『徒然草画帖』という詩を「関白鷹司房輔」という人が筆をとっている。
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日経「マスターズ」という老後向け?雑誌に目を落としていると、いきなり飛び込んできた。どうも最近「ひらがな」の美しさに惹かれるようになった。やわらかい流れるような筆さばきで書かれた文字は、漢字にはない日本独特のものだ。
今月のテーマは『捨てる極意』。捨てるというとすぐに「物を捨てる技術」を思い出すが、ここでは日経「マスターズ」らしく、人生について捨てるとはどういうことか各界の著名人が記している。
ひとつは会社人生について。定年を迎え潔く捨てることができるか。 最近定年前に会社人生を捨てる人が多くなっている。というか近しい人でもそういう人がいるのでそう感じただけだが。いや、ちょっと羨ましいなと思ってしまった。しかしちょっと待てよと。そういう人達、そのあとどういう生活をしていくのだろう。第二の人生を歩むのか、それともわずかの蓄えで老後生活をしていくのか。
人それぞれだろうが、会社を辞めるとやりたいことがいっぱいあるのがサラリーマンではないだろうか。かく言う私もご多分にもれずあれやこれやとしたいことがありすぎるのである・・・
この土、日曜は日記を抜かしてしまったが、恵さんからは何のおとがめもなかった。
たまにこのコパン・ホームページを開いてみるが、カウンタはほとんど上がっていないようだ。ということは誰も訪れていないということか。まあ、1月の更新の記入が残っているようでは誰も来ないだろうな。
恵さんも日記チェックを怠っているのか、いちいち抗議電話を入れるのがバカらしいのかよくわからないが。
反対にこちらがホーム・ページを見る側に立つとよくわかる。雑誌などで、よいページだと紹介されていると一度は訪れてみるが、けっきょく自分にとって必要か興味がわかないと二度と開くことはない。
パソコンの「お気に入り」にもたくさんのホームページアドレスを入れているが、見るところはだいたい決まっている。一度は開いて、とりあえず「お気に入り」に入れてはみたが、必要にせまられないのでそこをクリックすることはないのだ。 サックスの関連で、メンバーになってパスワードまでもらったホームページがあるが、ほとんど更新されていなかったので「お気に入り」から抹消した。
こうしてみると、ホームページを立ち上げ活発な活動で訪問者を獲得することはそう簡単ではないということがわかる。べつに「コパン・ドゥ・サクソ」をそうしようというわけではないが、さみしいホームページよりは活発なほうがいいに決まっている。
だれかもう一人管理者がほしいところだ、恵さんなんかどうかな・・・。
きのう神戸に行って、『第九の怒涛』という絵を見てきた。
この絵は、ロシア絵画の至宝となっているが、サンクトペテルブルグ建都300周年記念として東京の美術館で開催されていたものが、いわゆる地方にやってきたものである。
アイヴァゾフスキーによって描かれた横3メートル、縦2メートルになる大型のものである。この画家は生涯を通して海の絵を描き続けたようであるが、今回の『第九の怒涛』が代表作となっている。解説が横に掲げてあったので一応読んでみた。 昔の航海士たちが、最も危険な波として言い伝えてきた”第九の波”をテーマに描いたものだ。 嵐の中で難破した船のマストにしがみついている人達に巨大な波が襲いかかっている。9番目に来る波が一番大きいというのだ。ここで描かれた情景だけでなく、人間が闘うという精神的なものまで表現されているのだと思う。 え、そういえばベートーヴェンにも「第九」があったなあ。
この絵はすばらしいのだが、他にも心奪われた秀作がたくさんあった。モネ、ルノワールなどのもあったが、やはり私が惹かれるのはロシア絵画である。完璧なまでの写実画には圧倒される。少し離れてみると写真を見ているようでもある。しかし写真との違いは、その奥深さであろう。 今回のような絵画展では必ずカタログを買うようにしている。それを見ると本物と写真との決定的な違いに気づいた。たとえばそれは「レーピン夫人の肖像」というのがあるが、本物は目が生きている。それに肌が輝いているのだ。まるで生きているようなのである。 油絵の具独特の輝きによって、絵全体が生き生きとしている。水彩画だとこうはいかないかもしれない。
中でも気に入ったのは、イヴァン・シーシキン作の「白樺の森の小川」である。森の中に立つ白樺の木と緑の木々のコントラスト、それに婦人達が、木の実か野草でも取りに行っているのか、かごを持って歩いている姿の生活感も合わせ持った作品である。全体から受けるバランスも抜群だが、その精細な描写になんといっても心打たれたのである。 いや、水彩でちょっと真似をしようかとさえ思った。無理だろうが・・・。
こういった類の展示会では、必ずといっていいほどグッズ売り場が併設されている。今回もご多分にもれず出口前の部屋は、模造絵画やグッズ売り場になっており、会場以上に人があふれかえっていた。せっかく高い芸術に触れてもここで気分が一気に現実世界に引き戻されてしまう。 といいながら買ってしまった。『第九の怒涛』をキャンバス地に印刷したものである。これならいい額に入れれば、引き立つんじゃないかと妻に進言申し上げたところ、場の雰囲気に呑まれたのかOKが出た。
妻と娘がこそこそ話をしていたのを聞いた。「・・・ねえねえ、今晩はお父さん、きっと筆をとるよ。パレットなんか洗っていたし・・・」「うん、私もそう思う。」
いや、じつは一週間ほど前から筆をとっているのだが・・・。
「それ、何をお買いになされたのですか???」うっ・・・。
先日、ソニー・イメージステーションに発注していたデジカメの写真が出来上がって、佐川メール便で送られてきた。気にはしていたのだが、どういうわけかこの日だけは私のほうが帰宅が遅かった。 普通サイズのプリントで50枚ほどなのだが、仰々しいバッグに緩衝材を詰めているものだから、何が入っているのかと誰でもが思ってしまう。それにでかでかと「SONY」のロゴまでついているのだ。
あわてて弁解した。ハワイアンの写真であること、最近はデジカメの写真も安くなっていること等々。1枚28円なのだが、「いいえ、どこでも28円でしていますよ。」と言われてしまった。それに送料が追加されているし、いいとこなしだ。
出来はどうかなとチェックしてみた。写りは事前にパソコンで見ているので気にならないが、プリント自体は、写真屋さんの銀塩写真と同じものなので、デジカメかどうかは判断できない。ちょっと気になったのは、ロール紙のせいか、少し巻きぐせがついているのだ。写真屋さんのプリントでも少しはあるがどうなんだろう。 それと、一覧表示したのも付属しているが、ちょっと小さい。できれば写真屋さんがしているくらいのサイズはほしいものである。
今回の写真、10数人いたので当然「焼き増し」というプリントが必要なのだが、まあデジカメのいいとこといえるかもしれない。それは、パソコンで写りや画質を確認しておいたので、集合写真はいきなり10数枚を発注した。「焼き増し」も最初から作っておけばいいのである。
一応、完成。
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パソコンで資料や文章を作るときは「ワード」を使うが、今もって思うように書くことができない。 最終的にはきちんと出来上がるのだが、それに至るまでが思うようにいかないのである。自動機能が多くて、いらぬおせっかいををしすぎるのだ。かといって自動的に番号を振ってくれる機能を殺してしまっては作業効率が落ちてしまう。
どうも痛し痒しでストレスがたまるのが「ワード」なのだ。妻からのヘルプに対しても的確な回答ができないでいる。厚さ5センチあまりの参考書を見ても肝心なところが抜けていたりする。 「どうしたの、この人、あれれ、隠れていないで出てきなさいよ。はいはい、いい子ね・・・。」ワードでは図形がすぐにあさってのほうに逃げてしまうことがある。しかし、妻のパソコンに入っている「ワード」は新しいバージョンなので、機能が違っていたりしてよく戸惑うのだ。
かといって新しい「オフィス」を購入するとなれば、とにかく高いのである。5万円以上もするものをそう簡単に購入するわけにはいかない。新しいから当然機能も増えているだろう。ますます使いこなせなくなるのだ。
で、ちょっと色を追加した。
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わずかばかりデッサンを修正して、とりあえず色を少しつけた。
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うーん、少しずつ進むかな・・・。続きは、またあした。
妻に言われた。 「普通、包帯というのはこんなになっていないでしょ。ぶつぶつ・・・」 朝出かける前にグルグルと巻いてもらっているのだ。ちょっとした捻挫で包帯をしなければいけないはめになっている。で、ほどいたままの包帯を渡して巻いてもらったが、そういえば長いものをそのまま巻くのは大変だ。娘にほどいてもらった時は、きちんとたたんで置いてくれていたが、私がほどくと山盛りにしてほおっておいた。
で、今度はちゃんときれいに巻いて渡した。「そうそう、ちゃんと学習できてるね。」だと。
捻挫のとき起こる内出血だが、少しずつ表面に出てきて毛細血管に吸収されるようだ。事実、何日かすると先生に言われたように足が黒くなってきた。それを時間をかけてマッサージしてくれるのだが、血のよどみが消えるのか黒いのが薄くなってくる。
いや、じつは整形外科にしようか、整骨院にしようか迷ったがけっきょく整骨院に決めた。どちらも一長一短があるが、整骨院にはレントゲンがないので骨の状態を目で見ることはできない。しかし、アフター・ケアというか早く治すということであれば、整骨院だろう。整形外科ではおそらく湿布を貼って、あとは安静にしておいてくださいよ、で終わりだろう。 それに比べ、整骨院では、電気を入れたり、もんだり引っ張ったりして治癒を早めてくれるのだ。マッサージがとても気持ちよいので、当分出入りしたいと思ってしまうほどだ。
まあ、こうしてしばらくの間、妻に包帯の世話をしてもらっている・・・。
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これは何かというと、「古い石造りの教会」だ。 ちょっとデッサンがいまいち。書き直すか・・・。
息子のスーツを買いに「Hるやま」に行った。
はやりは脚長スーツ。背は高くないと思っていたが、いつの間にやら私に追いつこうとしているではないか。若者のスーツは形が決まっている。いわゆる三つボタンですらっとしたタイプだ。 おそらく普段は着ないのだから、何にでも使える黒系統にした。さあてどれにするか。ご婦人の店員がやってきた。黒系統とこちらの要望を伝えると、さっと取り出してすっと着せた。おお、ぴったりではないか。さすがおばちゃん、見る目がある。氷川きよし風でなかなか決まっている。他のをみることもなく、この一着で決まりである。というか、ながめてもこれ以上に合うのはなさそうだ。
あとワイシャツやらネクタイやらを合わせた。このスーツは9点セットになっていて、その他に靴、ベルト、タイピンetc、すべて揃っているのだ。いわゆるリクルート・セット。
ここまではよかった。支払いを済ませて併設されている100円ショップに足を運ぶ予定だった。が支払う段になって、控えめながらもしたたかな物腰のご婦人の店員は、ちょっと相談ですがといわんばかりの切り口で話し掛けてきた。「せっかくですから、もう一着お作りになってはいかがですか。半額になりますよ。ご主人のをお作りになっても結構ですよ。」 きたきたきた。こういうので今まで断ったことがないのである。というか断りきれなかったと言ったほうがいいかもしれない。
すぐさま再びスーツ選びが始まった。いや、さすがご婦人店員、ポイントをしっかり押さえている。これぞと思ったのをさっと取り出し、すっと着せてくれた。ぴったりだ。いや、この前にウエストだけは計測された。えー!そんなにある?「はい。8?ございますよ。」妻があきれていた・・・。
ほんとうに半額になったのかどうか、でも普通に買えば値札どおりなのだから半額は間違いないだろう。コストパフォーマンスから言えば2着買うのが正解だが、場合によっては不要なものを買う羽目になってしまう。今回は体系の成長により必要と判断したのだからよしとしよう。
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一応「シュロ」だが、どうかな。とりあえず真似事で。
くそっ、と思いながら妻に言われたごりっぱなテキストをちょっと開いてみた。
いろいろな技法があるが、私にとってはとにかく早く簡単にできなければいけないのである。その中で、グリザイユ画法というのがある。 これは鉛筆でデッサンをするのだが、線だけで仕上げてしまい、あとは濃淡のある影を水彩で作っていくだけである。色は2色ほどあれば事足りるので、その気になれば1時間もかからない。なれれば30分で仕上がるだろう。
おお、これこれと思いながらテキストの真似をしてみた。ほぼ寸分たがわず出来上がったのがこれである。 やはりポイントはデッサンにあると思う。これを景色を見ながら描くと、おそらくこうはいかまい。プロのプロたる所以である。
「グリザイユ」とはフランス語で、無彩色の明暗で描いた絵を総称するようだが、主に油絵の下塗りとして使われた画法だそうだ。 ちょっと水墨画を連想させるようで、墨の濃淡だけで描くとまた違った趣になるだろう。
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別に描きたくなって描いたわけではないのだが、くそっと思いながら、もうちょっと続けてみるか・・・。
きょう、娘といつものように本屋さんに行った。
ちょっと娘に一本取られた。先日、図書券を2枚娘にプレゼントしていたので、それで購入するものと思っていたのだが、ちょっと図書券を家に忘れたときた。「とりあえずお父さんが出しといて」というので、あとで返してもらうと言いながら、とりあえず支払った。よく考えるとお金を返してもらうわけでもないし、プレゼントした図書券をまた返してもらうというのも変な話である。
それはそれでいいのだが、ついでに私も衝動買いしたものがある。 「水彩で描く」というテキストなんだが、創刊号ということでことほか安いのだ。390円なり。固形絵の具と筆までついていて、だ。思わず買ってしまった。そして娘に言ってやった。「お父さんのはこんなに付いて、makiの本より安いぞ。」
家に帰るとすぐさま妻に言ったようだ。そしてこのテキストを見ながら言った。「お父さん、全然安くありませんよ!これよりもいい本をいっぱい持っています。これよりもいい絵の具と筆をたくさん持っています!」 うっへー、コストパフォーマンスは抜群だぞ・・・。しかし、よく見ると安いのはこの創刊号だけではないか。これから隔週で発刊されるものは890円となっているぞ。
よーく考えると、この内容なら、いま蔵書しているテキストのほうが上だし、絵の具もひと揃えはある。次の号からも固形絵の具が2個付いてくるのだが、絵の具2個のために890円出すバカもいないか。
くっそーと思いながら、テキストにある教材を描いたのが写真のものである。2枚目は以前に描いたものだが。 名前は「堂々とした夏のヒマヤラスギ」というものだが、いまいちかな・・・。これ、付属の絵の具、2色だけで描いたものだ。サップ・グリーンとランプ・ブラックの2色。
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さあて、今度は何を言われるか楽しみでもある・・・。うそ
2004年03月18日(木) |
インターネット・サービス |
いや、いろいろなサービスがあるものだ。
外から家のパソコンになんとかアクセスする方法はないものかいろいろ調べたが、サーバーの設定やら、わけのわからないソフトのダウンロードやらをしなければいけない。ちょっと素人では荷が重いのである。
そこでさらに調べた結果、インターネット上に自分のデータを置いておくことができるサービスがあった。いわばパソコンのハードディスクの一部をインターネットに置くという形である。まあ、けっきょくプロバイダーのハードディスクにこちらのデータを入れることになるのだが。
そうすれば、インターネットにつなぐことができる機器を持っていれば、どこからでもアクセスすることができるようになる。ややこしい設定も必要でない。簡単といえば簡単だ。簡単なだけに制約もある。サービス会社はいろいろあるが、ほとんど有料になっている。ヤフーBBはデータ容量が少なければ無料なのだがちょっと。 とりあえず試験的に申し込みをしてみようかと思っている。こういうサービスは新しいのが次々に出てくるので、今いいなと思ったらすぐに試してみることだろう。躊躇するのが一番いけない。何事でもそうだが、決断が大切である。今もって例の「ニュートン」5年分の買い損ねは頭に残っている。といって、ほかの分は買ったままの状態で積んでいるのだが。
以前にソニーの「イメージ・ステーション」という写真をインターネット上で保管・閲覧することができるサービスに入った。これは今でも数点のアルバムが保管されており、パスワードさえ入力すればだれでも見ることができる。コパン・ドゥ・サクソのメンバーは見ることができるはずだ。 その「イメージ・ステーション」から先日、内容を一新するので新しいシステムに移行するかどうか聞いてきた。移行しないなら画像は削除するということである。今度のシステムは有料になっているので、ちょっと迷っている。あの手この手で商売をしてくるのである。ひとつひとつの費用は月に数百円なのだが、まとまるとけっこうなお値段になってくる。
こうしてメーカーの思惑に、まんまとはまってしまうのだろう・・・。
『桜梅桃杏』という言葉がある。
じつは、ある人にこの言葉を教えたのだが、私としたことがめちゃくちゃを言っていたようだ。一字一句の意味するところを教えたつもりなのだが違っていた。 その次の日に、近所のP電化から春の展示会のご案内とともに冊子が届いた。その中にたまたまというか、”偶然”というか、『桜梅桃杏』というタイトルのエッセイが掲載されているではないか。 うっへー、字が違うではないか!あわてて訂正の電話を入れたのである。
私の説明−−−「黄梅桃梨」。黄色は説明できなかった。黄色のくだものはなんだっけとか言ってしまったような。梅と桃まではよかった。次に「なし」とやってしまったのだ。まあ、全体の熟語の意味するところは間違ってはいなかったのだが。
正しい説明−−−『桜梅桃杏』。桜は「さくら」らしく、梅は「うめ」らしく、桃は「もも」らしく、杏は「あんず」らしくということだ。人にいいかえれば、その人それぞれの持ち味があり、背伸びせず自分らしく生きていこうということになるかな。
黄を「みかん」、梨は「なし」としても、あながち見当違いの答えでもないかもしれない。そういうわけないか・・・。
「シグマリオン」から自宅のパソコンにアクセスしようとすると、どうもパソコンを「サーバー」に設定したりとけっこう複雑な作業が必要になるようだ。
インターネットからソフトをダウンロードして入れるのだが、ほとんどが英語のようだ。それに中身もわけのわからない内容ばかり。 「おたく系」の雑誌に出ていたのだが、実現すると、携帯している「シグマリオン」から当然のごとく家にあるパソコンの中身を見ることができるし、メールだって、それにファックスを送ることだってできるのだ。家に届いているファックスの内容を見ることまでできる。ちょっと驚きだった。 実現すれば・・・。
ファックスは、昔は感熱紙という日数がたつと色が薄くなってくるぺらぺらの用紙だったが、今は熱転写方式のインクリボンというものが必要なタイプが主流となっている。これ、普通の紙にきれいに印刷されて見栄えはいいのだが、高価なのが難点である。さあ、一本で100枚も印刷できないだろう。それにすぐにインクリボンが終わってしまうような気がするのだ。無駄が多い。空白があってもインクリボンは回転して巻き取られるので、使えるものを捨てているようなものだ。メーカーの戦略かもしれないが、こんなものこそ、資源を大切にしてほしいと思うではないか。メーカーによっては、空白部はインクリボンの送りを停止するようになっているものもあるようだ。
こんなわずらわしいことが不要になるのだ。ファックスがパソコンでできるのである。実現すれば・・・。
2004年03月13日(土) |
ヴァイオリンによる「美空ひばり」 |
幸田聡子が奏でる「美空ひばり」のCDが届いた。 『港町十三番地』『悲しき口笛』『リンゴ追分』・・・『みだれ髪』『川の流れのように』
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先日の日記で話題にしたやつである。さっそく聴いてみたが予想どおりのすばらしい出来だ。基本的な編成は、ヴァイオリンとピアノ。シンプルでほんとうに透き通ったすがすがしい演奏である。 曲によってはチェロ、ギター、ハープシコードなどを取り入れているが、編曲の妙もあってなんともいえぬクラシカルな「美空ひばり」をかもし出しているのだ。
こういう感じは、じつは前からアルトサックスで演じてみたいと思っていたオペラ歌手とピアノという編成の「藤山一郎を歌う」に似ている。 こういっては失礼だが、演歌のどろどろしたものではなく、タキシードを着た趣といったらよいだろうか。
しかし、こういう演奏をいくらくどくど書いても、「百聞は一見にしかず」である。
まあ、こうして若い人が日本の名曲を新しい形で蘇らせてくれるのはうれしいものである。
最新PDAを購入したはいいが、ほとんど使っていない。 それでもドコモの「@FreeD」の定額は引き落とされる。
何に使うかが問題だが、使用頻度が多いのはスケジュールだろう。じつはスケジュールを一元管理したくて『シグマリオン』を買ったのだから。
パソコンを始めて購入した時もそうだった。NECの「PC9801」というものだったが、今のようにたくさんのソフトはなかったので、けっきょくほとんど利用することもなくウインドウズの世界になってきた。 買ったはいいが、はて何につかうべかという状態だったのである。単純なフライト・シミュレーターを少しやっただけというおそまつなパソコン歴だった。
今回の『シグマリオン』だけはそうさせたくない。いや、恐ろしいほど高機能なんだから体の一部となるくらいの力はあると信じている。 しかし、難問が多い。というのは、この手の機械はパソコンと違ってユーザーは特殊な領域になるだろう。それもあってか使いこなすにはそれなりの知識とパワーが必要なのである。パソコンでは雑誌等が山のように出版されているので、情報は十分である。したがってパソコンに詳しくなくてもそれなりに使用できる。 が、このウインドウズCEというOSを搭載した機械は、参考書も数少ないし、情報といえばインターネットの「おたく系」のホームページを物色するくらいしかないのである。
今突き当たっている課題はといえば、リモート・デスクトップの設定である。 リモート・デスクトップという機能を使えば、家のパソコンを外から操るという、なんともミステリアスな使い方ができるのである。はっきりいって『シグマリオン』の売りはこれかもしれない。ところがところが設定がむずかしくて全然わからない。「おたく系」のホームページを見ても、みなさん苦労されているようだ。IPアドレスがどう、サーバーがどうなど言葉からしてついていけないのである。
で、ついに情報ボランティアの事務局長にヘルプのメールを入れた次第である。 日当を支払ってでも物にしてもらわなければいけない状況になった。ドコモには無駄金を払っているのだから・・・。
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こういう張り紙をされては、さすがの妻も折れたようだ。
少し前、急な冷え込みがあったが、娘が「ムース」を快適にしてやりたい一心で考えた名案だろう。 今までは、隣りの娘の部屋に置いていたのだが、絶対にこちらには連れて来ないという約束だった。それがそれが、今では堂々と家族の一員として居座っているではないか。まんまと娘の作戦にやられたわいという感じである。
それに毎朝のぞいて見るのが日課になってしまった。なんとも愛らしい愛嬌のある顔を見るのは気分がいいものでもある。いっしょに住んでいると愛着がわいてくるのだろう。
これからだんだんと気温が上がってくると、匂いがどうなるのか気にかかるところでもある。 どうせ娘は、あの手この手で理由をつけてくるだろう・・・。
以前に日記で紹介した、柳田邦男著『マッハの恐怖』『続・マッハの恐怖』を少しだけ読み進んだ。
この本は、古本屋で見つけた昭和50年に刷られたものだが、初版は昭和46年である。もう17刷目になっていた。文庫本としては今でも本屋さんには置いてあるかもしれないが、単行本は当然、絶版となっている。ほんとうにたまたま見つけたわけである。
航空機事故を自分の足で取材し、技術的にも内容の濃いハイレベルなものとなっている。ノンフィクション賞を受賞した大作といってよい。
じつはこの本、買ってからそのまま私の本棚に陳列していたのだが、娘がこの本を見つけて貸してくれという。いっしょに古本屋に行って買ったとき、この古ぼけた本が気になっていたようだ。それは30年も前の本なのだから黄ばんできており、痛みもあるし、なにやら得体のしれない汚れもある。 娘は少し読んだようだ。そして「おもしろい。」という。ほんとうかどうかは知らないが、推理物が好きなようなので、あながち見当はずれでもなさそうである。
あちこちに古さを感じさせる部分はたくさんあるのだが、決定的なのは字の大きさである。なんとも字が小さいのだ。私の目には、これを読み続けるのはかなり酷である。まあ、日頃の生活の中でじっくりと読む時間などないが、それでも2、3ページずつなら読めないこともない。ページ数からいくと半年以上はかかるか。ほんとうに「速読」の恩恵を享受したいものである。
最初の読み出しは、昭和41年に起きた羽田沖の全日空『ボーイング727型機』の墜落事故である。 北海道から「雪祭り」を見物したお客で満員となった最新鋭の旅客機が、着陸寸前で消息を絶ったのである。133人の犠牲者を出したこの事故は、当時としては世界で最悪の航空機事故となった。
この旅客機には、雪祭り旅行が懸賞で当たった人や、招待された人達がほとんどだった。2月4日という時節としては異例の人数だったようだ。その中に、仕事上で優秀だということで招待された夫婦がいたが、小学生二人を残してはじめての飛行機旅行だった。残った子供達が両親を迎えに空港ロビーに会社の人に付き添われてやってきたが、時間が過ぎても現れない両親を心配するように三人が寄り添って不安な顔をしている光景が写真に写っている。 また、管制室の異常な動揺ぶりなどもリアルに書かれており、読む者をだんだんと惹きこんでいく。
なぜか柳田邦男の航空機事故の著作を次々と購入するようになった。そしてテレビで放映されるドキュメンタリー物もできるだけ録画していくようになった。いまでも新刊はないか時々チェックするようにしている。
ここ数日急な冷え込みがきて、真冬に逆戻りかと思われたが、ようやく春らしい陽気になりつつある。
やはり春のおとずれはいい。冬のきびしさがあっての春だろうが、それを乗り越えての草花の芽吹きは、なんともすがすがしいではないか。早いところでは、ひょっとして土手なんかでは「つくし」が芽吹いているのかもしれない。
そして我が家でも、これから果樹たちの芽吹きも始まってくる。そしてあわてるのである。冬の間、ほったらかしで手入れを怠った果樹たちに春支度をしてやらなければいけないのだ。
今年は「ぶどう」の棚を広げようと思っている。いや、昨年からそうしようと思ってはいたのだが、ついに「待ったなし」となってしまった。この「ぶどう」、庭先に植えているのだが、狭いところに2本もあるので混み合ってぐちゃぐちゃ状態になるのだ。そこで少し棚を拡張しようとたくらんでいる。
手順はこうだ。まず柱をたてなければいけない。この柱、鉄筋コンクリート製なのである。一人では運べない重さがある。じつは昔、農協で「ぶどう専用」のこの柱をたくさん購入していた。 この柱を、そうだなあ60センチ以上は穴を掘って埋めるのだ。ほんとうの「ぶどう棚」は、柱を斜めに立てて、番線をジャッキで張り巡らせるのだが、庭先ではそんなことはできない。そこでまっすぐに立てた柱に木製の角柱をわたらせる。それに番線の代わりに、ビニール被覆された支柱を格子状に取り付けていくというわけだ。
こうして今の「ぶどう棚」があるのだが、それと同じことをしなければいけない。はっきりいって大変なのだ。当然一日仕事になるからスケジュール調整をしなければいけない。ぶどうは芽吹くとあとが早い。そうなってからではもう作業ができないのである。
その後の日記がなければ、来年に持ち越しということかも・・・。
走りがおかしい車はたいてい携帯電話をしている。どうも最近この傾向が強くなっているようだ。 そういう車を見ると、近くにいってププッとクラクションを鳴らしてやる。いや、怖い車にはしない。これは卑怯かな。
という私も携帯がなるとすぐにあわてて取り出そうとしているのだ。反射神経とは恐ろしいものだ。一昔前は、携帯が鳴ると一斉に周りの人が自分のではないかと探り出す場面がよくあったが、最近はさすがにこういうことはなくなったようだ。 でも反射的に手が動いてしまうのは犬と同じか。犬ちゃんには失礼。
思うのだが、電話機メーカーはこういうところに気を利かした製品をどうして作らないのだろう。消費者の購入動機をくすぐるだけの機能重視のものばかりだ。メーカーだから利益第一はわかるのだが、ほんとうに必要な機能は何かをもっと考えてもらいたいものである。
私が勤務している会社で昨年、車に乗っているときに携帯電話がかかっても電話を取り出さなくてもしゃべるだけで通話できる装置を製作発売したがあまり売れていないようだ。 この装置に携帯電話をパチンとセットしておけば、電話がかかった時、車内でそのまましゃべれば、マイクが聞き取って相手と会話できるようになっている。 こちらがかけるときは、口で電話番号をしゃべれば自動的に電話がかかるようになっている。相手の声はスピーカーから聞こえるわけだ。
まあ、この装置を購入する必要と、携帯電話をセットするという手間がユーザーには受け入れられないのだろう。
IP電話は安くてよいのだが、どうも調子が悪い。恵さんとの長電話が途中で途切れてしまうことだってあるのだ。「ただ」はいいのだが、話が乗っている時に水をさされては困るではないか。少しくらいお金は出してもいいから電話機本来の性能を出してくれよと言いたくなる。
あるインターネットのコラムで、こういうことが書かれていた。 最近デジタル放送のことがさかんに話題にのぼってきている。しかし、ほんとうにデジタル放送を望んでいる人が何人いるのだろう。放送関係、関連機器のメーカーに踊らされているということはないだろうか。 はっきりいって、いま必要なのは鮮明な画像やすばらしい音響ではなくて、番組そのものの内容ではないのか、と。 そうだと思う。低俗な番組の出演者の髪の毛一本一本が鮮明に見えたところでどうだと。
けっきょくは中身の問題だ。フルトヴェングラーのモノラル録音が今もって聴かれているのはなぜかを考えてみようとあった。
いや、私に似合わず、きょうの日記はなぜかハイレベルになってしまった・・・。
先日テレビで「フジ子・ヘミング」のインタビュー番組が放映されていた。
フジ子・ヘミングは晩年になって開花したピアニストであるが、早くから才能を認められながら不運が続き、ようやく日本でも有名になってきた。
いつもなら本を片手にうとうとしている妻だが、テレビを食い入るように見ているではないか。そういえばずっと前のテレビドラマ化された「フジ子・ヘミング」の番組も真剣に見ていたようだ。
フジ子・ヘミングは小さいときから数々の賞を獲得し、海外に留学。そこで勉強を重ねてバーンスタインに認められ、世界デビューを果たす直前に耳が聞こえなくなるという悲劇に見舞われる。困窮した生活の中でピアノ教師をしながら、ピアノの夢だけは捨てずここまで上り詰めてきた。あきらめなかったのだ。 きびしい生活の中で、「猫」との出会いで心を癒されるようになるのである。「癒し」の世界では猫がよく登場する。人がこういう動物に救われるということはよく耳にすることでもある。
今や世界的アーティストになった「ヒロ・ヤマガタ」のエピソードにも猫が登場する。 フランスで修行中に絵が全然売れなかった。もうやめて明日は日本に帰ろうと思っていた時、一匹の猫が橋のたもとを通り過ぎた。「がんばれ」と言っているように感じて留まるわけである。この一瞬の出会いがなければ今の「ヒロ・ヤマガタ」はなかったかもしれない。その時の情景を思い描いた彼の作品を我が家にも掲げている。
この写真は、めずらしく日本物を描いた作品である。有名な兼六園の池を鮮やかな色彩で彩っている。
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「ヒロ・ヤマガタ」の絵には、小人とともに猫が走りまわっているのが特徴的だ。この猫、小さくて気付きにくいのだが、こうして作者の生き方というものを二重写しにして作品を見れば、猫が作品にどう影響を与えているかわかるような気がする。
じつは、妻が「ヒロ・ヤマガタ」の絵に惚れ込んでいるのは、どうも全体の中に溶け込んだ小人と猫にあるようだ。
先入観をもって物事をみるのはよくないと言われるが、私の場合はできるだけ、作品であればその作者の人となりというものを知りたいと思う。
「フジ子・ヘミング」の番組を見ながら、そう感じた。
滋賀県のMさんから梅の花の写真が届いた。
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これから一雨ごとに暖かくなってくるわけだが、それでも朝晩の冷え込みはまだまだ堪える時期でもある。そんな中、Mさんからのメールは心温かくなる贈り物であった。
日曜日を利用して早朝から出かけて丸一日を費やした力作である。デジカメの利便性を生かして一回の撮影で100枚以上は撮るという。フィルムだと大変だろう。
どんな写真でもそうだが、シャッター・チャンスが重要になってくる。そういう意味で言えば、デジカメでバシャバシャ撮るのは理にかなっているのかもしれない。我が家の銀塩カメラは購入以来どれくらい撮っただろう。フィルムでおそらく10本もいっていないと思う。普通、大事な記念撮影でも同じアングルでは2枚しか撮らないし。
デジカメだったら設定を少しずつ変えてバシャバシャ撮って、いいものをプリントすればよいのである。場合によっては補正だってかけることができる。いや、初心者が撮ったものは自動補正をかけたほうがきれいになる場合が多いかもしれない。
Mさんの写真は、特に花がいい。梅の花の香りが漂ってくるようだ。接写をするわけだがレンズの性能も大きく効いてくる撮影だろう。 逆に望遠で撮る写真もテクニックを要する。この写真、600mmのレンズを使用したそうだが、お次の800mm購入に意欲?を示されている。 特に動いているものを撮る場合、レンズとともにシャッターの性能というか動きも関係するだろう。Mさんの以前のメールでは「予測モード」とやらを使用したそうな。
それにしても写真は奥が深いが、何にも増して写真を撮るその人の資質がなによりも大事になってくると思う。子供は親の鏡というが、写真はその人の写し絵といえるかもしれない。
「フリュティエ」というケーキ屋さんに行ってきた。
息子の卒業式の帰りに寄ったのだが、親戚からお祝いに注文しておいてもらったのを受け取りに行ったわけだ。 じつは先日、場所が違う「フリュティエ」にある人と行ったのだが、喫茶として利用しただけでケーキには注目していなかった。
今回立ち寄った「フリュティエ」は運動公園の西側にあるが、店構えは大きいし、店内の品揃えもたくさんで興味があり、ちょっと店内を物色したわけである。
この店は有名店のようで、ケーキの他にパンのできも上々である。ちょっと他の店ではお目にかかれないような品種もあったので買い込んだが、かなり値が張るものもある。 クロワッサンはこんがりと焼き上げている。一般的なのに比べると、かなり焼き込んだという表現が適しているだろう。食べるとちょっと苦味があり、これは焦げる寸前の状態なのだが、大人の味という趣がある。コーヒーは焙煎をしていわゆる焦がしをしているわけであるが、この苦味がおいしいのである。「フリュティエ」のクロワッサンは深煎りコーヒーといったところか。
店の奥では、職人さんが腕をふるっているのが見える。しばし、その技に見入っていたわけである。私はこういう店に行くと、できるだけ入り口のそばまで行って真剣な眼差しで凝視することにしている。職人の技を見ることはとても勉強になるのだ。
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この写真、すでに切り分けているが、みんないっしょに食べる時間がなかったので冷蔵庫にしまっている。娘の心遣いがにくいではないか。思わずカメラに収めた。卒業した「たーにー」の分にはメッセージが書かれたクッキーが乗っている。
今月の「The CD Club」に美空ひばりの曲をヴァイオリンでやっているのがある。 演奏は若手の美人奏者・幸田聡子である。
実際にまだ聴いているわけではないので予想でしかないが、内容を記したエッセイ調の記事を読む限り、これ買い!となってしまった。
じつは「美空ひばり」のCDはまだ所有していないのだ。今回のものも本人のではないが、内容的には興味津々である。「美空ひばり」とヴァイオリン、この二つが融合するとどうなるか。いや、どうもならないが演奏するほうとしてはかなり音楽の表現力がなければ、ただメロディーをなぞっただけの薄っぺらなBGMになってしまうだろう。そりゃあ、不出生の偉大なる歌手の歌を取り上げるとなるとそれだけの覚悟はしてCDにしているのだろうから、逆に期待は膨らむばかりだ。
人には言えないのだが、きのうから「美空ひばり」の曲を練習しはじめた。晩年の名曲『みだれ髪』である。 歌謡曲ばかりを取り上げたギター曲集をつい先日購入したのだが、この曲集、ほんとうに編曲がすばらしいのだ。全部で3巻が発売されているが、今回はその中でやりたいのが入っている2巻をインターネットで注文した。メーカーに発注したらしく2週間ほどかかったが運悪く日曜日に届いてしまった。それもよりによって妻が受け取ってしまったのである。 「ギターの楽譜、2冊も買われたの。そう、銀行引き落としね・・・。」と静かな口調に、姑息な手段を見透かされた思いがしたのであった・・・。
そんなことはどうでもよいのだが、この『みだれ髪』、イントロの泣かすところはクラシック・ギターがめちゃくちゃ合うのだ。自分で弾きながらしびれてしまうようだ。
またまた練習意欲が出てきた。いやいや、こんな歌謡曲なんかを練習している時ではないのだが、次回のレッスンはちょっと延びたのでまあいいか。 先生は今メキシコなんだから。
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