DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
菅野家では、今ワンピースが大ブームです。長男は黄猿が好きで、次男はシャンクスが好きです。子供達はエニエス・ロビー編と頂上決戦編とシャボンディ諸島のあたりを見ています。私はウソップが大好きです。試合に向けての稽古中や試合当日や試合中に自分はウソップだなと思う事がたくさんありました。でも私はウソップと同じで最終的には怖い、辛い、苦しい事から逃げたりはしませんでした。そして私もウソップが世界政府の旗を迷う事なく撃ち抜いたように、決断したら大胆に行います。
現役の選手を引退してから16年が経ちます。私が脂が乗っていて肉体的には1番強かったと思う25歳の時から早いもので25年が経とうとしています。これから25年が経ったら私は75歳です。その時にも組手が出来ていたいなと思います。ただ確実に分かっている事は、私は絶対に毎日稽古に励んでいると言う事です。それだけは自信があります。もちろん今と同じ稽古はしていないと思いますが、どんな形にしろ自分が出来る事を頑張っていると思います。もしかしたらとんでもない達人になっている可能性も大だと思っています。
土曜日は私にとって1番楽しい日です。家族みんなでゆっくり食事を出来るからです。そして次の日が日曜なので、心を緩めてお酒を飲む事が出来るからです。私はお酒を飲んでもそんなに変わる事はありませんが、妻と話したり、子供達と話したり、また皆が樂しく話しているのを聞いていたりするのが好きです。たぶん家にいる時は家族の中で私が1番おとなしいと思います。私は外にいる時はいつも自分にギアを入れているというか、何種類かの自分のチャンネルにして、気合いを入れて、その自分になっていると思います。でも家にいる時はギアも入れていませんし、チャンネルも変えていません。気合いも入れていませんし、無理もしていません。1番ニュートラルというか自然な自分というか、誰にも気を使わない本当の自分でいる事が出来ます。その自分が良いか?悪いか?は分かりませんが、家族はその自分を許してくれると思っています。だから私は家が好きです。
若い頃はトレーニングをしたり稽古をすれば自分の身体はすぐに変化を見せてくれました。ですが歳をとると努力をしてもなかなか変化を見せてくれません。そして身体を痛めると他の場所にまで影響を与えてしまいます。怪我をしたら元には戻らない事も増えて来ます。でも諦めてはいけないと思います。諦めたら自分の身体はどんどん弱くなり衰えてしまいます。諦めずに頑張って努力を続けていれば、半年後、1年後にはしっかりと自分の身体に変化が見えて来ます。100歳まで自分が生きているかは分かりませんが、その時にも毎日トレーニングしたり稽古をしている自分でいたいなと思います。
今年になって股関節がとても悪くなり、開脚が出来なくなってしまっていましたが、諦めずに出来る柔軟体操を続けて来ました。一時は股関節の手術をする事も視野に入れていましたが、頑張って毎日、柔軟体操をしているうちに、少しずつ少しずつ改善されて来ました。今日は180度足を開いてお腹を床に着くまで、あと一息と言うところまで行きました。本当に諦めなくて良かったなと思います。菅野秀行と言えばバック宙が出来る。菅野秀行と言えばマラソンが速い、菅野秀行と言えば身体が柔らかい、菅野秀行と言えば左の上段回し蹴りが上手い、自分と言えば、と言う事が出来なくなって行く事はやはり寂しいし悲しいです。もちろん最後は死んでしまうわけだし、全て出来なくなってしまうんだろうけど、頑張って抗いながら老いて行きたいと思います。そして楽しみながら老いて行きたいと思います。最近、ダイエットをやめたと昨日の日記で書きました。ダイエットを止めたと言うのは、有酸素運動をするのを止めたと言う事です。ウエイトトレーニングをして筋肉を増やし、有酸素運動は空手の稽古だけにし、炭水化物を抜くのは夜だけにしたいと思います。体質を変えて食べて有酸素運動をしなくても太らない身体を手に入れたいと思います。そして週末は家族とお酒を飲んで楽しい時間を過ごしたいと思います。
アキレス腱断裂から4ヶ月と13日の今日、遂に突き蹴り全てありの組手が出来るようになりました。本当に嬉しかったし、本当に嬉しかったです。自分が想像していたより早くここまで来たような感じもしますが、そうではないと気が付きました。自分が本気で望んだから、こうなった訳で、望まなかったら、この未来はなかった訳です。自分が本気で望んで、真剣に一生懸命にやれば、どんな事だって実現させる事が出来るはずです。あらためてそれを強く思いました。人生は1度です。本当に好きな事を見つけて、それをやるべきです。そこからたくさんの感動を作る事が出来ます。私は今も毎日、感動しています。そして生徒達と一緒に稽古をして、一緒に汗を流して毎日、青春しています。長男と次男も空手に対してやっと本気になってくれたようです。1人で腕立て伏せをしても力が弱いため、下まで下ろす事が出来ないので、私が帰宅するのを待っていて、私に足を持ってもらって腕立て伏せを毎日やるようになりました。そんな事だったらいくらでも協力してあげます。私は子供達に勉強は教えてあげる事は出来ないけど、極真空手から学んだ事は教えてあげる事は出来ます。本気になって真剣になって夢や目標に向かって一生懸命に頑張れば、それがどんな結果であれ感動する事が出来ます。その頑張って歩んだ道をふり返った時にその自分の歩んで来た道はキラキラと輝いて見えるはずです。そしてたくさんの思い出やたくさんの仲間が出来ているはずです。それが自分の1番の財産となり、自分の生きた証となります。それを子供達に教えたいです。
ここのところ寒くなって来ました。今日をふくめあと7日で11月になるのですから、寒くなるのも当たり前です。もう来年の事が視野に入って来ました。来年の2月1日に私は50歳になります。ここから3ヶ月をどう生きるかで、今まで生きた50年という時間の振り返り方も変わると思います。そして来年は東京に上京して30年でもあるので、いろんな意味で節目の年なので、しっかりとした形で節目を迎えたいと思っています。私は最近止めた事があります。それはダイエットです。体重や血圧は毎日計りますし、全然気にしない訳ではありませんが、考え方を変えました。体型と体質を変えて行こうと思います。食べる時も「この食べた物が自分のエネルギーになり、自分の身体になるんだ。」と思って食べるようにしています。体重の上がり下がりに右往左往するのはもう止めて、強い身体を作って行こうと思います。
ウエイトトレーニングの記録がどんどん上がっています。若い頃はとにかく重い重量を上げようと躍起になってトレーニングしていました。でもフォームも悪く上手に筋肉に刺激を与えていないため、やったトレーニングに見合った効果が出ていなかったと思います。それと几帳面に栄養を摂る事が出来ていなかったと思います。45歳の誕生日に一念発起してウエイトトレーニングを始めましたが、途中途中、身体を故障し出来ないとトレーニングがありましたが、出来る事を頑張って来ました。その結果、ここ最近、トレーニングの記録がどんどん上がって来ましたし、トレーニングのフォームや効かせ方が上手くなり、しっかり筋肉に刺激を与えられるようになりました。毎回トレーニング後は筋肉がパンパンに張っている感覚があり、目に見えて身体にも変化が出ています。若い頃はあんなに苦しくて嫌いだったウエイトトレーニングを今は楽しくトレーニングに取り組む事が出来ています。
私の足が治ったので、子供達と休みの日は銭湯に行けるようになりました。雑色には銭湯がたくさんあります。今日は子供達と1時間半ほどトレーニングをしてゲームセンターに行って銭湯でお風呂に入りました。子供達には私より強くなって欲しいとも思いますが、私も子供達には負けたくないので、子供達には私より少し弱いぐらいに強くなってくれたら良いなと思います。
長男がどうやったら試合で勝てるか?を聞いて来ました。私は学校の勉強は子供達に教えてあげる事は出来ませんが、空手の試合は130戦以上して来た経験がありますし、超一流の人達から指導を受け、超一流の人達と一緒に稽古して来ましたので、そんな事なら誰よりも教えてあげる事が出来ます。長男は3歳から空手を始めましたが、私に教えてなどと言って来た事はありません。やっとこの日が来たかと言う感じです。少しずつですが、いろんな事を教えてあげています。でも人に教えてもらうよりも自分で試合を見て感じたり考えたり思ったりする事が大切です。だから強くなりたいのなら全日本大会を観に行けと言いました。情熱には油が必要です。情熱の火が燃えているうちに油を注いであげて欲しいと思います。
家に生き物が増えて来ました。はじめはお祭りで長男と次男が金魚すくいで金魚を取って来た事から始まりました。残念ながら金魚は死んでしまいましたが、そこから次男がお友達からウーパールーパーをもらって来て、長男が金魚がいなくなった水槽にネオンテトラを買って来て、今日は次男がグッピーを近所のおじさんに買ってもらったと言って帰って来ました。長男はウーパールーパーの水槽の水を変えて上げたり、ネオンテトラの水槽の水を変えてあげたり、エサをあげたりして、結構よく面倒を見ています。
私は来年で50歳になります。考えてみれば私の父は50歳の時に会社を辞めました。50歳までには一生、生きて行けるだけのお金を稼いでしまったのですから、それは凄い事だと思います。私と父は似ているところが1つもないと言うぐらい似ている部分がありません。唯一、父から受け継いだ事は喧嘩が強かったと言う事だと思います。その1つ受け継いだ事をさらに伸ばして、それを仕事に出来て今こうして家族を養えているのですから、感謝しています。でもその部分は息子達には受け継がれませんでした。とてもホッとしています。この仕事は自分が好きで始めた事なので、私一代で終わらせたいと思っています。子供達には自分で好きな事を見つけてその道を進んで行って欲しいと思います。
49歳がこんなに楽しいなんて思いもしなかったです。トレーニングも稽古も楽しいし、家族と一緒にいる時も楽しいし、毎日を本当に樂しく過ごさせて頂いています。50歳も楽しい毎日を送れるよう健康に気を付けて日々精進したいと思います。
論語で「吾十有五にして学に志す。 三十にして立つ。 四十にして惑はず。 五十にして天命を知る。 六十にして耳順ふ。七十にして心の欲する所に従へども、矩を踰えず。」と言っています。私も15歳で空手を始めたので、十五にして空手に志しました。三十にして立つは、29歳で道場を開設しました。立つとは学んでいる事を納めて独立すると言う事ですので、私は三十前にして立つ事が出来ました。四十にして惑はずは、私は20歳で東京に来る時に空手の世界で生きて行くと決めたので、二十にして惑はずです。五十にして天命を知るは、29歳で道場を開設した時には、これが自分をこの世で活かす道だと確信したので、二十九にして天命を知るになります。けっこう生き急いでるなと思います。六十にして耳順ふは、六十までに人の言う事をどんな事でも素直に聴いて理解できるようになるのか?まだ自信がありません。でも60歳になるまでには、そんな人間になれるよう日々努力精進して行きたいと思います。あと3ヶ月ちょいで50歳になるので、のんびり生きている暇はありません。
何で毎日、稽古やトレーニングに励む事が出来るか?それは簡単です。楽しいからです。私は今はもう選手でもないし、何かに追われて稽古する必要もありませんし、自分の稽古をしなくても誰に叱られるわけでもありません。自分がやりたくなければやらなければ良いだけです。でも自分の稽古がしたいから一日中空手の稽古やトレーニングがしたいから、空手の道場を始めたわけです。なので空手の指導をするのはある意味で言えば仕事です。指導をしなくては道場は経営できませんので、それはやりたくなくてもやらなければ行けない事かもしれません。でも私は指導も楽しくてやっています。だから私は一日中楽しい事をしていると言う感じです。
長男と次男と3人で川崎のTOHOシネマズにワンピースFILMREDを観に行き、その後ラゾーナ川崎のゲームセンターでゲームをしました。長男は頭文字のDと言う車のゲームをやっていました。次男はUFOキャッチャーでミニオンズの人形を取りました。次男はどうしても自分の力で取りたいらしく何度も挑戦していました。何度か失敗したあと、私が取ってあげようかと言ったのですが、次男は自分で取りたいと言いました。次男がそんなに頑固になる事もなかなかないので、これも成功体験の1つかと思い、私も取れるまでお金を出してやろうと腹を括り、最後まで挑戦させてあげました。次男は店員さんにアドレスをしてもらったり、取れやすいところに置き直してもらったりして頑張り、なんとか自分で取ることが出来ました。取った時の次男の喜んでいる顔を見て、最後までやらせてあげて良かったと思いました。帰りに三人で久しぶりに銭湯でお風呂に入って帰りました。子供達と過ごす休日を大切にしたいと思います。
私のウエイトトレーニングの1週間語のメニューと自主トレのメニューを紹介したいと思います。月曜日はメインで胸or背中、デザートで腹筋、背筋、火曜日はメインで足、腕、水曜日はメインで肩、デザートで腹筋、背筋、木曜日はメインで背中or胸、金曜日は月曜日に胸をやった週は背中、月曜日に背中をやった週は胸、土曜日はメインで腹筋と背筋、デザートでローテーターカフという感じです。自主トレのメニューは上半身のストレッチ(約15分)をしたら火の呼吸を6分×2回、逆腹式呼吸を1分その間にナウリを行い、息吹を3分間行います。その後、全身のストレッチを行います。その日の体調によって違うのですが全部行うと1時間~1時間30分になります。その後にウエイトトレーニングを行います。ウエイトトレーニングはだいたい1時間30分行います。その後に30分〜1時間有酸素運動を行います。なので朝の自主トレだけで4時間以上はトレーニングをします。その他に型の稽古や部位鍛錬も生徒を待っている時間に行います。帰宅後のお風呂に入るのも稽古だと思って1時間ぐらい入るので、指導の時間を入れると私が空手をしている時間は1日に10時間ぐらいにはなってしまいます。好きでなくては出来ない仕事だと思います。
「ドライブ・マイ・カー」と言う映画が私はとても好きです。ストーリーもとても好きですし、登場人物もとても好きです。登場人物の話し方もとても好きです。登場人物同士の人間と人間の関わり方もとても好きです。そして、この映画の1番とても好きなところは押し付けがましい感動がないところです。
アキレス腱断裂から4ヶ月が経ちました。過ぎればあっという間に気もしますし、あれからいろいろ大変な事もたくさんありましたが、その時その時を頑張って来ました。いろんな事があり過ぎてアキレス腱を断裂した時の記憶も薄れてしまい、ずっと前の事のような気もします。4ヶ月経ってみて今思う事は、大変な事もたくさんあったけどそのおかげで自分は大きく成長出来たと言う事です。そして、人の優しさにもたくさん触れ、人間は1人で生きているのではないと言う事や、たくさんの人に陰に日向に助けてもらっていると言う事や、自分の知らないところや気が付かないところでもたくさんの人に自分は守られていると言う事にもあらためて感じる事が出来ました。そして妻や息子達の存在が私を支えてくれました。妻や息子達の存在があったから私は強い自分でいる事が出来ました。私は手術の日も1人で病院に行き、手術を終えて、2日後に1人で家に帰って来ました。自分の好きな事をして負った怪我なので、自分でケジメをつけたいと思いましたし、これは僕の戦いだ!と思って臨みました。でも私が不安な時も痛い時も辛い時も苦しい時も妻や子供達の存在が私の強い支えになりました。こんなので負けてたら、妻にカッコつかないな!こんなので痛がってたら、子供達にカッコつかないな!って感じです。私も妻や子供達の前でかなりカッコイイ言葉を言っているので、いまさら自分は弱い人間でした、なんて死んでも言えません。病院からタクシーで帰って来た私をコンビニの前で待っていてくれた子供達の元気な姿を見て、私も元気になりました。妻や子供達にも本当に感謝しています。
明日でアキレス腱断裂から4ヶ月になります。今日は新しい事が3つ出来るようになりました。1つ目は壁に掴まって回し蹴りのフォームが出来るようになりました。これは片足で爪先を重心に軸足を返さなければいけないので、かなり難易度が高い事でしたが、出来るようになったので凄く嬉しいです。2つ目はパンチと回し蹴りをミットに撃ち込む事が出来ました。全力ではありませんが、とても良い感覚で撃ち込み事が出来ました。3つ目はパンチだけのスパーリングですが3分を4ラウンドやる事が出来ました。突きを撃つ感覚も受けたり避けたり捌いたりする感覚もカウンターを取る感覚も突きをもらった時に身体を締める感覚も相手と距離や間合やリズムを読む感覚も全然衰えていませんでした。やはり1度身体に身に付いた感覚はそう簡単に消える物では無い事を再確認しました。今日は本当に嬉しかった。前の自分なんてあっという間に追い抜いて見せます。結局、自分の人生は自分の思い通りになるのだと思います。自分の人生は思い通りになんてならないと思う人は、自分が思うように自分の思い通りならない人生を生きる事になるのでしょうから、結局はその通りになる訳ですから、自分の思い通りの人生を生きた事になるのだと思います。だったら頑張って自分の人生を自分の思い通りなると思い、自分の思う人生を思いっきり生きた方が得だと思います。自分で書いていてもややこしいのですが、自分の人生を思い通りにするのは、自分しかいないと思います。私は必ず自分の思い描いた事を実現させて見せます。その日を楽しみに頑張りたいと思います。
昨年の末に腰部脊柱管狭窄症になり、そのあたりから股関節が悪くなり開脚が出来なくなって行きました。そして今年に入り腰部脊柱管狭窄症が良くなって来たと思った所でアキレス腱断裂でした。そして開脚はまったく出来なくなってしまいました。アキレス腱断裂からあと2日で4ヶ月が経ちますが、コツコツと毎日ストレッチと呼吸法を行って来ました。もう10年以上悪かった肩も45歳からウエイトトレーニングを始めた事で、改善されて行きました。先月から10年ほど出来なかったベンチプレスとダンベルプレスが出来るようになりました。私はウエイトトレーニングをやる前に必ずストレッチをしローテーターカフを鍛えるトレーニングをウォーミングアップで行って来ました。たぶんそのおかげと背中や肩周りの筋肉がしっかりして来たためにベンチプレスやダンベルプレスなどのプレス系のトレーニングが出来るようになったのだと思います。股関節が悪くても私は諦めずに股関節のストレッチと股関節のトレーニングをやっています。少し改善されて来ました。開脚も少しずつ開くようになって来ました。このまま行けば股関節は手術しなくても良くなりそうです。毎日、自分の身体と対話する気持ちでストレッチをし、呼吸法をし、ウエイトトレーニングを行っています。昨日は型を12種類稽古しました。毎日頑張っていれば確実に自分の身体は変わって行きます。道場生の皆さんにも、稽古に来た日だけ稽古するのではなく、少しでも良いから自分で決めた事を毎日行うようにして欲しいと思います。
50歳を間近に控えると、さすがに今までの人生のあれこれを思い出します。私がこの歳になって感謝の気持を伝えたい人はたくさんいるのですが、本当に本当に感謝の気持を伝えたい人は、私が何をしてよいか分からずにいた時に、本当にダメな私と一緒にいてくれた、私と同じように本当にダメだった友達です。その時に一緒にいて一緒に笑ったり泣いたりしてくれた友達がいたから、私はなんとかかんとかそれを乗り越える事が出来ました。夜中に土堤に寝そべっていろんな話をしてくれた友達がいたから私はあの時期を乗り越える事が出来ました。その友達には自分のどんな事でも話す事が出来ました。もうそんな友達はおそらく一生出来ないと思います。本当に本当に感謝しています。その友達に今度帰った時に、私からのお礼を渡したいと思います。気持ち悪いと思われるかもしれませんけど。
私もあと数ヶ月で50歳になります。今まで生きて来た時間よりも、これから生きるだろう時間の方が少なくなったからこそ見えて来た物があります。ある意味で言えば生まれた時からそうだったのだと思いますが、結局は人間の人生のゴールは死です。どこをどう通ってどう生きようとたどり着く場所は結局は死です。自分が稼いだお金も土地も家も権利も地位も全て捨てて死ぬ事になります。でもだからこそ私は自分が本当にやりたい事をやりたいと思います。やりたい事のためならやりたくない事もやります。でも本当にやりたくない事はやりたくありません。そんな事やっている暇はありません。やりたい事をやる時間だって限られているのに、やりたくない事なんてしている暇はありません。ここから先の人生はやりたい事だけをやらせて頂きたいと思います。自分の人生に悔いだけは絶対に残したくありません。たぶん妻も子供達も私が死んだ時は「本当に空手バカだったね」と呆れていると思います。でもそれは許して欲しいと思います。だって私は空手バカなのですから。
私がコロナの濃厚接触者となったため道場をお休みさせて頂いていましたが、本日から無事に稽古を再開する事が出来ました。久しぶりにみんなと稽古が出来てとても楽しかったです。10月は突きの稽古をします。みんな頑張って稽古に励みましょう。
何かを始める事は簡単です。今まで自分を全て壊してしまえば良いのです。自分が身に付けて来た物を全部捨ててしまえば良いのです。私は幸運にも今までの自分を壊されるような出来事があったおかげて、自分が身に付けて来た物を全部捨てて、新しい事を始める事が出来ました。全てを捨てて身軽になって謙虚になれば、新たな事が身に付き、新たな自分になる事が出来ます。自分を捨てて新たな物を身に付け、自分を壊して新しい自分を作る事は素晴らしい事です。
極真空手がカッコイイと思ったのは蹴り技があるからでした。多彩で華麗な蹴り技がとても格好良く見えました。元々ウルトラマンや仮面ライダーやブルース・リーが好きだったのは蹴り技があったからでしたし、その後プロレスでも蹴りを多用するUWFを好きになりました。それと素手素足で戦う事と無差別で戦う事と道着がとても格好良く見えました。思った事は必ず叶います。私は左の上段回し蹴り、踵落とし、中段回し蹴り、下段廻し蹴り、いろんな蹴り技で一本勝ちをする事が出来ました。そして自分より18センチ大きい相手や30キロ重い相手にも勝つ事が出来ましたし、ブラジル、イラン、カザフスタン、チェチェン、ロシアとたくさんの国の人と戦う事も勝つ事も出来ました。思い出すと本当に楽しかった。自分の魂と自分の生きて来た全てと、自分の想いや自分の気持を拳と足にのせて、思いっきり殴り合って蹴り合あって戦えば、その後にはお互いを認め合って尊敬しあって友情が芽生える物です。それが男と言う物です。極真空手の世界は単純です。一緒に血と汗と涙を流して苦しい稽古に耐えて、お互いに思いっきり殴り合って、一緒に嘔吐するまで酒を飲めば、もう一生の友達です。
私の空手人生は、鏡の前でボコボコになった自分の顔を見て、泣きながら正拳中段突きをした所から始まりました。私が高校を退学になり仕事を転々として、結局プー太郎をしている時に、私を心配してくれた方が私に「お前はやりたい事がないのか?」と聴いてくれました。私はTVで見た極真空手の世界大会の話をしました。その方は極真空手ではないけど空手の道場をやっている人が知り合いにいて、その人はその流派で世界チャンピオンだと言いました。私はその人と戦って見たいと言いました。そして次の日、その道場へ行き、その先生と戦い蹴り一発で失神させられ、その後も何度か向かって行きましたが、立ち上がれなくなるまでボコボコにされました。立てなくなった私にその先生は「悔しいか?俺に勝てるようになりたいか?だったら空手を始めろ!俺が教えてやる!」と言いました。そして鏡の前に連れて行かれて、騎馬立ちで行う正拳突きを教えて頂きました。先生は「俺が止めていいと言うまで正拳突きをしてろ!」と言って、私の知り合いと雑談をしていました。私ははじめて喧嘩で負けた悔しさと、鼻血を出し口の中も血の味がして自分のボコボコに腫れ上がった顔を見て、さらに悔しく泣きながら正拳突きをしました。今でも覚えているのは、その私の知り合いが先生に「こいつどうですか?強くなりますか?」と言うと、先生は「身体もしっかりしてるし、いい根性してるから強くなりますよ。私が預かります。」と言っていました。それが私と空手との出会いでした。今考えると漫画のような出来事でした。
私は何かを始めるのに遅いと言う事はないと思っています。それは何歳になったって同じです。その人がやりたい事と出会い、それを真剣にやりたいと思ったら迷わずそれをやるべきだと思います。もし迷っている時間を少しでも過ごしてしまったらそれはとても勿体ない時間になってしまいます。そしてそれをやれずに過ごしている時間があったとしたら、それはとても無駄な時間です。もしそれに挑戦する事なく人生を終えてしまったとしたら、その人の人生はいったい何だったのだろう?と思ってしまいます。本当にやりたい事が見つからずに人生が終わる事は仕方のない事ですし、他に楽しい事を見つければそれで人生は充分楽しいと思います。でもせっかく本気でやりたい事と出会えたのにそれに挑戦する事なく人生が終わってしまったとしたら、それは本当に本当に残念です。私はやりたい事をして生活出来る事が最高に楽しい人生だと思っています。やりたい事があったら迷わずに始めるべきです。やりたい事はやりたいと思った時にやらないとダメです。何かを見てやりたいと思ったと言う事は自分の中で何かが生まれた瞬間です。自分の中で何かが爆発した瞬間です。自分の中で何かが変わった瞬間です。自分の中で革命が起きた瞬間です。でもその燃え上がった火もいつまでも燃えていてはくれません。ちゃんと燃料を加えていかなければその火は消えてしまいます。だからやりたいと思ったらすぐに始める事で燃料を与え、夢や目標やビジョンを持つ事で絶えず燃料を与えてあげなくては行けないのです。最初に踏み出す一歩のエネルギーはとても大きいのです。だから最初の一歩を踏み出すのは大変です。でも一歩踏み出したらその推進力で次の一歩、次の一歩とどんどん勢いがついて行きます。私なんてそうやって前に進んできたら気が付けば34年も過ぎていました。何かをやりたいと思ったらすぐに始めて欲しいと思います。
ラスト3か月の始まりが、道場生とご父兄様にご迷惑をおかけする形で始まってしまい本当に申し訳なく思っております。私は家事をしたり本を読んだりして毎日を過ごしています。稽古を再開しましたら、休日などに稽古をする形で、このお休みを補って行きたいと思っています。早くみんなと思いっきり稽古がしたいです。
私は26歳から35歳の12月28日まで約10年間お酒を止めました。空手の選手として現役生活に悔いを残さないためもありましたが、それまでの人生でお酒の失敗が多々あったので、本当は一生止めようと思っていたのですが、妻と出会って、この人と一緒にお酒を飲みたいと思い、またお酒を飲むようになりました。結果とても良かったです。妻は本当にお酒が強いです。私もかなりお酒は強いです。ビールなら夕方か次の日の朝まで飲んでいられます。空手家の中でもかなりお酒は強いと思います。なので量は私のほうが飲めますが、妻はアルコールの強いお酒を臆せずに飲みます。妻がお酒を飲んで楽しんでいる姿が私は好きです。だから私は妻が友達とお酒を飲みに行くと言ったら嬉しいです。私は「楽しんで来てね!」と送り出します。妻も私に対して同じようにしてくれます。ただ身体にだけは気を付けて欲しいと思います。
「この道を行けばどうなるものか?危ぶむなかれ、危ぶめばそこに道はなし、踏み出せばその一足が道となり、その一足が道となる、迷わず行けよ!行けば分かるさ!」私はこれからも自分の信じる道を恐れずに踏み出して行きます。私の中のヒーローの1人でした。私の中では今でもその姿は輝いています。その闘魂むき出しで闘う姿からたくさんの感動と勇気を頂きました。ありがとうございました。
kanno
|