もう今日は大晦日だ。いつも通りばたばたと日が過ぎていく。
夕刻には西の空をよく見る。七変化という言葉がふさわしいほどあでやかな時もあれば、どんよりと沈んだ雲のときもある。 今年はそんな空の激しい変化のような一年だったように思う。個人的にも、世界的にも。
<今日の西の空> 
今日は一日、ラジオを聞きながら片付けや作業をした。いや今もしている・・・。 ラジオの中でお正月のマナーなどについて、視聴者の質問に答える形式でやりとりがあった。
三が日に飲むお屠蘇は一年の邪気を取り払う意味があるそうだ。しきたりはいろいろあるが、歳の小さい者から飲む、そして三々九度のように三回目に飲むなどあったが、我が家では私が一番に飲んでいる。はて間違いか・・・。
我が家の御節料理は子供の頃から変わらぬメニューで作り続けられてきた。何十年も続いてきた形である。そして子供の時代に入っても受け継がれていくだろう。そうあってほしい。
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夕刻、ラジオでは、スタジオに女性アカペラ・グループが登場していた。 『アンサンブル・プラネタ』という5人グループだったと思う。 特筆できるのはソプラノパートのハイトーンである。高いところではF、Gのあたりだが、とても気持ちよく聴くことができた。 「G線上のアリア」「グリーン・スリーブス」などおなじみの曲を歌ったが、ハーモニーが合うとこんなにも美しくなるのかと感動。
うーん、ちょっと参考になった。
大晦日といっても時は淡々と流れる。特別なにも変わることはない。明日は今日のの続きなのだから。
テレビもラジオも大はしゃぎだ。そんな世の中ではないのだが。
来年こそは腰をすえて物事に取り掛かりたいと思ってはみるが、はたしてどうなることやら。
260円の元を取らねば・・・。
きのう古本屋で買った『忠臣蔵のすべてがわかる本』を合間合間に読みすすめている。きょうは昨日の続きの「忠臣蔵」を見た。この本片手に。 250ページほどのものなんだが、この時期に読まなかったらおそらくお蔵入りとなるだろう。なんとしても260円の元だけはとっておきたいのだ。
ただこの本は、単なる歴史本ではなかった。「忠臣蔵」を人生観、そして社会、政治にまで照らし合わせて言及している。 「はじめに」にはこうある。 「〜現代の日本、目先の快楽にのまれてしまっている若者、経済的豊かさを幸せだと勘違いしている中年、そういう人にこそ、本書は読んでもらいたい。人生を考え直してほしいとはいわない。しかし、この男たちの壮絶な物語を読破することは、けっしてあなたの人生にマイナスにはならないはずだ。 「忠臣蔵」の人気は、数百年もの間衰えたことがない。〜なぜか。 それは、人間を感動させるありとあらゆる要素が詰まっているからだ。 いじめ、悲劇、無念、望み、裏切り、友情、絶望、団結、執念、復讐、戦闘、恋愛。〜」
おお、やはり感動させるにふさわしい芸術品だったのだ。 この本、大石内蔵助のリーダー像から、人を統率する基本にまで及んでいる。<目的を明らかにし、己の言動を公開する>ということが、人を統率してゆくための基本的な心得だといっている。 そして、大石内蔵助の藩札の交換などの采配と、現代の政治、社会でのトップとを二重写しにして論じている。
いや、むずかしい話になってしまった。ちょっと似合わない・・・。 そうそう、きょうの恵さんの話では、二日ほど前に放送された「忠臣蔵」についての番組で、どうも吉良だけが悪いのではないという内容があったそうだ。どうも作り話も多いのではないかと。
それはそれでよいと思うが、300年たっても色あせない感動を覚えさせる何かをもっていることは確かである。260円なりで、人生の何たるかを少しでも吸収できれば元はとったといえる・・・。
きょうは娘を連れて、則んちに行った。
1月に開催される久米南(くめなん)文化センターでの出演の音合わせのためである。「カロ・ミオ・ベン」と「オン・ブラ・マイフ」を歌うということだったが、「オン・ブラ・マイフ」を「早春賦」に変更させた。こういう地域での催しでは、まず聴衆に目を向けなければいけない。少しだけ人間長くやっていれば、いろいろと人生経験を出すことができる。
私は、やはりバリトン・サックスにすることにした。あのチェロを思わすがごとくの音色をイメージしたが、ちょっとほど遠い。まあいいか。 則子は、あの細い体でもよく響く歌い方をする。イタリア語の巻き舌もなかなかだ。2回ほど通して、あとは本番前の調整で仕上げるとするか。まあ、伴奏なので気は楽だ。
則んちは我が家から一時間半ほどの所だが、一週間ほど前に50センチの雪が降ったという。まだ日陰には名残がある。走りながら撮ったが娘に言われてしまった。「おとうさん、なにするの!あぶないじゃない」 この国道は53号線だが、『53次ふれあい街道』と名前が付いていた。
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帰り道、古本屋に寄った。 買ったのは「忠臣蔵」。260円なり。じつは夜、「忠臣蔵」がある。その参考資料のためである。約3時間半の番組だ。
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ほんとうのことを言うと、朝8:00から「忠臣蔵」を恵さんに録画してもらっている。日記で書いたあの「忠臣蔵」である。とても楽しみだ。シンフォニービルで開催していた古本展で購入した本はまだ読んでいないが、読むが先か見るが先か悩むところだ。 恵さんには無理をいってDVDとビデオの両方に入れてもらっている。もうこれからはDVDだろう。といってDVDレコーダーを持っているわけではないが将来のために・・・。
夜のものは、とりあえず前知識として入れておくためのものだ。 しかし、いけない。いかりや長介のなんとか走査線という番組とかち合っていた。妻と娘が押しかけてきた。ここで引き下がるわけにはいかない。録画を願った。 私もそんなに3時間以上の番組に付き合うほど暇ではないので、要所要所をチェックする格好になった。
毎年毎年、こうして同じ番組が繰り返されるわけであるが、300年前の史実は色あせることがない。つねに日本人に感動を与えてきたのである。 年末の年始のお笑いの中にあって、こうした名作を見ることができるのがせめてもの救いだろう。
それにしても、あれだけ「なんで時代物なんか見るの」と言っていたのに、妻はでんとしてテレビの前から動こうとしない。その上、私に質問をあびせてくるではないか。 「いま浅野内匠頭を止めたのはだれ?」「多門伝八郎はどういう関係?」 この本を見ながら説明するが、知識不足でついていけない。また勉強することが増えてしまった。
いや、それにしても「忠臣蔵」はいい。やはり大石内蔵助の人格であろう、人を惹きつけるものがある。原作、キャストが変わっても感動するではないか。
年末はこれしか見るものがない。
ああ、恵さんに叱られそうだ・・・。
年賀状をまだ書いているのである。150枚ほどのことなのだが、いつもながらのパソコン年賀状だ。恵さんからは12月10日には出してよん、郵便局が大変なんだからと言われていた。
くそ、プリンタがいまいち調子が悪い。はがきをうまく拾い上げてくれないのだ。すぐに給紙不良でエラーが出て止まってしまう。ずっとついていなければならない。こんなの文明の利器とはいえない。 さらに追い討ちで、カラーインク切れとなった。すぐに「ニノミヤ」に買いに走った。4,387円なり。
よく考えてみると、今回の年賀状のためにどれくらい労力とお金を浪費したかばかにできない。まず、年賀状ソフト。11月くらいになると、店頭にずらっと並ぶやつである。「筆まめ」を使っているが、どのソフトも同じで、買った年の干支しか入っていない。要するに来年はこのままでは使えないようにしているのだ。そりゃあ、自分で干支だけの画像を集めればよいが、だれでもそう簡単に操作できるものでもない。そのうえ、1年たつときっちりバージョン・アップされている。うまく心理を捕らえている。
私も心理を捕まえられてしまった。もう時間がないので、干支を探している暇などないのである。そういう頃にうまく「筆まめ」のダイレクト・メールが入る。ただいまキャンペーン中、今なら1,500円です! 飛びついた。ダウンロードで買ってから気づいたのだが、これ、インターネットで画像をダウンロードしながら作る年賀状ソフトだった・・・。で、期限があるのだ。3ヶ月ポッキリ。1年間のもあるが、3,000円以上する。これでは、本物のアップグレード版をお店で買ったほうがよいようにも思えた。あー、ほんとわからなくなってしまう。完全にメーカーに遊ばれてしまっている。
まあ、1,500円で納得したのだが、今回の年賀状で打ち止めとなるだろう。3月までに出すはがきなんかあったっけ?
こうして毎年、無駄な出費と貴重な時間を浪費してしまうのだ。賢いのは、印刷してもらうことだろう。結局安上がりなような気がするのだが、いかがかな、恵さま・・・。
もひとつ、悩んでいるのが、セキュリティ・ソフトだ。1月で更新の期限が切れる。再更新も結構高い。3,000円以上したような。 ここでまたメーカーに踊らされる。次のバージョンの案内がしきりに来るのだ。こちらは4,000円いくらだ。でもその他に多機能な機種がたくさんある。こちらにも食指が伸びそうだ。
まあ、正月にでもゆっくり考えるか。なんかこういうの、ことわざになかったかな・・・。
毎年やってくる正月だが、年を追う毎に正月感がなくなってくる。
まず、お店が正月から開いているとは何事ぞ。三が日は家でじっとしているのが子供のころからの習い事ではないかと思うのだが。そう、何かしら家族といっしょに家に閉じこもる時に感じるわくわくした感触がなんともいえない。 台風なんかが来ると、雨戸を閉めて家族が身を寄せ合ってじっとしている。子供ごころに家族のきずなみたいなものを感じたのである。しかし、今はこういうことはだんだんとなくなってきてしまった。
ある雑誌の2004年1月号に、作家・高橋克彦氏が新春エッセーを寄せている。 「正月がなくなってしまった。〜ただの長い連休という感じなのだ。むしろ退屈ささえ覚える。テレビはくだらないお笑い番組ばかりだし、こんな先行きの見えない時代だというのにCMは能天気に「おめでとうございます」だけを繰り返している。〜」と。 まさにそうだろう。テレビを見ても大した番組はやっていない。
さらにこうある。 「伝統を軽んじ、個人主義に徹底してきた団塊の世代が社会の軸となり、今になってそのツケが回されてきたと言うべきだろう。〜家族を無視してスキーに興じ、海外旅行に出かけた。正月を正月でなくしたのは私たち世代である。〜」
さらに氏は、日本の長い歴史の中で、この時代は急速に伝統が風化してきており、これからは、個人から家族の時代に軌道修正すべきだと述べている。
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我が家でも、年々その傾向は強くなってきている。最後は、掃除は正月の暇な時にとなってしまう。 それでも、餅とおせち料理だけは作っているのだが。まあ、私は運搬役のみだ。
The CD Clubから2月の申込がきた。
今まで、本来のジャズ・コースはほとんど選択せず、チェロやらヴァイオリンやら、はたまた歌謡曲やらを注文していた。先月は『荒城の月』だったが。 2月号はひさびさにジャズを注文することにした。題して『ジャズ紀行/ケニー・ドリュー』。
ケニー・ドリューといえば、ずっと前に(15年以上前か)大橋巨泉のテレビ番組で曲が紹介されたことがある。それは、来日記念として吹き込まれた『月の砂漠』だった。これの強烈な印象がずっとケニー・ドリューを聴くきっかけとなったのである。 今回のこのアルバムでは、ケニー・ドリューの人気を決定づけた三部作「パリ北駅着、印象」「欧州紀行」「旅の終わりに」が入っている。さらに名曲である「クレオパトラの夢」、そして極めつけの『月の砂漠』ときている。 これを買わない手はない。2枚組みで名曲・名演を堪能することができるだ。
ケニー・ドリューはニューヨーク生まれであるが、ヨーロッパに移住している。それもデンマークのコペンハーゲンを第二の故郷に選んでいる。私のお気に入りベーシスト、ニールス・ヘニング・オルステッド・ペデルセンは、ここデンマークの生まれで、ケニー・ドリューとは長く活動をいっしょにしている。
アルバムの曲としては、他に「ローマの秋」「カフェ・フローラ」「アナスターシア」ん?どっかで聞いたような・・・「想い出の夏」などなど欧州の薫りが漂ってきそうだ。2枚目には、「シェルブールの雨傘」「追憶」「枯葉」など映画音楽もちりばめられている。
以前に購入した、ジャック・ルーシェの『クラシック・イン・ジャズ』もイージー・リスニング的ではあるが、心がとても軽やかになる。今回のアルバムも、そういう意味で期待できそうだ。
瀧廉太郎は『花』『荒城の月』という名曲を残している。
このCDはその『荒城の月』にスポットを当てたものであるが、名曲ゆえに、できた背景、内容が豊富に語られることが多い。ここでも何人もの人が文を寄せている。
そのひとり、ジャーナリストでテレビでも人気の筑紫哲也氏の語り。 「大分県竹田市にある瀧 廉太郎記念館の名誉館長を私はつとめている。廉太郎の父がそこで郡長をしていたころの住居が記念館になっているのだが、『荒城の月』の曲想を得たのではないかと言われている岡城址の麓に、それは位置している。私がそういう役をさせられているのは母方の祖母が廉太郎のいちば下の妹だという縁からである。〜」 そして、この曲が名曲なのかどうかを、團伊玖磨氏にたずねたことなどが綴られている。
『荒城の月』には原曲の瀧廉太郎版と山田耕筰編曲版があるのをご存知だろうか。現在一般的に歌われているのは、山田耕筰編曲によるものだ。どこが違うかといえば、「はるこうろうの はなの えん」の部分で、原曲は「え」に臨時記号のシャープがついている。ということは、「の」から「え」に移るとき半音しか下がらない。しかし、山田耕筰はシャープを付けずにふつうの音階で一音下げている。歌いやすく自然である。 専門家によれば、短音階の第4音が半音上がっているのはジプシー音階の特徴だから、ハンガリー民謡を連想してしまうそうだ。瀧 廉太郎はこの部分について、こういう指摘があってもかたくなに断ったようである。
こういったことが20ページ以上にわたって書かれている。なんだか曲を聴くのか、お勉強をするのかわからないようCDだ。 まあ、こういった曲の背景を知って聴くとまた聴き方が変わってくる。変な先入観ということもあるが、それよりも音楽を深く聴くことができると思っている。
動いたぞ!
いや、ちょっとしたことなのだが、画面をコントロールする「ドライバ」というソフトの設定がちょっと違っていたようだ。 しかし、ほんのちょっとというところで、つまずくものだ。いらぬ時間を浪費してしまう。今回は運良くなんとか回避できたようだ。これも日頃の何とか・・・。
古いパソコンからデータを移し替えるのも大変だ。どうもこうしてパソコンというものは不完全なのかと思ってしまう。
それも最新パソコンの快適性で帳消しというところか。
いやいや実は、きょうはそれどころではなかった。 注文していたクリスマス・ケーキを取りにいった帰りである。前の車が急に止まるので、こちらも思わずぐっとブレーキを踏んだのはいいが、助手席に置いていたケーキが前に吹き飛んだ。結果はいわずもがな。でんぐり返ってあっぷっぷ・・・。 どうやって食べればいいのだ。しかし思い出した。食材さえしっかりしていれば、出来はどうあれ、ケーキに関してのみ味はよい・・・。
きのうの日記を飛ばしてしまった。恵さんにまたまた無断で・・・。 そして愛読者の期待?を裏切ってしまった。
じつは、きのう自作パソコンの製作で日記の時間がとれず状態であった。 やっとウインドウズのインストールまでこぎつけることができた。しかし、組み立て、配線はなかなか大変だった。なにしろ、詳しい説明書はなしで、あっても英語ときている。 組み上がってから、電源を入れた。おお、『自作パソコンの基本』という本の通りの画面が出てきた。あとはすいすい進むものと思っていたが、どっこい、ドライバのインストールでつまずいた。ディスプレイの色が急に10色ほどになってしまった。
うぅー、わからない・・・。
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まいった。では、またあした。
近所の古本屋「万歩書店」に行ってきた。
店員さんに、「10年前の『サライ』はありますか?」と聞いた。すると「サライのコーナーはありますけど、10年前のものはどうでしょうか。」といって案内してくれた。「あ、ちょうど10年前からありますね。」 で、欲しい号があるか調べた。しかし、10年前の号は、3冊しかない。月に2回なので、1年で24冊にもなる。 「お!あった!」3冊の中にあったのだ。よしよし、念願はかなうためにあるようなものだ。日頃のなんとかか。
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チャツネの作り方である。バナナとりんごを使ったものだ。これがなければ、あの大人のフルーツ・ケーキは完成しないのである。
娘が言った。「この1ページのために買ったの?」 そうだ、この1ページのために貴重な時間を費やしてきたのだ。道楽とはこんなものだ。
この本、定価380円となっている。今は500円以上するのだが。10年前というと1993年。別に昔とは思わないが、こんなに安かったのかと感じた。 しかし、購入金額260円なり。ちと高いではないか。100円にせんか・・・。
こうしてたわいもないお話しで日記はおしまい。ではあすのこの時間をお楽しみに・・・。
夜も更けてきたが、今ゆったりと『荒城の月』を聴いている。 このCD、1週間前に入荷していたのだが、ずっと封を切る間がなかった。そしてやっと今日聴くことができたのだ。
じつは、今日、大仕事を終えることができてほっとしている。これは恵さんと妻しか知らない・・・。
心の安堵とともに、日本の名曲に浸っている。このCDは全20曲すべてが『荒城の月』なのだ。こういうCDもめずらしいだろう。あらためてこの曲の偉大さを認識した。
この中で感銘したのがある。紹介の文面を記したい。 「マイナー・チューニングのたった一本のハーモニカで吹かれる『荒城の月』は明治32年生まれの佐藤秀廊の編曲。昭和2年、ハーモニカ生誕の地ドイツで開かれた”ハーモニカ100年祭”に日本代表として初めてひとり参加した佐藤は、この曲を吹いて記念コンクールで優勝した。地元の新聞「デイ・ツァイト」紙は・・・信じられないほどの高度のテクニックだ!〜と、絶賛した。 弦を思わせるような音色、二人で演奏しているように聴こえる分散和音を伴ったメロディ、そしてダイナミックレンジの広さなどハーモニカの能力を徹底的に引き出すことに成功したこの編曲で佐藤秀廊の名は世界的なものになった。そして『荒城の月』はハーモニカの無伴奏形式による独奏曲の代表的な曲となった。」
このライナー・ノーツを書いた斉藤寿考氏自身が演奏している。ハーモニカのすばらしさを知った編曲であり、名曲である。
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瀧 廉太郎のなんと知性にあふれた顔。 この曲ができた背景については、また別の機会に論じたい・・・。いやそんな高尚なことではないが、やはり日本人として勉強に値すると思う。 では、おやすみ。日記だけど・・・。
木枯らしが吹く季節になってきた。そして、庭、畑の果樹も葉をすっかり落としてきた。 あれほど生い茂っていた葉っぱは、ことごとく散って冬の試練に備えているようにも見える。まさに裸の様相になってきた。木々の形がはっきりとわかる季節でもある。
我が家の果樹たちはどうであろうか。いや、お目にかけるには失礼なほど、手入れ不行き届きでかわいそうだ。ぶどうなんか、その場しのぎで適当に剪定してしまったので、あっちこっちに枝たちがはねまわっている。柿は近所の人に剪定してもらっていたので、なんとか形を保っている。いちじくは生命力が強くて、切ってもあちらこちらから芽が出てきて伸びてくる。なかなか本職のように整えるのはむずかしいものである。
ぶどうには専用の肥料をやった。人づてに聞いて、長船町の農協資材センターまで買いに行ったのだ。肥料がパレットに大量に積まれている。おそらく遠方からみんな買いに来るのだろう。ここでは、果樹ごとに専用の肥料がある。びっくりしたのは、ぶどうでも品種によって種類を使い分けるようになっている。 ばったり、同じ地区の人に会った。Yさんではないか。夏に、集まりでお宅におじゃました時,帰り際に、みんな一房ずつ「ベリーA」をいただいた。近くの畑で作っているという。房もしっかりしており、味も上出来だ。
Yさんは肥料を買っていたが、私も同じ物を購入した。いや別に真似をするわけではないが、この肥料、単なる化学肥料ではなく、鶏の飼料のような砕いた魚粉のようなものに丸い粒状の化学肥料が混ぜられている。こういうのをたっぷり与えてやれば味もよくなるのだろう。 なにごとも、手間暇と智恵が必要なのである。
来年こそはと思いながら、年月が経つのだが、来年こそは、きっちり剪定をしていきたいと思っている・・・。
オットー・リリエンタールは羽ばたき飛行機を開発していた。 しかし、実際の飛行は無動力のグライダーによるものだ。リリエンタールは2,000回もの飛行試験をしているが、ついに高さ15メートルから墜落して亡くなってしまった。 ライト兄弟が飛行機の開発に関心をもつようになったのは、このリリエンタールの墜落がきっかけだという。 リリエンタールは教科書にも出ていたような気がする。動力飛行に命をかけた偉人として有名だ。 リリエンタールにしてもライト兄弟にしても、グライダーという無動力の飛行機は飛ばしている。空を飛ぶということに関しては、すでに成し遂げていたわけであるが、動力飛行ができなければはっきりいって社会の役には立たないのだ。ライト兄弟が初の動力飛行に成功したということは、そういう意味で革命といえるだろう。
私は、ゴム動力で羽ばたく羽ばたき機という模型を作ったことがある。いや別にたいそうなものではないのだが、昔からある竹ひごと紙で作る例のものだ。くりくりとゴムを巻いてやると、ぱたぱたと羽が上下に羽ばたく仕掛けになっている。飛ばしてやると鳥のように飛ぶのである。ほんの数秒の間だが、なんともユーモラスな飛び方に満足したものである。
しかし、大掛かりなもので羽ばたき機を見たことはない。おそらく作られていないのだと思う。そう考えてみると、自然の鳥たちはなんと偉大なんだろうと思ってしまう。
まあ、こんな偉大なことはできなくても、なにか社会に役立つことがしたいものだ・・・。
2003年12月17日(水) |
ライト兄弟から100年目 |
今日はライト兄弟の初飛行からちょうど100年目になる。それは1903年の12月17日。
 鈴木真二著『ライト・フライヤー号の謎』という本にこうある。 「今から100年ほど前の1903年、ライト兄弟はフライヤー号で人類初の動力飛行に成功した。兄弟が飛行機をつくりあげた過程は苦難の道でありながら「創造」の喜びに満ちていた。」「調べていくと、フライヤー号は、新しいものをつくりあげようとする兄弟の情熱と才能の結晶であり、そこには人間の創造的活動の苦悩と喜びが凝縮されていることがわかった。」
この本はライト兄弟の単なる物語ではない。初心者にもわかりやすく書かれた飛行の理論であり、昔の飛行機の歴史でもある。中にはむずかしい数式も書かれているが。購入のきっかけは、鈴木氏がインターネットのコラムで連載をしていて、そこから注文したのである。こういう特殊な本は、普通の本屋さんにはなかなか置かれていない。工学書のコーナーとかに行くことになるだろう。もっとも私は紀伊国屋書店とか丸善などに行くと必ず立ち寄るコーナーではあるが。
いつの時代でもそうであるが、新しいことを成し遂げるには偏見が付き物であるし、理解も得られない。この初飛行の時も、立会いは5人しかいなかった。それも地元キティ・ホークの人たち。名声を得てからも、苦難の道は続いたようである。ほんとうの栄光を得るには長い年月がかかるものである。その後の飛行機の華々しい発展の歴史においても、ライト兄弟の功績はあまり浮かび上がってこない。
こんな小難しい話をしても仕方がないのだが、きのう恵さんから「京都在住のらいらいけん氏」から電話があったと電話があった?? 「らいらいけん氏」は今や人間国宝お墨付きの次期人間国宝候補の漆器職人である。いやもっと早く作品を格安で買い占めておけばよかった・・・。お椀を一個しか所有していない。その後一気に5倍の値段を付けてしまっている。あー、悔やまれる。このお椀、まだ使っていないが、高くなるまでそっとしておこう。 恵さんによれば、作品作りに没頭しているようだ。鹿肉を食らいながら、テレビのない生活を営んでいるとのこと。そのくせ、インターネットなんぞはなかなかのお手前。氏の作品は、派手ではないが奥深さがあるように思う。といって私に作品を見る眼があるわけではないが、いいか悪いかぐらいは素人でもわかるものだ。
人間国宝の称号がついて、一個所有のお椀の値が上がるのを待つ今日この頃でもないか・・・。
年末が近くなってきた。
みなさんどのようにお過ごしでしょうか。まあこれは日記なのでおかしな話だが自問自答ということにしよう。 我が家では、年末は餅つきがある。といっても機械でこねるものだが、何升も作るので一日がかりでたいへんである。私の出番はほとんどないが、餡餅を食べることと、餅を親戚に配ることくらいだ。
野外でよくやる、餅つき大会でつくる餅の味はまた格別である。これもご飯と同じで、まきの火力のおかげで、もち米の味が違う。
話は変わるが、きのうN子から電話があった。地域で開催される『新春弾き初め』大会に出場するという。何年か前に新しく文化センターが建てられて、そのホールで毎年やっているようだ。なにを弾くんだというと、イタリア歌曲を歌うというではないか。『カロ・ミオ・ベン』『オン・ブラ・マイフ』(これ、ヘンデルじゃなかったかな)等々。それはそれでいいんだが、その伴奏をやれと・・・。それもサックスで。演歌ならOKだと言ったがどうもそういう場ではないようだ。
私事だが(日記なんだけど)、もう7、8年になるか、年末、年始は練習に明け暮れていた。毎年1月の第2週は、アンサンブル・コンテストがあり、ずっと出場してきた。その度に上田啓二先生には、年末ぎりぎりに来ていただいて指導をしてもらっていた。
来年のアンサンブル・コンテストにはひさびさにお休みすることにしたので、この年末、年始はゆっくりできるかなと思っていた。がN子からの電話である。年末までに練習をするというのだ。ああ、楽譜も作らなければいけない。サックスだけで伴奏なんかしたこともないので、てこずりそうだ。
逃れられない定めとあきらめるか・・・。
知り合いのMさんのパソコンの調子が悪いということで見てあげた。 で、調子が悪いということがわかったのである。で、すぐに自作パソコンでお世話になっているMさんにメールを入れた。即、見てあげますとの返事。こうしてすばやく反応してくれる人は好きだ。頼りがいがあるではないか。滋賀県のMさんもすぐに詳しく返事をくれる。あれ?Mさんばかりだ。私もMさんだ。
そんなことはどうでもよいのだが、このMさんは、ご主人がまったくパソコンにはさわらないということで孤軍奮闘されている。時々、ヘルプの電話が入るが、まあ私の知識で間に合う程度なのでなんとか場をしのいでいる。が今回は無理だろう。おそらく再インストールが必要な状況になっていると思われるからだ。自分のパソコンでも再インストールして何度も失敗した経験がある。人様のパソコンデータがぱあになったら大変である。ここは専門家にまかせるべきだろう。
Mさんの状況はおそらく深刻な状態だと思う。まず、ウイルスらしきメールががんがん入ってきている。聞くとセキュリティ・ソフトが入っていないのだ。調子が悪いのはウイルスのためかどうかわからないが、すぐにフリーズしてしまう。これではストレスが溜まる一方だ。自分のパソコンだけ使っているとそれに慣れてしまうため、悪さ加減がわからないが、こうして違うものをさわるとよくわかる。性能のよいパソコンを少しでも使うと、もう自分のパソコンに戻るのがいやになる。
それにしても、どうしてこうもパソコンの使い勝手が良くならないのだろう。高性能にはなって、それはそれでいいのだが、それよりも家電のように完成度を高めてほしいものだ。
週末には初の自作パソコンを組立なければいけない。情報ボランティア事務局長のMさんが、おそらく手取り足取り教えてくださるだろうからまあ安心だ。私も一応名ばかりだがボランティアメンバーの一員になっている。しかし、けっきょくスキルがなければ用なしに等しい。それには、一に勉強、二に勉強、そして実践あるのみだ。みんな無報酬で出かけているわけだが、人に教えるということは自分のスキル・レベルも大いにあがるだろうし、何よりも喜んでもらえることは何にもかえがたい収穫だと思う。 早くそうなりたいものである。
そういえば、このホームページ、yakoに教えてもらって作ったっけ・・・。
お休みします。
睡眠不足ぎみになっている。のであしからず。期待していた方、すみません。 あ、そうだ、恵さんに許可を取っていないが、ま、いいか・・・。
きょう、見つかった。写真のごとく10年前の『サライ』である。
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それにしても私の記憶はかなり鮮明であった。表紙はドンピシャ、野沢菜漬けが器に盛られている。カラメルもばっちり載っている。おお、レミー・マルタンも写真に写っているではないか。懐かしい・・・。
こうしてみると人間の記憶というもの、けっこうしっかりしている。立花隆氏のオーバー・フローした知識は次々と忘れ去っていくという論理は、こと私のケーキ作りにだけはあてはまらないようだ。
しかし新たな問題が持ちあがったのである。レシピにある「チャツネ」はこの号よりも三つ前の号に作り方が載っているのだ。これの記憶は残念ながら消え去ってしまっている。 チャツネとはカレーなどに入れるフルーツ漬けのことである。いろいろなフルーツをぐつぐつと煮込んで作る。そして1ヶ月以上熟成させるのだ。完成したケーキは最低1ヶ月以上、理想は半年の寝かせが必要とある。しかし記憶をたどると2、3ヶ月でカビがきたような気がする。ブランデーの塗布工程で、殺菌処理が不足したためであろう。
うーん、ちょっと悩むなあ。このケーキの味は、いいかえればこのチャツネの味でもある。普通のドライ・フルーツだけをぶち込んだものとは一線を画するまさに大人の味なんだから。
こだわりには悩みがつきものだ。
年の瀬がせまっているというのに、こんな道楽で時間を浪費する暇はない・・・。 やっぱり、yakoごめんか・・・。
『サライ』を検索してヒットした!
どうも10年前の1993年12月の号にあるようだ。というのが内容の目次しかなくて詳しいことはわからない。 それにこれがヒットしたのは『サライ』の公式ページではなくて、個人が運営するホームページだ。おそらく創刊号から収集されているのであろう。ところどころ所有していない号もある。 公式のホームページでは2000年以降しかバックナンバーがないのだ。
目次には「知的料理講座 台所が呼んでいる フルーツ・ケーキ」とある。おそらく間違いないだろう。それにしてもこの時から10年が経っているのか。歳をとるもんだ。この時つくったフルーツ・ケーキは、吹奏楽でお世話になっていたU先生に差し上げた。というのも、年末の忘年会を我が家で開催したとき、吹奏楽の連中が大勢集まってU先生も来られた。そして帰り際に妻といっしょに手渡したのをよく覚えている。妻が言った。「これ、主人が作ったんですけど、お酒をべたべた塗って味のほうがわかりませんが、よろしかったら召し上がってください。」これ、贅沢なケーキなんだけど、味のほうは好き嫌いがあるだろう。
後日U先生から、お礼の電話があった。かなり強烈で大人の味だったこと、奥さんがファンになられたこと等々。まあ、こうして道楽で好きなことをして悦に入っているのだが、懐のひろい妻に感謝している。いや、あきれているのかも・・・。
しかし問題は思い出話よりも、どうやってこのレシピを手に入れるかである。『サライ』のバックナンバーなら、購入すれば済むことだがこの場合はどうするべきか。はたと考えたが、メールで事情を話して送ってもらうしかないだろう。『サライ』に問い合わせして、10年前のバックナンバーの在庫があるか聞くことも必要だ。
ああ、いろいろとわずらわしいが、手間を惜しんでは、いい仕事はできない。 それに断念してはyakoに申し訳ないし。ひょっとして、こんなこと、とっくに忘れているか・・・。
フルーツ・ケーキのレシピが見当たらない。いろいろ探したのだが、ひょっとして処分したのかもしれない。 yakoのリクエストに応えられなくなりそうだ。普通のフルーツ・ケーキなら別にあわてることもないのだが、今回のものはちょっと内容が違って、かなり重たい。重厚な味なのである。 レシピといっても、これは『サライ』という雑誌に掲載されているもので、単にこれにしたがって作るだけなのだが。もう何年も前なのでよく覚えていないが、この『サライ』を処分するかどうか迷った記憶がある。定期的に、たまった雑誌類を新聞などといっしょにまとめて処分しているが、いつも捨てるかどうかで迷うのが常である。そしていつしか山のような不要品に取り囲まれる。
立花隆著の本の中の<『「捨てる!」技術』を一刀両断する>にはこうある。この本の著者は、ひと仕事終わるたびにどさっと資料を捨てなさいと言うのだが、これは継続性がない知的レベルの低い仕事にしか適用できないとバッサリ切っている。ほとんどカスみたいな本で、捨てる技術を使うなら真っ先に捨ててしかるべき本だと言い切っている。それにしてもこれがベストセラー本とはどういうことか。まあ、立花氏とは知的レベルがかなり違うのはたしかだろう。蔵書を保管するためにあの有名なネコビルまで建てている。
今までに得た知識などは、そんなに頭脳にためておくことはできない。記憶能力がオーバーフローすると、どんどん忘れ去っていくのである。だから、知識として得た内容の資料はとっておいて、必要な時引っ張り出して確認する必要があるのだ。レシピを頭に叩き込んでいる人は、職人と呼ばれる人達だろうが、菓子職人に限っては、きっちり計量するという作業があるのであてはまらないかもしれない。
知識の蓄積とは違うかもしれないが、楽器の練習も同じようなことがあるかもしれない。毎日少しずつ練習することで、技術が蓄積されていく。何年もやっていなくても、少し復習すると勘が戻るというか、おー、できるできると感じることがある。おそらく脳が覚えているのだろう。よくわからないが体が覚えるというけど、これも脳の働きではないだろうか。
こんなことはどうでもいいのだが、問題はレシピである。息子の部屋に料理関係の本は移動しているので、ちょっと探してみなければいけない。 記憶をたどると、カラメルを入れて大人の味を演出したような気がする。カラメルとは、砂糖を焦がして苦味を出したものだが、これを入れると全体がこげ茶色になって、見た目も普通のフルーツ・ケーキとは違い、重厚そのものになる。くるみも大量に入れたような・・・。 どうしていつもこうなのか。気になって捨てたものは、たいてい後になって悔やむものだ。
手がないわけでもない。『サライ』のバックナンバーを調査してみる手がある。表紙は覚えている。野沢菜がお皿にのっている写真だった。ということは、冬の号だろう。しかし、年代はまったくわからない。
インターネットの威力をためす時でもある。 こうして、無駄な時間を浪費してしまうのか・・・。
2003年12月10日(水) |
フルーツ・ケーキのこと |
きのうyakoからフルーツ・ケーキのリクエストがあった。
「例の木枠で作って!」だとよ・・・。まあ作るのはそんなに手間はいらないと思ったが、何年も前なので忘れてしまった。それに木枠をどこにしまったか。探してみたが、思ったところにはなかったし。それよりもレシピを探さなければ。木枠はもう一度作ってもいいが、レシピだけはなんとしても探さなければ同じ物ができない。ケーキ作りは精密な計量から始まるのである、だから。
パウンド・ケーキはケーキ作りの中でもどちらかというと初歩の部類にはいる。バター、小麦粉、それに砂糖を各1ポンドずつ混ぜるわけだから。まあ、1ポンドというと450グラムくらいあるから、そんなには作らないだろうが、等量という意味だ。パウンドはおそらくポンドの発音からきたのだろう。
そんなことはどうでもいいのだが、ここでいうフルーツ・ケーキはそれ自体どうってことはないが、仕上に秘密がある。ブランデーを何日もかけて塗りたくるのである。使うブランデーの品質で味が決まるといってもよい。要するに高級なものを使えばいいわけである。(内緒だが、yakoにブランデーとはもったいない、もったいない・・・。)しかし、味は騙せないしなあ。 このときは、VSOPのレミーマルタンを使ったが、ヘネシーなんかだと、またお味が違ってくる。もうケーキとはいえなくなる。こんなバカがいるのだろうか。コニャック愛好家に叱られてしまいそうだ。今回はみりんでも垂らしとけ・・・。
オーブンはいわゆるオーブンレンジという電子レンジなのだが、理想はガスオーブンだろう。そういえば、恵さんはパン作りにガスオーブンがほしいと言っていた。時々いただく自家製パンは作りたてということもあっておいしいが、ガスで焼けばさらにパリッとするのだろう。要は火力の違いによる熱の伝わりかただと思う。
あー、だんだんと話がずれてしまうが、炊飯器にも当てはまることである。ついにIH炊飯器を買ってしまったが、というか注文しているのだが、まだ来ない。パナソニックの新製品で、業界初、世界初(まあ、こんな炊飯器は日本でしか使われないないだろうが)のスチーム式のものである。蓋の側から高温のスチームが吹き出すのだ。これで色・つや・味がよくなるという宣伝文句につられた。家電店に調査に行ったが、残念ながら店頭にもまだ置いていない。
近くの行きつけのP電化に注文したのだが、念を押した。「ガス釜よりもおいしいか?」一瞬、間をおいて「は、はい。ガス釜よりもおいしいです。」予想としては、おそらくおいしいと思っている。我が家では、ガス釜の前は、いわゆる「電気がま」といわれる代物を使っていた。もう何十年も昔だ。ねちゃっとして、はっきり言っておいしくなかったのを覚えている。しかし、以前に兵庫県の社(やしろ)という田舎にあるパナソニックの炊飯器の専門工場に行った時、IHジャーは理論的に優れていると感じたのである。(日記に書いたか・・・)
理想をいえば、日本古来の葉釜がベストである。これにいかに近づけるかでしのぎを削っているのが現状だ。グルメとはある意味で、日本の昔に帰ることかもしれない。
この事後談は、また後日に。
自作パソコンの部品は発注したが、よくよく考えるとキーボードとマウスを注文していないではないか。これがなければパソコンもただの箱と化してしまう。 後で考えるとそんなに高価な代物でもないので、お店で実物を見てから買うのがよいかもしれないと、自分に納得させた。
ほんとうをいうと、これ、一番大事なものなのである。良し悪しで作業効率が大きく変わってしまう。ちょっとメールを打つくらいなら何でもよいが、仕事に使うとなると考えなくてはいけない。 仕事で一日中パソコンに向かっていると、腕、肩がおかしくなる。特に右手がいかれてしまう。時々揉んでやってはいるが、かなり慢性化してしまった。以前に整骨院に通ったこともある。先生から定期的に来たほうがいいですよと言われたが、まんざら商売上だけではないようだ。 特にマウスの操作はよろしくない。微妙な動きを腕全体でするため、かなりの力が入っている。同じ部分で力を入れるため、筋肉が固まってしまうようだ。
今回、「トラック・ボール」タイプのものを購入しようといろいろ調べた。 結構マニアはいるものだ。「トラック・ボール」愛好者のホームページがいろいろとある。以前から買ってみようとは思っていたが、なにしろお店にはほとんど置いていない。特に最近は少なくなってきている。それにわざわざマウスだけを別に購入するほどのこともないと思っていた。
しかし、ここにきて右腕がおかしくなるとそうは言っておれないのである。 「トラック・ボール」とは、指先でマウスに付いているボールを転がしてカーソルを動かす方式のことである。だから、マウス本体を動かす必要がない。右腕にいらぬ力が入らないので、疲れも違うだろう、と思っている。需要が少ないのは、おそらくその性能を知っていないためではないだろうか。パソコンを買ったときに付いてくるマウスは安い汎用タイプだ。それが当たり前と思って使っているのである。だから「トラック・ボール」タイプがいいか悪いかわからないのだと勝手に思っている。
それが今回どうなるか証明される時がきた。じつは、これに似たケースを体験している。 はじめて携帯電話を買うとき何にするか調べたが、その結論はパカッと開くNECのN502i」というタイプだ。この頃は、まだ普通の長細いものが主流だったが、総合的にパカッ・タイプが優れていると判断した。結局、今や携帯電話はこのタイプに変わってしまったのである。外国では早くからパカッ・タイプがあったが、どういうわけか日本は何事も遅い感がある。その時の主流についていくというか・・・。
まだ、「トラック・ボール」を使っていないので、なんとも言えないが、これからワッと増えてくるような気もする。試用リポートに乞うご期待・・・。
今、『石鎚山のおいしい水』を飲んでいる。2リットルのペット・ボトル入りのものだ。特においしいと思って飲んでいるわけではないが、早い話が健康のためということになる。 じつは、俗にいう健康補助食品をこれで流し込んでいるが、水の効能とともに、はたして効いているのだろうかと最近思うようになった。いっしょに恵さんからいただいた「にんにく卵黄」も鼻を押さえてぐいッとやる。 まあ、風邪などの薬と違って即効というわけにはいかないだろうが、効いたかどうかわからないというのもなんだか無駄遣いをしているようで心もとない。もう3ヶ月になるのだが、まだ3ヶ月と思って続けるしかないと言い聞かせている。
水に関しては、ずっと前から興味があったが、奥が深くおもしろい。しかし、それじゃあ、どの水が体に良いのかとなるとむずかしい。浄水器のメーカーは日本に何百とあるが、自社の宣伝ばかりで公平にみたものは少ないのである。
以前に『料理の達人』という番組があり、そのスタジオ・キッチンで「シーガル・フォー」という浄水器が使われていた。お値段は張るが、性能は高い。アメリカ製だったと思うが、世界的に使用されているようで、一度使ってみたいと思ったこともある。しかし、こんなことで出費するなど考えられない。妻の機関銃のごとく発射される反論に打ちのめされるのは明らかなのだ。
最近、お宅の水の状態を検査してあげますと言葉巧みに上がりこんできた業者がいる。水道水に試薬を混ぜて黄色に変色するのを見せるお決まりの手口である。この試薬は禁止されているようなのだが、都合がいいのでまだ使われているようだ。 その浄水器は数種類のセラミックの玉を積めたタイプで、おそらくグレードとしては高級な部類に入るものだった。しかし、売り方がいけない。リースしかないということで、解約もできない。まあ、お金があり余っている人が買えばいいと思った。とにかく高いのである。数はあまり出ないだろうが、その分、金額で稼いでいるといった感じである。
水は健康補助食品以上に効能が現れるのは遅いだろう。とくにおいしいと思わずに飲むのはけっこう苦痛だ。いいかえれば岡山の水は、市販のミネラル・ウォーターに比べてもひけをとらないレベルといえるのかもしれない。
車で行けるところにも名水がある。近いところでは、全国の名水百選にも選ばれている雄町の冷泉がそうである。雄町といえば、酒米で有名な雄町米のふるさとでもある。 この雄町の水も、元は旭日川の伏流水なので、私が飲んでいる水道水と同じといえばいえないこともないだろう。
ちょっと週末はこの水をためしてみるとするか。新しい「にんにく卵黄」も手に入ることだし・・・。
きょうは日記のネタ切れとなったので、恵さんにヘルプTELをした。
一応お休みのお許しはいただいたが、「あ、そうそう、こんなのはどう?」とか言って、結局アップするはめになってしまった。
お友達に録画したDVDを渡したのだが、映らないという。ただそれだけなのだが、これに尾ひれでもつけて書くしかない。
DVDにはプラスとかマイナスとかあってわけがわからない。今のところDVDに関してはまったくの素人状態である。 普通に売っているDVD・Rという録画できるものは、DVD−R(マイナス)といってDVDプレイヤーで見ることができるはずなのだが・・・。 よくわからない。滋賀県のMさんは、DVDをよく使っておられるようなので、一度お聞きするのがよいかもしれない。
まあ、こうして事あるごとに勉強していけばいいことだ。別に知らなくても生活に不自由するわけではないが、知的好奇心というものは必要だろう。
きょうも、飛ばすことなくアップできた・・・。
きのうの夜、もう遅くなったので寝ようと、娘が眠っているベッドにそっと身体をもぐりこませた。しかし、蛍光灯はこうこうとついているし、テレビは筑紫哲也の番組で盛り上がっている。 妻はそばで、仕事にいそしんでいる。もう1時がこようとしているのに・・・。
半分うとうとしていた時、私はむっくと起きあがった。テレビが秋吉敏子の話題を話し出したのだ。秋吉敏子ジャズ・オーケストラが日本の神楽と競演するという内容だった。 それよりもちょっとびっくりしたのは、秋吉のオーケストラが解散するというのである。先日の日記でも、岡山での公演について綴ったばかりだった。 夫君である、ルー・タバキンのホームページを見ると、すでにカーネギー・ホールでお別れコンサートが終わっていた。 http://lewtabackin.com/index2.html
世界No.1のビッグバンドが解散とは、世界の音楽事情も変化してきているのかなと思ったりもする。
いや、じつはルー・タバキンには思い出があるのだ。 もう22、3年前になると思うが、東京であるビッグバンドを主宰しているI氏の紹介で、ルー・タバキンのクリニックに参加した。I氏もまさか岡山からテナーサックスをひっさげてやってくるとは思っていなかったのだろう。 びっくりしていた。それ以上に、感激していた。そして、このクリニックは私のために開催しようとまで言ってくれたのだ。 クリニック自体は、4、5人ほどで、ある専門学校の教室でおこなわれた。生徒もおそらくI氏の関係の人なのだと思う。
I氏はルー・タバキンに私が岡山からやってきたこと、そして岡山の場所の説明をしていたが、ルー・タバキンはヒューと口笛を吹いて、よく来てくれたという仕草をしてくれた。 クリニックでは、最初にルー・タバキンが先生の演台でいきなりアドリブを吹きだした。我々生徒はその前で楽器を持ってすわっているわけだ。 次に順番に言われたように吹き、クリニックを受けていった。倍音のレッスンであった。ジャズでよくやる、最低音のB♭の指使いで、次々と倍音で上がっていくやつだ。ルー・タバキンは華麗に駆け上っていった。生徒は倍音はたいてい二つまでだ。
そして休憩に入ったが、なんとルー・タバキンが楽器を吹かせてくれたのだ。どうもかなり吹きたそうに眺めていたのかもしれない。鈍い光を放つゴールド・プレートのセルマーである。思ったより、以外にも吹きやすかったことを覚えている。 さらにうれしいことに、私の楽器を吹いてチェックしてくれた。コメントは「私の楽器とよく似たコンディションだ」と言ってくれた。 I氏は、この時の写真を後日送ってくれた。
まあ、他人にとってはたわいもないことだと映るかもしれないが、一生忘れることのない想い出となって心に刻まれている。
そんな感慨にふけりながら眠りについた。朝、目を覚ますと、妻はすでに仕事をしていた・・・。
柳田邦男著「妻についた三つの大ウソ」から一つ選んで本のレビュー。タイトルは『人生の復習』
『「誕生日のプレゼント、何がいいかね」私が聞くと、妻は「CDを聴けるラジカセが欲しい」といった。〜しかし、ラジカセを買っても、肝心のCDソフトがなければはじまらない。今度は、同じビルのレコード店に入り、バロックやモーツァルトの曲から3、4点選んでプレゼントしようと思い、ずらりと並ぶCDの背文字を追った。すると、「パッヘルベルのカノン」という標題が目に入った。〜』 こうした書き出しでエッセイははじまっている。この中で、忘れられない二つの曲について語られている。
『パッヘルベルのカノン』は、取材のためのアメリカ行きの機内で見た映画『普通の人々』で聴いている。内容は、平凡なビジネスマン一家が、ボート事故で長男を亡くしてから家庭が崩壊していく物語であるが、そのテーマ音楽に『パッヘルベルのカノン』が使われている。 最後の寒々としたラストシーンで流れる「カノン」は、氏にとって忘れ難い曲として心に焼き付けられていくのである。 その後、この『パッヘルベルのカノン』を聴く機会がふたたびおとずれる。ベルリン・フィルのコンサートマスターから、東京での弦楽合奏団の演奏の招待があり、その冒頭で静かに奏ではじめられたのがこの「カノン」だった。そして、その妙なるハーモニーの虜になってしまったとある。 こうして、映画『普通の人々』と二重写しになって、曲自身が人生の中で生きたものとなっていくのだと思う。
もう一つの曲はモーツァルトのピアノ協奏曲第二十三番K488である。 この曲が氏にとって忘れられないものとなったのは、画家東山魁夷さんの展覧会である。 有名な『白い馬の見える風景』の展覧会で流れていたのが、モーツァルトのピアノ協奏曲イ長調第二楽章であった。氏は「その時は、《このぴったりとした選曲は誰のプロデュースなのだろう》ぐらいに思っていた・・・」とあるが、会場で買った画集に東山氏自身が絵とこの曲とのかかわりを記述していたのである。 「このとき以来、妻にとっても私にとっても、『あの世に旅立つ日にかけてほしい曲の一つ』となったのである。」と書かれている。
このエッセイを読んで、思った。映画『普通の人々』を見よう、そしてモーツァルトのピアノ協奏曲も聴いてみなければ・・・。 単なる好奇心でしかないが、それでも、同じ気分に浸ってみたいものだ。
エッセイの最後はこう締めくくられている。 「CDで買いたい曲を選ぶのは、何だか人生を復習するような気分だな、〜」と。
思いでの曲は誰しもあると思うが、人生を復習するような気分で聴ける曲があるかなあ。うーん、人生を反省する曲しかもっていないよ・・・。
ここに『妻についた三つの大ウソ』という文庫本がある。柳田邦男著である。
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タイトルが妙に気になって買ったものだが、妻についたウソを全編にわたって弁解しているわけではない。40編ほどのプライベートなエッセイ集となっている。この中の一つを本のタイトルにしているわけであるが、なんとも興味をそそる付け方に目を細めてしまった。 まあ、私の場合、三つや四つではないのだから、タイトルのような格好いい見出しにはできないだろう。『妻についた数え切れないウソだらけ』とか・・・。
エッッセイの内容はこうである。 広島のある喫茶店で、取材のためK子と会った。プライベートな魂胆もあったようだ。その時K子から「お酒と煙草はやりますか。」と聞かれたが「いいえ」と答えてしまった。煙草はやらないが、酒は底なしの状態だ。 そしてまもなく二人は結婚することになるわけであるが、これが大ウソとわかるのである。そして二つ目は、バーでの付け。結局、結婚後そのバーは閉店してしまって未払いのままだ。最後は、奨学金の返済額がほとんど残っていたこと。どうも独身時代は、飲み代に消えてしまっていたので、結婚後に支払うことに。
まあ、これらはたわいもないと言ってしまえばそれで終わりのような気もするのだが。タイトルにするような内容でもないし、ほかのエッセイのほうが断然おもしろい。おそらく、私のようにタイトルに促されて買う読者目当ての『妻についた三つの大ウソ』なのだろう。
「あとがき」にこうある。 「プライベートなことを出版物にして、見ず知らずの読者に伝えるというのは、妙なことかもしれないが、私は《読者は友人だ》と考えているから、読者となると見ず知らずであっても、つい私語を交わしたくなってしまうのである。」
ちょっと共感を覚えたのである。私の場合、愛読者はわかっているから、見ず知らずとは言えないかもしれないが、《友人》に話をしているようなものかもしれない。恵さんなんか、ちょっとさぼるとすぐに催促の電話がくる。寝たい時なんか、くそっ!と思うこともある。が、これ、けっこう、後押しの推進力になるのだ。何でもそうだが、なかなかひとりでやり通すことはむずかしいものだ。
最後に、本の紹介にはこうある。「天文や気象に魅かれ、夢見心地で空ばかり眺めていた少年時代。シューマンの歌曲に激しく心動かされた高校時代。そして大学卒業後、古き良き時代のNHKに入局。デンスケ担いで飛び回る駆け出し記者の日々が始まった。そこで出会った妻。人生は、些細でありながら重要な日々の積み重ねからなる。」 ふーむ・・・。
10月にハワイアンの例会が終わってから、ずっとご無沙汰続きになってしまっている。
寒いのだからハワイアンでもないだろうが、活動は年中が基本だ。そういえば忘年会で演奏したこともある。バンドはそれなりに着込むので、そうでもないが、フラの連中はけっこう寒いかもしれない。まあ、激しく腰を振るのでかえって汗をかくというのが正解か。
今年も活動はこれでおしまい!と思っていた矢先にハワイアンクラブのF嬢から電話があった。12月にパーティーをしたいので幹事をしてくれと言うのだ。ちょっと断れない。いろいろとお世話になっているのだから。このパーティー、年に何回か行なわれているが、今まではF嬢が一手に段取りをされていた。 司会はyakoで決まりだが、さてホスト・バンドをやるとなると、うぅ、練習していないではないか・・・。それにそれに年末に向けてみんな忙しくなってくるので、メンバーがそろうかも心配だ。 毎回高知のバンドも参加されている。やはり意気込みが違う。1ボックス・カーに音響機材も積んでキャラバン隊よろしく移動しているようだ。
しかし、うちのバンドにはそんな元気はない。それにボーカルがyakoひとりでは心もとない。そうだ、恵さんを呼び込むとしようか。聞くところによると、けっこうカラオケでストレスを発散しているようだ。カラオケも単なる息抜きだけでは、私としては許せない。どうせやるからには発声法から出発してほしいものである。 そういえば上田啓二先生が、サックスも声の発生を勉強する必要があると言われたことがあった。そして推薦された発声法の本を購入したのだった。CDまで付いている。声帯やら、筋肉やら小難しく書かれていた。これでも勉強してもらうとするか。私もちらっと目を通しただけなので、恵さんに押し付けるのも無理な話だろうが・・・。
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ああ、年末がせまってくる。動きがとれないとあわてふためいていたが、結局このパーティ、延期ということで話しがついた。ふー、ちょっと息をした心地である。
それよりも『アメリカ橋』を練習しなくては。いやいや、こんなばかなことばかり書いていて妻にでも見られたら大変だ。ここでペンを置く・・・。
2003年12月02日(火) |
ビッグバンド・ジャズ |
自作パソコンでお手伝いをしてもらっている情報ボランティアのMさんは、きょうシンフォニーホールで開催されたジャズシンガー「綾戸智絵」のコンサートに行かれたようだ。
この日記をご覧になって、さっそくメールをいただいた。MさんもいつもBGMにジャズを流しておられるということである。私の場合はたまにしか流していないな・・・。 昔はジャズ一辺倒だったが、最近はどうも聴くものが多すぎてわけがわからなくなってしまった。それに、ジャズを生で聴くことも少なくなってしまった。先日のyakoが出演するライブもお誘いを受けたが、ついに行けずじまいだった。 どうもこの日記、回顧録みたいになってしまったが、若かりし頃は結構あちこちに走り回っていたということか。
学生の時代にやっていたジャズ・バンドの影響から、ビッグ・バンドのコンサートによく行っていた。有名どころでは、『カウント・ベイシー楽団』。御大がまだ健在のころだ。大阪厚生年金会館と大阪フェスティバル・ホールに計2回行った。その時の感動は今もって冷めないのである。あの大きなホールで、ほとんどマイクの音を絞った音響設定がされていた。黄金のリズム・セクションと絶賛されたフレディ・グリーンの、生のリズム・ギターが「シャッ・シャッ・シャッ」と小気味よいリズムを刻む。ぞくぞくものだった。よく聴くと、ちょっとずれている。遅れているのだ。お歳のためかと思ったが、どうも違うようだ。これを絶妙なリズムというのだろう。
その後、はまっていたビッグ・バンドは『秋吉敏子とルー・タバキン・ビッグ・バンド』。こちらは、岡山の市民文化ホールであった。このバンド、今でも世界トップのビッグ・バンドである。曲は秋吉自身の作・編曲ものばかりである。テレビでも時たま放映されることがあるので録画している。
この時のエピソードがある。 メンバーが到着してバスからみんな降りた。運転手も休憩にいって不在の中、ひょこっと元カウント・ベイシー楽団に在籍していたフルートのフランク・ウェスがやって来た。そしてバスのドアを開けようとするが当然開くはずもない。そしてあきらめてホールのほうへ帰っていった。
ステージが始まり、迫力ある生音を堪能していたが、演奏の途中でルー・タバキンがなにやら舞台袖に向かって手招きしている。演奏中なのでスタッフが袖で躊躇していたようだが、御大の「カモン」で走りこんできた。ルー・タバキンの左隣りのアルトサックス奏者(だれだったか忘れたが)にそれを渡すと、すぐさま組み立てたと思うや、スタンドしてソロが始まった。この人、持ち替え楽器のソプラノ・サックスをバスに忘れてしまったのだ。おそらく運転手が喫茶店にでも行って、なかなか見つからなかったのだろう。プロたるものの一面を垣間見た思いだった。ひとつは地方巡業?でのハプニング。そして御大のすばやい反応。
ルー・タバキンへの敬愛は他にあるが、別にまたすることにしよう。
情報ボランティアのMさんからは、パソコン・パーツの推奨組み合わせ案がメールされてきた。いろいろ雑誌、インターネットで調べたが、結局深みにはまっていくだけで余計わからなくなってしまった。 この際、推奨案どおりにするのがベターのようである。餅は餅屋なのだから・・・。
2003年12月01日(月) |
アルトサックスのジャズ |
アルトサックスのアート・ペッパーと同じく、ウエスト・コースト・ジャズの雄としてトランペットのチェット・ベイカーがいる。 彼のCDはまだ持っていないと思うが、何年か前にNHK・BSで放映されていた大橋巨泉のジャズ番組で見たことがある。この番組ではその人の特徴がよく表れた名演を放送するわけだが、この時のチェット・ベイカーはヴォーカルもやっていた。死を暗示するかのような名演ということだった、と思う。顔は痩せ細って幽霊のようだった。おそらく麻薬などに侵されていたのだろう。ヴォーカルはぼそぼそとしゃべっているようで、歌とは思えなかった。 しかし、ジャズとは魂の歌なのだから心の内面が表現できて、共感を呼べばOKなのだ。はて、日本人にとってそういう表現方法は何だろう。民謡?演歌・・・。
アルトサックスとしてもう一人、ポール・デスモンドがいる。 もう30数年以上前になるが、いわゆるステレオという代物を買ったときレコードも少しずつ買い足していった。主に歌謡曲やらギターの演奏が多かったように思う。そんな中ではじめてジャズのレコードを買ったのがデイブ・ブルーベック・クァルテットの『テイク・ファイブ』であった。意識して買ったわけではなく、1,000円の廉価版として売られていたので何気なくという感じだったと思う。
ポール・デスモンドはジャズ・サックスの中でも特異だ。それはなんといってもその音色にある。軽やかで澄み切っている。音質としてはクラシック系といったほうがよいかもしれない。アルトサックスで彼と同じような音を出すプレイヤーを聴いたことがない。音質でいえば、テナーサックスの大御所、スタン・ゲッツが、澄んだクラシック系の音を出しているが、こちらもウエスト・コースト・ジャズである。
学生時代、学校のジャズバンドに入っていたこともあり、よくジャズのレコードを買ったものである。それまで、ジャズなどにはまったく興味がなかったが、縁するもので人は変わっていくものだ。 そういえば、京都在住の「らいらいけん」氏もジャズバンドをやっていたような・・・。
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