DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
前に空手道の始まりについて書きましたが、補足としてもう少し書いてみたいと思います。空手の名称と変遷についてです。一説ではありますが、沖縄では空手は「手」と名称していたそうです。その後、首里手、那覇手、泊手の三つの名称になり、糸洲安恒先生、東恩納寛量先生の時代は首里手が少林流唐手、那覇手は昭霊流唐手と言い、昭和8年頃に空手道と名称し、首里空手を知花朝信先生が沖縄少林流と改名し、那覇唐手の昭霊流を宮城長順先生が剛柔流と改名したそうです。泊手ははじめ首里、那覇の両方の大家から指導を受けて伝えられいたが、実力者を継続することが出来ず、現在に至るとなっています。空手道の精神について先人が残した言葉を紹介します。小西康裕先生の残した言葉で「空手とは、人に打たれず人打たず、事のなきを基とするなり」仲里周五郎先生の残した言葉で「争いは和して避け、暴力は忌避すべし、これに反せば信を失い身を亡ぼす。空手に先手なく、技にきわまりなし。内に慢心の心あれば向上の道とざさる。道を学ぶことにいそしめば、心身ともに磨かれて人格は陶治されむ。」最後に知花朝信先生の残した空手道修行の心構えを書いて置きます。「空手の稽古をする時は、別の事は打ち捨てて一心に空手の道に精神を打ち込み、他の事は考えずに、頭と目と手、足は一致して鍛錬し研究すること。人は50歳までは、やればやるほど上達しますから、うんと力を出して鍛えるように。体力は50歳の坂を越えればしだいに衰えてきますから、50歳を過ぎるにしたがって、その加減で鍛えればよろしいはずです。しかし毎日続けて鍛えれば、さほどは変わりません。いくぶんは衰えますけれど、あなたとしても、今のとおり続けられたら、70〜80歳の歳になってもさほど衰えを感じないと思います。ぜひ継続して下さい。」私もあと3年はまだまだ強くなると思いめいいっぱい鍛えたいと思います。
緊急事態宣言が発令され22日が経ち、学校は10日までお休みが決まりましたが、緊急事態宣言事態が延長になる可能性が出てきた事、それどころか学校の始業を9月に変えようと言う案まで出てきました。新型コロナウィルスの感染拡大が世の中を混迷させていると言う事もありますが、世の中が大きく変わろうとしているのかもしれません。世の中がどうなるのか私にも分かりません。新型コロナウィルスの感染拡大がどうなるのか?社会や経済活動がどうなるのか?世の中が大きく変わってしまうのだろうか?と言う不安な毎日を日本国中の人が過ごしているのではないかと思います。どれもこれも自分にはどうにもできない事なので、自分が今何が出来るか?を考えて行動して行くしかないと思います。私は空手しか出来ません。でも空手は出来る。この新型コロナウィルスの騒動が始まってから、いろいろ考えた結果、やはり自分は空手でしか社会に貢献は出来無いと再確認しました。今、自分が何をすべきか?それを毎日、必死に考えています。世の中の状況を良く見て、世の中の流れに逆らわずに風向きを良く見たいとは思いますが、世の中が何を求めているか?を良く見て、ここぞと言う時には、自分で考えて判断して決断して行動に移したいと思います。道場生の皆さん、ご父兄様には本当にご不便とご迷惑をおかけしている事を本当に申し訳なく思っています。道場生の皆さん、ご父兄様には、必ずこの穴埋めをします。そして私の道場に入門して良かったと思って頂けるような活動をして見せます。もう少しお待ち頂きたいと思います。必ず皆んなで笑って元気に稽古が出来る明るい未来を作って見せます。
緊急事態宣言が発令されて21日が経ちました。長男と次男と、仕事がない時は妻も参加して朝のトレーニングを20日間行いました。1日だけ休みましたが、20日間は雨が降った時も体操も基本稽古を家の前で行いました。次男は走るのがとても苦手で初めは泣きながら起き、泣きながら走っていましたが、今は自分から起きてくる事もあるぐらいになりました。長男も400mも100mのダッシュも順調にタイムが伸びてきました。夜も少しですが補強をするようになりました。朝ごはんの後は2人とも必ず勉強しています。これも20間毎日行いました。やはり週間というのは大切だと思います。人は誰でも弱いものです。一生懸命にやれば稽古をする事も勉強をする事も苦しいものです。だからやる前には、誰でもやりたくないなと思うものだと思います。ですがどんな苦しい事も習慣にしてしまい、やる事を当たり前にしてしまえばやれると思います。でもただ惰性でやるだけではダメだと思います。しっかりと情熱を持って取り組む事が大切です。情熱を持ち続ける為には、今自分が頑張っている事の未来にどんな自分になっているかを明確に思い描いて取り組む事が大切だと思います。今日は家族で「ベストキッド」を見ました。長男も次男も「ベストキッド」を見たあと補強をやっていました。この20日間で長男も次男も何かが変わって来たように思います。
本日4月27日は、東京城南京浜支部の道場生の前橋妙子初段の4回目の命日でした。家族で前橋さんの御墓参りに行って来ました。前橋さんの御墓の前で、もう4年も経つのかと時の過ぎる早さをしみじみと感じました。前橋さんのお墓の前で、私の運営する極真会館東京城南京浜支部を私達が居なくなった遠い未来まで必ず残す事を改めて誓って来ました。私達が情熱をかけた極真空手があり続ける事で、私達が情熱をかけて稽古をした道場があり続ける事で、私達の意志も私達が生きた証も残り続けて行きます。私も命が燃え尽きる日まで極真の道を全うしたいと思います。その事も前橋さんの前で誓って来ました。
今日は、国際空手道連盟極真会館の創始者である大山倍達総裁の26回目の命日でした。私は大山倍達総裁の指導を直接受けた事はありません。第5回世界大会で行われた大山倍達総裁の最後の演武を見れたこと、大阪府立体育館で大山倍達総裁に握手をして頂いた事が私の大山倍達総裁の思い出です。大山倍達総裁の本は全部読破しました。
次男は「ドデカミン」を「ビタミカン」と言います。「まいばすけっと」を「まいすかべっと」と言います。長男も小さい頃は「てんとう虫」を「とんとんしー」と言っていました。子供のこう言う言い間違いって可愛いなと思います。子供には、その頃その頃の可愛さがあり、それはその時にしか見る事が出来ない大切なものだなと思います。私はその時々を大切にしたいと思います。緊急事態宣言が発令されて道場がお休みになってから、毎日子供達を起こし、一緒に朝のトレーニングをし、朝ごはんを食べ、一緒に勉強して、一緒にお風呂に入っています。長男と次男を起こす時は2人をニックネームで呼んでマッサージをしてあげながら起こします。一緒にお風呂に入ったら2人の頭と身体を私が洗ってあげます。今しかこんな事も出来ないだろうと思うのでやはり大切な時間です。いつか2人が大人になって新型コロナウィルスで自粛生活をしていた事を思い出した時に、悲しいニュースや大変だった事や悪い事ばかりではなく、毎日一緒にトレーニングしたり、一緒に勉強したり、一緒に遊んだり、一緒にお風呂に入ったりした事を覚えていてもらいたい、楽しい事もたくさんあった事も思い出してもらえたら良いなと思います。
空手の稽古をしていると、自分の心や身体を見つめる事が出来ます。自分の心や身体の変化に気付く事が出来ます。そして自分の心や身体を見つめ直したり修正したりする事が出来ます。自分の心と身体の姿勢を見つめ直す事で、自分の生き方や有り様を見つめ直す事が出来ます。そして空手の稽古をする事で自分を良い方向へ導いてくれたり、自分の心や身体を正してくれたりもします。稽古は嘘をつきません。真摯な気持ちで一生懸命に稽古すれば、必ずそれは自分の顔にも身体にも何かをやる時の取り組み方にも仕事の仕方にも生き方にも現れて来ます。私の最大目標と言うか最終目標は、私が死んだ時に、私の1番近くで生き様を見た妻や息子達や道場生達が、私を空手家として人生を全うしたねと言ってもらう事です。その日まで努力精進して行きたいと思います。
私は、空手道の型を58個覚えています。しかし完璧にできる型は一つたりとありません。毎日、型の稽古をしていて、まだまだだと思うばかりです。もちろん58個全てがすらすらと出来るわけでは無く、こんなにたくさん覚えていると稽古していなければところどころ忘れてしまいます。なので自分が覚えている型を忘れないように抜き出して稽古する時間を必ずもうけています。あとは3ヶ月ごとに力を入れて稽古する型を決めて、その型に力を入れて稽古します。あとは自分が毎日必ずやる型を決めてその型を稽古しています。そしてその稽古している型の苦手な動きや、出来ない技を抜き出して基本稽古にしたり、移動稽古にしたりして稽古しています。しかし型は型で終わっては意味がないと思います。型が出来るようになった事が、自分の組手に生きなければならないと思いますし、型が出来るようになった事で、自分の組手が変わらなければならないと思います。組手を行う中で型の動きや技を検証し、また型に持ち帰って稽古する事が大切だと思います。そして空手道の稽古は、自分の人生の中で、自分の生活の中で、自分の仕事の中で生きなければ、空手をやっている意義はないと思います。今の世の中で空手道をやっている事を生かす事が出来る場面などあるのか?と思う人もいるかもしれません。私は空手道の稽古をする事で今の世の中で、自分の人生の中で生きる事をたくさん学べると断言します。空手道を学ぶ者が、何を求めて空手道の稽古をするかでそれは大きく変わりますが、求めれば道は無限にあるように、求めれば無限に学びがあり、求めれば無限に自分の人生の中で生きる物を見つける事が出来ます。求めれば何歳になっても学びはあり、求めれば何歳になっても自分を変える事が出来ます。そして何歳になっても何かを始めるのに遅いなどという事はありません。空手道は私にとって、私の核です。自分の核を持っている人間は強いと思います。自分の核を持っている人間は何があろうと揺るぐ事がありません。
夕食の後は、家族みんなでトランプをしています。七並べ、ババ抜き、一休さん、をやっています。長男は一休さんの時、1、9、3のカードが出ると大きな声を出してビックリしています。次男は負けると泣いて悔しがります。妻は私にババを引かせる天才です。私も子供の頃、よく家族でトランプをやりました。私も次男のように負けると泣いて悔しがりました。私はトランプは凄く弱いです。運が悪いのか?頭が悪いのか?勘が悪いのか?まあその全部なのかな?と思いますが、本気でやっても子供達に負けてしまう事があるぐらいです。少し自分にガッカリするほどの弱さですが、一生懸命楽しんでトランプをやっています。昨日と今日は子供達とブルース・リーの「燃えよドラゴン」と「死亡遊戯」と「怒りの鉄拳」の戦闘シーンを見ました。長男も次男も「ブルース・リー強い!」と言いながら一生懸命見ていました。
緊急事態宣言が発令されて、道場の稽古がお休みになり2週間が経ちました。道場生、ご父兄様には本当にご不便とご迷惑をおかけしている事を本当に申し訳なく思っています。皆様のご協力があり道場が運営出来ている事に感謝しております。そんな状態ですので、道場生、ご父兄様の事を考えると、私も心苦しい毎日を過ごしています。ですが落ち込んでいる訳には行きませんし、立ち止まっている訳には行きません。道場を何時でも始める事が出来るようしっかりと準備をして、世の中の状況に目を凝らして、どの様な状況なら稽古を再開出来るか?その事を考えながら毎日を過ごしています。今、私が出来る事は規則正しい生活をし、しっかりと空手の稽古をし自分を磨いておく事で何時でも全力で指導出来るコンディションを整えておく事と、しっかりと空手の勉強をして、次に指導が出来る様になった時の為にしっかりと自分にいろんな事をインプットしておく事です。休みが明けたら、先生の技は更に凄くなった、先生の指導は更に良くなった、そして先生の指導は更に熱くなった。と生徒に言われる様な生活をしたいと思って、毎日を過ごしています。必ずこの休みの穴埋めをします。道場生の皆さん、ご父兄様に頂いたご協力を何らかの形で補いたいと思っています。どうかその日が来るまで待っていて頂きたいと思います。
私が極真空手の試合から学ばせてもらった事が2つあります。1つは、「自分が怖い時は相手も怖い、自分が苦しい時は相手も苦しい、自分が痛い時は相手も痛い、相手は神様でない」と言う事でした。自分だけが苦しいと思った瞬間に自分の心は崩れて行きます。自分の心が崩れた瞬間に身体も崩れて動かなくなってしまいます。自分が苦しい時は相手も苦しいんだと思えば、どんなに苦しくても頑張れるものです。ですが自分が苦しい時は相手も苦しいと、思うためには本気でそう思えるほどの稽古を積まなければなりません。あれだけ稽古をした自分がこんなに苦しいのだから相手も苦しいはずだと思えるのです。現実、自分が苦しい時に相手も苦しいから、もうダメだというところから、もう少し頑頑張って相手に勝つ事が出来るのです。苦しい稽古をしていなければ、戦っていて苦しいのは自分だけなのですから、どう頑張ろうと苦しい稽古を積んで来た相手に勝てるわけはありません。そして自分も苦しい時は相手も苦しいと、もう一息頑張る精神は日々の苦しい稽古の中で作られて行くと思います。だから常に自分に厳しく生活していなくては行けないと思います。そして私は、「自分が苦しい時は相手も苦しい」と言う精神を社会生活では、その精神を優しさに変えるようにしています。例えば電車の中で、普段鍛えている自分が立っているのがしんどいのなら、高齢者の方はもっとしんどいはずだ、通勤時間の長い人も自分よりしんどいだろうと思えば、席を譲る事は簡単ですし、初めからその人達に座らせてあげようと思えば、電車で座る事もなくなります。自分だけがしんどいなどと思うとズルをしてでも座りたいと言う気持ちになってしまうのだと思います。強い人は人に優しく出来ます。もう一つは、「相手は自分が思うほど強くはなく、相手は自分が思うほど弱くもない」と言う事です。私は勝ちも負けもたくさん経験しました。自分で言うのも何ですが、私ほどチャンピオン級の強い選手に勝った事が何度もあるのに、1回戦負けを何度もした選手はそうは居ないと思います。どんなに強いと言われている選手でも人間ですから絶対に勝てないという事はないと思います。それを強い選手に勝ったり、強い先輩と組手をする中で学ばせてもらいました。しかし自分が弱いと思う選手だってそんなに弱くはない事も負けた試合の中から学びました。常に戦う相手を尊敬して良いところと悪いところを平等に見た上で尊重して、戦わせていただく事に感謝して、自分の全力を尽くして戦わなくては行けないのだと思います。この本質を理解したのは私は、33歳の時で引退する1年前ぐらいでした。20代の頃の私はそれを理解していませんでした。例えば1回戦で全然強くない選手に苦戦をして延長戦でやっと勝ったとします。その時、私はこんな弱い選手にこんな苦戦するのだから、自分は今日は調子が悪いのだ、次の強豪選手とはさらに苦戦するのだろうなという気持ちになってしまい、そんな気持で試合場に上がった為に自分本来の動きが出来ずにズルズルと負けてしまいました。自分に謙虚さがあれば、自分の対戦相手は死に物狂いで稽古して来て、自分をしっかり研究して来たのだろうなと思えば、その選手に苦戦をしても延長戦で勝てた事で、気を引き締め、ヨシッ次の相手は強豪選手だから、自分を少し下に見ているだろう、死に物狂いで行けば動揺するだろうからそこを突いて行けば勝利は見える。と思えたはずです。相手を尊重する事の大切さ、人に対して尊敬と感謝と忍耐の気持ちで接する事の大切さをもっともっと早くに学べたなら私の人生は大きく変わっていたと思います。それを道場生に伝えて行きたいと思います。空手の稽古方法だけを教えるのならDVDを見て研究すれば教える事も出来ます。でも私は自分が命を懸けて試合や稽古をした中で学んだ、精神や魂や気や心と言う目に見えない部分を生徒達に伝えて導きたいと思います。
私は、一念発起して何かを始めると、その覚悟が本当の物なのか?を試されるように自分にアクシデントが起こります。もう一度高校に入学し、極真空手を始めた1ヶ月後に事故で右足の内側側副靱帯を断裂し前十字靭帯を損傷してしまい、手術をしました。約2か月入院し、完全に治るまでは半年、元どうりに運動出来るようになるかは分からない状態でした。先ずは内視鏡の手術をして内側側副靱帯の断裂と前十字靭帯の損傷と診断された時に私が医者の先生に言った言葉は「手術をしたら空手が出来るようになりますか?」でした。先生は「それはやってみなければわからないけど、出来るなら今後は、動いている所に急にストップをかけるような動きや、何かを強く蹴ったり、ましては足を蹴られたり、する事は避けた方が良いよね」と言われました。私は悔しくて悔しくて、病院の屋上で泣きながら拳立てをしました。でもあの泣きながら拳立てをした所が私の極真空手のスタートだった気がします。あの拳立てがどんな事があっても自分が極真空手を絶対に続けると言う意思表示の第1歩だったのだと思います。私は毎日、病院の屋上で自主トレをしました。面白いものでそうなると私の隣の部屋の同じ高校生が、一緒に自主トレしたいと言ってきて、一緒に自主トレするようになり、また私の隣のベットにいた方のお見舞いに来た人が、極真空手をやっていて、私が入院しても毎日屋上で自主トレしている事を指導員の先輩に話してくれて、私が稽古に復帰した時にとても指導員の先輩方に可愛がってもらえるようになりました。私は稽古に復帰するまで約8ケ月かかりましたが、私は退会や休会はしませんでした。私が事故でしばらく稽古にいけない事を連絡すると、その時の師範の奥様に「半年以上、稽古に来れないなら1度退会して、また出来るようになったら来た方が良いよ。その時は入会金はいらないからね。」と言われました。その時は月謝は月謝袋で手渡しだったのと、休会が無かったので、師範の奥様は私の事を思いそう勧めてくれたのだと思います。ですが私は絶対に止めたくないと思い、両親にお願いし空手を続けさせて頂きました。そして入院してる間も自分で月謝を道場に届けていました。月謝を自分で道場に持っていく事が唯一自分が極真空手を続けていると感じる事が出来る嬉しい時間だったのかもしれません。今でもその出来事は、私の覚悟を神様に試されたのかな?と思っています。そこまでして始めた極真空手だからこそ、今まで止めずに来れたと思いますし、自分の中で本当に大切な物になったのだと思います。たぶん今はそれだけの情念を持って何かに取り組んでいる人ってなかなか居ないのではないかな?と思います。でも私の時代には、そんな空手バカな人がたくさんいました。その空手バカの中で切磋琢磨して、この世界で生き残って来た事が私の誇りです。これからもずっと空手バカで生きて行きたいと思います。そして私の空手バカに一緒に付き合ってくれる道場生を大募集です!
今日は私の師匠の廣重毅師範の命日です。今日は廣重師範との思い出を書きたいと思います。先ずは嬉しかった事です。私が千葉大会で優勝した次の週ぐらいに雑誌の方が廣師範の取材に道場にいらしていました。私が道場に入ると、廣重師範が雑誌社の方へ「こいつは菅野って言って、この前の大会で野地選手に勝ったんだよ!城南で次にブレイクするのは菅野だから覚えておいて下さい。次の世界大会には出るよな。菅野」とと言って下さいました。なかなか自分の生徒を褒めない師範に言われた言葉なのでとても嬉しかったです。でも今は師範の期待に応えられなくて申し訳ない気持ちです。師範は遅刻に対してとても厳しい方でした。「朝起きるのが5分遅れたら、道場に行くのは10分遅れてと、1日がどんどんずれ込んで行くぞ。」と仰られていました。その言葉は今でも私の教訓となっています。城南の先輩方はみんな生涯現役で空手の修行をしています。空手の道に終わりは無いという求道無限の教えは廣重毅師範の教えです。師範の教えは私達弟子の中で今も生きています。
毎日、子供達の勉強を1時間見ながら、自分も空手道の本を読者しています。長男は算数を次男は国語をやっていました。長男の算数はなかなか難しく、もちろん答えは分かるのですが、それがどうしてそうなるのか?を教えるのは難しかったです。「んー空手の指導のようにはいかないな」と思いました。私はとにかく今は空手道や歴史の本を読み漁って今は頑張って知識を蓄えておきたいと思います。今すぐ生きる事ではない事でも、自分の中で知識を寝かせておけば、いつか違う知識と繋がって新しい発想が生まれる事もあります。そして毎日、柔軟体操、基本稽古、移動稽古、型、部位鍛錬、筋力トレーニング、自主トレしようと思えばやる事は無限にあります。基本稽古も全てやるのが大変なら、裏拳と受けと手刀の種目に分けてやってみても良いと思います。休み中に心も身体も鈍らせないようにしたいと思います。いつでも走り出せるように自分のエンジンを温めておきたいと思います。動き出せる時には直ぐに動き出したいと思います。
私は21歳ぐらいから日記を付けています。34歳で現役で試合に出場するのを引退するまでは、稽古の事や体調や体重の事や試合の事や自分の思いや夢や目標などが主に書かれています。その頃の日記を見ると本当に良く稽古していたんだなと思います。私は指導の時も道場生と一緒に稽古をするので、指導の時間を入れたら1日で平均8時間は稽古していました。本当に良くやったなと思います。特に私の先生が極真会館から退館し仲間がみんな居なくなってから、1人で他の支部に出稽古に行ったりして、自分で稽古を考えて頑張っていました。私がいろんな意味で大きく成長したのはその頃だと思います。先生から離れた事で稽古に関しても指導に関しても道場の経営に関しても大きく大人になりました。社会人としてしっかりした時期と言えるかもしれません。私の人生振り返るとピンチの連続でした。でも何かを失った時に、また頑張って新たな物を得たり、新たな物を築き上げて来たように思います。そして私はピンチに強い人間だと自分で思います。チャンピオン級の選手に勝った試合もほぼ全て延長戦で苦しんで苦しんでピンチを凌いで勝利を得て来ました。今まで何度も失敗したけど必ず立ち上がって来ました。自分の日記を読み返してそれを強く思いました。とにかく今は規則正しい生活をして、しっかり食べて、しっかり寝て、やれる事をしっかりやりたいと思います。私の成長が必ず人の役に立ち日が来ると信じています。
今日で4月も半分が終わりました。緊急事態宣言が発令されて道場の稽古がお休みになり8日目です。私は普段以上に規則正しい生活を心がけています。7時に起きて、うがい手洗い、顔を洗い、髭を剃り、黒酢とアスコルビン酸をお茶で飲み、体温を測り、7時30分に息子達を起こし、7時45分に家を出て土手に行きトレーニングをします。8時50分ぐらいに家に着き、うがい手洗いをして朝食を摂り、1時間勉強をして、食器を洗い、道場に出かけます。今日は15日なので、鷲神社に参拝し、神棚の榊、米、塩、酒、水を替え、大山倍達総裁11箇条を唱和し、道場のトイレを掃除しました。そのあと大森税務署で確定申告をして納税を済ませました。今こそ自分を見直す時だと思い規則正しい生活を心がけています。夜は息子達と一緒にお風呂に入り家族みんなで一緒に食事をします。子供達と一緒いる時間が長いので、子供達のいろんな部分を見る事が出来ます。長男と次男はフォートナイトと言うゲームが好きらしく、その話を良くしています。あと「かもしれない運転」という言葉が好きらしく、かもしれない運転ごっこをしています。次男は長男に「〜と〜どっちが強い?」とか「〜と〜の武器だっらどっちがいい」とかずーっとしゃべっています。今日は初めて家族でトランプをやりました。七並べとババ抜きをやりました。ババ抜きでは、私は妻のカードを引くのですが、妻の所に来たババを1回で引かされるというのが6度続きました。私は何も考えずカードを引くのですが、何故かババを引いてしまいます。私の考えは完全に妻に読まれているようです。こんなに読まれてしまうなんて少し怖くなってしまいました。
沖縄でどのように空手が発展したのかを書きたいと思います。船越義珍先生の言葉によれば、文献などは残っていないので明確な年代や体系等は分からないそうです。諸説によれば、中国拳法が沖縄に伝わり、沖縄独自の沖縄手として発展したようです。何個か残っている説としては、450年前ごろ中国から公相君という武官が弟子を数人引き連れて渡来し一種の拳法を伝えたとあるそうです。この公相君が伝えた型を「公相君」の名を取って「クーシャンクー」と読んでいたものが「観空」となったそうです。また冊封使に附して渡来した武官「アソン」に師事して拳法を修めた者に那覇の崎山、具志、友寄氏等があり、「イワー」について学んだ者に首里の松村、前里、湖城氏等があり、「ワイシンザン」に道を問うた者に島袋、比嘉、瀬名波、具志、長浜、新垣、東恩納、桑江氏等があり、泊の城間、金城、松茂良、親泊、山田、仲里、山里、渡口氏等は福洲安南から漂着した支那人某に教わったとあり、約200年前、首里赤田の佐久川寛賀氏が中国に渡って拳法を修めて帰り、唐手佐久川の名を一世に謳われたと伝えられているそうです。空手の流派も際限なくあったようで、首里で発展したものを首里手、那覇で発展したものを那覇手、泊で発展したものを泊手などとも言われたそうです。空手道の型を大別すると、昭霊流と少林流があり、昭霊流は、重厚堅固、最も体力を練り筋力を鍛える事を主としたもので鉄騎、十手、半月、慈恩などの型があり、少林流は、軽捷機敏、進退隼の如き早業に適したもので、平安、抜塞、観空、燕飛、岩鶴などの型があるそうです。空手道は人から人へ伝わる中で様々に発展を繰り返しながら伝わって来たようです。極真空手は大山倍達総裁が創られた空手道ですが、源流は剛柔流と松濤館にあり、そこに大山倍達総裁が学んだり戦ったりした様々な拳法や格闘技などの稽古方法を取り入れ、また極真空手の諸先輩、諸先生方が様々な格闘技に挑戦したり学んだりする中で様々な稽古方法を取り入れたハイブリッドな空手道と言えると思います。私も空手道をしっかり勉強し稽古して、この極真空手をさらに前進させ発展させる事に尽力したいと思って稽古に励んでいます。緊急事態宣言が出てから1日も欠かすことなく1日4〜5時間は稽古に励んでいます。道場の稽古が再開したら、あれを教えよう、これを教えようと考えながら稽古に励んでいます。
空手道というものは、もともとは沖縄から伝わったもので、さらに遡ると中国から伝わったものです。その伝わり方にも源流にも諸説あるのですが、日本に空手を始めて伝え、「唐手」を「大日本拳法空手道」と改め、「唐手」を「空手」とした船越義珍先生の説を紹介すると、中国の拳法も武当山派と少林寺派とに分かれ互いに切磋琢磨していたそうです。武当山派は中国の武当山というところで発達し、「一見非常に柔らかな感じで力がないように見えるが、一度発すれば、容易に人を倒す事が出来るという程のもであった。」そうです。少林寺派は映画「少林寺」でも有名な少林寺拳法です。少林寺派は、みんな知っている達磨さん、達磨大師が西竺からはるばると山野を越え中国へ渡り、河南省の少林寺で法を説かれた時にどうしたわけか聴衆が続々と倒れるので「およそ法は霊のために説くものであるが、霊肉は元一体で離れるべからざるものである。今、汝らを見るに困憊して到底修行の見込みがない、明朝より早く起きてこの法を学べ」と言って心身鍛錬法を授けたと言われています。少林寺派は「拳や足の出し方及び練習方法も硬軟いろいろ」だと言われていました。船越義珍先生も真偽の程は分からないと言われていますが、いずれにしても中国で発達した拳法がその後、琉球に渡り、それまでにあったものと合体して空手道の基礎になったようです。中国拳法が琉球に伝わってからの諸説もまたの機会に書きたいと思いますが、何故この事を書いたのかというと達磨大師の言葉に凄く共感したからです。人間の持っている、気、霊、魂、精神、心と言うものは身体と繋がってあるものなので、やはり気、霊、魂、精神などを高めたいと思ったら身体も鍛え正しい常態になければ行けないのだと思います。朝に稽古をしたというのもとても共感しました。私も今、毎日朝に息子達と柔軟体操、基本稽古、ランニング、ダッシュなどを行っています。朝にこれを行うと身体も心も正しい常態にある気がし良い1日を過ごす事が出来ます。今日はあいにくの雨でしたが、息子達と屋根のある場所で柔軟体操と基本稽古を行いました。息子達は雨が降っているのと寒さでダルそうでしたが、雨が降っているからこそ出来る事でもやらせなくてはと思い、私も重い身体を引きずるように外へ出て息子達と一緒に身体を動かしました。やはりそうしたら身体も心も頭もさっぱりして、そのあと事務仕事と勉強もはかどりました。船越義珍先生は90歳まで生きましたがとても健康で不死身だと言われたそうですが、船越義珍先生は「私は不死身ではなく、不病身である。鍛えられた身体には、寸分の病魔の入り込む隙もないからだろう」と言っていたそうです。新型コロナウィルスの感染が終息したら、さらに空手道を世の中に広めたいと思います。今いる道場生を大切にいろんな事を教えたいと思います。そしてもっともっと多くの人に空手道の良さを教えたいと思います。新型コロナウィルスの感染が終息したら、身を粉にして自分の命が燃え尽きるまで空手道の普及に邁進します。
朝のトレーニングと勉強は毎日行っています。毎日同じ時間に起きてやるべき事をやる癖をつけるために行っているのですが、それだけだと曜日の感覚をなくなってしまうので、曜日の感覚をがしっかりと分かるように自主トレのメニューは曜日ごとにやる事を分けてやっています。曜日の感覚がなくならないためと生活に変化を出すために、やる勉強を曜日ごとに変えたりするのも良いかなと思います。頑張ってこの自粛生活を乗り切りたいと思います。
困難な時こそ、心も身体も引き締しまり、身を正し規則正しく生活し、自分のなすべき事をしっかりと行うことが出来るものだと思います。緊急事態宣言が発令されて4日目ですが、私も今まで以上に規則正しい生活を心がけています。妻も息子達も頑張っています。今日は家族全員で朝のトレーニングをし、みんなで朝食を食べ、みんなで勉強をしました。まだたったの4日ですが息子達も規則正しい生活が身に付いて来ました。最初の朝はグズッて起きました。2日目なんて起きる辛さと、昨日の疲れもあり、しんどさも分かっているので、次男は走りたくないと泣きながら外に出ました。今日は2人ともパッと起きて当たり前のように外に出てきました。朝食のあともサッと勉強を始めるようになりました。やはり習慣というのは大切です。でも悪い習慣こそつきやすいので気を付けなければいけません。困難な時こそ身を正し身を引き締めるチャンスなのです。徳川家康は隣国に武田信玄がいたからこそ、備えを怠る事がなかったと言います。そして人生に困難な事が多かったからこそ、常に身を正し身を引き締める事が出来たと言っています。私も今後この感覚を常に持って生きていきたいと思います。この経験を無駄にしたらもったいないです。
「これ事を事とする、乃ち其れ備え有り、備えあれば患い無し」意味は、普段から常にするべき事をして準備をしておけば、いざというとき何も心配がないということです。武道とはまさにこれの事だと思います。今回の新型コロナウィルスの感染拡大で緊急事態宣言が発令され、道場の運営活動を自粛せざる負えなくなってしまいました。この事で私は本当にたくさんの事を勉強させて頂いています。自分を成長させて頂いていると思います。そしてこの自粛の間もしっかりと自分がするべき事をして備えを怠らないようにしたいと思います。そして生きている間、緊急事態に対して常に備えを怠らない生活をしたいと思います。今日も朝7時に起きて土手で子供達とトレーニングをし、朝ごはんを食べて、1時間勉強し、子供達と映画を見て、子供達にお昼ご飯を食べさせて、洗い物をして、お昼過ぎに道場へ行き、道場の掃除やトレーニング用品の掃除をしてから稽古を行いました。毎日稽古しているなかで、どんどん新しい稽古方法を思い付いています。早く道場生の皆さんと一緒に稽古したい気持でいっぱいです。道場生の皆さんも出来るだけ規則正しい生活をして、自分のするべき事をして、社会活動が平常に戻った時のために備えをして頂きたいと思います。
緊急事態宣言が発令され道場の稽古が長期のお休みをする事となりました。道場を開設して18年、こんなに長いお休みをするのは初めての事です。道場生、ご父兄様には、ご迷惑をおかけしている事を本当に申し訳なく、本当に心苦しく思っております。道場生、ご父兄様にも大変な思いをされている方がいらっしゃるのではと思います。そんななか、道場生やご父兄様にあたたかいお言葉を頂きました。本当に感謝しております。本当に自分は恵まれているなと思います。今日も朝7時に起きて、土手で朝のトレーニングをし、朝食のあと勉強として空手道の本を読みました。午後は道場に行き、神棚に手を合わせ榊の水を替え、トレーニング器具を掃除してから稽古をしました。いつでも稽古を再開出来るよう準備はしておきます。毎日しっかりと情報に目を凝らし、稽古を再開出来ると判断しましたら、迅速に稽古を再開したいと思います。道場生、ご父兄様にはご迷惑をおかけしますが、それまでお待ち頂きたいと思います。
緊急事態宣言が発令されて初日、子供達と朝7時30分に起きて土手でトレーニングしようと決めました。土手まで行き柔軟体操と基本稽古を行い、ランニングをして400mトラックまで行き、400m1本、100m4本、ダッシュを行いました。帰りはブラブラ歩きながら子供達といろんなお話をしました。家に帰って朝ごはんを食べて、40分みんなで勉強をしました。私は空手の本を読みました。お昼から私は道場へ行き、榊の水を替え、掃除をし2時間稽古を行いました。今日は妻の誕生日だったので、時節柄ショートケーキでささやかなお祝いをしました。妻がもしこの世にいなければ、たぶん今、私の前にあるこの幸せも無かった事でしょう。だから本当に感謝です。緊急事態宣言の期間が終わったら、ちゃんとお祝いをしたいと思います。
本日、神奈川、東京、埼玉、千葉、大阪、兵庫、福岡の7都府県を対象に政府から緊急事態宣言が発令されました。この時が来るかもと思い、3月2日に全国の小中学校が一斉休校になった時から、周りの学校や習い事が休んでいるなかで、私の運営する道場はお休みする事なく、新型コロナウィルスの感染防止に最大限努力しながら稽古を続けて来ました。社会の情報を取捨選択し状況を把握するなかで、今はまだ休む時ではないという自分の直感を信じ稽古を行って来ました。道場の換気、道場生の手の触れそうな場所の除菌、うがい手洗いの徹底、マスク着用の許可など出来る限りの努力をし稽古を行って来ました。新型コロナウィルス感染拡大による不安やストレスを、道場生の大好きな空手の稽古で身体を動かす事で発散して欲しい、また私もいつもより明るく努め、いろいろな話をして道場生を笑わせたりもして、道場生の不安を笑いで軽減させたいと頑張って来ました。そして今こそ自分が社会の役に立つ場面だという思いで頑張って来ました。ですがここからは頑張り方が変わるのだと思います。道場をお休みにする事が、我慢をする事が、私の出来る最大限の努力なのだと感じています。どんな理由があれ道場生、ご父兄様には道場を1ヶ月もお休みにしてしまう事を本当に申し訳なく思います。また道場運営のため、ご理解とご協力を頂いている道場生とご父兄様には、心から感謝しております。また稽古が再開できるようになりましたら必ずこの休みを埋める活動をして行きます。私もここで停滞しないよう毎日、同じ時間に起きて同じ時間に寝て出来る事をしっかりやりたいと思います。休みだからと気を抜いた生活は絶対にしません。そんな事をしたら、道場をお休みさせて頂いている道場生、ご父兄様に申し訳がありません。この休み中に空手の勉強や稽古を出来る限り行い、稽古が再開したら必ず、今までより良いものを提供出来るようにします。私もこの先の見えないこの社会情勢に対して不安もあります。今日の朝、中学生からの友達から電話をもらいました。久しぶりに声を聞いた嬉しさもあり、つい心が緩み弱気な言葉と愚痴が出そうになりましたが、ここでそれを言ったら終わりだと踏ん張りました。今までも菅野秀行はカッコつけてツッパって生きて来たのだから、どんな時もカッコつけてツッパリ通して生きたいと思います。家に帰って来て子供達の笑顔を見て元気になり、妻の笑顔を見てまだまだ頑張れると思いました。今できる事をしっかりやってこの社会に貢献したいと思います。
次男の小学校の入学式でした。新型コロナウィルスの感染防止のため校庭で入学式を行いました。ピカピカのランドセルと希望あふれるピカピカの1年生を見て心が和みました。また桜がまだ残っていて、校庭の桜がとても綺麗だったので校庭での入学式も悪くないなと思いました。何はともあれ校庭での入学式は記憶に残り、いつか大人になった時に「俺達は校庭で入学式したんだよな!」とか「お父さんは校庭で入学式をやったんだよ!」と記憶に強く残るのではないかな?と思います。次男には「みんな大変な時に1年生になったね!人生大変な事が沢山あるけど、楽しい事もたくさんあるから頑張れ!」とメッセージを送りたいです。
次男の小学校入学の記念写真を撮りに写真屋さんに行きました。たくさん笑ってとても良い笑顔で写真が撮れていました。子供達が笑っている事は嬉しいことです。子供達が笑っていられるよう、不安な時でも苦しい時でも、あまりピリピリしないように心がけたいと思います。午後からは土手に散歩に行きました。長男は400メートルを2本、100メートルを3本走りました。妻も長男のために頑張って400メートル1本、100メートルを1本走りました。次男も嫌がりながらも100メートル1本走りました。夜はみんなで楽しく食事をしました。どんな時でも子供達が笑顔でいられるように生活して行きたいと思います。
ONE PIECEの96巻を読み、さらに光月おでんが好きになりました。ワノ国編は本当に好きですが、ワノ国の過去編に出てくる光月おでんもゴールド・ロジャーもエドワード・ニューゲートも凄くカッコイイです。やっぱり子供達にONE PIECEをお勧めしたい!こんな男になりたい!私がそう思う男がたくさん出てくるからです!カッコイイ男になりたいならONE PIECEを読め!人間力を身に付けたいならONE PIECEを読め!と言いたいです。
感情を出す事って身体に良いと思います。笑う事も泣く事も、たまには怒る事だって大切だと思います。感情を出さないとストレスが溜まります。だからたまにはお笑いを見て思いっきり笑ったり、映画やドラマを見て思いっきり泣いたり、思いっきり怒るのは出来れば避けたいので、ムシャクシャした時には思いっきり身体を動かしてみたら良いと思います。大きな声を出して身体を動かす事は身体にも心にも本当に良いです。私は妻にストレス発散の天才だと言われた事があります。自分でも本当にそうだと思います。大人になると難しくなるけど、大きな声を出して身体を動かして自分を解放するととても気持ちが良いものです。そして柔軟体操も有酸素運動も筋力トレーニングも健康によりよく歳をとる為にはとても大切です。そう考えると極真空手はとても良いです。大きな声を出して技を出す事でストレス発散になり、柔軟体操で身体をほぐし、基本稽古や移動稽古はそれだけで筋力トレーニングと有酸素運動にになり、型は脳の体操になります。組手は反射神経のトレーニングにもなります。新コロナウィルスの感染拡大が終息したら、極真空手を始める事を本当にお勧めしたいです。
長男と次男がドリフターズのコントを見て大爆笑していました。もちろん私も妻も大爆笑していました。だいぶ昔のコントでしたが、長男も次男は大爆笑していました。どんなに時代が変わっても笑うツボは同じなのだと思いました。次男は笑いが止まらなくなってしまい「もうやめてー!」と言いながら笑っていました。笑ったらとても元気になりました。明日からも頑張ります!
なかなか明るい話題が見えて来ない世の中です。今日は4月1日でエイプリルフールですが、あいにくの雨で寒いのと、空が曇っている事と、暗い話題と、悲しいニュースと、先が見えない不安な情報で、人の心も暗くなっているように感じます。今日は雨のせいもあり稽古に来た生徒も少なかったのですが、そんな時だからこそ、子供達にエイプリルフールの馬鹿な嘘をついてみました。みんな驚いて、みんな笑ってくれたので良かったです。先ずは初級の部でやったので、中級の部にも参加する生徒には、中級のみに参加する生徒を驚かせ笑わせる為に、バレないように初めてのように聴くこと、聴いている途中で笑わない事を言っておいたのに、初級の部に参加した生徒はみんな途中で笑い出していました。多分子供達も世の中が不安になり暗くなっている事を感じていると思います。だから私はこんな時だからこそ、子供達を驚かせ笑わせようと嘘をついてついてみました。最後に私が「大成功ー!」と言って変なポーズをした時の子供達の笑った顔は、私の顔を明るくしてくれました。
kanno
|