然日頃から鍛錬もされているし、まず精神的にハイなので身体もそのように従うに違いない。
例によって生バンドのチェックから入った。こういう地方公演では、バンドのメンバー数でその人の力なり、人気というものが計られるかもしれない。メンバーの数は8名。 アルト・サックス&フルート1名、トロンボーン3名、ピアノ&キーボード1名、ギター1名、ベース1名、ドラムス1名という編成である。まあ妥当な線だろう。それにしてもトロンボーンが3本とは驚きだ。それに引き換えトランペットがいない。こういう歌謡曲の場合、トランペットの役割は大きいのだが、なぜだろうと思ってしまった。 リーダーはトロンボーンであったが、キューがみんなによく見えるよう椅子が一段高くしてあった。トロンボーンで固めているのはリーダーのわがままか。
PAの全体バランスとしては、伴奏系を押さえてボーカルが前によく出るようなセッティングになっていて、好感が持てるものであった。楽器のソロなんかはもっと出してあげてもいいのにと思うくらいだ。それにしてもリーダーのトロンボーンの音色はとても甘く美しい。ソロではハイトーンで流れるようなメロディーラインを奏でるのだから、おお、やはりリーダーと言わずにはおれなかった。 アルト・サックスは特に取り上げていうほどのことはないが、エコーがよくかかったPAで、ベンドが冴えていた。
当の伊東ゆかりのほうだが、『小指の想い出』『恋のしずく』など、なつかしの名曲がやはりいい。新しい曲もあるが、伊東ゆかりはこの2曲だ。これがなかったら今のステージはないのだから。どういえばよいのだろうか、曲がその人に合っているのかそれともヒットしたからそのイメージになったのか。よくわからないが、『小指の想い出』は伊東ゆかりそのものになっていることは間違いない。この歌を歌い始めると、お客はみんな吸い込まれていくようだった。
もう何歳になられたのかわからないが、こうして何十年も歌いつづけ、みんなにひと時の安らぎを与えるという職業はいいものである。
家庭内LANを構築しようと配線工事の見積もりを「デオデオ」にお願いした。
数日後、契約しているのであろう、電気工事担当の人が現場確認に訪れた。慣れているのであろう、部屋を見せてくださいと現場を確認すると、すぐに考えられる方法を説明してくれた。 それによると、私の部屋にあるブロードバンド・ルーターから子供たちの部屋まで有線でケーブルを引っ張る。そこでさらに無線ルーターを設置して、各部屋には有線で、そしてノート・パソコン用には無線を飛ばすというものだ。
ブロードバンド・ルーターには四つのコネクターがあるので、ここから各部屋に必要数のケーブルを引っ張るのかなと思っていたのだが、ケーブルがけっこう高いようで、一本で引っ張って分岐するというのが良いらしい。 担当の人は、こういうことを専門にやっているようで、工事から設定まで全部やってくれるという。しかし、それではおもしろくない。線だけ引っ張ってくれればそれでよいのである。
ついでにテレビのアンテナを新調して、さらについでに私の部屋までケーブルを伸ばしてほしい旨を伝えると、それも方法を詳しく教えてくれた。それによると、一般のテレビであるVHFと、BS放送を一本のケーブルに混ぜて送れるという。ほう、これなら今や全く使用していないBS放送を録画することができるではないか。『BS日本の歌』を再び見ることができるのだ。
その日の夜、その担当者から見積もり金額の電話があった。妥当な金額であったので、妻にそのことを伝えると、「私はそんなことを聞いていませんでしたよ。・・・」。うぅ、しまった、見積もりのため下見に来ることを言っていなかったのだ。気分を害しているようだ。ここはひとまず背を低くして暗雲が上空通過するのを待つしかない。 ましてや、アンテナを新調するなどもってのほかだろう。
まあこうしてオーバー・ドライブに歯止めがかけられているが、どうせまた「エクセルがわからないよん〜」といいながらすり寄ってくるくせに、と思いながら今しばらく静観の時を過ごしている・・・。
今月届いた「日経パソコン」の特集は、「パソコン省力化『勝利の方程式』」と意味ありげな題名となっている。
楽するための「手抜き3原則」というのがある。ひとつは「よく使うショートカットを習得」、ふたつ目は「繰り返し作業はPCに任せろ」、もうひとつは「不便な標準設定は変える」というものだ。
中でも「ショートカット」はとても便利だ。しかし使い慣れないとなかなか思うようにはいかないのが現状である。一般的によく使われるのは、Ctrl+Xの切り取り、Ctrl+Cのコピー、Ctrl+Vの貼り付けなどだろう。 これらは別にショートカットを使わなくてもメニューバーから手順を踏めばいいわけだが、以前にエクセルで困ったことがあった。それはセルに文章を入れていて、長くなるので途中で改行しようとしたのだが、さてこれがわからない。けっきょく人に教えてもらった。Alt+Enterのショートカットを使う必要があるのだ。どうもメニューバーにはないらしい。 他にもCtrl+Dで同じ図形がたくさん作られるなど便利なものが多い。そういえば滋賀県のMさんにいろいろと教えてもらったような気がする。
パソコンというもの、今の時代にはなくてはならないものとなったが、この便利さを享受しようと思えば、それなりに使用方法を習得しなければならない。しかしまたこれが曲者である。おいそれとわかるような代物でないのだ。ましてや電化製品のようにスイッチポンで使えるようになることはないだろう。いつまでたっても不完全商品であることには変わりない。
インターネットからの情報も、あふれ出る水のごとく押し寄せるように入ってくるが、けっきょく何がよいのかよくわからない。ヤフーBBを変更しようと他のプロバイダーを当たってはみるが、内容が複雑すぎて理解に苦しむばかりである。各社のお家事情があるのだろうが、もっと明快・簡単なシステムにしてほしいと願うばかりだ。
ホームページ作成ソフトである「ドリーム・ウィーバー」の無料講座を申し込んで、毎日だったかな、メールが届いている。ところが重要なお知らせとかいうのがきて、15回までは無料だが、それ以降は有料になるというのだ。15回も受講すればやる気になっているわけだから、当然あとの講座も進めなければやった意味がない。50回まであるのだから。うまく仕組んでいるものである。
まあ、それをするかしないか、情報をうまく利用するかしないか、それは自分が決めることである・・。
今日はバンドフェスティバル。
雨の中ではあったが、倉敷市民会館もそこそこの入りだった。一般の吹奏楽団なので、学校のバンドのように父兄が来るわけでもなく、なんとなく活気不足という感がなかったわけでもない。
まあ、出演者が観客にもなるわけなので、関係者による演奏会といった趣でもある。それでも連盟の年一回の主要な催しなので、力は入っている。よくわからなかったのだが、会場を入ったところに各バンドのアピール・ポスターが貼られていたようだ。恵さんがそう話していた・・・。
私のクラリネットは、ピー、ギャーといわないように気を使いすぎたせいか、いまいちスパッとした音が出てくれない。リードのせいにはしたくないが、しかし、クラリネットにとってリードの良し悪しは楽器以上にウェイトが大きい。良いリードにめぐり合えたなら、そりゃあ、吹くのが楽しくなる。単音で伸ばしても美しいのだから。
サックスとは違うと実感している。リードを削ったりしたことがあるが、けっきょく、何箱も買って良いのを選ぶほうが費用はかかるが自分のためだと悟った。が、今でもリードにお金を惜しんでいる。まあ、悟りの境地まで至っていないのだろう。
こんなわけで、また次の出番も、今日の使い古しで苦労することになりそうだ。
明日は年に一度のバンド・フェスティバル。倉敷市民会館だ。
どうもクラリネットはむずかしい。といって他の楽器が簡単というわけでもないが。 澄んだきれいな音を出そうとすれば硬いリードになってしまうが、日頃吹いていないと吹き切れないのだ。タンギングは、もそもそとしてしまい歯切れが悪い。薄いリードであれば、楽に音が出るがきたない音になってしまう。素人が吹くと。
適度なリードで美しく吹くには、日頃の鍛錬と探究心がなければ無理だ。それなりに時間を費やさなければ、何事も成就できない。
クラリネットといえば、どうしてもジャズ系を思い浮かべてしまう。ベニーグッドマン、日本ではやはり北村英治、藤家虹二などなど。 こういう人たちは、リードはおそらく薄めなんだろう。がんがん鳴らさなければいけないし、ヴィブラートもかけまくりだ。
そういえば、北村英治はクラシックを勉強しているようだ。CDも出している。と思う。聴いたことがあるが、あれ、ヴィブラートはどうだったかな。クラシックではかけないはずなのだが。
とあれこれ思いをめぐらすが、明日が終わればクラリネットのことも当分忘れてしまう。暑い夏が来るまでは・・・。
今、「基礎から学ぶWindowsネットワーク」を勉強中だ。
といっても教科書片手にといった勉強スタイルではなく、インターネットによく出ているIT講習である。ちょっとした時間を見つけて目を通すだけなのだが、無料でかつ自分にあった内容のものが多くスキルアップにはもってこいだ。
「アットマーク・アイティ自分戦略研究所」というところが掲載しているようなのだが、いろいろなテーマで連載されていて、ちょっとながめてみるとかなり高度な内容のものが多い。
私自身、持っているスキル以上のものをいつも選択するくせがあり、最初は優越感にひたるのだが必ず挫折して、また最初から初心者用に乗り換えるのである。参考書にしてもそうだ。わかりもしないのに『プロが教える・・・』とかいう題号に弱い。『だれでもできる・・・』は身体が受け付けない。だれでもできたらしゃくにさわるのである。
ホームページ作成ソフトがそうだった。最初はプロも使っているAdobe社の『GoLive』というものを購入した。参考書も数冊手に入れたのだが、なんとなんと全くの初心者にはかなり敷居が高い。こうしたいと思うことができないのだ。 相当の時間をかけなければ無理と判断して、次なる初心者用のソフトを購入した。言わずと知れた『ホームページ・ビルダー』である。これはベストセラーというだけ、あってかなりすらすらとできた。今の「コパン・ドゥ・サクソ」のホームページはこれで作っている.
この『ホームページ・ビルダー』の参考書は分厚いのを一冊だけ買った。ここでもこだわりがある。初心者用というソフトなので、参考書もそれなりにマンガ的なイラストのものが多い。それは私の身体が受け付けない。それなりに高度な内容と、イラストは商用的なビジネスライクでなければいけないのである。
『ホームページ・ビルダー』でおさまるわけがないので困ってしまう。これはこれで単なる導入にすぎないので、次なるプロご用達を試さなければ腹の虫が納まらない。そうして購入したのが、これぞプロご用達のソフト、『ドリーム・ウィーバー スタジオMX2004』。 現在マスター中であるが、なかなか出来がよいソフトで、思い通りのことができる、らしい?まともに買うとかなりの高額になるが、学生向けを息子に買わせた。
最近のホームページではイラストが動いたりするのが多いが、これはこれで参考書が何冊も必要なほど高度な技術のようだ。そのうちと思っているが、まあ遠い先の話になるだろう。
先日、岡山市の「情報ボランティア事務局」から会員更新の案内がきた。昨年は会員の8割が活動をしていないということである。その中に私も入るのだが。今回の更新では、活動されない方は無理に登録されなくてよろしいとのことだ。といわれても私は登録するのだが。活動する時間がないだけで、活動の意思はあるのだから、とりあえずメンバーだけには入れておいてもらおう。
公民館では、IT講習がさかんだ。高年齢の方たちをターゲットにしたものが多いようだが、昼間なのでそうなってしまうとも言えるが、情報社会には不可欠のIT技能を身に付けようと老若男女のみなさん、がんばっておられる。
そういう人たちのフォローができればと個人的にがんばってはいるのだが、なかなか坂は険しい。
こうして貴重な日々が過ぎ去っていく・・・。
普段の年であればこの連休を利用して、田んぼに「もみ種」を撒いているはずだ。
しかし数年前からは一週間以上遅らせている。時期的にはこのほうがよいのである。ではなぜ早くから撒いていたのか。それは雨が長く降り出すともみを撒くことができなくなるためである。
そしてなぜ遅く撒くことができるようになったのか。それは田んぼに暗渠(あんきょ)を入れたからである。暗渠の工事はなかなか大掛かりだった。普通だったら1日で終わるはずだが、1週間近くかかったように記憶している。
工事方法は、トラクターで深溝(60センチくらいかな)を掘って、そこに暗渠を入れるのだが、粘土質の土だったためトラクターのスクリューに土がへばりついて排出ができなくなったのだ。けっきょく小型のパワーショベルでちょこまかと堀り進めるしかなかった。 暗渠用の溝幅に比べて数倍の大きさで掘ったため、結果的に土の掘り返しができて、稲の生育に効果があったのだ。下のほうの土は酸素不足になっているからだ。
暗渠の効果は絶大である。あれだけ雨の心配をして精神的にもよくなかったのだが、それが180度変わった。よその田んぼよりも乾きがよくなったのだ。 精神的な恩恵もそうだが、稲にとっても適した時期に撒くことができるようになった。
費用はかかったが、必要なことにお金を惜しんではいけないと思った一件である。 同様なことは他にもいろいろあると思うのだが、道楽かどうかの判断基準がむずかしい。
そう、我が妻の判断基準にゆだねるしかないのだから・・・。
今日は5月5日こどもの日。
新聞に「星の王子さま」の話題が載っていた。コラム欄だが、その中で最近わかったこととして、先月、アントワーヌ・ド・サンテグジュペリが乗った偵察機が見つかったというのだ。
「星の王子さま」の作者、サンテグジュペリは、第二次世界大戦で空軍のパイロットとして飛行機に乗っていた。そして1944年7月31日、連合軍の偵察飛行のためコルシカ島を飛び立ったまま消息を絶ったのだ。 当初は、墜落場所はわからなかったようだが、近年になって、フランスのマルセイユ沖で漁師がサンテグジュペリの名前の一部が彫られたブレスレットを発見したり、近くの海底で、サンテグジュペリの搭乗機とみられる飛行機の機体の一部が見付かったりしていたようだ。
機体の残がいは、マルセイユ沖の海底から引き揚げられ、製造番号から搭乗者が確認されたとのことである。
じつはこの「サンテグジュペリ」という名前を書いていて、どうも違って覚えていたようで恥ずかしいかぎりであるが、有名な『星の王子さま』さえもろくに読んでいないのである。
新聞のコラムでは、コルシカ島の連合軍基地を飛び立ってから60年ぶりの”帰還”だったとある。 「おとなはだれも、はじめは子供だった。しかしそのことを忘れずにいるおとなはいくらもいない」。・・・これは最後の飛行の前年に出版されている。 「かんじんなことは、目に見えないんだよ」。
ひょっとして大人が読む本なのだろうか。そうであれば本屋さんに急がなくては。
ああ、『冬のソナタ』も購入予定なのだ・・・。
滋賀県のMさんから最新のフォト・アルバムのお知らせが届いた。
いや、じつは日記に載せるため待っていたのだが、期待通り届けてくれたのでうれしい。
http://www.imagegateway.net/a?i=p9shfwyCoJ
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今回のテーマは「反射」。Mさんは前回のメールで、どうも写真が図鑑のようになってしまって技量のなさを嘆いておられたが、届いた花たちは、とても生き生きとして美しい。 着実に腕前を上げてきているのがよくわかる。撮る前にきちんとテーマを見据えているところがやはりエンジニアたる者のプライドというものだろう。
最初は何が反射かよくわからなかったのだが、おお、水滴に花が映っているということなのか。「水滴に花が」は「花に水滴が」の間違いかと思ってしまったのだ。 蓮も水面に「写し絵」となって美しさを醸し出している。こんな蓮があったのかと思うほど、めずらしい花だ。やっぱり根は蓮根なの?
Mさんのアルバムを待っていたくらいだから、今日の私のテーマは何もなし・・・。
家の庭には「もみじ」が赤い手を広げている。
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これから木々の葉っぱがますます大きく成長してくる。ほんとうに「新緑」という言葉がぴったりの季節だ。 「もみじ」は、どうも総称「かえで」の中で、五つ葉っぱが分かれているものをそう呼ぶようである。調べていると、わけがわからなくなるくらい種類が多いのでやめた。
ぶどうの棚はあいかわらず未完成ではあるが、もう蔓が伸び始めてきた。ほんとうに一気に伸びてくるのだから、毎日気に留めて蔓の世話をしなければひどいことになるのだ。昨年はひどいことになってしまった・・・。
このGW中に棚を完成させておかなければ、もうできないだろう。そんな気がする。いや、いままでそうだった。
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この写真ではよくわからないが、拡張した棚の側の枝からはどういうわけか芽が出ていないのだ。どうも枯れてしまっているらしい。そんなもんだ、世の中は。
ついでに玄関先に置いている花ポットを写してみた。どうということはないが。
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ゴールデンウィークだからといって別にお出かけの予定はないが、今日もなんとか天気はもったようだ。 あすからくずれるということだが、息子の倉敷でのパレードが心配だ。雨だと中止ということだそうだ。
来週は吹奏楽の演奏会がある。私はひさびさにクラリネットを取り出してみたのだが、どうも思うように音が出ない。そりゃあそうかもしれない。練習をしていないのだから。もう全くといっていいほど楽器にさわっていない。 こんなのでステージに立つのは失礼かもしれない。この一週間、ちょっと性根を入れてみるとするか。
なんでもそうだが、日々こつこつと、水が流れるがごとく続けるということが基本だが、やるときには集中力でもって一心不乱に打ち込むことも必要だ。こういうことは道楽人生の男連中しかできないことかもしれない。 いやほんと、妻には悪いが、どうも道楽人生を謳歌しているようで恐縮してしまうのである。
今日の倉敷チボリ公園は人が多かった。当たり前かもしれないが、やはりこういう場所で閑古鳥が鳴いているようでは、さみしいものだ。このまま景気が上り調子であってほしいものだ。
5月はやはり倉敷という街がにぎわってくる。美観地区の道端で似顔絵描きがみごとな絵を描いている。こういう芸を持っている人をなぜか尊敬してしまう。 べつに肩書きがあるわけでもないが、人ができない技術なり、芸術を持つ人はすごいと思ってしまうのだ。
少しでも近づきたいと日々、真似事をしている・・・。
今日は朝から用事が多い。
法事の準備で墓掃除から。山の頂上なので木が多いうえ、すぐ下の墓が管理者不在になり草茫々。草刈り機まで持ち出して作業をした。もうやぶ蚊が出てきている。お盆ならば虫除けをスプレーするのだが、まさかこの時期と思ったが大外れだ。あちこちさされっぱなし。
家に帰ってからは、ぶどう棚を早く仕上げなければ芽が伸びてきているので大変なことになる。倍に棚を伸ばしたのだが、どうも芽の出がおかしい。この状態では、棚は作ったは、つるが延びてこないということになるかもしれない。 どうもぶどうはむずかしい。手間のわりには収穫が思わしくないのだ。はたして今年はどんな按配になるのだろう。
農協のこともあるし、ばたばたしているだけのようでむなしい。といって嘆いてもはじまらない。
そういえばきのうは5月のレッスンを済ました。中林先生は5月はほとんど毎日のようにコンサートが続いているので前倒しでレッスンをしたのだ。ホームページを拝見するとかなりのハード・スケジュール。それも全国にまたがっている。これ、まさか自家用車で行かれるのではないだろうな。ちょっと確認してみる必要がある。
もう9月には発表会があるはずだ。発表会の曲はすでに決めたのだが、きのうのレッスンでいきなり一度通して弾いてみなさいと。ちょっとこの曲はさぼっていたので弾けるわけがない。「次回のレッスンまでにきちんと暗譜しておきなさい。この曲は暗譜しておかないと弾けないよ。」ははっ。
急に気が重たくなった。そんなに時間が取れるわけないのに。あー、おとなの趣味としてみてほしいなと思ってしまった。
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