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合宿で班長をした子のお母さんから聞いた話なのですが、その班長をした子は家に帰宅して寝たら、フッと起きて「先生の夢を見た!先生にみんな踊るぞ!って言われた!」と言って、また寝たらまたフッと起きて「先生の夢を見た!先生に〜頼むぞ!って言われた!」と言って寝たそうです。班長として責任感を持って本当に頑張ったんだと思います。
一昨日、2018年東日本空手道選手権大会が終わりました。私も反省点がたくさん残りました。私がもっともっと空手道に精進しなくてはならないと感じました。私の甘さが生徒の甘さに繋がってしまったと反省しています。少し自分にも生徒に対しても甘くなってしまったと思います。それを本日稽古に来た生徒達には伝えました。これは負けたから書いているのではありません。今回の大会で生徒達の試合に対する姿勢や負けた後の姿勢などに甘さを感じました。これは生徒の責任ではなく、私の責任です。私の反省点です。私が指導しない事は生徒は出来ません。私が口うるさく言わなくては生徒は出来るようになりません。いつの間にか私は少しずつ甘くなっていたようです。数年前の生徒達が今の私を見たら「先生、何をしてるんですか!?」と怒るかもしれません。もう一度、私も初心に帰って生徒達に空手道を指導して行きたいと思います。
昨日、家族が福島に帰郷したので、暇な休日を過ごしました。何もやる事が見つからなく、ダラダラと昼寝をして、買い物に行き、風呂に入り読者をして、ご飯を作り、お酒を飲みながらご飯を食べました。あまりに寂しいので妻に「苦しい」と嘘のラインをしたら、妻がラインで電話をくれたので1時間話しました。嘘のラインをして心配させてしまったのは申し訳無かったけど、そのぐらい寂しかったのです。
2018年東日本空手道選手権大会が終わりました。選手の皆さん、お疲れ様でした。スタッフして頂いた皆さん、本当にありがとうございました。今大会初入賞者を出す事は出来ませんでしたが、この反省をもとに頑張って稽古していきましょう。
極真祭に向けて型の稽古を自主トレしています。予選型の最破と決勝型の征遠鎮を稽古しています。私の型の稽古の仕方は先ずはしっかり柔軟体操を行い、その型に出てくる動きで重要な箇所や苦手や箇所を鏡を見ながら稽古して、一通り型をやってから、動画を撮って型を行います。そして動画を見て自分で良くないと思った所を抜き出してまた稽古します。そしてその部分だけを動画で撮り、また見て出来るようになっているかをチェックします。出来ていなければもう一度、出来ていたら、また動画を撮って型を行います。こんな感じで稽古しているとあっという間に時間が過ぎてしまいます。
西六郷小学校のわくわくスクールでした。参加者は46名でした。体育館は暑いため中止も懸念されましたが、少し狭いのですがプレイルームという場所で稽古をしました。狭いながらにも、全員で稽古をしました。分けてやることも提案されましたが、そこは指導歴22年の経験が活きて全員で稽古出来る事をやりました。たくさんの元気な子と出会うことが出来て良かったです。また自分が住んでいる地域や息子が通っている学校や子供達と関わることが出来て凄く嬉しかったです。昨年参加した子も4〜5名いました。私は職業柄、子供達の顔は結構忘れません。何名かの顔を見て「去年も来てたよね」と当てて見せました。多くの子供と接しているとそんな能力も身につきます。
長男と次男が蒲田グランディオにウルトラマンの握手会に行ったそうです。何のウルトラマンが来るのかは知らなかったので、次男はウルトラマンオーブの人形を持って行ったそうですが、来たのがウルトラセブンだったので必死に隠していたそうです。妻がセブンに見せたらと言うと、次男はセブンに悪いと思ったそうで、妻に「ママ、オーブ隠しておいて」と渡してきたそうです。私はそういう気遣いが大好きです。そのまま成長して欲しいなと思います。
次男の真白が4歳で合宿に参加しました。ご飯もたくさんのお代わりしていました。合宿中は1度も私の所に来たりもしませんでした。みんなとも仲良く遊んだりしていたようです。なかなかしっかりしているなと感心しました。妻は長男が生まれてから7年以上、家で1人になる事は無かったので「家に1人でいるのが不思議な感じだ」と言っていました。
昨日の合宿の後、子供達を連れて蝉の羽化を見に行きました。私は子供の頃から、勉強が苦手だったぶん、カブトムシを捕まえたり、ザリガニを捕まえたりする事は得意でした。そんな事が今日は役に立ちました。子供達も大喜びしてくれたので嬉しかったです。
夏合宿が終わりました。解散場所に着き、お父さんお母さんが迎えに来て、子供達が1人また1人と帰って行く姿を見る時は少し寂しくなります。昔は最後は本当に一人ぼっちだったので凄く寂しかったです。でも今は長男と次男も一緒に帰るので楽になりました。今回の合宿では廣田さんが私をたくさんサポートしてくれました。今回の合宿にもし廣田さんが参加していなかったら、私は今回の合宿を無事に終わらせる事は出来なかったかも知れません。夏合宿の前は私は本当に緊張しています。様々な最悪の状況を想定して臨んでいるからです。だからそこそこの事なら焦らずに対処出来る自信はあるのですが、私の体は一つしかなく、一つ一つの事に私が対処しなくてはなりません。なのでサポートがないとどうしても物事に対して後手後手になってしまいます。でも今回は廣田さんがいてくれたおかげで最善とは言えないまでも、迅速な対処が出来たと思っています。今回の合宿は私にとってもとても勉強になった合宿でした。そして自信になった合宿でした。今回の合宿の事は一生忘れないと思います。大変ではあったけど本当に楽しくて良い合宿でした。本当に廣田さんには感謝しています。本当にありがとうございました。押忍
今日から明日まで私が運営する道場の夏合宿です。生徒達と生活を共にするので、生徒達のいろんな部分を見ることが出来ます。何度か合宿に来ている子からは成長を感じたりします。私の長男と次男も合宿に参加しました。次男は初参加でした。私はこの合宿には凄く力を入れています。稽古だけではなく遊んだり食事したりする中でも、その子その子、一人一人の性格などをよく見るようにしています。その中で、敬語を使う事や挨拶をする事などを指導して行きます。今回もいろんな事がたくさんありました。その度にたくさん褒めたくさん叱りました。私は子供の嘘や誤魔化しや言い訳を99パーセント見抜く力を持っています。これには自信があります。今までの人生で得たたくさんの経験と直感で私は子供達に何かが起きた時に対処して行きます。その時、私は事を中途半端では終わらせません。全力でその事に対処します。それが私の主義です。合宿では本当にいろんな事が起こります。その時に私が子供達に見せたいのは、先生は褒めるにしても怒るにしても、自分に何かがあった時には本気で全力で対処するという事です。そんな姿を子供達に見せたいと思っています。
空手の稽古は本当に楽しいし、本当に奥が深いです。空手をやればやる程、稽古すれば稽古する程、それを感じます。空手を始めてから30年経ってもそう思える事に喜びとやり甲斐を感じています。私の残りの人生の全てを空手に捧げたいと思います。極真の道を全うしたいと思います。そして出来ればこの私の学んだ精神と稽古方法と技術を誰かに全て渡して、次に繋げたいと思っています。
暑い毎日が続いています。私は暑いのには強いので、暑いのは全然嫌いじゃありませんが、人以上に汗かきなので、それが困ります。少し外を歩いただけでTシャツはびしょ濡れになってしまいます。それと稽古では一回の稽古で道着がびしょ濡れになってしまうので、次の稽古では道着を新しい物に変えなくてはいけません。今までは稽古中は冷房を入れていなかったのですが、流石に今年は冷房を入れています。
朝から夏合宿の仕事や買物をしました。昼からは自分の稽古を1時間30分行いました。来月は極真祭があります。私も全日本型競技35歳以上の部に出場します。必ず優勝します。今頑張らないともうチャンスが無いかもしれません。来年には何があるか分かりません。だからたぶん今が自分の全盛期だと思います。今年のお盆休みは福島の実家に帰らないで稽古に励もうと思います。朝から晩まで合宿のような気持で稽古に励みたいと思います。
大森道場の8回目の更新手続きが終わりました。おかげさまで大森道場を開設してから16周年となりました。ここまで来ると本当に道場に関わって頂いた皆様への感謝の気持ちしかありません。自分1人の力では絶対にここまで来る事は出来ませんでした。本当にたくさんの方々の力でここまで来る事が出来ました。感謝しても仕切れないほどの感謝の気持を噛み締めています。それにしても本当に時が過ぎるのは早いです。道場を出した時に29歳だった私はもう45歳です。でも今の自分の事が今までの自分で1番好きです。自分で言うのも何ですが、この歳になり人間としても男としても空手家としても本当に良い塩梅になりました。これからも尊敬、感謝、忍耐の気持ちを忘れず一生懸命に頑張りたいと思います。今後ともよろしくお願いします。押忍
今日は、私だけゆっくりとした休日を過ごしました。昼過ぎまでダラダラと過ごし、ストレッチをして多摩川を6キロランニングして型を稽古しました。妻の息子達は萩中プールに行ったのですが、人が混んでいて午前中は入場規制で入れず、仕方なくガストで時間を潰し、午後は炎天下の中を1時間半並んでプールに入ったそうです。妻はなかなか大変な思いをしたようです。そのお詫びに夕食は私が買い物に行きました。
家族で品川プリンスシネマに「ジュラシックワールド」を観に行きました。長男は3歳ぐらいの時から集中して映画を観ている事が出来ましたが、次男は今までは途中で必ず飽きてしまっていました。でも今回は恐竜が好きだからなのか、次男も集中して観ていました。長男は凄く怖かったようで、怖いシーンでは耳をふさいで小さくなって観ていました。
私は自分を武道家であり空手家であると思っています。空手を生業にしているとか空手の道場を経営して生活しているという理由では武道家、空手家とは言えないと思っています。それでは空手屋です。私が武道家だ空手家だと言う定義は、日々の生活の中で常に空手の稽古をし空手の事を考えて生活をしている人の事です。毎日の生活の中に空手が入り込んでいる人の事です。そして何をする時も武道家、空手家として物事を行動している人の事だと思っています。私もそうありたいと思い毎日を過ごしています。
私は、朝は自分の稽古をしたり、ランニングをしたり、水泳をしたり、ウエイトトレーニングをしたりしています。お風呂に入る時は読書をしています。そして型競技の試合やセミコンタクトルールの試合に挑戦したり、昨年までは全空連の講習会に参加していました。その全ては自分が好きでやっている事ではありますが、全て空手の指導に役立てています。と言うか自分が好きでと言いつつ空手の指導に役立たせるために私は新しい事を常に学び取り入れています。それは何故か?私が空手の技を見せたり、稽古方法を教えたり、自分の思いや考えや感じた事を話したりする事で、生徒達は私から良いと思った物など、いろんな物を盗み取るのだと思います。もちろん指導の根本や根底にある物や土台は変わりませんが、何年経っても同じような事をずっと教えていたり、ずっと同じ事ばかり話しているようでは、生徒達は私から得るものはどんどん減っていくばかりですし、最後は私から学ぶ事や、それこそ盗む物なんて一つも無いと言う事になってしまいます。子供達だっていつまでも子供ではありません。いつかはいろんな部分で私を超えて行きます。そうなった時にでも、生徒達が自分はいろんな部分で先生を超えたけど、やはり先生は凄い、先生から学ぶ事はたくさんあると思われる先生でいたいと思っています。そしてこれは2人の息子達の親としてもそうありたいと思っている事です。
私は空手道のおかげで心も身体も健康でいる事が出来ていると思います。空手道が自分を厳しくしてくれます。空手道が自分を戒めてくれます。空手道が自分に気付きを与えてくれます。空手道が自分を叱ってくれます。毎日、健康に気を付けるのも空手道があるからです。毎日の稽古のために食事や入浴や睡眠などの毎日の生活にも気を配っています。そして1番は空手の稽古で気を養う事が出来ます。気と言っても人を飛ばしたりする不思議な技の気ではありません。気力の気です。気は身体と心を繋ぐものだと思います。気が落ちると心も弱くなり、気が落ちると身体も弱くなります。空手道の稽古はストレス発散にもなりますし、空手道の稽古は人間力を養う事も出来ます。そして空手道は護身術になります。どんなに平和な世の中でも、自分の身を自分で守る事を稽古して行かなくてはならないと思います。そして自分の身を守る事が出来る人は、自分の大切な人を守る事も出来ます。
3年ぐらい前から、空手道のルーツを調べたいと思い、空手道に関わるいろんな本を読むようになりました。今は船越義珍先生が書いた「空手道一路」を読んでいます。
最近、長男に「パパ、八岐大蛇って知ってる?」と言われました。私は古事記には少し詳しいので、須佐之男命が八岐大蛇を退治した話をしました。須佐之男命が詠んだとされる「八雲立つ 出雲八重垣 妻籠に 八重垣作る その八重垣を」と言う詩の話もしました。なぜその話をしたかと言うと次男が生まれる前に、妻と次男の名前を決める時に、私が出した案は「八雲」でした。その話を長男にし「マシロの名前は、真白と八雲、どっちの名前が良かった?」と聞くと「真白に決まってるでしょ!もしマシロの名前が八雲だったとしたら、俺が真白って名前に変えてたよ!」と少し意味は分からないけど力強い意見を頂きました。
昨日、深夜までお酒を飲んだため二日酔いで体調は最悪でしたが、朝はしっかり稽古をしました。今日だけは絶対に逃げたくなかったのです。月曜日の朝は稽古をする事は決めている事なので、それを分かってて深酒をしたのですから、二日酔いのせいで稽古をサボったらダラシなさすぎると思い、凄く気持ち悪いなか2時間半稽古をしました。稽古の前の日に深酒をした事は反省ですが、稽古をサボらなかった事は良かったと思います。あの気持ちが悪いなかで朝起きて稽古も手を抜かずに出来たので、そこは自信になりました。でもやはり二日酔いで稽古をするのは身体には良くない事なので今後は気を付けたいと思います。自分が蒔いた種ですが、でも今日は本当に頑張りました。
朝は鍼治療に行き、昼からは息子達と川崎のゲームセンターに遊びに行きました。長男はムシキングの次男はウルトラマンのカードゲームをやりました。2人ともなかなか考えて上手くゲームをしていました。そのあとラゾーナのビックカメラに私の携帯の充電器を買いに行きました。そこで長男はかるい迷子になりましたが、入口で待っていました。「ちゃんと付いてこないとはぐれちゃうんだよ」と私が言うと長男は「でも入口にいれば会えると思って待ってたんだ」と言いました。「それは良い考えだったね」と褒めてあげましたが、「でも心配だからはぐれないようにしてね」と言いました。とても暑かったのでマグドナルドでシェイクを飲んで休憩してから雑色に戻りタイヤ公園で遊びました。そのあと妻と雑色駅で合流し買い物をして家でご飯を食べました。妻とお酒を飲んだのですが、話が弾んでお酒が進みついつい深酒をして深夜まで飲んでしまいました。久しぶりに吐くまで飲んでしまいました。でも楽しかったので良しとしたいと思います。
今日は朝に次男が空手に行きたくないとグズったので、次男をおいて長男と2人で稽古に行きました。帰りは長男と銭湯に行きサウナに入りました。私は10分を2回、長男は5分を2回入りました。サウナの中では長男はいろんな話をしてくれるので、なかなか楽しいです。長男が大人になったら一緒に稽古して、一緒に風呂に入って、一緒にビールでも飲めたら最高だなと思います。
ウエイトトレーニングを始めて5ヶ月になりました。4月は腰を痛めたのでまるまる1ヶ月トレーニングは出来ませんでしたが、約4ヶ月は頑張って週3回はトレーニングして来ました。身体に悪い所が沢山あるので軽い重量でしかトレーニング出来ませんが、それでも自分の身体に変化が出て来ました。怪我に気をつけて今後も頑張って行きたいと思います。
私の今までの人生で軽い気持ちで何かをやってみて上手くいった事はありません。たまたま上手くいったという事もほとんどありません。でも苦労して頑張った事に対してはそれなりの結果を得て来たように思います。でもそれで良かったかなと思います。もしあまりにも事が上手く運んでしまっていたら一時期は良い思いをしてもその後に大きな失敗をしてしまったと思います。これからも一生懸命に頑張って何かを得ていきたいと思います。
私の家は父が会社を経営していましたので、かなりの収入を得ていたと思いますが、生活はとても質素なものでした。おもちゃなども最低限しか買い与えられる事はありませんでしたし、お小遣いもありませんでした。お年玉などは親戚も沢山いましたし従業員さんにももらえたのでかなりの金額のお年玉を貰えましたが、1円も自由には使わせてはもらえませんでした。母と買い物に行っておねだりしても、どんなに安い物でも買ってもらえる事はありませんでした。これは母の教育方針だったのだと思います。だから私は母におねだりをして泣いてぐずった事はありませんし、10代の1番ヤンチャだった時でも母にダメと言われた事を押し通す事はありませんでした。母がダメと言ったものは泣こうが騒ごうがダメな事を小さい頃に教育されたのだと思います。そこで我慢する事や良い意味での諦める事、自分の我儘が通らない事に踏ん切りをつける事を学んだ気がします。私に子供が出来た時に母から言われた事がありました。「お金があれば子供に何でも買ってあげてしまいたくなるけど、そこは親の我慢だよ」その言葉がようやく分かって来ました。買ってあげたい気持ちを我慢して買ってあげない事も親の務めなのだと思います。親が我慢しなくては子供も我慢を覚えないのだと思います。私の妻はそれを分かっていて買い物に行っても子供にのおねだりには絶対応じません。しかし私は結構買ってあげてしまいます。子供の欲しがる物なので、たかだか100円か200円の物なのでついつい買ってあげてしまいます。でもこれが良くないのだと思います。
自分が何かに一生懸命取り組む事で、人に何か影響を与える事が出来たら嬉しいです。そして私には自分が一生懸命取り組む姿でしか人に影響を与える事が出来ないと思っています。私には人に誇れるほどの経歴も人に影響を与えられるほどの実績もありません。今を頑張る事を止めてしまったら私には何の取り柄も無くなってしまいます。だから一生懸命頑張りたいと思います。そして自分が頑張っている事で影響を受けてくれている人がいる事も感じています。本当に嬉しい事です。私は昔から「一緒に頑張りましょう!」と周りの人を巻き込んでしまうと言う特技があるので、その特技でどんどん私の周りの人を巻き込んで行きたいと思います。そしてみんなで夢や目標に向かって頑張って、その話を肴に美味しいお酒を飲んで楽しい時間を過ごして、良い思い出を作って行きたいと思います。人生は一度きりです!悔いのないよう一生懸命頑張って人生を作って行きたいと思います。
私は39歳から43歳までの4年間、月曜〜金曜の朝にマイバスケットというお店で働きました。ほぼ無遅刻無欠勤で頑張りました。働いた理由は、私は働く事が嫌いだったからです。15歳の時に学校を退学になり仕方なく仕事をしましたが、毎日が苦しくて仕方がありませんでした。そしてその頃の私はダラシなく3つの仕事をクビになりました。何をしても続きませんでした。たこ焼き屋、運送会社、ゴルフのキャディー、八百屋、いろんな所で働きましたが、どれも苦痛で長続きしませんでした。そこから逃げ出すために、好きな事を仕事にしようと空手を始めました。その夢が叶い空手を仕事に出来ていますが、家族が出来て、もし私が運営する道場が潰れたら自分は他の仕事をしてでも家族を養う事ができるのか?と言う不安を感じました。だから自分が避けてきたものに挑戦しようと思いマイバスケットで働く事を決めました。働いてみて自信になった事は自分はどんなにキツくても嫌いな仕事でも頑張れると確信した事です。どんな事をしてでも家族を養って行けるという自信がつきました。でもマイバスケットの仕事をして世の中人はこんなに大変な思いをしてお金を稼いでいるんだと思いました。23歳から空手の先生をしてご飯を食べていましたので、それなりに人から気を使って頂いて来たのだと思います。マイバスケットの仕事では、お客さんから信じられないほど理不尽な言葉を言われた事もありました。もちろん店長に叱られたり注意されたりした事もありますし、自分の仕事のミスで同僚に迷惑をかけてしまった事もあります。自分が出来ない事が世の中にはこんなに沢山あるんだと思いました。だから自分がこの世で唯一得意な空手だけは一生懸命にやろう、生徒達やご父兄様から月謝を頂いている事に感謝して一生懸命に指導しようと思いました。だからこそマイバスケットの仕事を辞めました。自分の全ての力を空手の事に使おうと思ったのです。これからも空手道に日々精進して行きたいと思います。
2018年の半分が終わりました。本当に一生懸命に頑張った6ヶ月でした。道場の運営では朝のフィットネスクラスを開設し4名の方が入会して下さり、ビジターで2名の方が稽古に参加して下さいました。みんなでとても楽しく稽古しています。自分自身の事でも4月に国際親善大会の型競技で準優勝、6月に全国クラス別型競技大会で優勝、セミコンタクトルール全国交流大会に出場、また2月にはウエイトトレーニングを約10年ぶりに再開しました。自分の身体が変化している事に楽しみを感じています。3月からは新しい事を始めました。そちらも昨日大きな結果を出す事が出来ました。この勢いをさらに次に繋げて行きたいと思います。今日は長男と「ハン・ソロ」を観に行きました。ハン・ソロは凄く好きなキャラクターなので凄く面白かったです。
kanno
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