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極真会館の創成期を支えた黒崎健時先生の著者「必死の力・必死の心」を読んでいます。極真をガンガン感じる作品です。
私が運営する極真会館東京城南京浜支部の第5回型競技支部内交流試合でした。回を重ねる毎に出場者が増え、レベルも順調に上がっています。また初めて型競技に参加する子も2名いました。私も新しい事にどんどん挑戦して行きます。生徒の皆さんにもどんどん挑戦できる環境を作ってあげたいと思います。生徒達と一緒に前橋さんのお見舞いに行きました。前橋さんはとても大変な病気と闘っています。もう一年以上辛い治療と闘って来ました。前橋さんからは最後の瞬間まで生ききるんだという意思を感じます。「極真空手をやっていて良かった。極真空手をやっていたから病気と闘えている。」と前橋さんは言っていました。私は本当に感動しました。
毎日の修行に、人生という修行に手は抜けない、そう思います。人に厳しい事を言ういじょう、人にものを教えるいじょう、最低限の資格として、自分に厳しくあらなければならないと思います。自分の行動に、自分のはいた言葉に、責任を持つ人生を歩まなくてはならないと思います。それがひとに厳しい事を言う人間の、人にものを教える人間の、責任であり義務だと思います。この日記を書いたことに対しても、自分は責任を果たさなくてはならない義務があります。
お釈迦様は「同じ事を同じように毎日情熱をもって繰り返していると悟る可能性がある」と言われたそうです。また最澄さんは「どんな愚かな人でも12年間同じことを続ければ、必ず一つの悟りを得る」と言われたそうです。でもその言葉には続きがあります。「ただし情熱を失ってしまったら悟る可能性はない」言われたそうです。「初心を忘れるべからず」と言うことだそうです。
大山倍達総裁の著者「わがカラテ 日々研鑽」を読んでいます。「何事も現状に甘んじていては進歩はないのだから。他の闘技の長所をとり入れることは極真のプライドが許さぬ、などとわからず屋をいう気は豪もない。わが極真カラテは常に最強を目指してゆかなければならない。わたしはそのためならどんなことでもするし、いかなる労もおしまないつもりである。」やらなければなりません。
自分の命が後少ししか残っていなかったらどうするか?を真剣に考えました。答えは「最後まで自分らしく生きたい」でした。
前橋さんのお見舞いに行って来ました。前橋さんは病気と闘っています。持ち前のガッツで一生懸命に病気と闘っています。そんなに長い時間ではありませんでしたが、前橋さんといろんな話をしました。私はいろんな事を考えました。うまく言葉が出ませんでした。ただ自分という人間の純粋な本心を話しました。
長男は福島が大好きです!福島は私と妻が生まれ育った場所ですから、たぶん長男の魂がDNAが細胞が、福島を好きなのだと思います。長男の性格は私に本当にそっくりです。だから私は長男の気持ちが分かります。イノシシ、ヘビ、カブトムシ、ヒヨコ、田んぼ、畑、山、川、全てが友達です。野山を駆けずり回る長男は最高に楽しそうです。東京は長男には窮屈そうで申し訳ない気がします。
長男と次男と私でボウリングに行きました。次男は長男の応援を一生懸命していました。次男は長男を「ハーちゃん」と呼びます。多分「ハクちゃん」と言っているのだと思います。ボウリングは2ゲームやりました。1ゲーム目は長男が勝ち、2ゲーム目は私が勝ちました。長男は1階のゲームセンターで「マリオカート」をやり、次男は私とクレーンゲームをやりました。3人で買い物をし3人でお風呂に入りました。いろいろと大変ではありましたが、なかなか楽しかったです。
次男と2人で行動をする機会が徐々に増えて来ました。長男とは良く2人で何処かに行ったりしましたが、次男とは今まであまり2人で行動する事はありませんでした。これからは積極的に次男と2人で行動する時間を作って行きたいと思います。
大山倍達総裁の著者「21世紀への道 出てこい、サムライ」を読んでいます。凄く勉強になります。
2008年7月2日に「スタジオEspace」で東矢口道場を開設しました。しかし、いろいろな事情があり、東京城南京浜支部の管轄では道場を運営する事が出来なくなりました。今日その「スタジオEspace」で矢口渡道場の稽古が始まりました。2名の女の子が体験に来てくれました。近い将来、必ずこのスタジオを生徒でいっぱいにして見せます。来週も見学者が来るので楽しみです。
五十三歩を覚えました。これで極真会館にある型のやり方を全て覚えました。動き方の順番を覚えただけなのでこれから自分のものになるよう稽古して行きます。さらに前に進んで行きます。
とにかく空手の本を読みまくってます。まだまだ勉強する事が沢山あります。今年はとにかく勉強の年にします。
今日は15日なので、長男と神社にお参りに行き、榊を買って道場に行きました。長男も1日と15日は神社に行き、榊を買う日だというのを覚えたようです。
今日は真白の2歳の記念写真を撮りに行きました。私の両親と家族みんなでの写真と真白の写真と琥白と真白の写真を撮りました。この写真は彼らが家を出て自立する時に持たせてあげようと思います。私と妻が彼らをどんなに愛してたかを忘れないで欲しいと思います。またその愛を自分の子供達にもあげて欲しいと思います。夜は空手家の会でした。食事をしながら、空手の稽古の話から技術練習にまで入っていく、とてもマニアックでディープな会です。空手道を本気で愛していない人には絶対に付いてくる事が出来ない会です。こう考えると私の周りには愛が満ち溢れています。
私の両親のリクエストで昨日は一風堂でラーメンを食べ、今日は歓迎で餃子を食べました。両親が美味しいと喜んで食べてくれるのは嬉しいです。もっともっと親孝行したい、親孝行する為にも、家族を幸せにする為にも、自分が頑張らなくてはならないと思います。
おかげさまで入会者、見学者、問い合わせが増えています。ぱどの掲載と新聞へ広告の折り込みをした結果だと思います。自分の空手道への情熱、指導法には自信を持っています。武道を通して社会に貢献出来る人を育てたいと思います。沢山の人に出会い極真空手を全力で指導したいと思います。
今日は次男の真白の誕生日会を私の両親と家族で行いました。真白は怒りん坊で気難しい子ですが、ご飯をいっぱい食べる元気な子です。この子と出会えた事を心から神様、私のご先祖様、妻のご先祖様、私の両親、妻の両親、妻、長男の琥白に感謝します。この子が生まれた事がどれだけ私に力を与えてくれたか分かりません。真白も必ず空手を始めると思います。真白が20歳の時に私は61歳です。その時に私は真白の成人式として真剣な組手をしたいと思います。負けたくないと思います。だからその時までしっかり稽古を積んで行きたいと思います。でも私が次男に組手で負かされたら、一緒にお酒を飲んで成人した事を祝ってあげたいと思います。
次男の真白が2歳になりました。真白は2014年2月10日の18時42分に2964gで生まれました。生まれた次の日に私は真白に福島まで会いに行きました。長男の琥白は弟が出来た事がとても嬉しかったようで、真白をずっと抱っこして離しませんでした。だから私はなかなか真白を抱っこする事が出来ませんでした。私は真白を抱っこした時、嬉しいのはもちろんですが「これからは二人の父親だ。喜びも2倍だけど責任も2倍だ。今までの2倍頑張ろう!」と強く思いました。あの日から2年が経つなんて、時間は本当にあっという間にすぎて行くのだと思います。
契約書にサインをし形になりましたので、皆様にご報告させて頂きます。今年の6月から大田区役所本庁舎、地域庁舎、特別出張所、産業プラザ庁舎の待合室や、呼出番号の掲示板の横に設置してあるモニターにて極真会館東京城南京浜支部の宣伝を流して頂ける事になりました。この宣伝で当道場に生徒が沢山入門してくれれば、もちろんありがたいです。でも私がこの宣伝をやろうと決断したのは自分の道場の為だけではありません。この宣伝で極真空手がより多くの人に認知され信用を得る事が出来たら嬉しいです。もっともっと極真空手に貢献する活動をどんどんやって行きたいと思います。
2月11日木曜日、新聞に道場のチラシを折り込みしてもらいます。ここは大胆に行こうと大森道場2万枚、雑色道場2万枚、矢口渡道場2万枚の計6万枚お願いしました。人事は尽くしましたので、あとは天命に任せるのみです。この宣伝でより多くの人に極真空手を認知していただける事を祈ります。
長男の幼稚園のお餅つきでした。妻は幼稚園でお手伝いをしていたので、私が長男と次男をお餅つきに連れて行きました。長男もお餅つきに挑戦していました。子供達はお餅を食べたりお友達と遊んだりしてとても楽しんでいました。
家では毎日、「スターウォーズ」が流れています。次男はエピソード5帝国の逆襲が1番好きなようです。いったい一日何回見ているのでしょう?
どうやらいろんな事が良い方向に進んでいるようです。それもとても急速にです!なんか自分でもビックリしています。なので他人事のように、「どうやら」と書いてしまいましたが、全ては自分が1動いた結果です。黙っていたら何も始まりません。今までと同じ事を続けているだけでもいけません。勇気を出してリスクを恐れず、ズルをせず自分の力で動き、苦労する事を嫌がらずに動けば必ず1にはなります。その1が10にも100にも掛け算で進んで行く事があると実感しました。100は1000にも1000にもなりうると思います。あと22年で自分の命を燃やし尽くしてみせます。
私の先輩に稽古を付けて頂きました。稽古の帰り道、はじめて白帯を締めて稽古をした日の帰り道を思い出しました。本当に空手って奥が深い!本当に空手って面白い!それを生徒達に伝えて行きたいです!
今日は節分です。家族で豆まきをし恵方巻きを食べました。豆まきは私と長男と次男でやりました。恵方巻きはもちろん願い事をして一気に食べました。でも私は、自分がどうなりたいなんてお願い事はしません。自分の事は自分で努力をしてやってみせます。
今年は攻めて攻めて攻めまくります!今やらなければ一生このまま終わってしまう、そんな気がしてなりません。今なら絶対やれるそんな気がするのです。空手道に入門して27年、上京して23年、道場を開設して13年、空手一筋に生きて来ました。その全てを総動員して勝負に出たいと思います。ただ私1人の力だけでは少し足りない気もします。プラスαの力を私に関わる皆様にご協力頂けたらありがたいです。よろしくお願いします。
今日は私の誕生日です。43歳になりました。山梨県甲府市にある日蓮宗蓮華山正法寺で祈祷を受けて来ました。私の誕生日である2月1日は仏教では星祭と言い、自分の星を祭って供養する日です。この星と言うのは暦で知られる九星の事です。因みに私は九紫火星という星の生まれです。自分の誕生日に祈祷を受け清々しい気持ちで始められる事を幸せに思います。昨日は私の両親と姉と私の家族に私の誕生日を祝って頂きました。今日も私が帰宅するとケーキを用意して待っていてくれました。私と長男と次男でローソクの火を消しました。43歳の自分がこんなに幸せである事を私の両親、兄弟、私の両親の祖父母、親戚、先祖様、私の妻と長男と次男、大山倍達総裁、松井章奎館長、極真会館の師範の方々、私の先生、先輩、同輩、後輩、私の友人、私の運営する極真会館東京城南京浜支部の道場生、ご父兄様、今まで私の人生に関わって頂いた全ての方々に感謝を申し上げます。私は伊達郡霊山町の母子センターという所で生まれました。私が生まれた日は雪が降っていてとても寒い日でした。しかも母子センターの暖房器具が壊れていてとても寒い中での出産でした。しかも難産で、あと少し遅ければ私は生まれて来る事が出来ませんでした。母は看護師さんに「頑張らないと赤ちゃんが死んでしまうよ!頑張って!」と励まされての出産だったそうです。しかも私は生まれてからも体が弱く病気ばかりしていました。私の病院代で家が立つというほどでした。たいした親孝行は出来ていませんが、人の役に立とうと頑張っています。自分が頂いた幸せを繋いで頑張っています。そして頂いた命を最後の瞬間まで燃やして生き切りたいと思います。あと忘れないように書いておきたい事があります。大亮が「先生、誕生日おめでとうございます。」と言ってくれた事、優翔が電話してきて「先生、誕生日おめでとうございます。」と言ってくれた事、凄く嬉しかったです。
kanno
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