「す」

続・少年の詩

ナチュラルであることにしたんだ

頑張るのはいいことだけど

原型も忘れてしまうほどなにかを無理して

無理に合わせて

笑っているのか怒っているのかさえ

わからなくなって

挙句なにも満たされなくなって

世界はどんどん退屈になっていく

誰のせいかといえば自分のせいです

なんかのせいにしてしまう前に

ナチュラルであることにしたんです

いけないというのなら

鮮やかに見棄ててください

それでもきっとボクは

強く生きていくことでしょう

「PM 17:45の再会」

電話を待っていた。
そのあいだ、時間にすれば取るに足りない。
けれどその苦しさ。翳を集めて飲み込むような重い時間。
わたしはその時、
長く忘れていた逃げ出したくなるような苦しさを鮮明に思い出していた。

元気か、という一言に泣きそうになった。
少し伺うような声にわざと明るく応えた。
生まれ来る度に独り密かに殺め続けた想いの瓦礫。
わたしの足元で軋むその音を貴方は聴かなくていい。
逢いたくて、逢いたくて、逢いたくて、夢に見た。何度も何度も。
まるで悪夢のように繰り返し再会の夢を。
何も変わらないのは貴方のイノセント。
ふたつの掌に握った合図。
無に戻せず零になれず始める物語はどれくらい愛しく哀しい?
それでも季節が生まれ変わる。
漸くわたしの季節が廻り始める。


貴方を忘れた日は一日も無かった。




なんつて。
ドラマチック命。
電話しようと急に思い立ったんです、突然。電話しましたよ。病院に。たらい回しにされましたよ。受付ではわたしの「放射線科だと思います」というのを無視され勝手に外科に回され、回してもらったその第一外科では「7月付けで此処をやめて、放射線科の方に移りました」と言われるし。わたしのドキマギを出来る限り返せ。

急に思い立って、と言ってもどうしようかと半日くらい悩み、柄にもなく占いなんか見ちゃったりしてね。今日は恋愛運が最高ですと出たので今日以外にないなとかね、都合良くゴーサインにオッケー出したりして。三年も夢に見た再会は取り敢えず声で完了。こんなに簡単に叶うと知っていたのですがね。一応は禁忌なんてものをひとしきり唱えてみたり。無駄ですね。そんなもん。

「いまは前より時間があるから」という無邪気なその声に、蓄積された恨みつらみも消えたわ。どうやったってわたしは貴方を完全に憎む事などできない。今も思うのはそれに感じてしまう恐怖みたいなもの。唯一という事はそれを失えば後が無い。替りなどないんです。どれだけ探しても。現在、予め失くされているから怖いものもないの。でも、だからこそ其処にはピュアな感情もある。

なにも望まない。ただ、側に居たい。

例えば何年も前から変わらないそういう本質的な欲望など。

「瞳の中に一輪の赫い薔薇」

人によって見せてる顔も違うんだろうな。
「就職の面接で試験官を見る時、それを先ず愛する人を見る眼に換えて見つめよ」というのがあった。
わたしはこの作戦を実行し、二つの企業の割と高い倍率クリア。

一番いい顔はたぶん、自分の愛するもの達こそが知っている。
造らずとも自然と其処に向けられているだろうから。
音も無く、なにもかも愛しいと魂が告白する響が表皮から滲み伝わる。
言葉が無くとも人は存在全てで気持ちを伝える事が出来るもの。
心を伝えたいと思う時は唇を閉ざし、ただ燃えるように見つめる。
不要なものを取り除き、私はただ、一輪の赫い薔薇を咲かせる。
一球入魂。直球勝負。そんな感じで。

「科白」

「いつもギリギリなんだよ。君がなにかを言い出す時はもう自分の中で考えが纏まって答えを出していて、今から俺がなにを言おうと手遅れなんだ。」

そんな科白を言われた事があります。確かにわたしは此処で饒舌にすら思えるほど語っていても、一つ決断するまで眼の前の人には言わないな。色々と考えて見定めているから。一つの問いへの答えを。間違っても後悔などしないように。

でも何らかの信号は送っている。一緒に考えて欲しいと、一緒に答えを出して欲しいと、まるでSOSのような。それに気付かない。だから独りで考え抜いた答えに従ってもらうまでの事。それが嫌なら変えてみろってね。

「凡そジャンク」

冷房いのち。凡そジャンクな生活しております。今年は何回しぬかしら。脳漿が少し腐り始めたし。それはいかん。でも腐りかけがなんでも美味しいとも言うね。目指すのは、腐っても鯛の今日この頃。

昔ほどではないけどわたしは今も現役で短気。チガイマスヨ。短気といっても色んな場面で「ゴルァァァア」ってなるのとは。見切りをつけるのが物凄く早くなりました。たまにゴルァもあるのですが、そればっかりだと疲れますからね。いいんですよ。女性はナーバスバットグラマラスで。ただ後の単語が省かれたりしてしまうと途端に棲み難い世の中となりそうですよね。

改行

今話すと絶対に似合わない。何で!?と断言されるバイト話。高校生の時にマックで2週間ほどバイトしました。何事も経験ですからね。だがしかし、顔を引き攣らせたのはやはりスマイル0円。結構居たんです。しかも何度もそれだけ買いに来るんです。わざとですよわざと。呪ってやりたかった。営業スマイルなんて身に付く筈もないぴちぴちシックスティーン。汚れてしまった今なら太刀打ち出来るだろうな。
「スマイルください」
「侮蔑気味のになさいますか?それとも嘲笑気味になさいますか?」
とか。ただより怖いものはないとしっかり教えてあげられそう。

改行

で・あるからして、同性にしても異性にしても無意識に選んでしまいます。醜い気持ちにならずにいさせてくれるひと。触れるという事。触れるものからの影響に気をつけなければならないのです。ヒトのこころは妙に侵され易いから。

「32bitで見る世界」

近眼は遺伝で、わたくしめも両親同様視力が悪くコンタクトを着用している。ぱそを操作する時は比較的度のゆるい眼鏡をかけてPC小僧と化す。見え過ぎるという世界をわたしはずっと昔に失くしたきり。だから実際は余計なものまで見えてしまうという感覚は解らない。

この前、会社のPCからこっそりと此処を覗いた時の事。16bitの画面から見たINNOCENT。見えるはずのものが殆ど見えていない。だが一方で、ざらついた画質が画像をより美しく見せていたりもした。

解るつもりのない人間に何を語りかけても無駄なように、自分の見えているものを切実に訴えたとしてもそれは単にbitの違いを押し付けているに過ぎず、ぐろてすくと美麗の基準も様々で、基準は各各にあるという事を識るに過ぎないのではないか。

どうしても同じにと思う人には先ず一通りの自分を見てもらうのがわたしのやり方だけどね。すみません、直球しか投げれません。いやいやそんな事を語る前にもっと仕事に熱をいれませう。

「後輩」

がむしゃらに働き続け気が付けば同期のユウコさんとわたし、お局系。今の職場は仕事内容等、子供を育てながらは難しいと思われ、今年の初め頃まで産休を取っていた先輩はついに戻って来なかった。

「わたしやめますからね」
何度もそう繰り返した後輩も昨日付けで晴れて正社員へ。この後輩の一人を今日はご紹介してみたい。

「お菓子いります?」と言って甘納豆とか黒棒とか雷おこしとか都こんぶとかをくれる。口癖は「いやいや、なにをおっしゃいますやら」。
トイレにいってきます。というのを「ちょっとカワヤへ」
それはゆるせませんね。というのを「それは解せませんね」
彼女は「ハギワラ」好きで「ああ、ハギワラマサトね」と或る意味、胸を撫で下ろすと
「違いますよ、ナガレですよ」
いやいやそっちかいな。

そんな後輩がめずらしくノーマルに吉沢悠の事をカワイイと言っていたので、密かにミートゥーだったわたしは思わずそんな己の好みが危うい気がした。

ふるきよき時代を彷彿とさせてくれる貴重な人材。歳は確かわたしの一つ下の筈。

「ハピネス」

何かを取り戻すように、倖せになろうと思うのは過去の苦痛を思えばこそ。けれどどこか片意地を張っているような気がしてくる。

「自分の倖せが何なのか解らない」と度々言った事があるがそれはただのフリで、「何なのか」を明確に認めてしまうのを畏れているだけに過ぎない。

既に自分にとっての至福というものをよく知っていて、それが同じ形ではどうしても手に入らないと知っている。それに今のわたしのハートが過去と同じ形をしていないから、譬えそれが同じものがあったとしても違うものとして捉えるだろう。満たされる事が倖せならば、人生でその瞬間を味わえる事は少ない。

「熱蕾」

手渡されないままの言葉は蕾。
熱を孕んだまま花と成る時を待つ。
伝えたい相手に渡してこそ其処で花を咲かせる事が出来るのだろう。
相手の側でどんな花と成っても後悔しないつもり。
どんなに冷たい反応をされてもそれが本当に伝えたい事だったならば。
けれど数多の言葉をわたしは未だ花と咲かせる事を叶わせてあけられずにいる。
たくさんの熱蕾をこころの内に持っている。



「内柔外剛」

この言葉の表すような人を何人か知っている。俄かに人をこころに入れないぶんだけ一度入れてもらえればとても大切にしてくれる。その核の美しさや、やさしさ、人に見せないぶんだけ強く煌めく。わたしはその人のよさを多く語れる。

「寫眞」

「存在の記憶」
取り残されたいと思えた瞬間が、望む限りひだまりのように暖め続けてくれる。
けれど時は止まらない。

「刹那の刻印」
過去と現在の距離、そして傷みをはかる残酷。
世は無常、けれどわたしには光に満ちた未来よりも、
永遠に其処に閉じ込められても構わなかった刹那の闇がある。


「IMAGE & REAL」

見えるものの側面には見えない眞實があり、
語られない言葉の側面では各各の自由なイマヂネイションが付き纏う。
実體と精神が截り離されたようにも思える伝達意志の氾濫。
文字だらけの世界で加速し、忘却し、埋もれるヒューマン。
言葉という曖昧性と存在という確実性が時に逆轉するとさえ思えた。
その狭間にこころが存在する。
音も無く、温度も無いはずの言葉が模造する各各の人工世界で、
旋律を生し、ぬくもりも感じる。
書き手と読み手に心が在ればこそ。

リアルだけでは収まり切らないものが、ある。
けれどイメージに殺されたくも、ない。
此処での水準は各各にあり、自己の基準は自分が決める。
どれも自分であるという核を忘れ果てずいられたらわたしはそれでいい。
だから、イメージとリアルの境界辺りで遊ぶのだ。

「淘汰の基準があったとすれば」

個人の中で、わたしという個体が、見事な形で都合よく造り上げられてしまっているという事。わたしがなにより馬鹿馬鹿しいと思う事。淘汰の基準があったとすれば。

「少年の詩」

言葉という告白の媒体にうもれ

その浪費、あるいは蓄積に

疲弊するのか満足するのかわからない

出口を探しているけれどみつからずにいるし

入口を探しているけれどみつからずにいるし

ということはここがボクの居るべき場所なのかな

というこれも錯覚であるからして

とっくに出した答えに満足できず

何通りもの公式をあてはめては

ふむむ、と唸っているような

そんな毎日のような気がたまにする

瞬間瞬間を有意義に過ごせたら

死ぬ時、わらえるらしい

でもそんな時、わらえなくてもいいな

今、わらっていたいな

ボクは停滞しているのかな

停滞するなら幸せの中がいいな

でも幸せって何だろうね

幾つもの面にカットされたホントー

どれもホントーだけど

どれもホントーにしてしまうと矛盾する

そんなボクが弱いというのなら

キミがまもってください

それか、なぐりたおしてください

キス・ミー オア キル・ミー精神でひとつよろしく

それはそうとして

果たせない約束の屍骸がふえていく

tatuのように反省心もなく

それを毎年ボクは桜の下に埋める

今年も埋めたよ

そうやってあれからもこれからも

時間は流れ続けるけれど

ボクはまだ救われずにいる




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