cahier@enpitu
DiaryINDEXpastwill


2007年06月29日(金) 泥の中

 1日のうちで感情の波の幅が大きく頻繁に上がり下がりする。ジェットコースターががくんと下り落ちるように、急に滅入ってしまう。かと思えば持ち直す。揺れが激しすぎて自分でもついていけない。
 自分をめった刺しにしたくなる、このところ頻繁に。先週くらいからそうだろうか。自殺ではなくて、ナイフを握り締めて思い切り胸に突き立ててやりたくなる。自分自身が憎くてたまらない。
 薬の副作用なら仕方ないけれど、これはわたしが心の底から感じていることなのだろうか。闇の中、泥の中にいるような気がする。本当に自分自身のことがよくわからない。

 助けて。わたしはまだまともな目で頭でものを見たい考えたい。

 家族と暮らしていても、強い孤独感。さみしい、という感情は容易にひとを壊すことができる。


2007年06月27日(水) もっと遠くまで歩けていける

 空腹感が気持ちよく感じる。酔いが邪魔になる。冷たい空気に当たりたくなる。歩くときの音楽が必要じゃなくなる。目線が少し上を向いてきた。歩幅が心なしか大きくなる。

 身体が、心が、今求めているのは、鋭さと静けさと冷たさとクリアなもの。イメージは氷の、あるいは鉱物の刃。

 澄んだ思考で、鋭い視覚と聴覚で、余計なものを削ぎ落としてシンプルにいきたい。ひとりでももっと遠くまで歩いていけそうな気がしてきた。少し精神状態が落ち着いてきたようだ。


2007年06月26日(火) 備忘録/ふと思い、思い出したこと

 昨夜、仕事帰りに整骨院へ寄る。いつも以上にマッサージも鍼も念入りに。自覚していた以上に凝りも酷かったのか。

 眠ろうと横になった途端、左の胸に痛みが走った。鋭く何度も起こるもの。耐えられない。何も知らなければ左の胸だなんて心臓かと焦っただろうけれど、タイミングよく、祖父が心臓病かと思えば肋間神経痛だったという話をしていたのを思い出した。右半身を下にして身体を丸めたら痛みもおさまって眠ることができた。

 明けて今日。通勤中、左の肩甲骨の内側が強く痛んで駅まで走っていくのもつらい。左指がしびれている。左上腕も嫌な感じ。目のすぐ上、眉のあたりとこめかみが痛む。思い出したように胸の真ん中に軽い痛みが走る。

 整骨院で何かの具合がおかしくなったのか。それとももともと左半身の凝りは酷いけれど、それが悪化している? 全てをここに帰結させたくはないけれどストレスだろうか。

□□□

 テレビで高島忠夫のうつ病を取り上げた番組が。

 家族がうつ病になったとき、わたしは傍にいられるだろうか。その辛さも知っているけれど、いや知っているからこそどう接すればいいのかわからない。

 わたしのうつを傍らで見続けた人はそういえばいなかったな。あのころ家族も遠く離れて暮らしていたし、友人も心配してくれてはいたけれどずっとわたしを見ていたわけじゃない。それでも見えないからこそ募る心配というものもある、目の当たりにする辛さもある。見守る苦しさもある。だからあの病気の間、誰も傷つけてはいないとは思うな。辛かったのはわたしだけじゃない。

 そういえばお医者さんと指きりしたのは3年も前だっけ。行き詰まることはない、と言われたのだった。


2007年06月25日(月) これはなんだ

 ふと、今わたしが死んだとして泣く人はいるだろうかと、そして泣かせたくない人がいるだろうかと考えた。いない。わたしが死んだら泣いてくれる人はいるかもしれない。でも、この人を泣かせたくないから死ぬことはしないと言える人は今いないんだ。

 そこまで考えて、自分の精神状態が少しまずい方向に向かっていることに気がついた。

 一体どうしてこういうことを考えたんだろう。今がそんなに辛いのか。そんなことはないはず。いや、自分の現状に自信は持てるのか。持てない。どういう状態なら自信があるんだ。打ち消しあって終わることの無い自己問答。ひょっとしたら低容量ピルの副作用かもしれないけれど、まだ服用4日目。そんなにすぐに出るものだろうか。こんな思いをしてまで使う必要のある薬なのか。…………。

 このまま、こんな思考が続いてしまうのなら耐えられないかもしれない。


2007年06月21日(木) ずるやすみの日に

 仕事をしているふりをするのにも疲れたし、病院に行く用事もあったので今日は体調不良ということにして仕事を休んだ。晴れた日にそんな休み方をして病院へ向かっていると、自分が世間から遊離しているような、憚らずに言ってしまうと、はみ出し者になったかのような気がしていた。
 婦人科で今後の相談をした。選択肢を3つ、実質2つ提示される。ピルを飲むか、今のまま何もせず問題が起こったときにその都度対処していくか。どちらにも一長一短。決めきれず、先生の意見も聞いてピルを飲むことにする。

 理性と感情が分裂してぶつかりあっている。それも1つずつではなく。だから自分で判断すらできなくなっている。

 ねえ、もう許して。ひとりの部屋でそんな言葉がするっと出た。あの本に影響されてしまっている。一体何がこんなに苦しいのかもう自分でもよくわからない。今わたしの目の前にあることは、仕事も体調のこともこれからのことも全てひとつひとつたいしたことないってわかっているのに、頭では。辛い苦しい、そんな言葉を吐く感情その1。ふざけるな甘えるな、責める感情その2。なんとかなるよって言い聞かせる理性。ひとりで何をやっているんだろう。

 それでも、いつかトンネルから抜け出せるって信じてる。


2007年06月17日(日)

 必要とされたいひとからは必要とされない。

 誰もわたしなんて必要としないんだ、という拗ねた思い込みは馬鹿馬鹿しいとわかっていながらふと口に出してしまいそうになる。たまたま、そのひとがわたしを必要としなかっただけ、それはわかっている。わかっているけれど涙が出そうになる。
 わたしにはとても支えられないひとがわたしにすがろうとしてくる様を見ると、もしかすると他人からはわたしも同じように見えるのかもしれないと思え、そのおぞましさにぞっとした。


2007年06月13日(水) 思い出した物語の断片


でもそんなの平気だ。
ディグニータのマスカラはウォータープルーフなんだから。
いくら泣いても平気なのだ。
(二階堂奥歯『八本脚の蝶』2002年2月16日(土))

 クラランスのフィックスマスカラをクリニークのマスカラに重ねる。これで大丈夫、ばっちりウォータープルーフ。たとえコンタクトがずれたって涙を流しながら笑ってみせる。そう、大丈夫。


2007年06月12日(火) 久しぶりに流れ落ちた

 職場でキレた。本当に些細なことで、こんなちっちゃい人間にキレるとはわたしもまだまだちっちゃいなあと自己嫌悪気味。しかも相手は女のヒステリー程度にしか思っていないんだろう。言いたいことは1%だって伝わっていない。自分でもこんなに次々と言葉が出てくるとは思わなかった。それでも感情的になり過ぎた。

 気分を変えようと席を立ちトイレに入った途端、職場でこんなつまらないことを言われるのが今のわたしの立場というものだろうかと思うと涙が止まらなかった。声をあげて泣いた。クリニークのディファイニング パワー マスカラは涙に弱すぎる。全部剥がれ落ちてしまった。

 今、必要なものはウォータープルーフのマスカラ、そして笑い飛ばせる余裕と心意気を。


2007年06月09日(土) 壊れた機械でしかない

 朝からしばらく考えて、受付ぎりぎりの時間で婦人科へ。今の病院は入院・出産ができるところなので、妊婦さんも多い。わたしにとって産婦人科に通うことへの抵抗はこの部分も大きいと思う。いたたまれなくなる。それでも待合室でまだ小さい1歳半くらいの子と目が合って、にっこり笑われたときにはなんとも言えないくらい幸せなほんわりとした気分になる。

 今日はいつもの先生がお休みで、代診の先生に診てもらった。自分ではわかっていたことをすっぱりと言われてしまう。このままだと将来子供が欲しいと思ったときに妊娠しづらいよ、と。排卵誘発剤には反応する。けれど薬無しでは途端に無排卵になる。素人でもはっきりわかるくらい明らかに。今は独身だし、子供を産むことを考えているわけではない。それでもいつかは産みたいと思っている。自分の意思で産まないことを決めるのならともかく、不可能で選択肢は全く無いという状況にはなりたくない。考えすぎだともわかっているけれど、初めて婦人科に通い始めた頃から考えていたことで今も変わりが無い。そうだ、あの頃は自分が子供を産めないのかも知れないと泣いたこともあったっけ。

 薬に内分泌を左右される状況なんて、いいとは思わない。それでも将来もっと辛い思いをするくらいなら仕方ないのだろうか。

 治療方針はお医者さんによって違うということ、わかっていたはずなのに、今日話した先生といつもの先生では考え方が違うようで戸惑う。排卵誘発を続けたほうがいいのだろうか。痛みとむくみに堪えてでも?

 インターネットの発達の弊害で、自分の身体に起こりうることは説明されている以上に知っている。心配しても仕方ないのだけれど、たまにやりきれなくなる。


2007年06月08日(金) 両極に揺れる自分を笑う

 帰宅途中、切り立った壁にもたれてビールを飲みながら、そういえば随分前に泥の中をもがき進むような日々があったことを思い出した。

 イライラして周りのものを全て叩き壊したいと思っていた。自分をめちゃくちゃにしてしまいたいとすら思っていた。そこまでの度胸は無くて、唯一やったことと言えば、ピアスホールを自分で開けたこと。

 周りには誰もいないと思い込んでいた。結局あの頃わたしは寂しかったのだ。

 寂しさは心の安定を失わせる。

 今の状況は、客観的に見れば淡々とした日々だろう。それでも精神的にぐんにゃりと崩れそうな状態が普通とは言えない。

 何かを得ようと思えば、自分から飛び出さなくてはいけない。孤独でどんどん不安定な方向にむかっているのに、何を今更怖がっているんだろう。


2007年06月01日(金) スイッチの入る音

過食スイッチが入ったのがわかった。
イライラとして落ち着かない。

通勤途中の乗換駅の売店でSOYJOYを買い
コンビニでヴァームゼリーと栄養ドリンクを買うついでに
おにぎりの棚に近寄ってしまう。

何がこんなにわたしを苛立たせるのか。
向かいの席の社員さんと話しているうちにおさまっていたけれど
あのままなら確実に机の中のお菓子は食べつくしていた。


怖い怖い怖い怖い。
また自分があの焦燥感に襲われることを思い出すとたまらなく怖くなる。
突き動かされるように食べ物を絶えず口に運び続けること
身も心も醜くなっていくことがどうしようもなく怖い。

誰かわたしを抱きとめて。押さえつけて。


諒 |MAIL