管理人トシの日記

2003年10月31日(金) ギター演歌

ソニーCD Clubの注文案内がきた。

どうも最近、ジャズ・コースをキャンセルして他のCDを注文するケースが多くなった。ほっておけば自動的にジャズ・コースのCDが届くのであるが。
いや、ジャズにいいのがないというわけではない。それよりも他に欲しいのがあるからだ。両方となると出費もかさむし・・・。2枚目もほかのにするかもしれない。まあ、そんなにジャズに対して「おたく」状態ではないということだろうが。

今月は、ちょっと迷ったが、ギター演歌にしようと思う。すでに亡くなった木村好夫のアルバムである。木村好夫のレコード、CDは持っていないが、テレビの歌謡曲の伴奏なんかでよく出演していた。まあ、演歌ギターの大御所である。

冊子の紹介にこのようにある。
・・・木村好夫の演奏の特徴は「歌うギター」と言われたように、歌詞や楽曲のイメージを大切にした独特の奏法で、力強さと共に繊細で哀愁に満ちたその音色は聴衆の心の琴線を揺さぶり、演歌・歌謡曲の演奏家として他の追随を許さぬ魅力があった。・・・あの顎鬚の風貌には似合わない優しい心をもっており、緊張が続く録音の時など、他の演奏者が間違っても冗談を言ってその場を和らげるなど気遣いを忘れなかった。・・・と。
まあ、聴くとわかるが、ギターで歌っているというのがぴったりの演奏だ。木村好夫は、天童よしみ、五木ひろし等の作曲も手がけている作曲家でもある。
はじめて買うCDの内容はどうだろうか、ちょっと期待できる。

そういえば先日、テレビで歌の番組をしていた。いや、大きい声では言えないのだが。ギターの伴奏の曲で、ギタリストがステージに出て歌手と並んでの演奏となった。びびりが一ヶ所とミストーンが一ヶ所あった。森 進一といっしょにやるとなると、かなりの緊張はやむをえまい。それと、バンドの中で伴奏しているのと、ステージの前に出ての演奏とは勝手が違うだろう。

上田啓二先生は、ミストーンに関しては厳格である。今まで先生の演奏を聴いたかぎりでは、一度もミストーンはなかった。やはり、プロたる所以であろう。

ギターの練習も発表会以来、さぼりぎみだ。左手の指先がすぐに柔らかくなってくる。先生の指先は、弦の跡がくっきりとついている。今でも何時間も練習されているのだろうな・・・。



2003年10月30日(木) アナスタシア

今日の夕方、携帯が鳴った。通知不可能者からだ。相手はK・恵さんからだった。

あわてた様子で、すぐにテレビをつけろというのだ。ちょっと横になっていたので半分ぼけたかっこうだ。えーと、テレビはすでについていた。娘がなにやら見ているようだ。

K・恵さんが、「例のヴァイオリンですよ!いまやってるから見て見て!」とわめいている。はーてなんのことやら・・・。少し正気になってきたので、意味がわかった。ロシアの美人ヴァイリニスト・アナスタシアが、NHKの『きびきびワイド』に登場していたのである。中林淳眞先生が出演された”あれ”である。

チャンネルを娘にお断りして切り替えた。あ、ビデオをとらなければ。ない!生デープがない!すかさず、娘が「私の使っていいよ。」とテープを差し出してくれた。いいとこあるわい。
さっそく録画ボタンを押した。そういえば私は、録画に弱い。失敗率が高いのだ。一抹の不安がよぎる。
どうも様子がおかしい。この音はチェロではないか。なかなかアナスタシアの美貌が現れないのだ。
娘が言った。「おとうさん、クインテットなんかとってどうするの?」愕然とした。3チャンネルになっている。すぐに5チャンネルに切り替えた。この間、約1分。あー、貴重なインタビューをとり損ねてしまった。
曲にはいった。サラサーテの『チゴイネルワイゼン』
こんなに間近で見ることができるとは、うれしい。もろに生音を聴いているように、リアルにノイズまでわかる。このヴァイオリン、ストラディヴァリ?あめ色に輝いている。改めてCDジャケットを見た。あー、今度のシンフォニーでは、これにサインが入るか!わくわくする。



しかし、ちょっと残念だった部分がないわけでもない。うーん、おそらくお化粧をしていないのだろう。あまりにカメラが近寄りすぎた感がある。肌のすみずみまで写し過ぎだ。私には、アナスタシアの目のさめるような美貌というイメージしかないのだから、そんなに、接近せんでくださいな・・・。

それにしても,K・恵さんには感謝感激だ。このアナスタシアのチケットを手に入れるため、あっちこっちに走ってもらった。どこも終了で、最後に山陽放送まで足を運んで、最後の2枚をゲットしたというのだ。
これをおあつらえと言わずしてなんと言おうか。あれ、言葉が変か。



2003年10月29日(水) 『家路』

小澤征爾の弟で音楽ジャーナリスト小澤幹雄氏が、プラハでのコンサートについて記述していた。

あれっと思ったのが、チェコのハヴェル大統領が小澤征爾、ヨーヨー・マらと共にチェロを持って並んでいる。きちっと蝶ネクタイをして、なかなか決まっているではないか。弾くのだろうか?おそらく芸術家であるハヴェル大統領、そうに違いない。
そういえば、アメリカのクリントン前大統領もジャズをテナー・サックスでやっていた。なかなかの腕前のようだ。

ドヴォルザークの曲をやったようだが、『新世界』の中にある『家路』について興味深い話しがされている。小澤征爾と弟の小澤幹雄氏が中学の頃の話である。
小沢征爾のクラスで、音楽の時間、『家路』の合唱をしていた時のことだ。ひとりだけ親元を離れて通っていた子がいたが、合唱の途中で急に教室を出ていった。そのまま、親元に帰っていったというのである。
『家路』にはそういう郷愁を漂わせていると思う。

じつは、私にとっての『家路』はどうかというと、これも中学の頃に遡る。
音楽の先生は池上先生という。声に張りがあり、とてもエネルギッシュな先生で、授業ではよくレコードをかけてくれた。歌曲がお好きなようで、いつもレコードに合わせてドイツ語で歌っていた。
ある夏、蒜山に学校からキャンプに行ったが、池上先生も同行された。夜のキャンプ・ファイヤーで、先生がこの『家路』を歌ってくれたのだ。
「遠き山に 日は落ちて・・・」このメロディーと詩、そして池上先生の歌声が私の心に焼き付いている。
哀愁を帯びたメロディーは、その時のなにかしら、さみしさがこみ上げる心に染み入ったのであろう。

『家路』は『新世界』の中の一曲だということは、後年になって知った。しかし、この曲は私にとって、あくまで『家路』なのである。聴くたびに、その時の情景が思い起こされる。

それにしても、日本の政治家に芸術家はおらんのかねえ。物質社会はもう終わりだというのに。

文化・芸術の少しばかりのお役に立てればと、地域祭りに精出す毎日である。





2003年10月28日(火) 演奏会シーズン

サックス・クァルテット「ラ レゾナンス」のコンサートが近づいてきた。

じつは先日、近所のTさん宅に行ったら、なんと「ラ レゾナンス」のポスターが貼ってあるではないか。本物のポスターを見るのははじめてである。S君からHP掲載用にメールで送ってもらったときは大きさがわからなかったが、思ったよりも小さい。そりゃそうだ。大きなポスターはお金がかかる。

Tさんにどうしてと聞いたら、知り合いの娘さんがメンバーだそうだ。しかし、名前は「えーと、どういったかなあ・・・。おかあさん、わかる?・・・。」まあ、そんなもんだろう。
これからコンサートが目白押しとなる季節だ。要チェックといったところか。

娘のピアノ・コンクールも来月にある。いや、コンクールというとおこがましいが、民間のローランド社が開催している一応予選有りのコンクールだ。はっきりいって娘はピアノが大きらいなのである。それを親の権威で押し付けてしまっている。ピアノにさわることは苦痛以外のなにものでもない、と思う。が、習い事と称してやらせている。当然、普段練習するわけもなく、上達するはずもない。それでもコンクールなんぞに出場する。予選はテープ審査である。ポイントはこれか。カセット・テープよりはMDとかCDのほうが雑音も少ないし、音もいい。要するに録音に気を使って、いい音、いいバランス演奏を送るわけである。
これで、小学生低学年の部に引き続き、今年も高学年の部に通った。娘にとっては複雑な気持ちであろう。練習しなければいけないし、暗譜も必要だ。先生の意向で曲も変更した。

やっている曲は、162のハイテンポでがんがん弾く必要がある。リズムの音源が入るので、弾き損なうとたいへんだ。しかし、1ヶ月を切ったというのに120のテンポでもおぼつかない状態だ。子供ちいうのは幸せなもので、悩むということを知らない。先生と親の心配をよそに、適当に弾いたらすぐに遊びに没頭してしまう。
先生がみかねて、リチャード・クレーダーマンの『渚のアデリーヌ』をすすめたが、がんとして聞き入れない。ゆったりした曲は、どうも性分にあわないようだ。

当分、頭の痛い日々が続きそうだ。



2003年10月27日(月) 演奏、無事終了

きのう、エキストラで頼まれた敬老会が無事終了した。

いや、無事ということを強調したいのは、じつはその前日のリハーサル?でちょっとトラブルがあったからだ。まあ、こういうことは今後も起こりうるので、ちょっと書いてみたい。

敬老会という催し特有のものかもしれない。バンドの音が大きいということでクレームがついた。クレームという言い方はよくないかもしれない。あちらの担当の方は、ほんとうに悩んだことだろう。それ以上に、取次ぎをして間に入った吹奏楽団の担当者は眠れない夜を過ごしたかもしれない。

公民館の板の間ということもあり、かなりはでに響くのだ。メンバーも思ったに違いない。えー、ちょっとなあ・・・。
指揮者のM氏、ちょっと切れやすい。険悪なムードが漂う。「フルートとかのやさしい曲にしていただけませんか。お年寄りがびっくりするといけませんので・・・。」
しかし、M氏はゆるめない。あー、これはたいへんだ。こういうとき、間に割って入る人が必要だ。要するに調停役。こういう人は、1ランク上の対応ができなければいけない。そういう人が現れる前に、時間切れとなってしまったが。おそらく一晩を置いて、いろいろと協議がされたのだろう。うーん、自分だったらどうするだろう。まず、1時間とは長すぎるので、数曲激しいのをカットするのがよかろう。コンサートではないのだから。

日があけて当日。あー、どうなるんだろう。けっきょく打ち出された対策は、演奏の最初に、全員で歌う『四季の歌』をやって、そこでお年寄りの皆さんは解散、あと、婦人会の人達が演奏を聴くということになった。ほんとうは、最後に歌うことになっていたものだ。

蓋をあけるとどうだろう。『四季の歌』のあと、お帰りのアナウンスをして促したが、だれひとりとして帰ろうとしないのである。それどころか、演奏前から、期待の拍手が鳴った。ほんとうに大丈夫なんだろうか。いきなり派手なマーチをやっても。

婦人会の担当者の心配をよそに、演奏が進むにつれ、だんだんと盛り上がってきた。懐かしい曲では、みんな口ずさんでいる。係りの人が気をきかして、マイクを渡してあげている。よしよし、いい調子だ。ブラスの連中の耳をつんざくハイノートにも、倒れる人は出なかった・・・。M氏の流暢なトークも入り、1時間の演奏はあっという間に過ぎたのであった。

お世話をしたみんなは、ほんとうにほっとしたことだろう。ぐっすり眠れるにちがいない。

人間、いろんな場面で試されることが多い。どう決断して行動するか。
人はこうして成長していくのかと思った。



2003年10月25日(土) バリトン・サックスの音色

今、エキストラでバリトン・サックスを吹いているから書くのではないが、今日たまたま、車のラジオを聞いていたら、名曲リサイタルでバリトン・サックスの演奏があった。

演奏は、栃尾克樹。アルモ・サクソフォン・クァルテットのバリトン・サックス奏者だ。最初は、『プロヴァンスの風景』なんかをアルト・サックスで吹いていたが、最後にバリトンを演奏した。
曲はサン・サーンスの『白鳥』。いや、はっきりいって私のぼろ車から発する音は、チェロそのもののようだった。こんなにも音域がと音質がぴたっと合っているとは、ちょっと感激してしまった。

ずっと昔、広島のH君がコンサートで、バーバーの『弦楽のためのアダージョ』をじつにすばらしい音質で吹いていたのを思い出した。

バリトンはけっこう歌える楽器のようだ。それに吹きやすい。

いまは、ポロン、ポロンとギターで『白鳥』を練習しているが。ひょっとしたら、来年の発表会にやるかもしれない・・・。



2003年10月24日(金) 復活

ドアフォンが鳴った。

昼の間に、P電化の人が来て直してくれた。修理代千円なり。最初はあれやこれやとつついていたようだが、結局、原因は私にあったのだ。それは、ドアフォンと電話機をつなぐケーブルに問題があったようだ。ふつう、電話機には2芯のケーブルがつながっているが、ドアフォンとの接続は6芯ケーブルになっている。今回使用したケーブルは、途中をつないだりしたものだが、どうもこれがおかしいらしく、新しいのに交換したら直った。

まあ、いまどき修理代が千円とは頼もしいではないか。修理代というよりは部品代なんだが。今回のケースは故障ではなく、接続ミスということになるからデオデオだったら、出張費をガッポリ取られるところだった。これで次に買う予定のIHジャーの付けをつくってしまったが、地元のお店にも少しは貢献しなければいけないだろう。

古い電話機に戻したことで、内線通話もファックス機よりは自由にできるようになった。ファックス機では、内線で呼び出しても、相手が取るまでは鳴りつづけるが、このデジタル機は、相手が出なくてもスピーカーフォンでしゃべることができる。相手が言っていることもわかる。
これ、どういうときに便利かというとこうである。子供を「ご飯ですよー。」と呼んでもテレビを見ているときなんかは、出ようとしない。そんな時は、テレビの音でわかるので、妻ががなりたてるというわけである。子供も降参してやってくるということになる。もしいなければ、物音がしないのでわかる。

古いタイプがだめかというとそうばかりではないのである。
2,3日前に、学区秋祭りのスタッフの人からステレオアンプをもらった。まだ持って帰ってからよく見ていないが、今使っているアンプよりはグレードも高そうである。重さが違うのでおそらくパワーもあると思う。ツマミ類も豪華だし。

そこで急に思い立った。20年以上前に購入したヤマハのスピーカーがお蔵入りしているのだ。このスピーカー、ヤマハ特有の、高音がしゃんしゃんとよく鳴る。とくにドラムのハイハットやシンバルの音が気持ちよい。しかし、ウーハーのエッジがぼろぼろになって、もう音はまったく出ない状態になっている。捨てずに持っていてよかった。20年ぶりにまた息を吹き返す時がきたのだ。

どうするか。ウーハーのエッジを取り替えるのである。インターネットで調べると、スピーカー修理工房というのがたくさんある。しかし、けっこう値が張る。外国製の高級スピーカーを修理するのがメインのようだ。一個修理すると数万円する。これでは、新品のいいのが買えたりする。まあ、JBLの100万円以上するスピーカーだったら修理して息を吹き返す意味があるだろうが、ちょっと考えてしまう。
さらに検索をしていった。おお、ヒットした。自分で修理する方法が載っているではないか。こういうのは、修理工房なんかは絶対に載せない。そんなことしたら、仕事を失ってしまう。
マニアはいるもんだ。とても親切に写真も豊富だ。
それによると、スピーカーのエッジをセーム革に交換するのだ。私のスピーカーはウレタン製のエッジのため、10年ほどでダメになるようだ。このぼろぼろになったエッジを取り除いて、円周状に切ったセーム革を貼るのである。セーム革といえば、サックスの掃除をする、あのすべすべしたやわらかい子羊の革のことだ。さらにうれしいことに、修理用のキットまで販売されている。通販で3,4千円で購入できる。ということは、5千円もかけずに、20年前のスピーカーが蘇るわけだ。

ほんとうにインターネットは役に立つ。自分ひとりでは絶対にできないことが、全国のマニヤの知識を得ることで成し得るのだから。



2003年10月23日(木) 電話機

ついに古い電話機を取り付けた。

新型ファックス電話機購入と同時に取り外したP社製のデジタル式のものだ。母もこれでノイズから開放されると喜んでいる。先日、携帯電話にかかってきたのを、母に取り次いだが、「電話というもの、こんなによく聞こえるものかと感動を覚えた。」と皮肉たっぷりに言った。
説明書には、他の電話機との並列接続は不可と書いてあり、けっきょく、ファックス電話機の停電時用電話機接続コネクター部につないだ。サックス電話機との連携はできないが、これでとりあえず、クリアな音声で聞くことができるはずである。ファックスが入った時のために、ファックス電話機の子機も残しておくことにした。

一件落着にみえたが、電話機のたたりはそう簡単には消えないのであった。
デジタル電話機に戻したので、ドアフォンもP社製の前のものに交換した。といっても、ドアフォンそのものはそのまま使えるので、交換したのはドアフォン・アダプタであるが、ところがどっこい、鳴らないのである。いろいろやった。ADSLが入っているのでこれかもと思い、NTT回線と直結してみてもだめだった。よくよく考えると、取り外す前と同じ状態にしたのだから、動作しないのがおかしいではないか。
無駄な時間を使ってしまった。けっきょく、これは、ドアフォン・アダプターの故障ではないかと。購入した近くのP電化に見てもらうことにした。

じつは、このドアフォン、以前にも故障して新しく買ったのだ。また、故障するとはがまんできない。今回新しくすると3個目になるではないか。1万円以上もするのだぞ。2、3千円程度の代物なんだが。

近くにあるP電化はP社製のものしか置いていない。したがって我が家の電化製品はP社製が幅をきかせている。しかし、ここのものは、おそらくメーカーの中で一番高いのではなかろうか。しかし、かかりつけの医者ならぬかかりつけのお店なので、不具合があればすぐに来てくれるし、文句も言いやすいということでしかたなく使っているのだが。まあ、デオデオなんかは呼ぶと出張料を取られると思う。それを考えるとまあいいかということになる。

それにしても、電話には頭を痛める。いちばん困るのは、無駄な時間を浪費してしまうことだ。全部頼めば済むことかもしれないが、ここは、好奇心がすぐに頭をもたげてのめり込んでしまう。

まだまだ、この騒動、続きそうだ・・・。



2003年10月22日(水) 最新式に思う

いま使っているパソコンは、5年ほど前のものだが、動作が鈍いのとすぐフリーズするのには閉口する。
当時としては高性能の部類に入るものだが、今では陳腐化してしまっている。どうしてだろう。買った時は、性能のすばらしさに驚嘆したのだが。

ひとつは、ゴミと称する不要なファイルが溜まってきたこともあるだろう。半年ほど前にOSを再インストールしたのだが、思ったほど効果はなかった。ほんとうに新品の状態に戻っているのか疑ってしまう。
もうひとつは、使うソフトが高機能化されて、古いパソコンでは十分な動作をしないためだろう。当時のままのソフトを使用すれば動作も速いかもしれないが、そういう気にはなれない。
このパソコン、30万円ほどしたが、今では、これ以上の性能のものが5万円で買えるほどになっている。かといって廃棄するにはしのびない。なにか有効な使い方はないものか。滋賀県のMさんは、このあたりをきっと押さえておられるだろう。

ここまで進化が早くはないが、ステレオにしても、今ではミニコンポと称する類が、幅をきかせている。安価で高機能だ、これが。CD、カセット、MDなどがセットされていて、5、6万円も出せばなかなかのものが手に入る。かといって音が悪いかというと、そうでもない。最近の若者志向に合わせて、パンチの効いた迫力ある音がビンビン響いてくる。

そうかと思うと、まだ真空管のアンプが新機種として並べられていたりする。その昔、まだ学生の頃、真空管アンプを作ったことがある。別に電子回路の知識があるわけではないが、その手の本を買って、実体配線図を見ながら組み立てていった。もちろん部品は、パーツ屋さんに行って購入した。シングル回路のステレオアンプだが、スイッチを入れて球が温まるのを待って、レコードの針を落とすという、ちょっと大人の雰囲気を楽しみたかったのかもしれない。そういえば、スピーカーも合板を買ってきて作ったような気がする。

音楽の分野でも、ギターアンプなんか、まだ真空管の世界である。このほうが音がいいといいうことで使われているわけだが、なんとも不思議だ。今の技術をもってしても、真空管の音が出ないのだろうか。
CDにしても、レコードに入っている音すべてを取り込めてはいないようなことを聞いたことがある。最高の音を求めるステレオマニアは、いまもってレコードプレーヤーにお金をかけたりしている。

一時、なんでもかんでも、デジタル化、デジタル表示化された時期があったが、最近になって、少しずつ改められてきているようだ。音量ボリュームは丸つまみがいいに決まっている。スイッチはぱちんぱちんとスナップスイッチ。ビデオデッキなんかは、お年寄りを意識して、少しわかりやすくなってきた。お年寄りが使いやすいということは、我々も使いやすいということなのだが。

それにしても、よく録画を失敗する。すぐに使い方を忘れてしまうのだ。これも歳のせいか・・・。



2003年10月21日(火) 電話機

最近、電話機を変えたが家族から苦情続出。

今までは、デジタル電話機を使用していた。しかし、デジタル方式の電話機は電波の到達が悪く、私の部屋まで届かないのである。それで、しかたなく古いファックス電話機を併用していたが、ひとつ問題がある。デジタル電話機ではファックスを受けることができないし、ファックス電話機に転送することもできないのだ。このためファックスを送ってくれた人には迷惑をかけてしまった。こちらはこちらで、ファックスの取次ぎのため家中を走り回ることになる。

そこで、最新のコードレスファックス電話機を購入したわけだが、メーカー、そして種類、ほんとに数が多い。しかし、こちらが望むタイプとなると、なかなかないのである。欲しい機能はデジタル式のものだったり、ピンポーンというドアフォンが使えなかったり、どうしてこうもちゃらんぽらんなのかと頭にきた。結局、必要な機能がついた物は、シャープのインターネット電話機という、こちらとしては不要な機能のほうが多いタイプとなった。ほんといらないものが多い。コードレススキャナーなんか、いつ使うというのだ。あれやこれやと付けて、値段を吊り上げている。

こんど買ったものは、ファックスも取れるし内線通話もできる。これで電話騒動も解決するかにみえたが、そんなに甘くはなかった。
とにかくとにかく、ノイズが激しい。昔、最初に購入したサンヨーの『てぶらコードるす』もノイズが多く、メーカーを呼んで基板交換したりしたが、そのうち、あちこち故障して廃棄の運命になった。今回のものはその比ではない。聞こえないのである。ザーザー、ガーガーの中で、時おり話し声が聞こえるといった場合もある。どうにかしてくれと家族からの突き上げがくる。

対策として、前のデジタル電話も併用することを考えている。ただ、こうすると、ファックスがきたとき以前と同じように走りまわらなければならなくなる。さらに、私との連絡網が途絶える。ピンポーンが使えるかどうかも心配だ。
もうひとつの手として、ホームテレフォンなるものを導入することも考えられる。しかし、どうもインターネットとの相性が悪いようだ。交換機が必要だし、かなり値が張る。おそらく大蔵省の認可が降りないだろう。

いつも思うのだが、機能が増えるのは結構、でもほんとうにユーザーが必要としている機能を把握しているとはとても思えない。電話に必要な機能というのは、相手の話がきちんと聞こえるということだと思うのだが・・・。

いつも長電話してしまうK・恵さんは、同じヤフーのBBフォンだ。しかし、ときどきノイズのため電話を切らなければならなくなってしまう。激しいノイズのため、もうまったく会話ができなくなる。貴重な会話が中断させられてしまうのだ。その時のメーカーの回答がふるっている。「その時は、電話をやめてください。30分くらいたってからかけなおしてください。」だと。

もう機能追及の開発はやめて、ほんとうにユーザーの側にたった商品を作ってもらいたいと願っている。



2003年10月20日(月) ホセ・カレーラス

はっきりいってオペラは好きじゃない。聴いても内容がよくわからないのと、どうもあの歌声と歌い方には、拒絶反応を示してしまう。
だが、テノール界の最高位に君臨するホセ・カレーラスは一度聴いてみたいと思った。CD clubの特集を読んで、彼の生き方に共鳴を覚えたからである。

音楽ジャーナリストの寄せた一文にこうある。
「カレーラスの歌には常にヒューマンな味わいがただよっているのも事実である。ひとりの生身の人間が歌っている、そのぬくもりが伝わってくるのである。現在はなんでも簡単にすませられること、楽をして大きな成果を得ること、苦労をしないにこしたことはないとされる時代である。カレーラスのようにコツコツと実績を積み上げ、ビッグスターになってからもひたすら努力あるのみ、などという生き方は敬遠されるのこもしれない。しかし、そんな生きかたに引きつけられる人もいるのである。」
そう、私は引きつけられたひとりである。そして、CDを購入しようと思ったわけである。

カレーラスは、どんな小さなコンサートでも、最高の歌を届けようと全力投球するそうだ。こんなエピソードも聞いたことがある。3大テノールが競演するコンサートのリハーサルで、パバロッティ達が軽くのどの調整をするのに対して、カレーラスはリハーサルといえども、全身全霊で歌っていたそうだ。
彼は大病を患っている。その白血病から立ち直った後に、ピアノ伴奏によるリサイタルを世界各地で行なったいる。そこでは、拍手の続くかぎりアンコールを歌い、聴衆に応えたそうだ。

じつは、最近、カレーラスは岡山で公演をしている。ニュースなどでも話題になった。高額なことと、あまり興味がなかったなどでけっきょく行っていない。いま思えば、ちょっと悔やまれる。

CDでしか味わうことはできないが、カレーラスの全身全霊を込めた歌声にひたってみたいと思う。



2003年10月19日(日) お米

いまは、稲刈りの真っ盛りだ。あちこちでコンバインがせわしなく動き回っている。

我が家でも、きのう済ませた。といっても、うちで食べるだけの量なので、3時間もあれば終わる。それに、刈り取った後は、農協のライスセンターに放り込めば、乾燥、籾摺りまでやってくれる。便利になったものである。

米も最近はグルメブームにのったのか、どこどこ産の有機栽培とかいって高価な米が出回っている。びっくりする値段なのだ。米を出荷する農家にとっては、米価は深刻なのだが、10年前に比べて大幅に下がっている。会社でいえば、給料がどんどん下がってくるのと同じだ。上がるのが普通なのだが、おかしな現象になっている。これも米の消費が少なくなってきてしまったためなのだが。

うちで作っている『あけぼの』という品種は、売れなくなってどんどん備蓄米になっている。ついに来年から、農協が取らないということになった。
農業が様変わりしてきている。嗜好にあったものに転換しなければいけないということなのだろう。これから、農業も淘汰されてくるに違いない。

米のおいしさは、品種からくるものと、もうひとつは、炊き方にもある。
昔からのかまどに勝るものはないが、そんな薪を使っての仕度なんかする人はもういないだろう。いっきに火力が全体からくるようにすればいいのだが、最近の電子炊飯器はかなり性能がいいようだ。IHジャーと称するものだが、一度、製造工場に見学にいったことがある。ここで模型をつかって、性能のよさをアピールしていたが、理にかなっているのをみて、一度使ってみたいと思っている。

我が家では、ガス釜なのだが、今のは、買い換えてからというもの、ごはんの味が落ちてしまった。このガス釜、新型だったのだが、釜の肉厚が前のよりも薄くなっていた。これが原因なのである。

せっかく丹精こめて作った米、おいしくいただきたいものである。



2003年10月17日(金) 年賀状

郵便局から年賀状の注文案内がきた。

もうそんな時期かと思ってしまうが、まだ10月半ば。しかし、あっという間に12月になってしまうだろう。これから、稲刈り、秋祭り、演奏会とイベントが目白押しである。ここ何年も、秋の紅葉を楽しむことがなくなってきた。すでに、週末のカレンダーは埋まりつつある。年を追う毎に忙しくなってくるようである。

年賀状といえば、K・恵さんとなる。ご主人が郵便局にお勤めということで、前々から、年賀状のお話しはいただいていた。しかし、郵便局からの案内で、あやうく注文してしまうところだった。すぐにK・恵さんに電話をかけて、注文の確認をした次第である。やはりノルマーがあるようで、どこもたいへんだ。

もう最近は、年賀状を手書きすることはなくなった。お決まりのパソコンで作って、プリンターで打ち出しというやつだ。はがきの種類は、インクジェット用というタイプを購入することになる。しかし、はたと思った。何枚かは、手書きがあってもいいんじゃないかなと。どうもへんなところでこだわりが出てくる。ちょっと、水彩イラストでも描いてみようかと・・・。そうなると、インクジェットタイプでは、絵の具の染み込みが悪くなるような気がする。要するに、空などのぼかしができないのではないかと。

その点、妻はクールだ。いや、クールというようなもんじゃない。完全に割り切っている。結婚してからというもの、妻の分まで全部作ってきた。投函するのも私だ。ただ、コメントだけは本人にお願いしている。それも最近、ひとことふたことを書くだけなのに、投函が延びてしまうようになった。それなのに、出来上がったデザインには、けっこう難癖をつけたりするのだ。よくわからない。

賛否両論があるが、一年に一回だけ相手のことを思い出すという点では、役に立っていると思う。年賀状がなかったら、とうの昔に私の記憶から離れていってしまっている方々がたくさんおられる。嫌な人に出すわけもないだろうから、少なくとも書いている間は、その人の思い出にひたっているのではないだろうか。しかし、そんな悠長な時間がないことも事実である。妻にいたっては、記憶すらないかもしれない。日記は見ていないだろうな・・・。

今度の年賀状は、K・恵さんからの達筆にお目にかかれるかもしれない。パソコン年賀だったりして???。



2003年10月16日(木) サックスの発表会

きのう上田啓二先生からメールが入った。

頭から完全に消えていたコパン発表会の開催についてだった。レッスン会場であるH楽器店が、閉店時間を繰り上げたこともあって岡山でのレッスンが少なくなってしまった。一般の人の参加もほとんどなくなっている。そんなこともあって、先生との交流が減ってしまった。
そんな中でのメールだったので、ちょっと我に返った感じであった。

いつもは秋の部として、10月終わりから11月にかけて開催していたが、こちらの地域祭との兼ね合いもあって、昨年から5月の1回だけになろうかとしている。今年もすでに11月は、上田啓二先生も演奏会で大忙しのようである。今のところ、12月に開催できるかどうかというところである。

開催するとなると、曲探しをしなくてはいけない。はて何にするか。例のごとく無伴奏物か、CDによる伴奏タイプかのどちらかである。しかし、ながいこと、オリジナルのフランス物をやっていないので、たまにはと思ったりもする。いやいや、かねてから考えていた、藤山一郎の歌をやってみようか。しかし、楽譜がない・・・。とにかく伴奏者がいないのは痛い。どうしても曲が限られてしまうからだ。

岡山での発表会の会場は、ずっと、鴨方の健康福祉センターである。場所的にも、費用的にもまずまずだと思っている。料金ということを考えると、地元在住のSさんのおかげだ。なにしろ、地元の人が申し込めば、格安になるシステムとなっているのである。一般的にもそうかもしれない。そしてたいてい空いている。岡山市内では、思った日にちでは取れないであろう。

鴨方というと、この会場の近くに「平喜酒造」という地酒工場がある。ここの『喜平』という酒はなかなかだと思う。というか、ある時、スーパーで試飲会をしていて買ったことがあるというだけだが。今月だったか、ここの酒蔵で日本が誇るジャズ・トランペッター日野皓正の演奏会があったはずだ。最近こういう形での演奏会がはやりのようだ。あちこちで酒蔵コンサートなるものがある。おそらく、アットホーム的な雰囲気と、酒という魅力が、音楽を盛りたててくれるのだろう。



ああ、曲をどうするか。悩みが増えるが、また、楽しいひと時でもある。



2003年10月15日(水) ケーキのこと

音楽以外のことになってしまうが、ここでちょっと一息。

私の嗜好は、はっきりいって甘党である。まあ、鶏卵饅頭なら5個は一度に食べる。といってもそれではすぐになくなってしまうので、2、3個でやめるが。太鼓饅頭なら2個といったところか。
そして甘党なるがゆえに、ケーキにも目がない。もう、作ってしまう。ということで、ケーキ談義で一息といきたい。

何年か前は、ちょっと凝っていた。元来、私はのめりこむほうなので、やりだすと、ある程度追求しないと気がすまない。ケーキに関しても、はまってしまった。まずは、専門書の購入からはじまった。そしてその次は、専門の器具と、まずは形から入っていった。といっても、本格的な器具は高価で手が出ないし、購入前に挫折しまうかもしれない。ケーキ作りには必須のものに、大理石の定板がある。しかし高価なため、今もって未購入のままである。

まあ、最初はスポンジ作りから始めるが、これにはあまり興味はない。一応作ってはきたが、特別変わったところはなにもない。やはり真骨頂は、タルト系ではなかろうか。これを作るとなると二日がかりになってしまう。いわゆるショート・ケーキではないのである。タルト生地の仕込みから、寝かせ、そして焼きということになると、朝から作っても一日たっぷりかかってしまう。見た目は、華やかさはないが、じっくりと焼きこんだ、深みのある味は格別だ。このためには、材料がすべてといっても過言ではない。
料理でも同じだ。材料の良し悪しでほぼ決まってしまう。

そういう意味で、この時期には、業務用食材屋によく足を運んだものだ。北海道の双葉製発酵バターがいいという記述があると、それを求めて使用した。生クリームにしても、スーパーに売られているものを使ったことはない。こうして味わってみると、べつにケーキにしなくても、それだけでおいしいことに気づいた。はやい話が焼き方に失敗しても、混ぜすぎて食感が悪くなっても、味はいい。

 

もうひとつ凝ったものに、隠し味として入れる洋酒の類である。これは、ひとつのポイントなのだが、高級ケーキとその他との決定的な違いともいえる。ヘネシーも使ったし、ラム酒も、その手のブランド品を買ってきた。

ある時、男の道楽のようなものの本に、フルーツケーキの作り方が載っていたので、さっそく挑戦した。まず、木枠からはじめるのである。25センチ角くらいの枠を製作して、それに生地を流し込む段取りとなっている。はっきりいって、妻は完全にあきれかえっていた。いや、そんなことでひるんでいては、大成はできぬ。
レミー・マルタンを買ってきて、おそらく半本をつぎこんだと思う。ブランデーの使い方はこうだ。出来上がったフルーツ・ケーキに、はけで塗りこむのである。それも何日もかけて。本には、半年くらい熟成したほうが味がよくなると書いていたように思う。もちろんそんなに待てるわけがない。これだけたっぷりとブランデーが染み込んだケーキは、まさに大人の味がした。

べつにケーキ作りのプロではないのだが、すでにファンがたくさんいる。そういえば、妻の職場の人も待ち焦がれているが、もう、すっかりご無沙汰してしまっている。今年も、妻に督促されて、職場用を作る手はずで、材料を少しばかり買い集めたが、挫折してしまった。ずっと前の食材も悪くなったので、ドサッと捨てたようだ・・・。

どうも、道楽というものは、気が乗らないと腰があがらない。だから道楽か。




2003年10月14日(火) マーチング

きのう、岡山市体育館で、マーチング・バンドのフェスティバルがあった。

このマーチング・バンド・フェスだが、3日間の日程で毎年開催されている。2日間は、市中パレードと市内中心部での野外演奏。そして最後の3日目が、きのうあった、体育館でのステージ演奏だ。ここでは、審査があり、順位が発表される。本場アメリカから、審査員が何人も来ている。

昨年に引き続き、今年も世界チャンピオンである、『ブルー・デビルス』というアメリカのバンドが招待され、3日間は精力的に活動していた。このバンド、今年も11回目の世界チャンピオンを獲得したというから驚きである。まあ、なんでもそうだが、1位を維持するという努力は、並大抵ではないことはすぐに察しがつく。

じつは、岡山は、マーチング・バンドが盛んである。盛んにした人がいた、といったほうがいいかもしれない。岡山県警音楽隊の名誉隊長である故・安田正彦氏である。当時、はじめて岡山でマーチング・バンドのフェスティバルを開催した時は、まだ、全国的にも盛り上がりはそんなになかったように思う。それが、年々、規模が大きくなり、全国から、トップクラスのバンドが競って集うようになってきた。岡山市の行事としても目玉になっている。

そんな中、我が息子も出場している。パーカッション担当だ。保育園の鼓隊で、大太鼓をしたいという理由だけで、ずっと、いままでパーカッションをやらせてきた。自分でやってきたのではなく、やらせたといったほうがいいかもしれない。ほんとによかったのかどうか、いまもってわからない。しかし、これを親バカというのか、家族で出かけ、息子を見つけては、シャッターを押しつづけた。見られるのがいやなのか、カメラを向けると避ける、そしてまた追う・・・。

『ブルー・デビルス』の魅力は数多い。私自身はっきりいってそんなにマーチング・バンドに興味があるわけではない。しかし、好き嫌いではなく、本物に接すると誰でも感動をおぼえるものだ。演奏そのものは言うにおよばないが、今回ちょっと感動したのは、そのサービス精神あふれるパフォーマンスなのである。

ちょっと話しが専門的になるが、マーチング・バンドが使用している金管楽器は、音の指向性が強い。要するに、ラッパのベルが向いた方向にしか音が飛ばないのである。ラッパの横にいたのでは音が聴こえにくい。そのうえ、パーカッションは指向性がないので、ガンガンきこえてくる。カンカンと響くパーカッションと、モソモソと何を吹いているかわからないブラス。ああ、なんというアンバランスな世界なのだろう。マーチング・バンドは半分スポーツのようなものなので、演奏場所は今回のように体育館が多い。



図のように観客席は四方にある。正面の席はほんのわずかで、全席の10分の1くらいかもしれない。しかしである。演奏はすべて正面の客席を目指してしかされない。これには、はっきりした理由があるのだ。そう、審査員席に向けての演奏なのである。いわゆるロイヤルボックス席だ。観客でない。演技もそうである。
前から思っていたのだが、どうにかしてくれないかなと。
今回も当然ながら、横の席のそれも立ち見か、階段のコンクリートにすわるかのどちらかだった。正面席には、一般の人は入れないようにロープまで張り巡らせている。

いや、前置きが長くなってしまったが、ここで、『ブルー・デビルス』がサービスをやってくれた。演奏が終わるやいなや、全員がこちらのほうに向かってやってきた。きれいに整列すると、1曲演奏をしてくれたのだ。そして深々と一礼すると、反対に向かって移動して、向こう側の客席にまた演奏をプレゼントした。これで、沸きにわいた。そりゃあ、ほとんどのお客さんは、横側にいるのだから。
これって、横向きに演奏してもいいようなものなんだけど、どうして、カニ歩きのようなことまでして、正面に向ける必要があるのかわからない。審査員は、うまい下手はどんなことをしても、ききわける能力は持っていると思うのだが・・・。
こういう話しになると、吹奏楽のコンクールにも言及しなければいけなくまっってしまう。これは、別の機会にすることにしよう。

 

 




ふー、それにしても体調がいまひとつすぐれない。滋賀県のMさんの忠告をきくことにしようか・・・。



2003年10月12日(日) 打てば響く

滋賀県のMさんから、さっそくお見舞いメールがきた。

日記を見ていてくれたようで、体調不良を心配してメールをくれたのだ。はっきりいって、うれしかった。1年に何回かしか、メールのやり取りはないのだが、ずっと日記を見てくれていたのである。

Mさんとは、5年ほど前だっただろうか、仕事で大変お世話になった。半年ほど、いっしょに仕事をさせてもらった。その時、パソコンのこともいろいろと教えてもらった。同郷ということもあって、親密感があり、その後も写真やら、パソコンやらの情報をメールで送ってくれていた。

最近になって、こちらから連絡を入れると、病気療養中とのことであった。今では、すっかり元気になられたようである。ほんとうによかった。
そんな中、私の日記を見て、すかさずお見舞いをしてくださったわけである。
おそらく、ご自身が病気の辛さを体験されているので、ちょっとした風邪でも気になって、メールをくれたのだと思う。「身体の隅々まで、しっかりチェックしろよ」というメッセージなのかもしれない。

電光石火のごとく反応してくれる人がいる。どういう場合でも、うれしいに決まっている。

よく気がつく人かもしれないが、私もこうありたいものである。



2003年10月11日(土) どうも体調不良

きょうの日記が書けない。

練習には行ったのだが、悪寒がする・・・。
ああ、どうもすぐに風邪にやられてしまう。

それにしても妻は元気印そのものだ。半そでで、子供たちと走りまわっているそうだ。風邪をひいても、一晩寝たら、けろっとしている。作りが違うのか。

すぐに寝よう・・・。おやすみ。



2003年10月10日(金) 録画失敗

またもや録画を失敗してしまった。それも大事なものを。

きのう、中林淳眞先生がテレビで演奏された。それも生放送である。NHKの「きびきびワイド」という番組の中で先生のコーナーを設けて、そこでお話しやら演奏をすることになっていた。ほんとうだったら、時間的にも見逃すのだが、たまたま今月のレッスンの時、NHKの方が来られたので、チェックしておいたのだ。
しかし、なんということか、こともあろうに、こんな大事な番組をとり損なうなんて。



頼みの綱はK・恵さんだけだ。さっそく電話をかけた。
じつは、この日記に、テレビ放送のことを取り上げていたが、ひょっとして録画してもらっているかもしれないと、淡い期待をかけていた。期待はぴたり的中した。ほんとうにうれしかった。それもDVDに録画しているとのことだ。え、それだとうちでは見ることができないんだが。それではということでVHSにダビングをしてもらうことになった。

最近は、テレビ録画の方法として、DVDとかハードディスクとかが一般化してきている。それでもかなりの値がはるので、我が家では、『デジタル・ビデオカメラ』とともに、高嶺の花となっている。ビデオカメラにいたっては、15年ほど前のものなので、今ではテープさえ、ほとんど売られていない。先日も買いに行ったが、店の人から「もうこれだけ残っているだけです。」と言われた。
妻も「こんなのだれも持っていないよ。運動会までには新しいのにして。」と言っていたが、いつのまにかギターに化けていた。まあ、大蔵省は妻なので、私に、あれを買おう、これを買おうという権限はまったくないのだが・・・。

このDVD録画だが、魅力はとても大きい。鮮明さが違うとか、録画内容が劣化しないなどあるが、なんといっても、そのサイズだろう。テレビのまわりにはVHSテープが山のように積まれている。片付けても追いつかないくらいたまってくる。
じつを言うと、ほんとうは録画の失敗がないということが一番なんだが。これ、予約録画、それもいろいろな番組を続けて予約することができる。今のVHSのデッキでも高機能タイプは、できないことはないのだが、かなり大変だ。その点、DVDデッキでは、ハードディスクに長時間(おそらく何十時間も入ると思うが)録画できるので、一週間分まとめてということも可能だろう。ほんとに便利になったものだ。

K・恵さんに電話で聞いたところでは、先生の演奏が流れる中、番組がスタートするという、なんとも粋なシチュエーションだったようである。先生のいでたちにも驚いたと。なにやらかっこいい帽子に赤い服・・・。見てみないとわからないが、おそらく中南米の帽子ではなかろうか。とてもお歳を感じさせないダンディなスタイルに感動しましたよ、と言っていた。演奏では、いろいろな奏法を駆使していたようで、これもおそらく、スペイン、中南米などの音楽を取り上げておられていたのではないかと推測する。
中林先生が得意とするところは、どちらかというとクラシック系よりもポピュラーのジャンルではないのかと思う。編曲もポピュラー物が多数ある。それになんといっても、アメリカ、中南米を題材とした作曲が数多くあるのだ。

じつを言うと、学生の頃だから、もうかれこれ30年になるだろうか、通信教育でギターを独学したことがある。いわゆるレコード付きのテキスト方式なのだが、毎月、教材とレコードが送られてくる。その中に、ポピュラー音楽として、中林先生が講師となられていた。クラシックのお堅い曲よりも、楽しい曲がいっぱいつまった、このコースがとても待ち遠しかった記憶がよみがえってくる。何の因果か、30年を経て、今ふたたび、中林淳眞先生のご指導をたまわっている。

それにしても、K・恵さんからの録画ビデオが待ち遠しい・・・。



2003年10月09日(木) 食文化

『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
明治の詩人、正岡子規の俳句である。この句がぴったりの季節になってきた。抜けるような青天と、透きとおった空気は、自然がくれた最高の贈り物だと思う。

きのう、会社の人が柿をひとつくれた。「太秋」という品種で、あっさりとした、いい味をしている。しゃきしゃきとした食感は、りんごにも似ている。けさ、母がさっそく裏の畑に出て行った。すぐに戻ってくると、「これ、太秋と思うけどなあ・・・。」といいながら、まだ青い柿をむいだ。ほのかな渋みはあるが、太秋かもしれない。じつは、ここ数年で柿を何種類も植えてしまったので、何の品種かわけがわからなくなってしまったのだ。
一句。『あたふたと 我の柿取る 母うれし』うーん、どうかな。思いが出ているかな。師匠K・恵さんに講評をいただくことにしよう。

柿は、日本が原産と聞く。くだものといえば、なんらかの酸味があるのがふつうだが、柿に関していえば、この酸味というものが全くない特別のもののようである。田舎といわず、日本の家々では、たいてい柿の一本や二本はあるというのが、昔からの風景であったように思う。これも文化であろう。

会社までの数分間の通勤では、田んぼが主な風景となっている。今は、ちょうど黄金色に色づいた稲穂がたわわに実っている。東北では、不作ということで米泥棒まで出没しているようだが、瀬戸内の温暖な気候に恵まれて、この異常気象にもめげず、平年並みの作柄となったようだ。ほんとうに岡山はいいところだ。

食は文化である。こと、日本の食文化を支えてきたのは、まぎれもなく米である。しかし近年、この米の消費量が大幅に減ってきている。どうしてだろう。日本人の命の支えなのに。

我が家でも、一応、米は作っている。昔は、一ヶ月もかけて、毎日、釜で刈っていたものだ。わら束を積み重ねた「わらぐろ」と呼ばれる、家に似た砦で遊んだのが懐かしく思い起こされる。ゆったりとした、のどかな田園風景の一ページだ。

健康ということからみると、和食が見直されてきている。人間、食べているものから作られているのだから、ファースト・フードを食べれば、当然の理で、ファースト・フード的な体になってしまうだろう。我が家は、昔から芋と菜っ葉の食文化である。子供にもそうさせている。今になって、感謝している。

『柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺』
しみじみと、秋の名句にひたりたい。



2003年10月08日(水) BS日本の歌

きのうの夜、長電話のあと、お風呂に入ろうとすると、またもや息子とバッティングした。くそ!。息子の風呂は長いのだ。おまけに出たあとの、お顔と髪のお手入れに余念がない。朝なんか、セッティングに30分もかけているようだ。
それに比べ、妻のはやいこと。朝のしたく中、よく割り込んでくるが、全然苦にならない。くしを2、3回通したらおしまいなんだから。まあ、なにもしなくても、それなりにみられるから、まあいいとするか。パソコンにはうとい彼女、この日記を見ることもあるまい。

いつもながら、この待機時間を利用して、ビデオのスイッチを入れる。タイトルは『BS日本の歌』。数少ない歌謡番組の一つである。ほんと、最近は歌謡曲の番組がなくなってきている。土曜日の夜、1時間30分の『BS日本の歌』だけは録画するようにしているのだ。

この『BS日本の歌』は、歌手の持ち歌も当然あるが、それよりも、そのときどきのテーマに合わせて他の歌手の歌を歌うことが多い。これがじつにおもしろい。歌手には悪いが、実力がまともに出てくる。しかし、ここはNHK、へたな歌手を出すはずがない。みんな自分のものにしている。ベテラン揃いだ。
若い歌手も多く出てくる。女性では、林あさみ、岩本公水、田川寿美などなど。岩本公水なんか歌唱力抜群なんだが、どうも出番が少ない。ライナー・ノーツによれば、カラオケで歌っていたところを、レコード会社の社長にスカウトされたとか。

きのうの録画では、男性歌手は氷川きよしが出ていた。デュエットをやったが、次から次と相手が変わり、何曲も歌った。しかし彼の場合、ちょっと危ない。持ち歌はまだいいのだが、他の歌となると、けっこうきびしい部分があるのだ。相手の女性歌手が相づちをするが、こちらはそれどころではない。音を外さないようにするのに必死である。それでも、何ヶ所か、落としていたが。
まあ、彼の場合、その持ち前の爽やかさがすべてを帳消しにしてくれる。それぐらい、いい意味でキャラクターが強い。これから、いい歌手になるだろう。

『BS日本の歌』は、東京のNHKスタジオで録画される。何年か前にこのスタジオに行ったことがある。はからずも、ちょうどこの『BS日本の歌』の録画をやっていた。みた時は、本番ではなく、リハーサルであったが、皆がめいめいの私服でリラックスして演奏しているところをみることができ、収穫であった。最後に一人の歌手が7、8曲を歌うのであるが、この時、だれが歌っているのかよくわからなかった。もちろんスタジオに入ることはできないが、モニターテレビがあり、中の様子がわかるようになっている。なにかカーディガンのようなものを肩にかけていたようで、ちょっと印象に残っている。この番組は後日、家でみることになる。歌っていたのは、都はるみだった。

私にとってこの『BS日本の歌』は、もう一つ魅力がある。
伴奏しているバンドは、「BS日本の歌バンド」とかいって、おそらくスタジオ・ミュージシャンの寄せ集めだと思うが、レベルは高い。たぶん指揮者が自分でアレンジをして、そのまま演奏しているのだろうが、時に、ジャズナイズされた粋なアレンジにお目にかかることがある。もう昔のような、フルバンドという編成はなくなってしまったが、小編成で、切れの良い演奏は気持ちがいい。なかでも、私のお気に入りは、サックスのソロである。ソプラノ・サックスの完璧な音程、そしてゾゾッとするような、グリッサンド。もうたまらない。テープを巻き戻しして、そこだけ聴いたりしてしまう。まあ、時にトランペットが音を外したりすることがあるが、これもご愛嬌。

この番組だけは、ずっと続けてほしいと願いたい・・・。



2003年10月07日(火) ジャズ・イン・クラシック

ソニーのCD・Clubの冊子を見ていたら、ジャズ・ベースのロン・カーターがバッハをやっている。

例の無伴奏チェロ組曲であるが、はたしてどんな音楽になっているのだろう。チェロの低音版なのか、それともお得意のハイ・ノートを駆使した技巧的な演奏なのか。はたと思った。ジャズ・ベースは、基本的にはピチカート奏法なので、ひょっとしてこの演奏もそうなっているのかも。そうだとしたらとても興味をそそられる。
ピッコロ・ベースなんかも弾くので、そうなったら逆に興味半減となってしまう。チェロとベースの中間どころといったものだから。

そういえば学生時代に、ロン・カーターの演奏会に行ったことがある。この時の印象は、アドリブ・ソロをがんがんやっていて、どうもベースという感じがしないので、期待外れでちょっとがっかりした記憶がある。やはりベースという楽器、低音がよく響く演奏が好きだ。

ジャズ奏者がクラシックを取り上げるのはよくあることで、ピアノのジャック・ルーシェの演奏も軽快ですばらしい。手元にあるCDでは、トッカータとフーガ・ニ短調からはじまって、G線上のアリアと続く。馴染みのある曲がどんどん出てくるので、BGMとしてもピッタリかもしれない。本来のお堅い演奏もいいが、こういうふうにデフォルメしてくれると、ある意味でとても聴きやすい。

もう一枚いいCDがある。ピアノのマッコイ・タイナーのものであるが、ここでは、テナー・サックスのジョシュア・レッドマンが入っている。ジョシュア・レッドマンは新進気鋭の若手プレイヤーであるが、テクニックも音楽性も高い。彼の演奏がとてもいいので、お気に入りの一枚になっている。ショパン、ヴェートーヴェンを、かなりジャズよりで演奏している。

しかしどうなんだろう。ジャズ奏者がクラシックをやることは多いが、反対にクラシックの演奏家がジャズをやることがあるのだろうか。ジャズではアドリブと称してむちゃくちゃにやっているように聞こえるが、みなさん、テクニックとしては相当なもののようだ。おそらくこれは、音楽に対する取り組み方の違いからだろうと思うが、どちらかというと、堅苦しいものよりは、楽しく聴けるほうがいい。

クラシックを聴くと、すぐに眠たくなってしまうが、それだけ心地よいということなのかな・・・。



2003年10月06日(月) テナー・サックス

以前に買っていたスコット・ハミルトンのCDをひさびさに聴いてみた。

これ、送られてきた時、ほんのちょっと聴いただけで、そのまま他のCDといっしょに並べてしまっていた。ちょっとCDの探し物をしていたとき、おうおう、こんなのがあったっけ、と取り出してみたわけである。
『煙が目にしみる』『星に願いを』などなど、よく知られて曲が入っている。とにかくスコット・ハミルトンはオーソドックスで聴きやすい。フレーズがとてもスムーズに流れる。それに魅力は、なんといってもサブトーンを駆使した心地よい音色だろう。

どちらかというと、ライブハウスで聴き入るというよりは、ホテルのディナーショーなんかで優雅にBGM的に聞くのがいいかもしれない。ホテル・グランヴィアでも演奏している。以前に、このホテル・グランヴィアで、テナー・サックスのマイケル・ブレッカーを聴きに行ったことがある。マイケル・ブレッカーは技巧派テナーとして名高い。もう、そりゃあ、ハイ・ノートをハイ・テンポで吹きまくる。そうかと思うと一転して、ラウンド・ミッドナイトをサブトーンで聴かせる。

そういえば、K・恵さんが、「テナーの音がいまいち鳴らないんです・・・。」と言われるので、手元にあったオットーリンクのメタルを吹いてもらったところ、なかなかグーということになった。番手はセブン・スターだが、まあ一般的なところだろう。吹奏楽といえども、演歌やポピュラーのソロが多いと、セルマーのCワン・スターではちょっと非力だろう。がんがん鳴らすことを覚えれば、元にもどしてもよく鳴ると思う。

もう一人、私のお気に入りテナーとして、アーチー・シェップがいる。こちらは、スコット・ハミルトンとは正反対で、ゴリゴリでハードに押しまくる演奏だ。しかし、最近は歳とともに円熟味が出てきたと解説されていた。手元にあるCDは、そうした歳からくる渋さというか、歌心があふれた演奏になっている。タイトルはバラードなんだが、やはりそこは、かったるいものでは全然なく、昔の豪放テナーに恥じない内容となっている。



このCD、じつは上田啓二先生にも聴いていただいた。理由はこうである。
何回か前のコパン発表会で、シャンソンの『パリの空の下』を上田啓二先生がアルト・サックスで演奏された。さわやかで、おしゃれな雰囲気があふれた曲だった。さっそく私もコパンで、今度はテナー・サックスで演奏した。ピアノのK・千絵さんの好サポートもあって、我ながら出色の出来だと思っている。

ここでアーチー・シェップは、豪放ながらも『パリの空の下』のメロディーだけは、なんとか浮かび上がる演奏をしている。ギャオギャオ、ゴーと爆裂はさせながら、彼ならではの演奏だ。上田啓二先生にコメントをいただいた。「やっぱり演奏は心だよ。」

もう歳だ、といわれる年齢になりつつあるが、演奏に対する好奇心は、増す一方である。



2003年10月05日(日) 古賀メロディー

最近、この神聖なるクラシカル・サクソフォンのサイトで、どういうわけか管理人自身がギターの話題を出しすぎている感があるが、ついでにもう一つ話題を。

歌謡曲の世界になってしまうが、ギターといえば古賀メロディー。
オペラ歌手の藍川由美が、精力的に古関裕而や古賀政男の作品を取り上げている。まだ聴いたことはないが、おそらくピアノ伴奏による歌唱スタイルをとっているのだと思う。
どうも古賀メロディーというと、古臭い懐メロととられてしまうが、音楽的レベルは相当なものらしい。普段聴くことがないのは、ビジネスとして成り立たないからであろうが、これだけの理由で、日本の高度な音楽が絶たれてしまうのは許せないことだろう。

こうして一部の演奏家が、草の根の活動を続けていくことに拍手を送らずにはいられない。
今の時代、音楽に不自由することはないが、そう簡単にこういう天才、そして名曲が生まれるはずがない。
来年は、古賀政男生誕100年を迎えるそうだ。古賀政男が亡くなった時、テレビで見たアントニオ古賀の、目を真っ赤にして思いの丈の演奏をした「赤い靴のタンゴ」。忘れることはないだろう。
アントニオ古賀は、古賀政男の弟子であるが、なんとNHK紅白歌合戦にも出場している。おそらくヒットした『その名はフジヤマ』での出場だろう。彼の歌と演奏を一度聴いたことがある。それも本人の後ろで。

ここにアントニオ古賀が講師をした、NHKテキスト「ギターをひこう」がある。1978年と1983年のものである。この中で、なんと古賀政男の曲を入れている。「影を慕いて」と「月のヴェランダ」。恐れ多くもNHK教育なのだが。「影を慕いて」なんか、歌付きだ。



アントニオ古賀が弾いた「赤い靴のタンゴ」は、フラメンコ調で情熱的な演奏だったように思う。25年も経つので記憶が薄いが。
じつは、これが弾きたくて楽譜を探しているが、いまだお目にかかっていない。最後は本人にお願いしようと思っている。

話しが飛んでしまって恐縮だが、こちらは童謡の『赤い靴』。
トリオ・ロス・パンチョスの演奏をいつかラジオで聴いたことがある。これも20年くらい前かもしれない。このCDをずっと探しているが、まだ手元にはない。なんとも、トリオ・ロス・パンチョスのコーラスがこの歌にマッチしていて、物悲しさをかもし出していたのを思い出す。
「赤い靴 はいてた 女の子  異人さんに つれられて 行っちゃった」
この女の子、実在する人物だそうだ。ここで歌われた野口雨情の詩は実話であり、この内容を知ると、悲しくなってしまうだろう・・・。

それにしても、日本にはいい曲がたくさんあるものだ。16ビートのリズムに乗れないお方は、無理をせず、じっくりと名曲に耳を傾けよう。



2003年10月04日(土) 魅力的なCD

今度、ヴァイオリンのアナスタシアのCDを買おうと思っている。

すでに1枚は手元にあるのだが、もう1枚購入しようとする理由はこうである。
まずCDジャケットに写っている彼女の美しさである。ソニーのCDクラブ冊子に、インタビュー時のことが書いてある。『何本も取材が続いたこともあって少し疲れた表情ではあったが、美しい顔には陰影ができて、息をのむほどきれいだった。・・・』と。私が持っているCDのジャケットも美しさはピカイチであるが、こちらのはなんといおうか、物憂いい感じが出ていて、なんともセクシーである。
音楽よりも、こうして写真に惹かれることもたびたびである。まあ、どちらも芸術だ。



このCD、もひとつ魅力がある。選曲であるが、スペイン音楽をやっている。「アランフェス協奏曲」「マラゲーニャ」「アルハンブラ宮殿の思いで」等々。タルレガ作曲の「アルハンブラ宮殿の思いで」は、ギターの世界ではあこがれの曲となっている。トレモロ奏法というやつが高度な技巧で、それをマスターしたあかつきには、華麗で美しいメロディーが浮かび上がってくる。マンドリンのような連打音を指4本で弾くのだが、まねごとはできても、きれいにメロディーを浮かび上がらせるのは至難の技といってよい。一流のプロでも、この連打音がなめらかに鳴っている演奏ばかりとはいえない。

ほかに、グラナドスの「スペイン舞曲第5番」がある。じつはこれ、以前にコパン発表会で、テナー・サックスを演奏した。ピアノの前奏が、ボン・ボン・ボン・ンチャ・ンチャ・ンチャとリズミックに入ってくるところがとても魅力的である。ピアノ伴奏はTさん。彼女、管弦楽団でヴァイオリンを弾いているといっていた。

しかし、このコパン発表会も年1回のペースになってしまいそうだ。どうしても社会人は、発表会に合わせて曲を仕上げることになるが、そうなると演奏能力の向上もペースダウンしてしまうだろう。余裕はできるが、なんともむずかしいところである。



2003年10月03日(金) ギター・レッスン

きのうは、どういうわけかインターネットにアクセスできなくなった。で、日記をアップできずということになってしまった。

きのう、中林淳眞先生のレッスンを受けている途中で、NHKの方が来られた。少しレッスンを中断して、打合せをされた。後で聞くと、10/9(木)17:00〜のきびきびワイドという番組で演奏されるとのこと。生放送だそうだ。NHKの人は、キューバの話は必ず入れてほしいとか言っていた。スタジオでの演奏だそうだが、背景のセットなどの打合せがされていたようだ。
録画を忘れないようにしなければ・・・。まあ、K・恵さんがとっていてくれるかな?

今月は、先月の発表会の後でもあり、ちょっと間をあけてほしかったが、さっそく先生から電話がありレッスンとなった。いや、まったなしだ。中林先生の教則本が終了したので、次はカルカッシの「25の練習曲」をするように言われていた。1番だけさらっていたが、これは、こてんぱんだった。ただ弾くだけでは技術は上達しないと言われ、ポイントを事細かく教えていただいた。

レッスン後いきなり、来年の発表会の曲のお話しがあった。1年かけて弾きこまないといけないというのだ。技量にあった選曲が大事だということで、適当な曲の提示があったが、いや、もっと高度な曲をやりたい気もする。
今、とりかかったサン・サーンスの「白鳥」でも、1年かければいけるんじゃないの、ということであった。この曲、先生の編曲だが、なかなかメロディーがよく歌うし、チェロの感じがでる、とてもよい曲である。元のチェロの演奏をよく聴いたほうがよい、とアドバイスがあった。
こうしてじっくり弾きこんだ曲は、自分のものになるので、いつでも、少しさらえばすぐに弾けるようになるとのことだった。

発表会で、うまい子がいたので先生にお聞きすると、セミプロとしてジャズ・ギターを弾いているとのことだった。まだ20歳。うまい人は最初の1音でわかるような感じだ。自称・批評家の妻もそう言っていた。
演奏前の楽屋で、当日の進行役をしてくださった中林仲哉先生から、いろいろとステージでのアドバイスを受けていたので、我々とは違うんだなと思ってはいたが。
3年ほど前から、ライブなどで演奏しているとのことだった。I君は、一見、氷川きよしに似ていて、とても好感がもてるいい青年だ。

ますます伸びていってほしいと思った。



2003年10月01日(水) ギブソンのギター

先日のグリーン・ハワイアンズの練習に、ウクレレのベテラン0氏がギブソンのギターを持参してきた。

このギター、ちょっとみると古臭いが、音はなかなかのものだ。音の輪郭がはっきりしていて、なによりもパワーがある。フルアコ・ギターというやつだが、ピックアップは付いていない。要するに、アンプにつなぐことはできないタイプである。
傷もいたるところにあるし、年数はかなり経っていると見た。たずねると、古道具屋で購入したとか。お値段は、セルマーに手が届きそう。神戸かどこかだったかな、電話での取引だそうな。まあ、太っ腹で決断するところが、たのもしい。プレーヤーというもの、こまかいことで、ごちゃごちゃ時間を浪費するより、練習に打ち込むことのほうがはるかに価値があることを知っている。

製作年は1946年だそうだ。そういえば、中林淳眞先生が愛用されているギターもこの年代のものである。こちらは云百万のお値段がするが・・・。しかし、手入れは行き届いている。外観はピッカピッカで、傷ひとつなく、レッスンの時も、合間でいつもクロスで撫でていらっしゃる。

アコースティックギターをステージで演奏するとき、一番問題になるのが音の拾い方だ。アコースティックギター用のピックアップマイクを使ってみるが、1万円程度の代物は役にたたない。音は拾うのだが、なんともけったいな音に化けてしまう。
結局、マイクをセットすることになるのだが、これがむずかしいのである。どうしても楽器から離れてしまう。動けば当然そうなってしまうのだが、ミキサーのボリュームを上げると今度はハウリングを起こす。やっかいだ。特に、スチールギター、エレキベースなどと、音量が違いすぎるのが原因だと思うが、なんとかしたい課題である。

今度の例会では、オールド・ギブソンの音で勝負でもするか。バンドのレベルがまだまだなのだ・・・。


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