DiaryINDEX|過去の日記|未来の日記
今日は妻が朝から長男の幼稚園の行事があったので、私は朝の仕事を休み、次男の真白と2人で上野動物園に行きました。私は普段は長男と一緒に行動する事が多いです。なので真白は、いつも私と長男について行きたくて泣いています。だから真白は私と一緒にどこかに行く時は「パパと、パパと」と言って喜びます。今日も私が「真白!今日はパパと2人でお出かけだよ!」と言うと喜んで玄関に来て靴を履きました。真白は本当に手のかからない子です。動物園ではちゃんと私と一緒に歩いたり、肩車したり、抱っこしたりしてくれます。真白はアザラシが1番気に入ったようで、ガラスの向こうからアザラシが迫って来ると「キャ〜!」と言って喜んでいました。次はペンギンが泳いでいるのが気に入ったらしく、ずっと見ていました。あとはゾウ、キリン、ゴリラ、サイ、フラミンゴ、カバ、サルを真剣に見ていました。あとは園内のモノレールに乗ったのが楽しかったようです。帰りの電車では疲れたのかぐっすり寝ていました。次男と2人で遠出するのは初めてだったので、私の一生の思い出です。
私が今までの人生の中で1番、感動した言葉は「一緒にこの景色を見た事を一生忘れないでね!」でした。その言葉は9年前の12月25日クリスマスに、六本木ヒルズのスカイデッキから夜景を見た時に、まだ結婚する前の妻から言われた言葉でした。その言葉を聞いて私は妻と本気で結婚したいと思いました。その言葉と、その言葉を言った時の妻の顔と、その景色を私は絶対に一生忘れません。
家族でタイヤ公園で遊び、新宿の伊勢丹で行われている益田さんの個展を見に行きました。益田さんの絵は本当に素晴らしいと思いました。絵のコメントも良かったです。益田さんの人生の素晴らしいさと人柄の良さを感じました。その後、近くの花園神社の縁日に行き、綿飴やリンゴ飴や飴細工を買いました。
前橋さんが亡くなってから一カ月が経ちました。前橋さんの告別式で前橋さんの帯を締めて、あんなに涙を流してさよならの挨拶をして送り出したのに、道場で稽古の前に一人で柔軟体操をしていると前橋さんが、明るい笑顔で大きい元気な声で「押忍!」と道場に入って来るような気がしてなりません。前橋さんの魂はこの大森道場にいる気がしてなりません。
私は43歳です。43歳にもなってと思われる方もいるかもしれませんが、私は今でも強い男でいたいと思っています。私は小さい頃から強い物に対する憧れが凄くありました。その強さの憧れの対象がウルトラマン、仮面ライダー、からカンフー映画のブルース・リー、ジャッキー・チェン、次はプロレスになり、身体を鍛えるようになりました。中学生の頃は単純にビーバップハイスクールや湘南暴走族に憧れて、自分の住んでいる街で1番強いと言われる事を目標に頑張りました。今は反省しています。そんな時にテレビで第4回世界大会を観て、極真カラテに出会いました。衝撃でした!世界中の空手家が素手素足で殴り合い蹴り合うのを見て本当に衝撃を受けました。その衝撃は自分の人生を変えてくれました。そして今でも強くなりたいと思っています。空手バカ一代や地上最強の空手を見た時の感動は本当に凄いものでした。その強くなりたいという事を死ぬまで追いかけてみせます。
「ワンピース」のエニエスロビー編で、ロビンが世界政府と、ある望みを叶えたいために取り引きをしました。その取引は世界が滅亡する可能性がある兵器を呼び起こす事でした。その望みとは、麦わらの一味の仲間を守る事でした。アイスバーグがロビンに、お前は仲間の為なら世界が終わっても良いと言うのか?と聞きます。ロビンは、仲間を守る為なら世界が終わっても構わないと答えました。これは本当は極端な考えですが、でも自分の人生の中で、自分の命よりも、世界よりも大切な物を見つけられたらそれはとても素敵な人生だと思います。もちろん私にもそれがあります。だから私の人生はいつも輝いています。
iPhoneのデータが消えて約一週間、本当にいろいろ大変でした。あの手この手を尽くし連絡先などを取り戻し、やっと正常な業務をこなせるようになりました。 ですがどう手を尽くしても取り戻せない物もありました。それは写真のデータです。私の写真のデータは99・9パーセント家族の写真です。それを失い本当に凹みました。この反省をしっかりこれからに生かして行きたいと思います。
私は「ワンピース」が大好きです。大好きどころか、私にとって「ワンピース」は大切な教科書です。本当にいろんな事を学べます。好きなキャラクターはウソップです。本当は凄く弱い自分に負けないところ、仲間を大切にするところ、たまに自分以上の力を出しちゃうところ、ここぞという時は勇気を出すところです。ウソップが、そげキングになって世界政府の旗を迷いなく撃った時は鳥肌が立ちました。一番好きなエピソードはエニエスロビー編です。
長男のリクエストで国立科学博物館に恐竜博を見に行きました。子供達が喜んでくれたので嬉しいです。長男はティラノサウルスの人形を買いました。次男にもちゃんと貸してあげていたので偉いなと思いました。帰りに公園で遊びました。私は次男に付きっきりでした。次男は滑り台が好きで、ずっと滑り台で滑っていました。家族と一緒に居る時間は私にとって凄く大切な時間です。本当にかけがえのない時間です。
極真会館代官山道場にて全空連第1回講習会がありました。講師は剛柔流の竹川達男先生でした。宮城長順先生が考案された準備運動をしました。極真会館の準備運動に近い感じがしました。それもそのはず極真会館の創始者大山倍達総裁は剛柔流の山口剛玄先生のもとで稽古されていたそうです。その時に竹川先生の師匠の間山先生とも交流があったそうです。型は「セーパイ」を習いました。また「サンチン」を見せて頂きました。組手の部の講師は横道正明先生でした。全空連ルールの中で有効な突きや蹴りを習いました。とても分かりやすい指導でした。これからの指導のヒントになる事をいっぱい吸収して来ました。今後もこの講習会に参加して、いつか全空連の試合に挑戦する生徒を育成したいと思います。
人は人に成長させてもらうのだと思います。長男は、私と妻にとって初めての子供で、菅野家にとっては名前や跡を継ぐ内孫で、妻の実家の岡崎家にとっては初孫なので、それはそれは大切に温かい愛情をいっぱい受けて育ちました。そのために少し我儘なところがありました。でも、もっと頑固で強烈な次男が生まれてから、長男は我慢する事や弟に譲る事を学び、とても優しくなりました。人は人との関わり合いで成長するのだと思います。私もそうです。親、兄弟、先生、先輩、後輩、友達、妻、息子との関わり合いの中で成長して来ました。
携帯一つに自分の人生や仕事にこんなに影響を及ぼす事に驚愕しています。本当に便利は不便だと感じました。
iPhoneをバージョンアップしたら、初期化されてしまい全てのデータを失ってしまいました。またパスワードも失ってしまったので、アメブロの自分のページに入れずブログを更新が出来ません。連絡先も全て消えてしまいました。どうやらバックアップデータを残していないので、データを取り戻す事は不可能なようです。何処にもつながる事が出来ず孤島にいる状態です。道場生の皆さんにはご迷惑をおかけしますが、暫くの間、この菅野日記で休館や行事日程などのお知らせをします。よろしくお願いします。本当に便利は不便です。全てを失い全てやり直しになりそうです。その業務にてんてこ舞いです。1番悲しいのは子供達の写真や動画のデータが消えた事です。皆さんも気を付けて下さい。大切な写真は携帯で撮らず、ちゃんとカメラで撮影し写真に現像しておいたほうが良いです。動画もビデオカメラで撮影したほうが良いです。息子達の生まれた時の写真や動画を失うのは悲しいです。私もこれからはiPhoneに頼らないようにしたいと思います。
たまに私が家に早く帰る事があります。「ただいま!」と家に入ると長男と次男は二人で私のところに走って来て「おかえり!」と言うなり、私のお腹に二人でパンチをします。二人とも私が笑顔で「おぉー強くなったな!」と言うのが嬉しいようです。二人は何才まで私が帰って来るのを喜んで走って来てくれるのだろう?私は何才まで二人のパンチを笑顔で受ける事ができるのだろう?子供達と過ごす今と言う時間を、本当に大切にしたいと思います。
次男は「スターウォーズ フォースの覚醒」と「こびと図鑑」のDVDをずっと見ているようです。次男は「ビービーエイト」と完璧に言えるようになりました。ももじりはまだ完璧に言う事は出来なくて「ももじん」と言います。
家族で城南島まで行きました。私が自転車に長男を乗せ、妻が自転車に次男を乗せて行きました。片道1時間15分かかりました。城南島でお弁当を食べ子供達と遊びまた帰って来ました。私は、この場所から見る夜景がとても好きです。子供が生まれる前は妻と二人で何度も来たお気に入りの場所です。ある時は夜景を見るため夜にお酒を買い込み自転車で来た事がありました。でもこの城南島は夜は閑散として少し怖いです。夜に行った時の帰り道迷ってしまい、なかなか島から出る事が出来ませんでした。廃線になった線路なんかがあったりしてとても不気味な感じでした。城南島からは間近に羽田空港から飛び立つ飛行機が見え、レインボーブリッヂや東京タワーやスカイツリーも見る事が出来ます。本当にお勧めな場所です。
今週も一生懸命頑張りました。一生懸命頑張る事は生きている最低限の事だと思います。一生懸命頑張る事を放棄してしまったら、自分が生きている意義は一体なんなのだろうと思います。手を抜いたら手を抜いた事は自分が1番分かります。自分に嘘をつく事は出来ません。だから自分の為に、自分を納得させるために一生懸命毎日を生きて行きたいと思います。
はじめて次男とお絵かきをしました。私がかいた絵はダース・ベイダーと電車とかくれモモジリでした。次男もいろんな色のクレヨンでいっぱい絵をかきました。
3月から5月までで20名の人が入門しました。これからが私の手腕の見せ所です。一生懸命頑張ります。
また新たな活動を始めて行きます。そのためにその新たなものを自分が学びたいと思います。私は今までの人生で新しい事に挑戦して失敗した事は沢山あります。でもあとで考えて損した事ややらなければ良かったと思った事はありません。新しい事への挑戦は必ず自分を成長させてくれます。先ずは自分からです。
空手を生業にして二十年が経とうとしています。今年の8月で自分の道場を出して14年になりますが、本当に苦しい時もありました。初めの一年は自分の給料が出ないどころか、道場の家賃にも満たない状況でした。だからこそ必死に頑張りました。本当にいろんな事がありました。血の気が引くと言う事、絶望しそうになる事、明日がどうなるんだろう、なんて事を体験しました。お金が無い、ご飯が食べれない、住む場所がない、逃げ場が無い、なんて事も多々でした。その時に学んだ事が今の自分の強さになっています。そこで学んだ1番はどんなに厳しい状況になろうと、自分の命一つあればなんとでもなる事、自分が諦めなければなんとかなると言う事、必死になれば何とかなると言う事です。そこから何とか今では家族を養えるぐらいになりました。でも最初に自分の仕事を持ちそちらからの収入で生活が出来、道場はスタジオや体育館を借りて片手間的に道場をやっていたら、必死にはならなかったと思います。いつまでも空手ではご飯を食べれないどころか、生徒も集まらず、強い生徒も育てる事は出来なかったと思います。そして自分がやめたら終わりと言うだけの道場で終わってしまったと思います。私が目指しているのは自分がいなくなった未来に繋げる道場です。自分も今、大好きな空手で生活が出来て毎日が幸せです。だからこそ、これからの生徒達に、空手を大好きな人が空手で生活が出来る環境を必ず作らなくてはならないと思います。
昨年から引き続きですが、今年は勝負の年と決め活動しています。大山倍達総裁をはじめ極真空手の諸先輩方の本を片っ端から読み、空手道に対する考えを学んでいます。道場の経営も頑張っています。矢口渡道場開設をはじめ、各道場の生徒獲得に力を入れて来ました。また自分自身も型競技の試合に参加したり、ザハリ選手の100人組手の相手を務めたり、と積極的に挑戦して来ました。今年のはじめに「五十三歩(スーシーホー)」が出来るようになりました。極真空手の型を全部覚えました。そして新しい稽古も始めました。ここからさらに加速して行きたいと思います。生きるという事は死に向かってアクセルを踏んで行く事だと思います。だからと言って速くなるものでも遅くなるものでもないのかもしれません。また逆に言えばブレーキを踏んだ所で自分は前に進むしかないのかも知れません。もしかしたら自分の運命は自分の計り知れない、遙か彼方で決められているのかも知れません。でも私は絶対にブレーキを踏むような人生は生きたくありません。自分の命が果てる瞬間までアクセルを踏んで突っ切るような人生を送りたいと思います。必ず極真会館東京城南京浜支部を自分のいない未来に繋げて見せます。
次男のマイブームは「こびと図鑑」です。ずっと「こびと図鑑」のDVDを見ています。なかでも「かくれモモジリ」が好きなようです。ずっと「ももじり」と言ってかくれモモジリのポーズをします。DVDが始まる時の手拍子や「こびとビート」も歌っています。今日は次男とDVDを10回以上見たので、もう頭からこびと図鑑が離れません。
長男のマイブームは自分で型を作る事です。見ているとなかなか面白いです。おっ今の動きカッコイイな!という動きをしたりもします。自分で型を作るって面白いなと思います。
次男と2人で行動する事が増えて来ました。次男は本当に手のかからない子です。もしかしたら私が長男に鍛えられたから、そう感じるのかもしれません。ご飯も自分でいっぱい食べてくれるし、家にいる時もわりと1人で静かに遊んでいたりします。公園に行っても、結構聞き分けが良いのでダメと言われた事は素直にやめます。結構マイペースなところとか、1人で静かに遊んでいられるところとかは私に似ているのかもしれません。
時はどんどん過ぎて行きます。今日が来て今日が過ぎ去ろうとしているように、たぶん明日もすぐそばまで来ていて、気付いた時には明日が過ぎ去っているのでしょう。無常にも時はどんどん過ぎて行きます。時は止まっていてはくれません。時は何も待っていてはくれません。時は理不尽なほど、どんどん前に進んで行きます。でも逆に言えば時は誰も置いては行かないのかもしれません。だから前に進むしかないのだろうと思います。自分の意志で自分の足で前に進んで行きたいと思います。時に後ろから押し出されるのだけはゴメンです。そんな人生を一瞬でも送ってしまったら、自分の命を繋いでくれた方々に申し訳がたちません。かつての自分が言った、その言葉を、今自分に言い聞かせています。
春季通い強化合宿2日目でした。子供達の成長する瞬間を共に出来た事に感謝を感じました。子供達にこの春季通い強化合宿に参加するチャンスを下さった、ご父兄様に心から感謝を申し上げます。この経験が必ず彼らの将来を輝かせてくれると思います。これからも、私自身がさらにさらに精進し、生徒達の指導方法も日々研究して行きます。また生徒達、1人1人としっかりコミュニケーションをとって心を通わせて、その人その人にあった指導をして行きたいと思います。ご父兄様にはこれからもご協力のほどよろしくお願いします。
春季通い強化合宿1日目でした。参加者は13名です。昨年より7名も多くの生徒が参加してくれました。徹平、快晴、譲、駿斗、は初めて合宿参加でした。低学年参加者が3名、幼稚園生が3名と、これから東京城南京浜支部を背負って立つ生徒達が参加してくれたのが嬉しかったです!この合宿に何かが変わった!強くなった!しっかりした!大人になった!自信がついた!と本人にも、またご父兄様にも感じていただけるようにがんばりした。
気が付けば4月が終わり5月がはじまっていました。自分の身体と心を常に鍛えていたおかげで、毎日の修行や業務を行えています。心にポッカリと空いてしまった、大きな空洞を家族が埋めてくれています。
前橋さんの告別式に参列しました。今日も道場生、ご父兄様が参列してくれました。前橋さんは棺の中で極真空手の道着を着ていました。それは前橋さんが手術を終えた時に、私がいつか前橋さんと一緒に稽古出来る事を願って、前橋さんに贈ったものでした。そして私が前橋さんの余命を、前橋さんから聴き、前橋さんといろんな話をした時に昇段を決め渡した、私の初段の黒帯を前橋さんは締めていました。前橋さんは旦那様に「この帯は大切な物だから必ず菅野先生に返して下さい」とお願いしていたそうです。その話を聴き、私は前橋さんの旦那様に「彼女が身につけた物は残された人達にとって今後とても大切な物になります。だから是非、最後に私の帯を締めて旅立って欲しい」と話しました。出棺の時に私は前橋さんに帯を締めようと、最後の十字を切りました。いろんな思い出があふれるようによみがえってきます。思い出があふれるたびに、涙もあふれて来ます。どのぐらいの時間かは分かりませんが、私はあふれる涙を止めることが出来ずに立ち尽くしていました。前橋さんに黒帯を締めながら、またいろんな思い出があふれて行きます。私は帯を締め終わり、前橋さんの道着に触れ、別れの挨拶をしました。私の隣にいた長男も涙を流していました。私は前橋さんの帯を締めに行く時、長男に「一緒に前橋先輩のとこに行こう。先生が最後に前橋先輩に黒帯を締めるのを見ていてくれ」と言い私の隣でそれを見ていてもらいました。長男に空手家が生涯の修行を全うした生き様を覚えていて欲しいと思いそうしました。前橋さんは本当に素晴らしい空手家でした。旦那様が最後の挨拶でも言っていました。前橋さんは癌になり苦しい事も辛い事もたくさんあったと思います。でも前橋さんは苦しいとか、辛いとか、一切口にせず、いつも前向きに一生懸命、病気と闘って来ました。そして私が言った言葉をいつも口にしていたそうです。生涯の修行を空手の道に通じ極真の道を全うすると言っていたそうです。私はその旦那様の話を聴きながら、自分が言った言葉と自分が指導した事の責任の重さを噛み締め、前橋さんが愛した極真空手と東京城南京浜支部に私の命を捧げる事と必ず未来に繋げる事を誓いました。そして私自身、前橋さんに恥ずかしくない人生をおくらなくてはならない責任と義務を強く感じました。全ての葬儀を終えて私は家族と大森道場に行き、道場の清掃を約4時間しました。そのあと神前に黙祷をして約3時間稽古をしました。前橋さんが愛した極真空手を必ず先に進めて見せます。前橋さんが愛した道場を必ず発展させて見せます。そして私自身凄い先生になって見せます。
kanno
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