管理人トシの日記

2003年08月31日(日) 音楽に感動

立花隆の秘書が書いた本に、音楽についての記述がある。

立花隆氏は、科学、政治などの分野だけかと思っていたら、音楽についても執筆しているようだ。
ひとつは、現代音楽作曲家の「武満徹」について雑誌に連載している。
武満徹は、青年時代、まずしくてピアノが買えない。彼は、紙に書いた鍵盤に向かって作曲をしていた。道を歩いていてどこからかピアノの音が聞こえるとその家をつきとめて、見ず知らずの家にもかかわらず、「ピアノを弾かせてください」と言って使わせてもらっていたようだ。

立花隆の秘書も経済的に貧しい時代は、CDを買えず、公共の会館でむさぼるように聴いたそうだ。しかし、余裕ができた今は、どうか。こういうくだりがある。
「・・・ところが、CDを所有することでいつでも聴けるという安心を得たことが、音楽と私の距離をかえって遠ざけてしまった。もはや、いましか聴けないというあの切実な集中力で音楽を聴くことはできなかった。・・・」

また、秘書である彼女は、ドイツ人指揮者のカルロス・クライバーについて書いている。クライバーの演奏会のチケットを手に入れ、感動的な演奏にひたるまでをリアルに記述している。

クライバーといえば、相当の大物だそうだが、私が名前を知ったのは最近だ。たまたまBS放送で、クライバーが指揮する「こうもり序曲」だったかな?(自信なし)、白黒の彼が若かりし時代の映像を映していたので録画した。
単なる演奏会の映像だったら、おそらくみてはいないだろう。ここでは、リハーサル風景をやっていたのだ。若いクライバーが指示することに対して、老齢の演奏家が生真面目に応対する部分など、とても興味深く見入った。

立花隆秘書は最後にこうくくっている。
「・・・ブラボーと拍手の嵐の中で、私は途方もない感動に揺さぶられると同時に、人生の願いが一つ叶えられてしまったあとの寂しさに耐えていた。残された人生の中で、あと幾度、こういう胸がジーンとする瞬間に出会えるのだろう。人はなぜ生まれてくるのかというと、それは感動するためだと確信した。」

うむうむ、感動か。あー、どうやったら感動をあたえることができるか。
しばし、無言・・・。



2003年08月30日(土) エキストラ

きょう、O吹奏楽団の練習に行った。

 9/20の街角コンサートにエキストラで入る予定なので、合わせをするため出かけた。
「集まりが悪いので遅い目に来て」とK・恵さんに言われていたので、8時前に入った。え、こんなはずじゃ・・・。フルメンバーに近く集まっているではないか。一斉に視線を浴びる感じがした。うっ、気まずい。

 曲は、「刑事アクション・メドレー」「日本民謡メドレー」「いずみ・たくヒット曲メドレー」「服部良一メドレー」他。これはとてもなじみやすい。
この前のコンクールでは、”指がまわらない”でやられっぱなしだった。ひさびさに、吹くことに心酔できそうだ。特に、「服部良一メドレー」は好きだ。サクソフォン・カルテットに編曲しようかと思ったぐらいだ。高峰三枝子の”湖畔の宿”なんかしびれる。ここらへんは、アルト・サックスでぐぐっとむせび泣く必要がある。テナーは合わないだろう。

 今回は、バリトン・サックスを吹く。バリトンはめったに吹かないが、音色はとても好きだ。あー、また、バーバーの曲を思い出してしまった。いっぺん、吹いてみたいと思う。

 きょう、はじめて練習に行ったが、このバンド、いつになく、よく鳴っていたようだ。後ろで、ラッパがカキーンときたら気持ちがよい。

 バリトン・サックスは、きょう、H木君が家に持ってきてくれた。彼は、上田啓二先生に言われたのか、Eのマウスピースを買っている。このマウスピース、そこそこの開きなのでよく鳴るが、今回の選曲では、もっと開きがあってもよいようだ。
”ブン”といわすところなんか、しっかり響かせたいんだが。ジャズ仕様のメイヤーにでも換えてみるか。まあ、鳴らしすぎはみっともないが。

 いやー、やっぱりこんな曲が合っている。やはり日本人なんでしょうかねえ・・・。



2003年08月29日(金) 万年筆

パソコンもパソコンだが、携帯端末(PDA)も使いにくい。

過去、何回かPDAと称する代物を購入した。そう、購入しただけだ。いまや、昔よく使ったステレオ装置とともに、眠っていたものを撮影のため引っ張り出してきた。これ、6万円以上したのだ。パソコンが買える。今でも、同様のものは、6、7万する。

PDAで何をしたいかというと、スケジュール管理とちょっとしたメモ書きである。なにも、エクセルを使ったり、ホームページで検索したりという営業マンのようなことをしたいとは思わない。
しかし、いまのところ、この要求に応える代物は、まだない。できるのはできるのだが、まず時間がかかる。サッと出して、サッと書くということができない。

先日、家電屋さんで新しいPDAをさわってみたが、なかなかよくなっている。シャープの手のひらにのるノートPCタイプのものは、キーボードがしっかりついており、小粒だが優れものだ。なんといっても画面がとてもきれい。欲しい。しかし、6万円以上もする。買えない。


やはり、ペンにかぎる。
最近のボールペンは、水性でとても書きやすい。ペンテルの「ハイブリッド」というやつがお気に入りだ。仕事でも使っている。
ノートは何かというと、A5サイズのシステム手帳をもっぱら愛用している。これにボールペンでは似合わないので、ちょっと値は張るが、ペリカンの万年筆という取り合わせ。
この万年筆、スケルトンなのである。標準品にも、色付のスケルトンがあるようだが、これは完全な透明になっている。じつは、復刻版限定仕様を購入した。能書きによれば、そのむかし、ペリカンの社員の販売デモ用に、内部を見せるために限定で製作したものを復刻したものとなっている。
ちょっと、マニア好みの仕様になっていて、インクは、「インクつぼ」から注射器のように吸い上げる。なんとも、優雅である。
上部のつまみをくるくると回すと、ピストンが上下する仕組みだ。

書いた直後は、インクがたっぷり盛られているので、乾かす必要がある。いらいらして閉じてしまうと、べちゃっということになる。
こういう間をとる余裕も必要になってくる。
しかし、「べちゃっ」がいたるところに付いてしまっている。そんな余裕などないのである。

この万年筆、細字、中字、太字がある。手帳には、やはり細字がいいのかもしれない。しかし、ボールペンにしても、細字はインクが切れやすい。ペリカンともなると、そんなことはないだろうが。

まあ、PDAに比べると、買いやすい。さてどうするものか・・・。



2003年08月28日(木) PCにほんろうされる

ウェーブ・ファイル(wave.file)。

音楽をする者にとってはなじみ深い、パソコンのファイル名だが、録音した音からの変換がどうもうまくいかない。
今年、購入した「シンガー・ソング・ライター7.0」のウェーブ・ファイル変換機能を使うのだが、できないのだ。
K部君を呼んで、いっしょにやってみたが、おなじだ。そこでベクターのホームページから「ぽけっと・れこーだー」という変換ソフトをダウンロードしてやってみたが、だめだ。
けっきょく、K君のMDレコーダーを借りて、MDダビングで、なんとかしのいだ。
 
  
 じつは、娘のピアノ・コンクールの録音審査に出すための音源を作っているのだが、先生に提出する期限がきて、あわててCDRに焼きこみをしようとして、この事態に相成った。
 そういえば、上田啓二先生が、コパン発表会の配布用CDRを作成する際、ノイズの除去で,てこずられていることをうかがった。ソフト・メーカーへの問い合わせなどで、ほとほと疲れたとぼやいておられた。
 どうも、パソコン関係の処理は思わぬトラブルが多く、いらいらさせられる。特に、スケジュールをたてて、期限を切られた場合などは、事が深刻である。
パソコンを仕事としている人はともかく、文筆家、音楽家など、アナログ処理の人たちは、パソコンを敬遠する人が多い。ついていけないということもあろうが、それだけではないような気がする。

 ノン・フィクション作家の立花 隆氏は、情報の収集はパソコン、インターネットで、そして、書くときは、モンブランとかペリカンの万年筆だそうだ。
 仕上がった時は、校正で、専用の原稿用紙はぐちゃぐちゃになっているので、編集者泣かせのようだ。入力した文章が、強制終了で消えてしまっては、もともこもない。もう少し、パソコンの信頼性があがってくれば、様子も変わってくるのだろうが・・・。

 こういうパソコン関係を使いこなすには、相当の時間と労力を必要とする。MIDIだってしかりだ。たまにしか使わない分には、手順が複雑すぎる。
はっきり言って、ソフト代、書籍代に見合うだけの恩恵はまったく受けていない。投資効果ゼロに近い。車を買っても乗らないようなものだ。タクシーのほうが安くつく。お金のことよりも、時間を無駄にするのには耐えられない。
といって、代行してくれるような人もいないし・・・。

 しかし、こんなことではいけない。市民情報ボランティアのメンバーなのだから。



2003年08月27日(水) 火星大接近!

火星大接近。いやSFではなく現実だ。それも6万年ぶりだ。

毎日、空を見上げるが曇りばかりだ。しかし、少々の雲でも、ものともせず超明るく光っている。なんでも、遠い時に比べて、2倍の大きさになっているそうな。きょうの27日がピークだ。
35年ほど前の、ほこりをかぶった天体望遠鏡を出してきて組み立てた。
この望遠鏡は、昨年他界した祖母が買ってくれたものだ。子供向けのものなので、解像度などは悪いが、それなりに見える。
はじめて土星の輪を見た時は感動ものだった。妻が来てからは、自慢下に土星をみせたものだ。
しかし、自動儀がついているわけでもなく、ラフな代物なので、星を地球の自転とともに追っていくのは大変だ。すぐに視野からいなくなってしまう。



それと、家の周りは明かりが多すぎるので、はっきりと星を見ることはできない。山の上にでも上がればよいが、まだ、そこまで凝ってはいない。むかし子供のころ、夜明け前には、流れ星が見えたのを思い出す。今も、天体としては何も変わっていないのだろうが、環境があまりにも変わりすぎた。

近年では、ヘール・ボップ彗星だったと思うが、とても印象的だった。家族で、美星天文台まで繰り出した。岡山の美星町は、全国でも星がきれいな町として有名だ。
この時は、天文台がいろいろとセットしてくれて、いろいろな星たちの観察もした。肉眼でもほうきの部分は見えたが、高性能双眼鏡が使用できたのでひさびさに星の神秘を堪能できた。

今回の火星、どこまで見えるかなと期待はあったのだが、場所の問題と、望遠鏡の性能から、模様まではとらえることはできない。でも、おそらく、娘にとって、はじめて望遠鏡で見る火星に、満足したかどうかはわからないが、意識にインプットされたことは間違いない。できるだけ、いろいろな体験をさせてやりたいものだ。

立花 隆の「宇宙からの帰還」でも読んで、宇宙の神秘にひたることにしようか・・・。



2003年08月26日(火) 岡山音楽祭

岡山音楽祭が今年も始まる。

きのう、K・恵さんと話をしていたら、毎年恒例の街角コンサートのお誘いを受けた。いや見るのではなく参加するほうだが、某市民バンドに属している彼女は、サックス担当だが、サックスメンバー不足に悩んでいる。一度アルト・サックスを吹いたことがあるが、今年はバリトン・サックスのポストが空いている。

駅前の商店街が主体になって催しているようだが、なかなか元気にやっている。実はここの町内会長さんは、吹奏楽がお好きなようで、1曲は指揮を執る。これが盛り上がる。どういうわけか、市長も顔を出して、私にもと言って、1曲振る。センスはこちらの方が上か・・・。

曲は、ポピュラー、歌謡曲が主体なので、まあ大丈夫だろう。1回は練習に参加しなくては。
そうしてみれば、コンクールの曲はむずかしい。何ヶ月もかけてやっと吹ける状態だ。歌謡曲を甘く見てはいけないのだが、譜面づらはやさしい。
ひさびさにバリトンを吹いてみるか。1本だが、バンドの音が変わる。それくらい影響がある楽器なのだ。バーバー作曲の「」を思い出した。

そういえば、7年ほど前に、岡山音楽祭で、ジャズ・クラリネットの北村英治、クラシックの村井祐児、そしてジャズ・クラリネットの大御所ジョン・デンマンのジョイント・コンサートがシンフォニー・ホールであり、出かけた。

 

          
ステージの進行だが、ジャズとクラシックをお互いが先生、生徒になって教え合うという流れがあった。この時、印象に残っているのは、音の質がまったく違っていたことだ。

餅は餅屋のとおり、ジャンルが違えば、生徒は汗をかきかき、あわてふためいていたことがおもしろくよみがえる。クラシックでは、ジャズのテンポ、ノリにはついていけない。
反対に北村英治に、クラシックの澄んだ音色はとうてい無理だろう。しかし、手元には、北村英治の無伴奏で録音したCDがある。
クラシックも、かなり勉強されているようだ。

 この時のジョイント・コンサートは、岡山ゆかりの内田百間にちなんで、御馳走帖ならぬ、音楽御馳走帖と題して、盛りだくさんの音楽が飛び出した。
サイドメンのピアノ・塚原小太郎のバックアップも切れがよく、ノリに乗っていた。ジョン・デンマンはジャズ・クラリネットのバディー・デフランコと並び称される人物だが、音色はやはり、ジャズ系の明るいものだった。

 じつは、翌日にクリニックが行なわれた。女子学生が多かったが、楽器を持ってきたのはわずかだった。そういう私も持っては行かなかったが。
北村英治が、ちょっとお小言。「クラリネットは小さいんだから、どこへ行くにも持っておかなくちゃ。ぼくは、釣りに行く時も持っていくよ。」
 わたしは、お金を払って来たのだからと、ちょっと質問した。あの「ラプソディー・イン・ブルー」の”ウィーン”というグリッサンドのかけ方をたずねた。
 氏いわく、「ぼくは、あまりじょうずではないので、低音は指でやって、途中からのどでやるんだよ。」と言って、実際にやってみせてくれた。
まあ、なんでもよかったんだけど、北村英治氏と話しをしてみたかっただけなんだ。

それにしても、街角は、いつも夕立が心配される。まあ、打ち上げを楽しみに出かけてみるか・・・。



2003年08月25日(月)

夏野菜が終了した。

 

きのう、畑をたがやした。秋の野菜を植える準備である。まあ私は、「ポチ」で、この作業をするだけなのだが。
それにしても暑かった。冷夏なのだろうが、天候不順のあとの気温上昇が激しい。そう簡単には、体が順応しないのだ。

今年の夏は、雨が多く、気温も低かったので、病気が多発した。普段、防除をしないので、影響は大きい。毎年楽しみにしてくれる人が多い「いちじく」は、カビがいっぱいわいて、おかしなことになっている。こんなのははじめてだ。さらに「ぶどう」に至っては、果実がやられて、まともなのは半分くらいしかない。

早い時期から、”薬漬け”にしておけば問題ないのだろうが、家庭菜園は無農薬にかぎる。実際、我が家で食するのは、収量のうち、どれくらいだろう、おそらく半分以下かもしれない。病気・虫にやられても、いいとこだけ食べればいいのだから。

スーパーの野菜・くだものは傷もなくきれいだが、農薬はほとんどのもので使用されているだろう。中には、無農薬・有機栽培をうたっているものもあるが、とても高い。輸入農産物にいたっては、大量の劇薬が使用されているのは間違いない。船底で何ヶ月もの保管に耐えうるにはそれ相当の薬剤が必要だ。おそらく、皮を取ったくらいでは除去できないのではないだろうか。

農薬はいつも、農協の資材センターで購入するが、カギのかかった保管庫のそばには長時間はいられない。激臭で、頭がやられそうになる。とても強烈だ。そりゃあ、ホーム・センターの農薬を買えばよいが、効き目が全然ちがう。
無農薬がいいのはわかっているが、果樹には、どうしても劇薬を使ってしまう。どうも最近の虫たちは、少々の薬では退散しない。困ったもんだ。

あー、いびつなぶどうでも取って食うか・・・。



2003年08月24日(日) 夏はハワイアン

きのう、あるスーパーの2階駐車場で、ビアガーデンが開催され、ハワイアンの演奏をした。

          



いやー、ほんとに暑かった。昼から、セッティングと練習を現地でしたが、炎天下の下では、まいってしまう。2リットルのペットボトル水をかかえていたので、脱水状態にはならなかった。

音響装置やステージなどは、業者がやってくれるので問題ないが、それでも、自前のマイクやアンプは持参してセットした。
いつも音響で問題になるのが、モニタースピーカーだ。これの状態で、演奏のできが大きく違ってくる。
いままで、すっきりとモニタースピーカーから音が出たためしがない。この日も、最初のステージでは、音が小さく、乗って歌えなかったようだ。
ミキサーに小言をいったら、2ステージ目ではよくなった。

きょう、音響に詳しい知人と話しをしていたら、こういう状態になったら、普通は、値引きさせられるそうだ。ハウリングが起こっても同様だ。

どうも、お互いが、プロ意識が薄いので、こういうことに関して、シビアになれない。ちょっと、勉強した感があった。



2003年08月23日(土) 歌のこと

メーリング・リストで、らいらいけん氏が声楽について話題を流していた。

最近、歌い方の技術について興味がある。というよりは必要にせまられているのだ。いま、ハワイアン・バンドには2名の女性ヴォーカルがいる。ひとりは楽譜を見て音程がとれる。当然、ビブラートもきれいだ。もうひとりは、そういう教育受けていないので、カラオケで歌う程度のレベルだ。ビブラートはかからない。

彼女の歌唱力を上げなくては、バンドのレベルが上がらない。そりゃあ、バンドとヴォーカルの両方のレベルが必要なのは当然なのだが、聴衆は、基本的に歌を主体に聴く。これにフラ・ダンスが入れば、こちらを主体に見る。こうなれば、バンドの演奏なんか、だれも聴いてはいない。そんなもんだ。

だれしも、一番目につくもの、目立つものに視線がいく。オーケストラだって、オーボエのソロがあれば、それに集中する。アンサンブルにしても、トップのメロディーをやっている楽器を主体に聴くようになるだろう。

歌い方はよくわからない。ビブラートは、サックスのようにあごでやれば一応それらしく聞こえるが、どうなんだろう。北島三郎だって、ワウワウとやっているではないか。
その前に、音程をきちっととる練習が必要だろう。音がはずれていては、もはやそれは歌ではない。管楽器では、キーボードやチューナーで合わす練習をするが、歌にも適用できるものかどうか。

歌にはもうひとつむずかしい問題がある。人によって声域が違うのだ。歌手のオリジナルの譜面は高いので、たいてい下げたキイにする。カラオケが典型的だ。しかし、なんとなく雰囲気が違ってくる。

一度、上田啓二先生に教えを乞うことにしようか・・・。



2003年08月20日(水) 写真プリントのこと

先日、S県のMさんと写真のプリントについて話をした。

どうも最近は、普通のカメラのプリントもフィルムを一度デジタルに変換してから、プリンターで印刷するようだ。
ということは、プリントに関しては、銀塩カメラで撮った写真も、デジカメで撮った写真も出来栄えは同じということになる。デジカメの解像度が低ければ、当然、写りは悪いが、最近のものであれば、L判程度なら差はないようだ。

Mさんは、写真をよく撮られるとうかがっている。おそらく、アルバムが山のように積まれているのだと思う。
しかし、デジタルカメラを使うようになってから、アルバムが増えなくなってしまったと嘆いていた。写したものを簡単にパソコンで見ることができるので、我が家でプリンターを使って写真にするのはおっくうになるのだと思う。
それに、家のプリンターでは、出来がいまいちで、年数が経つと色が変わってしまうという欠点がある。
写真屋さんに持っていけばよいのだが、さらに手間暇がかかる。

そこで、Mさんはインターネットによるオンラインプリントを物色中とのこと。
価格的には、通常の銀塩プリントにはかなわないが、我が家でのプリンター印刷に比べてもそんなに大差ない費用できるらしい。さらに、手間暇という点では、送料さえ払えば自宅配送もできるし、それがいやなら、送料なしで近くのコンビニという手もある。

そういえば、コパンの発表会の写真をメーリングリスト・メンバーには送ったが、だれかソニーのイメージステーションから注文しただろうか。一度、ためしに注文でもしてみるか・・・。
聞くところによると、一度、オンライン・プリントを利用すると、もう家庭でのプリンター写真には戻れないそうだ。
それぐらい出来上がりの差があるらしい。そりゃあ、インクジェット・プリンターがいくら高性能になったとはいえ、昔からの写真印画紙には到底およぶまい。歴史が違うのだから。

以前に、行きつけの写真屋さんが、デジカメの出現で、商売のことを危惧されていたが、今は、町の写真屋さんもデジカメのプリントなど、それなりの対策を講じているようである。

この前の証明写真を撮ってもらった時は、デジカメであった。今までは、ポラロイドの安っぽいものだったが、これは、違う。ちゃんとした写真が、その場でできる。パソコンで、こちょこちょと処理をして写真プリンターに送ると、あれ、たちまちすばらしいのが出てきた。被写体もいいから、文句なしだ。

人間、危機を感じれば、けっこう、あれやこれやとアイデアで乗り切るものだ。



2003年08月19日(火) ログハウスの夏祭り

8月11日の状況を書くのを忘れていた。

この日は、ログハウス・T氏宅での夏祭りだった。毎年開催されるが、今年も出し物が多彩で華やかだった。なにしろ、T氏は全国的な活動をされているので情報も多く、いろんなジャンルの人たちが駆けつけてくれた。


いつも音響装置をお願いしているT口氏に今年も無理をいって機材持ち込み、セッティング、本番の調整まですべてやってもらった。
なにしろ、プロ顔負けの機材というか、プロそのものなんだけど、内容が半端じゃない。アンプなんかは一人では持てない重さである。
けっきょく、マイクを10数本立てた。これだけあれば、素人では調整がむずかしい。T口氏もイコライザーでハウリング調整に余念がなかった。

今回はちょっと心配事があった。天候だ。夕方から雷雨で次の日まで続くと予報されていた。今年は、ログハウスから続きの常設ステージが作られている。一応屋根はあるが、「よしず」製なので雨はまともに抜けてくる。せっかくの催しが、雨でお流れとなっては残念だ。
そこで、昼間からブルー・シートを屋根にかけることにした。ベンチャーズ・バンドのメンバーがすでに準備のため来られていたので、数人で作業をしたが、これが大変だった。なにしろ、屋根はきゃしゃなので上がることはできず、長い棒で渡しながら少しずつかけていった。
じつは、これが功を奏して、雨の中のにぎやかなイベントとあいなった。
何事も、手を抜いては結果はおのずと知れていることを実感したできごとだった。あとで、とても喜んでもらえ、うれしいかぎりであった。

中でも郡を抜いてよい演奏をしたのは、ディキシーランド・ジャズの演奏だ。あちらこちらで活躍をしているだけあって、聴かす演奏をしていた。トロンボーンは、ノリノリで歌っている。まあ、これくらいできれば、どこに出ていっても恥ずかしくない。

そういえば、昨年の8月11日には、連れてきたストリートミュージシャンが出色の出来であった。「デビューでもしたら」と言っておいたら、それから間もなく上京してCDデビューしてしまった。すでに民放で活躍している。
今年も出るように言ったら、スケジュール調整がどうのこうのとマネージャーが言ったそうな・・・。くそ!



2003年08月18日(月) 演奏はむずかしい

実に指示がこまかい。楽譜が先生の書き込みで真っ黒になっていく。



楽譜通りに弾いてはいるのだが、どうも音楽にはなっていないようだ。
決定的な間違いというか、修正要の部分はリズムであるとのご指摘。強・弱・中強・弱のリズムがビシッと決まっていないと、田舎くさい演奏になってしまうそうだ。

しかし、これを16分音符の中で表現するには、かなり弾きこまないとむずかしい。リズムを考えて演奏しているようでは、他のことに頭がまわらない。
どうも、頭がパニック状態になってしまっている。指がまだおぼつかないのに、気だけあせってリズムもつんのめってしまっている。

そういえば、何年か前に、H楽器店で、ヤナギサワのサックス新製品展示会の際にサックスクリニックがあった。この時は、どういうわけかテナー・サックスを持って参加したが、講師の前でなにやら吹いて教えてもらった記憶がある。
講師は、エレファント坂井(酒井?)氏だったが、模範演奏を最初にやってくれた。この時、リズムについての話しをされたと思うが、記憶に焼き付いているのは、「プロとアマの決定的な違いは、リズムである。」ということだった。この時は、テンポが安定しているとか、他の楽器と合っているとかぐらいしか思っていなかったが、どうも、そんな単純なことではないようだ。

どうも、音楽の基礎の基礎があやふやである・・・。



2003年08月17日(日) いま読んでいる本

いま、立花隆の秘書が書いた本を読んでいる。



「立花 隆秘書日記」というものだが、3代目の秘書を公募して、500人の応募者の中から1名を選考するところから始まっている。選考の方法など、興味深々でとてもおもしろい。

立花隆が働く通称「ネコビル」での日常の行動がリアルにえがかれており、一気に読み進んでしまう。しばらくの間、寝不足が続きそうだ。
この「ネコビル」とやらは、真っ黒な外装の地下2階地上3階のビルに、猫の顔が描かれているので、そう呼ばれているらしい。テレビでも紹介され、ガイドブック片手に訪れる人が多いとのこと。
「ネコビル」の中身は、以前に買った「立花 隆のすべて」で紹介されていたので、今回の本を読んでも、実際にこのビルにいるようでよくわかる。

「宇宙からの帰還」「アポロ13号」などの宇宙物や、医療、科学関係の本をよく買って読んだものだ。いや、積んどく状態が多いかもしれない。
きょうも、娘が本を買うというので本屋に連れて行ったが、立花 隆著「ぼくが読んだ面白い本・ダメな本、そしてぼくの大量読書術・驚異の速読術」なるものを衝動買いした。
そういえば、ずっと以前に「ぼくはこんな本を読んできた」を買ったままだ。

この速読術には、ちょっと興味があって調べたことがある。どうも脳の使い方にポイントがあるようだ。
ある意味では、楽器の演奏にも通じる部分があるかもしれないが、どうも、文字を文字としてではなく、画像としてとらえるようだ。

まあ、しかし、知識だけでは腕はあがらない。実践がともなわねば・・・。 



2003年08月16日(土) 健康第一

きょう、健康のことを考えさせられる話しを電話でした。

以前、仕事でお世話になったS県のMさんが、盆休みで帰省されていると思い電話をしてみた。しかし、今年はずっとS県とのこと。Mさんは病気療養中であった。病気の内容ははばかって詳しくは聞いていない。手術をされたということなので、大病であろう。
声の調子からは、以前と変わりなく元気になられているようだ。

Mさんは、はじめての人間ドックで悪いところが発見された。会社での健康診断で発見されるようでは、かなり悪くなっているのだという。
人間ドックだけは毎年行ったほうがよいと忠告された。そういえば、人間ドックとやらは、1回だけ行ったことがある。もうかれこれ、5、6年になろうか・・・。
そのときの結果は、オールAであった。それに気をよくして、それ以来無関心になった。

しかし、よく考えてみると病気になってしまえば、すべてがダメになってしまう。
家庭、会社、自身、・・・。病気をして、人間が大きくなるということもあるかもしれないが、しないにこしたことはない。

それにしても、体重が増える一方だ。どうやって歯止めをかけるかが大きな課題になっている。妻の言いぐせは、「これ以上大きいサイズの服は買いません!」
理屈ははっきりしている。インに対してアウトが少ないだけなのだが。

しかし、人間のインの欲望を押さえるのはとってもむずかしいのだ。



2003年08月07日(木) 弦楽器



弦楽器は、管楽器に比べて音を出すということに関してたやすいように見える。

まあ、ギターはそういえるかもしれない。しかし、ヴァイオリンは違う。いわゆるノコギリ音のギーコギーコになってしまう。おそらくこれは、楽器のよしあしはあまり関係ないのだろう、音を出すことに関しては。
弓に「松やに」を塗るのだが、これの付きが悪いとすべって弦が響かない。ヴァイオリンというと昔からあるが、弦はスチール製である。
べつにギターのようにはじくわけではないので、弓をすべらせただけでは、場合によってはまったく音が出ない。
ウィーン〜ときれいな音を出すまでには時間がかかる。

ギターはだれでも弾くし、本屋さんにもこれでもかというほど、雑誌、ハウツー本があふれている。しかし、いまだにヴァイオリンのたぐいだけは、ほとんど流通していない。原因ははっきりしている。だれでもが手をだせる代物ではないのだ。
ヴァイオリン、チェロを華麗に弾きこなすことができれば、優越感にひたることはまちがいない。

そういえば、ヘルプデスクのIさんは、アマチュアの交響楽団でトップ・チェロを弾いているのだ。「白鳥」でも聴かせていただこうか。

じつは、ヴァイオリンを習得すると、別の効果がある。それは、音程を自分で作っていく必要があり、そのためには、音感を鍛えなくてはならない。ギターなんかは、音程がすでにあるので意識をしないが、そのために、音に関しては鈍感になる傾向がある。サックスなんかもそうだ。初心者がへなへなの音程で吹いても、なんとも思わないのは、まさか音程が狂うとは思っていないからだろう。

音程がないサックスなんかを開発するといいかも・・・。



2003年08月06日(水) 指がまわらない

ほんと指がまわらない。

今度の日曜日はコンクールだというのに、16分音符の速いパッセージがまったくできない。なぜこうも指がいうことをきかないのだろうか。
練習不足といってしまえばそれまでだが、なにかいい方法はないものだろうか。

上田啓二先生は、息の使い方、それも支えが大切だと言われるが、それだけではないだろう。指そのものの俊敏性をあげるには練習方法にもなにか工夫が必要な気もする。物の本には、メトロノームでゆっくりと、それも、毎日の練習の最初にいつもゆっくりと。あ〜、そんな暇はないのだ。
毎日の練習すらできない現実があるのに、そんな悠長なことはいっておれないのだ。

現実的な問題は、中指と薬指の分解がうまくいかない。ひとつひとつの音がきれいにバランスよく配置されない。
特にクラリネットは、変え指が多いので指をあっちこっちに移動させなければならず、これが大変な苦痛であり、スムーズに指がまわらない原因でもある。

 

換え指に関してクラリネットとサックスを比較すると、どうみてもサックスのほうが有利だ。まず、そんなにあっちこっちにサイドキーはない。
たとえばクラリネットで、ミのフラットからドに下がる場合、普段使わないキーを左の小指で押さえる。サックスでは、どの音からであろうとドは左の中指だけでいける。そういえばサックスは歴史が浅いのでそれだけ完成度が高いのかも。

この辺は、楽器メーカーにがんばってほしいところでもある。楽器はもっと改良されてもいいはずだ。むずかしい楽器を駆使するのが目的ではないのだから。
もっと楽にいい音楽を奏でたいという願望はだれびとも同じだろう。

しかし、練習時間の減少とともに、腕が確実に落ちてきている。あ〜、朝練でもするか。




2003年08月05日(火) 水彩の筆



ちょっと絵の具を使ってみた。

じつは、この絵はずっと以前に描いたものだが、また、最近、描きたくなった。といっても、模倣である。なんでもそうだが、最初はものまねから入るのが定石だろう。
これは、水彩画の書き方本に載っていたものをまねて描いた。下描きから順番に、色の順序〜最終仕上げまでの初心者用のテキストにしたがって。
やはりプロの構図は違う。写真でもそうだが、バランスがじつによい。できはこれで決まる。あー、K・恵先生にお話しせねば。
色の使い方もセンスがあふれている。同じ構図をとってみても、色が息づいていなければだめだ。やはり、一から基本に忠実に学ばねば、いい作品はできない。

この絵をアップしたのは、これしかなかったからだが、じつは別の意図もあるにはある。
何年も前から、描こうと決めて、道具は揃えたが、一向に時間がとれず、この状態だ。公表したからには、順次アップできるようがんばるしかないだろう。いや、逆にプレッシャーに押しつぶされるかも・・・。

絵の具はホルベイン、パレットナイフもあるし、なにやら孔雀の羽のように広がった筆もある。

さあ、描けるか。



2003年08月02日(土) 愛読者にお詫び

しかし、愛読者のみなさんには申し訳ない。

更新がされていないHPのカウンターがあがるのは、おそらく、このたわいもない日記を愛読してくださるみなさんの訪問によるものでしょう。そう思うと、日記を飛ばすのはそういう方を裏切ることになり、申し訳ないかぎりである。

きのうは、愛読者?のひとりであるK・恵さんからわざわざ電話があった。「筆の違い」についてコメントがあった。ほかの記事もおもしろかったよと言われた。
彼女は、月に1回くらいしかメールを見ないらしい。それも息子さんに開いてもらって。
そう、まったくのPC音痴なのだ。あ、こういうことを書くと問題だが、彼女なら許してくれるだろう。しかし、こうして電話までくれるとうれしい。


    

毎年恒例の花火大会に行った。

19:30分開始で21:00終了の5000発花火だ。娘を連れて行くので、花火半分、夜店半分といったところか。
娘が大きくなったら、もう行かなくなるだろう。特別、花火が見たいわけではないのだから。
それにしても、この人の波はどういったらいいのだろう。押し合いへし合い、もまれる。まあ、そんなに近くにいかなければ、優雅に見れるのだが。
いつもは、歩きながらぶらぶらとするが、今回は、夜店の一角にじっととどまった。わけがあるのだ。

じつは、この夜店のにいちゃんの仕事振りに見入っていた。
たいやき器のような感じでカステラを焼いていたのだが、その早業に見とれていた。買いに来ている人も同じようにじっと見ていた。種を流し込むお手前もみごとだが、カステラを袋に入れるすばやさもすばらしい。適当にほうりこんでいたのかと思ったが、どうも瞬間に数を数えているようだ。

こうして、技を見ながら歩くのも楽しい。同じ焼きそばでも、店によってやりかたが違う。へらの返しがうまい店のは、なんだかおいしそうに見える。

やはり、技は磨かなくては。


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管理人トシ