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喜びも2倍、苦労も2倍、出費も2倍 - 2005年08月20日(土)


早い物で、もうすぐ双子も生後1ヶ月。
1ヶ月も早くうまれたので、当初はかなり小さかったんですが
先日の検診でやっと2人とも3キロを超え、外に出ても良いし
お客さんを家に呼んでも良いことになりました(やっと普通の生活に戻れる〜)

最初、なかなか増えなかった双子の体重ですが、途中から何故か
凄い勢いで増えだし、通常1日に20グラム〜30グラムづつ
増えていくのが理想なのに、うちは50グラム以上も増えていて、
先生に「ミルク減らしてね」と、突然のダイエット宣言。
母乳+ミルクを飲ませてるのですが、ちょっと多く与えすぎてたようです。

母乳で育てたい一心で頑張ってはいるんですが
どう頑張っても今のところ、2人分の母乳が出ないので
仕方なく、足りない分をフォーミュラ(ミルク)やドナーミルク(病院で売っている母乳)で
補ってます。
産まれたばかりの頃は、フォーミュラをうけつけず、飲むたびに吐いてたので
病院のナースにドナーミルクと言われる、病院で売っている
殺菌消毒した母乳を飲ませると言われそれに切り替えると
ごくごく飲んだので、それいらい自宅に帰ってきてからも
私の母乳で足りない分は、
可能な限り病院までドナーミルクを買いに行き与えてました。

授乳はきっちり3時間おきで、2人に母乳を飲ませた後
それぞれにミルクを飲ませ、その後オムツを替えて、
哺乳瓶洗って消毒して終わりやねんけど
なんせ2人分なので一人で世話するのは大変(というか今のところ不可能)
必ず誰かに手伝って貰いながらやってます。
これが24時間続くのですが、授乳の間おとなしく寝てくれるかというと
そううまくはいかず、どちらかが必ず起きている状態。
なんとかあやして寝かすと、もう一人が起きるという
悪循環。
一人が泣き出すと、その声でもう一人がもそもそ起きだすこともあり、
かといって私一人で2人を抱くことは出来ないので、
一人を抱いて、一人をカーシートに入れて足で揺らしたり、
母が一人抱き、私が一人抱きと大人2人がかりでやっと面倒見れてる感じです。

私一人で、お腹に穴が開いたまま2人の面倒なんてとうてい見れてなかったと
思うと、母が居てくれて本当に助かった、と心の底から思う。
(旦那は朝6時半から夜8時頃まで、しかも週に6日仕事で家にいないのでほとんど手伝えない)

そんなこんなで、双子の育児は思った以上に大変で、世の中のママ達は
こんなしんどい育児を文句も言わずに今までやってきたのか、とおもうと
全世界のママを尊敬する毎日。
まして、何人も子供がいてる人なんてどうやって面倒見てるのだろう?とおもうと
本当にすごい!としか言いようがない。

そんな苦労が2倍の双子育児やけど、苦労の変わりにかわいさも2倍で
2人揃ってたまらなくかわいい(親ばか満開)
2人とも全く性格は違うし見た目も違うので、またそれも見ていて飽きない。

そんなかわいさ2倍の双子育児やけど、産まれてからビックリしたのは
出費も凄いと言うこと。
まず、当然の事ながらミルクやオムツは2倍のペースで減る。
母乳が全然足りてないので、ミルクやドナーミルクを買ってるんやけど、
ちょっとでも体のためを思ってと、ドナーミルクを何も考えずに
買ってたら、カードの請求書を見てひっくり返った。
ミルクの数倍の高さなのである(買うときに気づけよ)
買っても買ってもすぐに飲んでしまうので、順調に大きくなってきた最近では
フォーミュラを主に飲ませてる(それでもその無くなる勢いはすさまじい)
ひとケース買っても、数日しか持たない。

そしてオムツ。これまたすごい。
1日に消費するオムツは20枚以上。
40枚入りのパンパースが、1日半しか持たないのである。
気がつけば、最初の頃はオムツばかりを買ってたような気がする。
(体重が軽すぎて、最初パンパースしか使えなかった)

母が来るとき日本製のムーニーを荷物と一緒に一箱(凄い量)
持ってきてくれたので、最近はそれを使えるようになって本当に助かってる。

しかし日本のオムツってほんとにすごいね。
まず、肌触り。さらさらなのよ。
そのうえ漏れない設計や、おしっこすると
おむつの表面にサインが出たりするのである。
なのにもかかわらず、北米製の肌触りざらざらのオムツに比べて
値段は半分以下。
すごいぞ、メイドインジャパン!

こうやって、これからどれくらいオムツを消費するのか考えてぞっとなった。
布オムツにすればよかったかな?と母と話し合ったけど
とても布オムツを洗う気力など、私達には無い。
そんな時間あるのならとりあえず寝たい。

と、育児にまみれている毎日の私。
ベットレストで毎日寝てばっかり、ごろごろしていた生活が既に懐かしい!




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なんとか生きてます〜 - 2005年08月19日(金)


早い物でもう8月も後半。
もうすぐ出産して1ヶ月になります。

おかげさまで私も退院し、自宅で育児まみれの毎日を送ってます。
お腹の傷は未だに完治せず(しつこいわぁ)
お腹に穴が開いたままなので、毎日看護婦さんが来て
傷の洗浄&ガーゼの交換をしてくれます。
約1ヶ月、毎日しないといけません。
いつになったら治るのかな〜なんて完治を首を長くして待ってます。

当初、全長6〜7センチ、深さ1センチ〜1.5センチの傷がぱっくりあいてたんですが
それでも最近は半分くらいに小さくなってきてるようで、
少しづつは治ってきてる模様。
もっと若かったら、治りも早かったのになぁ〜

家に毎日来てくれる看護婦さんは、ホームケアナースといって
自宅にて様々な治療が必要な患者さんのお宅をまわってくれるシステムです。
なかなか良いシステムやなぁ〜なんて思ってたんですが、
初めてナースが自宅にきた日、なんとナースは土足でずかずかと家の中に
入ってくるのでびっくりし、丁寧に
「申し訳ないんですが、我が家では靴を脱いで生活してるので
靴を脱いで貰って良いですか?」
っていうと

「私達は靴を脱がずに患者さんの自宅へ上がるように指導されてるし
そういうふうに法律で決まっている」と言われてしまいました。
よって、それ以来毎日
看護婦さんに土足で家中を歩き回っていて、不愉快極まりない。

私も旦那も、日本式というかつい床に座る生活をしてしまい、
ソファーがあるのに、床にクッションを持ってきて寝っ転がってしまうので
看護婦さんがそこを土足で歩くのでたまらない。

家に来て貰って治療して貰えるからありがたいんやけど、靴は脱いで欲しいわぁ




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白衣の天使ばかりじゃないのねぇ。 - 2005年08月05日(金)


カナダのナースは、日本のようにお揃いの白衣を着ていないので、
なんだかナースって言う気がしない。
人によっては自分の好きなユニフォームを着てたりして、
たまに、誰がドクターで誰がナースか分からなくて混乱するんです。

そんな話しはさておき、入院中忘れることが出来なかった悲しいお話しを。


当初、親元を離れてナーサリーに入院中だったツインズは、
基本的に24時間体制でナースが全ての世話をしてくれます。
だけどわたしは、自分の子供はできるだけ自分で世話したいと思い、
せっせとナースを手伝うためにナーサリーに通ってたのです。
ナース達はそれはそれはいい人達ばかりで、安心して子供を預けられる感じでした。
低体重でミルクをうまく飲めない我が家のツインズにもやさしくしてくれ、
いちいち抱っこして声を掛けながら少しづつミルクをやってくれる姿を見て、
感謝してました。


が!!!!悪夢はある日突然おこるのです。


その日の担当だったナースは、ぱっと見た目から「怖っ!」と思うくらい
気のきつそうな女性でや〜な予感はしてた。
かといってナースを変えてほしいとは言えないので、
念のため何回も様子を見に行くようにしたんです。

彼女は、1日に決まった量のミルクを何が何でも飲ませることと、
時間通りに全ての作業を終えることが最大の任務のように仕事をしていて、
子供を子供だと思わず、まるで人形を扱うかのような感じだった。
彼女一人で4人の子供の面倒を見るのも大変やとは思うけど、
子供達を抱くことなど当然なく、子供を触るときには絶対にゴムの手袋をして、
あやしたり声を掛けたりすることもなくまるで流れ作業のよう。

うちのツインズはミルクを飲むのにものすごく時間が掛かるので、
ナースの迷惑にならないようにと私と旦那とでミルクをあげていたらそのナースはいきなり
「あなた達、時間掛かりすぎ。タダでさえ子供の体力がないんだから
そんなに時間かけたら余計に体力消耗してダメ」と凄い勢いで言い出した。

私にとっては初めての育児なので、言われたことに対して
「そうか、時間を掛けてはダメなのか」と思い直し、
なんとか短時間で少しでも飲んでくれるように頑張ってた。

なのにしびれを切らしたナースは
「この子達ね、時間掛かるし、ミルクもあんまり飲まないのよ。
でも最低でもこれだけは飲んでもらわないと困るから鼻からチューブ入れたほうがいいのよね。
子供には痛くも痒くもないから」

といわれて、それってどういう意味?と私が考えてるといきなり子供を取り上げられ
目の前で30センチはある管を子供の鼻から入れられた。
当然子供は火がついたように泣き出し、それを見ていた私は苦しそうな子供を見てびっくりし、「や、止めて〜」と思って止めようとしてんけどナースはどんどん管を突っ込んでいき、
胃に到達した管を確認するために管の先から胃の中のミルクを注射器で吸い出した。

子供は苦しくて泣きまくって、結局苦労して飲ましたミルクも
その直後にげ〜っと全部吐いてしまった。

事の一部始終を目の前でやられた私も、気が狂ったように泣いて怒ってしまい、
それをみた看護婦さんはやっと気がついたみたいで

「ご、ごめんねぇ〜。いつもならこんなこと親の目の前ではしないのよ。
トラウマになるからね。でも急いだ方が良いと思って目の前でやってしまってごめんねぇ。
子供は大丈夫なはずだから」

と必死で言い訳するけど、なんだか目の前で子供を痛めつけられたような気がして、
今まで人前でこんなに泣いたことがないっていうくらい号泣してしまった私。
結局もう一人の子供にも管を入れられ、
2人とも鼻の管からミルクを強制的に入れられる事になった。

それから何時間も泣きやむことができない私を見て義姉は、
ナースステーションに丁寧に、かつ的確に意見を言ってクレームを付けた。
そして鼻の管はほんとうに必要だったのか、どうして親の目の前で無理矢理処置する
必要があったのかを、小児科の先生に聞きに行ってくれた。
小児科の先生はびっくりしてすぐ私の所に電話してきて、
「今から様子見に行ってくるから安心して」といって子供達の元へいってくれた。
そして管を抜いてくれたのです。
先生の判断では、管は全く必要なかったのです。

それから一晩中泣きっぱなしだった私を心配して、
わたしが入院していた病棟のナースが何人も慰めに来てくれた。
中には忙しいのに、わざわざ時間を作って夜中の3時にナーサリーまで
ツインズの様子を見に行ってくれたナースさんまで居てありがたかった。

自分の子供が痛めつけられたり、病気になったりすることに
身が裂かれるような思いをしました。
自分が病気したり痛い思いをするより、子供が辛いのを見てる方が
わたしにはよっぽど辛いと感じた今回の出来事。
もうあんなナースには2度とあたりませんように!

今現在ナーサリーに入院しているたくさんのベイビーズ達が、
また痛い目に遭ってないことを祈るばかりです。











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我が家のベイビーズ - 2005年08月03日(水)


我が家のベイビーズは、35週と5日に早産で産まれてきたんですが、
そのわりには比較的大きくて、
ベイビーAが2450グラム、
ベイビーBが2150グラムで産まれてきました。
思えば2人合わせて4.6キロ(そのうえ胎盤も1キロ超えてたよ)が
お腹の中に入ってたのかとおもうと、怖いわぁ。

産まれた直後は念のため保育器に入り、ナーサリーに入院しました。
かなり症状が重い子供が入院するNICUと普通のナーサリーがあり、
うちは普通のナーサリーへの入院だったので、
子供の状況はそれほど悪くないんやな、と思いちょっと安心。

帝王切開の術後、ベットに寝たままベットごとナーサリーへ行き、
保育器の中の我が子を見たときは何とも言えない気持ちでしたわ。
保育器の小窓をちょっと開けてほっぺたをぷにゅっと触って
そのやわらかいホッペにメロメロ(もう親ばか炸裂)。

体重が軽いのと、体力があんまりないのでミルクをうまく飲めない事以外は順調で、
翌日には保育器を出ることが出来てほんとよかった。
看護婦さんは、子供達にまだ名前が付いてないのでベイビーA,ベイビーBとずっと呼んでて、
「早く名前付けてあげて〜」なんていうので、
入院中に旦那と相談して名前を決めました。

顔を見てから決めたからなんだかもめることもなく、すっきり決まってよかった。
産まれる前は、名前戦争長かったからねぇ。

ベイビーズは小さいながらもちゃ〜んと個性があるんです。
ベイビーAは、なんでもゆっくりおっとり。
それに引き替えベイビーBは、大食いでいつもばたばたしてます。

双子だけど2卵生なので2人とも全く似て無くて、まるで別人。
「こんなに似てない双子も珍しいわぁ〜」とみんなに言われます。

まだ生後2週間やのに、2人ともかわいい寝言を言って楽しませてくれるし、
たまにニタニタ〜っと笑顔を見せてくれ、その姿は1日見ていても飽きません〜。
きっとこれが最初で最後の子育てになるとおもうので、1分1秒を大事に、
今しかない新生児時代を楽しみたいです。子供ってすぐ大きくなるもんねぇ。

早く大きくなって欲しいような、小さいままで居て欲しいような複雑な気持ち。
こんなにも親にべったりしてくれる時期は間違いなく最初の数年だけだと思うので、
嫌や〜って逃げられるまでべたべたしようっと!




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続き - 2005年08月02日(火)

幸い痲酔の副作用も何もなく、至って元気だった私は手術したその日の夜から車いすにのり、
子供達に会いにいきました。
術後は安静に、なんていう言葉も頭の隅にはあったんですが、なんせ子供と会いたい一心で、
毎日車いすで病院の中を走り回っておりました。

3日後から母子同室になり、そこから24時間エンドレスに続く、
3時間おきの2人分の授乳と世話で睡眠も取れ無いどころかじっとしている事もできずに、
無理してました。
6日間の入院中、高熱が出だしてちょっとやばいかな〜とは思ってたけど、
そうはいっても授乳を休むわけにはいかず、
念のためともらった抗生物質をのみながら退院。
そして家での初めての子育てがはじまりました。

子供達は小さく産まれてきたので、体重を増やすことに専念するように言われ、
ビジター禁止令も出されたので、ひたすら家にこもって
3時間おきの授乳を頑張ってたんですが、私の体調がだんだん悪くなっていきました。

退院してから一度も下がらない熱に加えて、帝王切開の傷口がどんどん腫れてきたので、
退院1週間後に近くのエマージェンシーへ。

そこで傷口を見た先生は「あ〜、化膿してるよこれ」といって、
点滴で抗生物質をうったあと、なんとお腹の傷口をメスで切り、
中に注射器を突っ込んで膿を吸い出したんです。
陣痛並みに痛い処置だったのでぼろぼろ泣いてしまうと、
今度は麻酔を打ってくれたんですが、注射器じゃ間に合わないといって、
先生が私のお腹の上に体重を掛けて乗ると、傷口から噴水のように膿が出てきてびっくり。
「多分、これでもう大丈夫だと思うけど、念のため点滴に通ってね」といわれ、
それから毎日抗生物質の点滴に通ってたんです。なのに!!!!!!!!!

傷口の痛みはどんどん酷くなり、4日後には傷口からまた膿が出てきたので、
今度は出産した病院のエマージェンシーへ駆け込みました。
そこでは帝王切開時に立ち会っていた先生がたまたま夜勤でいてて、
その他の先生と3人がかりで、また痲酔をして前よりも大がかりにお腹を切り、
膿を出しました。
これ以上化膿が進まないようにと、そのまま強制的に入院させられ、今に至ります。

24時間点滴がはずれず、お腹の傷もぱっくり開いたままで、
その傷を毎日1時間ほど掛かって処置してくれます。
出産時と同じ病棟に入院したので、看護婦さん達が私の名前を見つけてびっくりして
「あんた〜なんで帰ってきたの〜」なんてぞろぞろ挨拶しに来てくれます。
「私も帰って来たくなかったわよ!」と笑って言い返してるけど、
退院した2週間後に同じ病院にまた入院なんて誰もしたくないわ!と密かに泣いてます(トホホ)

出戻りの私をかわいそうに思ったのかどうかはわからへんけど、
ものすごく広い一人部屋を提供してくれたので、案外快適な入院生活を過ごしてます。
周りは出産した人ばかりで、各部屋からはかわいい赤ちゃんの泣き声が聞こえてくると、
「あ〜うちのベイビーズはどうしてるのかな?」と猛烈に寂しくなるのですが、
私が元気にならないことには子供の面倒も見れないもんねぇ。
今は耐える時や!と、自分に言い聞かせております。

子供の面倒もみれない自分に情けなくなったり、
周りの人に迷惑を掛けないといけない現状に申し訳なかったりの毎日。
これもいつかは「あん時はしんどかったわ〜」と笑える日が来るんかなぁ。

初期の酷いつわりに始まり、切迫早産での入院、そのあとの長い自宅での安静生活、
そして出産後の入院と、ほんとに子供達が産まれるまで、いや産まれてからもいろいろありました。
でも旦那が言うんです。

「いろいろ辛いことはあるけど、あんなにもかわいい子が2人も
産まれてきてくれただけで、全部帳消しになるやろう?」

私もほんとにそう思います。守るものが出来ると人間、強くなるんですねぇ。





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出産記&近況報告 - 2005年08月01日(月)

出産してから早くも2週間以上が経ちました。
毎日がめまぐるしくてあっという間に時間が経ちます。
でも昨日から久しぶりに一人の時間が出来たので
こうして時間の取れるときにこれまでのことを書き留めておこうと思って
パソコンを開いています。
今、私はまた入院しています。今回は一人の入院です。
子供を家に置いたままの入院は辛くて仕方ないのですが、
私が元気にならないことにはどうしようもないので、
周りの人に甘えながら病室で静かにしています。


7月21日の早朝、それまで1日に50回近く続いていた微弱陣痛が
かなり酷くなったので朝一番で病院へ向かいました。
その時点ではまだ35週だったのでどうしても36週までは産みたくないと思い、
点滴を打って貰いながら陣痛が遠のくのをひたすら待ちました。
その日は入院せずにそのままいったん帰宅。

翌日22日の早朝、今度は突然の破水でまた病院へ。
破水してしまったのでもうこのまま出産しましょう、ということになり、
35週と5日目だったのですが、そこから帝王切開の準備がはじまりました。

ただ、破水してしまったのでお産が思いの外早く進み、
帝王切開が始まるまで4〜5時間、そのままずっと陣痛に耐えておりました。
陣痛は既に2分間隔で、どうなることかと思いましたわ。
本格的な陣痛は、これまで体験したことない程の痛みで、
体力のない私は体が痙攣してきて、ほんとに怖かった!

けれど、帝王切開中は下半身のみの痲酔なので、
意識がハッキリとしていてすごく面白い体験でした。
旦那も手術着に着替えてカメラ持参で一緒に手術室に入ってきて、枕元にいてくれました。
枕元には麻酔医もついててくれて、彼が手術の一部始終を実況中継。
「あっ!赤ちゃん出てきたよ!」と逐一報告してくれてありがたかったわ〜。

子供が生まれた瞬間、元気な鳴き声が2人分聞こえてきたんやけど、
その時の感動と言ったら言葉では表されへんほどでした。
旦那はそのあと、保育器に入ってそのままナーサリーに入院になった子供達と一緒に
出て行ってしまい、待合室で待っていた義理姉も私の母も子供達のもとへいってしまい、
残された私は手術後3時間も一人でほったらかしにされてさみしかったわぁ。



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