きょう、我がハワイアンバンドのO氏の地元学区で開催された文化祭に出演した。
この学区では、体育館の立派なステージを使用してのこの文化祭、はじめてだという。お祭りではなく、ちゃんとしたステージをみんなで見ようという試みである。 主に太鼓や民謡、詩吟が主だった内容であるが、練習のあとがうかがえるステージを繰り広げた。
ちょっと驚いたのは、体育館でありながら、ピンク、青などの照明、それにスポットライトまで駆使しての手の凝りようだ。小学校の体育館に普通スポットライトがあるかいな・・・。 RSKまでビデオを回していたぞ。
それで肝心の私たちの演奏だが、急きょ、ピンチヒッターでボーカルとして入ってもらったT美さんには悪いことをした。 いや、リズムがめちゃくちゃだったのだ。誰に合わしたらよいのか困ってしまったようだ。個人攻撃するつもりはないが、やはり日頃の鍛錬がないと無理のようである。
それにしてもT美さんの腕はたいしたものだ。予定をこじあけて来てもらったため、出演の直前に一回通して打ち合わせしただけなのだが、バッチリである。 問題はバンドであり、ただお詫びするしかない・・・。とほほ。
ちょっとビシバシやるしかないか。
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2004年02月28日(土) |
パソコンのお付き合い |
きょうは姉んちのパソコンを買いについて行った。
ソニーのバイオ、マルチメディア対応のものだ。これはソニーのお家芸だろう。メモリーだけは追加で購入したが、あとはほとんど付いているので買う必要はなかった。
けっきょくセットアップまでお付き合いをすることになったが、そんなには手間を取らなかったのでほっとしている。ちょっとトラブルがあるとすぐに一日仕事になってしまうのがパソコンの困るところだろう。
それにしてもソニーの液晶画面はきれいだ。家に帰って我が家の液晶モニターをつけてみたがちょっと見劣りしてしまった。 それになんというか、ソニーのパソコンはデザインが洗練されている。少々高くても毎日見るものだから見た目がよいほうがいいに決まっている。 なんでもそうだ。美しいほうが・・・。
ウインドウズXPになって使い勝手はよくなったが、まだまだ機能の一部しか使っていないようだ。しかしそれにはかなり勉強が必要になってくる。 おそらく使いこなせないままに次のバージョンが出るのだろう。
そういえば、我が家の自作パソコンもいろいろと欲張ってなにやかにやできるようにしてはみたのだが、この日記とメールチェックくらいしかしていない。
けっきょく宝の持ち腐れということになってしまうのだろう。 いや、こんなことは妻には絶対語れない・・・。
先日ノートパソコンの再インストールを行なった。といっても私のではなく姉の物である。
前から調子が悪くなっていたようだが、ついに我慢の緒が切れ、夜になってこれから持って行くというではないか。所要時間などは知る由もなく、安気に構えていたようだ。数時間は優にかかるというのに。
でやってきました。スイッチを入れるとおや、なかなか立ち上がらないではないか。5分はかかっているようだ。データの抜き出しかしないといけないが、CD−Rドライブがないのでめんどうだがフロッピーに落とすしかない。仕事関係のものがいっぱい入っていたが、それでも十数MBなので10枚ほどで足りる。
しかしこんなことをしていると、再インストールの前にけっこう時間を食ってしまった。ちょっと先が思いやられる。NECのパソコンだが、リカバリーCDが付属しているので思ったより簡単に作業は進められる。姉たちはずっとそばで成り行きを見ていたが、夜中までかかることを察知すると、後はよろしくとそそくさと帰ってしまった。
いつもなら再インストール後のドライバの設定やら、通信関係の設定でてこずるのだが、インターネットはしないというので助かった。とにかく設定になると、ある程度の知識がないと途中でわからなくなることが多い。
ちょっとびっくりしたのだが、プリインストールされたアプリケーションの多いこと。テンコモリ花盛りといってよいほど画面にもショートカットが散らばっている。これも動作を圧迫している要因のひとつなのだ。したがってほとんどのものを削除した。いらないものを入れて高く売る、これメーカーの常套手段。
次の日、姉から電話。「どう、できた?」「はい、できましたでござる」
じつはけさ、妻が朝から怒っているではないか。いやいつもながらではあるが・・・。 夜中にパソコンを始めたが、データがないと言う。画面も変わっているし、カーソルはなにやらゲームのキャラクターになっているという。 そういえば先日、下の息子がリカバリーCDはないかというので渡してやったのだが。これは大変だ。妻の仕事のデータを消してしまったようなのだ。このへんがパソコンの恐ろしいところである。
しばらくの間、息子とのバトルが展開しそうである・・・。
だいぶん慣れてきたようだ。
家に帰ると、娘がいつもケージから出して手のひらに乗せて遊ばせている。このロボロフスキーという種類はすばしっこいのだが、最近は落ち着いてきているようだ。
マットとして敷いている木屑によくもぐっているが、体長が5センチほどしかないためどこに隠れているのかわからないほどである。ペットにするだけあって愛嬌は十分だし、手をこすり合わせるしぐさなどは「リス」に似ている。
娘は「ムース!」と呼ぶとこちらを向いて寄って来ると言っているが、まあハムスターがそう簡単に呼び声を聞き分けるとは思えないが、敵対心は持っていないようだ。
今のところ匂いもほとんどないようだし、あとは娘がどこまで世話を続けるかだろう。
会社の健康診断の結果がきた。
おっと、ついに総合評価「B」となってしまった。歳の割には検診では不具合がなかったので安心していたのだが。個別にみると中性脂肪が増えているのだ。いわゆる皮下脂肪といわれるものである。 まあはっきりいって運動をしていないのだから当たり前といえばそうかもしれない。原因があっての結果なのだから。物理では「エネルギー保存の法則」というのがある。この自然の法則から言えば、運動が少ないのならインプットである食べることを減らせば釣り合いはとれるはずだが、人間の欲望はそう簡単には抑えられそうにない。
世の女性方、こうしてダイエット・サプリメントに走るようだが効き目はいかに。それよりも欲望をコントロールする薬を調達したほうがよいのかもしれない。
もうひとつ「B」がついた項目があった。骨格疲労というものである。いや、べつに何も測定はしていない。問診票に肩こりの項目があったので○を付けただけなのに。数ページにわたる問診票だった。その結果、私の心の健康度は不調から快調のグラフの中で、右端の快晴のお天気マークの位置にチェックが入っていた・・・。 こんなのだったらべつに問診票なんか書かなくてもよいのにと思ってしまった。わざわざコメントをつけてくれなくても自分でわかるのだから。
今回の健康診断で新しいことを発見した。といっても自分のことではない。 診断バス数台を乗り付けてきたわけだが、おや、と思った。運転手が若い女性ではないか。そう、検診をする人が自分でバスを運転して移動しているわけである。経費削減の一環であろう。何事も効率化をしていかなければ生き残れないのだ。はたしてバス本体も乗合バスの払い下げなのだろうか。
検診中もいろいろな出来事があったようだ。 レントゲンの技師は吉本興業が似合っているようなおもろい人だった。聞いた話では、なにやらドライバーを片手に仕事をしていたそうな。「機械が調子悪いんでだましだまし動かしとりまっせ。」ついに故障で修理中になってしまった。
まあ、機械は古くなれば取り替えればいいのだが、生身の体はぼちぼちメンテナンスする時期にきたようだ。
いつもは検診結果を妻に見せていたのだが、今回はやめておこう。言われることは決まっているのだから・・・。
2004年02月24日(火) |
サクソフォン・カルテット |
吹奏楽のアンサンブル大会、それも全国大会が岡山で開催されるという。
恵さんの情報によれば、3月20日(土)祭日、シンフォニー・ホールだそうだ。 それを聞いてただ行こうと思ったのではない。ちょっとご無沙汰していた我がサクソフォン・カルテットの再立ち上げである。さっそくメンバーに確認した。OKの返事だった。そして上田啓二先生にもお願い申し上げた。「いいよ。勉強しましょう。」
思えばよくやったものだ。そして最初で最後?の「金賞」までとったが後が続かない。持続はほんとうにむずかしいものだ。
今回もはたしてうまくいくのかなという不安もつきまとう。グループを組むということは並大抵ではない。それぞれの都合もあるし、思いも各人が違っているからだ。しかし、こういう音楽のグループは演奏できることの喜びを知っているから、少々の苦労は覚悟で乗り越えることもできるのだと思う。
期待と不安の混じったサクソフォン・カルテットの立ち上げである。
日経BP社の「MASTERS」という雑誌を定期購読している。この本はどちらかというと50代以降の年齢向けといってよい、第二の人生について考える内容が多い作りとなっている。
この雑誌の能書きはこうなっている。 「仕事も遊びも人生を極めたいアクティブシニアのための情報誌です。「自由に働く」「自在に遊ぶ」「豊かにコミュニケーションする」の3つをキーワードに、人生の達人(マスターズ)を目指すシニアに役立つ情報を提供します。」
今月の特集は題して『道楽人生』。 道楽とはいわば男性の代名詞のようなものである。女性で道楽というのを聞いたことがない。言いかえれば少年時代をそのまま引きずって生きているのが男かもしれない。
で、話はそうではなくて本の最初を飾るマスターズ列伝として取り上げられた人。それは誰かというと歌謡界の大御所「田端義夫」。もう80歳を超えているが、現役の歌手である。最近になってCDをリリースしている。 『島育ち』でデビューしてから、かれこれ60数年がたつが、年齢を感じさせない歌声とステージでの振る舞いはこれぞ芸人と呼ぶにふさわしい人物だろう。
題字は『歌にいき 恋に生きる ”情”の唄人』とある。 夫婦の仲について語っている。 「夫婦ってのは、どんなべっぴんでもね、一番男が負けるのは、やっぱり女の情ですね。それに引きずられて長続きしますよ・・・」とある。 女性にもてるコツについても語っている。あれもねえ、やっぱり自然体ですよ。と。
じつは「田端義夫」といえば私にとって思い出があるのだ。 学校を卒業してから、あるキャバレーでアルバイトをしていた。いわゆるバンドマンであるが、その時「田端義夫」の伴奏をしたのだ。トレード・マークの「オッス!」の掛け声とともに、ぼろぼろになったエレキギターを真横にかかえてヒット曲を歌い続けた。 「MASTERS」にもこのギターを抱えた氏の写真が載っているが、ほんとにぼろぼろなのである。ビスを取り外したのか穴がぼこぼこあいているし、塗装ははげはげ。俗に言われるオールド・ギターというのではなく、氏とともに「戦った」ギターなのである。
人生を戦った人は美しい。そう感じる記事であった。
きのうはひさびさに田んぼをした。
去年、コンバインを使ってから田んぼには行っていなかったのだ。よその田んぼは、どこもみなきれいに耕されているが、うちのはいつも最後になってしまう。
それにしてもいい陽気だった。トラクターを使うと、いつも鳥たちが寄ってくる。種類はよくわからないが、大きいのやら小さいのやら、トラクターの後をアヒルが連れなうように歩いてついてくるのだ。虫たちをついばみながら。ときどき冬眠中の蛙をひっくり返してしまうのでそれもねらっているのだろう。
きょうも午前中は陽気がよかったが、夕方から大雨になってきた。 これから日増しに春の訪れが感じられてくるのだろうが、植物も芽付いてくるのが楽しみだ。
ここらへんで一句といきたいが、どうも日々の喧騒に流されて余裕がでない。 いやいや時間は作るものなのだが、はたして何をカットすればいいやら。 来週のハワイアンはカットできないし。サクソフォン・カルテットもそろそろ立ち上げないと・・・。
また妻に言われそうだ・・・。
きのうの夜は妻の帰りが遅かった。 といってなにも深い意味があるわけではない。そう信じている。
いやいや、じつは仕事の関係で送別会らしいことをしたらしい。そこで「にがり」ダイエットの話題で盛り上がったようである。
この「にがり」、何にでも効くようなのだ。ダイエットだけではない。豆腐ができる。当たり前か。使用用途として豆腐などの食品以外は記入されていない。 しかし、スーパーで商品棚から取り出しているご婦人方を見ると、つい、この人もやっているのかと変な勘ぐりを入れてしまうものである。
目にも効く。視力が回復するそうである。薄めて目をぱしゃぱしゃするか、目薬にしてさすようである。 それからアトピーにもよいそうだ。スプレーしてやれば、かゆみも取れるとのこと。
送別会で上司から言われたそうだ。「それ、幸せ太り?」「いいえ、ストレス太りです!」 「あしたからご飯にも入れて炊く」と妻が言っていた・・・。
インターネットにつないでみた。思ったより簡単に接続できるではないか。
プロバイダーはドコモが運営している「モペラ」というものだ。本体がドコモ製だけあって、ほとんど自動で接続の手続きが完了するようになっている。パソコンだったらCD−ROMを入れていろいろと入力が必要なのだが、こんなに簡単なの、というぐらいあっけなくインターネットにアクセスできるようになった。 通信手段は、「@Freed」という使い放題のものにした。専用のカードをシグマリオン3に挿入してやるだけでOKである。携帯電話をいちいちつなぐ必要もない。小さなアンテナがあるが、画面のアイコンをクリックするとピピピッと専用カードの緑のランプが点灯して、いつもの見慣れたインターネット画面が現れてくるのだ。
シグマリオンを購入したときに「@Freed」の手続きをすると、070で始まる電話番号がついてきた。どうもPHSの電話のようだがよくわからない。プロバイダーであるが、数十種類ある中で、この「モペラ」はドコモがやっているだけあって無料のプロバイダーになっている。したがって「@Freed」の定額料金だけ支払えば、24時間使い放題なのだ。気になる料金だが、今使っているドコモ携帯の料金と合わせても息子の携帯料金よりも少ないのでよしとするか・・・。
メールだが、「モペラ」のメールを使用するためには月額500円が必要になる。この辺はぬかりがないようだ。しかし、そう簡単に相手の作戦に乗るわけにはいかない。今回はとりあえずやめておこう。じつはこれからテストする事案があるからだ。例の「リモート・デスクトップ」というシグマリオンならではの機能をためす時がきたのである。自宅のパソコンをシグマリオンで操るというマニアックな機能だ。想像するだけでわくわくするではないか。
「コパン・ドゥ・サクソ」のホームページを立ち上げてみた。画面は小さいが、そのものである。ちゃんと画像も鮮明に写っている。ただ、画像の部分は表示に時間がかかるが、いたしかたないだろう。日記に移ってみた。あれ、写真が出てこない。そういえば自宅のパソコンでもヤフーBBのプロバイダーでは日記の画像が出てこなかったので、やむなく今はジオシティーズにしているのだ。
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それからこの機械、ウインドウズなのだが、パソコンのように立ち上げでウィーンカチャカチャと時間を食うことがないのだ。スイッチを入れると瞬時にウインドウズの画面になっている。即使えるというわけだ。これも大きな購入動機になっている。
またの機会に使用レポートをしてみようか。ひょっとして滋賀県のMさんが興味をそそられるかも・・・。
<きのうの出来事> 家に帰ると、妻と娘が言い合いをしていた。 どうも娘が本を読み続け、お風呂にすぐに入らないことに腹を立てたようだ。続けざま、勉強のことやらをいつものごとく機関銃のように発している。 「連絡帳のサインはお父さんにしてもらいなさい!」娘は私のところに持ってきた。内容確認したふりをしてサインをした。妻のような味気ないものではない。私の似顔絵と横文字のサインを書いた。娘がニコッとした。それを見て妻が「明日のもサインしてもらっときなさい。」明日は先生がお休みのようだ。 今度は、サックスのイラストを書いた。ますます喜んだ。学校で先生にチェックしてもらうのが楽しみになるのかもしれない。 こうしてドタバタは一件落着した・・・。
これは思った以上に出来がいい。ドコモが出しているPDAで、シグマリオン3というものだ。
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といってまだ使ってはいないが、あちこちさわってそんな気がするのだ。満充電になったら通信の設定やらをしてとりあえずインターネットにつないでみる必要がある。どれだけサクサクと動いてくれるか興味深々だ。
画面は思ったよりは小さいが、めちゃくちゃ鮮明だ。しかし、ひとつ問題がある。文字を含めてとにかく小さい。アイコンなんか私にはよく見えない。文字を大きくする設定があるようだが、どちらかというと若い人向けかな。仕事ではルーペが手放せないが、ほんとアイコンはルーペで見たいと思ってしまうほど小さい。
動作の軽快さはなかなかよい。画面の変更もスッスッと変わってくれるのでストレスは感じないだろう。OSは「ウインドウズCE」というもので、ノート・パソコンを扱っているような雰囲気だ。いわゆるPDAと呼ばれる携帯端末とは一線を画している。キーボードもパソコンなみのものになっているし、ワード、エクセルも簡易版が使えそうだ。
モバイルといっても、なにもあらてめて屋外でわざわざインターネットをすることもないが、私がこれを購入するきっかけになったのは「予定表」をこまかく書くことができるからである。以前にザウルスというモバイル機器を使ったことがあるが、いまいち使い勝手が悪かった。入力も大変だが、けっきょく手帳に書いたほうが早いしわかりやすいのである。 今回のものはキーボード入力ができるし、パソコン並にこまかく記入ができるのだ。一般的には、手書きよりもキーボード入力のほうが速い。まあ、手帳に記入する場合はどうかわからないが。
もひとつ魅力は、リモート・コントロール機能である。 家のパソコンをこれで操ることができるのだ。したがって外にいながらにして、あたかも家のパソコンで作業しているような環境になるのである。画面も家のパソコンのものになる。いや、はたしてこの画面で読み取ることができるのかな。おそらく小さすぎて見えないだろう。私の目では・・・。
ハムスターからいきなり宇宙に飛んでしまうが、先日、これまで一度も観測されなかった遠方の銀河をハッブル宇宙望遠鏡で発見したと報じられていた。
この銀河は地球から130億光年先にあり、科学者たちが見た銀河の光は宇宙誕生からまだ7億5000万年しかたっていない時に発せられたことになる、というのだ。ちょっと想像の域を越えている。
星空のロマンも好きだが、宇宙の謎に迫るのもきらいではない。最近この日記でも話題にした、科学雑誌『ニュートン』の一部を手に入れ損ねた反動として、すぐさま最新号を購入したが、そこには火星着陸に成功した無人探査機の記事があざやかに掲載されていた。宇宙は壮大だが、人間の探究心もそれに劣らず偉大である。
ひとつの銀河だけでも、ほんとに無数といったほうがよい数の星たちである。その銀河も無数にあるのだ。神秘そのものだ。その妙なるリズムに我々も乗っかっている。
こんな話を妻にするとおそらくこう返ってくるに違いない。「足元を見なさい、足元を。」
きょう仕事から帰ると、娘がハムスターの世話をうれしそうにしていた。
名前を「ハース」から「ムース」に変えたと言っていた。いろいろと手なずけようと苦労しているようだ。
やや、日記帳を作って日記を書いている。おっと、あまり深入りしないことにしておこう。この日記の存在がばれては困るのだ。
いつまで続くかどうかはわからないが、この調子でがんばってほしい。 どうも妻はあまり好きではないようだ。若い頃は、いろいろと飼っていたはずなのだが・・・。
まあ、今回のハムスターに関しては反対を押し切って買ったので、いい加減なことはしないだろう。 娘は生き物をかわいがる気持ちが強いようなので、うれしく思っている。
何日かこうして見ていると、なかなかかわいいではないか。ちょこまかと走り回って愛嬌がある。 そのうちヤドカリのように布団の中に入ってくるかもしれないな・・・。
こうして我が家の家族が増えたわけだが、日記でもご紹介申し上げたシェットランド・シープ・ドッグ「セガ」以外には、普通の金魚がいる。たしか6匹くらいいたと思うがどうも定かではない。娘は全部に名前をつけて呼んでいるようだが。 この金魚、いわゆる出店で買ったものだ。100円ですくうやつである。水替えやら藻の購入などわずらわしいことが多い。しかし、毎日世話をするということは大切な子供教育と思って致し方ないと容認している。
まだ子供が小さい頃、そういえば娘はまだ生まれていなかったが、ヤドカリを飼っていたことがある。海に行ったとき持って帰ったのだと思う。こちらは金魚と違って海水でも飼育となる。ちょっと手間なのである。海水といっても海から取ってくるわけにはいかないので、人口海水をつくるわけである。ペット・ショップに海水と同じ成分になる塩を売っている。これを溶かして海水を作るのだ。これは金魚どころの手間ひまではなかったように記憶している。
ヤドカリは陸にも上がるので、水槽の中もそういう環境にセットしなくてはいけない。砂、石ころで丘を作り、そこから自然に海に入っていくという環境を。 さらにやっかいなのは、ヒーターで温度調節もしてやらないといけないのだ。熱帯魚のようにたっぷりの水はないので制御がむずかしい。
このヤドカリを水槽から出してよく遊んでいた。夜は布団の中に入り込み、探し回ったものである。あ、ちょっと思い出したが、最初の頃は妻が何かの入れ物に入れて飼っていたと思う。そして自分の子供のように名前をつけてかわいがっていたようだ。それで部屋中を動き回って遊んでいたのだ。
ヤドカリは部屋替えをする。入っている貝殻を替えるのだ。だから何個か貝殻を用意しておいてやらないといけない。見ているとこの宿替えがなかなかおもしろい。あたらしい宿がしっくりこないとすぐに抜け出て次の宿を物色している。人間にも似ているところがあるような・・・。
まあ、ヤドカリでもなんでもいいが、生き物を飼うということは、大切だろう。大変だが、受ける恩恵は大きい。
ついに買った。
いや、私の物欲ではない。娘がずっと以前からほしがっていたハムスター。家族の反対に娘が勝った。私はどちらでもよかったが、そんなに欲しがるのに押さえつけることもないと思った。
我が家には、昔から尻尾付きが住み着いているのだ。「京都在住のらいらいけん」氏にもご紹介申し上げた「業務用ペッタンコ」が大活躍しているのである。でも最近はあまりかからないのだが、寒さのせいかもしれない。
このハムスターちゃん、種類はロボロフスキーというものだ。ハムスターの中でも小型のもので、白、茶色なのでハムスターらしい。ブルー系とかグレー系は、もろ似ているので敬遠させた。
グッズもいろいろ必要だ。ケージは当然として、おがくずでできたマット、水飲み器、トイレ、お家、などなど、けっこう物入りだった。 でも、娘のうれしそうな顔を見ると、つい親ばかになってしまうのだ。我が家に連れて帰り、ケージを娘といっしょに組み立てて、セットをしてやった。
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妻の顔は?うーん、日頃、仕事で動物の世話をしているためか、関知したくないという態度をとっているかのように思えたが、いやいや、やはり気になるとみえて、あれやこれや娘に教えていた。
きょうのなごやかなひと時であった。
ちょっとひさびさに音楽考。
とはいってもこむずかしいことは私には似合わない。ヴィブラートについて考えてみたが、どうも考えがいまいちまとまらない。
いまやっているサックスでは、ヴィブラートは必需品だろう。しかし、クラリネットはというと、クラシックの世界では基本的にかけない。理由はよくわからないが、どうもヴィブラートなしでも音が美しいからとか。ほんとかどうか定かでないが。 でもジャズ・クラリネットではかけまくりである。管楽器でノン・ヴィブラートはめずらしい。
ヴィブラートがなぜ必要なのかという論議は評論家にまかせておけばいいが、実際に聴いてみればよくわかると思う。 ヴィブラートがあれば音に深みが出るし、なんといっても感情表現が豊かになってくるように思う。演奏する者にとっては、ヴィブラートをかけたくなるのだ。
弦楽器でも同じである。ヴァイオリンは当然だが、ギターでも歌わせるところは自然と指がヴィブラートをかけている。 どうやって?ヴァイオリンと同じように指を揺らせばいいのだ。開放弦は無理だが。フレットがあるので、弦長が変わるわけではないが、弦の張力が変化して音程が揺れるのである。
さて、それじゃあサックスはどうか。これにはちょっと苦労した経験がある。ヴィブラートは無理にかけるものじゃない、自然にかかってくるんだ、という考えがある。そう思って自然にかかるのを待っていた。しかし、かからなかった。練習量が不足していると言われるかもしれない。しかし、そんなにあり余るほど時間はないのである。 けっきょく、ヴィブラートをかけた。いわゆるあごでアウアウとやったわけである。今も変わりはないが、ヴィブラートは十分かかっていると思っている。本来の自然のものではないかもしれないが、それに近づくステップとして十分だ。
恵さん、がんばって・・・。
またもや録画を失敗してしまった。
今回は設定自体は問題なく、見ると一応望みの映像は映っているのだが、音声はせず画面もざーざーで何が映っているのかさっぱりわからないのだ。チャンネルがひとつずれているような感じだ。 昔のテレビでは、カチャカチャとチャンネルを回すが、古くなってくるとチャンネルがピタッと決まらなくなり画像がきたなる現象に似ている。うぅ、たとえで年代がわかってしまうか。 そんなことはどうでもいいのだが、要するに録画失敗に変わりはない。BSのアンテナでも動いたのかな。 じつは、BSのビデオ・デッキにはテレビがないのだ。したがって何が録画されているか見ようにもすべがない。ビデオ・テープをほかのデッキにかけてはじめて状態がわかるという前時代的な作業をしているのである。
とろうとした映画は『普通の人々』。 いつかこの日記で話題にしたことがある。アメリカの平凡な家庭で起きた長男の事故死で、その家庭が崩壊していくさまが綴られていくのだが、これを柳田邦男がエッセイの中で取り上げている。この本は5〜10ページ程度のエッセイが40編ほど集められた『妻についた三つの大ウソ』というものだ。その中の「人生の復習」というエッセイである。
柳田邦男は映画の中身を話題にしているのではなく、音楽について記述している。バックに流れているバッハの『パッヘルベルのカノン』である。 事故死した長男の弟が、ショックで神経症に陥ってしまうが、母は長男を溺愛していたがために、この子を理解することができず家を出て行く。 弟は学校でコーラス部に入ってがんばるが、その練習している曲が『パッヘルベルのカノン』だ。ラスト・シーンでは、寒々とした戸外でたたずんでいる父子、そこにこの曲が流れ、消え入っていくというものだ。この情景が氏には忘れられないものとなっているのである。
録画に失敗したため、映画、曲とも氏のエッセイからの想像になってしまった。 今のパソコンにはテレビが見えるようチューナー・カードを挿入してはいるのだが、どうもBS放送を見るためにはBS用のチューナーが別途必要のようだ。おそらくこのパソコンが廃棄になるまでに、BSが入る可能性は非常に少ないだろう。
そんなもんだ・・・。
一日飛ばしてしまったが、ちょっと旅行中だったのだ。モバイル機器を持っていないので、アップできなかった・・・。
年一回の農協慰安旅行。年々行く人が少なくなってきている。皆様、ご高齢になられていることが大きいだろう。次の世代の人は農業なんかしなくなってしまっている。ちょっと憂えることである。 いつも私が一番若いのである。
今回の行程は山口から長門方面仙崎の島巡りである。
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《荒城の月・佐藤秀廊−ハーモニカによる日本のうた》のCDが届いた。
前に購入した《荒城の月》だけが収められたCDに収録されていたハーモニカの演奏は、全日本ハーモニカ連盟理事長・斎藤氏のものだが、今回のCDはまぎれもなく、日本の第一人者・佐藤秀廊が万感の思いを込めて歌い上げたものである。
前に聴いた《荒城の月》の演奏に感動して、ハーモニカの表現力のすごさに驚いたが、今回の佐藤秀廊の演奏は驚愕ものだった。どう表現したらいいのだろう、まずダイナミックの広さにあわてた。普通のボリュームにセットしていたのだが、ちょっと音が小さい。ボリュームを上げた途端、急激にクレッシェンドがかかりフォルティッシモになった。おおっ、とボリュームをまた下げたのだ。はっきりいってピアニッシモは耳を澄ませないと聴こえないくらいだ。
最近の若者にはこういう演奏は聴けないかもしれない。神経を研ぎ澄ませて演奏に集中するということに慣れていないと思う。大音量、リズム、電子音・・・。
CDジャケットに写っている、氏が手にしたものは、まぎれもなく私たちが小学校時代に一度は吹いたことのある、あのトンボ印のハーモニカだ。あらためて、ハーモニカ一本でここまで表現した氏の偉大さに感服するのみである。
CD解説の一部をご紹介したい。 「荒城の月は名曲ですが、まるでハーモニカのために書かれたような編曲の素晴らしさをお聴きください。この曲はマイナー・ハーモニカという短音階に調律されたハーモニカ(市販しています。)を用い、<日本的奏法>のあらゆるテクニックを駆使して演奏されます。」 「江戸っ子の粋とパリジャンのエスプリの両方の感覚を兼ね備えていたといわれる佐藤秀廊。その真骨頂ともいえる作品が<さくらのワルツ>でしょう。トラディショナルは都節を用いず、西洋音楽のマイナースケールを用いて、ウィンナワルツを思わせるリズミカルな編曲は見事というほかありません。」 「『宵待草を口ぐさむ時、私はいつも叙情画家、竹久夢二を思い出します。』と佐藤秀廊が言っていたように、この編曲には大正ロマンの香が漂っています。1本のハーモニカでこれほど豊かな表現のできる奏者はかつていなかったでしょう。」
いや、ほんとに誇張ではないと思っている。 こうして優れた音楽、演奏にめぐり合えることは幸せである。
京都在住の人間国宝候補「らいらいけん氏」が、メーリングリストで自家製サプリメントの製法を載せていた。
いたって簡単だ。梅干をつぶしてペット・ボトルに入れ、それから水をそそぐだけ。何だと思ってしまうが、やめられなくなるそうだ。 おそらく梅干の品質が大きく影響するだろう。当然水も。yakoが愛飲しているセラミック玉入りの浄化水がいいと思う。yakoが飲んでいるとき、横取りして飲むとなかなかまろやかな味がした。
梅干は市販のものでもよいが、どうもいろいろと味がつけてあっていただけない。食べやすくはしてあるが、甘いのが多い。梅干というのは本来保存食のはずだが、「要冷蔵」なんかが表示してあるのだ。生物かと思ってしまう。 市販品は、梅を漬ける時出てくる梅酢を除いて別の調味したものに入れ替えるようだ。じつは、この梅酢に多くの効能があるのだが。
我が家ではここ数年、自家製の梅干を食している。いわゆる塩と赤紫蘇だけで漬け込んだものである。これできれいな赤色が出てくる。市販のいかにも無着色ですよといわんばかりの茶色のものとは違う。
種類は南高梅。これ、和歌山県の南高校の先生と生徒が交配して作り出した品種だそうだ。和歌山の梅産地に行った時、はじめて知った。主要な工場を見学して回ったが、まあ、大量生産である。昔からのじっくりと漬け込むということはしない。ここでも当然、梅酢は調味されているものと入れ替えられる。 店の入り口に、100年前の梅干として壷に入ったものが飾られていた。これが本来の梅干だ。
梅の効能はたくさんある。昔から知られているのはその強力な殺菌力だ。日の丸弁当は日本の伝統である。アルミなんか溶かされてしまう。だっけ。血液がサラサラにもなる。これらは梅酢のおかげである。
最近我が家では、梅に加えて、らっきょうも食するようになった。まあ、昔の子供の頃はいつもあったのだが、食文化の変化でいつの間にやら食卓から消えていた。いわば復活を果たしたのだ。これの効能もすごい。
けっきょく、昔の和食文化に勝るものはないというわけだろう。
今日のレッスンはいきなり2小節で止まってしまった。
同じところを何回やってもうまくいかない。先生がお手本を示してくれる。ううっ、でもだめだ。原因がわかった。弾く瞬間、指が曲がっていた。ずっとそうだったのだ。もっと早く発見してくれよと思いたくなってしまった。
そこから図を描きながら原因を説明してくれた。なんと弾く瞬間の指の速度は時速100km必要だと。野球のボールのような速さだ。それが私のは指が逃げているので鈍足になってしまうのだ。 指摘してくれなければ、ずっとこのままだったろう。
いやいや、またも師匠の重要性を実感した次第である。
あす朝は早く起きなくては。
妻と娘がスキーに行くのだ。私はバスまで送るだけ。毎年恒例のスキーバスだが、去年から私は行かなくなった。べつにこれといった理由はないが、歳なのかな。行きたいという欲求がなくなってきた。だんだんと。
スキーは一応滑れる。滑れるようになった。今から20数年前に。 会社の関係で長野に数ヶ月、それも冬に滞在したこともあって、休日にはスキー三昧だった。野沢、八方、それになんだっけ、いろいろと行ったわ。主要なスキー場は制覇したと思っている。最初はど素人だったが、毎週、それも土、日と続けると滑れるようになるものだ。スキー学校にも入った。いや、これは私のポリシーなのだ。我流はいけないと思っている。たとえ、それが遊びでも。
いっしょに行動を共にした相棒が驚いていた。「滑っている途中、急に止まって何をするのかと思ったら・・・。」 この時私は、ちょっと滑り方に不安があったので、スキーの滑り方解説書から切り取ったページをポケットに忍ばせていた。それをおもむろに取り出して、読み始めたからだ。 むかし、映画のワンシーンで、複葉飛行機で飛び立つ寸前、パイロットがやおら飛行の虎の巻を取り出して読み始めるのを見たことがあるが、おそらく滑稽だっただろう。
スキーは滑るととても楽しい。病み付きになってしまう。しかし、かなりハードなスポーツでもある。当時一日中滑って、夜もナイターで滑った。その夜、宿に帰ろうにも足が立たなかった覚えがある。 まあ、それだけ若かったといえるかもしれない。
どうも今ではそんな気持ちすら起きなくなってしまった。 他の事が忙しいということもあるかもしれないが、軽いスポーツはしなければいけないと言い聞かせている今日この頃である。
ソニー・ファミリークラブからきた来月のCD案内にヘッドフォンの広告が入っていた。
ソニーのスタジオ用と銘打った商品だが、まあ、一般向けの物だろう。さして気にも止めなかったが、そういえば以前に聞いたボーズのヘッドフォンのことを思い出した。
これは今行っている会社に、ボーズ社がプレゼンテーションを行ないに来るということからはじまった。 会議室に40、50人の物好きな連中が集まった。そこには何やら黒いベールがかけられた物体が、皆の視線を浴びるようセットされていた。仰々しいほどだ。 定刻になった。ひとりが演題に立つと流暢にしゃべりはじめた。実に訓練された話し方である。夕方のプレゼンテーションだが、朝から練習をしていたという。 プロジェクターを写したが、最初の画面は世界無着陸飛行を達成したボイジャーである。あれ、何の関係があるの、と思ったが、おやっと興味をしめさせるのがプレゼンテーションの極意だそうだ。パイロットはヘッドフォンを装着している。じつはこれがボーズ製なのである。このヘッドフォン、外部の雑音が極めて少なく、会話が明瞭に聞き取れるという。どうやら雑音と逆の位相波長を入れて打ち消しているようだ。 こういうことがボーズという会社は大掛かりな研究所でもって開発されているのだ。
ベールに包まれた物体からは音楽が流れ出した。ケニーGの演奏するソプラノ・サックスの音だ。高級オーディオにも負けない低音から高音までリアルに再現されていると、この人は言っている。たしかに悪くはない。そして最後はベールを取り除いたが、以外に小さなラジカセ風の代物だった。 ボーズの開発陣が何年もかけて開発したという。日本では売られていないという。一部の著名な音楽家にだけ、試聴してもらうために持っていっているのだそうだ。
これではないが、ボーズからはウェーブ・ラジオという商品が売られている。これも小さな物で、幅は30センチ程度しかない。7万円もするので、なんでラジオに7万円もということになってしまう。でもこれが欲しい。想像だが、おそらくボーズの開発したものだから、低音がかなり出てくると思っている。図体からは考えられない音なんだろう。きっと。
ボーズ製品が高いのは、研究開発費が上乗せされているからだと、この人は言う。日本ではこんなに高かったら売れないからと、開発費はオンしないようボーズ本社に進言したが聞き入れてもらえなかったという。 それだけ自信がある製品なんだろう。事実、わかる人は高くても購入するのだから。
いや話がめちゃくちゃそれてしまったが、ひとつは話でも演奏でもそうだが、最初の取っ掛かりだ大切だということ。おや、と思わすことだ。
それから、いい物はいい、当たり前だが、それを見る目が必要だろう。
いかん、今日も取り留めのない日記になってしまった・・・。
2004年02月05日(木) |
写真のプリントのこと |
どうもデジカメで簡単にスナップ写真を撮ると、あとでけっこう大変だ。
昨年12月に、ハワイアンでHさんに誘われて忘年会に参加したが、バシャバシャとスナップを撮ったはいいが、まだその処理をしていないのだ。 ほかにも何点かこの類が残っているのだ。久米南町の新春弾き初め大会もそうだし、誰かの書道展もほったらかしである。
恵さんに言われて、お、そうか、みんな心待ちにしているんだと思った。 自分でも写真を撮ってもらうと、いつ来るかなと気にするものだ。よく期待はずれになることがあるが。
ところがデジカメは写真やさんに出すにしてもインターネットでプリントするにしても、ちょっと手間がいる。 まず、写真を選ばなければいけない。フィルムだとそのまま写真屋さんに持っていけばすむのだが、デジカメはとにかくなんでもかんでもシャッターを切っているので半分くらいは削除しなければいけないのだ。 だいたい今までの3倍くらい撮ってしまう。全部プリントしたら大変だ。
この選別でもう疲れてしまうのだ。ソフトを使っていろいろやってみるが、サムネイルの小さい画像ではよくわからない。そこで大きくしてみるが、マウスであちこちやったり、そのうちわけがわからなくなって嫌気がさしてしまう。 まあ、パソコンは最新になったのでそんなにストレスは感じないが、それでもソフトを立ち上げて画像をこちょこちょやりだすとあっという間に時間が過ぎていく。
手軽さの反面、思わぬ労力を浪費しているのが実態である。 インターネットでプリントしてやろうと、画像をアップ・ロードするがこれもけっこう時間がかかる。写真屋さんに行く手間を惜しんでそうするのだが、どうも本末転倒しているような・・・。
フィルムでパシャがやっぱりいいのかなあ。
ギターの弦を替えた。 じつは最近替えたばかりなのだが、これが調子が悪いのだ。音程が完全に狂っている。問題は第2弦の高音部で極端にピッチが下がることだ。こういうのははじめてなので、ひょっとして弦が間違っているのかとみるがそうでもないようだ。今までの中林淳眞先生ご指定のメーカーとは違っているのだが、そこまで狂うとは思ってみなかった。 一度外して向きを反対にして張ったが変わらなかった。どうも弦が柔らかいようだ。高音側にいくとだんだんとピッチが下がってくるので練習にもならないのだ。
そこで一昨日のシンフォニー・ホールに出かけたとき、ヤマハに立ち寄って購入した。もちろん先生ご指定の『プロ・アルテ』だ。
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これは音程ばっちりで全く問題がなかった。こちらのほうが安いのだが・・・。あれはひょっとして製造時の不良品だったかも。これで一件落着だ。 弦を買った時チラシが入っていた。シンフォニー前のオランダ通りにあるヤマハから数件となりの「すろおが463」という画廊で、弦楽器フェアーが開かれるという。展示即売会である。メインはやはりヴァイオリンだ。妻と娘を連れて行くことになるだろう。調整・修理もあるので、ほとんど弾いたことのない我が家のヴァイオリンでも持っていくか。ついでに弾き方を教えてもらったらいいのだ。
この「すろおが463」は毎年、中林淳眞先生サロン・コンサートをしている画廊だ。先生のコンサートの時は、スペインで活動している知人の画家の作品が展示される。前衛だがいい作品だと思う。
弦楽器フェアーは100本ほどの展示だが、主要な楽器の一覧が載っている。オールドもけっこうあるではないか。一番古いもので1765年のチェコ製である。200年以上も前のものである。こんなのがずらっと並ぶのだから、楽器ファンでなくても一見の価値があるようだ。何百万もするものを手にとってみることができるのだ。ちょっとギーコギーコとやってみるか。娘が言うだろう。「お父さん、恥ずかしいからやめて。」
管楽器ではとてもじゃないが、100年ももたない。金属よりも木のほうが長持ちするとは不思議なものである。やはり自然には勝てないということか。まあ、環境にも大きく左右されるとは思うが。
サックスでもオールドはある。いわゆるビンテージ物と言われるものだ。セルマーでは「アメセル」と呼ぶアメリカで製造されたものが高く取引されている。シリーズはマーク6だ。といっても年代では1950年以降じゃないかと思う。せいぜいそれまでだろう。古くなるとガタがくるのだ。サックスは言い換えれば機械物だ。これらのオールドはおそらく演奏中はけっこうガチャガチャいうのかもしれない。
私もマーク6を持っている。だがフランス製なので「アメセル」ほど高くは取引されていない。でも以前にH楽器店に調整で持っていったとき、「この楽器、程度がいいので50〜60万くらいかな。」と。購入価格は20万ほどだったけど。
たしかにマーク6と今のシリーズとは歴然と音が違う。太い息が必要だが、芯のある図太い音を発することができるのだ。セルマーも最近になって、このマーク6の復刻版を出してきた。
そういえば上田啓二先生の「サックス・コレクション」をはやくアップしなければ。その前にリニューアル要だが。
きのうシンフォニー・ホールに出かけた。
日韓の若手歌手4人による歌の饗宴である。ひさしぶりに妻を伴ってのお出かけになった。いや、はじめてかもしれない。今までにいったことがあるかどうかも全く思い出せないのだ。夫婦とはこういうものだろう。 じつはMみさんと行こうと企み、2枚チケットをゲットした。どうせ行くわけはないだろうと、妻にも声をかけた。予定表を見ながらつぶやいた。「あれ、月曜日だけ空いてるわ。うふふ。」「・・・」いらぬことを言うのではなかった。「いやいや、無理をせんでいい。Mみさんと行くから。」「忙しいのに引張らないの。」「・・・」
日本の歌手2名、韓国2名となっているが、日本語はペラペラだ。何年も日本に住んでいることもあるが、だいたい中国の人もそうで、言葉はよく勉強している。不勉強なのは日本人だけかもしれない。この中で男性はひとりだったが、氷川きよし流に演歌を歌う。歌い方、スタイルもなんとなく似ているし、なんとおばちゃんファンクラブだろう、おそろいのハッピを着て応援団を組んでいた。
知られた歌手は『ノラ』がヒットした門倉有希がいる。テレビで見るかぎりでは、そんなにうまいとは思っていなかったが、ステージでは堂々と歌い上げた。他の女性歌手も抜群の歌唱力を持っていた。だいたい韓国、中国、台湾の人は歌がうまい。まあ、今の日本の若手ではこういうふうに歌える歌手はほとんどいなくなってしまった。
こういうステージでは職業柄、伴奏のバンドにどうしても注目してしまうのだ。総勢6名。ソロ・ギター、サイド・ギター、キーボード、ピアノ、ベース、ドラムスとなっている。なんだか「のど自慢バンド」みたいだが、やはりそこは歌手に見合うだけの演奏を繰り広げた。
ソロ・ギターはクラシック・ギター、フォーク・ギター、エレキ・ギターを使い分けていた。それは忙しい。曲のなかでどんどん替えていかなければいけないのだ。ちょっと細かく聴き入ってみたが、日頃はスタジオの仕事をしているのだろう、それは正確に入っていく。機械的といえば機械的だが、伴奏に徹する演奏というのも聴き応えがある。同じくドラムも同様だ。リズムを刻むという仕事に打ち込む姿勢。特にメリハリをうまくつけるので、つい耳を傾けてしまう。心地よい刻みの音は、歌を思いのほか引き立てているのだ。 ドラムでは、プロとアマの違いとしてこのメリハリがあると思う。プレイヤーを引き立てることができるかどうかだ。ただ叩くということでは、アマチュアでもうまい人はたくさんいるのだが。
活躍していたのはやはりキーボードだろう。テレビなどでは当然ストリングスの出番となるが、地方の興行ではそうはいかない。そこで技術の粋を集めたキーボードの登場となるのだ。今や、何の音でも出せるようになってきた。胡弓の音を出していたが、最初は持ち替えで胡弓を演奏していたものと思っていたくらいだ。それこそ、キーボードがなかったら「のど自慢バンド」になっていたかもしれない。
前のほうではなかったのでオペラ・グラスを持っていき、妻と代わる代わる覗き込んだ。思った。カール・ツァイスのものが欲しいと。 帰り際に妻が言う。「いらないところを見てたでしょう・・・きっと」
今朝の山陽新聞一面に、2003年読者写真コンテストの最優秀作品が載っていた。
久米南町の雪の棚田が、朝陽に照らされて淡いピンク色に染まった一瞬を捉えたものだ。よくある風景といえばよくあるものだが、おそらくこのシャッターチャンスを評価されたのだろう。 写真の真ん中には何の木だろうか、葉っぱをすっかり落とした老木の枝先に積もった雪が、きらきらと眩いくらい光を放っている。6000数百点の作品の中から選ばれたものだけあって、バランスのとれたいい作品だと思う。
じつは私が興味をいだいたのは、この作品とともに作者の背景である。氏はこの棚田を作品の主題と決め、2年ほど前から通い詰めたという。この1年は50回も訪れているのだ。毎週通っている計算になる。自宅からはそんなに近くはない。車で40、50分はかかるのではないだろうか。 写真とはシャッター・チャンスだともいうが、この一瞬は待っていてやってくるものではないという証明でもあろう。氏は雪の中をチェーンをはめてやっとこの場所にたどり着いた。暗いうちからじっとこの一瞬を2年間も待ちつづけたのである。それは、雪は冬の間だけかもしれないが、四季折々の朝陽をカメラに収めてきたに違いない。
先日話題に出した『ナショナル・ジオグラフィック』誌の写真家は、ある意味で命を賭けた写真との戦いに挑んでいる。動物の営み、自然の脅威を題材にすることが多いが、これらは文字通り戦いである。ほんの一瞬の油断で命を落とすのだ。 動物を撮る時は、野営をしながら毎日シャッター・チャンスをうかがう。ナショナル・ジオグラフィック社にはそうした写真が世界中から送られてくるが、採用されるのはその中のほんの一部にすぎない。それでもいい写真を求めて挑戦している。
まあこれらからわかることは、あきらめないということか。できるまでやれば、必ず成し遂げられるのだから。 そう思えば、挫折したことのなんと多いことか・・・。
きのう、ひさしぶりに、以前に吹奏楽の指導で大変お世話になったU先生にお電話をした。とてもお元気なご様子。もう退職され、今はフィットネス・クラブで汗を流す毎日とのこと。大きな病気をされただけに、健康に対する意識は人一倍である。 U先生は、とにかく吹奏楽一筋である。今度、楽団の20周年を記念する演奏会で指揮をされるという。さっそく招待を受けた。 話題はサクソフォン・カルテットに及んだが、「もう全国大会を目指すくらいになりましたか」「いいえ、解体寸前です・・・」 いや、情けないといったらありゃしない。カルテット、再起不能ではないが、大変だ。現実問題、とにかくリーダーとして時間の確保がむずかしい。恵さんにお手伝いいただくとするか。
ほんと、ひとつの事を持続するというのはむずかしいものだ。
今日、古本屋に妻と娘を連れて行った。 というか連れていかれた。
店に入ると娘がいきなり言った。「あれ、ここにあった黄色の本、もうないよ」「ふーん」ちょっと一瞬どきっとしたのだ。先週買いあさったのがばれやしないかと。 あれから『ニュートン』は15年分が積まれたままになっている。まだ気づかれてはいないようだ。しかし、決断の遅れで最新5年分を逃したことだけは悔やまれる。インターネットで調べたが、あってもめちゃくちゃ高い。
今は悔し紛れに3月号を買って忘れようとしている。その中に、定期購読すると創刊号からの20数年分全部がインターネットで見ることができるようになっている。PDFファイルだが、主要な記事は掲載されているようだ。記事が目的なら、これほど便利なことはない。 まあ、私の場合は、創刊号から所有するという単純な物欲でしかないが。
ところで、ぼちぼちハワイアンの活動をしなくてはいけなくなってきた。 フラのFさんから2月の演奏に続いて、4月の発表会の演奏依頼があったのだ。フラ教室の生徒の発表会があるという。その後、いつもお世話になっているHさんから電話があった。Hさんのバンドとうちのバンドが演奏するが、曲を振り分けないといけない。 Hさんが曲名を次々と言われるのだが、ハワイの単語はよくわからない。断片的にメモして、あとからインターネットで正しい読みを検索しようとしたのだが、どうもうまくいかない。
スタンダードのよく知られた曲しかしないうちのバンドには、今度の演奏は荷が重そうだ。それにyakoに歌えるかしら・・・。 かといってレパートリーを増やさなければ、レベルも向上しない。あまり手を広げすぎるとこういう時、困ってしまうのだ。
去年の例会以来、数ヶ月も練習していないではないか。まあ、ベースはなんとか弾けるだろうが、ちょっと困ることもあるのだ。クラシック・ギターを始めたので爪の問題がある。クラシック・ギターは爪で弾くが、この手入れがけっこうシビアに音に影響するのである。常に長さをそろえて、ペーパーで磨きをかける必要がある。2000番から3000番のペーパーで磨くのだ。 それに引き換え、エレキ・ベースは指弾きとなる。そう、爪がぐちゃぐちゃになってしまうのだ。かといってピックでは弾けないし。
ほんとあれやこれややってしまうと困る・・・。
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