honey-cの日記...honey-c

 

 

夏は終わりました。 - 2004年08月28日(土)

バンクーバーは、7月、8月と降水量も少なく、
1年の中でもこの2ヶ月だけはすばらしい月、のはずなんですよね。

でもこの2週間、ほとんど雨です。
ほんでもって寒い!
夏は終わりましたね。
短かったわー。

そんな短い夏を惜しんで、またMeat Clubを開催(タダのこじつけ)
最後のBBQやね。

今回も食べた食べた。
しかも今回はステーキにはじまり、
バッファローのソーセージや、マグロのステーキ、
白身魚のBBQと超豪華!
ほんと、このクラブ最高。

会場は、いつも持ち回りでメンバーの家を順番に
まわるんやけど、私達が日本に行ってる間に
2回も開催されてたみたいで、すごい残念!
その中に、どうしてもいってみたいメンバーの
新居があったのよね。
彼らは若干20代にして、2軒もコンドを所有。
しかもすごいおしゃれで有名なコンドばっかりなのよ。
是非遊びに行きたい!

メンバーの中には、ものすごい日本びいきのカナディアンが
一人おるんです。
彼女は、6,7才ごろまで日本で育ったのよ。
しかも関西。
大阪弁を話します。
彼女の両親が、日本に留学していたので
幼い彼女は地元の普通の幼稚園に通わされ、英語より
日本語の方が楽に話していたとか。

彼女の幼稚園の集合写真には、
黒髪の園児に混じり金髪の彼女が一人。
そしてヒッピーのお母さんと何故かムームーを着ている
彼女のおばあちゃんも一緒に映ってる。
もう、笑うわ!
なんでムームーなん、グランマは??

今回は彼女の家が会場やってんけど、
フォークより箸の方がたくさんあったり、
冷蔵庫にはお母さんが書いたという、ものすごい達筆な
書道の俳句が貼り付けてあったり、
引き出しからは、
「シマヤだしの素」が出てきたりして驚いた。

こうやって日本人の私のことを理解してくれる人が一人でも
いると、カナディアンばっかりの集まりでも
疎外感をあんまり感じることなくてほんとうに楽しめるので
嬉しい!





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まだ愚痴は続きます。 - 2004年08月25日(水)


今日は、術後はじめての担当医との面談。
先日の日記に書いたとおり、傷口の痛みが
あまりにも酷かったので、エマージェンシーに行ったことを
話して、傷口を見せた。

先生は、開口一番
「内出血して中で血液がたまってるんですね。痛み止め飲んでね。
時間がたつと痛みは消えますから」

えっ?????
エマージェンシーの先生は、化膿してるっていってたよ?

というと、担当医は
「でも、熱もないし、傷口も乾いててうみも出てないし、
気分も悪くないでしょ?化膿してたら体調も悪くなってるよ」
といわれて納得。
よかったー
大嫌いな抗生物質は飲まなくていいね。

ってよくないわい!
何だったんだ、あのエマージェンシーでの5時間は。
そして苦労して飲んだ抗生物質は(飲んだら気持ち悪くなるんですよ)


術後、はじめての先生との面談だったので、
手術がどうだったかとかいろいろ聞いてきました。

はっきりいって、手術は失敗です。
正確には、悪いところを何も直せないまま
お腹を閉じたそうです。
直せないのだそうです。

あぁ、ほんまについてない。
やることなすこと、全て自分の望む方向とは
反対へ進んでます。

今まではいつも前向きな自分に、
自分自身助けられてきたんですが、ここ2,3日は珍しく本当に
凹んでます。

この不安な気持ちや壁って、いつか乗り越えられるのかな?
辛い事っていつも一度に重なるんですよね。

きっと外に出ると少しは元気になると思うんですが、
外に出る気力もないんですよ、珍しく。
誰かと話しだすと、愚痴ってしまいそうな自分がいるので、
引きこもってます。

時間が少しでも辛さを和らげてくれますように!




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まだまだ英語の壁は高い。。。。 - 2004年08月24日(火)

そうそう、医療英語で思い出したけど、
ほんと、専門用語って難しいですよね。

いつも病院に行く前には、自分なりに言われそうなことを
予想して、あらかじめ調べておくんやけど、
予想もせんような事を言われたりして、たまに
「へっ??」
って、固まってしまうことがあります。

最近はすっかり病人なので、よく病院に行きます。
看護婦さんとの面接とか、
痲酔医師との面接とか、
手術前はとにかく忙しかったんですが、
そんなとき、いっつも同じところで
英語が詰まるんですよね。

それが何故かいつも「ウンコ」なんですよ(すいません、汚い話しで)

「お通じは順調ですか?」

って聞いたこと無い単語が並ぶ英文に
あたまパニックで、
「な、なんていったの?」
と聞き直してるのに、それまでの英語を全て理解してきた
私が、まさかウンコを理解できないとは思わないらしく、
向こうも
「何を聞き返してるの?」
って逆に聞かれる。
ピーとか、プーとか言ってくれたらすぐ分かるのに!

あぁ、奥が深い医療英語。
自前の辞書にも載っていなくて、調べようもない
医療用語。
今度の帰国時には、医療用語辞典を買わないとあかんわ。






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この国の医療体制 - 2004年08月23日(月)


早いもので、手術から1週間近くたちました。
術後は順調。。。。。。だったんですが、
2,3日前から傷口が痛み出しました。

痛み止めをほとんど飲んでなかったので、
まぁ、こんなものかな?とは思っててんけど
痛みは日増しに酷くなっていき、
歩くのも困難なくらい。
寝返りもうてない、寝てても痛みで目が覚める始末。
あんまり痛いので傷口を見ると、
切ったところがかちんこちんにしこりになって、腫れてた!

びっくりして旦那に言うと、それをみて驚き、
そのままエマージェンシーに連行されました(行きたくなかったのに)

次の日までまって、昼間に一人で病院に行くよ、っていっても
もし何かの菌に感染してたら怖いからの一点張りで
行ったエマージェンシー。

最悪です。

まず、受け付けてもらうのに立ちっぱなしで約40分。
受付だけで、ですよ。

病院には、びっくりするくらいの人が既に並んでいて、
それを見ただけで気が遠くなりそう。
まったくエマージェンシーという感じじゃない。
普通の病院の待合室みたい。
それくらい、患者が多かった。

受付だけでもすごい時間がかかったので、このままだと終わるのが
夜遅くなりそうな予感がするので
旦那に家に帰れと言ったのに彼は、私が万が一
医療英語が分からなかったらあかんから、と帰らない
(彼は毎朝5時半に起きるので、早く寝ないとダメなのです)

そうして待合室で待つこと数時間。
やっと名前が呼ばれて部屋へ。
そこはベットがずらっと並ぶ、処置室。
そこで手術の時と同じ服に着替えさせられ、
症状などを看護婦さんに詳しく説明し、
医者を待った。

しかし待てど暮らせど、医者は来ない。
その間に救急車は来る、
交通事故の患者は運び込まれるで、
私のような急患でない患者はとにかく待たされる。

病院内には、患者よりも多くのスタッフが働いていいたのに
なんでこんなに待たされるの?ってみてると、
医者がほとんどいない。
看護婦が何十人もいるのに対して、見かけた医者はたった一人。
この状況を一人の医者がこなしてるの?と思うと
ほんまに気の毒になった。

あんまり待ち時間が長いので、ちょっとトイレに、
とベットを離れると、すぐさま医者が私のベットにきたらしく、
相変わらずの自分のタイミングの悪さに情けなくなる。

そのせいで、次の患者をみにいってしまった医者は
そこからさらに30分以上たってもまだ見てくれなかった。

もう病院にきてから、4時間以上たった?ってころに
やっと診察してもらえる。

「あっ、これは化膿してますね。抗生物質飲んで」

というと、あとは看護婦にまかせてまたさっさと次の
患者へといってしまったお医者さん。

看護婦さんが、傷口におおきなガーゼをあてて処方箋をくれ、
そそくさと帰ってきた。

待ち時間、約5時間。
診察、約2分。

これがエマージェンシーの現実。

私が帰る頃、待合室には自力で立てないほど具合が悪い人、
交通事故と思われる、傷だらけの人などが
うずくまって待っていた。
私のように、症状が重くない人はいいけど、
こういう急を要する人たちは、絶対救急車で来ないと、
いつまでたってもみてもらえないんやわ、と危機感を感じたわ。

医療技術が決して悪いとはおもわん。
でも、どう考えてもこの医療体制はやばいと心底思った。

この国に住んでる限り、病気だけはできひんわ、と
ほんまに思いました。
長生きするなって事よね。
いざとなったら、絶対に日本に帰るねん、と
密かに心に誓った出来事でした。





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好みのタイプ - 2004年08月21日(土)

先日日本に帰ったときに、ものすごい楽しみにしていた
番組があります。
「水10」

これに出てる人、すごい好きなんですよ。
「車、車、車、車が三つでとどろきです」
っていう人と、
それと、水10にも出ていて、なおかつ新撰組にも出てる芸人。

好きなくせに、名前は全く覚えてません。
彼らの顔もすごいタイプなんです(趣味悪いと良く言われます)
それと昔から、極楽とんぼの加藤が、一番のタイプ。
(ほんと、趣味悪いですよね)
よく考えてみれば、好きなタイプって芸人ばっかりですやん。

水10に出ているゴリエもインパクトが強かったんですが、
ゴリエ役の人のすっぴんが、私のお友達にほんとに
そっくりなんですよね。
最初、双子かと思いました。
出身地も同じやし。
親戚か、兄弟ちゃうか?



とまぁ、なんとオチのない日記でしょうか。
まぁ引きこもり期間中って事で、ネタが無い!
ということで、タダのぼやきでした。





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ひきこもり - 2004年08月20日(金)

手術してから、もう気がつけば5日もたってます。
術後の経過は良いと言えども、今まだ引きこもり生活を
送ってます。

やっぱり重たい物持ったり、歩き回ったりすると
お腹が痛いのよね。しかも傷じゃなくて、中が痛い
(中も切ってるんだから当たり前)

この引きこもりの間に、いろいろ考えようと思ってたことがありました。
それはズバリ、これからのこと。

せっかく仕事を首になり、新しい道をひらけるチャンスが来たんだから、
ちょっとゆっくりして未来のことを考えようと思ってました。

見た目とは裏腹に体が弱いので、旦那をはじめ、
義両親、自分の両親などに
「手術もすることやし、しばらくゆっくりしたら?」
なんてありがたいことを言ってもらえたので、
せっかくのジョブオファーも断って、ちょっと家でゆっくりしようと
思ってたけど。。。。。

でも!!!!
気分的に全然ゆっくり出来ない。
私ってほんとつくづく貧乏性やと思う。

専業主婦になる気は無いので、いつかまた何かしら
仕事をしたいとは考えてる。

でも、これといってスキルはない。

かといって、これから学校へ行って勉強し直すには
勇気が要る(年齢のこととか、お金のこととか)

また今、安易に仕事を決めてしまってまた前のように
忙しくなったら、惰性で毎日が流れてしまい、
ふと気がついたら、一生懸命仕事しても
所詮最低賃金からは抜け出せない
仕事しかできてないような気がする

やはりここでは外国人になる私。
就職活動は、日本のそれよりも何倍も難しくなるので
そもそも仕事自体も見つかるのかが不安。

一番の問題は、一体何をしたいのか。
これが見えてないことが問題やと思う。

それに、ここえきて今だあきらめきれていない子供のこともある。

そうして、有り余る時間の中漠然といろいろな可能性を
求めて、ネットで検索して勉強中。

ただ一つすごく興味があった、鍼灸師という道はどうかと思い、
信頼できる鍼灸師に話を聞いてみると、開口一番
「あかん」といわれた。
人口の50%近くがチャイニーズのバンクーバーでは
はっっきりいって鍼灸師は飽和状態。
ものすごく優秀な先生でも仕事のあぶれているのでダメ!と
はっきり言われて、がっくり。
そして、「とりあえず、カナダの高校の卒業資格を取った方がいいね」
とアドバイスされた。

やっぱりそうか。
それは数年前にも考えたことがあった。
でもその時は、考えてるうちに仕事が決まり、
あれよ、あれよというまに仕事が忙しくなり
それどころでは無くなった。

こうして未来の模索はまだまだ続くのであった。




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一応病人です - 2004年08月17日(火)

本日、いよいよ待ちに待った手術の日。
カナダでは、手術を受けるのにも何ヶ月も待つので
私も、予約を入れてから実に3ヶ月待って今日の日を迎えました。

といっても、私なんてたいした手術じゃないからいいものの
これが待ってる間に進行するような病気やったら
どうするんやろう?って真剣に不安になりますわ。

日本では手術の前日から入院し、いろいろ検査したり
するらしいねんけど、そんなことは一切無く、
術前の浣腸も自分でするように言われ、なんてこったと
困り果てましたわ。
(全身麻酔の前は、食事も抜きで浣腸をしなければいけません)

無事にお昼過ぎに病院へ到着、すぐに看護婦さんに案内されて
更衣室へ。
そこで最終的に今日の手術についての詳細とか
いろいろ質問されて、もらった手術着に着替えた。

それから薬を山ほどのまされて、椅子に座ったまま
手の甲へ点滴(痛いんです)
その点滴の袋を持ったまま、自分で最後のトイレに行き、
手術室までこれまた一人で歩いていき、自分で手術台に
登ったあと、ハラ減ったーなどと看護婦さんと冗談を
言ったところまでは鮮明に覚えてるのに、そのあとの
記憶は全くない。
痲酔ってすごいね。
癖になりそうなくらい、気持ちよかったです。

次に、夢の中で誰かに、
「痛いですか?痛さを数字に例えるとどれくらい?」
って聞かれたので、大きい声で
「スリー」
っていうて、目が覚めた。
すると、そこはもうリカバリー室で看護婦さんが
あっ、起きた??などといい手を振ってた。

まだまだ痲酔が抜けてないので、頭が石のように重く、
体もいうことをきかないねんけど、不思議とどこも痛くはなく、
心配していた痲酔のアレルギーである、強烈な吐き気も全くなく
嬉しい限り。

私の隣に運ばれてきた女性なんて、ものすごい痲酔のアレルギーで
げろげろ吐いていて、その音のすさまじさにこっちまで
気分が悪くなりそうだったけど、私はなんとか大丈夫でした。

術後、1時間くらいたってからかな?
完全に目も覚めて、意識もはっきりしてるので看護婦さんが
私をベットから起こし、そのまま歩いて椅子へ座れと
指示したんやけど、はっきりいって全身麻酔してたった数時間後に
自分で歩いてベットから下りて椅子に座れといわれるとは
おもわんかっった。
さすが、カナダやわ。

なんやかんやと言いながら私もすたっと歩いて椅子へいき、
「お腹がすいたー、のど乾いたー」
などと看護婦さんにいってジンジャエールとクラッカーをもらい
食べる(食い意地はここでも健在)

そして何事もなかったかのように服を着替えて、車に乗って
自宅へ帰ってきました。
ここでも気持ち悪いどころか、お腹空いてたまらない位で
元気満々。
自分でもびっくりですわ。

日本やったら同じ手術で最低でも1週間は入院するんだそうです。
尿管も入って動けないらしいんですよ。
それに比べると、ほんまにカナダって厳しい国です。
日本が過保護なのかな?

それから毎日家でおとなしくしてます。
お腹切ってるので、歩くと痛いんですよね。
でもね。
抗生物質も、痛み止めも飲まずに生活できてるってある意味すごいですよね?
痛いんですけど、我慢できる痛さなので痛み止めは飲んでません。

これは、先生がうまかったのか、
それとも私が痛みに強いのかどっちなんでしょうか?
とにかく、無事に手術が終わって良かったです。


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観光客気分 - 2004年08月15日(日)

久しぶりに、バンクーバー観光に行きました。
バンクーバーの観光名所(に、なるのかな?)
グラウスマウンテンとキャピラノサスペンションブリッジへ。

地元に住んでると、なかなかいく機会はないねんけど
たまにいくと面白いね。

で、毎回キャピラノの吊り橋で乗り物酔いするんですよ(笑)
あの揺れは、船みたいでほんと気持ち悪い。
しかも怖いし。

グラウスマウンテンは気持ちよかったわ。
リフトが動いてるんで、それに乗って
バンクーバーを見下ろすすごい景色を堪能できるんですよ。
あれは一見の価値ありです。
最後に、山頂のレストランでディナー。

たまに観光客気分に浸ると、改めてバンクーバーの良さに気づいて
新鮮でいいね。




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ありがとうございます。 - 2004年08月10日(火)

先日の日記をアップした後、
たくさんの方から励ましのメールや、書き込みを頂きました。
本当にありがとうございます。

あれから1週間たち、大分落ち着きました。
最初の3日くらいは、悔しくて悔しくて、
睡眠薬を飲んでも寝られなかったんですが
(あんなに悔しいのははじめてかもしれない)
今は元気にしています。

仕事を始めた1年半前、
そこには何にもありませんでした。
私の前任もいなかったので、紙切れ一枚ない部署で一人、
黙々と仕事をしてきました。
私にとってもはじめての分野の仕事でしたが
100近い取引先を一人で開拓し、少しづつだけども
売り上げが取れるようになっていき、
社長にもどんどん信頼されるようになり、
今年の6月には昇進し、部下が3人出来ました。
そして給料も2倍に上がった所でした。

その、苦労して積み上げてきたものを
横から来た他人に全部持っていかれたんですよ。

首になったときは、押さえきれない理不尽さに
ガバメントの機関へ電話して色々調べました。
でも私の出来ることと言ったら、会社から今まだもらえていない
給料と、出張の経費の回収くらいで、
その会社が悪いカンパニーリストに載るわけでもなく、
逆に会社側が、私に対して訴えるなと
アクションを起こしてくるのではないかという心配の方が大きく、
今のところ、何もしていません。

弁護士を雇うにしても、そんなお金もなければ、最後まで耐え抜く
精神力も、そこへ使う時間ももったいないと思いあきらめました。

後釜に座った女性は、前にも書いたとおりワークビザが欲しくて
たまらないんです。
ってことはですよ、
そう!!!
今現在ワークビザではないんです。
でもなんで働いてるんでしょうかね?
何でやと思います?





私が突然会社を去ってから、取引先の人のなかでも不審に思う人が
数名いて、個人的に連絡をくれた人がいました。

首になった会社とはいえ、辞めた会社の悪口を取引先に言うのは
フェアじゃないと思い、事情があって辞めたと伝えたのです。
そうしたら、なんとその中から2社が

「是非うちで働きませんか?」とオファーしてくださいました。
ほんと、捨てる神あれば、拾う神ありですね。

本当にありがたいオファーだったんですが、今のところはまだ
働かずに、今後どうしようかとじっくり考えてます。











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遅れてやってきた厄年。最悪の日です。 - 2004年08月06日(金)


8月5日に日本から戻ってきて、荷物の整理もそこそこに
翌日の6日から私も旦那も仕事に戻りました。

今回の出張では、東京と大阪で取引先を開拓し
そこで手に入れた、たくさんの資料をスーツケースに詰めて
会社のみんなへのおみやげを持って出勤。

久しぶりにあう同僚はみんな嬉しそうに私の帰りを
歓迎してくれたんやけど、なんか様子がおかしいのが
社長と私の留守の間仕事を手伝ってくれていた日本人女性。

機嫌でも悪いのかな?と思いながら
そのあと自分の席へ着き、メールのチェックや荷物の整理なんかを
していて変な物を見つけた。

私宛にきている仕事のメールに、留守をあずかっている彼女が
妙な返事を書いているだ。

「彼女が出張から戻った後も、引き続き私が業務をさせて頂きます」

はぁ?どういうこと? 

と思っていると、社長から呼び出し。
そこで信じられないことを言われる。

There is no job for you.

は?

何を言われてるのか分からない私は、ぼーっとしていると
社長は続けて、

「あなたのネガティブな考えは会社に合わない」
「あなたは社風に合わないわ」

挙げ句の果てに、

「あなた子供ほしがってたでしょう?子供をうむとなったら
仕事休みたくなると思うし、仕事にも身が入らないでしょ
だから辞めてください」

はぁ?????????????






そうなんです。
出張から帰って出勤したその日に首になりました。

原因は、社長が言ったとおりですが、
本来の原因は、私の留守の間に仕事を代わりにしてもらっていた
日本人の女性が、どうしても私のポジションを欲しいらしく、
というか、彼女自身ワークビザがのどから手が出るほど欲しかったらしく
私をなんとか蹴落としてそのポジションを奪いたかったというのが
事の真相だと思います。
日本にはどうしても帰りたくないので、カナダに残りたそうです。

彼女自身は、口が裂けてもそういうことは言いませんが、
あくまでも私のいない間の補佐と聞いていたのに
彼女のしている仕事は補助的な物ではありません。


細かいことはかけませんが、社長の利害関係と、彼女の利害関係が一致し
私がいなくなれば全ておさまると言うことで、あっさり首でした。
私以外にも、2人首になってました。

出張に行く前にわたしの誕生日を盛大に祝ってもらい
社長から、
「あなたみたいなすばらしい従業員は雇ったこと無いわ!ありがとう」
という手紙までもらい、
昇進、昇給もしたところで
まさか首になるとは夢にも思ってませんでした。

40度の猛暑の中、必死で営業にまわったあの出張は
なんだったんでしょうか?
そのうえ、その出張での成果を、その彼女にすべて引き継がないと
「訴えるよ」
と言われました。
踏んだり蹴ったりとはこのことですね。

「子供産むかも知れないでしょう?」

ってそんなことを解雇の理由にしたらイリーガルで訴えられるですよ。
それに、私は子供が産めないんですよね。
「自然妊娠は不可能な体です」
って今年に入ってから、医者に断言されたところだったんですよね。
それも社長に報告して、なんとかして
治療方法はないのかとか、
なんとかして子供はもてないのかとか、一緒になって
考えてくれてたと思ったんですが。
すっかり忘れてるんでしょうかねぇ。
でないと、子供産めないっていってる人に向かって

「子供産むかも知れないからあてにならない。首です。」

なんて言えませんよね、普通の神経では。

今年は私にとって、厄年ですね。
色々辛いことが起こっても、
何事も一生懸命、前向きに頑張ってたら道が開けると
自分の目の前にあることに真摯に向き合って
自分なりに頑張ってきたつもりです。

でも、まじめにいきてきても、こうして何度も大きな壁に当たると
さすがの脳天気な私も、正直辛いです。

こんな事が起こっても、私に出来ることはただ事実を受け入れることだけ。

時間がこの辛さを少しでも癒してくれると信じて
自分がやられて嫌なことは人にはしない人間になると、
思いやりをもって人に接する事ができるようになろうと、
この人達のような人間には絶対ならないでおこうと、
転んでもタダでは起きない精神で一つずつ歩んでいくしか無いんです。

長々と暗い話しを読んで頂いてありがとうございました。


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へんてこな英語 - 2004年08月02日(月)

よく外国人が変な漢字や日本語の入れ墨やTシャツを着ていて、
そのバカさ加減をこの日記でも何度か書きました。
このネタへの反響はいつも大きいんですよね。

今日もすごいの見たんですよ!
それは

「性感刺激」

こんな事をでかでかと書いたTシャツを着ていたお姉ちゃんが
颯爽と歩いてたんですが、ひっつかまえて注意しようかと
真剣に考えてしまいましたわ。

しかし!!!!!
外国人だけではなかったんですよ。

今回の帰国で、服を見に行ったり道行く人の服を見ては
うちの旦那が笑うんです。

「なんであんな変な英文かいたTシャツきてるの?」

そう、気を付けてみると結構えげつない英文が氾濫してます。
子供服にでも

「私は孤独です。寂しいんです。誰も私のことを相手にしてくれません」

なんて涙ちょちょぎれそうな文章が書いてあるんですよ!
しかも子供服に。
商品化する前に誰か校正せいよ!

へんな漢字をネタにわらってたんですが、
自分たちも笑われてることをもっと自覚しないと。
洋服買う時は、是非辞書持参でね。



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買い物三昧 - 2004年08月01日(日)

いやいや、買い物天国日本では財布の紐も緩みっぱなしで
ほんと困りますね。

今回は忙しかったのであんまり買い物に行く暇がなかったのですが
そのわりには財布の中身の減り具合がえらい早いわーと
おもっていてはっ!と気づいたんですが

そとでの外食やお茶代だけでもカナダに比べて
怖いくらい高いんですよね。

でもなんやかんやといいいながら、ドラックストアや
100均、あとは服をたんまり買い込んできました。
もうカナダではお金をつかえません(今月から貧乏なので)

どこに買い物に行っても思うんですが、
携帯電話にしても、靴にしても、服にしても
ほんとうに様々な種類があってチョイスがいっぱい。
カナダにはそんなチョイスがありません。

無ければないで、無駄使いしないんですが、その分
経済がまわってないような気がしてならないんですよね。

なんでもかんでも消費する文化がいいとは思いませんが
物が売れると言うことは、確実にお金は周りますもんね。

その点カナダはちゃいますよ。

壊れた物は直して使う。
携帯電話でメールなんてする人は一人もいない。
セカンドハンドショップ(中古を扱う店)がへたすると
新品を扱うお店より流行っていたりする。

そのわりには貯金するという文化もなく、貯蓄額は
日本のそれと比べると恐ろしく低いと銀行の人に聞きました。

カナダ人、一体なににお金つこてるの???
(ちなみにうちの旦那は電化製品に全てをつぎ込みます)





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