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今日で9月が終わります。道場生、ご父兄様には、私がコロナの濃厚接触者となった事で道場の稽古をお休みさせて頂きまして。本当に申し訳なく思っております。空手の本を読んだり動画を見たりして、また稽古を再開したら良い指導が出来るよう過ごしています。
朝、自転車で道場に行く時に金木犀の匂いがしました。この匂いがすると全日本空手道選手権大会・ 全世界空手道選手権大会の追い込みの時期です。全日本空手道選手権大会・ 全世界空手道選手権大会は11月初めから半ばに行われます。だからこの時期は1番苦しい追い込みの時期です。そして朝の空気がひんやりして来たら、もう試合はもうすぐにそこです。私は21歳で始めて全日本で黒澤先生のセコンドとして一緒に控室や試合場のそでに行く事が出来ました。22歳の時は第6回世界大会でしたのでやはり先輩のセコンドについていました。この2年も先生や先輩と同じメニューを稽古したので、自分も大会に出る気分で生活していました。私が出場した全日本空手道選手権大会は28回、32回、33回、34回、36回、37回、38回の7回でした。21歳から33歳まで約12年間、この時期は苦しい稽古に励んでいました。だから金木犀の匂いを嗅ぐと「ああもうすぐ試合だ」と言う気持になります。でも考えて見ると引退してから早いもので15年も経ってしまいました。と言う事は全日本に向けて稽古していた年数より、引退してから過ごした時間の方が長くなってしまったと言う事になります。引退してからは本当に時間があっと言う間に過ぎて行きました。金木犀の匂いを嗅ぐと全日本を思い出すと同時にその頃を懐かしく思い、そして愛おしく思います。そしてこの時期に試合に向けて自分を追い込んでいない事を寂しく思います。試合の事を考えドキドキしていない事を寂しく思います。今頑張って稽古している選手の皆さんを羨ましく思います。だから苦しい日々も緊張した毎日も思いっきり楽しんで欲しいと思います。引退した私だから言える言葉です。あとで思い出したら頑張って試合に出ていた事はキラキラと光っています。自分の大切な大切な宝物となっています。だから思いっきり苦しんで思いっきり緊張して思いっきり楽しんで、今というかけがえのない素晴らしい瞬間瞬間を謳歌して欲しいと思います。
私がよくカラオケで歌うレパートリーを紹介したいと思います。 プルーハーツの「人にやさしく」「リンダリンダ」 「僕の右手」「ラブレター」「TRAINTRAIN」小沢健二featuringスチャダラパーの「今夜はブギー・バック」 リップ・スライムのの「黄昏サラウンド」「楽園ベイベー」爆風スランプの「RUNNER」をよく歌います。私はあまり歌は上手くないのですが、人前で歌う時にはカッコつけないで、でも恥ずかしがらないで、シャウトして騒いで踊って、自分が思いっきり楽しんで、場を盛り上げて皆を楽しませようと思って歌っています。家族でもよくカラオケをするのですが、私が歌う歌が古いせいか、妻や子供達にはあまり受けは良くないようです。この前は妻や子供達が好きな曲を歌おうとバウンディの「不可抗力」を歌ったら声が出なくて酷い事になってしまいました。
基本稽古の全ての技を30本ずつ行えるようになりました。自分が日々進化しているのを感じます。この勢いで行けばアキレス腱断裂前以上の自分になるのも夢ではないと思っています。考えてみれば人間の身体だって、骨が折れるとそこをさらに太くして治るし、ウエイトトレーニングなんて、トレーニングで負荷をかけ筋肉を壊す事で超回復し、前以上に強くて太い筋肉に成長するのだし、自分が変わる時も、今までの自分の価値感を壊して進化して行くんだし、自分が大嫌いになるような出来事で自分の心が壊された時に、今の自分を変えようと努力して、今の自分になる事が出来たと思います。スクラップ&ビルドで人は成長して行くのだと思います。明日は何が出来るようになるのか?楽しみだ!と言う毎日を過ごしたいと思っています。
昨日の疲れもありましたが、今日も頑張って朝の呼吸法と柔軟体操とウエイトトレーニングを行いました。ベンチプレスも82.5キロが10回上がり向上しています。50歳に向けて進化して行きたいと思います。あと約4ヶ月で私も50歳になります。「50歳を前にアキレス腱切ったんだよなー!でもあのおかげで頑張れて今があるんだよねー!」っていつか笑って言いたいです。50歳は最高の1年にする準備を今からやって行こうと思います。
本日は私が運営する極真会館東京城南京浜支部の秋季組手競技支部内交流試合でした。参加者28名でした。生徒達の頑張っている姿や成長する姿をたくさん見ることが出来ました。いつも手伝いをしてくれる道場生にも本当に感謝しています。子供達を試合に参加させて頂いているご父兄様にも感謝しております。今回は全カテゴリーで雑色道場の生徒が優勝しました。最初はダンススタジオから始めた雑色道場でした。初めは生徒も少なく、審査や試合に参加する生徒も少なかったです。大森道場に稽古に頑張って通ったりして試合に毎回頑張って出たのは北村優翔が1番最初でした。そこから少しずつ頑張る生徒が増えて来て、今日の結果に繋がりました。あの頃は雑色道場の生徒が全てのカテゴリーで優勝するなんて夢にも思いませんでした。そして雑色道場から初の女子の優勝者も誕生しました。各カテゴリーの優勝者は小学生低学年の部、紫牟田芽生、小学生中学年の部、菅野陽生、小学生高学年の部、菅駿斗、中学生の部、三尾理音でした。雑色道場ができた頃の生徒達の思いが繋がって今日の結果があります。「みんな!君達の後輩がやってくれたよ!君達が頑張ってくれたおかげだよ!本当にありがとう!」そしてここからまた大森道場の生徒達の頑張りにも期待したいと思います。各道場が仲良く交流して切磋琢磨していけば世界だって夢じゃないと思っています。
妻が友達とお出かけなので、長男と次男と三人でご飯を食べました。ご飯を食べる前に少しだけゲームセンターで車のゲームをしました。長男がどうしても私と対戦したいと言って来たので受けて立ちましたが、ガチで勝負して負けてしまいました。子供達の成長は本当に早いです。これからいろんな事で私をどんどん抜いていくのだと思います。全てにおいて子供達が私を抜いた時にでも、子供達が私を尊敬して慕ってくれるような父親でいたいと思っています。
1日休みなので、子供達とラゾーナ川崎に行き、ゲームをやりました。UFOキャッチャーで炭治郎と乙骨と禰豆子のフィギュアを獲りました。びっくりドンキーで子供達と食事をしました。長男も次男も150グラムのハンバーグをペロッと食べていました。食が細かった長男も良く食べるようになりました。長男と次男が「一杯ならビールを飲んでも良いんじゃない」と言うので私はビールの大を飲みました。私は休みの日でも正月やお盆休みでも昼からお酒を飲む事はないので、とても美味しく感じました。家に帰って呪術廻戦0のDVDを皆で見ました。子供達ととても楽しい休日を過ごせました。
装具をしないで出来る事が増えてきました。軽いシャドーなら出来るようになったのと、軽いスパーリングも出来るようになりました。少しずつ出来そうな事に挑戦して行きたいと思います。
ここ最近で1番嬉しかった事は、ここ10年ほど慢性的に肩を痛めていたために出来なかったベンチプレスが、何故か肩が良くなり出来るようになった事です。ウエイトトレーニングと言えば、先ずはベンチプレスです。ウエイトトレーニングの代名詞と言っても良いと思いますし、男だったら厚い胸板になりたいと思うはずです。私も初めて行ったウエイトトレーニングはベンチプレスでした。空手の先輩と何キロ上がるか?競い合いながらベンチプレスをしたものです。なのでまたベンチプレスが出来るようになって、とても嬉しいです。とりあえず20キロを10回からはじめ、40キロ10回、60キロ10回、70キロ10回、80キロ10回までは余裕で出来たので、100キロに挑戦したら余裕で上がりました。昔とった杵柄と言うか腐っても鯛と言うか、ベンチプレスは出来なくても、それ以外の部分は鍛え続けて来ましたので、それほど衰えてはいなかったようです。私は20代の頃はベンチプレスはMAXで170キロ上がりました。150キロなら5回は上げる事が出来ました。100キロなんて10回以上は余裕で上げる事が出来たので、49歳でも100キロが上がるのは当然と言えば当然です。怪我に気を付けながら鍛え直して、来年はベンチプレス150キロを目指したいと思います。今が人世で1番楽しくウエイトトレーニングをしている気がします。ウエイトトレーニングは努力が記録と身体に結果が現れるので、自分の前進が顕著に見えてとても楽しいです。トレーニングを頑張ると自然と食事にも気を付けるようになります。トレーニングの努力とトレーニングの効果を無駄にしたくないので、しっかり身体に良い物を摂るようになります。カッコイイ50歳を目指して頑張ります!
アキレス腱断裂から3か月と7日が経ち、基本稽古の全ての技を行えるようになりました。基本稽古は全身を左右対称に稽古するので、全身をバランス良く鍛える事が出来ます。立って稽古が出来るので本当に良い稽古になります。基本を疎かにするなかれ、と言う大山倍達総裁の声が聞こえて来ます。毎日、基本稽古を50本行えば必ず健康になります。基本稽古を100本行えば必ず強くなると思います。私も指導とは別に毎日基本稽古をしっかりやりたいと思います。
「ワンピースFILM RED」を観に行きました。今回は2回目なので、さらに内容が把握できて、新たな発見もあり、さらに感動してしまいました。シャンクスもルフィもとてもカッコ良かったです。シャンクスは仲間を裏切らないし仲間のためなら真剣に怒るし命を懸けても戦います。シャンクスはいつも笑っています。シャンクスは仲間を許します。シャンクスはくだらない事では怒らないし、戦いません。子供達もシャンクスが心の中にいれば、自分がカッコイイと思える本当に正しい行動が出来る人間になると思います。でもこれは学校で教える道徳とはかけ離れていますし、その行動から社会的責任をとらなくてはならない事があるかもしれません。本当に正しい事をするためには法律など守っていられない事だってあります。でもそれは個人の問題です。国が法律に則って動かなくなれば世の中は上手く回らなくなると思います。本当に正しいと思うのなら1人で立ち上がって行動を起こすしかないのだと思います。でもそこにはいつか本当の仲間が集まるのだと思います。
子供達に、ふと言われた「パパ、おやすみ!」その言葉だけでどれだけ頑張れるか分かりません。言葉は魔法です。言葉には力があります。でも私はそんな可愛げのある言葉を両親に言う事が出来ていたのか?と考えると正直、分かりません。たぶん私は可愛げのない子供だったと思います。長男も次男も私にはとっては100点の子供達です。良いところも悪いところも同じように愛しています。自分から自然に出た言葉で人を元気に出来たならそれは素晴らしい事です。
足のトレーニングも結構しっかりとやっています。スクワットなど足を地面に付けてのトレーニングは出来ませんが、レッグエクステンションやレッグカールやヒップアブダクションやヒップアダクションなどを行っています。自重でカールレイズなども出来るようになりました。怪我に気を付けて少しずつ足腰も前の状態に戻して行きたいと思っています。時間はかかるかも知れませんが、前以上に強くなりたいと思っています。
もう自分でフライングしてしまい、装具を着けずに生活していますが、今日で装具の高さがフラットになりました。これで2週間を過ごし、2週間後に装具を外し、そこから3ヶ月後からスポーツ復帰となります。ですが私は自分の身体としっかり相談して自分で決めたいと思っています。私の身体は私が1番よく知っているはずです。出来ないと思えばやりませんし、出来ると思えばやります。誰よりも自分の身体を動かして来たと自負していますし、自分の身体の限界もたくさん体験したので、自分の身体の限界は自分で把握していると思っています。怪我は時間をかければ放っておいても治ります。でもそれでは前より衰えた状態で治るだけです。私は自分の身体の機能を衰えさせずにそしてある意味では前以上の状態にしたいのです。そのためには限界ギリギリの所を攻めて怪我を治して早く回復させたいと思っています。もうびっこを引かずに歩くことも出来ていますので、10月半ばにはウォーキングを始めたいと思います。そして11月半ばに稽古復帰したいと思っています。来年の末か、再来年の春に試合に国際親善大会のマスターズに出場したいと思います。成せば成る、成さねばならぬ何事も、成さぬは人の成さぬなりけり、です。今日はとても嬉しい事がありました。私の担当医に「前より筋肉デカくなってますよね!足を使えないから上半身のトレーニングをたくさんやったのですか?」 と言われました。私はアクシデントで進化する人間です。自分の築き上げて来た物が壊れたら、もちろん私も凹みます。でももう一度作り直そうと決めたなら、必ず前よりは大きい物を作る事を目標として頑張ります。私は国際親善大会の組手乃マスターズで準決勝でした。型競技35歳以上の部も準優勝でした。セミコンタクトルール全国交流大会35歳以上の部も準優勝でした。全日本型競技35歳以上の部は優勝でしたが、国際大会ではありません。私がまだ手にしてない物は国際大会の優勝です。それを手にしたら、前以上になったと胸を張って言えると思います。
9月7日に受けた内視鏡的大腸ポリープ切除術で切除したポリープの病理組織検査の結果が出ました。ポリープは良性の物で悪性ではありませんでした。これで一安心です。もう何度もポリープが見つかっているので、医師からは必ず2年おきに検査を受けるように言われました。自分の命と身体を大切にするために2年おきに内視鏡検査を受けて行こうと思います。
昨日は、右足の装具を付けずに1日を過ごしたのですが、太腿と脹脛がパンパンになり、昨日はしっかり入浴をしてストレッチとマッサージをして根ましたが、今日は大筋肉痛です。でもとても嬉しいです。それだけ足に負荷をかける事が出来た証拠ですし、回復すれば足の筋肉も発達して行きます。そして筋肉痛になるほど歩けた事が嬉しいです。歩いただけで筋肉痛になるという事はずいぶん弱くなっているという事なので、地道に鍛えて行きたいと思います。早くミットを打ったり蹴ったり出来るようになりたいです。早く型を思いっきり出来るようになりたいです。早く組手が出来るようになりたいです。あと一息です。
今日でアキレス腱を断裂してから3ヶ月が経ちました。まだ医師の許可は出ていないどころか、16日に装具の高さがフラットな状態になるのですが、今日の朝の呼吸法とストレッチをしてみて、右の足首の柔軟性と筋力から、装具が無くても歩ける事を確信したので、両足にスニーカーを履いて外出しました。3ヶ月ぶりに代官山道場まで行き技術委員会に参加しました。歩くところからしっかりとリハビリを進めて行きたいと思います。ただ気を付けなくてはいけないのは、周りの人は健常者だと思って接してきますから、歩いている時や座っている時もぶつかられたりしないように気を付けなければいけません。3ヶ月、本当に長かったです。ここまで頑張って来て、再断裂したり、逆の足のアキレス腱を断裂したりしたら元の木阿弥になってしまうので、よくよく気を付けなくて行動したいと思います。
私は34歳で現役の選手を引退しました。15歳で巍桜流拳法を始めて、17歳で極真会館に入門して、22歳で全日本ウエイト制にデビューして、23歳で黒帯を取得して無差別の全日本にデビューして34歳までやったので、結構頑張ったと思います。考えれば反省は有るものの、最後の1年間はどんなに苦しくても稽古を休んだり、自分に負けたと思うような事はしなかったので、悔いはありません。引退した理由は、身体の疲れが全然取れずいつも倦怠感があり、毎日が苦しかったので、この1年を最後と決めて頑張ろう、そのかわりどんな結果が出たとしても悔いが残らないように1年を過ごそうと思ったからです。そして夢は叶いませんでしたが、その場では燃え尽きました。その時に思った事は、夢が叶わなかったからこそ、自分は絶対に幸せになろう!でした。その時に妻が私に連絡をして来てくれました。6月に引退して、8月に妻が連絡してくれて、2人で、ハワイアンズに遊びに行きました。この人ともし結婚出来たら、自分は幸せになれると思いました。この人ともし結婚出来たら、夢が叶わなかった事も全部ぶっ飛ばして自分は幸せになれると思いました。私は全力で頑張りました。自分の人生がかかった真剣勝負でした。妻と結婚できた時に、これは今まで頑張った自分への神様からのご褒美だと思いました。それから15年が経ちました。私は今もずっと幸せです。なのであの時に引退を決めた自分の判断はナイスだったと思っています。
私は城南支部に移籍した頃、同じ茶帯で手も足も出ないぐらいに勝てなかった先輩が2人いました。私とその先輩で黒帯昇段をかけて試合をする事になり、私は勝ちました。その先輩をいつか倒したいと稽古に勵んでいて、試合で勝ったのでとても嬉しかったのですが、その試合の打ち上げて私はその先輩にどう接して良いか少し迷っていましたし困っていました。そして打上げという名の飲み会が始まりました。その先輩が私の隣にズカッと座り、私の肩を組んで「菅野、今日の試合ありがとな!お前強くなったな!」と言ってくれました。その先輩と肩を組んでもらい、ずっと一緒に飲みながら話しました。私はその時にその先輩を本当に格好良いと思いましたし尊敬しました。潔く負けを認めても決して卑屈にならずに、先輩はどこまで行っても先輩だと言う姿勢を見せてくれました。私は今でもその先輩を尊敬しています。それが極真空手の良さです。
東日本空手道選手権大会が墨田区体育館で行われました。私が運営する東京城南京浜支部からは12名が出場しました。みんな一生懸命に戦っていました。大山倍達総裁は勝負偏重主義と言われていました。勝負する事や挑戦する事を大切にし、勝つ事から学び、負ける事から学ぶ、そして自分を成長させて行く。それが武道と言う物で極真空手をやることで学ばなければ行けないものだと思います。
毎日の呼吸法とトレーニングと稽古をするなかでたくさんの気付きがあります。それは自分の心に対する気付きであったり、自分の身体に対する気付きであったり、自分の考えに対する気付きであったり、自分の技に対する気付きであったりします。その気付きを次の日に繋げて行きます。そうやって自分を成長させて前に進めて行くのが武道という物だと思います。自分を成長させる、自分を前に進める、自分を良くして行く、自分をかっこ良くして行く、私はそう思って稽古に励んでいます。自分が思う自分、自分がなりたい自分、自分が格好良いと思う自分にする事が出来ます。私の中にある格好良い自分は、かなり格好良いです。その自分が思う自分に必ずなって見せます。
長男と次男が生まれた事で、私は遺伝子というか命を次の世代に繋げる事が出来ました。あとは自分が頑張って来た事や自分が作り上げて来た事を次の世代に繋げたいと思っています。生きている間は修行は続けますが、残り15年かけて1つの物を作り上げて、それを残して行きたいと思います。あとは自分の修行を続けつつ余生を楽しみたいと思っています。そう考えると残っている時間はそんなに長くはありません。その時間を精一杯頑張れるよう、アキレス腱が良くなったら、股関節の検査をしようと思ってます。必要なら手術も考えています。これ以上、だましだましやっていてもどんどん身体は悪くなって行ってしまうので、この機会にしっかり身体を治そうと思います。
本日、日帰り手術「内視鏡的大腸ポリープ切除術」を受けました。切除したポリープは病理組織検査をしてもらい1週間後に結果が出ます。私は16歳の時に胃潰瘍が酷くなり吐血した事があります。その後も胃潰瘍には何度もなりましたが30過ぎに胃潰瘍が酷くなった時にピロリ菌除去をし、それから胃潰瘍にはならなくなりました。大腸には8年前ぐらいにもポリープが出来ていました。私の父の家系は胃や大腸の癌で亡くなっている方がたくさんいるので、そこは気を付けて検査をするようにしています。死ぬ時は死ぬんだし、それはいつも覚悟して生きているつもりですが、ズボラな事をしていて死んだのでは、妻や子供達に申し訳ないですし、子供達が成人するまでは元気でいなければならない責任もあります。だから長生きできるよう最善は尽くしたいと思います。でも常に明日死んでも悔いのないように生活して行きたいと思います。
私は子供の教育に関しては妻に任せています。何故かと言うと私と妻は子供の教育に関して意見が食い違った事はありません。2人で子供の教育について深く語り合った事もないのですが、子供の教育の事について意見を出し合うと、だいたいお互い同じ意見です。なので深く話し合いになった事はありません。全て妻に任せるようにしています。それに子供達は私により妻にいろいろ話しているようですし、後で妻からこんな事があってこうしたと話を聞いても、それはこうした方が良かったのになと思った事もありません。それに私は妻より子供達と接する時間も少ないので、途中経過を知らないで、ああだこうだ意見を言っても良くないと思いますし、妻を信頼しているので、全権を任せて、私はそれに協力するという立場でいようと思っています。それで菅野家はうまく回っているので、妻には本当に感謝しています。そのおかげで子供達にあまりうざがられずに懐かれて良い父親でいられるので、妻には本当に感謝しています。
最近、家に生き物が増えています。長男と次男がサマーフェスティバルで金魚すくいをして、金魚を4匹持って帰って来ました。水槽をキレイにするためにドジョウを買おうという事になり、ドジョウを探していたら、次男の友達にドジョウを持っている子がいて、その子にドジョウをもらいに行った次男は、アメリカのドジョウとウーパールーパーを友達に貰って帰って来ました。長男も次男も喜んでいるようですし、妻が意外に気に入っているようで、金魚をよく見ているようです。
長男のギターのLIVEに行きました。長男は友達とTIGER&DRAGONと言うバンドを組んでLIVEに参加しました。長男はなかなか肝がすわっていて度胸があります。LIVEのリハーサルの30分前まで次男と兄弟ケンカをしていたので、緊張は全くしていないようです。本当に自然体で楽しんでいるように見えました。もしかしたらこういう人が?と少し思いました。TIGER&DRAGONでLIVEに参加するのは2回目ですが、前の時よりさらに成長していました。長男の相方の友達は、将来は長男とプロを目指す、と言っていました。2人に緊張した?と聞いたら「緊張しなかった!緊張するのは埼玉スーパーアリーナで演奏する時だ!」と言っていました。たった1度の人生だから青春をかけて一生懸命に頑張って楽しんで欲しいと思います。私は長男の夢に乗っかる気は全然ありません。長男を追っかけて応援している暇は私にはないので、私は私で自分の夢を追いかけ続けます。でも出来る限りの応援はしたいと思います。私は長男が埼玉スーパーアリーナで演奏しようがしまいが、どちらでも良いです。本当に好きで一生懸命に頑張って人生を楽しんでくれたらそれで良いです。今日の長男は本当にカッコ良かったです!一生懸命に頑張っている姿に心を打たれましたし、ステージに立って演奏している長男を観て、長男は自分が本当にやりたい事と自分の本当に楽しめる居場所を見つけたのだなと思いました。それがとても嬉しかったです。初心と忘れる事なく情熱と言う魂と命を爆発させて心の火を燃やし続けて欲しいと思います。
人生を振り返れば全て良い思い出です。もちろんそうなるように頑張って来たのだけれど、過ぎてしまえば、どんな出来事も良い思い出になります。恥を書いた事も笑い話になります。だから私は子供達に「失敗だって恥をかいた事だって、頑張って生きて行けば必ず良い思い出になったり、笑い話のネタになるよ」と話しています。自分が失敗した出来事を成功に繋げてそのエピソードの最後をハッピーエンドにしてあげたり、自分が恥をかいた出来事をいつか笑い話に出来る自分になって、人をその話で笑わせた時にその恥をかいた出来事は成仏出来ると思います。だから私は失敗したりアクシデントがあったりすると、ヨシッこれを乗り越えたらまた一つ話のネタが出来たぜ!と思ってしまいます。なので失敗やアクシデントなんてどんと来いだし、どんどん来い、と思います。人生の最後だってたぶん病気になったり事故にあったりと言うアクシデントの中で死んで行くんだと思います。その時にもどんと来いと言えるよう自分を成長させて行きたいと思います。
私を支えている物は情熱です。強くなりたいという情熱です。極真空手が大好きだという情熱です。極真空手を始めた頃や試合に出ていた頃とその情熱の量は何も変わっていません。たぶん生きている間にこの情熱が冷める事はないだろうと思います。この情熱のおかげで挫折や逆境を乗り越えて来る事が出来ました。そして強くなりたいからトレーニングや稽古を欠かさずやっています。情熱は自分の魂と言うか命のエネルギーから出るものだと思っています。魂や命は自分の中で常に爆発を起こし燃えています。その自分の中で爆発して燃えたぎるエネルギーが情熱となります。そしてその情熱と言うエネルギーを自分の好きな物のために一生懸命に真剣に働かせれば良いと思います。私は十代の頃、この自分の中にある魂と命のエネルギーを何に使って良いのか?が分からずに間違ったエネルギーの使い方をしてしまっていました。今は自分が正しいと思う事のために、自分が本当にやりたいと思う事のためにエネルギーを使えていると思っています。だから私の長男と次男にも自分の好きな事を見つけて欲しいと思います。せっかくこの世の中に生まれて来る事が出来たのだから、自分の中にある魂と命の爆発と燃えたぎるエネルギーを自分が本当にやりたい事のために使って、一生懸命に真剣に生きて行って欲しいと思います。
完全復活に向けて着々と頑張っています。装具なしで足を揃えて立てるようになり、びっこを引く感じではありますが、装具なしで歩けるようなり、正座を出来るようになり、装具なしで立って基本稽古の手技全部を30本ずつ出来るようになりました。ここからはどんどん良くなって行くと思います。今、自分がやれる事とやらなければいけない事をしっかりやって行きたいと思います。最近の私のブームはVAUNDYの曲を聴く事です。聴く曲、聴く曲、全部カッコイイです!残念なのは歌が上手すぎて、カラオケで歌えそうにないです。いつかLIVEも行きたいと思いました。特に好きなのは「怪獣の花唄」「不可抗力」「恋風邪にのせて」「napori」「踊り子」「走馬灯」「融解sink」「life hack」「benefits」です。
kanno
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