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セクサロイドは眠らない

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2003年02月26日(水) 私にとって女ではなかった。ただ、問い掛ければ正確な答えを出してくれる、忠実な道具。

「おい。シマザキ。ちょっといいか。」
私は、パソコン越しに声を掛ける。

「は、はい・・・。」
シマザキが慌てて立ち上がる。

「工程会議で問題になってた、アレな。ちょっとソースを見せてもらったんだが・・・。」
「はい。」
「ループの中でインスタンスを毎回ニューしてるところがあるんだ。そこが原因だ。ちょっと調べてみろ。」
「は、はい・・・。」

私は、しばらくシマザキの様子をうかがう。

一時間程して、シマザキが慌ててこちらに向かって来る。

「あの。部長のおっしゃる通りでした。そこでメモリを食い過ぎてました。」
「基本が出来てないな。」
「すいません。あの、多分、外注がやったところをコピペしていたので・・・。」
「ともかく、これで何とか今期中という納期は守れるわけだ。」
「ありがとうございました。」
「もういいから。早く、同じようなミスがないか、全部のソースを調べてみろ。」
「はい。」

問題が解決しなくて大騒ぎしていた所だった。私は、鷹揚に笑った。それから、周囲に気付かれないようにゆっくりとヒトエのほうに視線を移した。

相変わらずだった。相変わらず、無表情でパソコンに向かっている。

私は、ホッとして、ヒトエにメールを出す。

よくやった。お前のお陰だ。

メールを読んだ筈だが、ヒトエは眉一つ動かさない。

目立たない女。朝、職場に来てから一言も言葉を発することなく、深夜まで黙って仕事をしている。最初、社長の親戚の女性で引きこもりがいるから、使ってみてくれないかと、そう持ち掛けられた時は、さすがに断りたかった。そんな余裕はない。ただでさえ、目標達成ギリギリというところだ。シマザキというお荷物を抱え、これ以上のお荷物はとても引き受けられない。どんなにか、そう答えたかったろう。だが、社長が直々に私のところまで来たのだから、到底断れなかったのだ。

だが、ヒトエは掘り出し物だった。海綿が水を吸い込むように、教えた事はどんどんと飲み込み、帰宅してからも自分で勉強をしたのだろう。半年も経った頃には、私の部署では、誰よりも正確な仕事をするようになっていた。

今回の件もそうだった。

シマザキの担当しているプログラムが、現場でメモリ不足を起こしていて、問題になっていた。最近の技術からすっかり遠ざかっていた私は、的確な指示もできず、せいぜい、イライラと彼の尻を叩く事しかできていなかったのだ。

昨夜の事だった。いつまでも残業していたヒトエに、
「もう、帰るぞ。」
と、声を掛けたところ、しばらくモジモジとした挙句、ヒトエはこう切り出した。
「シマザキさんのところのプログラムで、少しまずいところを見つけたんですけど・・・。」

普段、滅多に声を出さない彼女の声は、しわがれていた。

「何?」
「あの。私、余計な事とは思ったんですが。」
「もう少し詳しく聞かせてくれるか。」
「はい。」

ヒトエは、控えめな調子で説明をしてみせてくれた。

「そうか。それで、やたらとメモリを使ってたんだな。ヒトエ、よくやったぞ。」
私は、厄介事が解決するであろう喜びで、思わずヒトエの肩に手を掛けて叫んだ。

「あの。帰ります。」
ヒトエは、真っ赤になってうつむいていた。

「ああ。そうだな。もう、遅い。この件は、私が明日、シマザキに指示するよ。本当にありがとう。」

ヒトエは、古ぼけたバックを肩に掛け、慌ててオフィスを飛び出して行った。

それからだった。私は、何かとヒトエを頼りにするようになった。

たとえば、こんな事を頼んだりもした。
「なあ。オザキがこんな見積もりを持って来たんだが、どうかな。本当にこの納期でやれるかな。」

ヒトエは、黙って資料を受け取ると、次の朝までには正確な見積もりと、詳細な根拠が綴られたメールを入れて来る。

分厚い眼鏡の向こうの小さな瞳。顔を隠すように伸ばした、ボサボサの髪の毛。声の出し方を忘れていたのではないかというような、低いくぐもる声。

だが、ヒトエさえいえれば、私は、部内での威厳を保つ事が出来、成績をどんどんと上げる事が出来た。

最近では、ヒトエの部屋で打ち合わせをする事もしばしばだった。

だが、あくまでも、ヒトエは、私にとって女ではなかった。ただ、問い掛ければ正確な答えを出してくれる、忠実な道具。私だけが開く事ができる、彼女の閉ざされた心。

「やったぞ。ヒトエ。今期は、目標達成だよ。」
私は、ある晩、酔ってヒトエの家に電話をした。

電話の向こうで、ヒトエは、何かモゴモゴと答えていたが、何を言っているかは分からなかった。

「ともかく、祝杯だ。今からお前の部屋に行くから。」
私は、ワインを抱えて、ヒトエの部屋に向かった。

ヒトエは、いつものように黙って私を部屋に上げた。

「なあ。ヒトエ。俺とお前が組めば、最高の仕事ができるよな。」

ヒトエも、酔って赤くなった顔で、ぼんやりとこちらを見返していた。

「なあ。ヒトエ。もっと飲めよ。」

気付けば、ヒトエは、眼鏡をはずしていた。私は、ヒトエの肩に手を掛け、その滑らかな頬を息が掛かるほど近くに引き寄せていた。

「お前、眼鏡はずしたら、可愛いのになあ。」

私は、ヒトエの柔らかな唇を、きれいな肌を、間近に感じ、それからどうなってしまったか・・・。

翌朝は、土曜日だった。まだ、眠っているヒトエの肩に毛布を掛けてやると、私はそっとヒトエのアパートを後にした。

--

週末を、上機嫌で過ごした私は、職場に出て、ヒトエを目で探しながら、見慣れない女性社員がいるのを目に留め、はて、あの女性は誰だったかな、などと思う。

しばらくして、それがヒトエだったと気付いて、私は、驚く。眼鏡をかけない顔に薄く化粧をし、髪の毛は美容院で美しく整えられている。

ヒトエ。何だ。その顔は。その髪は。馬鹿な。何を考えている。

私は、しばらく怒りのあまり仕事が手に付かない。男性社員は、明らかに、ヒトエの変化に驚き、好意的に受け入れている。

私は、その晩、仕事が終わると慌ててヒトエの部屋に向かった。

「部長・・・。」
嬉しそうに頬を染めてこちらを見る、その瞳の、媚びて何といやらしい事か。

私は、怒っていた。

そのまま、黙ってヒトエの部屋に土足で上がり込むと、ヒトエの頬を殴った。

ヒトエは、頬を押さえて倒れ込む。

「馬鹿な女だ。」
私は、吐き捨てて、部屋を後にした。

--

次の日、ヒトエは来なかった。次の日も。また、次の日も。

それから、不審に思ったアパートの管理人が部屋を開け、ヒトエの自殺は、会社の知る所となった。

「幸せ」という言葉の意味をようやく知りました。

そう、書かれた紙切れが置かれていたという。

私は、それすらも、なぜか無償に腹が立ち、「これからどうすりゃいいんだよ」などと、ヒトエに向かって悪態を吐き続けた。


2003年02月24日(月) 女は、まるで一晩過ごした恋人を見送るように、俺をアパートのドアまで送ってくれた。

ミミカキヤ。

そう看板が出ていたのに、初めて気が付いた。

ダンボールの切れ端に下手糞な字で殴り書きのような文字が並んでいた。

その、小学生の劇のセットのようなダンボールなぞ、普段なら見過ごす筈なのに、その日に限って目に留まった。

二日ばかり、仕事を無断で休んだせいで、部長から「今日は家に帰って頭を冷やして来い。」などと言葉を叩きつけられた。もう、何もかも嫌になっていたのだ。

その、ボロアパートのドアをノックした。

「ダレ?」
中から、小さな声が聞こえて来た。

「客だよ。」
俺は答えた。

「ミミカキ、シテアゲルヨ。」
「ああ。頼む。」

ドアは開かれ、中から覗いたのは美しい娘だった。

「コッチ。」
「ああ。」
「ワタシノヒザ、ニ、アタマ。」
「うん。」

その、真っ白な膝小僧がまぶしくて思わず目をしばたかせながら、俺は横になった。

「イタカタラ、イッテネ。」
「うん。」

すぐさま、心地よい感覚の中で、溜め息が漏れる。

「いい気持ちだ。」
「ソウ?」
「ああ。」
「ウレシイ。」
「どこから来た?」
「ペキン。」
「何で、一人で?」
「トウサン、サガシテタ。ダケド、ミツカタノハ、ヨコタサンダッタ。」
「横田?」
「ウン。コノ、アパトミツケテクレタ。ゴハン、クレタ。」
「そうか。」
「ヨコタサン、ミミカキ、ジョウズトイッテクレタ。ダカラ、ショウバイ、シヨウ、オモタ。」
「ふうん。」

細い指が、舞うのを感じる。暖かい息を、感じる。

「サ。ハンタイヨ。」
「ああ・・・。」

身を起こすと、かすかな体臭が俺の鼻の奥をくすぐり、その華奢な体の中にそのまま頭をうずめてしまいたい衝動に駆られ、かろうじて踏みとどまる。

「横田さんってのは、どうした?」
「ヨコタサン、モウ、ゴハンタベサセテクレナイヨ。」
「一人でこんなアパートで商売してちゃ、危ないだろう?」
「オキャクサン、ハジメテヨ。ヨコタサンノツギ、ワタシノミミカキ、ホメテクレタヨ。」
「そうか。」

まだ、俺が二人目か。

おかしな事に、俺は、ほっとしてしまう。

「オワタヨ。」
「ああ。」

その間の時間が、長かったのか。短かったのか。

まるで分からなかった。だが、その魔法の指は、確かに俺の澱んだ心をさっぱりと洗い流してくれた。

「また、来てもいいか?」
「マッテルヨ。」

女は、まるで一晩過ごした恋人を見送るように、俺をアパートのドアまで送ってくれた。

俺は、その女の耳掻きの技巧の虜になった。もちろん、女にも会いたかった。次の日から、来る日も来る日も、女の部屋に通った。お金は、「チョトダケ。イイダケ。」と言うもんだから、余計にいとおしく、金がある時は、二万か、三万、その指に握らせた。

女に耳を掻いてもらうようになってから、俺は、真面目に仕事をするようになっていた。そうして、稼いで、女の許に通う事だけが楽しみになった。遊びの誘いも断るようになった。ゲームやら、麻雀やらも、しなくなった。俺の生活のいろいろなものが、耳垢と一緒にそぎ落とされて行った。

ある晩。

俺は、なけなしの金をはたいて買った指輪を握り締めて女の許を訪ねた。

「マテタヨ。」
「なあ。一緒にならないか?」
「エ?ナニ?」
「俺の耳だけ掻いて、暮らせばいいんだよ。お前はよ。」
「・・・。」
「結婚だよ。結婚しよう。」
「ケコン・・・。」
「そうだよ。」
「ワタシ、イマノママ、ジュウブンヨ。」
「そんな事、言うな。」

俺は、女を抱き締めた。女は、最初は身を硬くしていたが、次第に力を抜き、俺の体に身を委ねた。

俺は、世界に一人しかいない、素晴らしい女を手に入れたのだ。

俺達は、二人だけで指輪を交わし、ある日、女は少ない荷物と一緒に俺の部屋にやって来た。

「ここが今日からお前の家だ。」
「ウレシイ。」
「さあ。耳を掻いておくれ。」
「マタ?ケサモ、ミミカキ、シタヨ。」
「頼むよ。」
「イイヨ。」

女は、なぜか小さな溜め息をついたように見えた。

俺は、女の膝に頭を載せながら、何とはなしに訊ねた。
「横田さんは、なんでお前みたいないい女を捨てちゃったんだろうなあ?」
「ヨコタサン、ステテナイヨ。ヨコタサン、カラポニナチャッタ。ノウミソ、ワタシガ、イツモイツモ、ミミカキシタカラ、カラポニナチャタンダヨ。モウ、ナンニモシャベラナイ。」

女の片言の日本語は、まるで歌うように聞こえた。


2003年02月07日(金) 「そしたらさ。俺、彼女いるんだよ、って言って。それなのにさ。私の事抱き締めて、嬉しいよ、とか言うわけ。」

タケルは、幼稚園の時、初めてミサキと会った時からミサキの事が好きでした。他の幼稚園からお父さんの仕事の都合でこの幼稚園に入ることになりました、と、先生が紹介した時に、「あ」と思ったのです。その「あ」を、その時はうまく説明できなかったのですが、年齢と共に「ミサキを守るのは僕なんだ」とか、「ミサキを僕の奥さんにする」とか、いろいろな言葉に置き換わっていく中で、分かったのでした。ミサキがタケルにとって何か特別な存在であるという事が。

小学校の低学年の頃は、ミサキとは家を行ったり来たりして、本当によく遊んだけれど、高学年になるにつれて、お互い、会えば悪口を言い合ったりして、ほとんど会話すらしなくなっていって。それでも、タケルは、ミサキの事が大好きでした。夏の運動会の練習の後、ミサキの髪の毛が汗で額に張り付いている様子なんかを遠くから見ているしかできなくなっていたけれど。

中学校も、高校も、一緒だったので、一時は疎遠になっていた二人も、いつしかまた、幼い頃のように打ち解けてしゃべる事ができるようになりました。時々は、一緒に帰ったりしながら、ミサキの友達がクラスのどの男の子を好きか、とか、そんな話をしていると、タケルは「お前は好きなヤツ、いるのか?」と、喉元まで言葉が出掛かって、でも、言えなくて、そんな時は、ただ、ミサキがしゃべってるのをウンウンとうなずいているしかなかったのでした。

高校三年のある日、ミサキは、めずらしく、
「一緒に帰らない?」
と、昼休み、タケルに訊いて来たのでした。

「ああ。いいよ。」
タケルはぞんざいに答えて、でも、胸がドキドキしていました。ミサキが自分からそんな風に誘ってくるのなんて、滅多に無い事だったからです。

下駄箱の外でボンヤリと待っていると、ミサキが慌ててタケルの元に走って来ました。
「ごめんね。遅くなっちゃって。」
「いいよ。」
「ほんと、ごめん。なんかさあ、アカネが買い物して帰ろうって言うから、断ったりとかしてたの。」
「平気。大丈夫。」
「そう。良かった。」
「珍しいなあ。お前から誘うなんて。」
「うん。」
「もう、部活のほうはいいのか?」
「うん。引継ぎも済んだし。いい加減、勉強しなくちゃね。」
「で?」
「え?」
「なんか、相談したい事があるんだろう?」
「うん・・・。まあ。」
「何だよ?」
「なんか、言いにくいなあ。」

タケルの胸は、激しく鳴っていました。

「あのさ。タケウチ先輩っていたでしょ?」
「ああ。」
「あの先輩とさ、この前、ばったり道で会って。」
「そっか。」
「でね。なんか、いろいろしゃべってるうちにね。電話番号教えてもらったりして。」
「で?」
「なんかさあ。私、ずっとあの先輩が好きだったのね。だから・・・。」
「相手知ってんのかよ?」
「まだ、何にも言ってない。」
「なるほどね。お前も、一応、女だったってわけか。」
「ひどい言い方ねえ。」
「はは。なんかさ。面白いんだもん。」
「ひどい。やっぱり言わなきゃ良かった。」

タケルが横を見ると、ミサキはなぜか涙ぐんでいて。タケルは慌てて何か言おうとしたけれど、うまい言葉が思いつかず。そうやって、十分ほど歩いたところで、
「私、ちょっと寄ってくところがあるから。」
と、ミサキは駆け出してしまったのでした。

ああ。なんか、まずったなあ。と、思いながらも、タケルはどうしていいかも分からなくて。きっと、「好き」という気持ちがあんまりにも大きいと、人は、どうしてか、奇妙に間違った行動を取ってしまうものだと思ったりもしたのでした。あの時、冗談めかして「俺だってお前の事、好きなんだぜ。」って言ってしまえば良かったかもしれないと。そういくら思っても、今さら遅いんだと。タケルはそんな風にしぼんでしまった胸を抱えて、家路についたのでした。

--

ミサキとは、それっきり、あまり会わなくなって、大学も別になってしまったので、タケルは、ただ、ミサキの事をぼんやりと思い出しては暮らす生活でした。

ミサキから電話があったのは、同窓会の誘いの時。
「久しぶりね。」
と、言うミサキの声は、どこか元気がなくて。

「どうしたの?」
「うん・・・。」
「元気ないじゃん。」
「あのさあ。会って話せる?」
「いいけど。」

タケルは、急いで家を飛び出して待ち合わせの場所に走って行ったのでした。あの時と同じ。ドキドキと鼓動する胸を抑えながら。

「タケウチ先輩の事相談したの、覚えてる?」
「うん。」
「あのね。あれから、私、時々電話したりしてて。それで、バレンタインの時に、タケウチ先輩にチョコ上げたのね。」
「へえ。」
「そしたらさ。俺、彼女いるんだよ、って言って。それなのにさ。私の事抱き締めて、嬉しいよ、とか言うわけ。」
「・・・。」
「そんな事されたらさ。あきらめられないじゃん?それで、私、ちょっとおかしくなっちゃって。タケウチ先輩追っかけるようになっちゃって。随分迷惑掛けちゃったんだ。」
「そっか・・・。」
「ね。おかしいよね。馬鹿みたいだよね。」
「馬鹿みたいじゃないさ。」

僕みたいだ。あれから、何度、ミサキの家の前に立って、ミサキの部屋がある二階を見上げていただろう。

「俺もさ。お前の事、好きなんだ。」
「知ってたよ。」
「え?」
「なんかさ。分かるじゃん。そういうの。でも、私、それ分かってて、あの時タケルに相談しちゃったんだよね。タケルなら聞いてくれるって思ってさ。」
「そっか・・・。」
「あの時はごめん。」
「いいんだよ。」
「それだけ、謝りたくて。」
「それだけ?」
「うん。」
「俺の気持ちは?」
「ごめん。私さ。まだ、タケウチ先輩の事、好きなんだ。馬鹿みたいでしょう?」
「分かるさ。」

馬鹿みたいなのは、僕も同じだ。

タケルとミサキは、そのまま黙って歩いて。それから、
「じゃあね。」
と、ミサキが言うのに、うん、とうなずいて、分かれ道を右と左に行ったのでした。

--

ミサキは、時折泣いては電話をしてきます。タケルは、黙って聞いてやる事しかできません。それでも良かったし、それしかなかったし。

ある日、タケルはどうにも貧血がひどく、バイトの途中で倒れてしまって、病院に運ばれたのでした。

「二週間程、検査入院が必要です。」
と、そう医者に言われたのを黙って聞きながらも、もっと深刻な病気である事は分かっていたのでした。

「あと、どれくらい持ちますか?」
タケルは、知りたかったのです。それだけが。

「それは・・・。」
医者は、少し口篭もって、あと、一ヶ月になるか、半年になるか。それは分かりません、と静かに答えたのでした。

それから、一ヶ月、二ヶ月。検査の数値はよくならず、手術さえ行われない事に、タケルもとうとう心を決めました。迷ったすえ、ミサキに電話をしたのです。

ミサキは青ざめた顔でタケルの元に飛んで来ました。その目は、真っ赤で。タケルはミサキが握って来た手を弱く握り返しながら、
「馬鹿だなあ。泣くなよ。」
と、言いました。

きっと、自分は、自分で思う以上に具合が悪く見えるのだ、と、その時タケルは気付きました。

ミサキが泣いてくれて、本当は、ホッとしていました。

ミサキは、毎日毎日、病室にタケルを見舞いに来てくれました。

ある日、タケルは、夕暮れの病室で、ミサキと二人きりで。これが二人でいられる最後だと、そんな風に思えてしょうがなかったので、思い切って言ったのでした。
「病気になって良かったよ。それを理由に、お前に毎日会えたから。」
と。

ミサキは、もう、何度泣いたかしれない目から、また涙を流して言うのでした。
「私、タケウチ先輩のことはもういいんだ。」
「そうか。」
「私、タケルがいたから、誰かを思い切り愛せたんだと思う。タケルが付いててくれると思ってたから。」
「そんなの、ちっとも嬉しかねーよ。」

タケルは、笑って、泣いているミサキの涙を、そっと人差し指でなぞり、その指を自分の唇に持って行って。

静かに目を閉じたのでした。


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