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どうしても観たかった映画 - 2004年09月29日(水)

バンクーバーではこの時期、
インターナショナル フイルム フェスティバルというのが
開催されます。

そこでは世界中の映画が、いろいろなところで見ることが
できるんです。
毎年たくさんの日本の映画もきますよ。

基本的に映画館が苦手なので、映画はあまり観にいかないんやけど
今回は、どうーしても観たい映画があった。
それは

「誰も知らない」

16年ほど前に日本で実際に起こった
子供置き去り事件を元に製作されたというこの映画。
何故か気になって仕方なくて、これが
今回観れると分かってから、チケットを発売日に
速攻買いに行った。

なんと、この映画に関しては、凄い人気らしく
希望の時間のチケットは売り切れ。
仕方なく、平日の昼間に一人で見に行くことにした。

映画館が始まる40分以上前から、映画館の前にはものすごい行列!
チケットを買えなかった人も、なんとかして映画を観たいと
並んでいた。
カナダでも行列が出来るなんて!
珍しいですよ。

すでにチケットを購入していた私は、
すぐに映画館の中へはいることが出来、良い席も確保して
映画が始まるのを今か今かと待っていたら、
友達に2人もバッタリあってびっくり。

この映画は、実際にあった事件がベースになってるんやけども、
こんな事件が実際にあったなんて、本当に考えられません。

4人の子持ちの母親が(たしか4人とも父親が違う)彼氏と住むために
アパートに子供4人を残したまま、帰ってこなくなったのです。

わずかなお金で子供4人で生活していくのですが、
お金も無くなってくると、電気も水道もガスも全て止められ、
食べ物もままならない生活。

だんだんと浮浪者のようになっていく子供達を
ただ淡々と映していた映画でした。
4人のうち一番下の子は結局亡くなるんですよね。

映画のエンディングはあっけないもので、
結局残った子供3人はその後どうなったのか?
母親は捕まったのか?
栄養失調にはならなかったのか?
などなど、気になることは全然分からないまま
映画は終わってしまった。

私、すごい涙もろいんですよね。
でも、この映画では泣けませんでした。
見終わった後、ものすごいおもーい気持ちで家路についたんです。
正直、見なければ良かったと思いました。

あの4人の子供達の演技がまた自然で、かわいくて
たまりませんでした。
あんな無邪気な子供が、親の愛情を全く受けずに
誰にも知られずに大都会の真ん中で
ひっそりと生活しなければいけないなんて。

家に帰って、すっきりしない映画の内容に気が晴れないので
インターネットで事件の詳細を検索してしまって
本当に起こったことを一部始終読んでまた
ものすごく落ち込みました。

本当に酷いです。
映画では、4人の年齢が、
一番上が12才、一番下の子が5才になってました。
でも実際には、
14才、7才、3才、2才の子を置き去りにしたんだそうです。
その間にもう一人いたんですが、病気で亡くなったらしい。

一番下の子は2才ですよ、2さい。
オムツもとれてないんとちゃうかな?
そんな子を、置いていっても気にならないんでしょうか?

でも一番腹立ったのは、
その母親の刑が軽すぎること。
子供置き去りですよ?
子育てほうきですよ?
で、子供2人も死んでるんですよ?
なのに何故、そんな短い刑なんでしょうか。

本当に観たかった映画なんですが、観なければ良かったと
ちょっと後悔しています。

その日の夜は、ずっと悲しかったです。




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思い出いっぱいのおもちゃ - 2004年09月27日(月)

旦那の実家から、大きな箱が届きました。
開けてみるとそこには、
綺麗に保管されていた、旦那のおもちゃがいっぱい詰まってた。

小さい頃に遊んでいたミニカーや、絵本とか
とにかく箱いっぱいに入ってたんです。
いやー、心底びっくりしました。

綺麗に保管していてくれたこともびっくりやってんけど、
物を大切にする、その感覚自体に驚かされましたね。

おもちゃだけではなく、小さい頃大事に着ていた服も、
きちっと綺麗に取ってあるんですよ。
旦那の名前の入ったTシャツやジャケットなんかは
世界に一つなので、どうしても捨てられなかったみたいで
それも送ってくれました。

私たちにもし子供がいれば、このアンティークのおもちゃで
遊ばせるのになぁ、なんて思いながら2人で箱から
おもちゃを出しました。

旦那は嬉しそうに小さい頃の思い出を語りながら
おもちゃ一つ一つの説明をしてくれたんですよ。

なんかこういうのいいなーってはじめて思ったわ。

私はどちらかというと、捨てて新しいのを買うって
感覚で今まで育ってので、無駄な物を置いておく
スペースがイヤだわっておもってしまうんです。
でも旦那は、なんでも保管したがる。
その理由が今回改めて分かりました。

思い出は心の中にしまっておけばいいや、っておもってたけど
これから、もうちょっとよく考えてから捨てないとね。

でも、物持ちよくあるためには、それだけの物を
置いておくスペースが無いとあかん。
旦那が物をキープし、
私ががんがん捨てる。
考えてみると案外ベストマッチやね。



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またもやBBQ - 2004年09月26日(日)

食べて食べまくるパーティーへ行って来ました。
本日は参加者が少なかったのに、
それでも凄い料の食べ物。

私も今夜は久しぶりに日本食を、とおもって
おいなりさんとコロッケを大量に作ったんですよ。
なのに!
1つも残りませんでした。

ミンチがなかったので、カリカリに焼いたベーコンを
フードカッターで粉々にして、ポテトコロッケに
入れたら、なかなかおいしかったです。

しかし今日は朝から料理ばっかりしてたからか
なんだかちょっとお疲れでした。
するってーと、英語理解力が下がるんですよ!
体調によって、英語スラスラ具合が変わるんです。

なんだか今日の会話はすごい難しかったわ。
そしたらそれを察して、Aさんが一生懸命
説明してくれるんですよ。

彼は、インド人とスウェーデン人のハーフで、
彼自身スイスに住んでいたこともあって、
外国人の気持ちが分かるんですよね。
ほんとにありがたいです。

今日のパーティー主催者は、ドイツ人とカナディアンのカップル宅。
そこで突然始まった熱い議論は

「ドイツ語のあの複雑な発音はどうやって発するのか?」

みんな必死にドイツ語を話すんですが、誰もきちっと
発音できませんでしたわ。
難しい!
英語なんて、まだ簡単な言語なのかも、と少し思ったりして(でも
私には英語の発音も十分難しいけど)

フランス語の発音も凄いよね。
タンがからんでるんちゃうの?っていうような
発音(こんな説明で分かる?)
わたしには到底できません。

いろんな人種がいるバンクーバーの縮図のようなパーティーでしたね。

いろんな人種といえば思い出したけど、
先日のパーティーに来ていたオランダ人に
「オランダ人はみんなしょっちゅうパンケーキ食べてるのか?」
と、思いっきりべたな質問をしてしまい、笑われました。

よくよく考えたら、
「日本人は毎日スシ食うのか?」
って聞かれてるのと同じよね?
でもどうしても確かめたかったのよー。

最近なぜか妙にパンケーキにはまり、
なにかあれば、パンケーキ。
朝ご飯もパンケーキ。
へたするとランチもパンケーキの私。
栄養ないのに、カロリーだけはべらぼうに高い魅惑の
パンケーキの魅力にはまって、つい追求したくなったのでした。



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そして2代目さんは、、、、、 - 2004年09月23日(木)

久しぶりの2代目さんは、何も変わらず笑顔の素敵な
女性でした。
早速うちへ案内しようとおもってんけど、
これから10日間も泊まる2代目さん。
食料もいるやろうか?と思って
ちょっとスーパーに寄ったんです。

一通りスーパーで買い物をして、レジでふと2代目さんをみると
なんと彼女が手にしているのは、食パン一個。

「えっ?」

その時、この先の10日間、まさか私が3度の食事の
支度をしないといけないなんて思ってもみなかったんやけど
食パン一個しか買おうとしない二代目さんをみて、
正直、この先が思いやられると心配になりました。

常識って人によって違うと思うんですよ。
でも、でもね、
もし私なら、タダで泊めてもらうんだから食事くらいは
自分の分は自分で払う、もしくはこちらが皆の食事の準備は
しようか?って、少なくとも私はそうすると思う。
でも2代目さんの常識は違ったんですよね。

気を取り直して家に帰り、2代目さんに部屋の狭さを
しきりに謝り、彼女も荷ほどきをはじめました。
そして、おみやげだと言って雑誌をくれたんです。
それも4冊も!

もうー、重たいのに申し訳ないわこんなにたくさん。
ありがとうーって散々お礼を言ったあと雑誌を見て
その雑誌をポロッと落としそうになったわたくし。

なんとそこには、値札が。
「100円」
そう、それは古雑誌。
全部古雑誌。
古本ならまだしも、雑誌やし。
しかもものすご古いんです。
1年前とかの雑誌。

その時、ものすごーーーーーくショックだったんです。
古本ならまだわかるんですが、
雑誌って、新鮮さが売りじゃないですか?
そうか、新品の雑誌を買うお金が無いのかな?って思って
驚きを隠せない私に旦那が

「もらった物の文句を言うな」
といいました。
そこで言ったんですよ。

「ちょっとまて。よー考えてみて?
自分が外国に旅行に行くとしよう。そこの現地の友達の家に
泊めてくれと頼んで、その人へおみやげは何が良い?って聞いたら
雑誌が欲しい、と答えたとしよう。そこで君、
古雑誌をおみやげとしてもっていくか普通?しかも値段付きで?」

旦那は、しばらく無言でした。

僕なら、そんなことは出来ないと。
せめて一冊しかもってこれなかったとしても、
新しいのを買って持っていくだろうと。
たとえそれが新品でも値札ははずすだろうと。

常識が違うと言えばそれまで。
価値観が違うと言えば終わりの話し。
でも、私には結構しんどいな、と思った出来事でした。
初日からこれやもんね。

2代目さんはきっと、予算が苦しいし、私とは価値観がちがうんやね、
と自分で自分に言い聞かせ、
10日間、毎日食事をつくりましたとも。
偏食の激しい2代目さんは、肉しか食べないので
焼きうどんも野菜入りの分は私たち、肉だけの分は2代目さんへと
分けて作ったり、彼女が食べ散らかしてほったらかした
食器を洗ったり。

私も旦那も、ものすごく機嫌が悪かったと思います。

そして10日間の間に2代目さんは、
大きな段ボール4つにもなる買い物をして、帰っていきました。
段ボール4つ物買い物って、想像つきます?
お金持ってるんやん。

このことがあってからしばらくの間、日本から来るお客さん恐怖症に
なりました。
よく人から聞いてはいたんですよ。
海外に住んでるだけで、よく知らない人にものすごい当てにされたり
図々しくされたり、利用されたりすることがあると。

そんなこと私には無いわーなんて思ってたんですが、
まんまと経験してしまいました。

ちなみに、私が日本にいる頃から仲良くしているお友達が
何回かうちへ泊まりにきたことがあります。

が!!!!!!!

彼女たちが泊まってる間、いっちどもこんな思いをしたことは
ありません。
違和感も感じなかったし、本当に楽しかった。

人にもよるとは思いますが、これも一つのルームメイトの強烈な
思い出です。




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まだ続くのかい?番外編。 - 2004年09月22日(水)

無事にルームメイトと住まなくても良い状況になって
彼と二人、仲良く暮らしているときに、
久しぶりに2代目さんからメールが来た。

2代目さんとは一緒に住んでる当時、何にも問題が無かったので
何かしら?なんて久しぶりの便りに嬉しくなってメールを見ると、
日本に帰国していた2代目さんが、久しぶりにバンクーバーに
遊びに来ると書いてあるではないか!

いやーん、久しぶり!と思って
早速返事を書いた。私としては、是非お茶でも
なんて感じやってんけど、2代目さんは遠回しに
バンクーバー滞在中泊めてくれとメールに書いてくる。

そのいいまわしが非常に遠回しなので、家が狭くてとても
泊められる状態では無かった私は、それとなくその話題を
避けてるつもりやった。
でもたぶん、2代目さんとしてタダで泊まりたかったみたい。

旦那に(当時は彼氏ですが)この話をすると、
狭くて大変だけど、少しの間なら泊まってもいいよと
言ってあげたら?と言ってくれたので
「どうしても泊まるところがなかったらうちでもいいよ」
と返事をしたのが全てもの間違いでございました。

それからぴたっとメールが来なくなったのである。
なんでかな?
と思って何週間もたった後、急にまたメールが来て、そこには

「●月▲日から10日間、おせわになります」

と書いてあった。
なんと、10日間も泊まるのか!先に聞いてよ、と正直思ったけど
もう彼女はそのつもりで、こちらの都合を聞きもせず
航空券まで取ってるので驚き。

当時私はフルタイムの学生で、朝から夕方まで学校。
そのあと毎日宿題をして、ご飯まで作っていたのです。
旦那も、もちろんフルタイムのビジネスマン。
2人とも、ものすごく忙しかった。

そのうえ家は、狭いワンベットルームに
なんとデスクトップのパソコンが3台、
そしてクイーンサイズのベット、ソファベット、
ダイニングセット、大きいテレビをのせたエンターテイメントセンター
があったのである。

ものすごく狭い家だったのです。
でもまぁ、決まったものは仕方ないよね。
かつて一緒に仲良く住んでいた2代目さん。
喧嘩するはずがない(と思っていた)

2代目さんが来る直前、なにか欲しい物はないか?と
聞いてくれた。10日間もお世話になるので
おみやげとして持ってくると。
その時私は、何でも良いのでとにかく日本の雑誌が読みたいと
答えたのです。

雑誌は、こっちでも手に入りますがとにかく高い。
日本の3倍くらいするのです。
活字が読めれば、なんでもいいーとおもうほど、日本の本や雑誌に
飢えてました。

そうして2代目さんが久しぶりのバンクーバーにやってきたのです。





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そして今度は2代目登場。 - 2004年09月21日(火)

Mさんが出て行った後のルームメイト探しは
本当に慎重でした。
そこで用心に用心を重ね、
信用できる友達の紹介で一人の女性に決めました。

彼女は、ほんとーーーーーに、すばらしい人でした。
1代目が1代目だっただけに、私もちょっとくらいのことでは
平気なくらい免疫は出来てたんですが、
2代目さんは、常識もあるし、
やな事なんて絶対にしないし、
文句なんて全くなかった。

そして平和な平和な数ヶ月を送ることが出来ました。
ほんと、一緒に住んでるときはもめ事なんて全くなかったんですよね。

でも彼女の事情で、わすか数ヶ月で日本へ帰ってしまったのです。
残念だったわぁ。
ということで2代目さんの帰国前、一緒に3代目さん探しをはじめました。

2人で張り紙を出し、2代目さんの後に部屋へ入ってくれる人を
探したのです。

アパートは抜群のロケーション、
しかも安いし、まぁまぁ綺麗、とあって
結構な数の応募がありました。
その中から数人に部屋を見に来てもらうようにアレンジしたんですが、
びっくりすることが多々ありました。

まず、待ち合わせの時間に部屋の見学に来ない人が続出。
きちんと約束してるので、こっちは2人で部屋でまってるのに、
来ないのです。
連絡もつかない。
こういう人が結構多くて本当にびっくり。

次に、すごい失礼な人。
それとか、ものすごいコギャルだったり。

分かってるんです。
人を見た目で決めてはいけないと。
でも、ガングロでパンツ見えそうなミニスカートをはいた
18くらいの女子に見に来られても、怖くて一緒に
住んでくださいって言えなかった。

そうこうして意外にも3代目探しは難航。
2代目さんの帰国日もせまり、贅沢は言えない状況に
なってきた時、私のいない間に2代目さんが勝手に
3代目を見つけてしまったのである。

正直焦った。
聞いたところによると、ややコギャル。
ガングロまではいかなくても、金髪に近い茶髪に
イケイケっぽい感じだと聞き、困ったーと思ってしまいました。

しかし決まってしまったもんは仕方ない。
腹をくくって、仲良くやっていこうと心に決めました。
どんなに酷くても、1代目より酷いのは来ないと思ったしね。

引っ越し当日、どきどきしてどんな人なんやろう?って
心配する私をよそに、颯爽と荷物を運んできたのは、
ややコギャルやけど明るい感じの女性。
それでちょっと安心。

彼女が引っ越しをした日、出先から家に帰るとなんと
3代目さんは私のためにご飯を作っておいてくれて
「一緒に食べよう!」
と誘ってくれたのです。
涙がちょちょ切れるくらい嬉しかったわ!

そこでいろんな話しをしたんやけど、
見た目とは違ってしっかりしていてまぁまぁいい人で
良かった。

翌日、朝起きるとなんと3代目さんは共同で使っている
バスルームやキッチンを、鼻歌歌いながらお掃除しているのである。
これにはびっくりした。
そして一言

「私お掃除好きなのよ!朝から綺麗になって気持ちいしね」

それから彼女は、いろんな所を嬉しそうに掃除してくれたり、
本当にフレンドリーで、いじわるな所なんて全くなく
平和な共同生活で、3代目さんとは結構長いこと住みましたね。

何度か、私のクローゼットを勝手に開けて服を着ていったのには
びっくりしたけど、それ以外は3代目さんともほとんど問題は
無かった。

やっぱり1代目があまりにもインパクト強すぎて
ちょっとくらいのことでは気にならないように
なってたって事もあるけど、それにしてもやっぱり
2代目さん、3代目さん共に普通よね。

3代目さんと共にアパートを引き払った後、
当時の彼氏(今の旦那)と一緒に住むことになったので
それからはルームメイトはいてません。
あっ、今約一匹のルームメイトはいてるけど(クサイ氏)

だけど、だけどね、このルームメイト物語にはまだ
番外編があるのでした。



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まだ続く、ルームメイト物語 - 2004年09月20日(月)

ということで、まだ続きがあるルームメイト物語。
とんでもない一人目のルームメイトも数ヶ月後、
バンクーバーを離れるということで、やっと出て行ってくれました。
その時の嬉しさといったらもう、言葉では表せませんよ。

しかし、出て行って1ヶ月ほどしたある日。
一本の電話が。
電話のむこうの声は、どこかで聞き覚えがある。
聞きたくなかった声の主、そう、恐怖の1代目ルームメイトMさんが
何故かしばらくの沈黙を破って電話してきたのである。

いったい何の用???

「わーたーしー。分かる?何ヶ月も一緒に住んだもん。
分かるでしょう?」

っていうから、
「いいえ、わかりません」
って、言いきったった!

なのにしつこいしつこい。
そのしつこさの裏には、やっぱり魂胆が。

新しく心機一転、別の土地へ引っ越ししていったMさん。
やっぱり、そこでも友達は出来ない&人が冷たい&お金無い
ということで、しばらく日本へ一時帰国をすることにしたと。

そのまま完全に帰国してしまえばいいのに、
お金を親に借りたらまた帰ってきたいので、
その間、全部の荷物を私の家で預かって欲しいとのことでした。
わずかの間、しかもスーツケース2つくらいなので
預かってもいいんですが、
とにかく、彼女と縁を切りたかった私は、
断固としてお断り申し上げた。

しーかーしー。敵もしつこい。
預かるというまで、電話を切らないのである。
一緒に住んでる間、私が散々いやがってたのを
彼女は気づいてないのか????

あんまりうるさいので、とりあえず電話を切った。
でも、どうしても荷物は預かりたくない、というか
もう2度と会いたくないので、手紙をしたためました。

この数ヶ月の共同生活がどれだけ辛かったか。
いかに我慢していたか。
小指ごときで手を叩かれるのも、もうごめんだと。

そうして3ページにもわたるお手紙を書き、
あんまり酷い事書きすぎてたらあかんとおもい、
私のこともMさんのことも知る人に一応読んでもらったら、
彼女は転げ回って笑いながら最後には泣いててました。
あんまりにも的を得ていると(笑)

こうして第3者に太鼓判まで押してもらい、無事にポストに投函。
その後、やっとMさんからの連絡はなくなり、
やっと平和なカナダ生活が始まったのです。

私のカナダでの生活は、このときがスタートだと言っても
過言ではないかも。
普通の生活はじめんのに、何ヶ月もかかったわ。



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誕生日パーティー - 2004年09月18日(土)

今日は、お友達のお誕生日パーティーへ行ってきました。

食べ物とかは一切持ってこなくてよいからねーなんて
言われたので、バースディプレゼントだけ持参で行きました。

彼らはアルゼンチンからの移民なので、どんな食べ物が出てくるのか
凄い楽しみだったんですよ。
で、行ってみるとそれは!!!
フォンデュづくし。←それってスイスの食べ物やん!

まず、チーズフォデュにはじまり、
締めはチョコレートフォンデュ。
小さい鍋に群がる大柄な大人が9人。
端から見たら絶対に怖い光景。

でも、おいしかったわ。
食べ尽くしてくるしい、なんて思っているところへ
出てきたのは、アルゼンチンならではだというケーキ。
一見チョコレートケーキやねんけど、生地ににキャラメルが
混ぜ込んであります。
これがまた、甘さ控えめでおいしいんだな。

パーティーには彼らのお友達もたくさんきていて
普段自分たちでは知り合えない人たちと話しが出来て
面白かった。

こういう初対面の人が集まるパーティーでは、
「仕事何してんの?」なんて質問をたまにされるねんけど、
今、これといってしてないので
「毎日石けん作ったり、陶芸したりして生活を楽しんでるんです」
って言うと、女性は必ず石けん作りにに興味を示すんです。

「どんな石けんなん?」
「なにはいってるの?」
「どうやって作るの?」

石けん選びに凝ってたり、肌に合う石けんを探してたり
してる人が多くてびっくりする。
こっちは日本に比べてずっと乾燥してるので
普通の石けんでは皮脂を取りすぎてばりばりになったりするしね。

それに、オーガニックのものがかなり浸透していることでも
分かるように、環境に配慮している製品や、
自然素材のものとかに興味を持ってる人が
日本に比べるとかなり多い。
なので、手作り石けんに興味を持つ人が思った以上にいるのだ。

そうして、
「一度石けん見に行きたい!」
「是非その石けんを売って欲しい」
といわれ、うちの遊びに来た人が頻繁に石けんを
買っていってくれる。
作っても作っても、すぐ無くなる。

石けん屋としてこれからの人生をはじめてみようかと
真剣に思う今日この頃。

っていうても、個人的に高く売るのはイヤなので、
ほとんど材料費だけで売ってしまい、全くもうかっていない
私の営業に、つめたい視線を送る旦那。

ごめんよ、友達から利益を得るのは心苦しいのだよ。


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おちおち病気も出来ない。 - 2004年09月15日(水)

なんと、40度の熱で約1週間寝込んだのでした。
これは辛かった。
インフルエンザというやつです。

寝込みはじめた当初、Mさんは私の高熱にびっくりし
かいがいしく世話をしてくれた。
ご飯を作ったりしてくれたのだ。
正直怖かった。
素直に喜べない。
なので必死で、
「大丈夫、私は大丈夫だからほっといて」
と、頼んだけど、どうみても重病人の私をほっとく
わけにはいかず、2日ほどご飯を作ってくれた。

3日目、少し熱が下がったので(といっても38度)
私はあわててパジャマの洗濯をした。
高熱で汗をかくのに、着替えがなかったので仕方なく
洗濯したのに、それを見たMさんは血相を変えて怒鳴った。

「あんた、何やってんのよ。寝ないと治らないでしょ?
私が今まで看病したったのに?わかってんの?寝とけちゅーねん。」

ものすごい剣幕で怒りだしたのよ。
ま、予想どうりやったけど。
けど洗濯くらいそんな時間のかかる事じゃないし
怒鳴られることか?

それから怒ったMさんは、まだ熱が下がらずリビングに
寝ている私がいるにもかかわらず、なんと友達を連れてきて、
リビングでくつろぎだしたのだった。
それから毎日ね。
そのうえ寝ている私を起こして

「ちょっとあんた、パソコン立ち上げて使わせて」

熟睡している私をたたき起こし、私が日本から持ってきていた
パソコンを立ち上げて使わせろというのよ。
それも自分が使うんではなくて、
自分の友達に使わせるからと。
Mさんの友達は常識がある人なので

「そんな、病気で寝てるのに起こしてまでパソコンなんて使わなくても良いのに、寝かしてあげてよ」

というと、Mさんはすかさず

「いいのよ。パスワードさえ入れてくれたら使えるねんから。
すぐできるやん」と。

鬼かと思いました。

その後Mさんは、私の風邪がうつることもなく(ある意味すごいよね)
ますますいじめに磨きがかかる毎日。

私は家に帰るのが嫌になり、本屋へ行って何時間も
本を読んだり、お友達の家へ行ったり、
日曜日には海へお散歩へ行ったりして自分の時間を楽しんだのでした。

これ以外にもMさんにまつわる話しは、いーーーーっぱいあるんですよ。
1冊の本に出来るかと思うくらいです。

でも考えると、Mさんかわいそうな人なのかもしれません。
お友達もほとんどいないし、いつも怒ってた。

ある時Mさんが言ったんです。

「私、今までの人生ほんと最悪。何処に就職しても誰にも優しくされないし、彼氏出来たことなんて一度もないし。何処に行ってもなんか人がつめたいのよね」と。

そこでわたし

「それって、あんたの性格がそんなんやからちゃうん?」って。

あっ!言っちゃった!と思っても後の祭り。
その後どれほどMさんが怖かったかは、ご想像に任せます。




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それだけでは終わりません。 - 2004年09月14日(火)

金ないんなら来るなよ!事件のあと、
学校のクラスメート主催のパーティーへ一緒に行ったときのことです。

Mさんは、パーティーを主催していた人の家の中で、
勝手に引き出しなんかをあさり、
机の引き出しから出てきた小銭入れを物色しているところを
部屋の持ち主に見つかったそうです。
そして、その部屋の持ち主君が、

「Mさんだけにはほんまに気を付けた方がいいよ。
部屋の中に貴重品は置かない方が良い」

と忠告された私。
怖いわぁ、もう。

しかしMさんはもっと凄い人だったのです。
わたくし、今まで生きてきた中でこんな凄い人は
本当にはじめてかもしれません。

まず、私がコップで何かを飲むとき無意識のうちに
コップを持ってる手の小指がちょっと立ったんですよ。
そしたら、

わたくし、Mさんに思いっきり小指を叩かれました(涙)
イライラするんだそうです。

私のお友達が我が家へ遊びに来たときも凄かったね。
友達へのMさんの態度といったら、悪いったらありゃしない。
戸をバーンって思いっきり閉めて不快感を表したり
されました。(何のために?)

が!!!!!

私はリビングに住んでるんで、逃げ場がないんですよね。
Mさんは個室に住んでるんだから、自分の部屋に
入ってくれればいいんとちゃうの?

このMさんのリビング占領癖にもほとほと困ってました。

まず、私が帰宅するとかならずMさんはリビングで
テレビを見ながらくつろいでます。
時には、一人しかいない唯一のMさんのお友達を連れてきて、
友達も一緒にリビングでくつろいでました。
リビングは私の部屋だということを、Mさんは知ってるのに
何故自室でくつろがない?
彼女の部屋にもちゃーんとテレビもあるのに。

そうして、彼女の気が済むまで私の部屋でくつろいだ後、
寝るために自分の部屋へ行きます。
うっとおしいったらありゃしない。

カナダに来て最初の頃、私のことを心配する日本のお友達達が
寄せ書きと共に段ボールで日本食を送ってくれたり、
手紙を送ってくれたりして、結構頻繁に荷物を受け取りました。
しかしMさんには誰からも、手紙も電話も来ない。

ここでわたくし、嫌な殺気を感じてたんですが感じない振りを
必死でしてたんですよ。
でも事件はある日突然起こる。

朝6時、けたたましく電話が鳴った。
リビングにも、彼女の部屋にも電話があるので、
当然Mさんも何事かと思って起きてきた。
でもそれは、日本で酔っぱらった私のお友達達が
時差があるということをすっかり忘れてかけてきた電話やった。
1回目は、私がMさんに
「朝早くてごめんねー」といって
謝ってなんとかすんだ。

しかし、それから数回、朝7時くらいに電話がかかってきたら
Mさんは凄い勢いでリビングに出てきて、私に怒鳴った。

「あんた、友達にもう電話してくるなって言え。何時やと思ってるねん。
殺すぞ」

確かに、朝方でんわしてくる私の友達も悪い。
でもね、殺すぞって。。。。。
30を目の前にした女性の言う言葉かと思うと、背筋がぞっとしましたわ。

そんなこんなの生活で、上陸一ヶ月後、
体も精神も疲れ切った私は、とうとう寝込んでしまったのです。



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ルームメイト物語  - 2004年09月13日(月)

さて、引っ越し当日。

引っ越し先のアパートは、前の住人が土足で住んでいたので、
どうしても床をぴかぴかに磨きたかったのと、
人が使っていた水回りなんて耐えられないので、
荷物を運び入れる前に大掃除をしよう!と
ルームメイトのMさんに提案した。

彼女の反応は、非常に鈍い。

しかし、掃除をしないことには靴も脱げないので
とりあえず掃除用具を調達しに行く。
でも彼女は、お金を払うのが嫌だと言い出したのだ。

「私、掃除はしないから洗剤のお金払うの嫌」

一瞬耳を疑った。けど確かに掃除もしたくなければ
洗剤のお金を払うのも嫌だと。
ま、常識の基準が違うのか?と思ったけど
仕方ない。
とりあえず材料を調達して家に帰り、
私と、お友達とで家中を掃除した。

Mさんは何にもしない。でもそれを見たお友達が
「自分が使う風呂やトイレくらいは掃除したら?」
というと、しぶしぶ簡単に掃除をして、
自室に閉じこもってしまいました。

同居1日目にして、イヤーな予感120%。

これ以外にも必要な鍋や食器、塩、こしょう等々
新しく生活をはじめるには本当にこまごまと
色々な物が必要で、
生活用品は全て折半して揃えよう!と最初
約束しててんけど、途中から彼女は、

「あっ、今持ち合わせない。出しといて」

と、財布を持ち歩かなくなることが多くなった。
その後彼女は、学校でも(たまたま同じESLに通っていた)
昼時になると
「あっ、財布ない。お金かして」
といっては、私の財布を当てにする事が多くなった。
そして、返してくれない。
たまりにたまった頃、お金かしてよっていうと
「なんや、覚えてたか」
ってまじめな顔して言われてん!
こっちがびっくりするわ。

そんなことがしばらく続いた、はじめての月末。
家賃を払うときがきた。
家賃は、私の小切手で管理人に支払うので
Mさんは彼女の支払う分、家賃の半分を私に現金で
払うことになっていた。

現金の束を無愛想に渡されて、そこで金額を
確かめればよかったのに、そのまま受け取り封筒に
入れた私があほやった。

銀行に入金しようと、お金を封筒から出して金額を
数えると、なんと20ドルの束の中に
ところどころ5ドルが混じってる。
一瞬、間違えたのか?
と思ったけど、とりあえず金額が全然足らないので
一度家に帰り、金額が全く違うことをMさんに
伝えた。そうすると

「あんた、黙って受けとっといて私のおらんところで
金額数えて、お金たらないってどういう事?私は
銀行から出てきたお金をそのままあんたに私てんから
お金が足らないはずがない」

目の前で確かめなかったのは私の落ち度。
これは言われても仕方ない。
でも、銀行のATMが間違ってたっていうのは絶対嘘!
確かにこっちのATMはたまに間違う。
でもあんな20ドルの束の間に、所々うまい具合に
5ドル混じるか???
1枚やったらまだしも。

結局私もおれずに、翌月の家賃を余分にもらうことで合意。

なんかすっきりしない事件やったわ。
その後たまたま、お金の話しになったときに彼女はこういった。

「私な、カナダに来る前にちゃーんと貯金してたのに
ビザが予定の日になっても届かないから、もう来れないのか、
とあきらめててん。でも仕事も辞めてたし暇やから、それから
毎日パチンコに通って、貯金を食いつぶしてしまい、
30万円だけ握りしめてとりあえずカナダにきてん」

金無いんやったら、来るなよ!





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昔の思い出 - 2004年09月12日(日)

最近、あんまり表に出て行かないので日記に書くような
ネタがあんまりないんです。

なので、書こう、書こうと思いつつ忘れ続けていた
「ルームメイト物語」を書こうと思います。

カナダでは日本と違って、ルームメイトといって
他人とアパートなんかをシェアして住むのが一般的。
家賃も光熱費もシェアすることによって半分になってお金も
節約できたりするので、学生やワーホリなんかで来る人には
すごい助かるシステム。

私がカナダに来た5年前(もうそんなになるんやねぇ)、
とりあえず当面の宿を某激安宿に予約して何も決めずに上陸。
しかし、上陸後1日で、激安宿から1日も早く出たくなる。
汚くはないねんけど、何せトイレも風呂も共同。
しかも風呂なんて、壁からシャワーヘッドが出てるだけで、
仕切がなかった。3つのシャワーヘッドを、知らない人と
至近距離でシェアするのが嫌で嫌で、毎日誰もいない
時間を見計らってこっそりシャワーを浴びる生活。

その上、自炊が出来ないので3食とも外食しなければいけないので
お金はかかるし、高いし、まずいしで、
学校の勉強もそこそこに、毎日家探しに翻弄した。

ラッキーな事にダウンタウンのど真ん中に、
ものすごく広くて、破格のアパートを苦労の末見つける事が出来た。
とにかく広かったし、古いけどかわいい作りですごく気に入ってた。

それから、中古の家具や電化製品なんかも全部自分で探し出し、
とりあえず住めるように一通り揃えて、カナダでのはじめての
お城を完成!感慨深かったわ。

それまで泊まっていた激安宿で一緒だった日本人の女の子も
ちょうどその宿を出たがっていたので、私がアパートを借りたとき
ルームメイトになって一緒に住もうという話しになった。

彼女とは、凄く親しいという訳ではなかったけど、
その宿で見てる限り、おかしいことも何もなかったし、
悪いとも思わなかったので、彼女の申し入れを快諾し
新しい城でのつかの間の共同生活は始まった
(それが地獄の始まりとは知らずに)

友達としてつきあうのと、住むのとでは全く違いますよ。
ある程度一線をおいて、はじめからルームメイトとして
距離があるくらいの方が住むのにはうまくいくと思う。
でもその時はそんなことすら気づきもしないはじめての経験。

なので、一緒に住むことによってもっと仲が良くなると思ってた私。

細かいことを気にしなかった私は、
「どうしても個室を使いたい」という彼女の願いに速攻でOKして
彼女にはドア付きのベットルームを提供、
私がリビングを使うことになった。

仕切のないリビングなので、玄関はいると丸見えだし、
キッチンもリビング内にあるので
プライベートは確保でいないわ、と思ったけど
その時点ではプライベートを毎日侵害されるとは思っても見なかったので
気にも留めてなかった。

しかし事件は、引っ越し当日既に起こるのである。。。。。。




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お稽古 - 2004年09月11日(土)

久しぶりにお稽古ごとをはじめました。
それは「ヨガ」。

ずいぶん前に、午前中のヨガクラスに通っててんけど、
朝の9時頃からヨガをすると、その日一日だるくて
眠かったので、今回は夜8時からのクラスに。

行ってみると、なんと20人くらいいてびっくり。
ヨガって今人気あるんやねぇ。

先生はおばちゃんの先生やったけど、すごく感じの良い先生で
大満足。
良かったわ!
クラスメートは、これまた80%がおばちゃん。
やっぱり私の住んでる地区にはシニア層が人口の
大半を占めているのではないかと思う。

ヨガで思い出したけど、
バンクーバーにはすごい有名なヨガ専門の服屋があります。
その名は「lululemon」←ママレモンみたいよね

基本的には、ヨガをするためにって作られたカジュアルな
服ばかりを扱うお店やねんけど、これがものすごい人気。
街を歩くと、ここのマークの服を着ている人がうようよいて
驚くよ。

しかし一度ここの服を着ると、その人気の秘密がよく分かる。
まず、生地には発汗作用があり、汗をかいてもすぐ吸収して
さらさらにしてくれる。そして何よりその素材の手触り、
心地よさ、フィット感なんかもう病みつき。

決して安くはないねんけど、休みの日にはここのパンツ以外は
しんどくてはけなくなってしまった。
本当に楽。
長時間のフライトなんかには、もってこいやね。

なんでも、あんまりにも人気があるので、ナイキが
それに目を付け、買い取ったという話し。
そうなると、世界中で売り出されるわ。
日本で売り出される日も、近いかもね。


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大好きな番組 - 2004年09月10日(金)

9月から、新しいテレビ番組が
続々と放送されるので、秋の夜長に楽しみが増えて
嬉しい毎日ですが、
そのなかでも、特に楽しみにしていたのが
「The Apprentice」という、ドナルド トランプ氏の
リアリティーショー。

18人の見習いが、毎週トランプ氏から出される
過酷なビジネスの課題を言い渡され、
毎週出来の悪い人が一人づつ落選していくという番組。

内容も結構はまるねんけど、なんで私がこの番組を好きかというと
結局の所、普段あんまり見れないトランプ氏の生の姿を
見たいという、実に不純な動機なのだな、これが。

決して、あんなズラかぶったおっさんのファンではない。

でも、億万長者とはどんな生活をしているのか、
どんなこと考えてるのか、
どんな物きてるのか、
なんていたってくだらないことを
「ださいスーツきてるわー、金持ちやのに」
とか突っ込みながら見るのが好きなのである。

ま、ただ単にセレブが好きなおばはんってことやね。

第一作目にもちらっと出演し、今回の第2作目にも
いきなりの初回の放送からトランプ氏と共に番組に出ていた
トランプ氏の婚約者(ひょっとしたらもう結婚したかも)
これが、誰かに似てる、誰かに似てる、と思ってよく考えてみると
あの、叶姉妹の姉、恭子にそっくりやん!!
体型も、顔もそっくり。
本人かと思ったわ。

そういえば先日「HELLO」というイギリス版のゴシップ雑誌
(そんなもんばっかり読んでます)に、何故かトランプ氏の
前妻&娘の生活の全て、みたいな特集が巻頭で何ページもの
特集されてて、イギリスにもやはりトランプ氏の私生活を
知りたい人がいっぱいいるんやなぁ、なんて思いながら
しみじみ見たわ。

今回の「The Apprentice」はまだ始まったばっかり。
これから出演が増えるであろう叶姉妹、もとい婚約者
の衣装なんかも結構楽しみ。




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i pod 最高 - 2004年09月09日(木)

もう手放せませんよ。
i pod
こんなに便利な物だとは思いませんでした。

出かけるときのお供です。
車に乗るときも連れて行くと、車の中で聞けます。

私のと旦那のを合わせると、何千曲入っているのか分かりません。
そんなに入ってたら、曲選ぶの大変よ。

今までCDウォークマン愛用だったんですが、
もうあれには戻れませんね。
ほんと、お勧めです。

ちなみにお勧めは20GB以上。
ミニだと、お金がもったいないような気がします。


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カメレオンか、私は - 2004年09月07日(火)


わたくし、実は名字が2つあります。
一つは旧姓。そしてもう一つは旦那の姓。

パスポートにも、免許にも永住権にも、
名字は2つ書いてあるので、正式には旧姓が
ミドルネームになってます。

でもこれがややこし。

カナダでは主に旦那の姓を名乗り、
日本へ帰ると、日本名で通します。

しかしカナダでも、日本人相手に仕事するときには
旧姓しか名乗りません。
名刺もご丁寧に旧姓で作成。
この件について旦那に

「僕の名字を名乗るのが嫌なのか?」

と、突っ込まれたのですが違うんです。
まず、明らかに日本人でない名字がついた場合、

「ナニジンですか?」
「旦那さん、ナニジン?」

などと、初対面にもかかわらず真っ先に聞かれること多数。

そして、英語がぺらぺら話せて当然だと思われることも
嫌だという理由で、旧姓を時と場合によって使い分け。
別に、聞かれたら答えればいいだけの話しやねんけど
もう、、、、ほんまに答えるのには飽き飽きしました。

旦那の姓は、アルファベットが11も連なる
超ロングネーム。
毎回綴りを間違えないか覚えるのに大変でした。
でも自分が間違えなくても、たいがいは向こうが間違う。
正しく書かれたことがほとんど無い。
ややこしわぁ。

でも結婚したら、旦那さんと同じ名字をシェアするのが夢だったのよね。
ただそれだけの理由で姓を変えました。
実際には旧姓が残ってるので、あんまり実感無いんですが。


うちの旦那の名字はウクライナの名字なんですよ。
なので、私の名前を見たウクライナ出身の人に、
いきなり親しげに話しかけられた事があります。
びっくりしたわ。
それに、私のお友達で、見た目は日本人じゃないのに
「ヤマモト」さんという人がいます。
もちろん、日本語は話せません。

日本語の話せないヤマモトさんに、
ウクライナってどこなん?って密かに思っている
ばりばり日本人の私。

名字っていろんな運命を引き継いでいくんですね。
面白いわ。



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歯科矯正生活 - 2004年09月05日(日)


早い物で、矯正をはじめてすでに4ヶ月目に突入しました。
何にも食べられへんかった初期に比べると、
最近はすっかり慣れて、何でも食べれます。

見た目も大分変わってきましたよ。

噂によると、歯が痛くなると聞いていたのに、
私の場合、歯よりも器具が口の中を切ったり、
(朝起きたら、カッターで切ったみたいな綺麗な切り口が
口の中にいくつも出来てるんですよ。痛い痛い。)
口内炎の嵐にいつも参ってたんですが、
とうとう来ましたよ。

ズシーンとくる、鈍痛。

1ヶ月に一度、新しいワイヤーに取り替えるために
歯医者に行くんですが、その翌日は痛いですね。
そして今回は、今までで一番痛かった!!

しゃべられないくらい痛いので、おかしいと思って口の中をじっくり
見たら!なんと、ほそーいワイヤーで、引っ込んでる歯を
引っ張ってるんですよ。

ゴムで歯を引っ張るという話しは良く聞くんですが、
私の場合、ワイヤーです。ワイヤー。
歯が、唇に触れるだけで痛い。

当分また、スープとヨーグルトですね。

矯正をはじめて4ヶ月。
歯の痛さの他に、
仕事首になったり手術したりして、
気がつくとどのジーパンもごそごそ。
痩せておりました。

知らない間に痩せた分、思う存分食べられるわーとおもって
ちょっと嬉しい(でも歯が痛くて食べれない。あー、なんて現実)




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祝!優勝。 - 2004年09月03日(金)

うちの旦那さんが所属してるホッケーチームは、
チームメートのほとんどがアジア系カナダ人。
なので私は密かにニックネームを付けました。
その名も

「The team ホビット&3人のガンダルフ」

ロード オブ ザ リングを見た人ならおわかりかと。

ホッケーをプレイするにしては、みんな体が少し小さい。
その中に3人の大きなカナダ人。
彼らだけが異様に大きく感じます。

でもこのチーム ホビット、すごいんですよ。
所属しているリーグで、今期は一度も負けてないんです。
勝ち続けてプレイオフに出場。
そしてそこでも勝って、とうとう優勝しました。

うちの旦那も活躍。。。。。。。
といいたいところですが、大事な決勝戦なのにも関わらず
彼は何故かペナルティーを3回も取られ、ペナルティーボックスへ
放り込まれてたほうが長いんちゃうんかい!というありさま。
なんてこった。

優勝した瞬間、みんなでグローブを投げ捨て
リンクの真ん中でハグするのをみて、気分はまるでNHLの
スタンレーカップでも取った感じ(実際はレベルが違いすぎますが)

その後、チームメイトとその彼女&奥方で打ち上げにいきました。

体育会系の打ち上げって、すごいんですね。
私、参加したことを猛烈に後悔してます。

まず、チームの一人が所有するレストランに集合。
ここで既に貸し切り状態なので、何でもありな雰囲気が。
オーナーも優勝したことがあまりにも嬉しかったらしく
全員のお酒ををただで提供。
そしてショット(小さいグラスにきついお酒を入れて)を
何回も入れて飲ませる。

数時間後。
レストランには約50人の酔っぱらいと、お酒が一滴も入っていない
シラフの私一人。
皆さん、
この状況を想像できますか?

ショットを何回も一気するもんやから、すごい勢いで
酔っぱらっていくわけですよ。
夜中の1時半を過ぎたあたりから、
みんなマイバケツ(何のためか、は汚いので省きます)を
小脇に抱えて、それでも飲む。
そこまで飲むなよ、と一人心の中で突っ込み続ける私。

ソファには、一人、また一人と
寝込む人が増えていくし。
トイレに行っても、酔っぱらいの行列
(なんでトイレに並ぶか、これも汚いので省きます)

かわいい女の子があんまりにもの辛さに
「I wanna die」とトイレの中から叫ぶのにおもわず
「自業自得」と返事しそうになる私。危ない危ない。

チームメイトの彼女さん達&奥方も全員アジア系カナダ人。
みなさん、それはそれはかわいいコギャルばっかりだったんですよ。
コギャルの時点で、私は怖くて話しかけることなんてとんでもない。
みんな英語がネイティブなので、私のへたな英語を聞かれるの
嫌だし。

ということで、ひたすら逃げてたんですが、午前2時。
とうとう捕まる(涙)
そしてショットを無理矢理持たされて、飲めー飲めーと
あおられる。

あぁ、こういう事言われるのほんと困るのよ。
ほんまにお酒は飲めないのです。

仕方なく、ちょっとお酒をなめたけど、
アレルギーがあるので絶対に飲まないといって
逃げてなんとか難を逃れる。
(盛り下げてごめんよ)

そんなこんなで、私は一人、紅茶をちびちび飲みながら、
みんなが酔っぱらって倒れていくのをひたすら
眺めておりました。

私のこの世で一番嫌いな物。
それは「ゲ●」
見るのも、臭いをかぐだけでもダメ。
お化けより怖い。

それをしらふの私一人が、正気のまま眺めなければいけない
状況にとうとう我慢しきれなくなり帰ってきました。

お酒飲めないのってほんと辛いとおもったわ。
自分も酔っぱらうことが出来たらどれほど楽か。

ということで、べろんべろんの旦那が倒れる前に
なんとか帰還。
万が一彼が倒れると、だーれも担げる人はいないし(重たすぎて)

そしてやっと寝れたのは午前4時。
もうお肌の曲がり角も曲がりきった三十路過ぎには
非常に辛い、久しぶりの夜遊びでした。




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インターネットの不調 - 2004年09月02日(木)

何かが起こってます!!!!!!!

ここ数日。
日増しにアクセスできないページが増えてるんです。
そのどれもが日本から発信されているホームページ。
自分の写真日記にもアクセス出来ていない始末。

なので写真撮りためてるのに更新できません。

ニュースも見れない、MSNも開けれない
YAHOOのホームページは全滅。
どう考えてもおかしいと思って
朝からサポートセンターに電話しました。

20分も保留されてやっと出てきたエージェントは

「実は、韓国と、中国、そして日本のWEBサイトにアクセスできないと
何件かレポートされてるんです。」

とのこと。
でもそれ以外のページは見られる。
ということは、北米からアジア圏にある一部サイトへのアクセスが
出来ない状態、つまり何かが起こっているということらしい。
今の現状では原因は分かってないそうです。

おかしい。
絶対おかしい。
でも自分には今のところどうしようもありません。

楽しみにしているホームページを、見に行けないので
寂しいです。
早く復旧されないかな?
それか、なにかとてつもなく怖いことがインターネット上に
起こってたらどうしよう?

あー、今の私からコンピューター取り上げたら
ほんまに困る。
なんとかならないかな?




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新たな気持ちで! - 2004年09月01日(水)

早いもんでもう9月ですね。
バンクーバーはすっかり秋です。
なんだか今年の秋の始まりは異様に早かったような。
夏がいつもより暑かった分、短いということでしょうか?

いろいろあった8月も無事に終わり、
9月からは気持ちも新たに出直すよー、と
新たな気持ちで過ごしています。

「時間」ってすごいなと思う。
どんなむかつくことも、傷も、痛みも、
時間という薬は少しづつ癒してくれるんですね。

術後の傷も良くなり、おいしいものもいっぱい食べて
よく寝て、体が健康になってくると
やっぱり精神も健全になってくるような
気がするから不思議。

あれからいろいろ考えたのですが、
今年いっぱいは仕事もせずにのんびりして、
ゆっくり進もう!と決意しました。

元気になってきたことだし、
ありあまる時間使って、陶芸行ったり石けん作ったり
お菓子やいたりお友達にあったりと楽しんでいたら
なんだか毎日がだんだんと充実してきて、
今では仕事辞めて良かったわーなんて思えてる自分がいてるから
びっくり。

11月のクラフトフェアーに向けて、作品を作ったり
ラッピングしたりと、好きなことを好きなだけさせてもらえる
状況に、改めてありがたいとおもう今日この頃。

術後の病気のことも、
散々落ち込んでいたんですが、
考えても体は健康にはならないということに気づき、
同じ考えるのなら、もっと前向きに改善できる方法を
考えようと、思考も変わってきました。

よかった、天然ボケでマイナス思考が持続しないおかげで
自分自身こんなに早く楽になれるなんて。

ということで、新学期も始まる9月。
私にとっても人生の一つの節目(大げさやわぁ)がおわり
新しい章の始まり、ということで頑張るぞ!






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