今度のハワイアンクラブ例会で、男性コーラスをすることにした。
これには、ウクレレのベテラン、O氏の賛同を得た。O氏は、ソロもなかなかいいのだが、ソロをきちんと聴かすとなると、それなりの曲作りをする必要があるので、まだ遠慮されているのだろう。ただ歌うだけでは、そこらのカラオケ・ファンと変わりなくなってしまう。 コーラスといっても、いまのところ「南国の夜」のサビの部分8小節のみ。ちょっと悲しいが、それくらいしかできないと思う。 問題は、どうコーラスをつけるかだ。いまのところ全く未定。しかし、10/19にせまっている。
コーラスといえば、ダーク・ダックスを思い出す。 もう何年前になるだろうか、民音主催のコンサートだったが、その時、結婚していたかどうかも思い出せないし、妻が横にすわっていたかどうかも、まったく記憶にない。しかし、4人で出す生の音声をはじめて聴いたときの感動は忘れない。 緞帳があがり、前奏のあと、出したハーモニーは、ちょっとぞくぞくとした。その後は、もう慣れてしまうのだが、はじめてのこういう感動は、大切だと思う。 コーラスのレベルということからみると、他のコーラスグループのほうが上という感じもあるが、なぜか私には、ダーク・ダックスに愛着がある。おそらく、この時の感動が体にインプットされてしまったのだろう。
そういえば、以前に、ロシアの歌が必要になったとき、ダークダックスのCDもよく聴いた。「カチューシャ」「カリンカ」「モスクワ郊外の夕べ」・・・ 楽譜も出版されている。こちらは、ダークダックスではないが、正真正銘の「ソビエト国立室内合唱団」である。混声合唱であるが、この各パートをサクソフォンのカルテットに落とした。じつは、これが抜群にはまった。我ながら改心のできだと思っている。 元の編曲が良いからということもあるが。「カチューシャ」は、ピアノ伴奏をそのまま入れてやってみたが、カルテットとピアノという取り合わせもなかなかよかった。
今度11月に開催される、”ラ レゾナンス”のカルテットもピアノを入れているようだ。
今度の練習では、だみ声で”わーわー”やることになるだろう。妻に聞かれないようにすることが先決だ。なんでも「私は歌えないけど、人の間違ったところはよくわかるからね。」とか抜かしおるのだ。
カール・ライスターの新聞記事を切り抜いていて思った。
毎週土曜日に切り抜いている記事がある。山陽新聞なのだが、題名は「わが古里・こころの歌」。岡山県笠岡市出身の音楽評論家、長田暁二(おさだぎょうじ)氏の執筆である。 現在88回なので、もうすぐ2年になる。 内容は、岡山県を中心に瀬戸内出身の音楽家、とりわけ歌謡曲関係の人物に焦点をあてた記事である。歌ができたエピソード、作曲家、作詞家、そして歌手の生い立ちなどなど。
長田暁二を知ったのは、かなり前からだが、それは、よくあるダイレクト・メールで送られてくるCDのセット物を購入した時である。「想いでの愛唱叙情歌集」という8枚のCDセットだが、その解説本を氏が担当していた。 それから、ラジオの歌謡曲番組なので、時折登場するのを聞くようになった。また、郷土の歌謡曲コンテストなどでも、審査員として出られている。
どういうわけか、郷土出身というだけで親近感がわいてしまう。先日テレビに出ていた作詞家「星野哲郎」は、私の同級生の親父さんと、昔いっしょに作詞の勉強をしていたそうだが、それだけで、なぜか他の人とは違うように感じられる。不思議なものだ。
「わが古里・こころの歌」の何回目かに”赤とんぼ”があった。この”赤とんぼ”の印象が強かったため、この切抜きをはじめたのであるが、歌についての意外な発見があったりしておもしろい。しかし、最初の頃の分は、ところどころ抜けがある。なぜか、集めるようになってくるとたまっていくのが楽しみになる。 おそらく、これが完結すると本にでもなるのだろうが、時とともに黄ばんでくる新聞の切り抜きは、これはこれでひとつの価値があるようにも思える。
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切り抜いた記事は、そのまま山根一真式・整理封筒に放り込んでいるのだが、そのまま埋もれてしまうのかどうか、私にもわからない・・・。
2003年09月28日(日) |
カール・ライスター演奏会 |
著名なクラリネット奏者、カール・ライスターの演奏会がある。
と山陽新聞に出ていた。これ、無料なのである。はがきで申し込む必要がある。岡山シンフォニー・ホールなので、2000名のご招待である。コカ・コーラ主催であるが、かなり太っ腹。息子がよく飲むので、まあ、これくらいしてもらってもよいか。
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しかし、問題は抽選となった場合、当たるかどうかである。ほんと、くじ運はよくない。家族全部で出すという手もあるが。
そういえば、K・恵さんが、海上自衛隊・呉音楽隊のサマー・コンサートに誘ってくれたが、これも同じく2000名ご招待の部類だった。彼女はくじ運がいいのかな。頼んでみるか。
カール・ライスターほどの大物は、まだ聴いたことがないので一度は聴いておく必要があるだろう。生は聴いても、どこにも証拠として残りはしないが、脳の音楽領域(こんなのがあるのかどうか知らないが)にインプットされることは確かだ。これが、音楽性を広げる重要な労作業なのである。
この日記でも書いたチェロのパブロ・カザルスの「鳥の歌」の記述を見つけた。
演奏の途中の唸り声は、どうもこの曲にしか入っていないようだ。でもこの唸りには惹かれる。 この演奏が行なわれた「ホワイトハウス・コンサート」は、1961年に当時のケネディ大統領の招きで開催された。この時カザルスは85歳。 カザルスの祖国はスペインだが、当時はフランコの独裁政治が続いていて、それに抵抗するため音楽を武器として戦っていた。いうなれば平和への演奏旅を続けていたのだろう。だから、フランコを支持する国では演奏をしないという信念だが、このアメリカでのホワイトハウスの演奏会は異例だったようだ。 そう思うと、この「鳥の歌」での”うなり”は、一層感動を呼ぶ。
以前にテレビで観た、「カタロニアの小鳥たちは、青い空に飛び上がるとピースピースと鳴くのです。」と挨拶した場面は、このコンサートではなく、1971年の国連デーの時のようだ。ビデオにとっているかもしれないので、一度確認してみたい。
そういえば、同じスペインの芸術家パブロ・ピカソもフランコと戦った一人のようだ。 しかし、私はこの高等な芸術についていけない。出てくるのは、こばなし程度か。
ある上流階級の奥方が美術館に行った。館長とのやりとり。 『これは、モネね。』『いいえ、ルノアールでございます。』『こちらは、ゴッホね。』『いいえ、シャガールでございます。』 『おお、これはピカソよ!』『いいえ、鏡でございます。』
この程度でございます。
管楽器にとってマウスピースの違いは、音に大きくあらわれる。
特に、サックス、クラリネットなどの木管系では顕著で、音質まで変わってしまう。クラシックにジャズ系のマウスピースを持ってこようものなら、一発で音楽がぶち壊しになる。 おそらく、みんな、音に悩む分だけマウスピースの数を持っているようだ。何十本も。かく言う私は、ほんの数本、いや、使うのはずっと一本だけ。 これは悩んでいないというのではなく、無頓着なのかも。
マウスピース選びで問題なのが、同じ種類、番手でも違いがあるということだ。要するに、まったく同じ物は2本とないという問題がある。 人から借りて、試しに吹いて調子が良かっても、それと同じものを店で買うことはできない。もうそれしかないのだから。
原因は、マウスピースの製作は人の手によっているというところが大きい。全部が全部、手作りということではないが、肝心の仕上げ工程は熟練工が一本一本、手で削っているようである。それは、きちっとゲージなどで測定しながら加工はしているのだろうが、微妙な差はどうしても出てしまう。
いや、別にマウスピースのうんちくを語るほど、知識があるのではない。ただ、製作方法に興味があるだけなのだ。 プラスチック製(正確には、ハード・ラバー製)の、マウスピースは、大量生産できそうなのだが、じつは形状的にはむずかしい。 私はプラスチック関係にちょっとくわしいのだが、ふつう、プラスチック製品は、鉄でできた金型という型に流し込んで作る。だから、同じ物が大量生産できるわけである。 ところが、プラスチックのマウスピースは、中に穴がある。これが厄介なのだ。まっすぐな穴なら、まだよいのだが、形が変化している。 これを金型でつくるとなると、ちとむずかしい。というよりはできないと言ったほうがよい。おそらく金型ではまっすぐな穴を作っておいて、微妙な変化を熟練作業者が加工するということになるのだろう。
ところで、プラスチック製のものは、そこらへんで売られているふつうのプラスチックとは違う。ハード・ラバーというくらいだから、ゴムでできているのだ。ゴムに硫黄とかを混ぜて、加硫というゴムを硬化させる工程を経て作られる。これがエボナイトという材質のやつだ。 けっこう複雑なのだ。あー、らいらいけん氏が愛用しているヤマハのものは、ふつうの安いプラスチックだと思うけど・・・。たとえていうなら、なべのふたの取っ手と同じ材質で、フェノールという。これ、落とすと割れるし、すぐにちびて減ってくる。いや、失礼。
それにしても、マウスピースひとつとっても、奥が深い。ちょっとこれにはまると抜けられなくなるかも。まあ、ほどほどにして、練習に専念しよう。
9/22を書いたが、どうも登録を忘れてしまったらしい。
K・恵さんとの話しの中で9/22が抜けていたのがわかった。どうも書いている途中で、別の事が入るとすぐに忘れてしまう。 以下は、思い出しながら、もういっぺん書いてみたが、どうも最初とストーリーが違ってきたようだ。まあ、どうでもいいことだが同じことを書くというのはけっこうむずかしいものだ。
ソニーのThe CD Clubから今月のCD案内がきた。「ピアノ・トリオ・スタンダード名演集」だ。しかし、即、歌謡曲コースに鞍替えした。 ジャズ・ピアノもいいが、私の天秤棒にかけると石川さゆりには勝てない。ウイントン・ケリー、ビル・エヴァンス、ケニー・ドリュー、そうそうたるメンバーで、名曲・名演を選りすぐっているが、まあ、こちらは後からでもいいということにした。
LPレコード時代に、ケニー・ドリューのアルバムを買ったことがあるが、たしかテレビの大橋巨泉の番組で、ケニー・ドリューが演奏したのを聴いて、レコード屋に走った覚えがある。ムーンリット・デザート(月の砂漠)がとても印象的だった。 ピアノもさることながら、ベースのニールス・オルステッド・ペテルセンのメロディアスな演奏が最高だ。よく歌うメロディ・ソロからベースランに移るところなんか、ぞくぞくとするほど心地よい。とにかくよく歌うベースである。このアルバムでは、この曲しか聴かない。あとはブラスがたくさん入っていたりするので、どうでもいいという感じだった。
この石川さゆりのアルバムは、初期の作品から最近のものまで「石川さゆり スーパー・ベスト・コレクション」と題した2枚組となっている。 なんといっても「津軽海峡・冬景色」が大ヒットしたわけだが、ほかにも多くのヒットを飛ばしている。「天城越え」はいままでになくドラマチックですばらしい。 「波止場しぐれ」は瀬戸内の情景を歌った、ご当地ソングといったところだが、土庄港(とのしょうみなと)の歌詞が入っているのが好きだ。「ウイスキーが、お好きでしょ」は、どこかの酒のCMだったような気がする。ちょっとおしゃれで粋だ。
石川さゆりは、「21世紀の名曲たち」というアルバムを10年がかりで完成させている。1年に1枚で、ちょうど10枚ということになる。このうち、1枚が手元にある。このシリーズを買おうと思ったのではなく、ラジオでマヒナ・スターズの「誰よりも君を愛す」が流れていたとき、この女性ボーカルは、今までと違ってGOODと感じたが、それが石川さゆりだったのだ。即、レコード屋に走った。 レコード屋の女将さんが、「ああ、さゆりちゃんの『21世紀の名曲たち』ね。ほかにもいろいろありますよ・・・。」と言っていた。 そのレコード屋さんは今はもうない。
あの「津軽海峡・冬景色」から30年が経つというから、こちらも歳をとったものだ。
きょう、K・恵さんから電話があった。
朝から電話とは、はて何事やら。ひょっとして、習字の作品を早く出しなさいとか。いやいやそんなことはない。習字なんかしていないのだから。あー、筆ペンの練習をしなくてはいけない。
なんと、習字の先生から、宛名書きの書き方について質問がくるとは、ちょっとびっくり。いやー、そんなに碩学ではないんですけど・・・。
結婚式の招待状なのである。 ここはひるむことなく、「ちょっと調べて、また後で電話しましょう。」と逃げた。インターネットと蔵書で調べたが、ちょっと意外。 切手と郵便番号に位置についてわからないということだが、横書きの場合、それが右にくるとは知らなかった。
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まあ、招待状なんか来ることもないから、目にしたこともないし・・・。
K・恵さんは、横書きは普段しないので、とても心配されている。うまく書けるだろうか、師匠からたのまれた仕事なので、失敗したらどうしよう・・・、そうか、みんな人間なんだ。その道に長けていても、緊張はつきものか。
ちょっと、ギターを思い出した。
あー、台風の影響で、きょうは中止になった。
きのうの夜、K・恵さんから電話があった。「会長さんから、明日は中止します。11月に改めておこないます。」とのことだったらしい。 ちょうど、楽譜を並べて準備しているところだったのに。前日から中止を言われると、打ち上げもないということになるのだ。 どうも、当日に中止すると、ギャラを支払わなくてはいけないようだ。会長さん、さすが、ぬかりはない。
K・恵さんは、書道展の準備で大変なようだが、ちょうどよかったのかもしれない。 こんどの練習には、楽器を持ってきてもらわなければいけないが、重くてたいへんだ。先日、持って帰ってもらったときは、息子さんに手伝ってもらったようだ。
何人かに声をかけているけど、だれも行っていないだろうな。まあ、来なくてもいい時に限って、来たりする。
ヘルプデスクのIさんは、練習があると言っていたし、まあだいじょうぶだろう。
次の10/26の演奏も頼まれているが、ど演歌をするので、楽しみだ。
きのうの夜テレビをつけたら、夏川りみが歌っていた。
普段はテレビをほとんど見ないのだが、たまに大事な番組などはビデオにとっておく。しかし、テレビを見る時間がないのだから、ビデオにとってもほとんど見ることはなく、そのままストックされていく。まあ、老後の楽しみにしたいと思う。
夏川りみは、名前と歌は知っていたが、実際に歌っているのを見るのははじめてだった。 沖縄産の愛くるしい顔立ちと、伸びやかな高音がとてもマッチしている。妻の若い頃にちょっと似てるかな、いや、そんなことはないか。 yakoに歌えるかな・・・。 ヒットしたらしい?「涙そうそう」と、ほかの曲も数曲歌ったが、やはりこれが一番いい。この曲がなかったら、テレビに出ることもなかっただろう。
実力だけで、頭角をあらわす人もいるが、やはり、いい曲、いい歌に巡り会うかどうかだろう。運命的なものがあるような気がする。こういう話は枚挙にいとまがないほどよく聞く。歌に限らず、ジャズなんかもそうだ。えっと、クラシックの世界はどうなんだろう。実力だけかなあ・・・。
また、車の中のラジオでは、昔の歌手についていた専属司会の話がされていた。 今では、歌謡ショーの番組はほとんどない。それに専属の司会などいるはずもない。ラジオで聴いたこの番組では、司会の流暢なしゃべりから歌に入っていくと、 もうその世界にとっぷりとつかってしまう。いや、なかなかはまってしまう。歌は古かったが。三橋美智也、春日八郎・・・。 クラシックの世界はどうなんだろう。司会なんかおらず、曲も言わずにいきなり演奏をはじめるけど。
沖縄の曲はそんなに好きじゃないが、夏川りみはいい。 欲しいCDがどんどん増えてしまう・・・。
生音には説得力がある。そしてパワーがある。
五郎部俊朗のコンサートで、思わず購入したCDであったが、家に帰って聴いたときの落差はなんであろうか。それは、かなりくたびれたステレオ装置のせいもあるだろう。 しかし、なんといっても生音の迫力にはかなわないということを実感したできごとだった。
ピアノの前奏がはじまって、歌い出しのブレスをする。この息づかいが聴衆に伝わり、最初の音が声となって発声されると、みなが、その歌の 世界にはまっていく。歌い手と聴衆が一体になるのだ。おそらく歌手も聴き手の反応がわかるはずだ。 こうして本来の音楽がつくられていくのだと思う。
カラオケ講座が盛んだが、プロ並みの技術をもった人も多い。はっきりいって、へたなプロよりうまい。しかし、そこまでだろう。 何が違うのかな?ふーむ、やはり、聞く側は、技術的なものだけでなく、その人そのものを感じ取っているのだろうか。そんな気がする。
中林淳眞先生に聞いたことがある。村治香織はうまいですねえ、と。しかし、こう言われた。「テクニックはすごいよ。でも、音はまだまだだ。若いもんは、あんなもんだ。」
そうか、年齢も必要なんだ。しかし、歳相応の技術を持ち合わせていない・・・。悲しいかぎりだ。 まあ、CD録音するわけでもないし、生音で勝負するか。
一度、藤山一郎の歌をアルト・サックスでやってみようと思っている。
以前に、五郎部俊朗の「藤山一郎とその時代〜歌は美しかった〜」のコンサートに行ったことがある。ふつうの歌謡コンサートではない。五郎部は歌謡曲ではなく、オペラ歌手である。 このコンサートもピアノ伴奏による独唱だった。当然マイクなしで。
藤山一郎自身がそうかもしれないが、オペラ式の歌唱がじつによく合う。こういう生の歌声のコンサートははじめてだったが、声というものは、ここまでよく通るのかという印象があったのを覚えている。今も、五郎部俊朗のCDはときどき聴いている。特に、「夢淡き東京」は好きだ。長調から短調に移行するところは、じつに魅力的である。 ほかには、「長崎の鐘」「ニコライの鐘」と、哀愁を帯びたメロディーが惹きつける。古関裕而の作曲である。 古関裕而といえば、これもオペラ歌手の藍川由美がライフ・ワークのごとく、氏の曲を歌っている。こちらもなかなか聴き応えがある。
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藤山一郎が亡くなる少し前に、ジャズ・クラリネットの北村英治の伴奏で、スタジオ録音している番組をテレビで見たことがある。ここでは、たしか北村英治のバンドなのだと思うが、クラ、ビブラフォン、ベース、ドラムくらいのコンボだったと思う。ここで、北村英治がとても控えめに吹いていたのが印象的だった。 この組み合わせのCDがないか、検索してみたがいっこうにヒットしてくれない。おそらくないのだろう。
しかし、アルト・サックスはいいが、伴奏のピアノの楽譜をどうするかでこの企画は頓挫している。絶対音感は絶対にないので、ピアノの和音なんか聴き分ける能力がない。 まあ、むずかしいコードは使っていないと思うので、ある程度予測はつこうというものだが、素人が譜面化するにはかなり大変だろう。
そういえば今年も、この五郎部俊朗のコンサートが来ることになっている。根強い人気があるのだろう。
9/20の街角コンサートにも、藤山一郎が歌った曲が2曲くらいあったように思う。 庶民的な曲は、こころがなごむ。
きのう、中学校の同級生と会った。
同じ学区に住んでいるのだが、中学校以来だから、かれこれ30年になる。お互い面影が残っている程度だろうが、話ははずんだ。 遊びのこと、仕事のこと、いろいろあるが、同じ趣向の話になると、がぜん盛り上がる。 彼は、喫茶店を営んでいる。行ったことはないが、大学に近いということもあり、おそらく学生達で繁盛しているのだろう。HPを見てもそんな雰囲気があるようだ。音楽はR&Bが得意のようだ。たまにライブをやるという。
話が盛り上がったのはこうである。 彼の喫茶店に、あの川嶋哲郎が出入りしていたというのだ。店でライブもやったそうだ。最近、人気急上昇しているジャズテナー吹きである。専門誌ジャズ・ライフ やザ・サックスにもよく登場している。 近くの大学に通っていて、軽音楽部でジャズをやりながらライブなどで腕をあげていったようである。こちら岡山にも帰ってきて、ライブハウス「バード」で演奏もしている。けっきょく都合で行けなかったが。まだ、残念ながら音は聴いたことがないので、この機会にでもCDを聴こうと思っている。
いろんなジャンルの音楽を聴くことは大切だが、なかなか日常の中でそんなに聴けるものじゃない。なにか事あるごとに、努めて聴くしかないと思う。
先日、本屋で立ち読みした時、ギターのオクターブ奏法についての記述があった。これはジャズ・ギターのウエス・モンゴメリーが編み出した奏法なのだが、家に帰って、このビデオを観た。この時、あらためて無駄のない指の動きを確認したのだが。
同級生は、月に一回、ある放送局でDJをやっている。R&Bを中心に流しているようだ。今度ぜひエアチェックしてみようと思う。 こうして、いろいろな人達と話をし、お付き合いしてみると、どんどん視界が開けて豊かになっていくような気がする。
いやあ、ますます、川嶋哲郎と話をしてみたくなってきた・・・。
きのうのギターから打って変わって、きょうはサックスを演奏した。
曲は、「空港」「城ヶ島の雨」の2曲。楽器はアルトサックスだ。特に、テレサ・テンの「空港」はアルトに限る。なんというか、アルトの音色がぴったりなのだ。まあ、いつもながら伴奏はいないので、CDをバックに流しての演奏である。 これは、私の場合、コパン発表会でもやる手である。「テイク・ファイブ」もやったし、「しのびよる恋」とかも演奏した。それか、無伴奏曲である。要するに、伴奏者に恵まれていないということだ。
きょうのCDは、自分で作った。 「空港」は、MIDIでダウンロードした。一曲200円なり。シンガー・ソング・ライターで、編集をしてCDに焼いて完成。 「城ヶ島の雨」は、ピアノ伴奏付きの楽譜から、ピアノだけを打ちこみで編集した。どちらにしても、音源はソフトウェア音源なので、音質が乏しい。ピアノなんかどうもちゃらちゃらして気に入らない。がまん、がまん。
やはり、生の演奏はみんな喜んでくれる。 こうしていつも、楽器、CDラジカセを積んで、あちこちに出かける。ひとりで演奏するということは、とても機動力があるので、あしたお願いというときも大丈夫だ。
できるだけ、こうして場を作って腕を磨いていきたいものである。
やっと終わった。
しかし本番はむずかしい。どうしても指が固くなってしまう。まあ、80%のできといったところか。 いままで暗譜などしたことがないので、途中で忘れはしないか、それが一番心配だった。なんとかテーマと変奏の三つは無事通すことができた。聴かす演奏なんかいつのことやら。 ギターは、サックスと違ってかなり繊細である。わずかな指のずれが、もろに音となってあらわれる。相当弾きこまなければだめだろう。
先生が言われた。「ぼくはいつも緊張するよ。ただ、演奏に影響するほどではないので大丈夫なだけだよ。」
また、次の演奏に向けて精進あるのみ。
演奏会の前に、K・恵さんが会場に立ち寄ってくれた。思わず、一曲ご披露申し上げた。本番よりは、いい演奏を聴いてもらったので良しとしたい。 いや、こうして来てくれるということはほんとうにうれしいものだ。ふつう、お願いしてもだれも来てくれはしない・・・。
それにしても、妻にデジカメを渡したのがいけなかった。最後に後ろを振り向いたときは、すでにいなかった。帰ってしまっていたのだ。 あー、スナップ写真を撮ろうと思っていたのに。日記にアップすることができなくなってしまった。
また、言われてしまった。「サックスだけにしといたら」
もう時間がない・・・。
いつもこうだ。あと1週間あったらなあ。しかし、こうして日記を書いてる場合じゃない。まだまだ仕上がってないのだあ。
ちょっとだけきょうの出来事を書いておこう。 夜、9/20の街角コンサートの最後の練習をした。なかなか指揮がよいので、合わせやすい。 きょうは、いつもの町内会長さん?が来られてあいさつをされた。なかなか岡山音楽祭に力を入れているのが、感じられる。ついでに、9/27のアルゼンチン・タンゴの演奏会のPRをして帰られた。何回も顔を見ると親近感がわくものだ。
練習の終わりにバンドマスターが一言。「雨になっても来てください。そのまま飲み会に突入しますから。」 やはり、これが目的だったのか。ギャラは足しにしますからと。
帰りに、K・恵さんについて家まで行く予定だ。楽器を当日、ご主人に持ってきてもらうためである。これも、すべて飲みに合わせるための苦肉の策。 彼女の家に行っている途中、急に車を寄せて止まった。ひょっとして、パンか何かのおみやげを渡してくれるのかな? 「よく考えたら、私の車に楽器を乗せたらいいのよね・・・。」はい、そうです。そうしましょ。
いや、軽四には乗らないと思っていたのだが、シートがパタンと倒せるタイプだった。
なんでも思いこみはよくない。
きのう、ちょっとした集まりで、10人ほどの前で弾いてみた。
あー、いっぱいミスしてしまう・・・。なんということか。ちょっとしたミスがきっかけで、後がくずれてしまう。 どうも独りで弾いている時とは違う。前から先生が言われていた。「みんなの前で一度弾いときなさいよ。それが実力だから。」
プロの人達はどんな神経をしているのだろう。まず、ミスをしない。ほとんど。しても後がくずれない。量の違いだけだろうか。 それとも、人間の作りが違うのか。
立花隆の書評で、絶対音感の本についての記述があった。それによると、どうもこういう人は生まれつきの素質があるように思えてしまう。 絶対音感を持つ人は、何かをたたくような音でも、車のクラクションでも、音ならすべて音名でわかるそうだ。ピアノのガーンという和音をたたいた時でも、ひとつひとつの音がわかるというからびっくりものである。信じられない。BGMがかかっていても、ドレミに聴こえてしまい、うるさいそうだ。 小さい時から訓練すれば、しないより、できることはわかるが、それだけではないと思う。
また、妻に言われた。 「どうしてギターなんか弾いたの。ひょっとして練習のつもりじゃないでしょうね?早く帰りたい人もいるんだから、迷惑ですよ。」 とほほ・・・。
きのう、中林淳眞先生のレッスンがあった。
この日曜日に、発表会を控えている。先生が、「新聞に載せるけど、記者が、『このシューベルトの鱒は有名だから演奏者の名前も載せましょうか』と言ったけど、 緊張するからいいよ、と言っておいた。」と言われた。うへー、載せてくれればいいのに・・・。 さっそく、きょうの新聞を見ると、演奏曲として、「シューベルトの鱒と変奏ほか」となっていた。
主題と変奏が三つあるが、最初の変奏は、16分音符のアルペジオの中に、メロディーがちりばめられた形になっている。先生は、これが他に比べてできが悪いと言われた。 メロディーを浮き立たせるように強調して弾いていたのだが、それではいけないらしい。たんたんと、そしてうねうねとしたアルペジオの流れの中に、メロディーが感じられるように弾かなければいけない。かなり弾きこまないと、そういう感じにはならない。あー、時間が・・・。
先生が言われた。「僕でも、弾き込みが足りない曲は緊張するよ。」 特に、クラシック・ギターは爪のタッチの具合で、音が大きく変わる。強さ、位置、角度、どれも重要だ。しかし、本番でそんなこと意識できそうにない。次の音が間違いなく弾けますように、それしかないだろう。ミスすると一瞬で、頭がパニックになってしまうかも。あー、おそろしい。また先生が言われた。「みんな、ほんとに弾けないんだよ。緊張して。」
中林先生の門下生はどんな人たちがいるんだろう。レッスンでは、まだ2、3人の人しかお目にかかっていない。 今年のキューバ方面の演奏旅行には、10人くらいの人が同行しているのが、「現代ギター」という雑誌に写真入りで紹介されていた。門下生は、20数名はおられるようだが。
当日は、終了後解散となる。先生いわく「親睦を兼ねて、打ち上げをしたいんだが、みんな疲れちゃってだめなんだよ・・・。」 そうかもしれない。我々の人種とは違うんだ。こちらは、打ち上げをしたいがために、演奏会をするようなもんだ。9/20の街角コンサートなんか、もろにそうだろう。終わるやいなや、向かいの居酒屋になだれ込む手はずになっているのだ。服装も、演奏ではなく、飲みの体制に合わせてラフなものに設定された。指揮者はきちんとしたかったようだが、飲みの勢いには勝てなかった。
まあ、どんなステージであれ、ステージに上がれば緊張感は必ずある。 生活の中で、仕事で、そして人生の中で、プラスになることは間違いないと思っているし、また実際にそうなっている。
きのうの昼、食事している時、Iさんから「今度の発表会は、何を演奏するんですか。」と声をかけられた。
Iさんが所属しているオケは、さかんに演奏会があるようだ。この前日にも小さな演奏会があったとおっしゃっていた。 今度は、出かけてひさびさに聴いてみたいと思っている。クラシックはほとんど聴かないが、知人が出るとなると、不思議と行きたくなるものだ。
しかし、この「コパン発表会」、秋の部は今年も断念しなければならないようだ。10月から11月にかけては、大学生の動向がいろいろとある。 それも三つの大学にあわせなければいけない。それがむずかしくなってきた。少しずつずれがあるようだ。事務局としては、仕事が減るので助かるが何を目標にして練習しているかということになると、複雑だ。
それを見越してかどうか知らないが、一般の連中が11月に演奏会をする。福山で活動している、岡山レッスン事務局のさくちゃんのバンドだ。 これには、上田啓二先生が棒を振られる。ちょっと期待してよさそうだ。取材に行かなくてはいけないだろう。すでに、ホームページに載せる資料は送ってもらった。写真も要求したのだが、プライバシーの関係で断られた。ポスターの携帯番号の削除処理とか神経を使っている。まあ、これが普通だろう。 ネットは何があるかわからないのだから・・・。
これから秋以降は演奏会シーズンになる。ほんとうに好きでやっている人がほとんどだろうが、バンドなんかでは、いやいや引張られて参加している人もいるはずだ。リーダーは大変だが、やりがいも大きい。
おお、そうそう、10月は、年1回となったハワイアンの秋の例会があるのだ。わがバンド「トシ・モリヤマとグリーンハワイアンズ」の練習が滞っている。 今回、フラダンス用の新曲もやらなければいけない。ボーカルはyakoひとりにがんばってもらうしかない。まあ、ぼちぼち、コーラスも入れる必要があるだろう。 人材不足、これは、永遠の課題である。 メンバー公募すればいいだろうが、それはそれでけっこう大変だ。
ちょっと腰をすえて、年内のスケジュール調整をする必要があるようだ。
2003年09月09日(火) |
ラプソディー・イン・ブルー |
おとといの日曜日夜遅く、K・恵さんから電話があった。
「今、小澤征爾の指揮で演奏をしているよ。」という内容だった。しかし、あいにく風呂に入っていたが、妻がそう伝えてきた。大急ぎであがると、すでに録画中になっていた。 「そのビデオ、いる分ですよ・・・。」 すぐに新しい生テープを持ってきて入れ替えた。 みると、「ラプソディー・イン・ブルー」をやっていた。それもジャズ・トリオ+オーケストラで。ピアニストは盲目のようだ。野外ステージだが、その数、何万人だろうか。日本では考えられない人数が集まっている。ちょっとスケールが違う。
「ラプソディー・イン・ブルー」といえば、上田啓二先生指揮のラージアンサンブルで演奏したことがある。サックスだけのオーケストラだ。 この時は、コパン発表会の10回を記念して、広島で開催した。
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そういえば、この時の、イントロのクラリネットでうぃ〜んとかけあがるグリッサンドは、上田啓二先生がサックスでやった。そう、のどのコントロールだけで。どの楽器も同じだろうと思うが、体全体のコントロールがうまくできなければ、いい演奏は望めないだろう。
あいにく、この時は、演奏がはじまっていたので、イントロを聴くことはできなかった。こういうところは、どうも気になる。サックスもアルト、テナー、バリトンとそろっていた。オーケストラではちょっとめずらしい。おそらく、ジャズ・トリオとの共演ということで入れたのかもしれない。小澤征爾の自由度の高いところか。
その後、何曲か演奏したようだが、寝てしまった。録画したビデオも見ていない。おそらく忙しさの中で、お蔵入りとなる運命だ。こういうビデオが山のようにある。 ただ、今でも10年以上前にとったビデオを見ることがある。どういうわけか新鮮さがあるのだ。心が進化しているのか退化しているのかは知らないが、変化はしているのだろう。 こうして物があふれかえることになるのだが、なにもかにも捨ててしまうのはいけない。場所の問題もあろうが、ずっと取っておくことも大切だ。必要な時が必ずとはいえないが、ある。
立花隆の本に書いている。これについては別の日に・・・。
2003年09月08日(月) |
ヘリコプター〜その2 |
どうも興奮さめやらない。少年の頃の虫が起き出しそうだ。
ヘリや、戦闘機からの映像はよく見るが、体験との違いはG(重力)を実感するかどうかだろう。実際、乗ってみて、想像以上の快感だった。感動だった。 来年は、娘にぜひ体験させてやりたいものだ。
パソコンのフライト・シミュレーターは、おたく系の人間では、古くから根強い人気がある。そういうわたしも、NECのPC98というパソコンを購入した時は、 真っ先にフライト・シミュレーターを買った。といっても、景色がどんどん移りかわるようなものではなく、旅客機で夜の空港に着陸するという単純なものだった。 今では、実機さながらの臨場感が楽しめるようになっているようだ。しかし、残念ながら、Gを体感することはできない。まあ、パイロット養成のフライト・シミュレーターにでも乗れば別だろうが。
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急に懐かしくなって、ヘリを引っ張り出してきた。いま思えば、古いものもとっておくべきだった。といっても、墜落したものがほとんどだが・・・。2枚目の写真は、「ロビンソン」といって、実機を忠実にスケールダウンしたものだ。ローターを取り付けるヘッドと呼ばれる部分もまねて作られている。 このヘリは、神戸機工という会社がキットを販売したものだが、高価でもあり、また操縦もむずかしかったので、マニアが買ったくらいだろう。
はじめてラジコン・ヘリを買ったのは、もう25年以上も前になる。最初は、空中停止のホバリングというやつができなくて、だれでもここで挫折するか、何機もこわして上達するかの分かれ道になる。特に当時の物は、性能も良くないのでホバリングするまでに相当の期間が必要だった。
いろいろな会社が出てきた。ほとんどが、単なる売上拡大を狙ったサブ・ビジネスのようなものだった。しかし、ほどなくふるいにかけられ、淘汰されるのだった。そんなに甘くないのである。
この神戸機工(神戸技研)は、竜野市にあるが、7、8年前に行ったことがある。大きな機械部品の製造会社のようだが、すでにラジコン・ヘリの部門は閉鎖され、昭和初期の建物のような木造の小さな事務所で、細々と産業ヘリのみ、続けられていた。 この「ロビンソン」というヘリは、永久保存版にしたいような代物である。事務所でちょっと聞いてみたが、「そこのダンボール箱に、部品は少し残ってますよ。」と。
いつまでたっても、少年の頃のロマン?は消えないものである。
2003年09月07日(日) |
イベントでヘリコプター |
きょう、上道・小鳥の森フェスタに行って来た。
PA装置の偵察のためである。まあ、大した設備は使っていなかったし、コスト的にみても魅力はなかった。
しかし、目玉はあった。まあ、私にとってだが。ヘリコプター遊覧飛行があったのだ。 いやー、ヘリは乗ったことがない。軽飛行機もだが。旅客機の数えるほどの体験しかないのだ。
この体験飛行、はっきりいって病みつきになりそうだ。 何を隠そう、子供時代は模型少年だった。そして大人になっても。しかし、結婚と同時に、そんな道楽は許されなくなった。まあ、音楽だけはどういうわけか、かなり激しくやっているが。 模型ヘリも何機も作った。そして落とした。金額も半端じゃない。ほんとうに道楽なのだ。しかし、寝食を忘れるぐらい没頭していた。いまでも、残骸が少し残っている。
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パイロットのとなりにすわった。パイロットから言われた。「足元のこれには当たらないでください。操縦装置ですから。」おお、動いている!おもわず緊張が走る。 乗るとき、ローターの高速回転が、びびるほど伝わってくる。こんなのにやられたらひとたまりもないな。 すぐに計器に目がいく。これは水平儀だ・・・。ずっと前の映画で、「戦うヘリコプター」というのがあった。ビデオを何度も見た。フューズ500という、たまご型の小型へりの飛行がめちゃくちゃ多く映っている。離陸の時の操作方法など、ちょっと思い出した。
小鳥の森はちょっとした山が回りにある。その中の芝生に降りるのだが、けっこうハードな飛行だった。パイロットに聞いたが、「いや、普通ですよ。」 飛行機と違って、いきなり、急なバンクをとる。しかも45度くらい一気にやってしまう。左手で持ち手を持って、右手でデジカメのシャッターを切った。とてもじゃないが、両手なんか離せない。 ちょうど、ジェットコースターの感じだ。着陸は恐ろしいくらい、傾ける。四方が山なので、ぶつかりそうなまで、近づくように見えてしまう。
またまた、古い「ヘリコプターの操縦方法」なる本でも出して、ふけってみるか。
きょう、床下収納庫からワインを引っ張り出した。
いや、飲むのではなく撮影するため。はっきりいって、日記に載せるため。 どういうわけか、ワインがたまっている。理由はあるのだが。
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銘柄だが、これ、ほとんどドイツワインである。じつは、これにはいきさつがある。まあ、それはいいが、フランスワインは、だいたい辛口で、料理と共に飲むというのが一般だろう。 しかし、毎日毎日、ディナーの夕げを楽しむ習慣などあるはずがない。昔から、菜っ葉と芋類で育っているのだから。ドイツワインは、デザートワイン的な部分もあって、それだけでおいしい。まあ、単純にいえば、甘口のワインなのである。しかも等級が上がるほど、糖度も上がってくる。甘く、そして深いコク。うーん、ドイツワインの醍醐味はこれか。 しかし、ドイツワインは、世界の生産量の1割にも満たない。したがって、そんなに種類も多くないのだろう。
ここに写したワインは、すべてピーロート社のものだ。ビンにマークが入っている。カビネット、シュペトレーゼ、アウスレーゼ・・・。これは等級だが、だんだんと値段もあがってくる。 1本だけ、ハンガリーのワインが写っている。2本のうちの右側だが。このワイン、とてもコクがあり、ススッと飲めておいしい。
ピーロート社のワインは、どうも店では売っていないようだ。いつも買うときは、営業所からの電話で、買うはめになる。最小単位は6本なので、たまにしか飲まない我が家では、すぐにたまってしまう。
じつは、今、私が話題にしている立花隆氏は、ワイン通である。フランスには、別荘まで購入して、休暇でワインをたしなんでいるようだ。
この話しは、また、したいと思う。
坂田 明のフリージャズとミジンコ。
どういうわけか、坂田 明が好きだ。以前にはテレビのお笑い番組かクイズ番組に出ていたようだ。何といっても、あの容姿、キャラクターがおもしろい。自身も言っていたが、ヘルメットをかぶってつるはしを持った姿がいちばん似合うのじゃないかと思ったりする。
テレビに出演している番組を何本かビデオにとっている。出身は広島で、なんと大学を出ている。それも水産学部。 それでというわけではないが、ミジンコの研究では、有数の学者になるのだろうか。東大から撮影した映像の借用依頼がきたりするそうだ。 東京の自宅は、ミジンコの研究設備でいっぱいになっている様子が写しだされていた。
ミジンコはどうでもいいのだが、彼のキャラクターに惹かれてジャズも聴くようになったが、CDは持っていない。「坂田 明のCDください」とレコード屋に行ったのだが、坂田 明ねえ、あまり出ていないんだよねえ、と言われてしまった。まあ、CDだけ聴いても、雰囲気は伝わってこないかもしれない。彼の演奏スタイルが見えなければ、ノイズだけになってしまうかも。
そして生音はというと、1回だけ聴いたことがある。 もうかれこれ、10年以上になるだろうか。岡山の市政100周年を記念して、市の体育館でイベントがあり、彼が出演したのだ。最初の美作太鼓との共演では、派手にアルト・サックスをうならせていた。 はっきりいって、むちゃくちゃに指を動かしているだけだ。これなら、わたしもまねはできそうだが、サイドキーを駆使した高音のめちゃくちゃ音はちょっとむずかしいかな。 それから、フィナ−レになった時、ステージ中央後方で、彼がまたアルト・サックスを奏でた。こんどはブローしたのではなく、ちゃんと美しいメロディーを奏でたのである。あー、これは絶対に真似はできない・・・。
広島・府中でのコンサートでは、アルト・サックスとクラリネットを吹いていた。 最後に演奏した「サマー・タイム」は、彼の十八番らしく、切々と歌い上げている。バックでは、ミジンコの映像が流れるという仕掛けになっている。
やはり、その道のベテランは、聴かすところは聴かせてくれるものだ。
今年も「いちじく」が熟れてきた。
夏果の「ザ・キング」は、雨のためさんざんだったが、秋果の日本いちじくは、大きさといい、味といい、かなり”グー”である。 いちじくは鮮度がすぐ落ちてしまうので、早く食べないといけない。朝採って、そのまま部屋に置いておくと、夜にはもうおかしい。まあ、スーパーで売っているような熟す前の物なら、大丈夫だろうが、味はだいぶん違うのではと思う。
おフランスでは、コンポートとかいって、砂糖煮にして料理に使ったりするが、日本では、生食が主だろう。ジャムにするにはするが、はっきりいってあまりおいしくない。ジャムは、やはり酸味の強いものが合う。
その他にというと、干しいちじくが健康によいなどいわれるが、一度作ったことがある。といっても天日に干すだけなのだが。味は、プルーンとか、プラムに似ているかな。 やはり、採りたてをがぶっとやるのが一番だ。今度、冷凍にでもして味の変わり具合をみてみようと思う。
我が家の果樹は、いちじく、かきがメインになっているが、来年は、桑の実でも植えようかと思っている。この桑の実、ふつうのものとはちょっと違う。 まあ、実が成ったら公開してみよう。
毎日、愛読されている皆様へ。 きのうのもアップしてるよん。
先日、K・恵さんからゴーヤをいただいた。
ゴーヤはにがみがある。しかし、実家の畑で採れたゴーやは、沖縄産のものに比べると、にがみは少ない。いや、まだ食べていないので、そう言われていた。 沖縄が長寿県であるひとつの要因として、ゴーヤを食べる量がこちらよりもはるかに多いということがあげられている。このゴーヤ、ご存知のように健康食品でもあるわけだ。
K・恵さんに、いろいろと調理方法を教えてもらった。 「かきあげ」:これは、ほかの野菜といっしょにぐりぐり混ぜて天ぷらにするわけだが、ポイントがある。それは、するめを刻んでいっしょに入れることだ。これでおいしさが倍増することうけあいだ。と言われていた。
「ジュース」:ちょっと、うっ、といいそうだが、作り方は、ミックスジュースと同じで、いろいろなくだもの(パイナップル、バナナ、りんご、オレンジ、あれ、違ったかな?まあ、なんでもいい)を混ぜることで、にがみ、くさみは解消されるようだ。 「お茶」:薄くスライスして干す。あとは煮出して飲めばいいと思うが、これ、お茶?。そういえば、先日のスーパー2階でのハワイアンの時は、売っていた缶入りゴーヤ茶を飲んだ。いや、なかなかの味で あった。もうひとつ、ハーブのお茶、たしか、ジャスミンだったか、これをyakoに少し飲ませたが、おえっ、といっていた。
むかし、ゴーヤ・チャンプルなるものを作って食べてみたが、やはり、このにがみが気になった。それ以来、食していなかったが、ひさびさに「かきあげ」で食べることになりそうだ。
しかし、「良薬、口ににがし」とはよく言ったものだ。 冷蔵庫の中には、薬屋が売りにきたものや、農協の営業の訪問販売で買わされた栄養ドリンクがたまっている。どうも高価な物のほうが、容量は少ないようだ。お味のほうも、安物は甘ったるい。 ゴーヤも、そういう意味では、沖縄産のほうがききそうだ。まあ、薬として食する人は少ないだろうが。
栄養ドリンクにしても、なににしても、いままでこれは効いたと思ったことはない。この飽食の時代、はたしてサプリメントが効果あるのかどうか。実験してみたい気持ちはあるのだが・・・。
きのう、学区のまつり委員会があった。
今年で4回目になる。日にちは11月の第二日曜日がお決まりになってきた。稲刈りが終わってからでないと実施できないという大前提があるのだ。 ここは、昔からの田園地帯だ。市街化調整地域でもあり、新興住宅地にはならない。いいかえれば、過疎地域でもあるわけだ。昔からの学区がふたつに分かれてからというもの、ますます過疎化に拍車がかかった。
そんな中、地域活性化しようと、学区で盛大にイベントを催すことになったわけである。第一回から、けっこう派手にやってきた。100名以上の実行委員で構成して、毎月の委員会を積み重ね、やっとの思いで開催にこぎつけた。 その中で、ステージをずっと担当してきた。なんといっても、ステージでの催しがメインになる。普通は、目玉の呼び物を中心にするのが一般的だが、うちは違う。地元を大事にする。地域のサークル、学生バンド、子供会などを主体にしている。
じつは、これがけっこう大変なのである。出演団体が多いのと、はっきりいって「しろうと」のメンバーをステージに上げるわけだから、それまでの段取りが、気が遠くなるほど重労働になる。 よりによって、昨年から、ステージの責任者となってしまった。実行委員は数多けれど、ステージに精通した人なしである。これから、あの悪夢の日々が始まるかと思うと憂鬱になってくる。
毎年、ステージで問題になるのが、お決まりの「音響(PA)の出来不出来」である。昨年は、知り合いのTさんにお願いした。そこそこ良かったのだが、なにせ、学生バンドにはまいってしまった。 音に関してラフなくせ、形だけでやろうとするから、もうぐちゃぐちゃ。リハーサルなしのぶっつけ本番なので、ほとほと困った。挙句の果て、PAのアンプが煙を吹いてしまった。
よく、前に出る音には気を使うようだが、ほんとうは、内側の音、すなわちモニターのPAにはそれ以上に神経を使ってほしいのだ。これはステージで実際に演奏した者でなければわからないだろう。 我が家で練習する時には問題ないのだが、ステージではまともに音が前に抜けてしまう。要するに、耳をふさいで演奏しているようなものだ。ちゃんとしたホールなら反響があり、聴こえるが、野外では目隠しならぬ耳隠し状態になる。これではいい演奏ができるはずがない。 どうも、サイドビジネス的な音響屋さんは、ここらへんのツボが押さえられていない。今年頼む音響はどうなんだろう。ちょっと心配だ。まあ、前日から仕込みをするようなので、チェックする時間は十分あるのだが。
これから、秋にかけて各地でイベントがさかんになる。ちょっと偵察にyakoでも連れて行くか・・・。
2003年09月01日(月) |
パブロ・カザルスのCD |
パブロ・カザルスのCDが届いた。
その名も、ホワイトハウス・コンサート。このCDは2枚組みだが、そのホワイトハウス・コンサートと、さらに古い録音で、1950年代のものが収録されている。有名な「鳥の歌」には、もろにカザルスがうなっている音声とか、まわりのざわめきなどがリアルに入っている。
じつは、カザルスのCDは、はじめてなのだ。ずっと前から、欲しいとは思っていたのだが、かといって、わざわざ買いに行くほどの気持ちもなかった。 今回、CDクラブでこのCDが入ってきたので、ちょうどよかったと購入したまでだ。 感想としては、聴く側の器が小さいせいか、特に感動したわけでもないが、コンサートの臨場感は伝わってきたといったところだろうか。 やはり、映像があったほうがよい。目と耳から入ってくると、おそらく、ぐいぐいとのめりこんでいくだろう。
以前にテレビで、カザルスの番組があり、その中で、ニューヨークの国連本部での演奏が放映されていたような記憶がある。「この鳥はピース、ピースと鳴いている・・・」これは、有名な部分のようだ。 今、これを思い浮かべて聴いている。まあ、先入観も良し悪しだが、時によって、感動が増す場合もあるのだ。
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映像といえば、ジャズでは、チャーリー・パーカーやウエス・モンゴメリーのお宝映像が有名である。 これらは、大橋巨泉のジャズ番組でやっていたことがあるが、ウエス・モンゴメリーの映像は、ビデオを購入した。特に、ウエス・モンゴメリーの映像はこれしか ないようで、お宝中のお宝なのである。親指だけのオクターブ奏法がほんとうにできるのかなど、映像を見ていないギタリストには信じられないほどのわざである。 白黒の、時代を感じさせるビデオだが、じつに貴重だ。 チャーリー・パーカーにしてもウエス・モンゴメリーにしても、指の動きがすばらしくなめらかなのだ。チャーリー・パーカーなんか、キーパッドから指が離れて いないように見える。身体の柔軟性、効率的な動きのお手本のようだ。
上田啓二門下生の第一回コパン・ドゥ・サクソ(サクソフォン発表会)は、もうかれこれ15年ほど前になる。今でこそ、鴨方の・・・ホールで開催しているが、この 時は、H楽器店のホールをお借りして、ささやかにおこなわれた。 私は、いきなり、バッハの「ブーレ」をテナーでやった。ピアノ伴奏は、Yさんにお願いした。 この時、参考にするため、チェロのヨーヨーマのCDを買った。上田啓二先生から、パブロ・カザルスを一度聴いたらいい、と言われて、はじめてカザルスの名前を 知ったのだ。
それから15年、やっとカザルスのCDを手に入れた。
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