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店長のガラクタ部屋
つかちゃん

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2001年06月28日(木)
消防車でかっとばすゼ!


がんばれ!中央四部


■6月28日

夜空に響くエンジン音、闇を切り裂く鋭い号令。そうです、消防団の操法の練習を見に行ったのです。消防団ってなに?操法ってなに?という声が聞こえてきそうですがかまわず続けます。自分も数年前まで10年以上籍を置いた中央四部は今年も市の大会で優勝、いよいよ次は広域エリアの大会というわけで後輩達は練習に余念がないのでありました。

こうしていちOBとして練習を見ていると現役団員時代の10年間の思い出がいろいろとよみがえってきます。いろいろな火災現場にも行きました。燃えた梁が頭に落ちてきたこともありました。放火犯と疑われ刑事に張り込まれたこともありました。消防団庫でパエリアを作って乾杯したこともありました。歳末警戒でいきなり火災を発見して慌てたこともありました。

でもそのなかでも一番強く脳裏に焼き付いているのは私が消防車を運転しての火災出動の時のこと、「火事だー!それー!」という感じでみんなで消防車に飛び乗り、サイレンをならしつつ現場へ向けて出動です。たしか、本番の出動の時に運転したのはこのときが初めてだったはずです。
行く手の見通しの良い交差点、他の車は全く来ないようなのでそのまま右折。あっと思ったら車のケツが流れだし、おもわず交差点内でカウンターステア!揺り返しにまたカウンター!後部座席は「うぎゃー」という叫びとともにヘルメットと人と長靴と手袋とぞうきんがごちゃごちゃに混ざっていました。

我が団の消防車は本署と同じ1.5トンの水槽に水を常時積んだ消防団の車としては最大の4トン車、私の当時の愛車はといえばHONDAのCITYターボ、急ぐあまり、CITYの感覚で交差点を曲がってしまったのでした。
あのときはまじで死ぬかと思いました。乗ってたみんなも死ぬかと思ったそうです。

もちろんそれを最後にだれひとり私に消防車の運転をさせる者はいませんでした。
でも、サイレンを鳴らして消防車をぶっ飛ばす快感って、忘れられませんねー。う〜ん、最高!



2001年06月26日(火)
誤射

昨日のニュース、見ましたか?自衛隊の”F14改”の中華キャノン誤射事件、あ、20mm機関砲でした。ほんとにゾッとする話でしたね。だいたい改造に改造を重ねた機体らしいですけど、元々1971年製だと言うじゃありませんか。どこかおかしくなっていても不思議じゃないですよ。世界の国からこんにちはの万国博の翌年、30年も前の戦闘機です。

弾が当たった車がブラウン管に映し出されているのを見てふとあることを思い出したのでした。もう一つの身近に起こった誤射事件を・・・。

あれはもう10年ぐらい前の話なんですが、林弘さん(仮名)はその日友人とゴルフを楽しんでいました。あるホールで気合いを入れてティーショット!すかさず叫ぶキャディーさん。「フォア〜〜〜!」球はフェアウェイを大きくそれて飛んで行きます。数秒後、「ガン!」という音!
「あらー駐車場の方に行っちゃったみたいねー」とキャディーさん。ということは誰かお客さんの車に当たったのでは?もしもそれが”や”で始まる職業の方の超高級車だったりしたら・・・修理代を払いきれず指の2〜3本お支払いする羽目になってしまうのでは・・・。それだけなら良いけど家や土地はとられ、妻や娘は風俗で働かされ・・・ああ、ゴルフなんか来なければ良かったと心から悔やみつつなんとか最終ホールまでゲームを続けたのでありました。

ゲーム終了。さっそくフロントで聞くと車に当たったという苦情はまだ出ていない模様。申し出る人がいたら連絡をくれるようにフロントに頼んでゴルフバッグを背負い駐車場へ。ああ、この中のどれかに当たったんだきっと・・・。あのベンツかな?あのBMWかな?それともあのジャガー?そんなことを考えて歩く林弘さん(仮名)の目にそのほんの数秒後信じられない事実が!

自分の車のドアがへこんでいるのです。朝来るときまではなかったへこみ、まるでゴルフボールが当たったような・・・。そうです!なんと自分で自分の車にボールをぶち込んでしまったのです。よりによって自分の車に当てるとは!ホールインワンに匹敵する快挙と言っても過言ではないでしょう。

作り話だとしたらこんなベタな話書くわけないですが、事実だからこそ笑える、そんな誤射の話でした。



2001年06月23日(土)
霊柩車と”あずきバー”

ゆうべの話、酔った私は、なんと霊柩車で送られて帰ったのでした。しかも、途中のセブンイレブンでアイス(あずきバー)を買い、それを食べながら・・・。霊柩車でアイスを食べるとカナリ涼しいです。

きのう、某宴会があったんです。1次会は料理屋さん、宴会は”祝賀会”だったので、場の雰囲気は華やかさもあり、みんな上機嫌。そのまま2次会へ、今度はカラオケが出来るお店で、他のお客さんはおらず、貸し切り状態で大騒ぎ。すると途中でKさんが耳元でこう言ったのでした。

「”お迎え”が入っちゃったよ・・・」

時間は夜の9時30分。こんな時間に幼稚園のお迎えではありません。相手は・・・。

ホトケ様


そうです。kさんは葬儀屋さんなのでした。
すぐに”お迎え”に出かけたkさんは1時間ほどで戻りましたが、大変な職業ですね。結構夜中に”お迎え”に行く事も多いらしいです。病院などに”お迎え”に行くと大体家族の方は車で来ていますので帰りはホトケ様と2人きりだそうです。運転席のすぐ後ろにはお棺に入った冷たい方が・・・。寒ッ!ぶるぶる・・。

そのあと、カラオケボックスでの3次会も大盛り上がりで終了。外に出ると夜風が気持ちいい。kさんが「送って行くよ」と言ってくれたので、見るとそこにはカラオケボックスの駐車場のライトの下におごそかにたたずむ霊柩車の姿が・・・。

・・・・・・・・・うわ。


後ろの席に座った私は低い仕切り板越しに手を伸ばし、お棺を滑らすための”コロコロ”を転がしていたら、「そこにさっきまで乗ってた」とボソリとkさん。そ、そうだったー。
霊柩車は途中でセブンイレブンに寄り、私はそこで”あずきバー”を買ったのでした。合掌。



2001年06月20日(水)
こ、恐すぎ!さかな?へび?



クリックすると雷魚があなたに襲いかかる!



 たかちゃん(妻)と残業の日々は慢性化この日も11時過ぎに腹が減りまくりで倒れそうになり、「もうだめ、今日はもう帰ろう・・・。」と言いつつ足は自然に居酒屋に・・・。

するとカウンターに2人のお客、ひとりは”Cobra”さん、もうひとりは”卍”くん。早速われわれも並んで話に花が咲くわけでありますが、この日の話題にこんな謎の生物が!

カモチンと地元では呼ばれている魚で日本名は「雷魚」というのだそうですが、釣りもしないし、魚と言えば刺身くらいしかなじみがない私にはどんな魚なのか見たこともなかったのでした。

「うそ!しらねえのー?」と言い、Cobraさんが書いてくれたのがこの絵です。

正式名は「カムルチー」と言うらしいです。肉食の魚で肺呼吸するらしいです!「蛇のようなカラダと鰐のような口を持っている」ということです。恐ろしい・・・。食用にするため日本につれてこられた外来の魚らしいですが、かなり凶暴で不用意に捕まえようとすると鋭い歯で噛みつかれて危険とのことです。

で、早速ネットで検索したら何と飼育のレポートが見つかりました!

す、すげぇ・・・・・・。




2001年06月15日(金)
屋上に風呂をつくる2



Pタイルの階段を上るとドアもなくいきなり4階部分、床はコンクリートだし、鉄骨の梁や柱がむき出しで壁は外壁材のALCがこれまたむき出し。壁にはエアコン用の配電盤があり、ぶっといケーブルが這っている。その部屋の奥にウッディーな風呂場があるのです。風呂場の横にはこじんまりとしたキッチンを作りました。
着工前、初めに問題になったのは3階の通路がせまくてバスタブが通れないということ!Ki−ちゃん監督は言いました。「いい考えがある」。資材の搬入の日、Ki−ちゃんの友達の植木屋さんのクレーン車が店舗裏に横付けにされたのです。
植木屋さんのクレーンに吊されて真っ白なバスタブは無事屋上に上げられたのでした。
で、驚いたことにその日のウチに風呂部分完成。ユニットバスってプラモデルみたいだ。あと、コンクリートむき出しの床に水平に風呂場を作るのはなかなか大変そうでした。平らに見えていてもコンクリートの床は結構傾いていたりするのです。大工さんが言うには「ここと向こうじゃ2cmくらい違うね。ボール置いたら転がるよ。」。そうだったんだ・・・。
そしてさらに水道管と配水管が壁に這う。これまた私の友達の髭親父、”oasys”君の会社の手による工事。ガスの配管、ボイラーの取り付け、そしてキッチンのフード等の板金工事は1つ先輩の”茶パ中”さん自らの手によりあっという間に終了。
しかし、このハードな内装の部屋、どうやってコーディネイトするか?っつうか、それ以前の問題?



2001年06月09日(土)
屋上に風呂をつくる


壁をぶち破れ!(パンク風)

ウチの店の屋上に風呂を作ると言ったら露天風呂だと思った人がかなり多かったので、報告を・・・。
店と自宅は6kmほど離れていて、残業して遅くなって帰るのも辛いものがあるし、まあ、色々他にも理由が・・・。(朝起きられないとか低レベルの理由)で、店に移住することにしました。そしたら風呂がないので風呂を作ろうと。場所は?ない。ということで屋上に出るために部分的に4階になっている部屋があるのですがそこに風呂を作ろうと言うことになったわけです。
酒屋+ガス屋のKi−ちゃんに相談したらKi−ちゃんの知り合いの各種職人さんばかりを集めて風呂づくりが始まったのです。まるで建築会社の現場監督ばりの働きをするKi−ちゃん。そして5月22日、写真のようについに壁がぶち抜かれました。ここが風呂の窓になる所です。外に見えるのは屋上の手すり。窓をぶち抜いたのも友人のタカオ君。(大変だったので君づけ)
しかしここまで来るまで私は大変な労力だったのでした。なんせ、この部屋は物置だったわけで、15年前に店を改築したとき以来の殆どゴミ状態の物がぎゅっと詰まっていたのでした。しかも部屋だけでなく階段や廊下も通れないほどに・・・。それをこの日までに何とか処分しての作業だったのでした。何でそんなにゴミがたまってしまったかというと全て親父のしわざと断言いたします。戦時中の物のない時代に育った親父はたとえ空き段ボール箱と言えども捨てることが出来ず、せっせと一人で少しづつ運んだのでした。それも殆ど毎日。それが15年間たまった物が部屋に収まりきらず階段や廊下にまであふれていたのでした。きっちり分類してリサイクルに出しましたとも!物置が無くなったのでこれからはゴミがたまることは無くなるでしょう。めでたしめでたし。しかしこの4階、かなり普通じゃないな・・・。(つづく)



2001年06月07日(木)
6月の雨の午後の出来事

 6月の第1水曜の午後、本堂の前の緑の芝生を濡らして小雨が降っている。関東地方は今日梅雨入りとアナウンスされた。家族で揃って本堂中央を向いて正座をする。僧侶が祭壇の前にひれ伏し、儀式に入った。
今日は祖母の13回忌の法事の日、こうしてお寺の広い本堂の中に正座をし、読経の声を聴き、雨の香りを感じ、故人のことを思い出していると熱心な仏教徒ではないのだが自然と手を合わせたくなるものだ。
祖母は12年前、息子2号が生まれるのを待っていたように、まるで入れ替わるようにして96才の生涯を閉じたのだった。その息子2号はもうすぐ12才、時はあっけなく過ぎてしまうものだ。

 「何かがおかしい。」そう感じたのは読経が始まり5分ほど過ぎたあたりであろうか。私の耳に先ほど発せられた坊さんの声の断片がこびりつくように残った。

「な〜な〜かいき〜・・・」
「!?」


確かに「七回忌〜」という言葉が入っていたように聞こえた。

・・・あ、また言った。間違いない。

ふと祭壇の前にたててある真新しい塔場を見ると黒々と非常に達筆な筆文字で「七回忌」という文字が!

「なんてこった・・・」私は心の中でつぶやいた。すぐに訂正をしなければと思った私は読経の声に負けないように叫んだ。

「ちょっとまった!」


・・・というのは嘘です。そんなこと言えるわけ無いじゃないですか。
ホントは13なのに・・・、あ、また言ってる・・・。

やがて読経は終わり、一家揃ってお坊さんにお辞儀をする。そして父がお坊さんのそばにそっと近づき小さな声でこう言った。

「あの、13回忌なんですけど・・・」
「えっ!」


ああ、それは失礼しました。直しておきます。と言いながらお坊さん、頭のてっぺんまで赤くなっていて何だかすごく可愛かったです。

でも、7回用のお経とか13回用のお経とか区別は無いんでしょうか?



2001年06月04日(月)
サッカー見て風邪引きそうになった



今日はバリバリ仕事をこなしたのでありました。
なぜなら今日は7時30分からブラジルVSニッポンだったからです。店のバックルームのテレビを点けてサッカー観戦。今頃はKi−ちゃんやでんちゃんやのりちゃんはこの大歓声のスタジアムのどこかにいるんだろうなぁ、声を枯らしているんだろうなぁと思いつつ後半戦、冷蔵庫に一番絞りが1本あったのを思いだしたので、おもむろに立ち上がり振り向きざまにボレーシュート!・・・じゃなく、冷蔵庫の扉を開ける。で、キンキンに冷えまくっている缶ビールをぷしゅっとあける。
すると、泡がもりもりもりもりと止めどなく出てくるのであった。テレビの画面ではちょうどゴン中山が登場の場面。上目遣いでゴンを見つめつつずずず〜〜〜と泡をすするも、後から後から止めどなく泡は出てくるのだ。
カンを手に取ったときに気付くべきであった。あまりのキンキンさに!
そう、中身はすっかり凍っていたのだ70%は氷って感じである。むぅ・・・。
手でカンを包み込み溶かしつつちびちび飲む。手が凍傷になりそうになったので今度は股で挟む。股が寒くて風邪引きそうになったので頭に載せる。そんな風にしてちびちび飲んでいるとだんだん味が薄くなってくるのだ。むぅぅぅ・・・。
一人で何をやってるんだ>俺
ついに試合終了!やった!引き分け。勝つところを是非見たかったのが本音ですがでも負けなかったのも立派!あのブラジルだもんね。
・・・で、ビールはと言えばジョン川平(実はファン)の濃い顔がテレビ画面から消えてもまだ凍ったままだったのでした。