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2006年03月31日(金) はるふゆいったりきたり

 寒さがどれくらいか今ひとつ予想できなくて、真冬のコートを。

 関西では桜はまだ咲いていない。この時期の花が開く前の桜の樹はぼんやりと赤い色をしている。今年の桜は遅くなりそう。

 デパートのコスメ売り場を歩いていたら、クリニークのカウンターの前でつかまって簡単な肌診断と肌にあわせたサンプルをもらった。化粧品の効能の説明を一気に述べられても頭の中を滑っていって残らない。今はこういうのに関心が無い時期なんだなあってそういうことだけわかった。いただいたサンプルはまた今度使ってみる。春色のコスメも少しだけ気にはなるけれど、コスメ売り場は色が氾濫していて少しばかり刺激が強く長居する気にはなれない。

 本屋。立ち読みもページをめくる手がつらい。読書台についているロボットの手がページをめくってくれるというのを漫画か何かで見たような気がするけれどあれ意外といいな。

 平日なのにセンター街には意外と歩いているひとが多く、朝方から時々咳き込んでいてそのせいもあってか頭がぼんやりしてしまう。買い物をするつもりだったけれど、そんなに大きい金額ではないものでも決められなくてやめた。

 帰りの電車の中、気持ちが沈んでいくのがよくわかる。逃げようとしているということが自覚できることは良いことだけれど、何故だろうね。



 猥談は構わないけれど、その性的関心をわたしに向けられるのは気分が良くない。そういう方向に話が向かいそうになったときするりとすり抜けてしまえる話術が無い自分にも腹が立つ。


2006年03月30日(木) もしもピアノが弾けたなら

 というわけで束の間の休息、4連休1日目。

 寒くてあまり何もできていない。片付けも洗濯もいろいろしたいんだけれどとりあえず今日はゆっくり寝た。

 ふとピアノを触ってみたくなって、楽譜をダウンロードしてプリントアウトしてみた。けれども楽譜の読み方も学校の音楽の時間で習った程度なのでほとんどわからない。ドレミ…と書き込んでたどたどしく鍵盤を叩いてみても音が合っている自信が無い。このドビュッシー「アラベスク第一番」を流れるように弾くピアニストの凄さがわかる。さらにショックだったのは「ねこふんじゃった」まで弾けなくなっていたこと。

 寒さとこれまでの酷使と昨日重たい荷物を持ったことでまた手の調子が悪くなりつつある。休めてあげないとね。左の親指がときどきしびれるようになってきた。これって昔ドアではさんでしまったことのせいでもあるのかしら。


2006年03月29日(水) さよなら職場

 とても寒くてまた真冬のコートを出してきた。クリーニングにはいつ出せるのだろう…。

 最終出勤日。帰ってゆくひとたちを呼び止めてはご挨拶。頭を下げ始めるとお互いいつまでもぺこぺこやっているのできりが無い。いただいたお菓子やら持ち帰る文具やらで大荷物。
 今から思えば、その当時いかにも身体の弱そうに見えたわたしをよくもまあ働かせてくれたものだと思う。体力も気力も自信も取り戻す機会を与えてもらったと感謝しています。本当にお世話になりました。
 とか言いつつも、この部署も4月からの新入社員さんの研修を受け入れるらしく、そうなったらきっと派遣社員が面倒を見るのかなあと思うとこのタイミングで辞めることにして良かったとほっとしているのも事実。

のどがいがいがする。風邪をひいたかな。気が緩んだかもしれない。


2006年03月28日(火) 自分をいかに嫌えるかゲーム?

 このままだと良くないと考えた上で辞めることにした職場に持って行くお菓子の袋が余りにも大きくなるのは滑稽でみっともなく思えて、恥ずかしいのを承知ですぐに引き返して商品を替えてもらった。
 どうしてやり過ぎではなくちょうどよいというその程度を判断できないんだろう。

 向かうところは結局自分で。

 妹の引越しを手伝って帰ってきた母親の態度がこころなしか違う。妹がいるからわたしをないがしろにしても困らない、むしろ妹のほうを大切にしなくてはという深層心理が垣間見える。それと同時にそういうことを感じた自分が嫌になった。単に普段いない次女とたくさん話をしたいだけなんじゃないのって良いように考えればいいのに、どうしてもそういう考えに行き着く。別に母親に可愛がってもらいたいなんて今さら思わないけれど、その態度の変わる様が腹立たしくなって結局昔から何も変わっていないのだとむなしくもなる。
 けれどわたし自身のこの感情の揺れは何かを母親に期待しているようにも思えてとても悔しい。最初から何も欲しがらなければ悲しくも悔しくも怒りも覚えないとわかっているのに。
 自己矛盾の塊が大きくなってきて苛々しはじめてくる。涙をこぼしてもなにもできなくて、頭の中でもうひとりの自分を叩きのめす自分の姿が浮かんできてしまう。
 …こんなことを書き留める自分もどうにかしている。
 ただ、わたしは妹のことが嫌いなんじゃない。妹がいることによってかわる母親が嫌なだけだ。

 わたしは他人の欠点を憎んでしまう。それも強く。
 自分は欠点だらけなのにそれを棚に上げて。さみしいさみしいって言いながら、それでもひとと深く関われないのはそういうわたしの欠点のせいでもある。
 他人にどう思われるかが怖い、それが多分一番大きいのだけれど。

 食生活が貧しい。ああそうだ、きっとこの気分の波はたんぱく質もビタミンもミネラルも足りないからなんだ。なに食べたらいいんだろう、くそう何とかしてやるって食品成分表を買ったあの4年前の日よりもずっと退行している。どんどんわたしは弱くなっていっている。
 そういえば高校生の頃のわたしはどうしてあんなに強かったんだろう。その強さは鉄のようなものだったから、後々にぽっきりと折れることになったけれど。


2006年03月27日(月) 春だから

 朝起きて仕事に行こうという気力が無い。振り絞って無理やり駅へ向かう。空を見上げたとき空が青いなあってぼおっと考えて、それでもまだ少しは綺麗だと思えるからまだ大丈夫かもなあってそう考えて歩いた。あのとき少しだけ反対側に行って病院に行こうという気持ちがあったのも事実。ただ、こういう自分の精神的なゆらぎを薬でなんとかしようとするのはおかしいと思っている。とらえかた次第でなんとでもなるのだ。本物のうつ病には絶対禁忌の根性論でもあるけれど、今のわたしには必要な考え方だろう。

 職場のひとたちに月末で辞めることを言い始めている。
 直接仕事に関係ないひとにはどのタイミングで伝えるべきか計りかねていて、今の今になってやっと。
 優しく教えてくれるひとがいなくなるとかりょうさんがいなかったら今頃もう辞めてましたとか、1年目の社員さんたちに言ってもらえたのはとても光栄なことだ。そうあろうとしたことが少しでもできたように思えてここからいなくなることが少しだけ残念になる。何かわからないことがあったとき尋ねることをためらわないでいいように、そのことを頭において1年目のひとたちには接してきた。自分がそういう風に気遣ってもらっていた頃はそのことに気が付けなかった。今さら気付いても遅いけれど。

 残業。自分で仕事を増やして首を絞めるタイプだ。もっと気がつかなくてもいいのに後にまわせばどうなるんだという強迫観念で仕事をする。良くない。


2006年03月26日(日) はるうらら

 今日は朝の気の重さも随分まし。やっぱりPMSなのか?なのか?

 仕事帰り、電車が止まった。須磨駅の車内で迷惑行為があったため、というアナウンス。上下線ともにストップ。喧嘩か痴漢か、車内じゃないけれど線路に飛び込み…?と中途半端な情報でだと想像がふくらむ。気になる答えは、線路内に入ったひとが電車の下に潜り込んだとか。 わたしが乗っていた電車も止まっていた駅でも曖昧なアナウンスしかなかったけれど、同じ時間の別の電車ではは、今1両目の下を点検中です、といったような実況中継まであったそうな。須磨では普通・快速あわせて4本の点検があったとか。何にせよ春は不思議なことが多い。

 小池真理子「青山娼館」を読んだ。なんとなく、吉本ばなな「白河夜船」や村上春樹のいくつかの小説が頭に浮かぶ。ねじまき鳥のシナモンのこつこつと受話器で机を軽く叩いてお返事するところを全く関係無いのに思い出してみたり。
 文章が巧い。軽い文体ではないけれど読みやすい。
 何かを失くしたとき、大きい悲しみの後に怒りが沸くのは誰でも同じなんだろうか。わたし自身は今となってはそこまで大切なものを失くしたとは思わないけれど、でも少しだけその流れはわかるような気がする。精神的に強くあることとか、感情に流されてしまわないことというのは娼婦という仕事に限らずどんな仕事にでもあるでしょうね。
 娼館という舞台ゆえの苦しみもありそうなものだけれど、それがないのは主人公の奈月が仕事と割り切っているからそんなものは感じないということなのか、そういうものはいらないから描かれないだけなのかそこら辺は少し気になった。
 それにしても、絶望と再生の過程を書く物語というものは昔からあるジャンルなのか?と思わなくもない。


2006年03月25日(土)

 2連休の後は仕事スイッチが完全にオフになっているので、勘を取り戻すまでに時間がかかる。

 調子が悪い。涙が滲むまであと一歩というところで出ない。
寝起きで機嫌が悪いだけなのかと思っていたけれどもそれも少し違うような気がする。誰かに話しかけられていても、自分に話しかけられていると気付かない。

 何かひとつのことに集中してやるということができないということは以前からわかっていた。そのことは欠点だと考えていたけれどもどうやら違うような気がしてきた。
今日みたいな調子の悪い日はミスをしないようにひとつのことだけを見て仕事をしているけれど、普段は周りにも気を配っているので呼ばれてもすぐ返事ができるし何が起こっているかもなんとなくわかっている。普段の日はまだ精神的に余裕があるらしい。
お昼休みをはさんだらだいぶ普段どおりになったのでほっとした。

 帰り道、ワールド記念ホールのボクシングの試合が終わった直後だったので南公園駅にまわったらちょうど花火イベントの時間だった。季節外れの花火も綺麗。さよならポートピアランド、また子供の頃の思い出の場所がひとつなくなる。
そのイベントが終わり普段では信じられないくらいのひとが駅に押し寄せた。ポートライナーで入場制限に出くわしたのは初めてだけれどときどきあるんだろう。
教訓:電車の本数が多いほうの駅に行く。


2006年03月24日(金) 2連休の2日目

 2連休の2日目。

 家のドアの塗装があるので誰かがいなくてはいけない。母親もわたしも休みだったけれど、母親は妹に頼まれたお菓子を買いに出かけたのでとりあえず帰ってくるまでは出かけられない。

 ふと思い立ってはてなダイアリーのバックアップを始める。しかもネットに繋がなくても同じ見映えになるようにしたいのでかりこりとhtmlファイルを作り直し。文字コードの問題でソースをそのまま保存すると宇宙語日記ができあがってしまうのでそこは本物の日記をコピーペースト。そういえばこのエンピツのログでも同じことを以前にもやったなあと思い出したけれど、そのときはもっと見映えも単純だったし日記のエントリー数も全然違うし、何しろその頃は時間がありあまっていた頃だから問題が無かった。キーワードリンクやカテゴリ毎に日記を読む必要は無いので本当に見映えだけ同じhtmlファイルを作ってくれるようなそんな機能はないかなあ。(ここで書いても意味がない)

 手もだいぶ疲れてきたところでおでかけ。外も寒いけれど体の内側から凍えているみたい。体温が上がらないらしい。食べていないわけでもないんだけれどなあ。ホットのミルクティーを飲んで電車の暖房で少し体温を上げる。変温動物か?

 本屋さんでAccessとExcelの本、それから「とりぱん」1巻を買う。参考書を選ぶときどれが見やすいかということを悩んで悩んで選ぶのは高校生の頃から変わっていない。本当は毎日コミュニケーションズの本が表紙もシンプルで欲しくなるけれど、中身は「できる」シリーズのほうが見やすい。
 本屋でも手先が冷えてくる。

 派遣会社から電話。待ち合わせ場所と時間の連絡。待ち合わせ場所は正確に教えてください。


 ひとの話をまず聞く。これを心がけなくっちゃ。


2006年03月23日(木) 2連休の1日目

 これは恐怖とも違う。
 母親に怒鳴りつけられ泣き叫ぶ夢を見た。あまりにもありえない悪夢なら飛び起きることもできるけれども、現実の延長のような嫌な夢はそれが本当に夢なのかわからずに目が覚めるまで見続けなくてはいけない。ようやく目が覚めたとき、それでも夢だったのか現実だったのかと考えることすらしなかった。悪夢はどん底の真っただ中にいるときには見ないもので落ちていく或いは抜け出しつつある途中によく見るものだから良いものではないけれども悲観する必要もない。弱っていた、という事実の確認には使える。
 それにしても滅入る夢に母親が出てくるというそのこと自体が哀しいことだと思う。4年経った今もそれは同じ。

 休みなのでゆっくり眠り、昨日買った「瞳子」と雑誌を読んだ。昨日本屋で「美的」5月号がもう積まれているのを見てまだ4月号を全く見ていないことに気付いた。1ヶ月って早い。「女性誌は読みすぎるとバカになるが、読まないとブスになる」とかの酒井順子女史は書いたそうだけれども、確かに自分の外見にそれほど気を使う気力もゆとりも無かった。
 ファンデーション用のスポンジやらを洗った。ブラシも洗いたいけれどクリーナーを切らしているので買いに行かなくては。お道具が綺麗だと嬉しいし、実際使い心地も良いのでもっとマメに手入れすること。
 部屋の掃除。自分の頭の中が散らかり始めると机の上や部屋の中も同じようなことになる。時間と気力に余裕ができたときに何とかしておく。まとめて捨ててやる、とばさばさ捨ててゴミ袋をいっぱいにするのが少し気持ちいい。

 酔ったときの文章は、後で読み返すと葬り去りたくなるものから意外と面白くこれならもっと書けば良いのにと思うものまで質にもむらがある。けれども書くために酒を飲むのはアル中への扉をひらいてしまうのでダメ。中島らもさんがそうだったというし。


2006年03月22日(水) いっぽまえへ

朝起きるのがつらい。休みの日にゆっくり眠る必要あり。
Coccoはなんだかんだ言っても好きだなあと「サングローズ」を聴きつつ思う。
手は相変わらず嫌な感じ。疲れてきたら冷やす、もむ。
次の仕事の話がきちんとまとまった。というわけで4月からの職場も確保。朝早いけれど慣れれば何とかなるだろう。JRと阪神の連絡定期にすると磁気定期券しかないのがつらいところ。交通費を調べてみたらとんでもないことに。やっぱり乗り継ぎが多いのはだめだ…。
二階堂奥歯「八本脚の蝶」、吉野朔実「瞳子」、「美的」5月号をそれぞれ買った。「美的」は4月号を買ったのに全く読んでいなかった。1ヶ月って意外と早いね。


2006年03月21日(火) 苦しくはないはず、生きるだけなら

朝起きた時点で今日はまた手がピンチだという感じがしていた。昨日使っていたコンピューターのキーボードが固かったから、いつもより手が疲れていたみたい。今日も相変わらず朝起きたくない。もうすぐこの仕事も終わりだと思うと緊張感もなくなってきているようで、そういうことが身体にも精神的にも影響を与えているのだろう。
職場の空気はのんびりしたもので、今日も事務所のテレビで WBC 決勝の中継を流しつつ。テレビの前にときどきひとが集まり、マネージャーの応援する声が聞こえたり。
金曜日に顔合わせに行った会社からのお返事はまだのようで、派遣会社から電話が来ない。ダメだったらどうしようかな、別の派遣会社にも行ってみようか。やりたいことがはっきりしない現状では無駄に動いても疲れるだけじゃないかとも思うけれど。
自分があまり女性らしくないな、ということは以前からわかってはいたけれどこのところたびたび思う。そのあたりはまた今度ゆっくり考えて書いてみるつもり。



 引用。


ああ。そう、「ちょっと天然ボケ入った明朗快活で元気でやる気のある真面目な女の子」を知っていたら、決して彼女をその通りに捉えないでください。その子はとてももろくて、ちょっとなでただけでも壊れてしまうでしょうから。とても聡明で、透明な子でしょうから。彼女にとって生きるというのは目的でもなんでもなくて、ただ、ただ、そうであるところの何かでしかないので、ちょっと傷がついただけで、簡単におっこちてしまうのです。
(buchez notiz:2006年3月13日(月))

自分にもこういうところがある、と思った或いは思いたいというのはおこがましいだろうか。ちなみにこれは二階堂奥歯「八本脚の蝶」を読んだ感想の後に続く文章より。


2006年03月20日(月) バイオリズム下降中?

どうでもいいや、という気持ちに飲み込まれている。
とりあえずしばらくは生きていけるだろうし先のことを考える気力もないや、ってそう考え始めるとますますやる気がなくなる。
疲れているのかな、エネルギー切れだろうか。
精神的にはフラットかと思っていたけれど緩やかに右肩下がり。このままある日ぷつんと電池がなくなって動かなくなったりして。涙はまだあふれないけれど、本当は泣けたらすっきりするだろうに。

具体的に何かがあるわけでもないけれど、これは現状に由来するものだともなんとなくわかる。


2006年03月19日(日) 読書感想文とか

松尾スズキ「クワイエットルームにようこそ」
 別れ話がきっかけで大量服薬、閉鎖病棟へ強制入院させられた明日香という女性が主人公。
 テンポが良くすいすいと読めるけれど、重苦しさと笑いの両極を行ったり来たりしていた。それに加えて、自分がかつて精神科の入院をしたことがあるというその経験が余計に複雑なものを感じさせたのだと思う。
正常と異常の混在。その中でもまともだと思っていたひとに狂気を見るその瞬間背筋が寒くなった。
ラストで彼女が捨てた栗田さんのメールアドレスは、彼女の第二のスタートを意味するのだろう。けれどもわたしには、そういった人間関係は切り捨てたほうがいいよという声がしたような気がしたのだった。


2006年03月16日(木)

二度寝で寝過ごした。春だからかなあ。
仕事がばたばたしていた。でも定時過ぎに帰った。もうきりが無いし。
風が強くて、電車が遅れていた。のろのろ運転の上に、普通電車に普通電車が追いつく不思議な待ち合わせがあったり。海辺を走る区間は風に弱いらしい。昔からそうだったっけ?
おまけに傘が漫画のようにさかさまにそっくり返ってしまって壊れた。ビニール傘のわりには作りもしっかりしていてそれなりに気に入っていたんだけどなあ。やっぱり今度傘を買いにいこう。


2006年03月14日(火) 寒の戻りらしい

 おやすみ。窓の外のよそのおうちの屋根の上に雪が積もっていた。
 郵便局で、チケットを送る。寒い。
 のぞいた古本屋で森博嗣「スカイ・クロラ」「ナ・バ・テア」の単行本を見つけた。本屋で「ダウン・ツ・ヘヴン」もあわせた3冊を見たとき、こういう装丁の美しい並べても楽しめる本を手元に置いておきたいと思ったことを思い出して手に取った。表紙をこちら側に向けて並べたらよさそう。でも、このカバーは新品を手に入れてなおかつ自分で透明のブックカバーをつけるくらい丁寧に扱わないと美しくないだろうと思って買うのをやめた。森博嗣氏は言葉の表記にかなりこだわるひとなので「ナ・バ・テア」はカタカナ表記だけ見たら造語かと思ったくらいだった。
 とりあえず並べてみる。綺麗。

スカイ・クロラ ナ・バ・テア ダウン・ツ・ヘヴン

 ZAZEN BOYSのCDを2枚レンタルしたけれども、がっかりした。同じ言葉を繰り返して何曲もかかれてもそれはアレンジでしかないように感じる。


 ジョブズ氏のスピーチを今さら読んだ。言葉が短くてもわかりやすい。動画も見たけれど話し方も好感が持てる。氏のプレゼンを生で聞きたいというひとがいるのもわかるような気がするな。内容自体はなるほど…と思う点がいくつかあるけれども、決断が必要になったとき自分がいつかは死ぬのだということを忘れないで置くことに目が止まった。穏便に生きていこうとするのならあまり必要の無いことなのかもしれないけれど。

ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。自分もいつかは死ぬ。そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないかという思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の防御策です。
http://blog.livedoor.jp/tomsatotechnology/


2006年03月13日(月) おこりすぎない。

気分的にはだいぶ落ち着いてきた。クリアするべき問題点がある程度はっきりしていれば、そして頭に血が上った状態で動かなければ、待つことができれば波は過ぎるのだろう。またもやPMSのようなものだったんだろうか。それにしては苦し過ぎる。

新しい職場に行くことに少し不安。挨拶をきちんとする、メモを取る、仕事の流れを覚える、職場のひとの顔を覚える、そういうことを気をつけよう。社会人6年目ということになっている人間の言う言葉とも思えないけれど。

小林よしのり「目の玉日記」を読んだ。白内障の手術ってそうやるのか、と。視界がまっしろになってしまうのは怖い。ハードレンズを外さずに眠ってしまった翌朝の視界よりもっとまっしろなんだろうか。
インフォームドコンセントが大きく言われるこの頃なのに、自分の病気の勉強はせずアホでいるので意思決定もさせないでほしい、という考えを出すとは意外だった。よしりんならきっちり調べてこうしてくれ!と言いそうだと思っていたのに。
確かに目が見えなくなるかどうか、死ぬか生きるかという深刻な問題になればなるほど、自分で決めたその結果に責任を持つのは怖いし、病気の専門的な知識は無いのだから正しい判断なんてできるかすら怪しいのだからお医者さん決めてよと言いたくなるのはわかる。全部お任せしますと言えるお医者さんに出会えるかどうかという問題があるけれど。
大丈夫ですよ、ちょっと痛いですよといった一言に安心できるのもよくわかるなあ。本当にそのひとことあるかないかで随分違う。
怒りすぎると白内障には良くないらしいので、頭に血を上らせないようにしよう。目もごしごしこすらないように。


2006年03月12日(日) 朝がまたくる

 完全な朝型人間だったわたしがいつの間にかすっかり朝に弱くなった。気分も低空飛行で頭も回らない。小難しいことを言われたら泣き始めそうなくらい。

 今の自分の状態が一体健康なのか不健康なのかすらよくわからない。歩きながら涙を浮かべそうになることがまともだとも思えないけれど病院に駆け込んで一体全体何をどうしてもらうんだという抵抗もしっかりある。原因が複数だとはいえはっきりしているのなら、その原因を潰せばいいだけの話だって、それくらいわたしにでもわかる。

 缶チューハイ3本でどろどろ。弱くなった。花村萬月を読む手がとまらない。高尚な文学というやつでもないけれど、なんだろう自分にとっては今かなりしっくりくるものだと思う。朧はともかくとして。

 帰宅したら、キャンペーンに応募した氷結柚子(新製品)が届いていた。わーいわーい、明日以降ゆっくり楽しむ予定。でも柚子ってもうちょっと早い時期に出せばいいのになあ。

 レンタルショップでCDを4枚かりる。本屋で買おうと思っていた本が見当たらず出版社を調べたら双葉社…。想像の範囲外で脱力。町の本屋にはあまりないよ。


2006年03月11日(土)

 すみません、今ちょっと出口のない重たい話は聞いても何もお答えできないのでわたしにしないでください。…ということをさらっと言えたらいいんだけどなあ。その泥沼から抜け出すために引っ張り出してあげるだけの気力も体力も無いし、泥沼に浸かったまま動こうとしないのを見ているほど暇でも無い。死にたいなら勝手に死ね。会社を辞めたいなら好きにしろ、そろそろそういう乱暴な言葉が出てきてもおかしくない。複数人いるのが余計に重たい。真剣に悩んでいるのなら手助けもするけれども、助言をしたってぐるぐると同じところを回っているのであればもうわたしにできることは何も無いので、わたし自身をすり減らす必要は全く無いのだ。薄情者と言われても仕方ないけれど、今は自分のことをする気力もそんなに無いところで他人にエネルギーを割く必要はないと割り切ろうとしている。

 窓のサッシを取り替える工事があるので早めに起きてお片づけ。そのまま仕事。今日は定時過ぎに帰るつもりだったけれど、明日以降のことを考えたらまた残業。腕がつかれている。


2006年03月10日(金) 静かな生活を希求

 今日は休み。

 錠剤を1錠飲み込むだけで気持ちよく眠れる。それが少し悲しい。もう大丈夫って思っていたのになあ。寝酒よりかはずっとマシだと言われたこともあるけれど、個人的な印象としては良くは無い。
 依存、という言葉にこのところ過敏。人間関係にも処方薬にも。誰にだってあるということだけれど、これは依存だなあと自覚・意識した途端むかむかしてくる。
 依存性が言われる薬については、処方量以上は絶対に飲まないよう気を配っていた。それはいつかこの薬が効かなくなったり依存してどうしようもなくなったり処方されなくなったらどうしようという強烈な不安からくるもので、そういう不安に陥ること自体が既に依存心が芽生えている証拠なのだとふと思う。デパスが効かなくなることは無いとも思うけれど、精神科医は依存性を言うのに対して整形外科医はかなり安易に処方したという事実に不安を強く感じるのも事実なのだ。手に入れようと思えば簡単に手に入る、そのことも怖い。
 話を聞いて欲しいというのはありだと思う。ただ、相手の状況を見る必要はある。意外と元気そうに見えても重荷と感じることもある。
 死にたいのなら止めない、という言葉の意味をうっすらとではあるけれど理解し始めた。哲学を勉強した上でそう決めるのなら止めない、と自分が言われたことはある。病気のせいでそういう気持ちになるなら確かに止めないといけない。でもゆっくり考えてそう決めたのなら止めても無駄。そのひとの衝動を止めるために自分が苦しむ必要も無い。ただ、いちいち自殺未遂の報告はいらない。何をして欲しい? 思えばわたし自身も痛いことをしていたのだった。


 相変わらず手の調子は悪い。キーボードを叩くにはそれほど問題はないけれど、箸を使うのがつらい。昨日Mにいさんが電話をくれたときに手をいためたことを話したら、自分なら書類もらってしかるべき方法をとる、と言われた。診断書を取ることも確かに考えたけれど4月からの仕事のことを考えて躊躇したのだった。今、体調なり精神的になりダメージを食らっていることをそのまま派遣会社に伝えることは自分のプラスになるのかどうかという計算をする必要はある。でも迷わずに診断書を取って3,4日休みを取ってしまえば良かったかなという気もしている。どうせ有給21日分を放棄することになるのだしこういうところで使えば良かった。

 休みの日は精神的に随分楽だ。

 このところ、静かな時間と明るい場所が欲しくなる。思い浮かべるのはコマーシャルに出てきそうなひとけの無い海辺。でも、一番具体的なのは関東に住んでいた頃の部屋。日差しが明るくて自分ひとりしかいない静かな部屋。あの頃は辛かったはずなのに懐かしくなる。

 病院から2月24日に一度電話があったきり全く音沙汰がないということにイライラしていた。けれども次に電話があったときに都合が悪いのなら断ってまたいつになるかわからないけれど先延ばしにすればいいのかな、という諦めがついた。誰かにきっちりとしていることを求めて苛立ち続けるのは精神的に良くない。


 NUMBER GIRLを聴きたくなるのは、殺気がこもった曲が好きだからかもしれない。春の狂気と殺気。ナイフを振り回さない代わりに切り裂く音。


2006年03月09日(木) さんきゅーめるしーありがとう

 ありがとうの日。今日お誕生日の新入社員W嬢のお相伴にあずかってプリンをもらった。スプーンが無いので箸で食べたら茶碗蒸しのようだと言われた。ああ、確かに。


2006年03月08日(水) 彼女が一番スキなのは狂ったフンイキだけだった!!

このところ朝が辛い。
眠たいのもあるし、職場にゆくのも気が重い。
どうなっているのか考えたくない。
実際にはそんなに酷い状況になっていないことも多いけれど、性格的に悪いほう悪いほうを想像してしまうタイプ。
布団のなかで丸まっている自分を思い浮かべながら通勤電車に乗っているのはあんまり良くない。

今月末で辞めることはほとんどのひとが知っていた。なんだ、このひとには言ってないな言わなくちゃいつ言おうという逡巡は無駄だったのか。俺の右脳が!とか言われたけれど、右腕じゃなくて右脳…? 派遣社員をあてにしすぎちゃだめだよ、このひとたちはわたしがいなくても全く問題なく淡々と仕事をしていくとはわかっているけれどちょっとだけそういう気持ちになる。

このところいつ帰るか決断できない。
翌日に残したら酷い目に遭うんじゃないだろうかってそういうことがぐるぐる頭の中をめぐる。
見事なまでの強迫観念。
もう知るか、って言いたくなるし手のことも考えるけれどやっぱり次の出勤日に山積みの作業物を見ることを想像するだけで気が遠くなるし滅入ってしまうので前倒しでなんとかしようとする。こういうものの考え方をしている限り自滅するのはわかってはいるんだけれど…。
直接的、間接的であれ仕事が原因で死ぬことはしたくないから、ほどほどにしようと自分に言い聞かせている。全部自分が引き受ける必要は無い。無理だと思えば逃げればいいし、できれば逃げるより前に助けを求めたほうがいい。求めても応えてくれなければ逃げる。

と、文章からするとそこそこ追い詰められているように見えるけれども、気分の変動が一日の中で激しいのだと思う。

仕事中、MANGASICKが頭をめぐる。
彼女が一番スキなのは狂ったフンイキだけだった!!


2006年03月07日(火)

おやすみ。喘息が酷ければ内科へ、あとは整骨院に行こうかと思っていた。喘息はほとんど治まり、外に出る気がしなかったので家でおとなしくしていた。基本的にはひきこもりかもしれない。
工事音が響くのには閉口した。

派遣会社に電話してみた。紹介予定でできれば、とお願いする。自分の考えていることをきっちり伝えられないのがもどかしい。わたしはアホか。自分の仕事のことなのになんでこうも曖昧なことしか言えないんだ。ひとまかせにするものではないでしょう。

自分に対して誰かが抱く感情にやや過敏でそれに気付かないふりをするのも難しい。敵意も苦しいけれど、明らかに好意を抱いているんだろうなという場合にとぼけて鈍感なふりをするわたしはずるいだろうか。


2006年03月06日(月)

喘息なんてもう10年以上前のことですっかりどんなものか忘れていた。
しゃべり続けたり笑ったりすると息が切れるし、時々意識して息を吸い込まないとほとんど空気が身体に入らない。元々呼吸は浅いけれどこれは苦しい。
咳は出ないので喘息とは誰もわからないだろう。
お酒を飲みたくなるし、お風呂にもゆっくり浸かりたいけれどこの状況でそんなことはまさに自殺行為。
口内炎が2つ同時にできようとしている。舌がぼろぼろに荒れて痛い。耳が痛む。
身体のあちこちががたがたしているのがよくわかるけれども一体何が原因なのか本当にわからない。
手は意識して無茶させていないけれど、左親指は軽く痺れていて右はときどき痛みが走る。

おとなりのチームのサブマネージャーに今月末で辞めることを話した。とても残念がって引き止めてくれようとしていた。
惜しまれる程度には役に立てたのかとほっとしつつ、少し申し訳なかった。
ひとつのところで同じ仕事を続けていくことができるのもある種の能力だとこのところ本当に思う。

仕事のために生きているわけじゃない。かと言ってどんな仕事でもいいかと言えばそうでもない。
この辺りに欲が出てきたのがわかる。
自分にぴったりあう仕事があるとも思っていない。
派遣社員という身分はアルバイトの延長にあるような気がして、自分がきちんと働いているという実感がなかった。いつかはそれをどうにかしようと思っていた。
きっかけは、小さい不満の重さが今の職場の良さを上回ったというだけ。


2006年03月05日(日) 自業自得の暴走列車

朝、二度寝の覚め際に見た夢に少し寒い気持ちになった。
つまりわたしは母親に対して感じていることはずっと変わってはいないのだ。
もしかしたら変わっているのかもしれないけれど、昔感じたことは忘れてはいない。あきらめと感情のこもらない冷たい目をして母親を見ている。
「お母さんが悪かったわ」
「(…このひとはいつもこうだ)」
二十歳を過ぎれば、自分の物の考え方や精神状態は自分で責任を持つんだ、と偉そうなことを心の中で繰り返しているくせに、どこかしら母親を責めようとする気持ちがあるのだろうか。
そんなことをしてどうにかなるものならとうの昔にどうにかなっている。
どうして今こんな夢を。

いらいらしている。
もう周りのものを全部なぎ倒して叩き壊してしまいそうなくらい。
でも決してそんなことでこの苛立ちが収まるとは思ってはいない。
妙に押し付けがましさを感じるメールや言動にむっとしている。距離を詰めるのが急すぎやしないか。
そんなに頻繁にやりとりがあったわけでもないのに急に何度も電話をかけてくる。相手の都合を考えてはいないのか。
朝も早い時間からメールだとかも。わたしだって寂しいときはあるし誰かに話を聞いてもらいたいときや相談に乗って欲しいときはあるからわかるけれど。それでも程度の問題はあるでしょう。
ついでにいうと香水の匂いを撒き散らされることにもいらつく。
いろいろなものを押し付けられている感じがしてしまう。
自分の意志で遮断できないものに対してぴりぴりと気を張るのは不健康だとはわかっている。

こんなことを考える自分がおかしいのか、周りがおかしいのかよくわからない。
ただわたしにこういう感情をもたせる人間が複数いるということは、やっぱりわたしの捉え方がおかしいのかもしれない。

体の歪みが自覚できるくらいひどくなっているみたい。そしてこの数日の寒さのせいか、周りのひとたちも同じような感じらしい。

ボルタレンの連用の影響かもしれないけれど、息苦しくなった。
缶チューハイを1本飲んだら、異様なくらいに酔いが回った上に息苦しさが増した。
家まで帰り着けるか不安になったけれど酔いが醒めたら随分楽になった。
しかしやっぱり息苦しい。喘息って入浴もダメらしい。
この苦しさに覚えが…と思ったらバンテリンだ。あのときもそうだった。メントールにむせたのかと思っていたけれど違うみたい。
これは鎮痛剤を使えないんだろうか。アスピリン喘息…なのか?
アスピリン喘息 -宮川医院- →http://www6.ocn.ne.jp/~miyagawa/04_10.html


2006年03月04日(土) 信じるだけの者は救われない

手袋やホカロンミニやボルタレンテープで保護して、ときどき筋を伸ばし、なるべく重たいものをつかまないようにすることを心がけたら、随分右手は痛みがとれた。ただ、右肩と右上腕、前腕はまだ痛むし、それから左手の調子が悪くなった。3日ほど絶対安静するくらいでなければすっきりと痛みは取れないかもしれない。
冷やさないように気を使うこともかなり重要みたい。この2、3年寒さには鈍感になっていたけれど冬はしっかり防寒したほうがいいことを実感。
仕事は定時少し過ぎに逃げ帰った。実はもうひとりのひとのほうがよく仕事をしているんじゃないだろうかって思うときがなくもない。量と質とどちらをとるかと言われたらわたしは質の良いものを提供したいと思うほうだ。もうひとりのひとは量の多さタイプだろう。
今の職場では多分量を求められると思う。次の仕事は質の高さを求められる仕事がいいなあ…ってそんなのあるんだろうか。

今必要なのはひとり静かにものを考えて整理する時間と場所。夜の海辺なんてどうだろう、まだちょっと寒いかな。感じたこと、考えたこと、考える必要があることが多すぎて頭の中からこぼれていってしまう。そしてひとつ決めなくては。まだ20代だし、失敗してもやり直せるし。

職場からの帰り道。空を見上げて泣きそうな気持ちになった。空の色が澄んでいて、雲もなく星もほとんどなく、月だけが浮かんでいて。綺麗な色だなあって。

■□■
花村萬月「汀にて 王国記III」読了。


だが宇川は神経症気味に過敏である一方で、周囲の気配というものをまったく解さない鈍感なところがある。いや、過敏というのは、往々にして自分を中心に地球が回っていると勘違いしている愚か者の特性である。つまり自分中心に地球が回っていると勘違いできるほどに雑で鈍感であるから、過敏になれるのだ。

 こういう文章にどきりとし、書き残す自分自身にもやはりその愚か者の特性があるのだろうかと考えてしまう。
 特定の宗教での神は信じはしない。けれどそれを神というのかもしれないと思うものはある。ときにこころの支えとなり、ときに絶望させるもの。神は不幸の苦しみを慰めるものではないのだ。


2006年03月03日(金) てにふりまわされるいちにち

整形外科に行った。
レントゲンをたくさん撮られた。早口でまくし立てられるように尋ねられたり説明されたけれども実は頭がきちんとついていっていなかった。この先生スマートじゃねえな(体型の話に非ず)という印象を10も20も年上のひとに対して抱く自分はかなり尊大だともわかってはいるがそんな感じ。
「使い痛み」 つまり疲れすぎているということだった。肩も腕もがちがちだと自覚はしていたから納得。鞘はないので腱鞘炎ではなくて腱炎ですね〜などと言われる。細かいことはどちらでもいい。
注射してボルタレンテープ、同ゲル、ビタメジン、デパスを処方された。
話の流れからなんだかとっても薬を処方するのがお好きそうに見えたので、おそるおそるデパスをいただけませんか?と尋ねると、「いやーあれはいい薬です、うん、怖くないですよー」というかなり不思議なコメントつきであっさりと処方された。精神科医が聞いたら怒るんじゃないだろうか。
注射はキシロカインとリンデロン。痛み止め、とだけ聞いた。ここでいろいろ突っ込んで尋ねても面倒なことになるだけなので(もう実は良くない印象をもたれているかもしれないけれどいいや)、いいことにする。
アリナミンの注射と錠剤の処方はおことわりした。市販のビタミン剤飲んでるって言ったのにビタメジンってどうよ。

リハビリという名目でパラフィンパック初体験。エステでやるもんだと思っていた。
ほんわりとぬくもっていい感じ。
どうやってとるんだろうと思っていたけれどぺりぺりと剥がせて面白かった。

整形外科で服を脱ぐことは無いだろうと思ったけれど動きを見るためなのか脱いだ。病院という名のつくものに行くときは服を脱ぎ着するつもりでいたほうがいいみたい。

薬局でホカロンミニを買った。指先が出ている手袋をして、その中にホカロンを入れてあたためている。
昼間はほとんど右手を動かさないようにしていた。
少し指をまるめているほうが負担がかからなくて楽。

夜になって両手でキーボードを叩いてみる。少しやると右手に違和感。
明日から仕事だけれど大丈夫かしら。



ここから愚痴。
先週お風呂タイム中に病院から電話があった。
携帯に出なかったので自宅に電話があったけれど「また電話します」でそれきりかかってこない。 こちらから電話できないので待つしかない。
その前任の先生たちは何度も電話かけなおしてくれたからそういうものだと思っていた。
電話通じないからいっかー、って感覚なんだろうか?
緊急手術があるといったような他の事情があるならしょうがないと思っているけれども、このことでどんどん先送りになるのは困る。命に関わるものでもないけれど、通院手術でも仕事を調整する必要はあるのに…。
連絡担当の先生は前に電話で話したときは頼りなかったし若干不安。忘れ去られているんじゃないかとも思う。
仕事はちゃんとしてください…、頼むよほんと。


2006年03月02日(木) て。

手をいためた。腱鞘炎かも? お箸もまともに持てない。明日、病院行くつもり。
右手というより右肩から下ぜんぶいためた感じ。
精神的に参るより、先に体が悲鳴をあげてしまった。
左手入力はつらい…。


2006年03月01日(水) ギリギリじゃないと僕だめなんだよ

もともと呼吸は浅いほうだけれど、どうやらゆうべはそれが酷くなっていたらしくて布団に入ってからも少し息が苦しかった。そのせいなのかもしれないけれど、うまく眠れなくて朝ぐったりしていた。仕事を休みたいと思ったけれども、なんとか家を出た。

出勤してみれば昨日よりかは元気。
定時で帰るつもりだったけれども、今日も残業。
じわじわと疲れが溜まっているみたいで、スピードがあまりあがらない。ややこしいものばかり手にしているような錯覚に陥る。
思い切り卑下してしまえば、今の仕事なんてロボットにもできるよと思わなくもない。もちろんできないことは知っている。でもひたすら機械のように入力作業。疲れる部分が違うみたい。頭と腕が麻痺していくのがよくわかる。
それでも昨日よりはイライラしない。
何でわたしだけと考えなければなんとかなるのかもしれない。いろいろなひとに尋ねられるのはそれだけ仕事のことをわかっていると思ってもらっているのだし、ひとつの作業だけをやっているよりかは気がまぎれていいのかもしれない。

昨日お昼ごはんを食べているときに口内炎のできているところを思い切り噛んでしまった。
そのせいで腫れて痛い。疲れてるのかな。
とりあえずこんなものが胃の中にできたらそりゃ痛いだろうということは毎回実感できる。

病院からの電話を待っていても来ない。1回飛ばされちゃったかもしれない。

頭痛が酷いし疲れているのがよくわかるから早く寝るつもりなのに毎日12時まで起きている。
家に寝に帰ってくるだけという状態にはしたくないという意地もあるかもしれない。でも、いい加減休ませないとまずい。
大きく崩れたときのことをもう忘れてしまったわけではないでしょう。


諒 |MAIL