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皆様のおかげで今月は極真会館東京城南京浜支部に、12名の新しい仲間を迎える事が出来ました。その新しい出会いに感謝して、自分が今まで学んで来た事の全てを生徒達に指導したいと思います。
もうすぐ4月です。これから収穫の時期が始まります。でもだからこそ種を蒔く作業を始めないといけません。やらなくてはならない時に、やらなくはならない事をやらないと遅れをとります。
今日は見学者から拍手が起こり「素晴らしかったです!あっという間の1時間30分でした!ありがとうございました!」と言われました。なんか自分のやって来た事が理解された気がして凄く嬉しかったです。この数年、自分のやろうとしている事は、自分の理想は、自分の良いと思っている事は、社会のニーズにあっていないのでは?と迷う事も正直ありました。「世の中の変化に適応出来ない物は生き残れない、自分は世の中変化に適応出来ていないのでは?」などと思う事も多々ありました。でも私は自分の信念を曲げずに自分の信じた道のど真ん中を進んで来ました。今日、少し救われた気がしました。
生徒達に夢や感動を与えらる指導をしたいと心から思います。そのスタートがまさに今年でした。先生の本気が生徒に連鎖して行きます。私が本気になり必死にならなければ、生徒は絶対に本気にも必死にもなりません。私が常に先頭で汗を流して稽古して見せます。私の本気を生徒に伝えて見せます。
雑色商店街のさくら祭りにて私の運営する極真会館東京城南京浜支部が演武をさせていただきました。今回は見にきてくれた方々も沢山いて、凄く盛り上がりました。3月に入り入会者が凄く増えています。道場生、ご父兄の皆様、私を支援して下さる皆様のおかげです。生徒達やご父兄様との出会いを大切にしたいです。真摯な気持ちで誠実に一生懸命に全力で指導します。世界一の道場を目指して行きます。日本の未来に貢献出来る生徒を育てて行きます。私達が居なくなった後にも日本の武道を残していける道場にして行きます。その為にも、私は常に初心を忘れず自分に厳しく謙虚な姿勢で精進して行きます。皆様、これからもよろしくお願いします。
私は長男と次男にとってどんな父親でいたいか?と言うと、やはり強い父親でいたいと思います。そして子供達には、父親を超える強い男になって欲しいと思います。私には、彼らが二十歳になる時に、こういう父親でいたいと言う、一つの夢があります。私は息子が二十歳になった日に「道着を持って道場に来い!」と息子を道場に呼び出します。二人で礼をして「本気でかかって来い」と言い、二人きりで組手をします。私は六十歳になっていますが、もちろんかなり強く、息子と激しい戦いになります。でもその時、息子は私より強くなっていて、私を何かの技で倒します。二人で礼をして組手を終えます。私は息子に「ついて来い」とだけ言い二人で道場を出て歩きます。そして二人で居酒屋に入ります。そしてテーブルに座り二杯のビールを注文します。きたビールを一つ息子に差し出して、二人で黙って飲みます。二人でビールを飲み干した後、私は息子に「お前のあの〜は良い一撃だったな!」と良い、父親を超え成人した息子を祝ってあげます。それが私の夢の一つです。
この日記に何度か書いていますが、当極真会館東京城南京浜支部の道場生であります、前橋さんは、癌という病気と今、闘っています。今現在の前橋さんの病状は癌に対する処置は全てやり尽くしましたがこれ以上の効果を望む事が出来ず、痛みを和らげ残りの人生をより良く生きて行こう、という治療を行っています。そのような状況の中でも前橋さんは、常に希望を持って生きて行こうとしています。そしてお見舞いに来た人達への気遣いを忘れず、いつも笑顔を見せてくれます。私に前橋さんは「極真空手をやっていたから病気と闘えています。極真空手をやっていて良かった!」と言いました。その言葉を聴き、私は前橋さんに初段へ昇段をする認定をしました。私は空手道で学んだ事を人生に活かし、自分の人生を良くしている人が素晴らしい空手家だと思っています。そしてそれを前橋さんから感じたのです。私がある部分においてでも尊敬する所がない人に、私が人生をかけて愛している極真空手の、一つの象徴である黒帯を渡したくはありません。だから私はこの東京城南京浜支部を開設して13年で400名近い人が入門しましたが、黒帯を獲得した人はまだ9名しかいません。前橋さんが10人目の昇段者です。この10名は空手道を通しある部分で私を凌駕し黒帯を奪って行ったと言えるでしょう。だから昇段者には誇りを持って人生を突き進んで行って欲しいと思います。
自分が目指している空手家像は、常に空手道を学ぶ事で自分の心と身体を整えている。常に人の先頭に立ち汗をかき稽古をする。常に技の研鑽を怠らない。熱い気持で自分に対して厳しく、人に対しても厳しく、でも優しく思いやりがある。空手で学んだ武術をあらゆる人間関係や社会生活の中でも活かす事が出来る。自分が学んだ空手道で社会に貢献している。1番は空手道で学んだ事を人生に活かし、自分の人生をよくしている人は素晴らしいと思います。自分でもなかなか難しいなと思いますが、そこを目指して日々研鑽したいと思います。
「ジョジョリオン」12巻を読みました。だんだんストーリーの核心に迫る秘密が分かって来ました。早く13巻を読みたいです。「ハンター×ハンター」も再開するそうなので、とても楽しみです。
ここ最近は空手に関する本ばかり読んできたので、少し箸休め的に村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」を読んでいます。
最近、次男が本当に可愛いことをしてきます。私がご飯を食べているとお世話をやいてきたり、私がお風呂に入っているとガラスに顔をつけて変顔をして笑わせてきたり、私の手を引いてどこかへ連れて行こうとしたり、いろんな事をしてくれます。笑っている顔も、怒っている顔も、泣いている顔も、全部可愛いです。それが親ってことなんでしょうね!
家族で錦糸町にお墓参りに行きました。お墓参りは、自分が生まれて来た事、好きな事を仕事に出来ている事や、大切な家族を持ち幸せな毎日を過ごせている事に感謝する時間です。私にとってお墓参りは凄く大切な時間になっています。
東京城東支部支部北千住道場20周年のパーティーに参加しました。本当に素晴らしいパーティーでした。このパーティーは道場主の佐々木師範はノータッチで、全て道場生が企画して行われたそうです。佐々木師範の人徳がパーティーの端々に出ていました。私の運営する東京城南京浜支部は今年の8月で開設14年になります。20周年の時には何か形になる物を残せたら良いなと思います。
前橋さんのお見舞いに行って来ました。日曜日に会った時より顔色が良くて元気になっている感じがしました。少し安心しました。前橋さんから生きる事に明確な目標を持つという言葉を聴く事が出来ました。笑顔もいっぱい見せてくれました。お見舞いに行ってる私が、逆にいつもパワーを頂いています。
3月13日は私と妻の結婚披露宴をした日でした。その日に結婚披露宴で演武をしてくれた子が、その3月13日に道場に顔を出しに来てくれました。こんな偶然ってあるんですね!本当に嬉しかったです。
私は本当によく成功し、よく失敗した人間です。勝利も敗北もいっぱい経験しました。学業でも恋愛でも水泳でも仕事でもです。空手の試合戦績も130戦88勝42敗で優勝7回、準優勝5回、3位4回、一本勝ち7回、合わせ一本2回、技有り17回、一本負け2回、全日本ベスト16、ロシア大会ベスト8、となんだか強かったんだか弱かったんだか分からない微妙な結果を残しました。ある時はチャンピオンと言われるような強い選手に勝ち、かと思うと一回戦でコロっと負けてしまったりでした。本当に何だったのかと思います。自分で自分を評価すると、強い時もある選手、番狂わせをたまに起こす選手、って感じです。結局全日本や世界と冠のつく大会でチャンピオンになる事は出来ませんでしたが、会場がワーッと湧くような劇的な大番狂わせな試合をした時は気持が良かったです。あの試合場から見た光景は一生忘れないと思います。ちょっと自慢も入りましたが、何が言いたいかと言うとその試合の全てが私の財産です。またその試合に出る為に過ごした16年の日々は私の宝物です。そして指導者となった今、それはすごく膨大な指導材料となっています。自分がなぜチャンピオンになれなかったかを考えるだけで、生徒達を教える時には、それが素晴らしい指導材料となります。だから人生は面白いです。夢がやぶれても、目標が達成出来なくても、次に繋げて行けば良いのです。私はいっぱい失敗しました。でもその失敗で自分の人生が終わった事なんてありません。むしろその失敗が始まりだったと言えます。これから来る後輩達にそれを伝えたいです。「失敗を恐るな!自分の人生が終わる失敗なんてこの世に存在しない!失敗した今が始まりだ!たちあがれ!何でもイイ動き出せ!」
私の指導方針は、「勝ち負けでは人を褒めたり叱ったりしない」です。人を褒めたり叱ったりする時に、勝ったから負けたからは外します。勝ってもダメなものはダメ、負けてもイイものはイイです。強くなったり上手になったら褒めます。出来ない事が出来るようになった瞬間はすごく褒めます。遅刻していた人が遅刻をしなくなった!声が小さい人が声が大きくなった!こんな瞬間は絶対に逃さないよう気を付けています。稽古では一生懸命にやっていたら全力でやっていたら褒めます。どんなに上手でも手を抜いていたら叱ります。
久しぶりにお会いしたご父兄様に「菅野日記、見ていますよ」と言って頂きました。嬉しいなと思いました。自分の気づかない所で、自分っていろんな方々に応援して頂いているんだなと思います。これからも真摯な気持で誠実に全力で頑張って行きます。人に夢や感動を与えられるような活動を行って行きます。日本の未来に、地域社会に貢献して行きたいと思います。演武や講師など、そのような活動が出来るチャンスがあれば、どんどんお話を頂きたいと思います。なんか政治家みたいな感じになってしまいましたが、これからも皆様の温かいご支援よろしくお願いします。
今日は私が運営する極真会館東京城南京浜支部の春季昇級審査会と組手支部内交流試合でした。はじめて昇級審査を受けた人が4名いました。組手支部内交流試合でも初めて入賞した人が3名、初めて優勝した人が2名いました。生徒達の成長を感じる事が出来た素晴らしい試合が沢山ありました。また3ヶ月生徒達と一生懸命稽古したいと思います。
前橋さんのお見舞いに行きました。前橋さんは月曜に出血をし緊急の手術をしたため個室の病室にいました。出血の為や手術をしたので少し体力を消耗しているようでした。それでも私が行けば笑顔を見せてくれます。多分最後まで凛としているのだろうと思います。今日も前橋さんと空手の話をしました。まだまだ生きる望みを捨てていない姿勢に感動しました。今日は前橋さんに「先生には最後までみていて欲しい」と言われました。そして私にはその責任があると感じています。
東日本大震災、それは私にとって自分の甘さやいたらなさを痛感させられた出来事でした。私の妻と生まれたばかりの長男はその時、福島の実家に居たので東日本大震災を直撃で体験しました。数日後には原子力発電所が事故を起こしました。私の叔父の力添えで私の両親の車に乗り、私の妻と長男は山梨県の甲府市に避難しました。東北自動車道や国道4号線が使えない為、新潟の方からぐるっと周り避難したそうです。妻は福島を離れる時、もう二度と自分の両親や家族に会えないと思ったそうです。なぜ自分の両親や家族をおいて避難したのか?それは生まれたばかりの長男を自分が守らなくてはならないと思ったからだそうです。私の妻はその時にしっかり母親だったのです。それにひきかえ私は東京で何も出来ずにいました。父親として不十分な人間でした。今でも何故、原子力発電所が事故を起した瞬間に家族を守る行動をおこさなかったのか?後悔しています。家族は苦楽を共にしなくてはダメです。特に父親はです。母親は子供が生まれた時には母親です。父親は家族と一緒に苦労をして父親になって行きます。私はそう思います。
私が運営している極真会館東京城南京浜支部を世界一の道場にしてみせます。この13年間それが出来なかったのは、自分の為にそれをやろうとしていたからです。じゃあこれからは自分の為ではないのか?と言えば、それはもちろん自分の為です。でもこれからは自分の為だけではないと言えます。自分の為などと言う、そんな小さな事の為ではないと言えます。道場が大きくなる事で家族や道場生や地域の人達に大きな利益を与えたいと思います。極真空手に多いに貢献し恩返しをしたいと思います。そしてこれまで人から頂いた期待や応援に多いに応えて行きたいと思います。これからは自分の命は自分の為のものでは無いと言えます。自分の命を極真空手の為に東京城南京浜支部の為に燃やし尽くして見せます。
次男は長男を良く見ているせいか正拳突きと廻し蹴りが出来ます。お兄ちゃんがいると何かを覚えるのが早いようです。道場にお兄ちゃんのお迎えに来た時もお兄ちゃんと一緒に空手をやりたくて仕方がない感じです。
今まで自分が頑張って来た事に、やっと結果となって現れて来ました。毎日、入会者や体験者や見学者や問合せが続いています。そのかなで1番嬉しいのはご父兄様からのご紹介での問合せです。私の活動や指導に賛同頂き、信用して頂いたから、ご紹介して頂けたのだと思います。でもだからこそしっかり指導しなくてはならないなと思います。大山倍達総裁が仰っていた言葉に「金を失う事は小さい事である。信用を失う事は大きい事である。勇気を失う事は自分を失う事である。」「大切なのは金脈ではない、人脈だよ!」今での大切な人脈を失う事のないよう、また新たな人脈を作る事が出来るよう、自分に厳しく真摯な気持で誠実に一生懸命頑張りたいと思います。
父親は子供にとって永遠のヒーローです。私にとってもやはり父は永遠のヒーローです。私がはじめてカッコイイと思った男は父でした。強くて怖くて家に父が居るだけで家の空気がピーンと張りつめる感じでした。私の家は凄く古風で、食事の時も父が箸をつけるまで、私達は箸をつける事は出来ませんでした。父が言う事は絶対でした。私は父の仕事を何度か見た事がありますが、その姿は凄まじいものがありました。自分にも人にも仕事にもとても厳しい反面、従業員さんへの気遣いがすごかったです。家に居る時はいつもお酒を飲んでいた父が、現場ではお酒を飲まずに人に気配りをしていました。自分一代で、東北電力の協力店となる会社を作った父は、私にとって今でも目標です。でもこの歳になって思う事は、その父がそれだけの男に社長に父親になれたのは、実は母の力が大きかったのではとも思います。私も子供達にとって永遠のヒーローでありたいと思います!
前橋さんのお見舞いに行きました。毎回する話は極真空手の話です。いつも話をしていて思う事は、前橋さんは体を動かす稽古は出来ませんが、毎日しっかり修行をしているんだなという事です。明日から全力で自分の修行と生徒の指導をしたいと思います。
何か新しい事を始める第一歩を踏み出す事はとても大変な事です。0を1にする事は一番労力がかかる事ですし、その一歩はとても勇気が必要です。そしてその一歩を踏み出すには自分が今持っている物や状況を棄てなくてはならない場合があります。歳をとればとるほど、何か新しい事を始める事は困難な事になります。でも新しい事を始める事や挑戦する事をやめてしまったら、自分の成長は止まってしまいます。それよりも何より、も始める事や挑戦する事をやめてしまったら、人生が楽しくありません。常に何かに挑む人生を歩みたいと思います。
私が極真会館東京城南京浜支部を開設して13年が経ちます。13年間、本当にいろんな事がありました。自分ではその時々を一生懸命に頑張って来たつもりですが、自分がこの道場を出す時に思い描いたものには全然届いていません。それは何故か?それは自分の努力が足りなかったからだと思います。自分が抱いた夢や目標が叶うだけの努力をしてなかったのです。それだけの事です。思い起こせば反省だらけです。もっと一瞬一瞬を必死に頑張れば良かったと思います。そう考えれば大反省です。これからは、もっと心を鬼にして、自分の命を削って、一瞬一瞬を必死に頑張って行きたいと思います。私にはこの極真会館東京城南京浜支部を自分が居なくなった未来に残さなくてはならない責任と義務があります。命を賭けてでもやらなくてはならない責任と義務があります。
1日の夜、父と母と私でお酒を飲みながら、結構いろんな話しをしました。私の小さい頃の話し、私の息子達の将来について、父と母が経営していた会社の話し、父の仕事に対する考え、母はどんな方針を持って私達を育てたか?いろいろ教訓になる話しもありました。
身内に不幸があったため、昨日から福島に帰って来ていました。雪が降っていました。東京と比べると福島はやはり寒いと思います。昨夜はお通夜に参列に今日は告別式に参列しました。もう今は帰りの新幹線の車中です。昨日は両親と食事に行き、今日は早朝に温泉に行きました。あっと言う間の福島でした。
3月ですね。3月、4月は自分のやって来た事に結果が出る2ヶ月です。その結果を元にこの先が決まって行きます。私は極真空手に人生を賭けて来ました。自分の生きて来た道に誇りがあります。自分がして来た修行に自信があります。その中で自分が見て来たもの、感じて来たものを沢山の人達に伝えたいです。だからこそ自分の道場に入門して欲しいと思います。だから今年は宣伝活動に力を入れて来ました。沢山の生徒が入門してくれるのを祈ります。その生徒達に自分の全てを賭けて指導したいと思います。
kanno
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