管理人トシの日記

2004年01月31日(土) オットー・リンク・ハードラバー

オットーリンクのハード・ラバーが宅急便で送られてきた。
注文して二日目には着いたから、へたに店に行くよりは早い。




リガチャーもキャップも付いているし、けっこう割安感がある。ティップ・オープニングはNo.7だ。同じNo.7のメタルを持っているので、吹き比べの意味もあって、迷わずそうした。店長のおすすめもNo.7になっていたし。
スタイルはメイヤーと変わらないが、白のペインティングでオットーリンクとわかる。リガチャーのはまり具合もまあまあだし、可もなく不可もなくといったところか。

さっそくリードを取り付けて吹いてみた。リードはバンドレンのジャバNo.3である。昔は、リコーだのラヴォーズだのとジャズ専用のものがあったが、バンドレンのジャズ用が発売されてからは、多くの著名な演奏家も使用している。はっきりいってよく鳴ると思っている。
先日、恵さんがNo.3.5を買ってくれたのだが、ちょっときついのだ。ティップ・オープニングが広いと3.5を吹き切るには、日ごろのトレーニングが必要だ。サンデー奏者には荷が重すぎるのである。

肝心の音であるが、「ダーク」というのが当たっているかもしれない。ちょっと抵抗感がある。インターネットの紹介でもそのようなことが書いてあった。太い息が必要なので、初心者には息の練習によいとか。
メタルでは、はでな音が薄いリードでぎゃんぎゃん出てくるが、こちらはそういうわけにはいかない。まさに大人の音を作りこむといった感じである。

ちょっとむせび泣かせてみた。「夜霧よ今夜もありがとう」のテナー・フレーズがいいか。うーん、ズズズッとやるにはかなり支えがいる。息が抜けてしまいそうだ。
1音くらい下がったところから、ウィーーンとやりたいのだが音がすっぽ抜けてしまうのだ。ああ、テクニック不足にがっくりする。

でもこのマウスピース、一応トライするに値する。しばらくの間はこれでいこう。

恵さんにもお勧めかも・・・。



2004年01月30日(金) FAX

今やメール花盛りであるが、まだまだFAXも利用されている。そういう我が家もご多分にもれないのである。

しかし、これでずいぶんと悩まされているのが現状である。ヤフーBBのBBテレフォンを使っている。これ、恵さんとの電話がタダになるからというわけでもないが、料金が安いので入ったのだが、いろいろと不具合がでてきている。ヤフーBBがおかしいのかどうかはわからないが、ちょくちょくインターネットがつながらなかったり、電話の調子もおかしかったりするのだ。
特にFAXのやりとりに悩まされている。これは回線の問題というわけではなく、コ−ドレス・FAX機の電波の問題だ。

コードレス・FAX機はノイズが多すぎて電話がまともに聞けないのである。しゃべっていることがわからないし、相手にもガーガーと激しい音が届いてしまっている。子機の増設も含めて7万円以上もしたのにまったく用をなしていない。今とっている対策はこうだ。普通の電話はデジタル電話機で対応(実にクリア)。FAXはこのいまいましいコードレス・FAX機を使用する。ここで問題は、FAXをデジタル電話機でとった場合である。これからはFAX機には繋げないのだ。そこからどたばた劇が始まる。まず、その後起こるであろう再FAXを待つことしばし。うまくいけばFAX機でとって事なきを得る。が、そうとばかりはいかない。そういうときに限って電話が入ったりする。やむなくピーピーガーガー電話をするはめになるのだ。
デジタルのFAX機にすればいいようなものだが、それでは私の部屋まで届かない。あれ、こういう話題、以前に日記で書いたような気もしてきた・・・。やめておこう。

最後の手段として電話回線をもう一本増やすしかないという結論に至っているのである。
無駄金とは思うが、しかたがない。ほんとうに思ってしまう。高機能もいいが、もうちょっと基本性能をしっかりしてほしいと。これも以前に書いたような、やめておこう。



2004年01月29日(木) オットー・リンク

テナーのマウスピースを替えてみようかと思っている。

どうも一度オットー・リンクのメタルを吹くと、セルマーでは非力に感じてしまうのだ。そうかといってメタルではちょっとぎんぎんすぎる。もろジャズ仕様なのだから。
クラシックの上田門下として、それではあまりに求める志向からずれてはいないかと思ってしまう。

そこで一計を案じた。オットー・リンクのハード・ラバーという選択枝である。じつはむせび泣くサブトーンを追求したいと思っているのだが、このオットー・リンクのハード・ラバーは都合がいいようだ。ルー・タバキンも使っていた。そういえば吹かせてもらったときもこれだった。

著名な演奏家の中でもあまり使っているのは知らないが、どうも最近このタイプが増えてきているようだ。インタ−ネットで調べていると、どうもそんな気がするのだ。

こんなことを思うようになったのも、最近ちょくちょく恵さんがマウスピースの話を持ちかけてくるからだが、よーく考えると音を作る上で一番重要なファクターなのである。リードも大事だ。とうぜん楽器も。しかし、マウスピースの種類で音は大きく変わってくる。音で悩んでいる時これを替えると、目からうろこものになることがあるのも事実だ。

演奏家と言われる人は、たいてい何本も持っている。いや何十本かもしれない。しかし吹くのは一本だ。それだけ悩み苦労しているということだろう。それに引き換え、私は最近マウスピースなるものを買ったことがない。何十年も前の物を使っているのである。いやー、あまいあまい。

まだ、オットー・リンクのハード・ラバーは購入していないが、効能書きをみると、メタルに比べて太い息が必要のようだ。ズズズッというサブトーンの練習にはいいかもしれない。




はて恵さんには何がいいか。どうもメタルを一度吹いて味をしめているようだが、吹奏楽にはちょっとという感じがしないわけでもない。音質のバランスというものもあるのだ。
やはりハード・ラバーにしてもらおう。バンド・メンバーから誰の入れ知恵だと言われても困るではないか。



2004年01月28日(水) ニュートン

古本屋で雑誌を購入した。

科学雑誌『ニュートン』を創刊号から20年分である。のはずだったが、15年分しかなかった。ちょっと考えていた間に、新しいもの5年分を買われてしまっていたのだ。この一週間が悔やまれる。

じつはこの雑誌、先週、古本屋に妻と娘といっしょに行ったとき、店頭にあったのを確認していた。しかし妻に制止させられた。いいかげんにしなさいと。

科学雑誌という性格上、あまり古いものは情報としての価値はなくなっている。この本で気に入っているのは、全編にわたる詳細なイラストと写真である。どちらかというと資料としてではなく、ある種の芸術品として保有したいという衝動にかられたのである。それに創刊号からというのがいいではないか。途中からではあまり意味がない。いわゆる<こだわり>である。
この雑誌と似たもので、同じく科学系の『クォーク』というのがある。これも豊富なイラストで楽しませてくれていた。昔、購読していたことがあったのだ。

はて、ではこの本をどう扱うかが問題である。毎週一冊読んでも、4、5年はゆうにかかる計算になる。けっきょくこれも老後の楽しみにとっておくことになりそうだ。

創刊号から購読しているといえば、『ナショナル・ジオグラフィック日本版』がある。この本の歴史は古い。元はアメリカの雑誌で、創刊は1888年というから驚きだ。現在は世界約180カ国、1000万人が購読しているという。
内容は、地球とそこに生きるすべての生き物の営みを、世界の一流写真家が撮った美しく迫力に富んだ写真と記事が主体になっている。

『ナショナル・ジオグラフィック』といえば思い出すものがある。小説『マジソン郡の橋』である。
この小説は、恋愛不倫をテーマにしたものだが、これを観た多くの男性諸氏は涙を流したという。あらすじはこうである。
ある片田舎の婦人が、写真撮影のため道をたずねに立ち寄った男性に恋をするというものだ。写真家の名前はロバート・キンケイド、そして女性はフランチェスカ。ふたりの恋はたった4日間というものだったが、想いは死の時まで続くのである。
マジソン郡はアメリカのアイオワ州にあるが、そこの屋根のある橋がこの小説の舞台ともなっている。

ロバート・キンケイドは「ナショナル・ジオグラフィック社」の社員で、この雑誌に掲載するための写真を撮りにマジソン郡に来たのだった。
この小説が出るや、ナショナル・ジオグラフィック社にはたくさんの問い合わせの電話が入ったという。それはロバート・キンケイドが撮った写真が載っている号数を教えてくれと。
そう、この小説は実話で、ロバート・キンケイドも実在の人物だと思っている読者が多かったのである。内緒だが私も・・・。

歴史のあるナショナル・ジオグラフィック社のえらいところは、これを受けてクリント・イーストウッド扮するロバート・キンケイドが表紙に写った特別の号を作ったりしているのだ。
まあ、アメリカはおおらかである。

そんなことはどうでもいいのだが、『ニュートン』の保管場所に悩まされる・・・。



2004年01月27日(火) ハーモニカ

ハーモニカといえば誰でもが小学校の時代には吹いてきた楽器である。

また、いわゆる笛と呼ばれるリコーダーも、同じく音楽の時間には勉強してきた。どちらがどうということはないのだが、笛は楽しい、明るいというイメージか。それに比べハーモニカは、哀愁、ノスタルジーというものを感じる。

先々月だったか、『荒城の月』だけが入ったCDを購入したが、その中でピカイチに推薦したいのはハーモニカの独奏によるものだった。編曲は巨匠・佐藤秀廊によるものだ。佐藤はこの編曲と演奏で世界の佐藤となったのである。
娘に何度も聴かせた。あきれていた。しかし、分散和音のテクニックには驚いていたようだ。

そんな佐藤秀廊の演奏を収めたCDが、ソニー・ファミリークラブが主催する「The CD Club」の案内に載っている。即断決定で、今月もコース変更の登録をしたのである。本来のジャズ・コースでは「スタン・ゲッツ」になっている。いや、じつはこちらも欲しいのだが、欲望のままに生きていると人生堕落してしまうと言い聞かせている。あまり関係ないか。

「The CD Club」の冊子の中で、氏に師事したという大石昌美氏が想い出を綴っている。
その中で『荒城の月』の編曲について佐藤秀廊の言葉を紹介している。
「演奏には風景が必要だ。僕の編曲はそれを考えて書いている。1番のメロディーは荒城(岡城・大分県竹田市)の昔を偲ぶ情景を表わし、2番は月が煌々と昇っていく様子を分散和音で奏法で表現し、3番で、哀れさ、寂しさを出し、続いて最高のテクニックを使って堂々と終わるのだ。」とある。
ケニー・ドリュー・トリオの『月の砂漠』もよかったが、このハーモニカによる『荒城の月』は特筆ものである。一度は聴いてみるべきだろう。テクニックもさることながら、ハーモニカ一本で日本のメロディーを壮大なオーケストラのごとく構成した偉大さに感服するに違いない。娘も驚いていたのだから。

音楽はテクニックだけではない、心が大切だとはよく言われるが、テクニック・心ともあふれている佐藤秀廊のCDをまたまた心待ちにすることになったのである。

欲望に支配されてはいけないが、すでにパソコン画面は「トンボ・ハーモニカ」のホームページをうろついているではないか。困ったものだ・・・。



2004年01月26日(月) 写真その2

きのう、滋賀県のMさんからメールで写真が送られてきた。

なかなかいい仕上がりだ。特にかもめの愛嬌のある顔が親密感をおぼえる。かもめというと海辺で飛び回っているのを思い浮かべるが(そう、鉛筆でMの字を書くあれだ)、ここまで近くに寄せると、あらためて生き物の素顔が見えてうれしくなってくる。

Mさんはキャノンの1眼レフ・デジタルカメラを購入したその日に、この写真を送ってくれた。なんだか手に入れた喜びと、これから写真を撮りまくるぞという息吹がこちらにも伝わってくる。
この写真は京都の桂川に出かけて撮ったものだが、半分餌付けされているとはいえ、飛んでいるのを捉えることは並大抵ではないだろう。まず、普通のデジカメでは無理だ。シャッター応答がまったくついていかないのだ。シャッターを押した後、実際に写真が写る時には、かもめは何メートルも先に飛んでいっているであろう。

このキャノンのカメラは、ほぼ押したと同時にシャッターが降りる。実際にはシャッターはないが。しかし、それでも銀塩カメラ(フィルム式のもの)には及ばない。銀塩カメラに近いシャッター応答のタイプは80万円もするという。
Mさんの撮影データによると、予測モードというのを使っているようだ。おそらく組み込まれたコンピューターにより、カメラの動きをキャッチして被写体の動きをメモリーしているのかも。いや、それには加速度センサーが必要だし、そんなには凝っていないだろう。

こういった自然のものを撮ろうとすると機材の良し悪しも少なからず影響する。特にレンズの性能は大きいだろう。同じ望遠でも、レンズの口径、品質で価格に雲泥の差がでる。仕事に使うわけではないのでそれなりの物でいいようなもんだが、男の道楽というものは仕事以上にこだわりを見せる。

例の古本屋で、「写真家・土門 拳」の写真に対する真摯な生き方を読み学んだ。ほんの立ち読みであったが、なにかしらプラスになったような気がする。まあ、こうして道楽の中から少しだけ学ぶものがあればいいと思っている。
ところでかもめにも種類がある。ここで写っているのは「ユリかもめ」である。まあ、一番オーソドックスでスタイルもいい。写真に収めても絵になるだろう。住み着いているわけではなく、いずれシベリアに帰っていくのだろう。それにしても毛並みといい、形といい美しい。

右下から向かってくるMの字のかもめと、左奥にぼんやりと見える風力発電のプロペラのコントラストがおもしろい。





2004年01月25日(日) 写真

きのう、たまたま聞いたカーラジオで、戦争写真家・酒井淑夫の番組をしていた。彼は、同じ戦争写真家で著名な澤田教一と並び称される写真家である。
内容はベトナム戦争でのことが主体であったが、晩年のことを奥様が話されてもいた。この時は、ちょうど息子が風邪をひいたということで病院に行ったりでばたばたしていた。しかし、この番組にとても惹かれたので、待つ間は車の中で聞いていたのだ。

澤田教一は、1966年にピュリツァー賞を受賞している。だれでも一度は目にしていると思う、ベトナム戦争の写真である。題名は『安全への逃避』。この写真は、ベトナム戦争終結へのきっかけをつくったともいわれる傑作である。
爆撃から逃れるため、5人の親子が川を渡っているあの写真だ。

http://news.kyodo.co.jp/kyodonews/2002/gallery/sawada/battlefield/

戦闘そのものではなく、その影にある母子の苦しみ、ずたずたにされた生活などを写し出すことで、戦争の悲惨さを訴えている。
多くの戦争写真家は、命を顧みず写真を撮ってきた。ここまでくると、それは信念とか使命という言葉に置き換えることができるかもしれない。単なる仕事ではすまされない、偉大な業績を残してきている。

同じく報道写真家で、有名なロバート・キャパがいる。彼の写真展を見たことがある。そんなに写真を見る目はないのだが、何か訴えてくるものがあったように記憶している。
戦争の写真では、ノルマンディ上陸作戦の手ブレを起こしたものがよく知られている。他にも印象的なのは、打たれた瞬間の兵士を捉えたものがある。
写真展で購入した写真集か、本があるはずだがどうも見当たらない。こういう本は何かのきっかけがないと引っ張り出してみることはないものだ。

じつはこのラジオ番組で、気に入ったものがある。
バックに流れていた歌である。イントロにクラシック・ギターが流れた。お、こういう音が出したいなと思った。続いて女性の歌が始まった。
どうもどこかで聴いたことがあるような気もするのだが。
そう思うと、もう一度聴きたくなってしょうがない。番組の最後までずっと聞いたが、ついにこの曲の紹介はなかった。
で、RSKラジオにメールを送った。曲を教えてくれと。
どうだろう。返事がくる確立は。まあ、返事は来てもきっちり調べてくれるとは限らない。お断りのメールの可能性が高いだろう。まあいい。それでも。

写真とは不思議なものである。
写真は、写す人の鏡であるともいわれる。そう、その人の内面があらわれるのだ。
同じ場所を同じアングルで撮れば、誰が撮っても同じような気がするが、感動を与える写真とそうでないのとがあるのも現実だ。

ほんとうに写真とは不思議だ。



2004年01月24日(土) 「ケニー・ドリュー」CD

やっとケニー・ドリューの『ジャズ紀行』CDが手元に届いた。




心待ちにしていたものだ。さっそく聴いた。当然最初に針を落としたのは、『月の砂漠』に決まっている。
え!LPと違う・・・。編曲が違うのである。アウトラインは、ベースのテーマ演奏から入ってピアノに引き継がれるという同じ流れなのだが、私にはあのデンマーク生まれのベーシスト「ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセン」のアドリブ・ラインがこびりついている。
今回の録音も同じベーシストであるが、先入観があるとちょっと違和感を感じてしまったのである。

しかし、ニールス・H・O・ペデルセンのベースは抜群にスイングする。特にこの『月の砂漠』は、まさにドライブするという言葉がぴったりだ。そう、ぐいぐいと体ごと引っ張られていく感じだ。LP版と違っているのは、冒頭、ドラムスのタムタムがとんとんと鳴りながらそのうちベースのテーマ演奏へと移っていくところだ。
ベースソロから、4ビートに移ると同時にケニー・ドリューのピアノとなる。この移り変わりのなんともいえないスイング感は、LPと変わらず心地よい。

ケニー・ドリュー・トリオも彼が参加していなかったなら、おそらくここまでの魅力はなかっただろう。それくらい、ケニー・ドリューとの相性が合っている。日本人好みする演奏家かもしれない。

今回のCDは2枚組みであるが、DISC1は『パリ北駅着、印象』に始まって、『ローマの秋』『クレオパトラの夢』『思い出の夏』などが続く。そしてDISC2は、『シェルブールの雨傘』『グリーンスリーブス』『追憶』『枯葉』など名曲揃いである。

『ムーンライト。ソナタ』は、ベートーベンのピアノ・ソナタ作品27の2「月光」を編曲したものだ。ベースによるテーマソロが印象的である。とにかくよく歌う。
ベートーベンの曲に新たな生命が吹き込まれるようでもある。
「月光」といえば、ちょうど今レッスンでみっちり絞られているソル作曲の「月光」がある。これも小品ではあるが、ギターの名曲のひとつである。

ジャズ評論家・児山紀芳氏が書いたライナー・ノーツにケニー・ドリューの言葉がある。「〜今でも毎日2時間はピアノを欠かさず弾いているし、クラシックも弾き続けて技巧的には負けない自信がある。しかし、音楽はテクニックがすべてではない。聴き手にいかに感動を与えるか、音楽はそれが大切だ。」

ケニー・ドリューが亡くなってちょうど10年になるが、こらからもずっと、音楽でみんなの心を癒してくれるだろう。



2004年01月23日(金) 軽飛行機

今朝の新聞に、セスナ機が空撮中、墜落したと報道されていた。

今はほとんど見られなくなったが、よく百貨店などの宣伝をセスナ機がしているのを見ることがあった。下から見上げると止まっているんじゃないかと思うくらい低速飛行をしているのだ。今回の事故も低速による失速ではないかとみられている。

軽飛行機はジェット機と違って、ほとんど爆発や火災を起こしていない。おそらく、エンジンや燃料の違いによると思われる。ジェット・エンジンはケロシンと呼ばれる灯油系の燃料を使用している。それに高音に焼けたタービン・ブレードがある。それで一瞬にして火災、爆発に至るのであろう。
それに比べると、セスナ機などのレシプロ・エンジンは、いわゆる自動車などのエンジンと同じようなものだ。そう簡単には爆発などしない。

この事故も火災がなかったので、住宅街に墜落したにもかかわらず他への被害は少なかった。もしジェット機だったらと思うとぞっとする。不幸中の幸いかもしれない。

セスナ機と聞くとノスタルジーを感じる。その昔、飛行少年だったころ、来る日も来る日も模型飛行機作りに没頭していた。落としては作り、を繰り返していたのである。学校が休みの前などは、時間を忘れ、夜が明けるまでやっていた。
当時買っていた『ラジコン技術』という雑誌を今でも持っている。どういうわけかこれだけは捨てられないのである。




この写真は創刊号から15冊目のものだが、いや、この頃からやっていたわけではなくて、知り合いのおじさんからもらったものだ。1964年といえば、まだ小学校の時だ。しかし、小学校高学年くらいからすでに模型エンジンをさわっていた。そういえば、川で友達と小さな亀を取って、それを売って資金にしていたような記憶がある。もうほとんど手作りだった。
ほんとうによく遊んだものだ。暗くなって見えなくなるまで飛ばしていた。結局こういう生活は、結婚するまで続いた。
たまにセスナが飛んでくると、どうしても見上げてしまうのである。

『ラジコン技術』の蔵書を見るたび、妻が言う。「これ、いらないんじゃないの、処分したら。すっきりするよ。」
まあ、どだい価値観が違うから話にならない。言ってやる。「この古臭い雑誌、処分したら。」
「いいえ、これは仕事に使ってます!絶対に捨てないよん。」

かくして、お互い、自分の城を作りつつあるのだ。



2004年01月22日(木)

漆器職人である京都在住の「らいらいけん氏」は、夜久野の漆を使っている。

漆は漆の木から採取した樹液だが、ほとんどは中国から輸入されたものが使われているようだ。わずかな日本産でも大半は東北あたりのものになっている。ということは夜久野産はとても希少価値があるということになる。品質のことはよくわからないが、「らいらいけん氏」のこと、おそらくその品質を求めてたどりついたのであろうことは察しがつく。
人間国宝のうわさが流れる氏の作品をわずかひとつだけ所有している。おわんである。一応、知人ということで破格の値で購入した。しかしその後10倍に跳ね上がってしまった。あー、まとめ買いをしておけばと悔やまれる。

この漆器、思っていたものとずいぶん違っていた。漆のおわんというと、あの黒いぴかぴか光っているものを思い浮かべる。しかし、「らいらいけん氏」の作品は、木目を生かした素朴な味わいがあるものに仕上がっているのだ。それでも何回も塗りを重ねているようだ。




この漆だが、固まるのは単なる乾燥だけではないようだ。「らいらいけん氏」の取り扱い説明書によると、完全に漆が固まるには半年くらいかかるので、大事に扱うよう指示があった。普通の塗料と違って、溶剤が蒸発して乾燥するのではなく、科学的な反応で硬化が進むようである。だから一度固まると、もう溶けたりはしない。

ヴァイオリン、ギターなどの弦楽器ではセラック・ニスという塗料が使われている。まあ、高級品に限られるだろうが。
このセラック・ニスは、ラックカイガラ虫という昆虫の分泌物だ。この虫は体長0.5ミリほどの小さなものだが、木に寄生して樹脂状の分泌物を作る。これは日本ではなく、タイ、インド等の亜熱帯地方が産地になる。漆と同じように木から採取することになる。

このセラック・ニスはアルコールで溶かしている。だからアルコールで拭くと溶け出してしまうのだ。ということは、セラック・ニスかどうかを調べるにはアルコールで拭いてみることだ。
まあ、普通のギターはラッカー塗装がほとんどだろうが、あのヴァイオリンのとろけるような音色を出すには、このニスの品質が大きくかかわっているようだ。

いくら合成塗料が発達しても、所詮、天然物にはかなわないということだろう。



2004年01月21日(水) フルート

昔、遊びでフルートを吹いたことがある。

学生の頃、フォークソング・グループを組んでいた。というよりもメンバーの一員だけだったが。その時、はやっていた「マイペース」というグループの『東京』という曲を文化祭で披露することになった。
さて、イントロと間奏にフルートが入っているのだが、どうするかということになった。いや、もうやるしかない。にわか仕込みで練習した。

「最終電車で 君にさよなら
いつまた会えると 聞いた君の言葉が
走馬燈のように めぐりながら
僕の心に 灯を灯す

東京へは もう何度も行きましたね
君の住む 美し都
東京へは もう何度も行きましたね
君が咲く 花の都」

太田裕美の『木綿のハンカチーフ』もいいが、それにもまして、この『東京』は思い出があって忘れられない。フルートのメロディーは今もってよく覚えている。
フルートを吹いたのはそれが最初で最後だ。それ以来、吹く機会もなくまた余裕もない。



クラシックの世界では、ジャン・ピエール・ランパルやジェームズ・ゴールウェイが有名だが、私はなんといってもジャズのルー・タバキンがおすすめである。
ルー・タバキンの演奏は、文字通り、息を吹き込む・命を吹き込むといった表現がぴったりだ。一瞬、尺八に聞こえたりする。全身全霊の演奏が感動を呼ぶのである。
息の音が入り、うなり、それでいてよく鳴るフルートだ。こういう演奏が好きだ。

またまた、虫が騒ぐが、思いだけでしまっておこう。



2004年01月20日(火) シンプル

マイナスの発想というのがある。技術関係でいわれる言葉だが、芸術の分野でも同じだろう。

不要なものをとっていけば美しくなる。茶の世界でも、「千利休」が極限までいらないものを取り除いて質素な茶道を築き上げた。
何も削るものがないところまで無駄を省き、緊張感を作り出している。ある意味では贅沢の極みかもしれない。

「千利休」といえば逸話がある。
咲き誇る「朝顔」を見たいがためにやってくる豊臣秀吉を迎えるにあたり、その「朝顔」を一輪だけ残して、あとはすべて切り取ってしまった。そしてその一輪だけを飾ったのである。
豊臣秀吉はその美しさに感動したという。
美しいものを並べ立てるということもあるが、際立たせるということでは、考えさせられる逸話である。

音楽の世界でも同じかもしれない。
究極は一つの音が美しいかどうかだろう。心に響くかどうか、単に物理的な音質だけではないと思う。それを求めて世の音楽人は切磋琢磨している。
相手を感動させる音を持っているかどうか。声を持っているかどうか。これだけはお金に替えられない財産である。

ジャズを聴くとよくわかるが、いい演奏は間がうまく入っている。あふれるがごとく湧き出るフレーズを得意とするミュージシャンもいるが、それでも巧に間がとられていいる。1小節くらい音がなくても流れが作られている。

けっきょく何の世界でも同じで、シンプルでなければいけないのだ。

人間も同じ・・・。あー、朝の「にがり納豆」の効き目はいまいちだ。
どうも不要なものが付き過ぎてきたのであ〜る。

妻の「にがり水」はいかに・・・。




2004年01月19日(月) 農作物

今年の気象はどうなんだろう。このまま春になることはないだろうが、それにしても例年よりは暖かい。
昨年は冷夏だったが、今年は猛暑なんてことはやめてほしい。暑いのはいやだ。寒いのもだが。

冷夏がたたったのか、手入れ不足かわからないが、昨年は「いちじく」「ぶどう」とも全滅だった。職業にしている人は、うまく管理して生産するのだろうが、自然栽培法にのっとった育て方(聞こえはいいが)では、天候はもろに影響するのだ。生育だけでなく、病害虫の発生にも関係している。

専門家によると「ぶどう」は薬漬けにしないとすぐに病気になるそうだ。特に高級な品種は。人間も同じか。そう考えると、巷で売られているものはよく洗わないと薬剤が残留しているかもしれないのだ。しかし、これも最近になって環境と人体の影響を考えて規制が進められているようだ。ぶどう農家の人が困っていた。すなわち以前は一発で効いていた薬が使えなくなり、効き目が悪いものになってきたため、何回も防除が必要だし、病気にもかかりやすい。

米だってそうだ。農薬の規制が進められている。毎年いろいろと新しい肥料、農薬が発売される。たしかにいろいろな意味で改良されてきてはいるが、その反面、高価なしろものでもある。

あひる農法とかいうのがあるが、けっこう手間だろうな。あひるを飼わなければいけない。まあ、我が家では無理だろう。餓死してしまうかもしれない・・・。

食文化を、日本の古き良き時代に戻す必要があるだろう。



2004年01月18日(日) HPのこと

最近ときどき、mappieさんのご紹介でHPを訪問してくださる方がいる。
akkun さんもその一人である。さっそくHPをのぞかせていただいた。

おおー、内容充実、写真あり、音楽あり、それも作曲まで。トップ・ページでは、なにやらお猿さんが、かきかきしている。それよりもなによりもコンテンツの多さには驚かされる。こちらのHPでは、日記しかないというのに。

いやいやそのうち、負けないHPを目指して、日々努力をいたしておるところでございます。ほんとそのうち。
じつはプロご用達のHP作成ソフトまで調達したのだ。参考書は数冊必要だろう。画像が動く「FLASH」というソフトも入っている。これだけの解説書でも何冊も出ている。おそらく挫折するだろう。ちょろちょろとかじりながらの独学ではむずかしいような気がする。

そういえば恵さんは、だれのHPか忘れたが、HPを見てとても参考になることがあったと言われていた。
そう、いい部分だけを自分のものにすればいいのだ。情報に飲み込まれないようにすることが肝要だろう。

そう考えると、わがコパンHPは情報が少なすぎるか。いや全然ないのだ。
整備を急がなくては・・・。



2004年01月17日(土) セガ

我が家のワンちゃん、その名も「セガ」。






とにかく「やんちゃ」で困る。無駄吠えはするし、新聞やさん、郵便やさん、毎日吠えるのだ。私の車のエンジンがかかると必ずだ。

これってしつけの問題なのか、それとも犬の種類のためなのか。妻いわく「ちゃんとしつけをしないからよ!」とこちらに矛先が向けられる。
しかし、『シェットランド・シープドッグ』はもともとイギリスのシェットランドで羊を追っていたのだから、すぐに吠えるし、走り回るのはあたりまえかもしれない。DNAにインプットされているのである。

しつけらしきことといえば、ご飯を食べるときの(ドッグ・フードだが)、「待て」と「よし」ぐらいか。もう離したら帰ってこない。今までに2回遊びに行った前科があるのだ。最後は新聞に捜索願いを出した。この時はすぐに3件の電話が入った。その中の1件がセガだった。1ヶ月以上たっていたが、その間毛並みもきれいになり、かわいい娘さんにかわいがられていた。
おそらく幸せな時を過ごしていたに違いない。

セガもれっきとしたわが家族の一員である。



2004年01月16日(金) 女性コーラス

今月の「The CD Club」の特集は、女性コーラスの魅力。

その中で「ヴォーチェ・アンジェリカ」にスポットが当たっている。このグループは6人で、ダ−ク・ダックスの女性版を目指していろいろなレパートリーをこなしている。ロシア民謡から日本の歌、映画音楽などなど。
しかし、彼女達が有名になったのは歌謡曲のバック・コーラスだった。そのへんの事情を、岡山の笠岡出身の長田暁二氏が詳しく記している。毎週土曜日の山陽新聞に掲載されている「わが古里こころの歌」は長田暁二氏によるものである。ずっと切り抜きをしているものだ。

昭和35年というからもう古いが、当時レコード会社のディレクターだった氏が、「ヴォーチェ・アンジェリカ」のLPを制作してデビューさせている。それからテレビに出演、コマーシャル、歌声喫茶など、多彩な活動を行なっている。そうして歌謡曲の番組にも出るようになり、バック・コーラスを受け持つようになっていった。
その中でも、仲宗根美樹の『川は流れる』(川の流れのように、ではない)、三橋美智也の『古城』、春日八郎の『長崎の女』などで成功を収めている。子供の頃よく耳にした歌だ。倍賞千恵子、菅原洋一で有名な『忘れな草をあなたに』は「ヴォーチェ・アンジェリカ」の歌だそうである。

先日ラジオで流れていた「アンサンブル・プラネタ」のコーラスもよかったが、その時スタジオでも生放送で歌っていた。ちょっと最初の出だしで違和感があった。アマチュアということで当然かもしれないが、女性コーラスはかなりハイレベルの技術を要求されるような気がする。
まず音程が決まらなければ聴けたものじゃない。その点男性コーラスは、音が低い分、少しぐらいずれてもまだ聴ける。ハーモニーも高い音ではむずかしいにちがいない。

サックスのアンサンブルでも同様の経験がある。音が高くなってくると、音そのものも音程をとるのがむずかしいが、ハーモニーをきちんと合わせることができず、挫折した曲は多い。こういうのは一人では練習できない。みんなそろってはじめて成果が出るのだ。そういう意味でも、特にアマチュアのコーラスを続けるというのは大変なのだ。

「ヴォーチェ・アンジェリカ」のCDでは、仲宗根美樹の『川は流れる』を聴いてみたいと思っている。特別な理由はないが、この歌ひとつで有名になった彼女のひととなりが見えるような気がしないでもないのだ。何年か前にテレビで歌っていた。歳は隠すことができないが、それでも華奢な体で音程を外さまいと必死に、それでいてなにか哀愁を帯びた歌いかたをする彼女を見ると、子供のころの白黒映像がよみがえってくるようだった。

普段の生活の中ではとても気にとめることはない、こうした音楽を聴くことができるのは、毎月嫌がおうなしに送られてくる「The CD Club」のおかげでもある。



2004年01月15日(木) ギター

最近、中林淳眞先生のレッスンが手厳しい。

だんだんと要求が多くなってきて、頭がパニクリ状態になってしまう。きのうもそうだった。
「音が大きくなっていない!」「はい」爪がはがれそう、弦がびびっている、でもだめだ。今度は、「後拍が早い!」「はい」意識して落ち着かせる。「少し良くなったが、全然歌ってないじゃないか!」「はい」

木管楽器ではリードが命だが、ギターでは同じように爪が音質に重要な要素となっている。リードを選んだり削ったりすると同じように、爪を削ったり研いだりする。特にレッスンの前は、音がきたないと言われないように念入りに仕上るのだが、そんなことは全然用をなさなかった。

どう音楽を作っていくかがポイントだった。特に先生のレッスンは、激しく表情を表さなければ合格にならない。ちゅーと半端は、即やりなおし。
こちらの都合に合わせてもらって、夜8時前にお伺いしたが、9時を過ぎてもレッスンは続けられた。タイムアウトで終了したのだが、全神経を集中したことでくたくたになった。




ソル作曲の『月光』は淡々とした練習曲のような作りだが、哀愁を帯びたようでもあり、名曲の部類に入るのだろう。ここでもみっちり絞られた。楽譜に書かれているのは、単なる指標にすぎないということがよくわかる。リズムの取りかた、それに特に重要なのが音のバランスだ。ギターはメロディーと伴奏を同時に演奏する。ピアノもそうだが、左手と右手で分かれているので割合わかりやすい。しかし、ギターは音符が混在しており、それを弾き分ける必要がある。

先生は少し風邪を召されていたようである。せきをがまんしながら、レッスンをしてくださった。来月はメキシコのフェスティバルにゲストとして招聘されており、日本を発たれる。体調には気をつけて元気で演奏をしていただきたいものだ。
妻は道楽というが、生活を豊かにすることができるのだ。サックスもそうだが、絶対に自分ひとりではこういう習い事は成就できないだろう。いい先生につけたことは幸せである。

人生もまた然り。



2004年01月14日(水) ヴァイオリン

コパン・ホームページを訪れてくれたパンダさんに敬意を表して、きょうはヴァイオリンの話題をひとつ。

20世紀を代表するヴァイオリニストといえば、フリッツ・クライスラーとヤッシャ・ハイフェッツだ。いや、だそうだ。

はっきりいってクラシックのことはよく知らない。ヴァイオリンにしても所有しているCDは「アナスタシア」と「寺井尚子」のものくらいしかない。

ハイフェッツは驚異的なテクニックとレパートリーの広さで他を凌駕していたそうである。多くの若者が「第二のハイフェッツ」を夢見てヴァイオリンを手にしたようだが、だれとしてハイフェッツに到達する人はいない。また、「ハイフェッツになれないことがわかったから」と指揮者に転向した人もいる。

ある録音で、プロドューサーがとり直しをすすめた時、ハイフェッツはそれを断った。それは、何度もとり直しをして完璧にすることは可能だろうが、一瞬一瞬の演奏が命だということではないだろうか。
じつは今回の「CD Club」のCDには、その時の演奏が入っているのだ。まあ、ふつうだったら購入しないが、興味本位で聴いてみようかと思っている。



ところでヴァイオリンを弾くためには弓が必要だが、この弓、馬のしっぽでできている。
どうも馬の、この毛には小さなぶつぶつがあって、これが弦にひっかかって、あの「むせび泣く」音色が出てくるようだ。それでも、松やにが付いていなければすべってうまく音が出ない。昔からいろいろと工夫がされて、あの、人を感動させる楽器が出来上がってきたのだ。
馬のしっぽを使った弓は、チェロ、コントラ・バスなどもそうだが、中国の胡弓、馬頭琴も同じである。モンゴルの馬だとか。

我が家のヴァイオリンは、さみしく娘の机に立てかけられている・・・。



2004年01月13日(火) サックス・カラオケCD

こうしてカラオケCDはできあがるのだが、ひとつ問題がある。

音がいまいちなのである。今はそんなことはないと思うが、安いカラオケでは音がいかにも電子音というのが昔あった。
今作ったサックス用カラオケの音は、どうも安っぽい薄っぺらな音しかでてこない。特にブラスや木管の音は最悪だ。ふにゃ〜として似ても似つかない音だ。

原因ははっきりしている。専用の音源を使用していないからである。持っていないのだ。理由は高価なため。「シンガー・ソング・ライター7.0」にも一応音源は付属している。「ヴァーチャル・サウンド3.2」というソフト音源で、要するにパソコンにインストールすれば使える。
プロご用達のものになると優に10万円は超えてしまう。そこまでは必要ないにしても音源がなければカラオケCDとしてはあまり聴けたものじゃない。

じつはヤマハの「U−100」という音源を所有はしている。これは「京都在住のらいらいけん氏」から永久借用しているものだが、使い方がわからずそのままお蔵入りしてしまった。これもパソコンでいろいろと設定をしないと動いてくれない。まあ途中で挫折したのだ。他のソフトもそうだが、とにかくむずかしい。
こういうのはパソコン通であればだれでもわかるかというと、そうでもない。「MIDI」を扱っていないと素人も同然になる。




この「MIDI」というデータだが、簡単にいうと楽譜のデータのようなものである。しかし、音は持っていないため、この音符は何の楽器というふうに決めてやらなければいけない。そうなると当然、音源というものが必要になってくる。この音源がまたまたややこしいのである。いろいろな規格があってDVDなどと同じで、メーカーによってこの規格が違ったりする。
それはそれで特に問題はないのだが、音源の音質がまだまだリアル感に乏しい。その中でも「特に」が付くのはサックスである。フルートなどは結構それらしく聴こえる。もうまったく問題ないのは、ドラム系統の打楽器だろう。だから最近の16ビート系は、ほとんどパソコンで作った音楽ばかりだ。サックスだけの音源というのもあるが、聴くとおかしいのがわかる。

どうもサックスなどの管楽器は、微妙に音がはずれるのがいいのかもしれない。人間の耳には、こうしたわずかなズレが心地よいのだろう。もしヴァイオリンで構成されるストリングスに、まったく音のズレがなかったらもう味気ないだろう。

こうして音を作るという技術も発展はしているのだが、最近は逆にいろいろな楽器の演奏を録音し、これを音源としてコンピューター処理するのが多いようだ。ということは、音としてはほぼ生音に近いからうまく使いこなすことができれば、最高のカラオケCDができそうなのだが、これまた難儀しそうである。

まあ、どこまでいっても次から次へと出てくるソフトを使いこなすことはできないだろう。その道にはまり込まなければ無理だ。
そんなことよりも練習せねば・・・。



2004年01月12日(月) シーケンス・ソフト

音楽で使うMIDIというデータをあれこれさわるソフトは、「シンガー・ソング・ライター7.0」というシーケンス・ソフトを使っている。
しかし、まったく使いこなせていないのである。400ページにわたる解説書が2冊も付いているのだ。必要なところだけ飛ばし読みしてと思ったが、その前の設定やらではやくもつまづいてしまった。
、「シンガー・ソング・ライター7.0」というやつは、国内で開発したベストセラーのソフトだが、それならもうちょっと簡単に使えるように工夫してもらいたいものだ。

じつは急に編曲が必要になってあわてたのだが、編曲以前に「シンガー・ソング・ライター7.0」の使い方に時間をとられてしまった。またもや寝不足状態になってしまったではないか。

サックスのカラオケCDを作ったのだが、けっこう手間がかかってしまった。
MIDIデータは、いつも「MIDIパル」というところからダウンロードしている。だいたい一曲200円なり。今回は『瀬戸の花嫁』だ。この曲は名曲なのかどうかわからないが、だいたいどんな場面でも使える。古臭くもなく、ほのぼの系であたりさわりがない。

CDにするまではこうである。
まず、ダウンロードしたMIDIデータを「シンガー・ソング・ライター7.0」で開く。
次に調を変える。歌のカラオケではないので、サックスに合う音域まで移調する。今回は5度上げた。
そして小節の変更だ。ふつうは歌物は3コーラスあるが、楽器で3コーラスもやると白けるのだ。で、2コーラスにしたりする。この『瀬戸の花嫁』はもともと2コーラスしかないが、それでも長い。一部をカットした。
こうして好みの小節数に変更することができる。
次はメロディーラインを削除する。メロディーはサックスでやるので不要なのだ。まあ、初心者用のカラオケでは、よく小さい音でメロディーが入っているが。
それから、演奏している各楽器の音量のバランスを、ミキサーという画面で好みに合わせて調整する。
これでだいたいできあがるが、これをCDにするためにはウェーブファイルというデータに変換する。まあ、ソフトが勝手にやってくれるが。

今回はどこで時間をとられたかというと、これですぐにCDにすればいいのだが、これではたいていCDの音が小さいのである。ゲイン調整というやつをしなければいけないのだが、どうもうまくいかない。

そこで、インターネットでなにかいいソフトはないか検索をして手に入れたのだが、今度はそれを使いこなせないときている。
泥沼状態となってしまったのだ。

けっきょくなんとかCDは完成した。サム・テーラー・バージョンの『瀬戸の花嫁』。むせび泣かさなくては・・・。

あとは、夜な夜な練習するのみだ。いや、もうそんな時間はない。そんなもんだ。



2004年01月11日(日) 新春弾き初め

今日、久米南町文化センターでN子と新春弾き初め大会に出演した。

といえば格好がいいが、予想していたとはいえ、ほんと身内だけの演奏会の様相を呈していた。そう、よくある関係者の時だけ見るというパターンである。
田舎でも、文化レベルを上げようといろいろと工夫しながら努力をしていることは評価に値する。それに3年前にこの文化センターを完成させたというから、拍手、拍手。いやほんと、このホール、思ったよりもレベルが高い。
豪勢な反響版もあり、演奏している限りでは抜群の響きと思っているが。
しかし、あまり使われていないんだろうなあ。料金も安いし、コパン発表会にはもってこいなのだが。ちと遠いか・・・。

  


この催し、町が開催しているためかどうかしらないが、案内・誘導の人が二人もいるし、ステージ袖でも二人の職員が音響やらステージ・ドアの開閉をしてくれている。
コパン発表会も、こんな形でできたら幸せだろうなと思いつつ、自己陶酔の演奏をすることができたのである。いやいや、私は単なる伴奏だが。

『カロ・ミオ・ベン』と『早春賦』の2曲を演奏したわけだが、にわか仕込みの割にはまとまったのでほっとしている。
N子の歌唱力は抜群だ。わがハワイアン・バンドでも何回か歌ったが、すぐに他のバンドからスカウトがあった。なんといっても楽譜を見れば歌えるというのがいい。

バンドをやっている人たちは、けっこう聞いて覚えるというのが多いようだが、私のような譜面屋にとっては、基本的に初見ですぐにやってほしいわけだ。これはyakoには内緒だが・・・。



N子とは、今度、「美空ひばり」を歌うことで意気投合した。もちろんギター伴奏で『悲しい酒』に決まっている。



2004年01月10日(土) IHジャーその後

どうもIHジャーの味がいまいちだ。

パナソニックの最新式スチーム加熱付のものだが、期待が大きすぎたのか予想していた味にはおよばないのだ。はじめて炊いた時は水加減が合っていなかったのか、ちょっとべちゃべちゃした感じだった。3回目くらいにやっと今までの硬さになってきた。
まあ、保温してスチームで再加熱すればまたそこそこの食感には戻るのだが、味そのものがどうもしっくりこないのだ。

  

ごはんの硬さはその地方によっても違うし、個人でも当然違うだろう。この岡山というところは、こしひかり系の朝日米があるが、硬めで炊くのがふつうだ。我が家で作っている「あけぼの米」も硬質の米である。
だからかどうかしらないが、岡山は硬めを好むようだ。

我が家では、このIHジャーで「すしめし」の設定で炊いているのだ。IHジャーが出始めの頃、おそらく10数年前だろうが、何かの本に、ある有名なすし屋の主人がすし飯を炊くのにIHジャーを使用している場面があった。「このIHジャーでなくちゃ、うまいすしめしは炊けないよ」みたいなことを言っていたのだ。これ以来、匠のお言葉に弱い私は、ずっとIHジャーのことが頭に残っていたのである。

しかし、このありさまである。しばらくの間、ご飯どきはちょっと肩身がせまい。きょうも妻に言われてしまった。「ガスに勝てるわけがないでしょ。うちは小さいときは羽釜でしたよん。おいしかったこと。」

そりゃ羽釜に勝てるものは存在しないであろう。みな究極は羽釜と思ってしのぎを削っているのだから。
一流の和食料理屋では、羽釜でご飯を炊くところが多いようだ。一人前ずつ小さな羽釜で出すところもある。釜飯もそうだが。
昔の羽釜のふたはとてもごつい。重量があるのだが、これで十分な圧力をかけることができる。ほんとうはかまどで一気に炊き上げるのが理想だろうが、そこまでは無理でもガスと羽釜の組み合わせで至高のご飯ができるだろう。
ひょっとすると、現代の米離れは、この炊飯器にも一因があるような気がしてならない。昭和30年代の電化製品として電気炊飯器なるものが登場したが、便利さと裏腹に忘れ物をたくさんしてきたのだ。

しかし、昔の炊飯器とはくらべものにならないぐらいIHジャーは進化しているのだが。

ちょっと専門的で恐縮だが、IHとは加熱方式のことで、日本語でいうと電磁誘導加熱ということになる。インダクション・ヒーティングだ。
これは一般にいうヒーターというものは使っていない。ヒーターのかわりにコイルが入っていて、これに高周波電流を流すと磁力線が発生する。すると釜にはうず電流というのが流れるようになるが、この時発熱するわけである。釜自体が発熱するのである。

じつは、この加熱方式であれば、あの羽釜に似た炊き方になるはずなのだが。
くそっ、もっとパワーを。あ、そういえばこの前、ご飯を炊いているときにてんぷら鍋のスイッチを入れたらブレーカーが落ちたと母が言っていた。
うー、電気食い虫か・・・。
まいった。



2004年01月09日(金) 至福の時

ワインには『ソムリエ』という資格がある。

『ソムリエ』の資格がある人が、ホテルなどでお客にワインを選定したり、料理と組み合わせたりしてサービスをしている。サービスだけではなく、仕入とか管理などの業務もするようである。
要するに、レベルが高い仕事をしているのだ。

ところで、コーヒーの世界にも『ソムリエ』の資格がある。以前に駅前だったと思うが、ある人と入ったコーヒー喫茶にはソムリエがいた。他の喫茶店と何が違うかというと、とにかく種類が多いのだ。酸味、渋味、浅煎り、深煎り、などなど。けっきょく、無難な、お店お勧めのブレンド・コーヒーに落ち着いたのだが、どうもお店が出しているブレンドを飲むのが一番おいしいようだ。
日本は世界第3番目のコーヒー消費国だそうだ。それだけ生活が欧米化してきたのだろう。ということはお茶の消費は減っているのかもしれない。それに中国茶とか健康茶とかいうものが増えているし。

我が家ではコーヒーを入れるという習慣はない。しかし私は時お折り、アルミパックに入っているドリップ式のコーヒーを入れることがある。一回分ずつ小分けになっているやつだ。香りがいいのと、やはりインスタントでは味わえないコーヒーのうまさというものがある。あまりコーヒーは飲まないのでブラックは苦手である。でも、こうしてドリップしたコーヒーは、けっこうブラックで飲めるのである。

コーヒーを話題に出したのは、別にコーヒーのうん蓄を語るためではない。先日、ソニー・ファミリー・クラブから通販カタログが届いた。このカタログにはちょっとお高いが、男心をくすぐる逸品が多く掲載されている。浮気者の私には、あー、これも欲しい、あれも欲しいとため息の出るものばかりである。その中にコーヒー・サイフォンの器具が載っている。じつに凝った造りなのだ。1850年に作られたバランス式コーヒーサイフォンのレプリカである。




アルコール・ランプに火を灯し、ポットに水を入れる。熱せられたお湯はコーヒー豆が入ったポットに入っていき、コーヒーが抽出されるというわけだ。そしてできあがったコーヒーは、吸い上げられてポットに入っていく。
じつに手間ひまがかかる作業だが、このゆったりとした優雅な時間を世のおじん達は至福の時と呼ぶのかもしれない。
はてお値段は?うっといってしまう。10万円を超える値がついている。しかし、こうして淹れたコーヒーはさぞおいしいことだろう。おいしさというものには基準がない。空腹の時は何を食べてもおいしいものだが、手間ひまをかけたものはそういうことを超えて食する人に伝わるものだ。

学生時代に真空管のステレオ・アンプを作ったことがある。アルミ・シャーシを買ってきてブラック塗装をした。トランスやら、抵抗やらをハンダ付けしてやっとの思いで完成させた。何ものにも変えがたいすばらしい音がしたのを思い出す。

なんでもそうだが、手塩にかけて作り上げたものには愛着があり、いつまでも大事にするものだ。人間だって同じだろう。
いやいや、しかし物と違って人を育てるのは並大抵ではない。手塩にかけたつもりの子供たちだが、もう悩みの種である・・・。



2004年01月08日(木) モバイル

先月完成した自作パソコンは快調にサクサクと動いている。

息子たちがきて、恨めしそうに見る。おもわず笑みがこぼれてしまうが、古いのをあげるから、とその場を取り繕う。しかし、そんな古いのはいらないと一蹴されてしまった。
そのうえ娘にも言われてしまった。お年玉で勝手にゲームのソフトを買ったので、おとがめを申すと、「お父さんだって買ってるでしょ。」とやられてしまった。

このパソコン、動きが速いだけではない。搭載したOSはウインドウズXPプロフェッショナルというもので、ホームエディションという一般的なタイプよりも少々お高いが、これにしたわけがある。

プロフェッショナルタイプには、リモート・デスクトップという機能がある。これで何ができるかというと、たとえば外出先からノート・パソコンなりPDAなりで家のパソコンを操作できるのである。外にいながらにして、あたかも家のデスクで作業しているような感じなのだ。いや、まだPDAなんかは導入していないので、そうなるだろうと。

これにはドコモが出している『シグマリオン』というキーボード・タイプのものがいいと思っている。
じつは知り合いのMさんが持っていた。Mさんは今までノート・パソコンを持ち歩いていたようだ。しかし、これに変えてからはカバンがとても軽くなったと言われていた。

ちょっと見せてもらったが、えぇ〜、というほど文字が小さいではないか。アイコンなんか豆粒のようだ。これをつまようじの親方のようなスタイラス・ペンというもので押すのだ。それはそうかもしれない。パソコンと同じような画面を10センチほどの小さな画面に写し出すのだから。若い人はいいだろう。しかし、人生を半世紀近く生き抜いてきたおじんには、ちとつらいものがある。

それにしても、こんなお遊びはバリバリの営業マンならいざ知らず、外にまでパソコンを持ち歩くほどのデータなんか持ち合わせていない者にとって、これはなんだろう。

そう、道楽以外の何ものでもない。しかし、この道楽が大切なのである。人生を豊かにすることができるし、それに人を幸せにすることだってできるのだ。

と、妻に理由をつけていろいろとやらせてもらっている・・・。



2004年01月07日(水) パスツール

『あなたがどこの国の人、どんな宗教の人かは問いません。
今あなたは病に苦しんでおられる、それだけ聞けば十分です。あなたを救いたい。』

いや、いきなり似合わない言葉を出してしまったが、これは偉大なる科学者であり、微生物学で著名なフランスのルイ・パスツール(パストゥール)博士の言葉である。子供のころの記憶としては、狂犬病ワクチンの発明、天然痘の発見、北里柴三郎の師匠?くらいしか思い出せない。
じつは、パスツールは他にも多くの研究成果をあげているが、その中の一つにビールやワインの発酵の研究がある。彼の研究は単なる食としてのものではなく、ワインなどの腐敗を解決するためのものだった。この研究のなかで、低温殺菌法なるものを発明している。身近なもので言うと、牛乳の殺菌法がそうである。パスツール法とも言うそうだ。

話があらぬ方向に行きそうだ。またまたで恐縮してしまうが、260円なりの古本(ワインの基本)にこの言葉が載っていた。
『百の書物よりも、一本のワインの中に真実がある。』
ルイ・パストゥールとあったので、へえ、あのパスツールではないよな、と思って調べたら、以外であった。偉大な人物というものは、あらゆる分野で秀でているものである。

この言葉の真意はよくわからないが、おそらく「論より証拠」のことわざ的でもあり、現場にこそ真実があるという類だろうと思う。
いや、彼自身、ワインの魅力にとりつかれていたのかもしれない。

「人間は、死ぬときに、自分は、できるかぎりのことはしたと自身をもっていえるような、生きかたをしなければだめですよ」
〜ルイ・パスツール〜



2004年01月06日(火) 速読その2

mappieさんから「速読したことあるよ〜」との書き込みがあった。

それによると、1ページがばっと目に飛び込んでくるようだ。訓練も一度にたくさんの情報が目に入るように、中心を見ながら周りの視野を広げる方法なのだ。
問題は、入った情報をどれだけ瞬時に理解できるかだと思う。260円の本によれば、普通に読んだ時よりも鮮明に記憶できるという。これがほんとうなら実践しない手はない。

mappieさんは、できるようになるがやめたら元にもどってしまうと言われている。ということは、訓練を続ける必要があるということになる。なんだか楽器の練習に似ているな。

私がこの速読にもう一つ期待しているのは、暗譜に活用できないかということである。
中林淳眞先生に聞いたことがある。「暗譜のコツはありますか。」「いや、そんなものはないよ。暗譜できるまで練習するんだよ。」「はは、承知いたしました。」
『現代ギター』という専門誌に載っていたある演奏家の記事では、まず楽譜を目で何回も読んで暗譜してしまうとあった。おそらく、演奏時にそれを取り出す作業では、音符を一つ一つ頭で追っていたのではいい演奏はできないだろう。上田啓二先生が言われていた、楽譜全体を画像のようにとらえて引っ張り出す作業を頭の中でしているに違いないと思う。

昨年の年末も、いろいろな『忠臣蔵』をしていた。その中でついに例の『忠臣蔵』と『白虎隊』をゲットした。
恵さんにお願いして「Oniビジョン」というケーブルテレビから録画してもらったのだ。どちらも5時間以上の大作である。感謝感激雨あられ。それはもう完全にあきらめていたものを見ることができるのだから。
ちょっと最初の部分だけ見た。意外というか十数年前の映像には違いないのだが、それにしても映像、ナレーションとも時代を感じずにはおれない作りに思えるのだ。見た当時はこんなには感じなかったはずだ。おそらくこういう映像にかぎらず何事にも、その時々の環境に脳が順応していくからだと思っている。

速読にしても、記憶にしても、人間の不可思議を垣間見る思いがする・・・。




2004年01月05日(月) スパークリングワイン

スパークリングワインを買った。というか買わされた。

いつも営業所から電話がかかってくるが、妻はうまく交わすようだ。今回まんまと捕まってしまった。妻が言った。「やっぱり・・・。私だったらちゃんと断ってあげるのに。」
そのくせ、これはおいしいとか言って飲んでいる。

シャンペンとかシャンパンとかいわれるが、スパークリングワインとどう違うのか。ちょっと調べてみたが、いろいろと説があるようでわからなくなってしまう。が、ほぼこれだろうと思うものはこうだ。

シャンペンというと、クリスマスなんかで買う甘い炭酸入りジュースのようなもの、あと、結婚式のパーティで最初に出てくる泡が出ているワインを最初に思い浮かべるだろう。正しいとも言えるし、違っているとも言える。
読み方からいくと、日本ではシャンパンというほうが多いかもしれない。外国語なのでどちらでもいいということになるか。

で、中身なんだが、シャンパンはフランスのシャンパーニュ地方で作られる限られたものだけをそう呼ぶのが正しいようだ。ということはけっこう高級品なのである。ちょっと検索したページでは、一本200万円という値があった。ほんまかいな・・・。
もうひとつ大事なことは、中に入っているガスである。栓を抜く時、シュポッと心地よい音がして水鉄砲のように勢いよく飛び出すが、これは中にガスが入っているためだ。あ、これくらいは皆さんご存知か。失礼。普通のビールとか、コカ・コーラなどは炭酸ガスを注入しているが、シャンパンに限っていうと後からガスを入れたものはシャンパンとは言わない。ビンの中で自然に発酵してガスが封入されなければいけないのだ。おお、ここまでくると、なにやら高級感が漂ってくる。さらに使用する葡萄の品種まで限定されているのだ。

それではスパークリングワインとはなんぞや。
これは、自然発酵であろうが、炭酸を注入したものであろうが、発砲性のワインはすべてこう呼ぶ。すなわち、スパークリングワインのほんの一部にシャンパンがあるということになるのだ。

まあ、ワインにせよ、酒にせよ、すべて発酵させてつくるのだからガスは当然発生する。しかし、普通のワインはビンに詰める段階ですでにガスは抜けているのである。おわかりかな。

こうして、うん蓄をたれて飲むワインは格別なんだろう・・・。



2004年01月04日(日) 写真

外で写真を撮ってみた。

   

   

これなら光が十分なので、きれいに写るだろうと思ったが、いまいちか。
公園は逆行にしてみた。というか逆行になっただけなのだが、なかなか雰囲気が出ていないだろうか。

どうも基礎ができていないので素人くさい。それよりもまずカメラが悪いか。美しい被写体でもいまいちに写ってしまうのだ・・・。

しかし、こうして画像ばかり載せていると、制限されているサーバー容量を超えてしまわないか心配だ。ねた切れになってくると、画像でごまかしてしまう、、、



2004年01月03日(土) 写真

ちょっと蘭を撮ってみたがだめだ。
フラッシュの影ができているし、もうバックがぜんぜんいけない。やっぱりデジカメでは無理なのかなあ。
ズームをいっぱい使ってはみたが、ぼけない。絞りとかいう設定があったっけ。




写真というのは光の操作がポイントのような気もする。それなりの装備も必要なのかもしれない。ほんとうをいうと、写真集なんかに掲載されている動物や景色の繊細な描写写真が撮りたいのである。
おそらく高価な機材なんだろう。これにはまってしまったら大変だ。

滋賀県のMさんは、時々メールで写真を送ってくれる。デジカメなんだがうまくポイントを押さえている。キャリアが違うんだろうと思う。それに撮っている枚数自体がそもそも違っている。これも知識だけではだめで、撮ってなんぼの世界だろう。

大事な写真は、銀塩フィルムの『キャノン・EOS・Kiss5』で撮るようにしているが、どうもフィルムの枚数が気になってパシャパシャとはいかない。24枚が撮り終わるころは、最初の撮影からかなり日数がたってしまっているのが現状だ。これでは腕も上がるまい。

やっぱり1眼レフ・デジカメか・・・。



2004年01月02日(金) 速読

260円なりの本を半分ほど読んだ。

かなり奥が深いようだ。心の問題にまで及んでいる。200ページ少々の本なので、将来的には数分で読むことができるだろう。まあ、願望だが。

根本的に読む方法を変えなければいけない。情報処理の方法が違うのである。
以前に上田啓二先生が、優れた演奏者は楽譜の読み方が違っていると言われたことがある。音符を一つ一つ追っていくのではなくて、写真を撮るようにフレームでとらえるというのだ。

今回の速読はまさにこれである。高度な速読では、ページ全体を絵のようにとらえて頭で情報を処理するのである。
その第一歩として、視野の拡大訓練から入る。たとえばページ全体を目でみることができても、ひとつの文字に集中すれば他の文字を同時に読むことはできない。しかし、訓練で視野を拡大することができ、また理解できるようになるというのだ。

じつに興味深いことである。自分で自分の能力を決めてしまっているが、訓練でいくらでも開発できるのだ。

これができれば、おそらく演奏能力も格段に向上するだろう。今はまだ音符を追っている状態なのだから。暗譜にも効果があると思っている。

まあ、これらもけっきょく訓練をするかしないかということになってしまうが。いいことはわかっているが、できないのだ。

今日もばたばたと一日が過ぎていった・・・。



2004年01月01日(木) 生活のリズム

今日は1月1日だがいつもと変わらない時が流れる。

食べるものは雑煮とか御節料理になるが、勤めて生活のリズムはいつもと変わらないようにしている。
しかし、時間は少し余裕がある。ならば練習だ。吹く・弾くとなると倍の時間が必要になってくる。いたしかたない、そうしたのだから。
いつもの正月はこんなのではない。アンサンブル・コンテスト目前で夜中まで練習しているはずだ。そう思うと甘い甘い・・・。

今日も夕刻の雲を撮ってみた。なにの変哲もない雲だが。

  

年末に古本屋で「忠臣蔵」とともにもう一冊購入した。「驚異の速読法」というものだ。
著者は、1分間に1冊本を読む、速読検定に日本で最初に合格した人である。この手の本は本屋に行けばいくらでもある。なんでこんなのを買ったかというと、「忠臣蔵」の近くにあったからである。
まだ読んではいない。しかし、だいたい内容はわかっている。私はこういうのはオカルトでもなんでもなく、実際に可能だと思っている。人間の能力からして、これくらい朝飯前?ではないだろうか。無限の可能性を秘めているのだから。




私は以前から興味があった。じつはこれが演奏能力の向上に使えないかと思っていたからである。
以前に「速聴」関係の無料体験資料を送ってもらったことがある。これは録音したテープの回転を速くしてそれを聞き取る訓練をするものだ。これで脳が活性化して速読もできるようになる。
しかし、購入するのはやめた。ちょっとお高いからだった。普通の教材に比べて桁が違う。まあ、こういうのは価値観の問題である。1万円でも高いと思う人もいれば、100万円出しても買う価値があると感じる人もいるはずだ。実際そうだと思う。

この「脳」の能力に関していうと、いくら本を読んでもだめである。
もう訓練しかないだろう。たいてい挫折する・・・。
しかしなんとか、知識を得たもので演奏に役立てないかと考えてはいるのだが。
それも260円なりで・・・。


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