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今日で2020年も半分が終わってしまった。その3分の2はコロナ禍の中であっという間に過ぎてしまった感じです。でもその中でしっかりと意味のある毎日を過ごして来たという自負はあります。やっと社会が日常に戻りつつあります。明日から7月が始まります。シャキっとビシッと新たな半年をスタートさせたいと思います。頑張ります!
「今日は死ぬのにもってこいの日だ」という詩があります。それはインディアンの言葉で、本当に心の中に悟りを開いてそのような心持になった素晴らしい言葉だと思います。私も死ぬ時にそうなっていたら良いなと思います。ですが私はそうはなれないような気がします。それどころか、自分がこの世からいなくなる最悪の日なのに、そんなふうに思えるわけないだろ!ってのが本音です。ですがその努力をある時からするようになりました。おそらく現役の最後の1年ぐらいと時だったと思います。雨が降っていて身体が重くて、走るのが辛い日も「今日は走るのにもってこいの日だ、今日この悪天候で体調の悪い日に走れば心が強くなる!今日は走るのにもってこいの日だ。」と思うようにして頑張っています。たぶん死ぬ時も、苦しいし辛いし悲しいと思います。でも毎日、苦しい事や辛い事や悲しい事が起きた時に、今日は〜するのにもってこいの日だ。と頑張って生きて行けば、この世から去る時が来ても「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と毅然とそこに臨む事が出来るのでは?と思っています。それを子供達にも話しています。雨の日に走るのも、辛い日に走るのも、苦しい日に走るのも、男の修行だ!死ぬ時に「今日は死ぬのにもってこいの日だ」と言って毅然とこの世をされるように、やりたくない事をやりたくない時に頑張るんだよ!と話しています。この世で最もやりたくない事を、おそらくもっともやりたくない時にやらなければならない日が人生最後の日になるのだと思います。その日を毅然と迎える事がこの世での人生最後の修行です。正しく「生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすること。」です。私もその男の修行の途中にいます。今日もしっかり男の修行をしました。
私の運営する道場の昇級審査会と支部内交流試合がありました。新型コロナウィルスの感染防止のため緊急事態宣言が発令され道場の稽古がお休みになるなど、いろいろな事がありましたが、半年ぶりの昇級審査会と支部内交流試合を開催する事が出来ました。審査会、試合に参加した道場生、ご父兄様には本当に感謝しております。今回も生徒達の成長をたくさん見る事が出来た審査会、試合となりました。私は最近は審査会や試合では、あまり深くは話をしないようにしています。私も歳をとったのかとても涙もろくなり、感情の入った話をすると涙が止まらなくなってしまいます。なので個人的な話はその道場生その道場生、一人一人にあとで話すようにしています。話す事は個人個人に話す時は、私はぶっきらぼうに「お前、本当によく頑張ったな!あの時に空手を止めずに続けて良かったろ!応援してくれたお母さんに感謝しろよ!」と言った感じで話します。この内容も丁寧に話すと涙が出てしまうのです。今回もたくさん涙が出そうな場面がありました。これからもさらに頑張って行こうと思います。あと数年でとても素晴らしい選手が生まれると思います。
緊急事態宣言が解除されて1ヶ月が経ちました。やっと生活のリズムが安定して来たように思います。とはいえ新型コロナウィルスの感染者が無くなってるわけではないので、新型コロナウィルスの感染防止をしっかりしていかなければならないと思います。でも菅野家では、みんなうがい手洗いが定着し、どこかから帰って来たら何も言わなくてもうがい手洗いを自然にしています。そのためか誰も風邪をひいたりしていません。新型コロナウィルスの感染が収束したとしても、新しい生活様式としてうがい手洗いを行う事はとても良いと思います。来週からもう7月です。あっという間に半年が過ぎてしまいました。本当なら東京オリンピックで日本中が、世界中がワクワクしていたのになと思いますが、日本という国は国難に強い国だと思うので、一人一人がやるべき事をしっかりやって行けば、前以上の形に立て直せると思います。
私は息子達に対して、道場にいる時と家にいる時とを分けるようにしています。それは道場では厳しくするので、家ではあまり私の存在が息子達を窮屈にしてはいけないと思うからです。家ではそれなりに気を許せるリラックス出来る場であって欲しいと思っています。なので家ではほぼ私は子供達を叱る事はありません。でも叱る時はビシッと叱ります。それは、ゆるく叱るのはお互いにとって良くないと思うからです。それは良くない事だ。その度合いを伝えるのは自分がどれほど怒っているか?の度合いで子供もそれがどのぐらい良くない事なのか?を知ると思います。なので忘れ物をしたのと、何かをこぼしたのと、嘘をついたのを同じように怒るのは、子供にとって良くないと思います。それと「〜ちゃん、ダメよ」的に叱っても、その子の心にダメージがないので、それを本当に良くない事とは思わず同じ事を繰り返してしまうと思います。なので叱る時にはしっかりと叱る、言葉では足りないのならば、やはり叩くという事も大切だと思います。ただその叩くも心にダメージを与えるためで、あまりに身体にダメージを与えてはいけません。それをするとどんなに悪いと思っても恨みが残りますし、その子は必ずその恨みを、いつか誰かに同じ事をするという形ではらしてしまうと思います。あとは本当の躾は他人にしてもらうものなのかな?と思います。親が躾るのはあくまで基礎的な事で、本当に本当の躾は他人と言うか社会の中でされていくのだと思います。なので褒めて伸ばすとか、体罰禁止とか、パワハラだとか、があまりうるさくなると子供達の本当の躾がされないまま大人になってしまう気がししてなりません。これは私に関してですが、極真空手の世界で躾をしてもらって本当に良かったと思っています。あの20歳ぐらいの時に、自分より圧倒的に強い、圧倒的に怖い、圧倒的にカッコイイ人達に、バシッと教育して頂いた事で、キチッと礼儀や挨拶や気遣いなどの物事が出来るようになりました。最後に1つ、これは生徒に対して叱る時も、私の信条なのですが、バシッと叱ったらそれで終わりにします。ネチネチ言ったり、その日はその子にあまり話しかけない的なことは絶対にしません。そのためにも自分もそれで終わりに出来るようにバシッと叱った方が良いと思います。逆にバシッと叱ったら、もう切り替えていつものように接してあげれば良いのです。ただ叱ったあとに変にご機嫌をとるように気遣うのも良くないと思います。その子が本当に良くなった時には思いっきり褒めてあげるのはとても大切です。
私は神様を信じていますし大切にしていますが、あり時から神頼みは止めました。それは自分の叶えたい事や、達成したい事は自分で努力をするしかないと思ったからです。特に困った時には、絶対に神頼みはしません。神様にお願いするという事は、自分で何とかしようと言う気持ちがないという事になりますし、神様にお願いする時間があるなら、その事を何とかしようと考えるか、行動を起こした方が良いと思うからです。ですがその後1度だけ自分の事で、神頼みをした事があります。それは妻に告白をする時でした。もちろん私は妻に告白するまでに、精一杯の努力もしたつもりです。ですがこれだけは自分だけの力ではどうにもならない、そんな気がしました。だから神様やご先祖様にお願いをして、妻に告白をしました。私は、もう一生分の運をあそこで使い果たしたと思います。でも私はそれで満足しています。もう私自身の事で神様やご先祖様にお願いしてまで欲しい物はこの世にはありません。今後、神頼みする事があるとしたら、それは妻や息子達のための事だと思います。
長男と次男の七夕の短冊を雑色商店街のコミュニティーセンターで見つけました。長男は「自衛隊になる。偉大なる菅野琥白」と書いていました。長男はその短冊を書く時に「自衛隊になりたい、では夢は叶わないから、自衛隊になる、と書くんだ。」と言っていたそうです。多分それは私の教えた事だと思いますが、長男は私の話を聴いていないようで、意外にしっかり聴いていて、しかもしっかりと覚えている事に驚きでした。でも「偉大なる菅野琥白」には笑ってしまいました。夢を叶えて偉大なる男になってくれ。次男は「ウルトラマンになりたい。ましろ」と書いてありました。とても可愛く思いました。どんな夢でも、どんな目標でも良いから、その夢や目標目指して人生を賭けて突っ走って欲しいと思います。叶うか?叶わないか?成れるか?成れないか?なんて問題ではありません。その夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った日々が、夢や目標を一生懸命に目指して突っ走った、その道程が自分を作り、仲間を作り、思い出を作り、自分の財産を作るのだと思います。頑張って欲しいと思います。
次男の真白は「〜ガギガゴン」「〜グラッシア」「〜アハー」とよく言います。意味は分かりません。「それどういう意味なの?」と私が聴いても答えてはくれません。とても不思議です。何故が次男がそれを言うと長男は爆笑しています。なんかおいてかれてる感を感じます。長男も次男も登校で家を出る時間が8時になったので、朝起きる時間が6時30分になりました。次男はまだ生活リズムが慣れず眠いせいでとても不機嫌に準備体操をしていました。長男は次男に「頑張って走らないとウルトラマンになれないぞ!」と言って諭していました。ここのところずっと雨ですが、2人とも本当に頑張っています。夜の腕立て伏せも頑張って続けているようです。
昨日は疲れのたので7時半には寝てしまいました。絶対に筋肉痛になると思い、長めにお風呂に入って筋肉をほぐしてのですが、朝起きたらやはりお尻の筋肉がパンパンになっていたのと膝が痛くなっていました。でも筋トレのおかげか太腿な脹脛は全然筋肉痛になりませんでした。今日は生憎の雨でしたが、やはりこう言う悪条件こそ人間が強くなる最高の稽古だと思い、子供達と3人で雨の中を1.6キロランニングしました。朝の稽古もしっかり行いました。空手道の稽古の素晴らしい所は毎日の稽古に、毎回の稽古に気付きがあり、学びがあり、新しい発見があります。空手道をスポーツとして行うのならば、試合や組手などで勝ち負けを競うだけならば、パフォーマンスの向上だけならば、フィジカルの向上だけならば、30歳ぐらいが最高潮でしょう。しかし空手道を道として捉えるならば、稽古を行う事で、自分の心や身体の変化に気付いたり、自分の身体をより上手く動かす事を学べたり、心のコントロールを学べたり、自分の生き方を見直したり、自分の生活を改善するキッカケとなったりします。だから空手道は素晴らしいし、空手道の稽古は何歳になっても楽しいのです。ただそこには真摯な気持ちと謙虚な気持ちと素直な気持ちが必要です。その3つがなければ学びを得る事は出来ないので、稽古もつまらなくなってしまいます。
今日は私の運営する道場の通い合宿2日目でした。あいにくの雨で生徒達もご父兄様も道場に来るのが大変だったと思います。昔の私なら雨が降っている事でスケジュールをどうしようか?とあたふたしたと思いますが、私も道場を運営して18年になり、今までの経験から、いろんな引き出しを持ち、どんな場面にも対応する事が出来るようになりました。午前の稽古は、普段の稽古ではやらない、いろんな柔軟体操と前回の型の復習と細かい部分の見直しをしてから、観空をやりました。午後の稽古は池上本門寺へランニングし、階段ダッシュを幼稚園生5本、低学年7本、それ以上の人は10本、休みなくマラソン形式で行いました。私も生徒達と同じ苦しさを味わうため、一緒にランニングし階段ダッシュも10本行いました。そしてケロッとした顔をして、「苦しい顔をするな!こんなの先生が現役時代はウォーミングアップだよ!この後に全力の階段ダッシュしたもんだよ」と話しました。今回の稽古で、途中歩いてしまう人、苦しい顔をする人、膝に手をつく人、帰りの下りで手すりに寄りかかって歩く人がいました。どんなに苦しい稽古でも、苦しい顔をしてやるならば誰にでも出来ます。しかし苦しい顔をしないでこのメニューをこなす事に意味があるのです。苦しい顔をするのは自分の心が苦しい事に負けているからです。自分の弱さに負けながらイヤイヤ稽古しても何も身につきません。ビリでもなんでも良いから、最後まで自分の苦しさや弱さに負けず顔色を変えないで稽古をしたらこれは凄く良い稽古になります。そして苦しい顔をしても苦しさは無くなりませんし、苦しい顔をしたり苦しい声を出したり弱音を吐けば、余計苦しさは増すばかりです。そして一事が万事で、肉体の苦しさに弱い人は、貧乏や人間関係や社会での出来事などでも、苦しい事があると、すぐ顔に出したり、弱音を吐いたり、人の悪口や、社会や会社への不満を口にする人間になってしまいます。そんな話を生徒達にするためにも、生徒達と同じメニューをツラっとした顔でやって見せました。その事もあり足腰がガタガタになって膝が痛いです。でも自分のためにもやって良かったです。今日は最高に美味しいビールが飲めました。とても疲れたので7時半には寝てしまいました。
私は小学校1年生までは、身体が弱く病気ばかりしている子でした。その頃までは何度も入院をしていました。私が入院したり、体調を崩して寝込むと、私の両親は、私を元気付けるために、好きなおもちゃを買ってくれました。私が覚えているのは、入院している時に、夜に仕事の現場から父が超合金を買って駆けつけてくれました。私は具合が悪いのもあったと思いますが、機嫌が悪く「欲しかったのは、その超合金じゃない」と言うと、父はその超合金とは別に、私の欲しいマジンガーZの超合金を買って来てくれました。今思い出してみると父が最初に買って来てくれた超合金は五体のロボットが合体して完成形のロボットになる、とても高価な超合金でした。そう考えると自分はとても大切に育てて頂いたのだなと思います。私は親の期待に応えるどころか、長男なのに親の後も継がず、親の期待をすべて裏切り、多大な迷惑をかけて生きて来た人間でした。そのようにまでして育てて頂き、今もこうしてなに不自由なく生きさせて頂いているのだから、少しぐらいは人の役に立つような生き方をしなければならないと思います。
国際空手道連盟極真会館は、2015年に開催された第11回全世界空手道選手権大会で今まで使われていた、極真会館のロゴマークや試合場の舞台を変えました。また2016年には、IKOフルコンタクトルールの改定と共に、従来の支部長スーツや審判服を一新して全世界の支部長のスーツや審判服を統一しました。そして2018年にはIKOセミコンタクトルールの大会を開催し、2019年から型の改定に取り組んでいます。1994年に大山倍達総裁が逝去されてから、極真空手を名乗る団体も多数出来て、フルコンタクト空手の組織も乱立しています。私達、国際空手道連盟極真会館のこの数年の取り組みで、良い意味で他の極真空手を名乗る団体や他のフルコンタクト空手の団体と大きく差別化を図る事が出来たと思っています。そしてこの改革を行った松井章奎館長を凄いと思います。後の世の極真会館の人達がこの数年を見た時に、恐らく国際空手道連盟極真会館のこの何年間の活動は、極真空手史の新たな時代を創ったエポックメイキングな出来事として歴史に残るのでは?と思っています。私も2016年の支部長スーツと審判服を一新し、ルール改定を行ってから初の無差別の全日本大会である第48回全日本空手道選手権大会と、ルール改訂後初の無差別の世界大会である第12回全世界空手道選手大会の第1試合の主審を務めさせて頂きました。また昨年からは型の改定を行なう技術委員会にも選んで頂き、型の改定に尽力させて頂いております。革新的な瞬間に立てた事をとても光栄に思いますし、革新的な取り組みに尽力出来ている事をとても光栄に思っています。この3ヶ月半、世の中が滞っていましたが、ついにと言うか?やっとと言うか?という感じですが、本格的に世の中が動き出して来ました。私もこの3ヶ月半しっかりと力も知識も蓄えて来ました。この時を待ちに待って来ました。この力と知識をしっかり発揮して行きたいと思います。
考えて見ると、昨年末から今年は本当に良く稽古をしているなと思います。昨年末から今年始めも日曜日も休まずに毎日稽古していました。4月、5月は緊急事態宣言が発令され休業要請もあり、道場の稽古は出来ませんでしたが、約2ヶ月間日曜日も休まずに稽古していました。今月も日曜日はほぼお休みはありません。8月はお盆休みを返上して道場の運営をしたいと思っています。やはり私はピンチに強いと思います。何かが起きた時にこそヤル気が湧いて来ます。この勢いを止める事なく活動して行きたいと思います。
ここのところ少し膝とアキレス腱の調子が悪く、それを妻に話したら、妻は私を心配して、子供達と走るのは止めて自転車で着いて行ったら良いのではないかと言われました。でもやはり私はどんなに悪い所があっても出来る限り子供達と走りたいと思い、今日も一緒に走りました。それは何故か?朝早起きして走ろうと提案をしたのは私ですし、今は子供達も自分の意志で走っているとは言えども、少しは私の期待に応えようと頑張っている所もあるのではないか?と思いますし、私が言い出した以上は、私も子供達の苦しさや辛さを、少しでも一緒に感じてあげたいと思いますし、一緒に走る事で、その日の暑さなどを私も感じる事で、子供達の状況を察知して、あまりの無理を子供達に強いる事を防げると思います。子供達が大人になった時、私と一緒に走った事を思い出し、自分に子供が出来たら、子供と一緒に走ってあげる事が出来る父親になって欲しいなと思います。
今までの人生で、いつが自分にとって幸せか?私は断然、今が1番幸せです。このままずっとこの時間が続いて欲しいと思うほど、今が私の人生のなかで1番幸せです。毎日、自分の前に好きな人がいてくれて、可愛い子供達もいて、一緒に走ったり、ご飯を食べたり、お風呂に入ったり、そんな日常に凄く幸せを感じます。生まれて来て本当に良かったと思います。今まで生きて来て本当に良かったなと思います。少し前に子供達と朝、走っている時に、ふと「後何年、こうやってこの子達と一緒に走れるのかな?」と思ったら、今という瞬間を本当に大切に感じました。また今という瞬間は永遠には続かないと言う儚さも感じました。今、自分の前にある幸せを一生懸命大切にして生きたいと思います。私は前へ前へ進んで生きて行きたいと思って生きて来ましたが、今はこの時間がずっと続いて欲しいと思います。こんなふうに感じたのは、たぶん私の人生で初めての事だと思います。
最初朝の5時に目を覚ましましたが身体がダルく、もう少し寝ればと思い目を瞑り、また6時に目を覚ましましたが、やはりダルく、また目を瞑り、7時に朝起きた時にも身体が本当にダルくて眠くて、起きるのが本当に辛かったのですが、子供達は昨日の通い合宿で筋肉痛と疲れでもっと辛いと思うし、今日頑張って走る事は、子供達にとって凄く大切な事だと思いますし、それを教えられるのは自分しかいないと思い、頑張って朝のランニングだけ頑張ろうと起きて、子供達をハイテンションで起こし、頑張って一緒に走りました。子供達はやはり大筋肉痛らしく、重そうに走っていました。でも2人とも頑張っていました。帰りのランニングで次男は脇腹が痛くなったので少しだけ、皆んなで歩きました。最後は頑張って走りました。私も凄く身体が重く次男と同じペースで丁度良い感じで一緒に走りました。帰宅して朝食を済ませた後も身体は重く、少し横になり、朝の稽古に行こうか?凄く迷いましたが、今日は月曜日で15日なので、鷲神社参拝と神棚の掃除と榊などを変える日なので頑張って稽古に行きました。そしたら驚きで稽古をしたら、何故か身体が軽くなり、稽古の後にウエイトトレーニングも行いました。その後、鷲神社参拝と神棚の掃除や道場の掃除や事務仕事までして、指導も元気一杯に出来ました。自分の限界のリミッターを超えると、自分を超えた力が湧いてくるのかも知れません。朝は痛かった腰と膝の調子も何故かとても良くなりました。もし自分のためだけなら私は今日の稽古をサボっていたかも知れません。子供達がいたから私は頑張る事が出来ました。子供達のおかげで頑張れました!私もまた1つ強くなりました。
私の運営する極真会館東京城南京浜支部の通い合宿でした。今回はコロナ禍という事もあり、何時もはゴールデンウィークに行っていたのを日曜日を2週にわたり、この梅雨の時期に行う事になりました。数日前から雨マークだったので、天候をとても気にしていましたが、なんとかランニングを行う事が出来ました。この大変ななか通い合宿に来てくれた生徒とご父兄様には本当に感謝しております。来週も頑張って良い稽古を行いたいと思います。
「鬼滅の刃」にはまりました。7巻から20巻まで一気に読んでしまいました。人間の持っている強さ、弱さ、優しさ、悪さ、明るさ、暗さ、などが描かれています。また人間の危うさも描かれています。考え方や環境や出会いの少しの違いで人間は正義にも悪にもなってしまうという事が描かれています。作品に優しさと救いがあるので、私はとても好きです。
昨日の日記で「挫折をする」と言う事を書きましたが、私は挫折をする事が良い事だと言っている訳ではありません。初めから諦めろと言っている訳でもなく、初めから譲歩しろと言っている訳でもなく、初めから折り合いをつけろと言っている訳でもなく、初めから調和しろと言っている訳でもありません。人間は先ず自分の可能性を信じて自分のなりたい物や夢や目標を思い描いて、そのなりたい物や夢や目標の為に自分や他人や、この世にあるあらゆる物を犠牲にしてでも、その道を真っしぐらに突き進むべきだと思います。しかし自分には持って生まれた個性や才能や環境があります。なのでほとんどの人が何処かで、自分をよく理解し自分の立ち位置というものを決めて行かなければいけません。それが出来ないと、大きな失敗をしたり、一人ぼっちになってしまったり、人から必要とされなくなったり、人に害を与える自分勝手な人間になってしまいます。この世で自分の持っている力やキャラクターを理解し、自分を社会の中で調和させる事が出来れば、必ずその人は、人から好かれ、人から必要とされ、人の役に立ち、人と楽しく、自分の人生を歩んで行く事が出来ます。
「挫折をする」という事は、場合や考え方によっては悪い事ではないのではないか?と思います。最初から努力をしなかったとか、自分に甘く努力が足りなかったとか、中途半端なところで諦めたのならば、それは良くないと思います。しかし世の中、努力をしたら夢が叶うか?目標を達成出来るかと言ったら、そうではないと思いますし、どんなに努力しても上手く行かない事も、どんなに頑張ったってどうにもならない事も、残念ながらこの世にはたくさんあります。例えば人の10倍努力をしたけど失敗してしまった。例えばその目標には期限のあるもので諦めざるをえなかった。例えば好きな人に、自分の良い所を見せるために精一杯、いろんな事を頑張って、万全を期して告白したが振られてしまった。という事を誰でも経験して行くのではないか?と思います。そのような事が起きた時に、どう挫折をするかがとても大切だと思います。その事に対して、どう諦めるか?どう折り合いをつけるか?どう自分を納得させるか?どう譲歩するか?そしてその挫折をどう次の自分の力にして行くか?どう次の一歩を踏み出して行くか?挫折を自分の中でどう消化して、どう自分の中で調和させて行くか?がとても大切だと思います。そんな事をしっかり学んで行けるのならば「挫折をする」と言う事もそんなに悪い事ではないのではないか?と思います。
「強くなりたい」という目標を持ち、努力してその目標を達成するまでの道程は、必ず人間を成長させてくれます。例えば強くなりたいと思ったキッカケや、強くなったら何をしたいか?という目的が、初めは自分を苛めた人へ仕返しをしてやろうという事だったとします。しかし、その強さを手に入れるまでの期間に、苦労をしたり、人から教えを受けたり、人の協力があったり、さまざまな事を経験します。そうしていく中で人は成長し、強くなって自分がどう成りたいか?強くなって自分が何をしたいか?の目的も変わってきます。だから私は目標を達成するまでの道程がとても大切だと思います。その道程が人を作ってくれます。そしてその道程の中で学んだ事や得た物が、自分の人生の財産になります。だから大きな夢や目標を持つ事はとても良い事です。目標を達成するまでの時間が長ければ長いほど良いと思います。目標を達成するまでに苦労すれば苦労するだけ良いと思います。私は息子達の人生がそうあってくれたら良いなと思います。
今日は、腰と膝の調子が悪かったのですが、私が休んでしまっては、子供達も休んでしまうと思い、頑張って朝のランニングとダッシュを行いました。子供達だって眠いのに、ダルいのに、辛いのに頑張って来たのだから、私も頑張っている背中を子供達に見せなくては、と思い頑張りました。
長男と次男は学校が始まりましたが、頑張って朝のトレーニングを続けています。私もさらに早く起きなくてはならなくなり、なかなか大変ですが、いつか子供達が親離れして、私と妻から巣立って行った時に、子供達との生活を振り返り悔いを残すような事がないように頑張りたいと思います。考えてみれば本当は長男が1年生になる時に、私は長男と朝のトレーニングをする為に朝の仕事を辞めたのです。ですがズルズルとそれをせずに3年も過ぎてしまいました。緊急事態宣言が発令され学校も私の仕事も休みになった事で、それが出来るようになりました。大変な事や悲しい事も多い社会情勢ですが、私にとっては悪い事ばかりではありませんでした。
先週は1日がとても長く感じましたし、1週間もとても長く感じました。今日は日曜日という事もあり、63日ぶりに全く稽古をしない、お休みの日にしました。そして3ヶ月ぶりに身体の治療に行きました。しっかり身体の治療をし、しっかりと栄養を取り、しっかり休んだので、明日からはまた全力で頑張って行きたいと思います。
極真空手を始めた事は、自分の人生で本当に幸運な事でした。極真空手を始めたおかげで、たくさんの素晴らしい体験をする事が出来ました。たくさんの先生方に教えを頂き正しい道に導いて頂きました。たくさんカッコイイ先輩に背中を見せて頂き引っ張って頂きました。先輩方と一緒にお酒を飲んだり食事をした時間も私の大きな財産です。その時間に男の生き方を教えて頂いたように思います。この財産を誰かに渡して行かなければと思います。
気が付けば、ずいぶん長い間ギックリ腰になっていません。何時からかはハッキリとは分かりませんが、確実に今年はまだギックリ腰になっていません。ここ数年悪かった膝と肩もだいぶ良くなりました。そのおかげでウエイトトレーニングをしっかり行えるようになりました。と言うかウエイトトレーニングをしているから調子が良くなったような気がしています。毎週通っていた針治療も3月から行っていませんでした。気を抜くと怪我をしてしまうので、気は抜けませんが、しっかり体を鍛えてカッコイイ50歳を目指したいと思います。
通常通りの毎日が始まり4日目ですが、1日がとても長く感じます。身体がまだ今の生活にチェンジ出来ていないので、1日のペースをつかめていないせいだと思います。休み中、結構自分に厳しく規則正しい生活をしていたはずなのに、夜の指導が入り寝る時間も遅くなるので、1日がとても長く感じるのかもしれません。でも緊急事態宣言が出るまではもう十数年間同じ毎日を当たり前に過ごして来たはずなのです。1日のペースと1週間のペースをつかんで通常通りの自分になるには、もう少し時間がかかりそうです。私でこれなのだから、子供達はもっとしんどいのだろうと思います。
前にもこの菅野日記で書いたと思いますが「腐っても鯛」という言葉が私は好きです。「優れているものは、状態が落ちたとしてもその価値を失わない」という意味ですが、私はこの言葉を「自分が、どんな敗北を味わおうと、どんな失敗をしようと、どんな挫折をしようと、最後まで鯛としての誇りを失わず、最後まで鯛として格好付けて、鯛らしく振舞おう」と言う感じです捉えていました。この言葉のように振る舞った武将がいます。それは関ヶ原の戦いで西軍の将として、東軍の徳川家康に戦いを挑み、敗北をした石田三成です。石田三成は関ヶ原の戦いで敗れたあと、生き延びて機会を伺い、もう一度家康討滅の再起を図るため落ちのびます。石田三成は自分をかくまってくれた人の義に応えようと自分を訴えさせました。徳川家康は石田三成の捜索に手をつくしていました。捜索隊は、もし一村がかりで捕らえた場合、その村の年貢を永久に免ずる、捕らえられず打ち果たした場合は、その者に黄金百枚、逆にかくまった場合、その物だけでなく、家族親族および一村を処刑するというとても厳しいものでした。石田三成は自分をかくまってくれた者の義に、義で応えるため、そして自分の起こした関ヶ原の戦いは、利のためではなく、義によって起こしたことを最後まで証明しようとしたのだと思います。最後まで自分の意義を失わない行動をしたのだと思います。そして石田三成は、処刑の前も喉が渇き「湯はないか」と護送役に言ったところ「湯はない、干柿ならある、かわりにこれを食されよ」とぞんざいに檻の中に投げられると「柿は誕の毒だ」と食べませんでした。今から処刑されて死ぬ人間が痰の養生をしても詮がないではないかと大声であざ笑われると、石田三成は「大丈夫たる者が、義のため老賊を討とうとした。しかし事志とちがい、檻輿のなかにある。が、一世の事は小智ではわからぬ。いまのいま、どのような事態がおこるか、天のみが知るであろう。さればこそ眼前に刑死をひかえているとはいえ、生を養い、毒を厭うのである」と言いました。これには獄使も沈黙し、群衆も一時息をひそめるように押し黙ったそうです。私はまさしく石田三成は自ら起こした義による行動や、自分の誇りを最後まで失わず、腐っても鯛であろうとしたのだと思います。私は負けた時や失敗した時や挫折した時に、自分の誇りを失わず、鯛であろうと最後まで格好つけられる人間でいたいと思っています。
今日は6時30分に起きて、子供達を6時50分に起こし、7時にランニングとダッシュをして7時40分に帰宅して、朝ご飯を食べ、8時20分に次男が初登校をするので、何故か家族全員で次男を学校へ送って行く事になりました。どんだけ家族仲が良いんだよ!と言う感じです。
緊急事態宣言が解除され6月1日から東京都でもステップ2となり、私の運営する道場も本日から通常通りの稽古を再開します。私は昨日に床屋に行き、自分自身を心機一転させるためと言うか、新しい自分になって、また新たな気持で頑張ろうと言う事で、髪の毛を切りました。新たな自分になる訳だから、初めての髪型に挑戦して見ました。そんな気持で朝を迎えたら生憎の雨でした。また僕は神様に試されているのか?と思い、「ヨシッ試練に負けずに頑張ろう!」という事で子供達を起こし、外で柔軟体操と基本稽古を行い、朝食を取り、稽古に行きまました。通常の生活が始まる第1日目に雨なので、心がしんどくなった人も沢山いると思います。そんな時は「しんどいのは自分だけじゃない。もっとしんどくても頑張っている人だっているんだ。」と頑張るのです。これは私が極真空手から学んだ精神です。と言う訳で第1日目をしっかりと頑張りました!自粛生活中に行っていた朝のトレーニングも長男と次男の要望で学校が始まっても続ける事になりました。私が起きる時間も6時ぐらいになってしまいますが、子供達の為に毎日頑張りたいと思います。新型コロナウィルス感染拡大で緊急事態宣言が発令され、自分がピンチになった事で自分を見直すことが出来ました。そして成長する事が出来ました。これからもいろいろとあると思いますが、その時その時に合わせて対処し頑張って行きたいと思います。ちなみに髪型はちょっと攻めた髪型だったので、会う人が私を見る反応がとても気になる、ちょっとドキドキ感のある1日となりました。
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