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店長のガラクタ部屋
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1998年11月03日(火)
ゴマメばーさん

<ゴマメばーさん>

 今日、八日市場市名誉市民顕彰式に出席しました。受彰者の一人は大川逞一さん(故人)。私は(社)八日市場青年会議所の理事長として出席したわけでありますが、大川先生は仏師で、晩年の作品「釈迦苦行像」は奈良の薬師寺に納入されるとい
う大変な方でありました。
 その「釈迦苦行像」を作成中の頃のことです。その日、いつものようにウィンドウ・ディスプレイをどうするか考えていた私は仕入れたばかりの八寸帯をディスプレイすることとしました。その帯は薄いアイボリーの地色に色褪せたジーンズのようなブルーの濃淡の幾何学模様の織りの帯でした。竹と細い紐でちょっと凝ったディスプレイが出来ました。
 その日の午後、ふと気づくとじーさんが一人ウィンドウに張り付いていました。どうもあの帯を見ているようです。
やがて、店内に入ってきてじーさんは言いました。
「あの帯いいね、買うよ。」
伝票を書いて、お届けできる日にちを伝えると、じーさんは肯き、「うちのゴマメばーさんに似合うかな?」とちょっと照れたように笑いました。その人が大川逞一先生だったのです。
 数日後、かがり仕立ての終わった八寸帯を市内の大川先生の自宅までお届けに伺いました。そのお宅はどこが入り口かわからないほど草木が茂っており、門があったのか無かったのかそれもわからないほどでした。中はかなり広い敷地のように見えました。手前の古そうな建物の引き戸をあけ、声をかけるとしばらくして、痩せたおばあさんが出てきました。なるほど、”ゴマメばーさん”という表現が絶妙だったことにこの時初めて気づき、笑いそうになるのをこらえながら用件を告げると「あちらの建物に主人が居ますのでそちらにお願いします。」と丁寧にそして嬉しそうに”ゴマメばーさん”は言ったのでした。
 離れはアトリエになっていて、大川先生は一体の仏像を制作中でした。声をかけると「おう、ご苦労様。そこからお上がんなさい。」とおっしゃいました。そのとき制作中の仏像が遺作となった「釈迦苦行像」だったのです。先生が仏像をさしてこんな事を話してくれました。「これはねぇ、モデルがいるんだよ。ウチのばーさん、痩せこけてるからモデルにちょうどいいんだよ。」
夜、裸電球の光の中で上半身裸であぐらをかいて座っている年老いて痩せこけた自分の妻をモデルに大川先生は釈迦苦行像を削り出していたのです。
 やがて、奥様(ゴマメばーさん)がお茶を入れてくれて、しばらくいろいろなお話をお聞きすることが出来ました。また、お届けした帯も大変気に入って頂けたようで、ちょっとはにかんだように笑った表情が、痩せこけたばーさんなのに妙に可愛らしく見えたのでした。おそらく大川先生はいつも単なるモデルとしてと言うよりも少しでも夫の手助けになりたいという気持ちで制作に協力してくれる妻にお礼の気持ちで帯を買ってあげたのではないでしょうか?
 今、「釈迦苦行像」は奈良の薬師寺東塔に収められているということです。やがて何百年も時が過ぎても釈迦苦行像は大切に残されていることでしょう。でもそれを作った仏師の痩せこけた妻がモデルだったこと、言わば一組の老夫婦の合作であったことは誰も知らないままに違いありません。
八日市場の「市民ふれあいセンター」に行くと「釈迦苦行像」のパネルが展示してあります。それを見るたび私はゴマメばーさんの、はにかんだような幸せそうな笑顔を思い出すのです。



1998年11月02日(月)
バンジージャンプ

<バンジージャンプ>

 昨日は店を休んで、バンジージャンプしてきました。
千葉県には「マザー牧場」というところがあって、そこにバンジージャンプ台があるのです。なんでバンジージャンプかというと、ちょっと長い話になっちゃうんですが・・・。
 私が所属している団体に青年会議所(JC)という団体があり、私は今年うちの町のJCの理事長をさせてもらっているのですが、私のイメージから言って「威厳」とか「立派」とか「誠実」とかまるで無縁って感じなんです。JCの理事長らしくないっていうか。・・・で、「なんちゃって理事長」と呼ばれるようになったのです。ところがJCのパソコン通信で知り合った埼玉県の蕨JCの来年の理事長になる人とネットワーク上で意気投合しているうちに「なんちゃって理事長」の称号を来年襲名させてほしいとの申し出があり、「いいよー。でもバンジー飛んだらねー。」と私は冗談混じりに答えたのでありました。
 そうしたら、関東地区各地のJCメンバーが「なんちゃって理事長襲名バンジー大会実行委員会」というのを結成してしまい、着々と計画を練ってくれたもんで、店を休んでまでもバンジージャンプに行かなければならない羽目になってしまったのでした。
 昨日は天気も良くバンジー日より。なんと遠くは秋田県から1番の「こまち」に乗って来たメンバーまでいました。総勢30名以上の参加者でわれもわれもと15名(ダッタカナ?)がバンジーを飛んだのでした。
 閉園時間までたっぷり楽しみ、出口に向かうとそこは東京湾が一望でき、対岸の横浜・川崎の夜景に素晴らしい夕焼け、おまけにその向こうには富士山の頂がシルエットとなって浮かんでいたのでした。