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2018年06月30日(土) 大きな前進

今日は本当に大きな前進をしました。自分にしか出来ないと思える事を達成しました。新しい事に挑戦して何かを頑張れば、必ず何かを得る事が出来る事を感じました。この大きな前進をさらにさらに大きな前進に繋げて、誰よりも遠くまで行けたらなと思っています。


2018年06月29日(金) 私の目指す指導

お釈迦様という方は同じ事を説くにしても、その弟子その弟子によって違う事を説いたそうです。それを方便と言うそうです。「嘘も方便」の方便です。その人の分かりやすい説き方をしたのだと思います。だからその人に理解されるのなら嘘も言って説いたのかもしれません。私はお釈迦様ではないので嘘を方便に出来るほどではとうていありませんが、やはり人に物を教える時には、その人が分かりやすい例えや言葉を選んで話せる人になりたいと思います。もちろん仕事の上で人に何かを聞くならそれなりに自分で勉強する事は大切だと思いますが、教える側の人が専門的にやっている人にしか分からない専門用語や英語などを並べてより分かりにくく話すのはあまり好きではありません。私の先生だった廣重師範は、何を教えるにも誰にでも分かるように教えて下さいました。本当に空手が大好きで、本当に生徒の事を思い、本当に生徒に分かって欲しかったのだと思います。そして教える相手によって教え方も違いました。白帯や色帯には凄く優しく褒めて教えていました。黒帯には何事にも厳しく細かく教えていました。そして相手の性格もしっかり見ていました。私は結構厳しく指導されました。確かに私は厳しくされた方が頑張る生徒だったと思います。私は廣重師範には遠く及びませんが、そこを目指して行きたいと思っています。


2018年06月28日(木) 流石に見ました

あまりサッカーはテレビで見る事はありませんが、流石に今日のワールドカップの日本VSポーランドは見ました。私が小学生の頃は「キャプテン翼」が流行っていました。ちなみに私は日向小次郎と三杉淳が好きでした。私が東京に出てきた1993年にJリーグが出来ました。だから結構サッカーは好きでしたが、実際にJリーグを観に行った時にあまり面白くなかったのと、自分が空手に一生懸命だったのでサッカーは興味がなくなった感じでした。でも本当に日本はサッカーが強くなったんだなと思いました。私が子供の頃は日本がワールドカップに行くなんて夢の夢のまた夢という感じでしたが、今はワールドカップの決勝に勝ち上がっても、勝ちあがり方を問われるほど強くなったのだなと思いました。それだけ国民から期待されるスポーツに発展したのだと思いました。そしてサッカーのワールドカップって凄いなと思いました。一種目の競技の大会でこれだけの人から注目される大会はサッカーのワールドカップだけかもしれません。ある意味で言えばオリンピックより凄いと思います。


2018年06月27日(水) 私からの遺伝

長男のダメな所はハッキリ言って私からの遺伝です。ある本を読んでいて面白い文章を見つけました。そこには、その人が先天的に持っていた物は子供に遺伝する確率が高いが、その人が後天的に努力で身につけた物は子供に遺伝する事はない、と書いてありました。私は長男を見ていると本当に自分の子だと思います。私が今できる事のほとんどは初めから出来たものではなく努力して後天的に身に付けた物です。だから長男は身体も固く、走るのも遅く、泳ぐのも苦手で、体操も苦手で、空手もなかなか上達しないのだなと思います。そしてそれは全て私から受け継いだ遺伝による物だと思います。でもだから何だとも思います。身体が柔らかくなる事も走るのが速くなる事も泳ぐのが速くなる事も体操が上手くなる事も空手が上手になる事も、そんな物は努力で全て身につける事が出来ます。私はそれを自分の身を持って証明して来ました。長男が年頃になり何かを感じて本気で何かを身に付けようと思い努力をすれば、それらを身に付ける事が出来ると思います。その日が来るまで口うるさく見守ってあげたいと思います。私の子です必ず一念発起するはずです。私は長男を信じています。


2018年06月26日(火) 裂ける

久しぶりに足の親指の付け根が裂けてしまいました。ここが裂けるとかなり動き辛いです。痛めてみてフットワークを使う時にどれだけこの部分に体重がかかって、どれだけ大切な場所なのかをあらためて分かりました。自分に起こる事から何かを感じたり考えたりして、これからの人生にしっかり活かして行きたいと思います。


2018年06月25日(月) 目標があると頑張れる

昨日は私が運営する道場の夏季昇級審査会と組手競技支部内交流試合でした。審査や試合の手伝いをして頂いた道場生の皆さんには本当に感謝しています。審査や試合に挑戦した道場生の皆さんは良く頑張りました。またご協力いただきましたご父兄様、本当にありがとうございます。今後ともご協力よろしくお願いします。事故なく審査会と試合を終了出来た事で昨日はホッとして気が抜けましたが、今日の朝から稽古をしっかり始めました。昨日はお酒を飲んでリラックスしたのですが、朝起きた時に身体にダルさを感じましたが、目標があるので頑張る事が出来ました。この歳になっても目標を持ち稽古出来ている事に幸せを感じています。若い頃に自分が満足する夢や目標を達成し全てが満たされていたら、もしかしたら私は今こんなに頑張っている事は無かったかもしれません。夢を達成出来なかったから、自分の想いが満たされなかったから今を頑張れているのかもしれません。もしそうなのだとしたら、やはり私の人生はそれで良かったのだと思います。人生最後の日まで満たされる事なく精進出来るのであれば、それは幸せな事なのかもしれません。


2018年06月24日(日) 長男の試合

私の運営する道場の組手競技支部内交流試合でした。私の長男も試合に出場しました。長男はここ1年ほど組手の試合では勝つ事が出来なかったので今回の勝利は自信になったのではないかと思います。いつもは下がってしまい負けていたのが、今回は頑張って前に出て打ち合っていたので良かったです。これからも頑張って欲しいと思います。


2018年06月23日(土) サウナ初挑戦

蒲田道場の稽古のあと息子達とゆーシティーと言う銭湯に行きました。2人ともサウナに入りたいというので、3人でサウナに入りました。長男も次男もサウナ初挑戦でした。このゆーシティーは私が21歳の時から来ている銭湯です。先輩や仲間達とも来ていました。数見先輩とサウナ勝負になり30分入っていた事もありました。そのサウナに長男と次男と入る事になるとは夢にも思いませんでした。


2018年06月22日(金) 私の指導方針

私が空手の指導で収入を得て生活するようになります22年になります。初めは指導員として給料を頂いていましたが、自分の道場を出してから15年は空手の指導で道場を経営し、おかげさまで今はその収入で家族を養っています。なので私の1番の仕事は空手の指導をする事です。でもだからそこ私は一生求道者であり挑戦者でありたいと思っています。毎日一生懸命に稽古し空手道を追求し、新たな事に挑戦する中で感じた事や発見した事や気付いた事を生徒達に指導して行きたいと思います。自分の稽古する姿勢で生徒を導いて行きたいと思います。そして子供達には空手を教えるだけではなく教育者でいたいと思います。空手の先生の良いところは、子供達に毎日会うわけではないけれど、子供達と長く付き合う事が出来ます。出来れば生徒と一生付き合える先生になりたいと思います。子供達がいつか大人になった時に一緒に酒を飲める先生を目指したいと思います。


2018年06月21日(木) 書きたい事

毎日一生懸命生きる事を毎日の目標にして活動しています。この日記を書く事もそうです。一生懸命に何かを学んだり、何かを一生懸命に頑張っていれば、いろんな事を感じたり、いろんな事を考えたりします。そうすればこの日記にも書きたい事がどんどん出てくるはずと思って活動しています。何も書きたい事が思い浮かばなくなってしまわないように毎日を頑張りたいと思います。


2018年06月20日(水) 七夕の願い事

雑色道場があるコミュニティーセンターにある竹に七夕の短冊に願い事が書いてあります。私の長男の願い事は「世界一強よい人になれますように」で、次男の願い事は「ウルトラマンになれますように」でした。面白いもので2人の願い事は、私の子供の頃の願い事と同じものでした。私の願い事は2人の願いが叶いますようにです。私は基本的に自分の事で願い事はしません。それは願い事は自分の力で叶えるしかない事を今までの人生で学んだからです。だから私は願い事はありませんが、夢や目標は沢山あります。それを必ず自分の努力で掴んで見せます。


2018年06月19日(火) 次男の言葉

次男が「サン」と言えるようになりました。今までは「サン」を「タン」と言っていました。自分の事は今でも「真白」を「マチロ」と言います。幼稚園の事は「ヨーチェン」と言います。長男も3歳ぐらいの頃は「てんとう虫」を「トントンシー」と言っていました。次男も来年ぐらいには言葉がしっかりしてくるの思いますが、それも少し寂しい気持ちもします。もう少し小っちゃい可愛い真白でいて欲しい気もします。子供達と一緒にいる貴重な時間を大切にしたいと思います。


2018年06月18日(月) 私の尊敬する人

最近、私の父の事を書いていますが、私の父はなかなか壮絶な人生を歩んだ人なので、いろんなエピソードがあります。もちろん私の1番尊敬している人は父です。ですが、ずっとそうだった訳ではありません。父を嫌いだった時期もありましたし、私もそれなりの歳になり、いろんな人と出会い接する中で「父より偉い人なんていっぱいいるじゃないか」と自分はたいした事もしていないくせに、生意気にもそう思っていた時期もありました。でもそんな時期もあり一周して今は父を1番尊敬しています。父が私にしてくれた事を私は子供達にしてあげれるか分かりません。そのぐらいの事を私は父にしてもらいました。そして私も子供達が大人になりいろんな事を経験し、いろんな人を見た中で最終的に尊敬されている父親になりたいなと思います。


2018年06月17日(日) 長男の運動会

長男の通う小学校の運動会でした。この学校には私の道場に通っている子がたくさんいるので本当に楽しく見る事が出来ました。この歳になると涙脆くてダメです。子供達が一生懸命に走っているところやダンスしているところを見るとついつい涙腺が緩んでしまいます。特に長男がダンスをする前に私を見つけ、私に笑って手を振ってくれ楽しそうにダンスをしている姿を見た時はもう涙が止まらなくなりました。元気に育ってくれてありがとうと言う気持になりました。それと6年生の組体操がとても良かったです。あれだけのものを作るのは本当に大変だったのではと思います。前で指揮していた先生が泣いている姿を見て、私も感動しました。一つのものをみんなで一生懸命に作り上げれば感動が生まれるのだなと思いました。もしあの中に自分の子供がいたら私は号泣してしまったかもしれません。それと駆けっこで順位は1番最後でしたが一生懸命走っていた生徒を見た時も涙が出ました。一生懸命走って最後だったという事は自分より速い人達と走ったと言う事です。その中で最後まで一生懸命に走るという事は素晴らしい体験をしたんじゃないかなと思います。私の長男は駆けっこでは2位でした。私が思っていたより速く走れていてビックリしました。なかなかカッコよく走れていました。最後の高学年のリレーはカッコ良かったです!やはり高学年にもなると速いですね!あの中にもし自分の子供がいたら親としては興奮するんだろうなと思いました。家に帰ってから長男と「高学年のリレー、カッコ良かったね!リレーの選手を目指そう!」と話しました。私は1度もリレーの選手になった事は無いので、長男がリレーの選手になるのはなかなか大変だと思います。でも頑張れば不可能ではないと思います。


2018年06月16日(土) 親睦会

今日は道場の親睦会でした。道場生やご父兄様といろんな話が出来て嬉しかったです。特にご父兄様とは子供達の今の状況や家での生活の事や空手に対する取り組み方などいろんな話が出来ました。子供達の将来は、その子に関わった人でその子の将来が決まると思います。もちろん友達や恋人なども大きな影響を与えると思います。でもやはりその子供の土台は小さいうちに子供達に関わる大人の影響で決まると思います。これは私の考えですが、子供達がいろんな大人に関わる事が大切なんじゃないかなと思います。そして出来ることならその子に関わる大人がみんなで手を組んでその子を良い方向に導いてあげたら、子供達は良い成長をしてくれると思います。いろんな役目の大人がいて良いのだと思います。その子を励ます人、厳しくする人、優しくする人、逃がす人、食い止める人、いろんな正解があって良いと思います。でもみんながあまりにバラバラだと子供は都合の良い方に逃げて行きますし、都合の良い話しか聞かなくなってしまうので、ある程度の共通認識を持ってその子に接する事が必要だと思います。そこでやはり中心になるのはお母さんなのかなと思います。お母さんは子供に1番接する人なので良く子供を理解していると思います。なのでお母さんが、お父さんや学校の先生や習い事の先生とコミニケーションを取ってその人達に出来ることを話してその子に接して貰えばより良くなるのではと思います。私も道場の子供達とは一生付き合って行くという気持でいます。子供達の為になるのならどんどん私を利用して欲しいと思います。


2018年06月15日(金) 父と私と息子達の生き方

私の父は中卒ですが自分の力一代で東北電工の協力店となる光電工という会社を設立しました。私は小さい頃は父は高卒だと聞かされていました。何かのキッカケで実は父は中卒だった事を知りましたが、私はそれを知り逆に父をさらに尊敬するようになりました。学がなかった父は会社を設立するまで本当に苦労したと思います。ですが父は仕事は誰よりも早かったです。私は子供の頃から何度も父の手伝いに行っていたので、父が働いている姿はよく見ていました。父は誰よりも仕事が早く一生懸命でした。仕事に対して几帳面で繊細で従業員さんへの気遣いも行き届いていました。ですが怒る時は凄く怖かったです。父は仕事も喧嘩と一緒だと言っていました。私はそんな父の姿を見て人の上に立つ人間というのはこう言う人なんだろうなと思いました。これは母から聞いた話ですが、父は一つの仕事を請け負う際もその仕事はどの位の期間がかかり、旅館代、ガソリン代などの経費がいくらかかるか、従業員さんの給料を引いて、どの位のお金が会社に残るかを大卒で東北電工の社員になった人が計算した明細を見て、その場で頭で計算して訂正していたそうです。そして仕事が終わると父の計算が必ず正しかったそうです。私が父になぜそんな事ができるかを聞いたら、父は「長年働いていればそんな事は分かるんだよ」と言っていました。でも私は父の仕事を継ぎませんでした。それは私は父のようにはその仕事を出来ないと思ったのと、父の後を継いだら私は一生父には勝てないと思ったからです。そして何より自分の道を自分で決めたかったのです。父が一代で何かを築いたように私も自分で何かを築きたかったのです。菅野秀雄二世ではなく、初代菅野秀行になりたかったのです。そして両親はその私の我儘を許して私に沢山の力を貸してくれました。自分の行く道は自分で決めると啖呵を切ったくせに結局私は両親の力をたくさん借りて今を築く事ができました。だから私は息子達に自分の仕事を継がせる気持ちはありません。自分の行く道を自分で決めて欲しいと思いますし、私の父の孫で私の子供なので、必ず自分の行く道を自分で決めてくれると信じています。そして私が両親にして頂いたように、私も息子達の行く道に協力してあげたいと思います。


2018年06月14日(木) 進化して行きたい

45歳にもなると20代30代の頃には出来ていた事が、出来なくなって来てしまうという事が少しずつ増えていきます。20代から身体を動かしていなければ、それは45歳にもなればもちろんたくさんあるのでしょうが、私の場合はずっと継続して鍛えていますので、同じようにやっているのにだんだん出来なくなって来て、ついにはもう出来なくなってしまったという事が何個もあります。もちろんもう一度鍛え直し出来るようにしようと言うものもありますが、あまり無理をしては身体を壊してしまいます。そしてどう考えてももう一度出来るようになるのは無理というものもあります。なので最近は出来なくなった事にこだわらず、出来ていた事が出来なくなる事が増えていく分、新しい事を出来るようにして行こうと思っています。今まで出来ていた事は自分が得意な事や好きな事だったりしますが、この歳まで出来なかった事という事は自分があまり得意ではなかったり苦手だったり嫌いだったりした事で、自分が疎かにしたり目を背けてきた事なのだと思います。だからそのような事に目を向けて出来るようにしていけば、今の自分より成長出来るのでは無いかと思っています。もちろん自分の変化が退化であることもありますが、自分の変化が進化になるよう頑張って行きたいと思います。私は人間は何歳になっても進化して行けると思っています。


2018年06月13日(水) 理不尽を力に変えた父の人生

世の中というのは理不尽な事がたくさんあります。でも私はその理不尽があるから人間は強くなっていくのではないかと思います。今の時代は理不尽から子供を遠ざけたり、理不尽から子供を守りすぎてしまっているのではないかなと感じる事があります。もちろん理不尽な事が無い世の中があればそれは素晴らしいと思いますが、それは無理な事だと思います。世界レベル、国レベル、社会レベル、会社、学校、仲間同士、どんなレベルだろうと大小の問わず理不尽な事がたくさんあるのが世の中です。だから私はその理不尽を力にして成長出来る人になれば良いと思います。私の父は家が貧乏だったために様々な理不尽を経験してきました。私の父が小学生低学年の頃に、近道をする為に田んぼのあぜ道を歩いていると、大きな農家の田植えを手伝いお金を稼ぐ人達が10人ほどいて昼食におにぎりを食べていたそうです。小学生低学年の父が通りかかるとその中の1人が「あの子は菅野のとこの子供だ。家が貧乏だからおにぎりが欲しくて来たんだな、ほら食べろ」と言いおにぎりを出したそうです。父は本当はその近くにようがあったのですが、それが悔しくてそのおにぎりを受け取らずに、その道をずっと真っ直ぐ歩いて行ったそうです。なぜ真っ直ぐにずっと歩いて行ったかと言うとそれは悔しくて泣いている顔を誰にも見られたくなかったからだそうです。父はその時に将来絶対お金持ちになって美味しいものを食べる事が出来る人になろうと思ったそうです。そして父は一生懸命に働き会社を作り、お金を稼ぎ親孝行をしました。父は理不尽な世界を恨んだり、不満を言ったりせずにそれをパワーにして頑張ったのだと思います。その理不尽な事がもしなければ父の人生はまた違うものになっていたかも知れません。


2018年06月12日(火) 2回目のフィットネスクラス

開設してから2回目のフィットネスクラスの指導でした。今まで自分が指導する事がなかった層の方々と楽しく稽古が出来る事を嬉しく思います。稽古の始まりと終わりや合間には、少し世間話などもして、私もなかなか楽しくやっています。今もう一つ考えている事があります。それは高齢者の方々が楽しめる場を作れないか?という事です。自分の人生の先輩方にこの国を頑張って作ってくれた先輩方に何か空手で恩返しが出来ないかなと思います。そのような事でしたら喜んで何でもしたいと思います。もし良い知恵を持っている方がいましたら力をお貸しいただけたら助かります。


2018年06月11日(月) 扉を開く

自分が動き出したらドンドン加速して行く事があります。もう自分でも止められないぐらい加速して行きます。頑張っていれば誰かが自分を後ろから押してくれる人が現れます。人を当てにしてはいけないとは思いますが、自分が一生懸命頑張っていれば、必ず誰かが力を貸してくれると思います。最近、私はそれをすごく感じます。そして誰かに応援してもらえる自分でありたいと思います。その為にはとにかく挑戦です。何歳になっても挑戦!挑戦!挑戦!です。挑戦すれば負ける事もあり、恥をかく事もあります。
でもそれを恐れて挑戦しなければ何も起こりません。私は今日とんでもない扉を開いてしまいました。誰かに後ろを押されてその扉を開いてしまった気がしました。


2018年06月10日(日) 父の日礼拝と財布をなくす

次男の幼稚園の教会の父の日礼拝でした。次男は「ゲームセンターに連れて行ってくれてありがとう!」とメッセージを書いた私の似顔絵をプレゼントしてくれました。長男も一緒に礼拝に行き私にプレゼントをくれました。家に帰って財布がない事に気が付き「これはもう終わった!」と1度は自暴自棄になりましたが、交番に行って届けを出すと、なんと蒲田警察署に財布が届けられていました。何かに守られている感じがしました。


2018年06月09日(土) お弁当の話

この話は子供達にも話す話ですが、私の父は学校にお弁当を持って行く事が出来ずにお昼は家まで走って帰りご飯を食べてからまた学校に走って帰ったそうです。家までご飯を食べに行くならお弁当を持って行けば良いのでは?と思う方もいると思いますが、父の家では白米を買う事が出来ず、すいとんのような物を食べていたそうです。ようは汁物なのでお弁当に出来なかったのです。父はお弁当を持って来れない理由を言わず、毎日お弁当を忘れたと先生に言って家に帰っていたそうです。先生も本当の理由を問い詰める事はなかったそうです。そんな時代が自分が生まれるすぐ前にはあったのだと思うと自分達がいかに恵まれているかが分かります。団塊の世代の人達が強いのはそういう苦労をして来たからなのだと思います。


2018年06月08日(金) 走り出す

次の目標に向けて走り出しました。しっかりと一つずつ一つずつ目標を達成して行きたいと思います。その目標を達成して行けば、私が50歳になる時には、私の空手は凄い事になっているのではと思います。


2018年06月07日(木) 次の目標に向かって

全国クラス別型交流大会とセミコンタクトルール交流大会が終わりました。また次の目標に向けて頑張りたいと思います。次は8月の極真祭の型競技でしっかり優勝したいと思います。そしてそれが終わったら来年1月に三峯神社で行われる総本部合宿の昇段審査に向けて稽古をして行きたいと思います。休んでいる暇はありません。


2018年06月06日(水) お勧めの本

妻の勧めで眉村卓の作品「妻に捧げた1778話」を大阪に行く道中に読みました。読み終える瞬間は涙が出でしまいました。本当に本当にお勧めしたい作品です。私にとって心に残った言葉がたくさんあった作品でした。ですが本当にお勧めしたい作品なので、あえてここで紹介する事は控えます。自分がお勧めしたのに、勧めて読んだ方から感動を奪うような事を書いたら申し訳がないので書きません。そのぐらいお勧めです。


2018年06月05日(火) フィットネスクラス本格的に開始

本日からフィットネスクラスが本格的に開始となりました。4名の方が入会してくれました。新しい試みでどうなるか凄く不安でしたが、上出来のスタートと言えると思います。みなさんに空手の稽古を楽しんでいただけるよう毎週、いろいろ考えて稽古のメニューを考えたいと思います。


2018年06月04日(月) 不器用な事は

私は不器用です。何事もすぐには上達しませんし。何かを始めてもすぐには上手く行きません。結果を出すのも人より時間がかかります。人生の前半はそれを私の欠点だと思っていました。しかし今はそれを欠点だとは思っていません。むしろ上手くいかないからこそ努力する事が出来たと思っています。先日優勝した型競技もそうです。初出場で優勝していたら私は4年も型競技に取り組む事はなかったと思います。勝てないから頑張れたのです。その4年間の努力で私はたくさんの物を得る事が出来ました。人間は自分の長所が短所になってしまったり、短所が意外に長所になる事もあります。本当に面白いものです。


2018年06月03日(日) IKOセミコンタクトルール交流大会

極真会館の第1回目となるIKOセミコンタクトルール交流大会に出場しました。前日は体重が気になったので昼食と夕食を抜き、夜はランニング1時間と公園で基本稽古30分やりそのあとサウナに1時間入り体重を87・8キロにしました。私は85キロでエントリーしたのでその体重より5キロ多いと失格になってしまいます。87キロだから大丈夫と思う人もいると思いますが、私は吸収が良いのか普通に食べて飲んだら91キロぐらいにはすぐなってしまいます。その証拠に夜に家で体重計に乗ると91キロでした。当日も朝食は抜き受付をしました。体重は87・9キロでクリアでした。そのあとお弁当やおにぎりをいっぱい食べました。今回の試合は城南京浜支部からは私と廣田さんが出場しました。廣田さんが35試合目で私は71試合目だったので開会式が終わってからアップを始めました。廣田さんは山梨支部の小坂支部長と1回戦でした。ポイントにはなりませんでしたが廣田さんはかけ蹴りを入れたり廻し蹴りを入れたりと凄く良い技がたくさん出ていました。そして積極的に技を出せていました。残念ながら負けてしまいましたが、廣田さんは稽古の時より伸び伸びと動けていたように感じました。私は国分寺支部の川嵜先生と1回戦でした。まず私が技ありを取りポイントを先取しました。相手の中段回し蹴りを見切って右の逆突きを決めました。そのあと相手に右の逆突きでポイントを奪われましたが、私に先取ポイントがあるのでこのまま試合が終われば私の勝ちになる、そんな事が少し頭によぎりました。そして中途半端な気持ちで攻撃を出した時に相手から前蹴りでポイントを奪われました。これは1ポイント取り返さなくてはと攻めようとした時に試合が終わりました。結果は私の負けでした。一番悔しい事は相手にポイントを取られた事ではなく、自分のポイントを守ろうと言う気持になった事でした。何故ポイントを守ろうとしたのか?それは勝ちたいという気持ちが出て弱気になったからです。試合でそんな気持になってしまった事が本当に悔しいです。それではダメだと思い直し攻撃をしましたが、そんな気持に一瞬でもなった事は反省点です。試合は自分の技を存分に出して勝ち負けを競い判定を受け入れなければいけません。それと稽古した技が全然出す事が出来ませんでした。試合が終わってから映像を見ましたが、動きが全然遅いしカッコ悪いなと思いました。昨日は4年がかりで型競技で優勝を手にしましたが、今日はまた悔しい1回戦負けでした。まあ私の人生で初めて何かに挑戦して上手くいった事はないので、こんなものだと思います。でも私は必ず最後までやります。セミコンタクトルールの試合も勝つまでやろうと思います。帰りの新幹線では廣田さんと一杯飲みながら帰って来ました。2人でいろんな話をしてあっという間に東京に着いた感じでした。大阪府立体育館で試合をするのは11年ぶりでしたし、こうやって一緒に試合に出た仲間と飲みながら帰って来るのは16年ぶりの事でした。本当に楽しかったです。廣田さんと一緒に稽古をした日々や試合に出た事や帰りに飲みながら帰って来た事は私の一生の思い出になりました。また私の財産が増えました。私の人生は常に挑戦する事です。そして負けたら何度でも立ち上がって、また挑戦します。また新たな挑戦に向かって努力精進します。


2018年06月02日(土) 念願の優勝と13年ぶりの3回目

全国クラス別型交流大会の35歳以上男子の部で優勝しました。私は予選は4番目に型を演じました。予選の型は最破でした。今までに比べるとあまり緊張せずに試合場に入りました。出だしから良い感じで進んで行きましたが、途中次の動作が頭から抜けてしまいました。そう思った時にはもう身体が次の動作に移っていました。自分の身体が勝手にそして自然に動いた感じでした。しっかり稽古を積んでいれば身体に動きが染み込んで自然に身体が動く事を実感しました。初めての体験でした。予選を1位で通過し決勝は征遠鎮を演じました。決勝は落ち着いて堅実に型を行う事が出来ました。そして優勝しました。4年前の初出場の予選落ちをして優勝するまでやると決めてから、今回やっと優勝する事が出来ました。素直に嬉しいです。当初は優勝するまでこんなに時間がかかるとは思っていませんでした。まあでも遠回りするのが私らしさかもしれません。表彰式では松井館長から表彰状を頂く事が出来ました。松井館長から表彰状を頂いたのは20年前の千葉大会優勝と13年前の茨城県大会優勝の2回なので、13年ぶりに松井館長から表彰状を頂きとても感慨深いものがありました。明日のセミコンタクトルールの試合も頑張りたいと思います。


2018年06月01日(金) 京都から大阪

朝4時に起きお風呂に入り、妻と子供達の寝顔に行ってきますをして5時に家を出て新幹線に乗り京都で途中下車をして京都御所と二条城に行きました。京都御所は何年か前にも来ましたが、その頃は一般公開は年2回しかしていなく中を見る事は出来ませんでしたが、今は普通に一般公開していたので中を見る事が出来ました。二条城は3回目なのですがゆっくりと見る事が出来ました。そのあと大阪府立体育館に13時に着き1時間半稽古をしました。3時半から全国支部長会議でした。しっかりと自分の意見を話しました。


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