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今日は私が運営する国際空手道連盟極真会館東京城南京浜支部の秋季昇級審査会と秋季組手支部内交流試合でした。昇級審査会に28名、試合に38名が参加しました。皆さん本当に頑張りました。ご協力頂きましたご父兄様にも感謝を申し上げます。スタッフをしてくれた十川先輩、中村、廣田さん、中山、平澤、津田、吉田さん、には本当に感謝しています。皆さんの力があり東京城南京浜支部が運営出来ています。本当にありがとうございます。今回の昇級審査会と支部内交流試合は台風にぶつかっていたので数日前から不安と緊張を抱えていました。無事に終える事ができた事、本当にホッとしています。私はこの事をただの偶然とは思えません。いつもいろんな方々に支えられている事、いつも自分の理解を超えた何かに守られている事を感じています。これからもいろいろな人に支えていただけるように、自分の理解を超えた何かに守っていただけるように、尊敬、感謝、忍耐の気持を忘れず謙虚に一生懸命頑張って生きて行きたいと思います。
この「菅野日記」を昨日読んでいました。2006年の頃を読みました。2006年という事は私は33歳でした。日記を読んでいて文章に若さというのか幼稚さというのか分かりませんがそんな感じが出ていました。でも日記を読んでいて、本当に自分は一生懸命生きていたんだなと思いました。その頃の自分を尊敬しますし、その頃の自分に感謝しています。もちろん今だって一生懸命に生きています。その頃の自分をガッカリさせるような生き方はしていないと自負しています。この菅野日記を書いてきて本当に良かったと思います。まだ妻と付き合ってもいない頃に2人でディズニーランドとハワイアンズに行った事がありました。その事が日記に書いてあったのが嬉しかったです。妻と行ったとは書いていませんが、たぶんその日のことを忘れたくないから書いたのだと思います。その頃の自分が将来その人と結婚していると知ったらどんなに驚くだろう?どんなに喜ぶだろう?と思いながら読みました。
稽古というのはやればやるほど課題が見えて来て、やらなくてはいけない事が増えて行きます。課題をクリアすると次の課題が見つかります。目標のゴールに辿り着くと、次の目標が見つかり、ゴールと思っていた場所がスタート地点になります。「極めた!」と思える瞬間にいつか辿りつけるのか?分かりませんが、体力が無くなってからが本当の意味での武道の極めどころだと思います。自分の命がある限りは前に進んで行きたいと思います。
誰にとってもそうではあると思いますが、私にとって1番大切な物はやはり自分の身体です。身体が動かなくなってしまったら空手の稽古をする事も空手の指導をする事も出来なくなってしまいます。そして身体が動かなくなってしまったら家族を養う事も出来なくなってしまいます。だから私の身体は私だけの物ではありません。極真会館の為の物でもあり、道場の生徒の為の物でもあり、家族の為の物でもあります。20代の頃は少々の怪我ならほっといても少し時間が経ち気付いたら自然に治っていたなどという事もありましたが、40歳を過ぎた頃から怪我をほっといたら、治りが遅いというよりもドンドン悪くなってしまい、自然に治る事は全くなくなってしまいました。これが歳を取るという事なんだと思います。今、私は頑張って空手の稽古に励んでいます。孔子は論語で「吾、十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」と言っていますが、私も50歳を前にして天から与えられた使命を知りそれを行う事が出来そうな気がしています。それは何かと言えば、古い良い物をしっかりと理解し、それをさらに研鑽し、基本を外れる事なく、自分が学んできた経験から、新たな物を作り出す事です。あと1〜2年かかるとは思いますが、その構想はもう出来て来ています。大山倍達総裁の教えや極真会館の枠を外さずに自分が学んだ物に加え新しい稽古方法やシステムを作って次の人に伝えたいと思っています。それがもう少しで出来上がると思います。武術の道場や空手の道場や極真空手の道場はたくさんあります。私の道場は極真会館の道場ですから、皆さんはその極真会館の看板を見て入門を考えてくれたわけですから、入門してみたら極真会館の空手ではない空手を指導しているなどという事は詐欺行為になります。なので私独自の稽古方法やシステムと言っても、それは極真会館の基本的な基本や型などは変えず、また極真会館の試合で勝つ稽古方法やシステムを踏まえた上で、私が学んだ独自の稽古方法やシステムを作ると言う事です。その中でより実践性があり、他の格闘技にも対処が出来て武術性もあり、どんな人でも稽古に励めば身につける事が出来る稽古方法やシステムを作りたいと言う事です。他の道場では習えない稽古方法やシステムをしっかりと自分で作り出し、それを生徒達に提供したいと思います。それを完成させるためにも自分の身体を大切にして、毎日の稽古に励んで行きたいと思います。
久しぶりにハマって読んでいる漫画があります。それは「信長を殺した男」という作品です。この作品は「本能寺の変431年目の真実」の著者である明智憲三郎原案の作品です。この方は明智光秀の子孫で自分の祖先である明智光秀の逆賊という汚名を晴らすため信憑性の高い資料を見直し定説を覆し真実に迫っていくという内容の作品です。私はもともと、明智光秀と言う人物が好きだったので、とても楽しく読ませてもらっています。歴史好きな人には本当にお勧めな作品です。
昨日は家族で錦糸町にある母方の先祖のお墓参りに行きました。私はお墓参りを良くします。お彼岸とお盆には必ずお墓参りしますし、試合に出ていた頃は試合の前日や遠征の場合はその前日には必ずお墓参りをしました。私の父と母も先祖を大切にしていましたし必ずお墓参りをしていたので、私も自然とそうなりました。試合の前にお墓参りに行くのは、黒澤先生がそうしていたのを雑誌で見て、私もそれを真似しました。なので私は1年に5〜6回はお墓参りをします。それを言うと人から偉いですねといっていただける事もありますが、でもそれは全て自分の為です。自分が生まれてきた事に感謝する事は先祖に感謝する事になります。またそれを子供達に見せていけば子供達も先祖に感謝し先祖を大切にし、自分が生まれてきた事に感謝し自分を大切にする人になると思います。私はお墓で手を合わせる時間は自分と向かい合う時間でもあります。私の命は無から始まり無に帰るものではないと感じています。誰かから繋がり誰かへ繋がっていくものだと感じています。そしていつも誰かから守っていただいている事も感じています。その事に感謝をして手を合わせ自分と向かい合います。 先祖に感謝し手を合わせている事で自分の心が正しい場所にある事も感じます。
長男の自転車が小さくなってしまったので、長男の自転車を昨日買いました。長男は赤いギア付きの自転車を買いました。次男は今までの長男が乗っていた自転車を使う事になります。長男が自転車を選んでいるあいだ、次男も自転車を欲しがりましたが「コハクお兄ちゃんの自転車をマシロが乗るんだよ」と私が言うと喜んで納得してくれました。でも「ヤッター!コハクお兄ちゃんの自転車もらえるんだ!」と喜んでいる真白を見て少し不憫に思いました。そして真白に上手い事を言ってダマして我慢させた気がして私の中に少し罪悪感が残りました。次男って本当に損だと思います。長男って本当に得だと思います。だからそのぶん次男をたくさん可愛がってあげたいと思います。
今日は空手の選手として試合に出場していた現役時代にお世話になっていた整体に来ました。25歳の時にヘルニアになり動けなくなるほど悪くて本当に困っていた時に先生と出会い身体を治して頂きました。そこから現役時代は月2回のペースで身体を見ていただいていました。引退後は稽古量も減った事もあり身体のケアもおろそかになってしまいました。最後に先生に身体を見ていただいたのは36歳の山梨大会に出た時ですから約8年ご無沙汰してしまいました。現役時代は本当に身体を酷使していましたが大事にもしていました。今は現役時代ほどは身体を大事にしなくなってしまいました。それではいけないなと思い久しぶりに治療してもらいに来ました。治療していただきながら現役時代のいろんな事を思い出しました。先生には本当に感謝しています。34歳まで試合に出場出来たのは先生のおかげだと思っています。これからは月に1度は治療に行こうと思います。いつでも試合に出れる身体を保つのが空手家だと思うので頑張りたいと思います。
夢や目標を持って何かに挑戦して行けば必ず自分を前に進めてくれると思います。夢や目標を持って何かに挑戦すれば、そこには失敗する事や、恥をかく事や、辛い事や、挫折する事なども待っています。でもそれは本当の自分を知り、現状の自分を見つめ直す最高のチャンスです。そしてそれを乗り越えたり克服した時には、必ず自分は前に進んで行けます。私は45歳ですが、今でもたくさんの事に挑戦し、失敗し恥をかき、辛い思いをしたり挫折したりしています。でもそのぶん新しい事が出来るようになったり、苦手を克服したり、自分が前に進めたと感じた時の喜びは最高です。そんな時には感動で涙が流れてきます。そんな瞬間を大切にしたいと思い日々頑張っています。何歳になろうとも何かに挑戦すれば、必ず感動を味わう事が出来ると思います。それを自分の身を持って自分の生徒達に見せて行きたいと思います。
私はとても弱くて、とてもずるい人間です。ですが極真空手を始めてからの今までの人生はわりと自分に負ける事なく、あまりずるいことをする事なく真っ直ぐに生きて来れたのではと思っています。何故、私のような弱くて、ずるい人間が真っ直ぐに生きてくる事が出来たのかと言うと、それは夢や目標を持ってそれを目指して生きて来たからだと思います。今もしっかり夢や目標を持って生きているおかげでブレる事なく真っ直ぐに生きることが出来ていると思っています。29歳までは、先生や先輩に導いてもらい道を歩んできました。29歳からは自分で道を歩む事が出来るようになり、人を導いてあげる側の人間になりました。これからも自分が道を歩んで行く後ろ姿で生徒達を導いて行きたいと思います。
朝、学校に登校する長男を見かけました。長男は傘を持って少しダルそうに歩いていました。その後ろ姿を少し眺めていると長男は、横断歩道を渡る時に私に気が付き手を振ってくれました。その姿がすごく可愛かったです。私も手を振って答えました。長男と心が繋がっている感じがして嬉しい気持ちになりました。長男は何歳まで無邪気な感じで私に手を振ってくれるのでしょう。
今年の1月の終わりからウエイトトレーニングを始めました。ウエイトトレーニングを始めて約9ヶ月になりました。肩が痛かったり腰を痛めたりしてなかなか前に進めません。3ヶ月やるとどこかを痛め、1ヶ月休み、また3ヶ月やるとどこかを痛めというのが続いています。それでも自分の身体が変化しているのが分かりますし、自分の突きや蹴りの威力が増しているように感じます。死ぬまで空手の稽古をするのが私の目標なので怪我を治しながら頑張って稽古したいと思います。
何歳になっても馬鹿になる時には馬鹿になれる人間でいたいと思います。それが自分の良い所だと思いますし自分らしさだと思っています。来年はついに46歳になってしまいますが、変わらずにいたいと思います。
ザリガニが1匹死んでしまいました。脱皮の途中で死んでしまったようです。
このブログでしつこいように自分の選択が自分の人生を決めると書いています。たぶんそれについて書くのはこれが最後だと思います。自分の選択が未来を変えると書きましたが、実はその逆もあると思います。自分が今を一生懸命に生きて今という瞬間を輝かせていれば、過去のどんな悪かった事でも、それがあったから結局は幸せな今にたどりついたわけですから、その時の自分の選択は正しかっと言えると思います。過去の自分の選択を肯定する為にも、今という瞬間を一生懸命に生きて今を輝かせたいと思います。そして素晴らしい未来を作る為にも今というこの瞬間を一生懸命に生きたいと思います。今を一生懸命に生きる事で過去の思い出し方を変える事ができ、今を一生懸命に生きる事で未来を変える事が出来ます。だから大切なのは今と言う瞬間を一生懸命に生きる事なのだと思います。
ここ最近、自分の選択が自分の人生を決めるという事をこの日記で書いています。自分の今までの人生の選択は全て正しかっと思えた瞬間があります。自分の今までの人生を全て肯定できた瞬間でもありました。それは子供が生まれた時でした。自分の今までの人生の良かった事や悪かった事、その全てがあったから今この瞬間があるのだと思ったら、その今までの人生の全てをこれで良かったと思う事ができたのです。それは生まれて初めて感じた事でしたし、人生で一番幸せだと感じた瞬間でした。子供の存在が私の今までの人生を全て肯定してくれたのです。
昨日、この菅野日記を読み返していました。2016年7月に極真会館東京城南京浜支部BEGINSという日記を4まで書いていました。しかも「そんな時に私にさらに追い打ちをかける出来事が起こりました。」と言う次が気になる内容で終わっていました。その事を今まで忘れていました。2年以上放置していたことになります。なのでこの続きを書きたいと思います。私が2002年8月に苦労に苦労を重ね極真会館東京城南川崎支部の分支部として開設した大森道場でしたが、この年の11月に行われた第34回全日本空手道選手権大会の少し後に、道場の責任者が集められ会議を行いました。そこで私の師範が極真会館を退館すると言いました。私は会議の2日前にその事は知っていたのでその会議までに自分の進む道を決めなくてはいけないと思い悩んで眠れない2日間を送っていました。その会議は火曜日の午後でした。その会議で極真会館を退館する事が発表されましたが、師範は「日曜日までに極真会館に残るか?俺について行くか?身の振り方を決めてくれ」と言いました。私は心は決まっていたので、その会議のあと師範に「自分は来年の世界大会を目指したいので、極真会館に残ります」と言いました。師範は「わかった。その事は日曜日までは人には言わないように」と言われました。何故、私が日曜日まで待たずに師範に自分の意思を言ったのかと言うと自分の中で決断したのなら早く行動に移した方が退路が絶たれ人より早く前に進めると思ったのと日曜日まで待っていたら、あの人はこっちに行く、この人はこっちに行くと言う情報が聞こえて来て自分がその情報に右往左往させられるのは嫌だと思ったからでした。結局その時に極真会館に残ると決めたのは私とあと二人の分支部長でした。でもその方達は遠隔地にいたので、私は一人ぼっちのスタートを切ることになりました。
私は何かを選択し決断する時に誰にも相談はしません。なのでとことん自分で考えます。考える時はランニングをしている時が1番良いです。ほどよく自分の体にストレスがかかってる方があまり思考が深くならずに無駄な事が省かれる感じがします。太陽の光と風を浴びて良い景色を見て走れば自然と思考もポジティブになります。逆に絶対にやらないと言うのは夜には考え事はしません。夜に考え事をしても暗くネガティヴな思考になりますし、決断したとしても寝てしまうから行動に移せませんので、結局メビウスの輪のようにネガティヴな事をネチネチ、クヨクヨ同じ事を考えて終わり時間を無駄にし、翌朝は睡眠不足で寝起きまで悪く、気持ちも落ちているので結局何も行動に移さず終わります。お酒を飲んでいる時にも考え事はしません。お酒を飲んでいる時に何かを選択し決断すると最悪の事態を起こします。お酒を飲むと気が大きくなってしまったり、感情的な思考になってしまいます。そしてお酒を飲んで考えた事など、普段の自分が決断し行動に移す事も出来ないような事ばかりです。だいたいは考えただけで次の日の朝起きて終わりとなってしまいます。もしですがお酒を飲んだ時に決断した事を行動に移したりなどしたら、おそらく自分の人生で最悪の事態を起こしてしまいます。お酒を飲んでいる時に行動に移すなどと言うのは言語道断です。私は決断した時に、自分の人生を左右するような大切な事は一番最初に妻に話します。逆にそれ以外の人には絶対に一番最初に話す事はありません。そして行動に移します。私は決断するまでは結構長く考えます。石橋を叩いて叩いて叩きまくって渡る感じです。でもやると決めたら大胆に行動に移します。渡ると決めたら橋のど真ん中を堂々と渡ります。決める前は失敗しないためにいろんな事を考えますが、決めて行動に移したらもう失敗は恐れません。そして出た結果はどんな結果であろうと全て自分で受け止めます。
長男と次男はベイブレードにハマっているようです。私も少し遊んでみましたが、子供達は「もう一回、もう一回」となるので疲れてしまいました。
西六郷小学校で行わせて頂きました「わくわくスクール」の子供達の感想が学校から届きました。そこには「先生の技がカッコ良かった」「凄かった」「とても楽しかった」「空手をもっと習いたくなった」などさまざまな嬉しい事が書かれていました。本当に嬉しかったです。極真空手のおかげで人の役に立つ事が出来ています。私を生んでくれた両親、極真空手を創った大山倍達総裁、松井章奎館長、私を導いてくれた師範、一緒に切磋琢磨して頂いた先輩、同輩、後輩、私の道場に入門した全ての道場生とご父兄様に感謝しています。そして少し変な表現になりますが極真空手を始めると決意した時の自分に、極真空手の選手になろうと上京する決意した時の自分に、辛い時も苦しい時も諦めずに頑張った時の自分に感謝しています。その時、もし自分が少しでも違う選択をしていたならば、今の私はいません。だからその時々の自分にも感謝しています。ここ最近、私は自分の選択で自分の人生は変わると書いていますが、本当にそう思います。私は何かを選択し決断する時に気を付けている事があります。先ず何かを選択し決断する時には、その事は誰にも相談はしません。それはあとで結果が出た時に言い訳をしたり、人のせいにしないためです。そして決断したら人に自分がやると宣言します。それは人に言う事が1番目の行動になりますし、言った事は否が応でもやらなければいけなくなるので、自分に引っ込みをつかなくさせるためでもあります。そして選択を迷った時の方法があります。それは2つで道を迷ったら、その道は自分にとって正しい道かそうではないか?その道は自分にとって厳しい道か楽な道か?を考えます。そして自分にとって正しい道、自分にとって厳しい道を取るようにしています。自分にとって良いか悪いか?自分にとって得か損か?で道を選んでしまうと自分の心が曇ってしまい間違った方の道を選択してしまいます。そして楽な道を選択してしまったときには必ず後悔が待っています。今のところ私は良い選択が出来ているのではないかと思います。人生の最後にもこの言葉を言えるよう、これからも頑張って生きていきたいと思います。
自分の選択で自分の人生は変わると思います。自分が選択した道によって自分が出会う人も変わります。自分が選択した道によって自分がどんな人間になるのかも変わります。自分が選択した道によって自分が作られて行くのだと思います。私は私が選択した道のおかげでたくさんの素晴らしい方々に出会い、素晴らしい体験をさせて頂きました。そのおかげで今の自分があります。これからも自分が正しいと思う道を自分にとって厳しい道を選択して生きて行けたら、きっと素晴らしい人生になるのだと思います。今日は自分が選択した道のおかげで出会えた方々ととても楽しい時間を過ごさせて頂きました。
自分は何をしている時が楽しいのか?それはやはり空手の稽古をしている時です。そして家族と一緒にいる時です。なので私はそれがある道場と家の往復しかしていません。もし私が空手家でなかったらそうなってはいないと思います。もし空手をやらずに東京に出て来ていなかったら、私は週末は必ず友達と飲み歩いていたと思います。自分の選択した事で、自分の人生は決まって行くのだと思います。
この日記を10年以上書いているわけですが、たまに自分の日記を見返してみたりします。なかなか面白いものです。自分が忘れている事を思い出させてもらったり、自分の変化に気が付いたりします。自分で日記を見てけっこう自分ってブレていないなと思います。人間ですから成長して変化して行きますが、それは進化でありたいと思います。左と言っていたものがある時に急に右になってしまい、またある時に急に左に戻るようなブレた生き方はしたくないと思っています。自分の正しいと思う道のど真ん中を真っ直ぐに生きて行きたいと思っています。
今、私が気を付けて勤めている事があります。それは姿勢です。私が見て来た空手家で技が美しい人や技を正確に正しく使える人は、みんな姿勢が正しい人達でした。私が達人だと思う人達もやはりみんな姿勢が正しいです。私もそうなりたいと思い稽古に励んでいます。でも稽古の時だけでは駄目です。常に生活の中で姿勢を正して美しい動きが出来るように努めなくては行けないと思います。私の先生もいつもそれを言っていました。立ち方、歩き方、呼吸、普段の生活全てが稽古だと。今それをすごく大切だと感じています。本当に自分は凄い先生に習っていたのだと、本当に感謝しています。それを私の生徒にもしっかり伝えて行きたいと思います。生徒達も今は分からなくてもいつか分かると思います。
長男と次男が飼っているザリガニが脱皮しました。朝に妻と次男がエサをあげた時に何も変化は無かったそうなのですが、妻が次男を幼稚園に送って家に帰宅すると、もうザリガニは脱皮していたそうです。妻は最初、ザリガニが1匹死んだと思ったそうです。そしてよく見ると1匹増えているように見え、よくよく見ると1匹が脱皮していたそうです。妻の事だからすごく驚いたのではないかと思います。長男も次男も脱皮したザリガニの皮と脱皮したザリガニを見て大喜びでした。そしてザリガニを飼って分かった事なのですが、ザリガニは横になって寝ます。
ワンピースの90巻を読みました。いよいよワノ国です。謎は深まるばかりだし今後の展開も気になるばかりです。9月22日発売のジャンプからハンター×ハンターも再開するし、来年夏にはワンピースの映画も公開が決定したし、私の楽しみは増えるばかりです。いろんな事を楽しみに毎日頑張りたいと思います。
ザリガニに鯖を毎日食べさせるとザリガニの色が青くなるらしいと長男に教えたら、さっそく長男はザリガニに鯖を食べさせていました。ザリガニは本当に青くなるのでしょうか?
長男と次男が飼っているザリガニはとても元気です。ザリガニの名前を考えようと話し、私が「ザリガニンはどう?」と言ったら、それは先週に長男が同じ名前を考え却下されたそうです。私と長男のボキャブラリーが同じレベルだったとは残念です。でも私はもう一つ「ザリーちゃん」という案を出したら、長男は「それはイイね!」と気に入ってくれ見事採用されました。やはり私と長男のボキャブラリーは同じレベルなようです。
自分が50歳になった時に、50代を戦い抜くための武器を身に付けるために頑張っています。今を生きる事に追われて毎日が終わってしまっていては、自分が向上しません。毎日の指導や仕事は当たり前にやらなくてはならない事です。本を読んだり勉強をしたり習い事をする事は、自分が次のステップに行くための武器になります。私が今この世の中で戦えているのは20代30代の時にしっかり武器を身に付けていたおかげです。ですがその武器も古くもなり使えなくなる物も出てきます。なので常に10年先を考えて新しい武器の調達をしなければいけません。世の中の変化をしっかり感じながら自分の生き方をして行きたいと思います。そして世の中の役に立つ生き方をして行きたいと思います。
今日から9月です。今年の最後の4ヶ月のスタートです。8月はイベント続きでいろいろと忙しかったので今週は少し休憩という事でダレてしまっていましたが、昨日から朝の稽古もウエイトトレーニングもバシっと再開しました。最近、長男はことわざに興味があるらしく、ことわざの本を読んでいます。2人でいるといろんなことわざを私に言ってきます。次男は相変わらずウルトラマンが好きです。家で戦いごっこをして私が少し意地悪で押さえ込んだりすると、怒ってウルトラマンレオの歌を歌いながらかかってきます。
kanno
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